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日本で最後の『家船』が残っている瀬戸内の島、『豊島』親切な島の方に案内していただき、40年位前の家船のお話を伺った後は、数年前まで家船で漁に出ていたという、偶然出会った70歳のおばあちゃんから、これまた貴重な家船生活のお話を伺う事ができた。 うん! 本当に来て良かった。***おばあちゃんにお礼を述べ、挨拶して公園を出る。 さて、『豊島温泉』に入って、歩いた疲れを癒し、汗を流して帰ろうか。道を歩いていると、後ろからクラクションが。 振り返ると、午前中案内していただいた島の方だ。そのままクルマに乗せていただく。 『どうでした? 話しは聞けました?』『いやあ、残念ながら、現役の漁師さんとは知り合いになれませんでしたよ。 でも、昼ご飯を食べたお好み焼き屋さんで漁師さんから話しを伺い、さっきは、数年前まで家船で漁に出ていたと言うおばあちゃんから、家船生活の話しを聞く事ができました』狭くて迷路のような島の道を走りながら、再び島の事に付いていろいろとお話を伺い、結局、銭湯の近くまで送っていっていただいた。『じゃあ、気を付けて』 『ありがとうございました。 また、遊びに来ます!』島の銭湯、『豊島温泉』は、夕方4時からの営業。 4時半頃入ると、もう10人くらいの人が男湯に入っていた。 盛況だ!一人のおじさんに話しかけてみると、やはり漁師さんであった。 湯船は一つで決して広いとは言えないが、地元の人に愛されていることが伝わって来る、良い銭湯であった。一日島を歩いた疲れを癒し、汗を流して風呂をでる。 番台のおばさんに、『ありがとうございました』***狭い島の道を、適当に脇道に逸れながら歩いていく。 え、ここは行き止まりかなあ?家の前で洗い物をしているおばさんに聞いてみる。 『ここは道ですか? 海まで出られますかねえ?』『真っ直ぐ行って、突き当たりを右に曲がれば海に出られるよ。 あんた、昔の島には道なんかつくっとりゃせんよお。 家と家との間が道なんじゃけん』 確かに、言われてみればそうなんだろうなあ。 『そうですか! ありがとうございました』***おばさんが教えてくれた通り、無事海沿いの道に出て、そのままフェリー乗り場へ歩いていく。 船の時間までまたしばらくあるので、家族へのお土産に『太刀魚の一夜干し』を買う事にした。フェリーの切符売り場でも一夜干しが買えるようなので、窓口の女性の方にお願いして、切符とともに太刀魚の一夜干しを購入。お金を払いながら、『今日は家船の事を調べに、豊島に来たんですよ』 『そうなんですか! 豊島に興味を持ってもらってうれしいです』それを切っ掛けに、待合室におられたおじさんも加わって話しがはずむ。昔の豊島にはきれいで広い砂浜が在った事や、島の廻りの潮流の事。 斎島の『あびの里』の話題。 家船の事、回漕店の仕事の事。 2年後に完成する『豊島大橋』の事や、それができたあとの島の生活の変化の予測などなど。私からは、シーカヤックで瀬戸内横断したことや、毎年秋の瀬戸内横断隊の話し。 ハワイを出て、日本に向っている『ホクレア号』の事など。回漕店をやっておられるというその女性の方に名刺を渡し、『今回の訪問で、豊島のファンになりました。 また、遊びに来ようと思っています。 これからも、よろしくお願いします』『また、ぜひ遊びに来て下さいね。 待ってますよ』帰りのフェリーが到着し、その方に手を振ってから船に乗り込んだ。***フェリーを降り、バスに乗り換えて町へ戻る。今日は、充実した一日の余韻を楽しむため、久し振りに、昭和の雰囲気が残る、お気に入りの おでん屋さん 『あわもり』へ。カウンターでビールを飲み、おでんを味わい、あわもりを飲み、豊島での一日を振り返る。思いもかけない切っ掛けから、この島を訪れる事になり、家船事前調査の段階で知り合った島の方に案内していただき、その後、昼ご飯を食べたお好み焼き屋さんでも、漁師さんやマリさんにお話を伺う事に。 また、帰りには、回漕店の女性の方とも知り合いになる事ができた。そして極めつけは、数年前まで家船で漁をしておられたという、70歳になるおばあさんとの偶然の出会い。ほろ酔い加減で、『あわもり』を出る。 ビール大瓶と、あわもり一杯、そしておでん5品(かわ、厚揚げ、たまご、じゃがいも、たまねぎ)で、1200円でお釣りが来た!これまた、涙ものである。 感涙。***瀬戸内の海洋文化の一端に触れる事ができた、『あるく、みる、きく』の旅。 まさに至福の一日であった。
March 31, 2007
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『明治初年以来これほど発達した漁浦はない。しかもこの地の漁民はどこまでも出かけてゆく。漁船は船の側面に番号かいれてあるが、その頭に府県の記号がかいてある。広島県はHである。そのHとあるものを対馬でも平戸でも五島でも、また天草でも見かけて、きいてみるとみんな豊島からきたという。(私の日本地図_瀬戸内海/芸予の海、宮本常一)』***『マリちゃん』を出た後は、湊を歩いて挨拶してみても、はなしかけてみても、なかなか話しが続かず、結局家船の漁師さんから話しを伺う事ができなかった。『沖からかえってきた若者達は退屈である。話しかけたらけんかを吹っかけてきた(私の日本地図)』 あの宮本常一でさえこう綴っている。 これも仕方なかろう。***それなら、豊島の銭湯『豊島温泉』にでも入って、汗を流し、何時間も島の集落を歩いた疲れを癒して帰ろう。 でも、銭湯が開くまでもう少し時間が有るので、日向ぼっこでもしようと、海沿いの公園へと向った。広くて静かな公園の中を歩いていると、ベンチに腰掛けていたおばあさんに声を掛けられた。***『どっから来たん』 『こんにちは。 呉から来たんですよ。 今日は良い天気で気持ち好いですねえ』 しばらく四方山話を交わし、自然とおばあさんの隣に腰を掛けさせていただく。ペリケースを開け、本を取り出し、『実はこの本を読んで家船に興味を持って、豊島に来てみたんですよ』 『えー、この本。 うんうん、家船ね』 『ここに写真が出てるでしょう』『あらあら、ここに写っとる人は知っとるよお』***70歳だというこのおばあさんは、数年ほど前まで(!)4つ年上だと言うご主人と一緒に家船で漁をしておられたそうだ! これも縁であろう。 エビス様、ありがとうございます。『18でじいさんと結婚して、それから50年近く漁に出よったんよ』 『豊後水道の方へ行って、太刀魚を釣りよった』『午前中に聞いた話しだと、和歌山の方にも出漁していた人が居られたそうですが』 『うん、そう。 私らも、35歳の頃には和歌山の方に行きよったねえ』***なぜこの豊島で家船文化が生まれ、これまで続いてきたのか?今回の豊島訪問にあたり、家船の本を読み、Webで資料を探し、これまでの経験を加味して、私なりの仮説を立てて来ていた。その仮説を検証するため、偶然出会ったこのおばあさんに、一つの質問をしてみた。 『なんで、遠くまで漁に行くようになったんですか?』『18で結婚した頃はねえ、そりゃあ貧しい暮らしじゃったよ。 小さい島で、兄弟も多くて。 島の廻りで鯛やタコやなんやら釣って、麦や芋や食べよったけどねえ』 『やっぱりお金を儲けるには、魚が多い所へ出て行かんとと思うて。 一生懸命働いて、船を造って、おとうちゃん、稼ぎにいこうやゆうて、それから遠くに行くようになったんよ』『なあ、兄ちゃん。 人間言うたら十人十色じゃろう。 借金しとうない、遠くの知らん所へ行くのは嫌じゃ言うて、島の廻りで漁をする人も居るし。 大勢の人間が、この島の廻りの漁で食べていく事はできんけえ、地で漁をしたい言う人にはそこで漁をしてもらって、なにがあるかわからんけど、遠くに行って儲けちゃろう思うとるモンは遠出するようになったんよ』『船造るいうても、エンジンとレーダーやらGPSやら、無線やらいうて付けよったら、3000万とか4000万とかかかるけねえ。 そりゃ太いけど。 かというて、安いもん付けよったら魚も獲れんよー』***『そりゃあ、豊島は女の人が強いわい。 男の3倍は働くよね。 男の人は、漁が済んで、風呂入って、ご飯食べて酒飲んだら寝させるけど、女はそうはいかん。 片付けやら、洗濯やら、なんやかんやいそがしいじゃろ』『洗濯させてもらうにしても、水をもらうにしても、寄留させてもらう所を見つけて、交渉して、やりとりするんは私らじゃけん。 水をもらうにしても電話を掛けさせてもらうにしても、お金を出してもダメじゃ言う人も居るし、お金なんかいらんいうて親切に分けてくれる人もおる。 人それそれじゃ。 親切にしてくれる人には、魚も分けるし、肉や野菜や灯油なんかもたくさん置いて、何倍にもして返すし』斜め向いに座った私の膝を叩きながら、『なあ、兄ちゃん。 人は十人十色じゃ。 堅い生活しかでけん人も居るし、もうけちゃろう思うて外に賭ける人も居る。 18でじいさんと結婚したが、この人なら間違いない。 ぜったいに私を養うてくれる思うて結婚したんよ。 ピョンピョン飛ぶほど元気じゃったし、いつもキョロキョロといろんなもんを観察しよったし。 この人なら間違いない思うたん。 人を見る目はあるんよ。 なあ、兄ちゃん』と、またまたわたしの膝をポンポンと叩く。***『男は山を見て、海の底の形を知って、漁ができるようになるまで10年掛かる』ペリケースを指しながら、『こんな平らな岩の上や、海の底には魚はおらんのよ。 この駆け上がりの所。 ここにおるんじゃけ。 下手に仕掛けを引っ張ったら、引っかかって仕掛けを取られて損するばあ。 じゃけえ、それを覚えるのに10年かかるんよね』『豊後水道は波が高いけえ、昼間に料理するんは大変よ。 夜のうちによけいに作っとって、昼はそれを暖めるくらいかねえ。 煮しめとか、魚の汁とか。 それでも、波があるけえ、鍋を両手で押さえながら暖めたもんよ。 ほんまにすごい揺れてたいへんなん』『太刀魚は、大きさによって分けて、5キロ毎に詰めていくん。 これを計るのが重とうてねえ。 一日に何回も何回も重たい魚を計るじゃろう。 肩が痛うて。 でも若い頃は、一晩寝たらなおりょおったねえ』***『子供をね、島において漁に出るじゃろ。 それが辛うてね。 子供が大きいなってこの仕事の事を理解してくれるようになってうれしかったけど、やっぱり子供と離れて仕事するのは辛いよね』『そうよ。 お節料理は、男の人が作るんよ。 うちのじいさんは、一番にエビス神社に行きたいいうて、毎年12時5分になったら煮しめを作りよった』 『前の日? だめだめ、12時前に作ったら、前の年のものになるじゃろ。 それじゃあだめよ』 『それでね、煮しめができたらそれを持ってすぐに神社へ行きよったよ。 あー、今年は2番じゃった、マンが悪いいうて、そんな負けず嫌いな人じゃったねえ』『ケンカ? けんかはほとんどしたことないね。 またねえ、けんかしちょったら、不思議と魚が釣れんのよ』***情が深くて豪快で、明るくて気さくなおばあさん。 時にはここに書けない愉快でおもしろおかしい話しがとびだし、二人で笑い転げた。 『いやあ、そりゃあそうですよねえ。 ワッハッハ! こりゃあ面白い!』気が付くと、1時間以上が過ぎていた。『おばあちゃん。 本当に興味深い楽しい話しを聞かせてもらってありがとうございました。 ええ勉強になりましたよ。 また豊島に遊びに来て会えたら、また話しを聞かせて下さいね』『じゃあね。 にいちゃん。 またね』***ああ、これぞ『あるく みる きく』旅の至福の一時。***『旅の途中から私はこう考える事にした。宮本常一がかつて旅して会った人をがつがつと捜すことは可能だが、それはやめよう。ゆっくりとその土地を歩きながら、旅が会わせてくれる人、宮本常一が会わせてくれる人にだけ会っていこう。それが旅なのではないか。 (宮本常一を歩く、毛利甚八)』家船の事を漁師さんに聞こうと気負っていたが、結局毛利さんが言う通りだということに気が付いた。 そう、『旅が会わせてくれる人』にしか話しを聞く事はできないのだ。ようし、じゃあ『豊島温泉』に行くか!<その4>に続く
March 31, 2007
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現代の日本に残る海の民、『家船』の島、豊島。 午前中は、家船調査の過程で知り合った島の方にクルマで島内を案内していただいた。 ありがとうございました。さて、昼からは一人で『あるくみるきく』だ。 その前に、まずは昼ご飯にしよう!通りがかりの島のおばさんに教えてもらったのは、島のお好み焼き屋さん、『マリちゃん』店に入ると、鉄板の上は、お好み焼き、お好み焼き、お好み焼き。。。 昼前の時間とは言え、ものスゴイ数のお好み焼きが作られている!マリさんは、二人の従業員のおばさんにテキパキと指示をしながら、次から次へとお好み焼きを焼き上げ、休む事無く次のお好み焼きの準備に取り掛かる。 見ているだけでも気持ち良い手際の良さだ。『すみません、ここで食べられますか?』 『今、忙しいから少し待っといて』 『はーい』椅子に腰掛け、お好み焼きを焼く作業と、まるで掛け合い漫才のような賑やかな店内のやり取りを楽しみながら眺める。 しばらくすると、漁師さんらしい、日に焼けたおじさんもやって来た。 軽く会釈し、二人ともその店内の光景をニヤニヤしながら見ている。***そのうちに、そのおじさんと言葉を交わすようになった。 『漁師さんですか?』 『そうよ』 『今日はお休みですか?』その方によると、日曜日と祭日は市場が休みになるため、その前日である土曜日と祭日の前の日は、漁はお休みだそうだ。 その他、月に2回ほどは水曜日に市場が休みになるので、火曜日が休みになる日も有るのだとか。『今日はこの本を読んで豊島に来てみたんです。 やっぱり家船に乗っておられるんですか?』 『そう、家船』 『大分や対馬、五島の方まで行く事が有ると聞いてるんですが』『昔は大分や宮崎、鹿児島の方まで行きよった。 鹿児島は、あまり釣れんかったからすぐに帰って来たがのう。 対馬も行った事が有る。 やっぱり内海より外海の方が魚が多いけえ。 最近は、安居島へ日帰りがほとんどじゃ』『じゃあ、最近は船で寝る事はないんですね?』 『いや、たまにあるよ。 四国の方へ行って、泊って漁をして帰る事もあるし』***そのうち、持ち帰り用のお好み焼き作りが一段落し、ようやく私の注文を取ってもらえた。『にいちゃん、どっから来たんね』 『近いんですよ、呉からです。 今日は、この本を読んで来たんですよ』『ああ、その先生はよう知っとる。 その本に私の名前も出とったじゃろ』 『え、そうなんですか』 『よう読まんとだめじゃない』 『すみません。。。 (本をパラパラとめくり) あ! ここに出ていますねえ』 『そうそう、そうよ。 その金先生はこの島に住んで熱心に調べよったんよ。 ええ人じゃったよ』お話を伺うと、今でも手紙のやり取りがあるそうだ。 午前中に案内していただいた島の方も、金さんとは一緒に飲んだ事が有るといっておられた。 『家船の民俗誌』の著者、金柄徹さんは、しっかりと豊島に溶け込んでフィールドワークをされていたんだなあ。***おいしいお好み焼きを食べ、会話を楽しんだ昼のひととき。『ごちそうさまでした』 『にいちゃん、またきんさいよ』 『ええ、ぜひまた今度、食べに来ます!』瀬戸内の島に多い、狭く曲がりくねった、まるで迷路のような路地を、風の吹くまま気の向くまま、行き当たりばったりで歩いていく。海沿いの通りに出ると、漁師さんたちが、あちらこちらで数人かたまりになり、仕掛けの手入れをしながら話しをしている。漁師さん達に挨拶をしたり、話し掛けたりしてみるのだが、なんだか話しがつながっていかない。***まあいいか。 島の方と知り合いになったし、お好み焼きのマリちゃんも知った事だし。 見知らぬ怪しげな人間が来てるんだもの、これが普通だよな。昼からは、『あるく、みる』を楽しむ事にしよう。↑ 島の神社と、祭りの日時の掲示先日、岡村島で見た『弓』を使ったお祭りもある。 ただ、岡村島では2月だったが、ここ豊島では1月だ。 他の行事も含めて、12月31日から1月6日の間に集中している。おそらくこれは、盆と正月に一斉に帰って来る『家船』に合わせたものではないかと、勝手に推測する。↑ 海洋民の島では、お寺にも船が置いてある↑ 少し遠いが、時間はたっぷりあるので、橋の上にも行って見た。 『高い所に上がってみると』、港の様子、集落の様子が良く分かる↑ 狭い山道も、迷路のようだ。 これまた宮本常一氏の教えに従い、島の高い所へ上がってみる***集落の端から端まで、そして海沿いから山の上まで、『あるく、みる』をたっぷりと堪能した。お好み焼きやさんで話しを聞かせていただいた漁師さんの後は、特に出会いもなく、昼からは『きく』はうまくいかなかったなあ。まあ仕方ない。 やはり、宮本常一のようにはいかないよ。でも来て良かった。 島の方と知り合いになったし、お好み焼きのマリちゃんも知った事だし。さてさて、これから豊島の銭湯、『豊島温泉』に入ってから帰るとするか。***銭湯が開くまで、もうしばらく時間が有るので、公園にいって日向ぼっこすることに。広くて静かな海辺の公園を歩いていると、ベンチに座ったおばあさんに話し掛けられた。<その3>へつづく!
March 31, 2007
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この週末は、『あるく、みる、きく』をテーマに、家船(えぶね)で有名な『豊島』を訪問することにした。この豊島は、蒲刈と大崎下島との間にある島で、瀬戸内横断隊の航行ルートであるとともに、私が年に何度も通う、蒲刈から出発して岡村島へ向うツーリングでは、必ず通る島である。今回『豊島』を訪れる事になった切っ掛けは、海洋ジャーナリストであり、また『瀬戸内横断隊隊長』でもある内田正洋さんからの一本のメール。そのメールには、『甦る海上の道・日本と琉球(谷川健一)』の中で、最後の家船の島として、横断隊でいつもすぐ近くを漕いでいる 『豊島』 の漁民が紹介されている事、そして、その豊島の家船の人達は 『ほとんど日本最後の漂海民であり、彼らをリスペクトして、その文化を後世に伝えねばならん』 との熱き思いが綴られていた。宮本常一の『私の日本地図』などにも記載があるように、豊島の家船文化は、本で読んで知ってはいた。その本には、豊島の他にも、三原の能地、竹原の二窓や尾道の吉和などにも家船があったと記述があり、なんとなく、家船は昔の話しだろうと思っていたのだが、調べてみると、どうやら今でも残っているらしい。『あるくみるきく_旅するシーカヤッカー』としては、これはいかねばなるまい!***豊島の家船について調べている過程で知り合った、豊島にゆかりのある方から教えていただいたのが、『家船の民俗誌(金柄徹、東京大学出版会)』この金さんは、家船を調べるために豊島に一年以上住み込み、家船に同乗して漁にも出掛け、その貴重な記録を本にまとめられた方である。 この本を読んで家船のことを学びつつ、豊島にゆかりのある方々とのやりとりも続く。そして、その中の一人の方から、時間が合えば案内してあげようという、うれしい提案をいただいた。 ありがたいことだ。***土曜日、ペリケースに『フィールドノート』と『家船の民俗誌』を詰め込み、バスで蒲刈の大浦港へ行き、豊島行きのフェリーに乗り込む。 どきどき、わくわく。港で待ち合わせていた初対面の地元の方に挨拶し、まずはクルマで案内していただくことに。島を一周する道路を走りながら、漁家で育ったと言う、その方の子供の頃のお話を伺う。***その方の家も、家船で漁をしておられたとのこと。 当時は、家船で豊後水道や、遠くは和歌山の方まで遠征しておられたそうだ。この豊島の漁民達は、愛媛、大分、五島列島、対馬。 そして遠くは和歌山、鹿児島、伊豆の下田、能登半島、山口県の角島。 さらにはフィリピンの方まで遠征したとの言い伝えが残っているとか!!!親達が漁で和歌山の方に行っている時、夏休み、春休みなど学校が長期休暇の時期になると、船団の中の一人が、陸路、子供達を迎えに来ていたとの事。 当時は豊島から広島の宇品まで行く船があったので、子供達はそれに乗って広島まで行き、国鉄で和歌山に移動して、親の船に乗り込んで休暇を一緒に過ごしたと言っておられた。そして夏休みなら、和歌山まで行った後、お盆には家船で家族一緒に豊島に帰って来ていたそうだ。その他、太刀魚の餌として『ドジョウを使っていた事』、『ドジョウは瓶に入れて活かしておくのだが、その時に唐辛子を入れておくと活きが良かった事』、『小さい船で豊後水道に行っていた頃には、船が揺れるので、漁の時には長い木の棒を船の横に張り出させて安定させていた(!)こと』などの興味深いお話を伺う。シーカヤックでも、海の上で休む時にはパドルの片側を海に浸けておくと安定性が増す。 『シーカヤッキング(ジョンダウド)』にも、『フローティングパドルブレース』として紹介されている方法の一つである。『それって、カヌーのアウトリガーみたいなものですよね!』***クルマは、島の頂上にある静かで眺めの良い展望台へ。ここは良い! 静かで、しかも瀬戸内の眺めが堪能できる最高の場所である。瀬戸内の島々を眺めながら、見える島々のお話を伺う。 『へえ、そうなんですか』 『たしかにそうですよねえ』 『そんなこともあったんですねえ!』***山から降りる途中も、興味深いお話をいろいろと伺う事ができた。 この方も、幅広くかつ深い引き出しを沢山持っておられる、凄い人である。昼からは用事があるとのことで、漁港の近くまで送っていただき、お礼を述べてクルマを降りる。 お忙しい中、見ず知らずの私を親切に案内していただき、ほんとうにありがとうございました。今後とも、よろしくお願いいたします。***家船が係留されている港の近くをしばし散策。 おばさんたちが、テングサを干しながら話しをしている。『こんにちは、これはテングサですよね』 『そうよ』 『今日は、この本を読んで、豊島に来てみたんです』 『家船ねえ、昼からは漁師さんらが浜に出て来るけえ、聞いてみりゃあええわ』『そうですか。 じゃあ先に、えびすさんにお参りに行ってきます』正月には漁師さん達がお参りに行くと言う『エビス神社』へお参りする。これまで訪ねた神社と違って、旗を揚げるポールがたくさんあるのが特徴。 祭りの時には、大漁旗が掲げられるのだろうか。 さすが、本格的な海洋民の漁師町!***再びおばさんたちの所へ戻り、『ここらへんで、どっか昼飯が食えるところは在りますか? 食堂とか』と私。おばさんは、『あるよ、あっち』 『そっちに帰るけん、つれていってあげよう』『ありがとうございます』***教えていただいたのは、島のお好み焼き屋さん『マリちゃん』 うーん、これはストライクゾーンど真ん中の店である!あるく、みる、きく、豊島編。 その2に続く。
March 31, 2007
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『長い航海の意義は、島に到着するという結果にあるのではなく、島にたどり着くまでの長い航海、その道のりにあるのです(ホクレア号が行く、ブロンズ新社)』星の航海師、ナイノア・トンプソンのこの言葉を、ここ数年のシーカヤックを軸とした私自身のライフスタイル/旅のスタイルの変化、そして最近の様々な旅先での出会いと照らし合わせながら、じっくりと噛みしめている。***土曜日の朝。 予報通り雨が降っている。 今日は、先週見つけた『ホクレア号』に関するイベントに、妻と一緒に行ってみる事にした。そのイベントとは、広島市こども文化科学館のプラネタリウムの春の番組、『星は灯台!? ホクレア号の挑戦』である。***プログラムが始まる前、説明員の方が、ホクレア号がハワイを出て日本に向っている事、広島は寄港地の一つに予定されている事に加えて、昨日金曜日の新聞にホクレア号の記事が載っていた事に触れられた。この記事とは、『瀬戸内カヤック横断隊』の隊長でもある海洋ジャーナリスト、内田正洋さんが、『ヤポネシアの海を旅する』というタイトルで、毎週金曜日に中国新聞の”くらし欄”に連載されている記事の事である。***照明が落とされ、番組が始まった。ホクレア号が建造された経緯、サタワルの航海師を招いて成功させたハワイータヒチの航海、そして、まさにプラネタリウムでホクレア号を紹介するのにピッタリのテーマ、『スターナビゲーション』の考え方。様々なキーワードも、要所要所にちりばめられていた。1975年、ミクロネシアのサタワル島から沖縄海洋博会場まで、3000キロの海を渡ってきたカヌー『チェチェメニ号』カヌーの原木を贈ってくれたクリンギット族の人々の精神、『与えることこそが富である』航海師が、島々の位置とそこにたどり着くための目印を暗号として埋め込み、連綿と伝えていた『星の歌』そして、ナイノアがプラネタリウムでの研究を通じて考案したという『対の星』約50分の番組が終わる。 うん、これは良いプログラムだ。***館内が明るくなると、制御盤の所に居られた説明員の方の所へ。『こんにちは、いい番組でしたね。 これは、ここのオリジナルですか?』 『ええ、そうです』私から、冒頭の説明で触れられていた新聞の記事を書いている内田さんには、第一回目から参加させていただいている『瀬戸内カヤック横断隊』でお世話になっていること、また先日は、番組内でも紹介されていたナイノアに大きな影響を与えたという『カワノヨシオ』さんの情報を求めて、山口のエルコヨーテさんに同行し、『沖家室島の泊清寺』を訪ねたことなどをお話しする。その学芸員の方も関心を持っていただいたようで、別室に案内され、名刺を交換し、妻も同席してお話させていただくことに。ホクレア号の事を知り、絶版になっている『星の航海師(幻冬社)』を図書館で読まれたそうだ。 その後も、何冊かの本を調べ、関係者に話しを聞いて、このオリジナルプログラムの企画を立案され、様々な方々から資料の提供を受けて完成したのだとか。 この人もスゴイなあ。話しはどんどん広がって行く。ホクレア号に関わっている人々の事、沖縄のサバニの事。 瀬戸内の島々を巡るシーカヤックの旅と、そこで出会った漁師さん達のこと。沖家室や三原、豊島などの漁師さん達が、手漕ぎや帆走の時代から、遠く対馬や朝鮮半島まで出漁に行っていたことの凄さや、現代に残る海洋民として最近注目している、呉市にある豊島の『家船(えぶね)』の事などなど。話しは尽きないが、そろそろ辞する事にしよう。 短いけれども、楽しく充実した一時であった。『ありがとうございました。 これを機会に、今後ともよろしくお願いします。 もし興味があれば、是非今度、シーカヤックを一緒に漕ぎましょう!』思いがけない出会い。 沖家室島の泊清寺につづく、『ホクレア号』が結ぶ人との縁。***先日、内田隊長から頂いたメールに返信した文面の一部。ホクレア号の件では、先々週末にカヤックツーリングも兼ねて沖家室島を訪問し、エルコヨーテさんに同行して泊清寺の新山住職にお目にかかる機会を得るなど、ホクレア号を軸にしてネットワークが広がりつつあるのを感じています。ホクレア号がハワイを出発し、日本に向っているという時点で、海や海洋民俗、海洋文化に関心を持っている人々に、本質的な影響を与え始めているのですね。 日本に向っているという事実だけで、すでに人々に良い影響を与えていること自体に、ホクレア号の意味があるのだと実感しています。***『長い航海の意義は、島に到着するという結果にあるのではなく、島にたどり着くまでの長い航海、その道のりにあるのです』 このナイノアの言葉が、じわりと心にしみ込み、自分の中の何かを変えていく。
March 24, 2007
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今日は有給休暇。 快晴で、絶好のシーカヤックツーリング日和だ。この週末は、久し振りにキャンプツーリングに行こうと思っていたのだが、残念ながら、明日は雨で、風も少し強くなるとの予報。でも、せっかくのお天気なので、お気に入りの日帰りツーリングコースへ漕ぎに行く事にした。***10時。 春霞みのかかった、穏やかな瀬戸内の海に漕ぎ出す。 風もなく、ポカポカと暖かい春の日差し。 この辺りは、桜の花はまだ開いていないようだ。 お花見ツーリングは、来週くらいかなあ。今日は一人なので、横断隊ピッチで漕いでみる。 休憩無しで1時間弱漕ぐと、お気に入りのエリアに到着。海もきれいだし、眺めも良い。 うん、やっぱりここの海域は良いなあ!***パドルを漕ぐ手を止め、しばし休憩。 すると、少し離れたところの海面が、なんだか変な動き。おや?サングラスを外して良く見ると、海面を動く灰色の背中が見えた。 『スナメリ』だ! 2頭が寄り添うように泳いでいる。 これはスゴイ。山口県の祝島付近や、竹原市辺りは、スナメリの回遊水面として有名だが、こんなところでスナメリを目撃できるとは、思ってもいなかった。 15年位前からこの付近には漕ぎにきているが、今まで見た事はない。慌ててカメラを取り出し、近寄ろうとしたのだが、潜ってしまったのか、残念ながら見えなくなってしまった。興奮覚めやらず、しばらく付近を漕ぎながら探してみたが、もう姿を現してはくれなかった。 いやあ、でも良かった。 うれしいなあ。***再び漕ぎだし、静かな無人島へと向う。浜にフネを揚げ、昼ご飯。 今日も、最近の日帰りツーリングで定番となりつつある、妻が用意してくれた、ランチジャーに詰めた弁当。暖かいお茶を飲みながら、ホカホカご飯を頬張る。 景色も良いし、暖かいし、スナメリは見たし、最高のお散歩ツーリングだ。昼からは、少し南よりの風が吹き始めた。 さて、そろそろ帰るかなあ。***思いがけない『スナメリ』との遭遇が待っていた、楽しい春のお散歩ツーリング。『あるく、みる、きく_旅するシーカヤック』 今年は天候にも恵まれ、出掛けた島で様々な出会いもあり、ホクレア号も来る。 なんだかとても良い年になりそうな予感!(メモ、2007_ツーリング12日目)
March 23, 2007
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今日は久し振りに、家族全員の予定が空いている休日。 子供達が中学生、高校生になってからは、土日もクラブ活動で忙しく、家族みんなが揃って遊びに行けるのは、残念ながら年に数えるほどしかない。土曜日の夜、夕食を食べながらみんなで相談し、久し振りに懐かしい『動物園』に行ってみる事になった。『安佐動物園』 前に行ったのは、もう何年前だろう? 楽しみだなあ。***9時半過ぎ、休日の渋滞を避けて早めに到着。まだ寒いので、動物園に行く人は少ないだろうと思っていたのだが、なんだか駐車場にクルマが多い。 窓口に行って分かったのだが、どうやら今日は、子供向けのスケッチ大会が開かれるようだ。***子供達が小さい頃、ここには何度も遊びに来たものだ。さすがに動物を見ながらの会話もその頃とは違う。 昔は、『あー、ゾウさんだ!』と喜んでいたのだが、今では、『象って、よくみると皺だらけだなあ』園内も、昔より動物の生態が詳しく説明されていたり、飼育係の人達の日常がマンガ風におもしろく書かれたりしており、来園者が楽しめるように様々な工夫が凝らされていた。それにしても、園内は、小さな子供を連れた家族連れか、デートのカップルばかり。こんな『大きな子供たち』を連れた家族は他には居ない!今日の楽しみの一つは、動物園内の『食堂』ここに来るといつも、園内にある食堂で、カレーやラーメンを食べていて、彼らもそれを良く覚えていた。今日も、『ここに来たらカレーじゃろう』ということで、彼らはハンバーガーとカレーを注文。 私は、当時は食べ盛り(?)だったので、いつも『ラーメンとカレー』だったのだが、さすがにそんなに食べられないので、今日は『カレーうどん』のみ。 妻もうどんだ。カレーは、メラミン樹脂の容器に盛りつけられた、なんの衒いもない、正に動物園の食堂らしい直球勝負、正統派のカレー。 いいぞ! やっぱりこれじゃなくっちゃ。***食後、晴天の動物園をゆっくりと巡り、出口へと向う。その出口では、RCCラジオカー担当の『勝さやか』さんに偶然出会った。『こんにちは、ご無沙汰しています! 今日は久し振りに家族で遊びに来たんですよ』『こんにちは。 今日はもう帰られるんですか? じゃあ、早くから来られたんですね』 『ええ、そうなんです。 今から仕事ですか?』『1時15分から中継なんです。 もう一人の方が担当なんですけど』 『じゃあ、帰りに聞きます。 頑張って下さい』***帰り、海沿いの公園に寄り、途中で買ったおやつを食べ、お茶を飲み、フリスビーで遊ぶ。やっぱり、家族みんなで過ごす時間は楽しい。家に帰ってから、デジカメで撮った写真を iBookG4 にダウンロードして家族みんなで見る。 おもしろい写真や、今日のハプニング、昔の動物園でのエピソードで夕食の食卓は大爆笑の渦。 みんな、腹が痛くなるほど笑った笑った。いやあ、今日も本当に好い休みだった。***今日見つけたスゴイもの!安佐動物園で見つけた、『広島市こども文化科学館』の3月のパンフレット。なんと、プラネタリウムの春の新番組は、『星は灯台!? ホクレア号の挑戦』なんと、今年やってくる ホクレア号 に合わせた特集だ。 現代の航海計器を使わない『星の航海術』、そう スターナビゲーション の様子を、プラネタリウムで紹介するそうだ。ナイノアも、スターナビゲーションを身に着ける過程で、プラネタリウムを使ったと本で読んだ。 この番組は、まさにプラネタリウムにピッタリの特集ではないか。これは、ぜひ観に行かねば!エルコヨーテさんによると、はるばる日本にやって来る ホクレア号 を支援する基金も立ち上がったそうだ。 以下、エルコヨーテさんから送られてきたメールから転記。***ホクレア号が、2月28日、いよいよミクロネシア連邦のポンペイに到達しました。ここからはナイノアが船長となって沖縄まで航海します。沖縄からは、周知の通り横浜までの航海です。ただ、日本国内航路は、それまでのミクロネシアと違い、非常に煩雑な手続き、経費の信じられない増大、そしてもっとも憂慮すべき、それまでとは違った意味の海の厳しさが存在しています。ホクレア号が無事に横浜まで航海していくためには、時間的な余裕とか経済的な余裕が必至ですが、ホクレアが自由に航海するためには、今のところまだ制約が残っています。完全に近いような自由感が必要な古代式の航海ですが、日本社会は、なかなかそれを許してはくれません。なので、少しでもホクレアに自由を持ってもらうために、あの龍村仁監督(*ドキュメンタリー映画シリーズ「地球交響曲、ガイアシンフォニー」監督)が、ホクレア基金を立ち上げると、連絡がありました。連絡を受けた僕は、考えられる日本のホクレア・ファミリーの方々に協力をお願いしようと、このメールを書いています。どうか、よろしくお願いします。内田正洋「ホクレア航海2007基金」についての説明、募金の方法はhttp://gaiasymphony.com/hokulea2007.html をご覧下さい。
March 18, 2007
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『鯛の里』の新鮮でおいしい魚料理とお酒を堪能した翌朝、朝食を摂りながら、なぜだか再び盛り上がる。お互いの笑いのツボにバッチリと入る、ここでは書けないオフレコのおもしろおかしい話しが次から次へと飛び出し、思わず食後のコーヒーを吹き出しそうになるほど! なぜだかこのメンバ-だと、いつも宴会の翌朝に不思議な盛り上がりがあるのだ。 朝から酒を飲んでいる訳でもないし、これは一体、なんなのだろうか?あー、それにしても笑った笑った!*** <今回掲載した写真の何枚かは、エクストリームNさん撮影>9時からは、近くに有る『泊清寺』の新山住職にお会いすることになっている。うん、実に良い雰囲気のお寺だ。奥に通され、挨拶を交わし、エルコヨーテさんから、今日ここに伺った用件である『ホクレア号』の準備状況や、ナイノアに強い影響を与えたと言う『カワノヨシオ』氏の手掛かりを探していることを説明する。 寺には過去帳という貴重な記録も残っており、この調査にも協力していただけることになった。その後は、このお寺ともゆかりのある宮本常一氏の話しや、このお寺が中心となって大正3年から昭和15年まで発行されていた『かむろ』の事、沖家室から対馬や朝鮮半島まで出漁していた漁師さん達の話題で盛り上がる。この『かむろ』は、今では復刻版も本になっており、私もその第一巻を入手して読んでいるのだが、当時の沖家室島の人々のグローバルな視点、島の発展を願う熱い想いなどが伝わってくる。(今回は、この『かむろ 復刻版』を泊清寺に持参し、新山住職にサインしていただいた。 これは、良い記念になったなあ!)インターネットはもちろん、国際電話も通じていないあの時代に、世界に飛び出していった沖家室島の人々と島に残った人々の心をつなぐ貴重なネットワークを形成する核となっていた、タウン誌の元祖とも言える貴重なメディアなのだ。 その『かむろ』に関わった人々の熱意、コンセプトの先進性、投稿している人々のグローバルかつ高い視点には、ただただ驚くばかりである。***用件が終わった後、お礼を述べて辞そうとすると、本堂に案内された。ここの本堂は、『長州大工』作の見事な造り。 新山住職も、各地で長州大工の残した建築物を見られたそうだが、この寺が一番だと言っておられた。 たしかに見事である。その新山住職から、昨年行われた開島400年記念行事の事や、今準備している塔婆の事、昔の寺の様子などなど、興味深いお話を伺う。沖家室島では、海外に移民して行った人が多く、かなり古くからテレビや蛍光灯があったことは有名なのだが、このお寺でも、当時の朝食はパンとコーヒーが当たり前だったそうだ。 その頃、島の狭い通りの朝は、パーコレータでいれるコーヒーの香りが至る所で漂っていたと、鯛の里の松本さんも言っておられた。また、昔は寺が子供の遊び場であり、雨が降ると本堂で遊んでいたので、『長州大工』の作である龍の飾りのヒゲの先端が欠けているのも、子供が遊んでいて壊したものだとの事。 この泊清寺には、そんな島の人々の生活の思い出や、貴重な歴史が詰まっている。このお寺で過ごした時間は、本当に良い時間だった、来て良かった。 ありがとうございました。***再び『鯛の里』に戻り、今度は松本さんに、沖家室の町のガイドをしていただく。最盛期には、なんと4000人ほどの人が住んでいたと言うこの沖家室島。 ここで生まれ育った松本さんの案内で、昔のメインストリートを散策する。居酒屋、下駄屋、かむろ針の製造所。 銭湯、商店、パン屋さん。 郵便局、絵を収めていた蔵、地元の名家。今でこそ空き家がほとんどだが、松本さんの話しを伺っていると、当時の賑やかだった沖家室の雰囲気が伝わってくる。↑ 『かむろ針』を入れていた貴重な箪笥以前、シーカヤックのツーリングで来た時にも、同じ通りを散策したのだが、何も知らなかったので『古い町並みが残っているなあ』といった感想を持っただけで通り過ぎてしまっていた。やはり地元の人に話しを聞くと、同じ景色でも全く違って見えるものだ。 『あるく、みる、きく』は、旅の楽しみを倍加してくれる。沖では『兔が跳ぶ』ほどの強風かつ寒い中を案内していただいた松本さん、本当にありがとうございました。***周防大島と沖家室島を訪れた週末の旅。新たなカヤック仲間も一緒になって沖家室島を一周したシーカヤックツーリング、良い泉質の竜崎温泉。 『鯛の里』で見た、奇遇というにもあまりにタイムリーな『ホクレア号』の番組、そして美味い魚料理と楽しい会話で盛り上がった宴会。密度の濃い泊清寺での時間。 そして沖家室島の歴史をたどった島の散策。この週末も、本当に充実した週末であった。
March 11, 2007
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沖家室島一周ツーリングを終え、温泉で潮抜きをして向ったのは、沖家室島の民宿『鯛の里』この宿は、『大往生の島(佐野眞一)』にも登場する有名な民宿である。***宿に着き、ご主人である松本さんに挨拶をして部屋に上がる。 その時、松本さんから一言、『今日は、4時からホクレアの番組がありますねえ』そう、今日はTSSで『ホクレア号』を特集した番組があることは知っており、旅に出るので妻に録画を頼んでいたのだが、放送時間までは覚えていなかった。山口では既に放送されていたそうだが、偶然にも、ハワイからスターナビゲーションで遥々やってくるホクレア号の山口県の寄港地でもあり、ナイノアに大きな影響を与えたと言う河野さんの出身地かもしれないと話題になっている『周防大島の沖家室』でこの番組を見る事になったことには、まさに不思議な縁を感じる。奇遇にしても、あまりにすごい偶然である!今回、『エルコヨーテさん』が沖家室島を訪れた目的の一つに、『ホクレア』寄港に向けた民間サイドの体制造りの調整もあり、明日は地元『泊清寺の新山住職』にもお会いする事になっているので、この沖家室島でホクレアの番組を見ることの意味は大きい。***番組が終わり、部屋でゆったりまったりしていると、階下から声が掛かった。 『夕食の準備ができましたよ!』あー、もうかなり腹が減っていたんだ。 待ってました。鯛の里だから、まずはやっぱり新鮮な鯛の刺身!サザエとアワビは一人に一つ!サザエの刺身が美味い。 アワビは違った味を楽しみたかったので、刺身と酒蒸しとバター焼きにしてもらい、三人で分けて楽しむ。 うーん、最高だ!生ビール、日本酒、焼酎。蝦蛄も出てきた。 これが、酒の肴に好いんだよなあ。 ハサミを使って黙々と殻を剥き、かぶりつき、残った身にしゃぶりつく。 おお、こりゃあ旨い!素材の良さを活かした、シンプルだが美味い魚料理。 気の置けない仲間との楽しい会話。 そして、何をおいても『おいしいお酒』沖家室の夜は、楽しく騒がしくも、ゆったりと更けていく。 松本さん、ごちそうさまでした。***明日は、これまた楽しみにしている『泊清寺』の新山住職とお会いする日だ。鯛の里の松本さんも含めてまだまだみんなは楽しんでいるが、もう眠くなってきた。 では、お先に寝ます。 『おやすみなさい!』
March 11, 2007
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この週末は、久し振りに『エルコヨーテさん』、『エクストリームNさん』と共に、『シーカヤック&あるくみるきく』の旅に出ることに!目指すは、敬愛する宮本常一氏の生まれ育った島であり、また『ホクレア』寄港地としても注目を浴びつつある『周防大島』***土曜日の朝、周防大島の片添ヵ浜に集合。 ここの景色は、リゾートを思わせる良い雰囲気でお気に入りの場所の一つである。今日は、昨年秋に行われた宮本常一関係のイベントに参加した時にキャンプした片添ヶ浜海浜公園オートキャンプ場の、『さのっち』さんも参加される事になっている。***全員集合し、瀬戸内カヤック横断隊でテントを張らせていただいた想い出の浜から出艇。 初めて一緒に漕ぐ『さのっちさん』と、周防大島でのカヤックライフや、キャンプ場での仕事などなど、様々な話しを聞かせていただきながら漕ぎ進む。準備している時は暑いくらいの日差しだったが、出発してから少し曇って気温も下がってきたようだ。 天気予報では、暑くなるようなことを言っていたのだが、どうやら前線の南下が早まっている感じ。途中、海の中に立てられた鳥居のところで手を合わせて航海の安全をお願いし、ついでにカヤックを浜に揚げさせていただいてスカノラックを着用する。 これで防寒対策は完了!***今日のツーリングでは、3本のグリーンランドパドルが揃った。 なかでも、エクストリームNさんのGパドルと私のGパドルは、一本の木から切り出され、同じワークショップで製作した『兄弟パドル』である。中潮のほぼ潮止まり。 気温こそ低いものの、風もなく穏やかな海況。今日は、海図で”激潮マーク”の付いている『沖家室島』の南岸を漕ぐのには絶好のコンディション。 順調に南下し、沖家室島の岬を廻り込む。これまで参加した瀬戸内横断隊やカヤックツアーでは、沖家室大橋の下を漕いでいたので、島の南側を漕ぐのは初めてだ。 海水は美しく澄んでおり、自然の海岸がしっかりと残っている。周防大島で生まれ育った『さのっちさん』は、ここに学校の遠足で来た事があるそうで、懐かしそうに思い出話しを聞かせていただいた。***雲行きが怪しくなり、気温も上がらず寒いくらいなので、予定を変更して沖家室島を一周して片添に戻ることに。宮本常一が尽力して制定された『離島振興法』の恩恵を受けて架橋された『沖家室大橋』を見上げながら漕ぎ進む。ちょうどお昼。 島の対岸の小さな浜にフネを揚げ、昼食を摂る。***昼ご飯を食べ終わる頃、ポツリポツリと雨が降り始めた。 良いタイミングだ。 再びフネを出し、片添に向って北上。独りで漕いでいる時に寒くて雨が降ってくると、それなりに気が滅入るものだが、今日は4人でのパドリング。 海の上で四方山話しをしながら漕ぐと、雨なんか気にならない。やっぱ、気の合う仲間達ときれいな海を漕ぐのは楽しいものだ!***片添の浜に到着。 気温も低く、雨も降ってきたため、予定よりかなり短いツーリングとなってしまったが、今日泊る沖家室島を一周することができた。楽しかったなあ! さのっちさん、また一緒に漕ぎましょう。 今度はぜひ、大水無瀬に行きたいですねえ。さのっちさんと分かれ、三人は『竜崎温泉、潮風の湯』へ。気持ちの良いお湯で潮を流し、体を温め、地元の人との会話を楽しむと、今日の宿である、沖家室の『鯛の里』へと向う。***ここは、『大往生の島(佐野眞一)』にも出てくる、有名な民宿である。 今夜は、気の置けないカヤック仲間であるエルコヨーテさん、エクストリームNさんとの宴会だ! 楽しみだなあ。
March 10, 2007
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快晴の瀬戸内海。 今日は、お気に入りの日帰りツーリングエリアである、奥ノ内湾へ。テーマは、『なんちゃって瀬戸内洞窟巡り』。***いつもの浜を漕ぎ出し、弁天島に向う。 海はベタ凪で気温も高く、今日はスカノラックも着る必要がないほど。 化繊の下着の上に、フリース、そしてPFD。それでも暑くて、フリースの袖をめくってパドリング。 もう春は近い。一つ目の穴(やっぱ洞窟とはいえないなあ)。 サイズも小さくて奥行きはないが、シーカヤックなら通り抜ける事ができる。 上には松も生えていて、瀬戸内らしい風情を感じさせる。再び漕ぎ出し、次の穴へ。この穴は幅が狭く、ソルスティスSSでギリギリ。 ちょうど満潮前後のタイミング、かつ細いシーカヤックでないと、通り抜ける事はできない。日本海のスケールの大きな海蝕洞とは比べるべくもないが、波穏やかな瀬戸内にも、意外と海蝕洞窟があるのだ。***鈴鹿島を越え、小情島を抜けて『情島』へ。今日はまだ潮が高いので浜が無く、フネを道まで揚げさせていただいた。ちょうど昼前。 良い時間だ。妻が準備してくれた弁当とお茶を持って、桟橋へと向う。***すると、沖から一隻の漁船が戻ってきた。 前回来た時に、話しを聞かせていただいた漁師さんだ!『こんにちは。 この前はありがとうございました!』『おお、遊びに来たんか』 『ええ、今日は弁天島の方に行ってから、鈴鹿島を通って漕いで来たんですよ』『ほう。 今日は凪やから、えかったのう』 『ほんと、今日は暑いくらいですよ』私は、いつも持ち歩いている黄色いペリケースの上に座り、弁当を開く。 ランチジャーなので、ご飯もホカホカだ。 最近の日帰りツーリングでは、このパターンがお気に入り。その漁師さんは、船を舫うと舳先に座る。 私は弁当を食べながら話しを聞かせていただく。『今日の漁はどうでしたか?』 『今日は少なかった。 小さな鯛数匹とオコゼ』 『もう今日は終わりですか?』 『夕方に、もう一回出ようとおもうとる』***この島でも、漁に出る人はあまり居ないらしい。 『一番若いもんでも、55歳くらいかのう。 もうみんな歳じゃから、漁にも出んのよ』『年々魚が減っとるのう。 特に今年は少ない』『鰆は知っとるか? サワラが採れよった頃は良かった。 他の魚は阿賀の市場に揚げるんじゃが、サワラは呉の市場まで持って行きよったのう』***『この網は、刺し網ですか?』 『そうそう』 『一回網を入れて、揚げるまで、どれくらいかかるんですか?』 『そうじゃなあ、だいたい40分くらいかのう』『この島の廻りには、魚が付くように、漁協の人が何箇所も大きな石や魚礁を沈めとるんよ。 じゃけえ、その石の廻りに網を広げて魚を獲るんじゃ』『その位置は「山立て」で決めるんですか?』 『最初沈める時には一緒に立ち会うて、山立てを書いとくんじゃ。 でも何回も行きよるけえ、そのうちに覚えてしまう』『さすが、プロですねえ』 『わしらは魚探なんか買われんけど、全部覚えとるからそれで仕事はできる』***20代半ばに家を継ぐために帰って来られてからの島の暮らし。 畑仕事の事。 一時期畑を荒らしていた猪の事。 船の底の手入れがスピードに及ぼす影響 などなど。商店の無い島での買い物のシステムも、初めて知った。また、底引き漁などで海底の送電線が切られて、年に2度も停電になったこともあるそうだ。 『それはたいへんでしたねえ。 すぐに直ったんですか?』 『なあに、直すのに一週間は掛かる。 つなぎ直すのに、電力会社はお金もかなり掛かるそうじゃ』『一週間ですか! それは困りますよねえ』 『あそこに緑のシートが見えるじゃろ。 あれは非常用発電機。 切れた時に困るけえ、電力会社の人が持ってきたんよ』***『船を出して、魚を獲って、畑で野菜も作って、静かな島で暮らしてええですねえ。 うらやましいですよ』 『いいやあ、しかたないけえここに居るんよ。 もう出て行って何かするほど若うないしの』『おいくつなんですか?』 『わしか。 は!は!は!は! わしはもう80近いよ。 78じゃ』『えー、若いですよねえ! 漁にも出て元気だし』***気が付くと、もう1時間以上話しを聞かせていただいていた。『今日は本当にありがとうございました。 仕事の邪魔じゃなかったですか?』 『いいやあ、夕方までゆっくりじゃけん。 また遊びにきんさいよ。 暖こうなったら、凪の日も多くなるけえ、今度は泊まりでゆっくりと』『ありがとうございます! 今度は泊まりで来ますんで、よろしくお願いします』***情島を後にし、出艇した浜に戻る。カヤックをカートップし、帰り道はちょっとばかり寄り道をして、とっておきのひみつのみせで新鮮な『めかぶ』を入手した。 今夜はこれで一杯やるか! これが美味いんだよなあ。宮浜温泉の『石亭』での贅沢な時間。 そして今日は『情島』での『あるく、みる、きく_旅するシーカヤック』 良い週末だった!
March 4, 2007
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朝起きると、まずは温泉へ。 露天風呂で体を伸ばし、空を見上げる。 気持ちいい朝だ。風呂をでると、昨日の夕方、風呂上がりに『きき酒』を楽しみ、夕食後は『お汁粉』をいただいたラウンジに行く。 宿の方から、朝は、このラウンジでコーヒーをいただけると聞いていた。エスプレッソメーカーが置いてあり、小さなカップにエスプレッソを注ぐ。昨日の夜にこの宿のご主人から聞いた通り、別に置いてある『三盆糖』を口に入れ、やさしい甘さを楽しんだ後、エスプレッソを飲む。きれいに手入れされた庭を眺めながら飲む朝のコーヒーは、これまた格別である。***部屋に戻ると、椅子に座って本を開く。『かむろ復刻版 第1巻』こんなに眺めが良く、静かで落ち着いた書斎があったら、どんなに良いだろう!*** 朝食の準備が始まった。 次から次へと運ばれてきて、テーブルの上にセットされる。ここでは、朝も部屋で食べる事ができるのがうれしい。それにしても、穴子に牡蠣に湯豆腐、お粥などなど、夕食でもおかしくない豪華な朝食。 海苔は、炭火で軽く炙っていただくそうだ。それでは、『いただきます』!***朝食後は再びラウンジに降り、音楽を聴きながらコーヒーを飲み、庭を散策する。部屋に戻り、しばらくすると、残念ながら10時。 チェックアウトの時間である。この宿では、時間の流れはゆっくりなのだが、それでもアッと言う間に時間が過ぎて行く。 昨日のチェックインからチェックアウトまで、結局テレビのスイッチを入れる事は無かった。本と音楽。 妻との会話。 温泉とおいしい料理。 美しい景色。 充分である。***チェックアウトを済ませると、既にロードスターが玄関に回されていた。ちょうど玄関におられたご主人と挨拶を交わす。『そういえば、山口県の祝島はご存知ですか?』 とご主人。『ええ、知っていますよ。 石壁が美しい島ですよね。 その祝島と、香川県の小豆島を一週間かけてシーカヤックで漕いで行く、瀬戸内カヤック横断隊というのがあるんですよ』『一度、何かで見た事があります。 昨日の夜、お話ししていて、そういうのに参加されている方じゃないかと思っていたんです』『本当にお世話になりました。 ありがとうございました。 またぜひ来たいと思います』『また、いらして下さい』***二人とも試験発表中で留守番していた息子達への土産は、『あなご飯』と『銀つば』そして、夜のつまみとして『穴子の白焼き』ちょうど昼前に家に着いたので、家族で『あなご飯』の昼食。 うーん、やっぱり美味い。『石亭』 地元にこんな良い宿があったんだなあ。お金を貯めて、またあの贅沢な時間を妻とともに過ごしに行こうと思っている。
March 3, 2007
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金曜日は午後休をとり、妻と二人、ロードスターで宮浜温泉の『石亭』へと向う。毎週のように週末になると海旅を重ねる私を静かに見守り、そして支えてくれている妻への感謝の気持ちを込め、そして諸般の事情により少し早いが結婚記念日を兼ねて、近場の旅館でゆっくりゆったり、週末の時間を過ごそうと思っている。***この『石亭』は人気の旅館であり、数ヶ月前にようやく予約を取る事ができた。 手書きの手紙とともに事前に送られてきたパンフレットで見た宿の様子に、期待は膨らむばかり。 二人とも、指折り数えてこの日を待っていた。***夕方、まだ明るいうちに宿に到着。 玄関で迎えられ、部屋に案内される。部屋が広い。 予約時に二人用の部屋は満室だったため、4人部屋なのだが、それにしても広いなあ!メインとなる部屋は、京間だが20畳を越える広さ。 それに、海が見渡せる続部屋が二つと、外の景色を眺めながら入る事のできる檜風呂のバスルームまでついている。そして部屋の窓からは、瀬戸内海と宮島が、そして遠くに甲島まで見渡せるのだ。 なんとも贅沢な空間。客室に置かれているものや、宿泊客へのメッセージが記されたものなどなど、様々なものに、気配り、心配りが感じられ、この眺めの良い静かな部屋に居るだけでうれしくなる、本当に好い宿である。***庭を散策すると、旅館も景色の一つとして溶け込んだ、これまた絶景。宮浜温泉。 さすがに地元なのでその名前は知っているものの、今まで来た事が無かった。うーん、こんな近くに、これほど良い所があったなんて!まさしく、これぞ『瀬戸内の癒しの空間』である。***散策後、部屋の風呂は狭いので、宿の温泉へ。風呂から上がると、景色を眺めながら休憩できる部屋で、準備してある『きき酒』を試す。氷を敷いた盆の上に、十種類ほどのオススメのお酒が冷やしてある。 これを自由に試してみて、夕食の時のお酒を注文するようになっているのだ。 これは、良いシステムだなあ。妻とともに、『これはこう、あれはどう』と、様々なお酒の味の違いを楽しんだ。***夕食。『ひなまつり』の月だからであろうか、『白酒』の食前酒から始まった。前菜から始まり、デザートまで。 小イワシの刺身、オコゼのお造り、穴子、牡蠣、ロース肉の味噌焼きなどなど、海の幸、山の幸、様々な料理が献立に並んでいる。 こんなに沢山たべられるかなあ?妻と差しつ差されつ、食事を楽しむ。 テレビも付けず、かすかに聞こえる音量で、モーツアルトやマイルスデイビスを流し、久し振りの差し向かいの一時。 料理もおいしく、旅館オススメのお酒もこれまた旨い。一つの料理を食べ終わると、絶妙のタイミングで、次の料理が運ばれてくる。 食べている最中でもなく、食べ終えて間が空く事も無く。 これにはただただ二人ともびっくり。 これぞプロの仕事である。***デザートを食べ終えたのは、なんと2時間後。 久し振りにゆっくりと贅沢な時間を過ごすことができた。 妻も満足し、喜んでくれた。 そして、その事がなによりもうれしい。***再び温泉に入り、夕方『きき酒』をしたラウンジに行くと、宿のご主人が『一杯どうですか?』と、湯上がりのお客さん達に奨めている。私も妻も、『それではいただきます』運ばれてきたのは『汁粉』 妻はうれしそうだ。 なんとも心憎いサービスではないか!宿のご主人と、少しだけ話しをさせていただいた。この宿ができてから今に至るまでの歴史、宮本常一に関すること、地元にショップもあるシーカヤックの事。 このご主人は、そのショップの店長もご存知だった。***瀬戸内らしい景色が堪能できる『生野島』や、お気に入りの『岡村島』、しまなみの楽園『生名島』でのテント生活は最高に楽しい。リーズナブルな料金で海の幸がたっぷり堪能できる『伯方島の民宿さんわ』も、湯治場の風情が残る貴重な温泉場、別府『鉄輪温泉の貸間旅館』も、もちろん好きだ。でも、ここ『石亭』には、また別の世界がある。ご主人や、そこで働いている人達を含む宿全体から伝わってくる、心配り、気配り。 そして部屋の窓からの美しい眺めとおいしい料理。 しずかに、ゆったりと流れる時間。布団に横になり、『かむろ復刻版 第1巻』を読みながら、石亭の夜は静かに更けていった。
March 2, 2007
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