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マレク・ヤノフスキ率いるケルン放送交響楽団のコンサートに行った。会場は上野の東京文化会館。ヤノフスキのステージは去年暮れのN響とのベートーベン第9を聴いて以来だ。今回のオケはケルン放送交響楽団。どんな音を聴かせてくれるのだろう?まずは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。ピアニストは弱冠25歳のチョ・ソンジン。彼の若々しく溌剌としたピアノもいいが、ケルン放送交響楽団の弦の音が美しい。ヴァイオリン、ビオラ、チェロなどの音が溶け合って豊かな1つの音になって響いてくる。数年前に聴いたバーミンガム市交響楽団の弦楽器の音色を思い出した。ベートーヴェンのこのピアノ協奏曲4番は、交響曲第5番「運命」と、第6番「田園」と一緒に初演されている。どれも後世に残る名曲だ。第5番「運命」は古典音楽の最高峰、第6番「田園」はロマン派音楽の先駆けと位置付けられた名曲。これらを1つの演奏会でお披露目をしたのだから驚きだ。ベートーヴェンってすごい作曲家だよね。休憩の後のメインディッシュは、シューベルトの交響曲第8番「ザ・グレイト」。・・・と会場で配られたパンフレットにはある。あれ、「ザ・グレイト」は第9番じゃなかったっけ?第8番は確か「未完成」のはず。ミスプリント?ま、それは置いといて演奏の感想を少々。我が青春に慣れ親しんだジョージ・セルとクリーブランド管、最近コンサートで聴いたアンドレア・バッティストーニと東京フィルハーモニーの2つの演奏と共通する躍動感溢れるハイ・テンポの演奏だった。マレク・ヤノフスキは、必要最低限のアクションでオケをぐいぐい引っ張っていく。オーバーアクションの情熱的なダンスで指揮するバッティストーニとは好対照だが、目指す演奏は共通しているように思った。ただ違うのは管楽器の音。クリーブランド管、東フィルは管楽器が咆哮していたが、ケルン放送交響楽団の管楽器は奥ゆかしく押さえた音で、上品な印象。指揮者ヤノフスキの個性を感じた。こういった違いが、クラシック音楽を聴く醍醐味だよね。第2ヴァイオリンの首席の位置に座った黒髪の女性奏者のアクションが目に止まる。曲に合わせて上半身を上下左右に揺さぶるオーバーアクション。テオドール・クルレンツィス率いるムジカ・エテルナを思い出す。このオケの楽員は、チェロ奏者以外は椅子に座らず全員立ちで曲に合わせて体を揺さぶりながら演奏するのだ。この女性奏者も立って演奏した方が似合っているように感じた。たぶんこうした動作を伴った方がいい演奏ができるのだろう。第4楽章に、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」の有名な「喜びの歌」のメロディーが出てくる。ウイーンでの初演を聴いて感激したシューベルトがベートーヴェンへのリスペクトを込めたんだろう。そして大盛り上がりのエンディング。私の時計で53分の演奏だった。ヴラヴォーと拍手に応えてのアンコール曲は、ベートーヴェンの交響曲第8番の第2楽章。ユーモラスで可愛らしい曲だ。こんなクールダウンもありだよなと思いながら家路を急いだ。最後に一句。 「 寒き朝 黄金絨毯 踏み走る 」
2019.11.26
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今年もベートーヴェン「第9交響曲」のシーズン到来。私はこのところ毎年暮れのNHK交響楽団の第9を聴いているのだが、私にとって第9は、やや苦手な曲。ベートーヴェンの交響曲だったら3番「英雄」や5番「運命」、7番の方が好きだ。何故だろう?演奏時間が長すぎる・・・、第4楽章の合唱形式が好きになれない・・・、「喜びの歌」のメロディーがあまりに単純・・・、シラーの「歓喜に寄す」の詩が理解できない・・・そんなこんなが積もり積もって苦手になったのだと思う。こうしたある意味ではぶっ飛んだ作品がいかにして生まれ、愛され、そしてその後今日にいたるまで、政治的プロパガンダなどにいかに利用されてきたかを著した本を読んだ。それが上掲写真の「第九 世界的賛歌となった交響曲の物語」だ。著者はディーター・ヒルデブラントというドイツ人著述だ。400ページを超える大著だが、「第9」の知られざるトリビア満載で一気に読んだ。今回はこの本の受け売りを少々。新しいことには批判がつきものだ。1824年のウィーンでの初演も然り。「全く新しい芸術作品」「まさに福音」といった絶賛の一方で、「荒々しい馬鹿騒ぎ」「野卑なワインの酩酊に似た印象」といった批判もあったという。このような賛否両論は、ベートーヴェンが亡くなった後もしばらく続く。そこに現れたのがワーグナー。彼は、聴覚を失った病人の妄言とまで批判されたこの作品を、新たな時代への幕開けを告げる曲と位置づけたのだ。そして1846年の慈善演奏会で第9を演奏取り上げた。300人を越える歌い手をかき集め、極度の恍惚状態で大声で歌い上げることを執拗に指導して・・・。こうした半ば自らの芸術上の目論見から発したワーグナーによる再評価によって「第9交響曲」は、その後さまざまな局面で利用される運命を辿ることになる。1905年、社会主義革命を目指す主催者によって、ドイツのビール工場でベルリンの労働者3000人を集め、団結を促すために演奏された。1942年4月19日、ヒトラーの誕生日の前日、ナチスの枢密顧問官に任命されたフルトヴェングラーがベルリン・フィルと演奏した。欧州議会は、委員会で歌詞抜きの「喜びの歌」を「ヨーロッパ賛歌」と定め、1972年、カラヤンが自ら編曲した吹奏楽曲としてレコード録音した。1989年、ベルリンの壁崩壊を記念して、バーンスタインが、歌詞の「歓喜」を「自由」に変えて演奏した。このように、この曲は、時代状況に応じて都合よく読み替えられ、時の政権や政治的プロパガンダに利用されながら200年あまりにわたって演奏されてきたのだ。また、この本には、ロンドンでの初演ではイタリア語の朗読がなされたこと、アメリカ初演の際は、ドイツ語を英語に訳して歌われたことなど、本筋とは違うトリビアも盛り込まれていて楽しく読める。ま、それにしても日本ほど「第9」を演奏する国はない。「チコちゃんに𠮟られる」でもやってたけど、師走の「第9」は、戦争直後、NHK交響楽団の団員の年越し資金を稼ぐために始まったのだそうだ。出演者が多いのでそれだけ客が集められるというのだ。「第9」の歴史の中では、ややさもしい主義主張のない利用のされ方のように見える。しかし、その方がいいのかもしれない。でも、「喜びの歌」の練習に余念のない全国のアマチュア合唱団の方々も、この本を読んで「第9」の基礎知識を学んでほしいとも思う。最後に一句。 「 行く年や CDショップの 第9かな 」
2019.11.24
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横浜マラソンを走った。11月10日。夜明け前に家を出て電車を乗り継いでパシフィコ横浜へ。6時半に到着。レインボーブリッジが朝焼けを背負い、シルエットを浮かび上がらせていた。手荷物を預けてトイレで用を足し、スタート地点のみなとみらい大橋へ。まだスタートまで1時間以上ある。寒さよけに家から持ってきた巨大ビニール袋を頭から被る。これまで北九州や松本、東京・板橋の大会で走ってきたが、このスタート前がしんどい!寒いのだ。今回は11月なのでまだ気温はさほど低くないが、真冬の大会は寒さが身に沁みる。この時間を乗り切って走り始めると、その時点で大きな関門を1つ突破した気分になる。スタート時刻直前に、ビニール袋を脱ぎ、ウサギの耳のついた被り物をかぶり、バンダナでしっかり固定する。マラソンを走る時の私の定番スタイルだ。それにウサギのイラストのTシャツ。仮装まではいかないが、このかっこうで走ると、沿道に人がけっこう声援してくれるのだ。私にとってフルマラソン大会は、お祭りなのだ。そしてスタート!28000人が巨大な列をなして初冬の横浜を走る。天気は快晴。横浜中央卸売市場、横浜市庁舎、横浜スタジアム、中華街、本牧。沿道の声援をもらいハマの景色を楽しみながら気持ちよく走る。ハマと言えば柳ジョージ。「本牧奇譚」や「フェンスの向こうのアメリカ」などを頭の中でリフレイン。気分が高揚する。そんな調子で25キロ地点までは快調だった。しかし、首都高湾岸線に入る上り坂にさしかかったところで左ひざの外側に痛みが。我慢できず坂の途中で歩く。そしてここから首都高を10キロ走る。マラソン前から首都高を走るのが楽しみだったが、いざ走り始めると、道路両側には高い壁があり景色もほとんど見えない。しかも膝の痛みは消えない。だめだ!走れない。仕方なく速足で歩く。首都高を降りると沿道の声援が復活。「ウサギの、がんばれ!」と声をかけられるとしばらく走るが、痛みに負けてまた歩く。そんな事を繰り返しながら、山下公園、赤レンガ倉庫を過ぎてパシフィコ横浜でゴールイン。目標にしていた5時間切りはかなわず5時間15分。前回の板橋シティマラソンの記録より12~3分下回ってしまった。でも、快晴のハマの景色をしっかり楽しめたので満足だった。完走メダルと大会オリジナルのスポーツタオルを受け取り、私の長いお祭りの日は終わった。残る楽しみは、もちろん酒。自宅最寄り駅前のコンビニで缶酎ハイを買って一人祝杯。うめ~!もしかすると、この瞬間を味わうために42キロも走っているのかも知れない。最後に一句。 「 ひた走る 28000人の冬 」
2019.11.16
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ピアニストであり指揮者のサー・アンドラーシュ・シフのコンサートに行った。ハンガリー生まれの66歳。2014年に英国エリザベス女王からナイト爵位を授与されたので、サーなのである。偉いのである。彼が率いるオーケストラはカペラ・アンドレア・バルカ。総勢40人あまり。シフが直々に依頼したそうそうたる演奏家の集団。ソリストや世界的な演奏家ばかりだ。シフの妻であるバイオリニスト塩川悠子さんもメンバーの一人。古楽系室内楽の演奏家が中心のようだ。サー・アンドラーシュ・シフを生で聴くのは初めてだった。上野の東京文化会館大ホールはほぼ満席。クラシック愛好家、特にバロック音楽、古典派音楽の好きな人が集まっているのだろう。演目は、まずノンストップで、バッハの「音楽の捧げ物」の6声のリチェルカーレとモーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」。事前の場内アナウンスは、バッハの後そのまま「ジュピター」を開始するので拍手は控えてほしいと告げた。ちょっと珍しい。どういう意図があって続けて演奏するのか、その意図をシフさんに聞いてみたかった。小規模オケなので、3階席の私の耳に届くのは割とおとなしい音量。でも大規模オケと違って楽器1つ1つの音色が粒だって生々しく聴こえ面白かった。そして休憩を挟んでのメインディッシュは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」。サー・アンドラーシュ・シフが指揮とピアノの両方を担当。いわゆる「弾き振り」だ。そういえば、一度ダニエル・バレンボイムの弾き振りを聴いたことがある。9日に渡るブルックナーの交響曲全曲演奏会で、割と短い演奏時間の交響曲の演奏日に、前座的にモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏したのだ。その時のバレンボイムの弾き振りは、ピアノを弾きながら楽員を見て指揮もできるようにグランド・ピアノを通常の向きから時計反対回りに90度回転させて行なっていた。なのでバレンボイムは終始座ったままでよかった。しかしこの日のピアノは、指揮者とピアニストがいる協奏曲の通常の向きに置かれていた。さあ、シフさんはどのような弾き振りを見せてくれるのだろうか?ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」の第1楽章の冒頭は、オケとピアノがほぼ同時に演奏を始めるので、シフはピアノの前に座り、両手を上げて演奏開始を伝えると同時にピアノを弾き始めた。この調子でこのまま弾き振りをするのかと思っていたら、オケとピアノによる序奏が終わり、オケ演奏による旋律の提示部分に入ると同時に、シフさん、突然椅子から立ち上がってピアノから離れ、楽員に向き直ってオーバーアクションで指揮を始めた。へえ、こりゃ面白い。こんな弾き振りは初めて見た!ピアノ演奏が指揮者的になり、やや正しいリズムを強調しすぎている感が否めない部分もあったが、音だけでなく視覚的にも楽しめるコンサートだった。アンコールも弾き振り。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番の第2楽章だった。来年は、ベートーヴェンの生誕250年のメモリアル・イヤー。シフさんによるベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲弾き振りコンサートがあったら、行って聴いてみたいな。見てみたいな。最後に一句。 「 立冬や 横浜マラソン 迫りたり 」
2019.11.08
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台湾に行った。30年前に仕事で行って以来で、初の観光旅行だ。羽田空港から3時間あまりで台湾の松山機場に到着。入管が顔と両手の人差し指認証なのに驚きつつ、即地下鉄を乗り継いで地下鉄駅に直結したホテルへ。30分あまりで到着。近い!ここは台北一の繁華街で日本でいえば銀座のようなところ。大通りの風景はまるで東京。道行く人々も小奇麗な格好をしていて日本人と変わらない。30年目とは町のたたずまいも人々の雰囲気も全く違っていた。知り合いたちと現地で落ち合い、気ままな観光旅行をした。市内の中正紀念堂や龍山寺、國父記念館、台湾大学などを見学したり、台北近郊のレトロな街に足を延ばして映画のロケ地にもなっている金鉱跡や焼き物の里をうろついたりした。そして、台湾料理、飲茶、餃子などの店を巡って大いに食べ、飲んだ。そんな3~4日の台北滞在で感じたのは、食べ物が安くて美味しいこと。鉄道、地下鉄、バス、タクシーなどの公共交通がとても安くて便利だということ。そして、安全で日本人にやさしいということ。それなりに異国情緒もあるし時差はわずか1時間。にわかに台湾ファンになってしまった。唯一ちょっと戸惑ったのは、町中の通りをすっ飛ばすバイク軍団。これがおっかないのだ。青信号で横断歩道を渡っている我々に向かってあまりスピードをゆるめずに平気で左折してくる。仕方なく我々歩行者が足を止め、バイクに進路を譲らねばならないのだ。こんなバイク軍団が、ウイークデーも週末も昼も夜も町中を突っ走っている。(夜はいなかったかな)彼らは一体どこからどこに向かって走っているのだろうか?もちろん通勤・通学・業務のためにせっせと突っ走っているのだろうが・・・中には単に無目的にぐるぐる走り回っているバイクもあるんじゃないだろうかと疑いたくなるほどのボリューム感と頻度だった。さて、音楽はどうなっているのか?台湾の若者はどんな音楽に熱狂しているのだろうか?ホテル近くに「ブラウンシュガー」というライブハウスがあるのを「地球の歩き方 台北」で調べていたので、知り合いとの夕食の後、単独行動でそのライブハウスに向かった。もちろんローリングストーンズのTシャツを着て。地図を見ながら探す。しかしその店がある一角には巨大な高層オフィスビルが林立していて、「ブラウンシュガー」は見つからなかった。台北市が今も急速に都市化していることを実感させられた。ブックオフで300円で買った3年前の中古のガイドブック情報には、300円分の価値しかなかったのだ。今思い起こすと、台湾で聴いた曲で印象に残っているのは、五木ひろしの「千曲川」だ。台北郊外の観光地で、観光用に横笛を吹いているおじいさんがこの曲を奏でていた。そして、台北中心地のショッピングモール内でもこの曲が流れていた。どうも台湾では「千曲川」が広く親しまれているようだ。もう1つは、80~90年代のポップス。飲食街で夕食を終え、近くの公園のベンチでコンビニで買った缶ビールを飲んでいたら、30人ほどの高齢女性が公園にやってきて、ラジカセで再生する80~90年代ポップスに合わせて踊り始めた。ビージーズの「サタデーナイトフィーバー」などのディスコ調のポップスが大半だ。驚いたことに1曲1曲すべて「振り」が違うのだ。しかも、どれも一糸乱れぬ踊り。1つの芸の域に達していると思った。CDショップに行かなかったので、今どんなアーティストが売れているのかを知ることはできなかったが、たぶん日本の歌手やグループが多いんだろうな。そういう意味で、台湾は今も日本の文化の影響を受けているのだ。今度台湾に行く時は、最新のガイドブックを持って行こう。そしてライブハウスにも行こうと思う。最後に一句。 「 棕櫚並木を暴走! 台北バイク団 」
2019.11.03
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