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満月だったのに… ブルームーンだったのに…お月さまを観るのを忘れてしまいました…orz 満月のフリフリはベランダからやったけど、 ちょうど角度が悪くて、周りと自分ちの屋根に阻まれて見えず、 「あとでちゃんと見ようね!」 ってぽんぽんといってたのに、 ばたばたしてそのまま寝てしまったのでした。 そういえば昔はよくぽんぽんをおんぶして、 お月さまをみるために、近所を散歩したなあ。 おつきさまさんぽがぽんぽんは大好きでした。 いまでも、月には親近感があるようです。 都内でも屈指の住宅街、 狭い空でも、それでも月はある。 わたしが観ればね!(ここ重要)
2010年03月31日
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行って参りました、茨城。 なめくじとだんご虫とわらじむしに気を使いつつ、 雑草のかれたのを片付け、畑を開墾し、 越冬したバッタにぽんぽんの相手してもらい、 吹きすさぶ風にさらされて、 ちょっと風邪気味の帰京です。 老後の楽しみにと父が買った家ですが、 時間が経つにつれて本格的な庭になってきて、 もちだのつげだの、 プードル状に剪定しないと格好のつかない庭木や、 雑草を刈らないと育たない花がたくさんあります。 庭というのは自然の少ない場所に、 自然のエッセンスとして取り入れることに意味があるのに、 あんなだだっぴろい自然だらけのところに、 人工的な庭作ったってしょうがないだろう、 と毎回庭のお手入れに忙殺されつつ思うのですが わりと嫌いじゃないなといつも思います。 料理も庭仕事も、 すごく好きじゃないけど割りと嫌いじゃない。 手芸は嫌いじゃないけど、うまくない。 本を読むのも嫌いじゃないけど、好きでもない。 ピアノはすごく好きだけどうまくない。 なんか中途半端だなと思いながら、 それでもいいのさと、鍬を振りおろしながら思いました。 庭なんてね、本当はいらないのよね。 自然の中に、雨露と風をしのぐ小屋と、 (広くなくてもいいけど暖房は切に望む) 自分が食べる分だけの野菜を育てるスペースを ちょっと分けてもらえたらそれでいいのに。 それでは我慢できないのは、 人間がいつも不安だからなんでしょうね。
2010年03月29日
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ついにDSをゲットしてポケモンのゲームにずぼっとはまったぽんぽん。お友達と通信して、お気に入りのポケモンを交換して楽しそうに遊んでいます。が、ある日泣きながら帰ってきて曰く、「Tくんにルギア(注・ポケモンの種類)貸してあげたのに、かえしてくれないの」「…」どうしたもんかな…[m:79]借りたモノは返しましょう、というのが当然の社会ルールだとはおもうが、その「モノ」がバーチャルなポケモンじゃなあ。母が出る幕でもないし…「Tくんが返してくれるように、神様にお願いしようね。で、あしたもういちど、『返して』ってやさしくいってごらん」といってとりあえず様子を見たのですが、翌日、やはり返してもらえなかったそうで、「ちゃんとやさしくいったのに。神様にお願いしたのに」とおかんむり…神様、神様、どうしましょう?そんな話をなんとなく友人にしたら、夕方その友人の息子さんからメールが届きました。「ぼくはもうポケモンやらないから、ぼくのポケモンをあげるよ。ルギアもあげるし、ほかにも強いのをいっぱいもってるからあげるよ。こんどDSもって遊びに来てね」ぽんぽんの喜びようといったらありませんでした。しばらく部屋の中で踊り続けておりました。ほらね、神様はちゃんといたよ(^^)
2010年03月23日
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辛夷…こぶし変換してみて始めて知りました。こぶしも好きですが、白木蓮もすきです。白木蓮は花が開ききらないのだそうで、そこがいいですね。花がまだ少ない時期だからか、背の高い木だからか、どちらもすごく目立つので、辛夷が開ききってべろーんとなってるのをみるとなんだかだらしない気がして…。桜に洗脳されているのか、花の散り際ってけっこうポイントです。白木蓮の花びらをひろってよく眺めると、パールのアイシャドウをまぶしたみたいな、キラキラ感があって大好きです。アイボリーっぽい白の色合いも、とっても好み。百合の白とは一味違います。今日は風が強いのに外に出る用事が多くて、辛夷も白木蓮もあちこちで、きゃーっ!!と声を上げそうに風にあおられていました。自転車をこいで辛夷の木の下を通ったら、おでこにごつんとなにか当たりました。どうやら花が丸ごと風に飛ばされて直撃したようです。こぶし→拳[m:69]なんだか殴られた気分でした[m:52]この時期、ミモザも好きな花です。雪柳も今が盛り。梅は今年はどこにも見にいけなかったな。桜の咲く前の前座の花々ですが、こんな住宅地でもあちこちに咲いていて、心なごませてくれますな。
2010年03月20日
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時間に関する問題はなかなか根深くて、 今朝ウォーキングしながら(最近はまってます) 「この問題を聖霊に委ねます…」 ってやってたら、なんだか昔なつかしい学校の時計のイメージが浮かんで、でもそれがけっこう汚れていて… そしたら例のチビ天使やってきて、 きゅぱきゅぱ磨いてくれました。 その時計が私の「時間」だと思ったら、 それはだんだん金色に輝いて、 文字盤もローマ数字にかわり、素敵な彫刻が施されて、 なんだか高級感が増してきました。 おお、いい感じだ、と思ったら、 こんどはそれがどーんと大きくなって、天に届かんばかに聳え立つの黄金の時計塔に… ああ、どこかで観たことのあるイメージだわ… そうだ、これはポケモンの映画、ディアルガVSパルキアVSダークライの時空の塔… ちょっとちょっと、どうしてそう、最後に茶化すのかなあ ま、いいや。 とにかく自分の時間をもっと大切に扱います。
2010年03月17日
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今日は神の使者の勉強会の勉強会、略して神勉勉がありました。 これはねえ…毎回楽しくて、わたしもとても楽しみにしています。今日も参加して下さった4名+私で、いろいろな話題を取り上げて、これを神使者的に考えたらどう見方が変わるだろう、とわいわいとお話をしておりました。たぶんみんな、お互いのたたずまいや言葉から、なにかしらのお土産を持って帰ってくださったと思います。今月は16日にももう一度神勉勉、予定しております。 新規参加者絶賛受付中 さて、私のほうはどうやら強制お掃除週間のようであります。 セージを炊いて掃除をしたくなって、 「げっ!うちってこんなに汚かったのか!」 と気づかされ、体調を崩して体のお掃除をしていただき、昨日はフレッツ光が我が家にやってきて(家の前の道路に配線がくるのそうで「ついでにどうですか?工事費無料ですよ」と勧誘されてのった)、屋内配線工事のため、動かしたことのない本棚とピアノを動かし、その裏側を掃除しました。 いやあ、汚かったのなんのって… 「うっ。これはわたしの隠されたエゴか…」 一瞬目を見張りましたが、その後はありがたく掃除をさせていただきました。 そしてプロバイダが変わり、メアドが変わり、HPアドレスも変わり、それらになにげなく残されていた、「an-non」という古本屋だった頃の名残も一掃されました。あ、メアドの変更のお知らせが届いてない方、メッセください!一応、メッセ以外でメールをいただいた方にはお知らせメールを送ったつもりですが…。 なんとなく、春一番がバビューンと吹き抜けていった感じのTao Houseです あ、先日作った名刺は全部パアだ…orz
2010年03月11日
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ソーセージがたくさん余ったので、夕食をポトフにしようと思って、今さっき仕込みをしていました。たまねぎの皮を四つむきました。たまねぎの皮…これはよく魂を覆うエゴにたとえられます。むいてもむいても、まだむける…ま、実際料理に使うときにはそんなにむくわけじゃないですが…(そりゃそうだ。なくなっちまう)このエゴの皮をむいていくことが私の魂の進化なんだ。こうすることで私は魂の核にたどりつくんだ。そう考えているうちは私たちはきっと、嬉々としながら皮をむきつつ、まだ見えないところに皮を生み出していくんだろうなと、思いました。そしてどーんと無に返る。地震、津波、戦争、あるいはスーパーノバ…この皮自体が夢なんだと、きちんと認識していかないとね。「深いぞ、たまねぎ」そして感心されたのもつかの間、たまねぎは圧力釜へ。There is no world.
2010年03月10日
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今日は誕生日でした。 お祝いメッセージ下さった方、ありがとう~! 夕飯に母がお赤飯を炊いてくれて、退院した父が「おめでとう」と言ってくれて一緒にお赤飯を食べて(退院後の食生活はびっくりするくらい順調です。昨日は父のリクエストで餃子作りました)、ほんとうにうれしかった。 神様ありがとう で、神様からのもう一つのプレゼントは身体の調整でした。 朝どうにも起きられず、ぽんぽんが登校する時間にやっと起きたと思ったら足元がふらふらして、これは変だぞと血圧を測ってみたら、150-100… もともと血圧は高いのですが、さすがに下が100っていうのはめったにない。それとこのふわふわ感は初めてですごく怖いよう…。血管切れたらどうしよう、と思ったんだけど、上150じゃ切れないやね。 おしゃべり会を急遽中止にしてもらって一日寝てました。まだ引きずってはいるんだけど、まあ、大丈夫でしょう。ここのところ、例の「スペース」の件やヒーリングのあり方、そのほかもろもろ、ちょっと心境の変化があったので、それに引きずられたかな~と思っています。 昨年の誕生日の日記を読んで、奇蹟のコースのワークを昨年の誕生日からやり始めたのを思い出しました。一日一課のワークを一年前に始めて、一年365日あるのになぜまだ80課なんでしょうね(^^; ことしはもうすこし本腰入れてがんばりますっ!
2010年03月09日
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「時間がない~っ!」 という問題と格闘しはじめてもうだいぶ長い気がします。 自分の周りの人はみんなあんなこともこんなことも出来てるのに、どうしてわたしはこれだけしかできないんだろう、と比較しはじめるとドツボにはまります。 あたまが悪いのよ、 要領が悪いのよ、 段取りが悪いんだわ、 ああもう、性格も悪けりゃ、運も悪いのよ… そして我が家の非力な小学生が八つ当たりされます。 「ちゃんと片付けなさいっ!」 「さっさと宿題やりなさいっ!」 小学生はおばあちゃんに告げ口します。 「かあちゃんに八つ当たりされたっ!」 「イライラしたってしょうがないでしょっ!」 と母に叱られる、もうすぐ42歳… 最近タロットの師匠がソウルナンバー9の時間と空間の使い方のクセについて、面白いヒントをくれました。 なんか空いてる時間や空間がいたたまれないんだそうです。 で、無意識に忙しくしたがる。 「そんなつもりはないけどなあ…」 と最初は思ったのですが、よくよく考えてみると、たしかに忙しがることでなんか生きてる実感みたいなのを得ているような気が… そしてこれがとってもビンゴだったみたいなのです。 相変わらずやってることはとても遅いのですが、そのからくりを意識してすごすことで、だんだんいらいらしなくなりました。たぶんこのまま行けばわたしの時計の針はだんだん進みが遅くなって、いろいろなことができるようになるのでは?と期待大。今回手ごたえをはっきり感じている理由は、なによりぽんぽんが最近とても機嫌がいいのです。母にとって子は魂をうつす鏡。その鏡が上機嫌なので、これはたぶん「当たり」だろうと思うわけです。自分の内側の状態によって時間の長さが変わってくるなんて、まさにマジックだわ…。 そして昨日今日と、なんとなくセージを炊いてみたくなりました。 チャコールを使ってセージの葉をくべて本格的にやってたら、なんだかお掃除がしたくなって、今朝はけっこうこまかくあちこちお掃除してしまいました。 「おお、これはセージ・マジックにちがいない!」 と悦に入っておりましたが、気合が入りすぎて気づけばお昼を過ぎておりました。ああ、午前中やりたいことがあったのに。タイム・マジックはどこへ行ったのでしょうか。 そういや、タイムもハーブの一種ですね。 今度はタイムをくべてみようかしら (ただのヤケ)
2010年03月08日
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「にってんすいしゅ」と読みます。 「てん」は町というムズカシイ字です。もちろん私も書けませんがここでも文字化けしてしまいます(笑) 十牛図の最後の図で、手をぶらりと下げて町に入る、という意味だそうです。どうも最近、これが頭から離れません。また変なタイミングで耳に入ってきたりもします。これがヒーラーの最終形態なんだろうなあと思っています。 ヒーラーを目指すことになんとなくなり、まだなったとも言えないかけだしで、早くも最終形態の心配をしてるなんて、我ながら気が早いという気がしますが、ゴールを見据えて進むというのも大事なことでしょう。 ヒーラーすなわち癒す人なんていうのは本当は誰もいない、というのはよくいわれることです。癒すのは神様ですから。唯一ヒーラーといいうるのは、この「入てん垂手」があらわす人のように、諸手をダラーンと下げて町へ入り、ただその人がそこにいるだけで周りの人がなぜか改心しちゃったり幸せになっちゃったりする人、つまりその人を介して神様の愛があふれ出てくる人だけでしょう。それも特殊な環境下ではなく、ごくふつうの人たちが暮らす町中で、時を選ばず四六時中、無条件の愛を溢れさせている人です。なんかイメージ的にはタロットの17番「星」ですね。 タロットの師匠は「僕はヒーラーじゃない、解体屋だよ」といいます。 こんがらがった思考を解体するのが仕事だそうです。 整体の師匠は「本当の覚者はヒーリングなんかしない」といいます。 その人が直面すべきエゴがないからだそうです。 小説家で僧侶の玄侑宗久さんは、『ベラボーな生活』の中で(これは面白いです。とてもお勧め!)禅寺で修行中の雲水を「箱入り息子」と書かれています。 スピリチュアルを学ぶ、伝える、この両方が日常に密着していなければ意味がない、特殊な環境下であってはただの理論や学問、あるいは理想にすぎない、もっと言ってしまえば、日常からの逃避に過ぎないと、いつも思っているのですが、そうしたらヒーラーなんていう特殊な職種も意味を成さないことになります。 もともとヒーラーになりたかったわけではなし、別にそれはかまわないのです。なんとなく他に思いあたる言葉がなくて「ヒーラー」という言葉を使っていましたが、自分の目標を正確に定めるためにも、もう少し言葉を選んでみようかなと思うようになりました。 じゃあ、何なんだろう…。 と悩み始めて、 「私は○○だ」 という形がないと落ち着かないという自分に気づいちゃったりしました。 「私」 なんてないのに。 あー、けっこう追い詰められてきてるなあ。逃げ場がないぞ(笑)
2010年03月06日
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おばあちゃんのところで夕食を食べた後、ぽんぽんがテレビのチャンネルをいじっていた。おばあちゃんのところではテレビをつけても文句を言われないとちゃんと心得ている。 そしたら、お笑い芸人が大縄跳びをやりながらクイズに答える、という番組があって、四人目か五人目かにそれが苦手な芸人が大縄に入り、計算どおり(?)ひっかかった。 「なんで引っかかってんだよ!」 と突っ込みの芸人がいきなりビンタ。 どっと笑いが起きる。 最近小学校で大縄大会があって、わりと苦手なぽんぽんは苦戦していた。 「ぽんぽんがちゃんと飛ばないから3位だったんだ。私は1位がよかったのに」 と、上手なAちゃんにいわれて、かなり傷ついた様子。 それはそれで、ぽんぽんにとってもいい経験だったと思う。 言われた悔しさ、言った側の気持ち、それらをどう自分に収めていくか。言われても仕方がない、というがまんを体験するだろうし、そういうことは私は言わない、というやさしさにも繋がるだろう。 Aちゃんの言い方も、言われた相手の気持ちを汲めないという点では未熟だけれど、本心だっただろう。 しかし、いい大人が上手に飛べなかった仲間をひっぱたき、それをみんなで笑う、という番組を見て育ったら、それでいいんだと子供たちは思うだろう。 そういう負のエネルギーにはなるべく引きずられないように、そういうものに怒りをもって反応してそれを現実にしないように、と思っているけれど、あまりにばかばかしくて、なんか思わず、 「なにがおもしろいのかさっぱりわからん」 とつぶやいたら、 「…わたしも。お笑いきらい」 とぽんぽんがつぶやいて、チャンネルを変えた。 「おまえ、そんなこと言ってると、お友達と話あわないぞ」 私の心配の矛先はヘンなほうへむいた。 「べつに平気だよ」 …おまえ、強いねえ。 ま、それでいいんだろう。
2010年03月04日
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今日はyuccaさん主催の足立区でシュタイナーの初ミーティングに参加してきました。 参加者15名…いや、びっくりしました。 こんなにシュタイナーに関心のあるママがいるなんて。 「ちいさなたね」に参加していた頃とはずいぶんかわったねえと、ちルルさんと感慨に浸っておりました。 ぽんぽんがアトピッ子だったこともあって、自然育児的な感覚で惹かれてはじめたシュタイナー教育が、人智学というスピリチュアルな学問的背景を持っていることを私が知ったのは、「ちいさなたね」に参加してから少し先のことです。わたしはバリバリの唯物主義者でしたから、天使や魂やエーテル体や四つの気質、人生の7年周期など、非科学的なことがいちいち受け入れられませんでした。なんども「たね」をやめようと思いながらも、その集まりの静謐な時間を親子で穏やかに過ごす感覚に惹かれ、ぽんぽんをのせてチャリを飛ばして通い続けたことを思い出します。 シュタイナー教育的な教育法はとても芸術的で美しく、感動の連続でもありました。しかしそういった教育の理論でも理屈でもなく、「わたしがどうあるか」によって「娘のあり方」が創られていく、ということを受け入れたとき、わたしはシュタイナーを通して自分自身に向き合うことになりました。それは大人になるにつれ、見ないようにして上手に折り合いをつけてきた自分との対峙でもあり、なかなかつらい道のりでもありました。 でも、そういった変化の時代を、娘の成長とともに、そしてシュタイナーを通じて知り合ったたくさんの友人たちとともにすごすことができたことは、なによりもありがたいことした。また、その友人たちを通じて、尊敬すべき先輩であるタロットの師匠や、整体の師匠に出会えたこともまさにミラクルだったと、今振り返るとしみじみと思います。 今日、まだ夢の中にいる小さな人たちといっしょに暮らすたくさんのお母さんたちと出会い、数年前の幸せな時間をうっとりと思い出していました(実際はたいへんですけどね^^;)。もうすぐ三年生になる娘は、徐々に私の手を離れて自分の世界を作り始めましたが、シュタイナー教育に出会ったおかげで、娘の魂を尊重することを学び、同時に自分の魂を尊重することを学んだおかげで、とても充実した子育てをさせていただいたとおもっています。 「足立区でシュタイナー」の活動を通して、たくさんのママとたくさんの小さな人たちが、お互いの魂を尊重しあう、幸せな時間を共有してくださることを、心から願っています。
2010年03月02日
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