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三月末に、おばあちゃんが可愛がっていたポメラニアンが亡くなりました。だいぶ具合が悪かったので覚悟はしていたのですが、家族中なんだかさみしい…。特に足元。絡みつくようにまとわりついていた奴がいなくなって、なんだかなあって感じで。 そこにマイミクのモリリィさんが、 「知り合いのブリーダーさんのとこにロシアンブルーがいるんだけどどお?」 と声をかけてくれました。 ロシアンブルー… 好きなんだよねー、あの、「ねこーっ!」っていう雰囲気の猫種。 でも父も母もなんだか、 「猫、お金払って買うの?そこらへんに落ちてるのつれてきなよ」 見たいな雰囲気で… 最近、そう簡単には落ちてないですよ、猫。 でも今はネットがあるっ! というわけで、猫の里親募集情報を探してみたのですが、たくさん情報があるものの、この子、というのが決まらなくて、「何月何日にどこどこで猫の里親募集してます」って言うのをわざわざしらべて出かけていったのに、なぜかそこにその団体がいなくて… なんてなことを繰り返していたら、ある日突然ネット上に、ロシアンブルーとアメショーの兄弟(そんなのいないっ!)が掲載されておりまして、とんとんと話がまとまって、今、うちにいます。 とはいえ、まだなんかねこの気配があるなあ~くらいのもんで、とっ捕まえないと抱かせてくれません。写真もなかなか取らせてもらえません。冒頭は貴重なツーショット。 名前はチューダとミラクルと申します。 もともとぽんぽんが 「猫を飼ったら名前はチューダ」 と決めていたんです。 「ちゅー太!?」 「ちがうっ!チューダ!!」 チューダとはロシア語で「奇蹟」という意味だそうです。そういやあ、ぽんぽんがよんでたマンガに、そういう名前の猫、出てきてたねえ…。 そんなねずみと聞き間違えるような名前もいかがなものかと思いましたが、コース学習者としては「奇蹟」といわれると弱い…。 「じゃ、ロシア語だから、ロシアンブルー(もどき)がチューダね。じゃ、もう一匹は『ニャンダ』にしよう」 「あはは、いいねえ」 と笑ってこたえたぽんぽんですが、しばらくして、 「片方が『奇蹟』で、もう片方が『にゃんだ』じゃかわいそうじゃない?」 …よかったよ、そのまま決まらなくて(笑) というわけで、もう一匹は「ミラクル」となりました。アメショー(もどき)なので、英語がちょうどよいでしょう。呼びにくいので、呼び名は「ミラくん」です。 父も母も呼びにくそうで気の毒(笑) だいたい、うちの実家は猫を飼ったら名前は「ねこ」と代々決まっているのです。父は、 「覚えられねえ。俺は甚六と猫八って呼ぶぞ」 といってましたが、なんだかんだいって、猫なで声で、 「チューダ、ミラクル」 って呼んでます。 母はわりと気が短い人で、 「抱っこしたいの。つかまえてっ!」 とぽんぽんに言ったりしています。 チューダはとっても慎重でだっこしてもぶるぶる震えていましたが、一度大丈夫だと思うとわりと大胆な行動に出ます。ミラクルはやんちゃで好奇心に負けるタイプです。 この先Tao Houseの看板猫になってくれるといいのですが…。 にゃんにゃん。
2010年05月30日
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今日は運動会でしたっ! ボイスでも散々愚痴りましたが、 寒っ!! でもまあ、これで子どもが張り切ってればまだすくいもありますが、ぽんぽんは運動会なんか大っ嫌い。 めんどくせー と朝からおかんむりで… 「かあちゃんも運動会は嫌いだったなあ。運動苦手だったし。雨降らないかなあってずっと思ってたなあ」 ってしみじみと同調したら、 「運動が嫌いなわけじゃないの。メンドクサイの。だからさっさと今日終わらせてやる」 といって出かけていきました…。 まあ、たしかにねえ。 なんかつまんないよ、小学校の運動会。 あんなふうにだらだらやってたら燃えないでしょ? やっぱ、踊る阿呆にみる阿呆じゃないけど、やるならもっと本気で燃え上がらないとねえ…。 と毎年思う母でした。ま、しかたないんだけどね。先生たちもがんばってやってくれてるし。 そうそう、一つだけ愚痴ってよござんすか? 一年生の表演が「ピラメキーノ」の「おならの歌」だったんです。 どうでもいいけど、青空の下、スピーカーでああいう歌を流されるとなんか違和感ありますね。あの手の歌は、バカを装っている芸能人がテレビでやっているのを見て指差して笑い、悪ガキたちが歌うのを大人が「こらーっ!」って怒るもので、白昼堂々と一年生に踊らせる物ではないと思います。 いや、踊ったっていいけど、そんなのつまんないって… さて、そろそろ運動会も終わる時間でしょうね。 寒かったから、お風呂沸かしておこうかな。
2010年05月30日
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そもそも今日は、夕方あたりから機嫌が悪かったのだ。母と夕食のメニューでトラぶり、父の横暴に腹を立て、さらにその父が、私を叱るような叱り方でぽんぽんを叱った。インナーチャイルド直撃&その叱り方が私の叱り方ともそっくりで、痛いことこの上ない。ぽんぽんは明らかに「私の」怒りを読んで萎縮している。祖父の怒りは彼女にとってかなりどうでもいい。聞き流しているらしい。この辺に祖父と孫のゆがんだ関係を感じる。私が父を尊重していないからだろう。イライラを沈めようと思って、近所の激安スーパーで買った牛乳を飲んだら(生協のを買い忘れたんだ…)信じられないほど不味かった。どうしてくれよう、この牛乳…。ぽんぽんが観ているテレビが面白居酒屋を紹介していた。その居酒屋は、飲んだ後の〆のおにぎりを、客に向かって投げるのだそうだ。「お客さんとの愛のキャッチボールです[m:46]」と店主が笑う。「おにぎりのキャッチは客の自己責任だ」とアナウンスが入り、取りそこなったおにぎりが壁にぶつかって砕け散る。何をかいわんや。日本人が米を投げて、それを見世物にしてテレビにするなんて。どうしてこんなものばかりに引っ張られるのだろう。そんな自分に一番腹が立つ。それでも、God is.早く目覚めよう。…ちょうど今、テレビの番組が変わった。マジックの種明かしをしてくれるマジシャンが出てきた。(これって掟破り?でも単純なやつだからいいのか)そのマジシャンの名前は「J」だってさ。神使者読んでる人じゃないと分からない落ちです[m:78]
2010年05月24日
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ぽんぽんが、 「おかあさーん、指、怪我しちゃった」 といって、0.5ミリほどの切り傷(ともいえるのか?)を見せに台所に来た。 「およよ。バンソコはっときな。いま母ちゃん手がぬれてるから、自分でできる?」 「うん」 そしたらそれを後ろで聞いてたYちゃんが、 「えーっ!?ぽんぽん、まだママにはってもらってるのお?あたし、じぶんではってるよおっ!」 と、明るさ全開でバカにした。 「…で、できるもんっ!おかあさんが勝手にっ…」 ぽんぽん、あせって言い訳をする。 口げんかでは同い年の女の子には絶対に勝てない。ましてやYちゃんは口が達者で、ぽんぽんの相手ではない。このYちゃん、1.2年生も同じクラスで、とてもいい子なのだが、なんともあっけらんかんとなんでも自慢するそしてなんでもバカにする。でもなんというか、あまりにも天然なので憎めない。ママはとても素敵なやさしい方で、まあ、そういう安定している家庭環境を知っているので、ちょっと意地悪してやれ、と思って、 「えーっ!?Yちゃん、ママに張ってもらえないのお?かわいそうに!女の子は甘やかされたほうが幸せになるんだよおっ!」 と言ってやった。 そしたら、Yちゃんは、 「…ほんとはあたしもはってもらいたいの」 とごにょごにょ… かわいいっ シュタイナー教育の入門書、「7才までは夢の中」で、著者の一番下の男の子が、手から水をぽたぽたと滴らせながら、ママを見上げて、 「ジョーイみたいにおてて拭いてよ」 という場面がある。 ジョーイというのはその子のおにいちゃんが通っているアメリカのシュタイナー園の先生の名前で、そこでは子どもたちが手を洗うと、先生がひとりひとり手を拭いてくださるのだそうだ。 それを読んだころ、わたしはモンテッソーリにはまっていた。 モンテはこどもの身体の機能を発達させるために、なるべく日常のいろいろを自分でできるように働きかける。洗った後に自分で手を拭けるように、子供用のタオルを子どもの手が届く低い位置にかけておくとよい、と書いてあって、さっそくそのとおりにした。 しかし「ジョーイみたいにおてて拭いてよ」のエピソードを読んで以来、わたしはすっかり、拭いてあげる派になってしまった。モンテを否定するわけではなく、 「ふいて~」 「はいはい」 というやりとりが、とても素敵に思えたのだ。 一体人生のうち、どれだけの時期、そんなあまったれたことがゆるされるというのだろう。逆にこちらも、なんでもかんでも「かあちゃーん」と言われ、信頼されてるうちが花、って話もある。そのうちほっといたって自分でやるんだから、手をかけさせてくれるうちはかけさせていただきたいもんだ。 ただし、こちらの機嫌のよいときに限る、という条件が… どこへいった、無条件の愛… ただし、バンソコにしてもほかの何かにしても、あまやかしてなんでもやってあげる前提として、 「ほんとは自分でできる」 というのが必要なのはたしかだ。 ある時期からは、できるのにやってもらえる、というのがミソなんだと思う。さすがにバンソコははれるけど、家事全般、もう少し教育の必要性を感じるぽんぽん娘ではあります。
2010年05月23日
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今朝、ACIMのテキストをやっと読み終わりました…。 長かったあああっ!! もう、読み始めてからどれだけ経ったのか覚えてません。 一昨年の11月にVijayさんにタロットを教えてもらいに沖縄に行ったとき、 「5章すぎると俄然読みやすくなるから、そこまでがんばれ~!」 と励まされた記憶が…。 そして読むにしたがって、今度はACIMが信用できなくなって、 「これ、違うんじゃないか」 と疑ってみたり、ここまでこの文章が受け付けられないのは、自分に向いてないんじゃないかと思ってみたり… 幸運だったのは、Vijayさんや、整体の先生や、八十さんや、わっくっくさんご夫妻や、そのほかいろいろな方々に、 「ねえ、これは違うんじゃないの?」 「これはどういうことなの?」 「これは?」 「これは?」 と手当たり次第に質問できたことだと思います。 ビンゴな答えをもらったり、混乱したり、後から納得したり… それでも難しくて、分からなくて、読みたくなくて、 「いっそ英語のほうが読めるんじゃないか」 なんて無謀なことまで考えて、実際にやってみたりもしましたが、それもぜんぜん進まなくて(当然だ、最後に英語をやってからどれだけたってると思っている<私)、ほとんど格闘に近かったです。 読み終わったらどんなに感動するかと思いましたが、 今朝読み終わって、真っ先に思ったのが、 「さ。二回目行ってみようか…」 なんだかこの格闘の感じが、生活の一部と化しつつあります。 修行系9番ですねえ…。 でもとりあえず、 偉いぞ私…
2010年05月20日
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先週の日曜日なんですが、久しぶりにポケモン以外の映画を見ました。 サマーウォーズ http://s-wars.jp/ 面白かったっ! で、元気がでました。久しぶりに、よしっ!!っていう気分になりましたね。へんな虚無感とか凄惨な場面とかがなくて(そういう場面はぜんぶバーチャルな世界にゲームとして展開される。うまいなと思った)、とっても前向きで爽快でした。もしかしてターゲットは30代以上なのかなあなんて思ってたら、エンディングの歌が山下達郎だったので、やっぱそうだと確信しました。ちなみに監督さんは同い年でした。 ヒロイン一族のゴットマザーであるおばあちゃんが、 「一番いけないのはおなかがすいてること、そしてひとりでいること」 って言う場面があって、なんだかとてもしみじみとしました。 実ははじめからそんなに真剣に見る気がなかったので、ベランダに野菜の苗を植えながら見ていたのですが、途中からは遊びに行っていたぽんぽんも見始めて、ふたりで夢中になってしまいました。もちろん、見終わったあとにもう一度初めから全部見ましたとも。 結末知ってるのに、わくわくしながら見れる映画ってあんまりないと思います。 で、ベランダ菜園も一週間半たちまして、すこしずつ苗がそだってきました。ベランダがさみしいので、花より団子とばかりに野菜の苗を植えてみたのですが、思いがけずいとおしくて、毎朝こまめに様子をチェックしています。無機質だったベランダが急に生き生きしてとてもいい感じ。もっともうちのベランダ暑すぎるので、これまでまともに植物が育ったためしがないのですが…うまく育ちますように。 母になすの鉢が小さすぎるとご指摘を受けたので、いまから植え替えです。
2010年05月18日
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きのうのADHDの話とも絡みますが、現代社会は社会自体がかなりADHD気味な気がします。 新しい情報、新しいアイディア、新しいスタイル、新しい方法… 一つのこととじっくりと掘り下げて消化するのではなく、たくさんのなかからすっすっとそのエッセンスを吸い取っていく。 わたしが学生だったころは、必要な論文は学会誌からコピーして読んだものでしたが、教授には、 「わたしたちのころは手で写したものだ。大変な手間だったが、理解度は深まった」 といわれました。 そりゃそうだよね、書き写すんだもの。 でも今の学生は下手するとコピーすらしないでパソコンの画面で流し読みするんだろうなと推測しております。データの収集も、私のころは本に林のように付箋を立てて一々分類してたけど、きっといまはパソコンで一発検索…。 精度も情報量もいま勉強中の若い人たちの手法のほうが絶対上でしょう。昔のほうが理解度が深かった、なんて振り返ってみたって仕方ないですよね。 ただ、こういう時代にはこういう時代なりの、物事を理解する力を養う訓練というのが必要だと思います。 いまACIMという本を読んでいますが、ACIMはもちろん、その参考書である「神の使者」からしてとにかく難解です。これをいかに素直に、書かれているままに理解するかについては、それを理解したくないというエゴの抵抗もさることながら、それ以前にいかに正確に日本語を読めるか、ということにもかかってくるように思います。個々の単語、文、章、そして全体を有機的にとらえて先入観なく(もちろんゼロにはならないけど)筆者の意図を読み取れるか。これには活字を読み込むという訓練が不可欠だと思います。 でもいま、本(活字)という媒体の低迷し、情報の提供がデジタルになりました。それによって一つのソースを深く消化するのではなく、たくさんのソースのエッセンスをいかに早く消化するか、という、読み込むのではなく、処理する、という訓練が必要になってくるんでしょうね。人間の脳の使い方も、大きな転換期になってくる気がします。時代遅れのおばあさんにはなりたくないけれど、ついていけるかしらねえ…。
2010年05月16日
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今朝から、というか今朝もまた、やろうと思っていることがなかなかうまくすすまず、あっちもこっちもとっちらかって、きーっとなっております。ぽんぽんに、 「時間なんかわすれてしまえっ、えいっ!」 と魔法をかけられました。 で、いまちょっとばかり休憩中です。 とにかく逆回転してるときは、むりにもどさずいったんとめるのが得策ってもんです。 実は、だいぶ以前から、 「わたし、ADHDっぽいかもしれん…」 と思っています。 私の腎臓はかなり悪かったのですが、腎臓病とは言われませんでした。そういうレベルでの話でADHDという診断はでないだろうけど、その症状はかなりはっきりあるように思います 時間をまもれないとか、手順が踏めないとか、家計簿つけが尋常じゃないくらい苦手、幹事がまともにつとまらない…。とにかくやりたいことがたくさんあって、あれもこれもとアイディアが出るのはいいけれど、それがぐちゃぐちゃになってしまう。 自覚があるので、それなりに対策もとってはいます。遅刻しないように早めに家を出るとか(でもなぜかつくのはぎりぎりになる)、なるべく幹事は引き受けないとか、規模の大きな企画物をやるときにはサポーターを依頼するとか。 だからまあ、自分の特徴と思って上手に付き合っていけばいいやね、と思っていたのですが、先日のハワイのヒーラーさんのセッションでホロスコープを見ていただいたとき、 「あなたは牡羊座に注目する必要があります」 といわれました。 「いろいろなことをはじめる力がつよいけれど、終わらせることができない。終わらせるときにはだれかに手伝ってもらいなさい」 …で、この症状って、ADHDに近いような気がするのよね。 私のホロスコープの牡羊座は第8ハウス。そして火星と土星とキロンとノードがいてこの辺はぐちゃっとコンジャクション、しかももうすぐちゃぶ台返しの天王星がやってきます。びくびく。(天王星恐怖症) ホロスコープ、もっと読めるようになりたいな。 あとね、ボディーワークもやっぱりおもしろいわ。 あとね、あとね、…
2010年05月15日
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パソコンが絶不調です いつ落ちてもおかしくないかも。 メール送っていただいて、返信がなかったら、たぶん読めないんだろうと思って、ミクシーのメッセか、携帯のほうにご連絡くださいませ… たのむ、壊れないでくれ… (初期化、めんどくさ…)
2010年05月12日
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給食の牛乳… パンならともかく、ご飯のときも牛乳。麺でも牛乳。 この組み合わせ、子どもを味音痴にするんじゃないだろうか。 だから最近の若い人は、チューハイを飲みながら食事が出来るんだ。 料理と酒がお互いに味を引き立てあうはずが、あれじゃお互いがどんどん別の味を主張している。だから料理の味付けはどんどん濃くなるし、酒のほうも合成香料とか使わないと物足りなくなるんだ。これじゃ日本料理の繊細な味付けなんて絶対育たないって。 以上、中年の呑兵衛の主張でした… ではなくて、牛乳の話。 そもそも牛乳に賛否両論があるというのは、私の一部の周囲ではもちろん周知の事実だが、のこりの「周囲」ではまったく相手にされない事実。とはいえ動物性食品のとりすぎとか牛さんに投与されているホルモン剤とか抗生物質とかいろいろ考えれば、できることなら一日200ml○○乳業の牛乳を飲ませることは避けたいなあ・・・。 というわけで、ぽんぽんはアトピっ子であることを盾にとって、入学時から給食の牛乳は飲ませないことにしていた。お友達に何か言われるかしら、なんて心配もしたが、毎日持っていく水筒の中身が番茶、麦茶、紅茶…と変わるのがみんなも楽しいらしい。(でも実は水が一番多い。手抜き) 給食で牛乳を飲ませないためには医師によ除去許可書みたいなのをもらう必要がある。さらに入学時には校長室に呼び出されて確認をとられるほど、牛乳を飲まないというのは小学校にとって大変なことらしい。 実はぽんぽん、アレルギー検査では牛乳アレルギーは出ていないしかもヤツは大の乳製品好きで、おやつには牛乳もヨーグルトも食べる。でも皮膚科の先生が、わたしが一日の食事全体のバランスを考えているので(実はそれほど考えてもいないのだが)、給食で牛乳を毎日飲まれてしまうとやりにくい、と訴えたら、除去の許可証を書いてくれた。ありがたやありがたや。 で、今年も年度が替わったので、その許可書を改めて出してほしいといわれました。本当はもう身体もだいぶ大きくなったし、みんなと一緒に牛乳飲んでもいいかなと思ったのだが、ぽんぽんが、 「給食で牛乳のんだら母ちゃんおやつにヨーグルトとか出してくれないでしょ。だったらいやだ。牛乳とかヨーグルトはお楽しみだから、学校でごくごく飲んじゃうのはもったいないっ!」 とごねるので、またまた皮膚科へ。先生はまた許可書を書いてくださることになり一安心。しかし牛乳のアレルギー反応がないのに、先生、よく書いてくださるなあ、と思っていたら、先生がしみじみと、 「ほんっとにぽんぽんちゃんのアレルギー、こんな程度でおさまっていてよかったですね。二年前の血液検査の数値見たら、もうびっくりですもんね」 「え?そうなんですか」 「そうですよ、5000超えてるんですから」 「はあ、それってすごいんですか」 「すごいですよ、わたしなんて10くらいだもの」 「えっ?(自分もけっこう高いのでみんなそんなもんだと思っていた)」 「今回、少し下がってるといいですけどね。ほんと奇跡的ですよ」 「…あのう、じゃ、もう少し自覚を持って、きちんと管理したほうがいいでしょうか」 「いいの、いいの!食事とか、精神面とか、そういったところでお母さんがおおらかなのがかえっていいのよ。お母さんが目が釣りあがっちゃうとどんどん悪くなるからね。このまま行って下さい!」 「あはは、はーい」 でもね、目が釣りあがっちゃうお母さんの気持ち、とってもよく分かるのです。わたしだって、ぽんぽんのお肌の状態がひどくて漢方薬をのませたり塗ったりしていたころ(これがまたしみるらしくて毎回爆泣き)、もうほんとうにキリキリしていたもの。食事、衣類、洗剤、掃除の仕方、どれをとっても考えることだらけで、一般的な生活ではなくなってくる。あれを食べさてもいいか、これを着せてもいいか、一々私が決めなければならず、おじいちゃん、おばあちゃんがよかれと思ってしてくれること(お菓子をくれるとか、食事を代わりに作ってくれるとか)にも、文句を言わざるを得なくなる。そうなってくると私にしか分からないことが多くなって、育児も孤立してくる。それでもお肌が真っ赤になってかゆいかゆいと泣かれ、喘息でひゅーひゅーされたら、それはもう目も釣りあがるってもんです。 わたしがスピリチュアルを本気で信じようと思い始めたのは、わたしが自分で自分を責め立てると言うサイクルから抜け出したときに、ぽんぽんのお肌が劇的によくなった、という事実を体験したからでした。もちろん、私の場合はここがダイレクトに繋がっていたというだけの話で、母親が代わったからといってこどものアレルギーが全部よくなるとか、こどものアレルギーは母親が自分を責めているせいだとか、そういう短絡的な問題ではないのですが、たぶん、いろいろな人が自責という不思議なゲームに気づいて抜け出そうと思ったら、芋づる式にいろいろなところでいろいろな人の病気が治っていくんだろうな、なんて思っています。もちろん聖霊さんがその芋づるをちゃんとチェックしてくれてるんでしょう
2010年05月09日
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GW前半はボイジャータロットジャパンで、エミィさんのボディワークの師匠であるジョゼフと奥さんのキャサリンのセッションと初級のセミナーを受けてきました。わたしはヒーリングに関しては「資格」をぜんぜんもっていないので、(一つだけ老廃物浄化ヒーリングというのを持っていますが)このまま無資格でいこう、と変な決意を固めていたのですが、不覚にも(?)クォンタムアラインメント初級という資格をいただいてしまいましたw ここのところVijayさんから一つお題をもらっていました。「言葉」とどう向き合うかということです。 今回はセッションもセミナーも当然英語で行われるので、分厚い言葉の壁に阻まれました(やっとくんだったよ、英語…)。しかし、それとは関係なく基本的にお二人ともあまりしゃべらないんです。ただ体に手をかざし、そっと触れて、一言二言しゃべるだけ。そのたたずまいがとてもやわらかく愛と確信に満ちているので、それだけでみんなほろほろと涙を流す・・・。これもVijayさんに言われたことですが「愛は伝えるものではなく、溢れていくもの」というのがとてもよくわかりました。なんだかんだいって日本人のヒーラーさんのヒーリングを受けると、つい何を言われたかに気をとられてしまう。ヒーラーのクオリティというのはやはり本人の生き方そのものなんだなと、改めて思いました。 それにしてもわたしはヒーリングで泣いた経験がありません。5年位前に一回だけVijayさんのセッションで涙ぐみそうになりましたが、「はい、感情に流されないで。戻っておいで。単なる間違いだから」と(笑)Vijayさんがヒーラーではなく解体屋と名乗る所以でしょう。それとは別の意味で、喜怒哀楽に対する感性がもうすこし開放的に豊かになれるといいなとは思っていますが。 最後に一人ひとりジョゼフとキャサリンと記念写真をとることになりました。私の番になったとき、キャサリンが私のスカーフを褒めてくれました。わたしもその日のキャサリンのスカートがとても素敵だな~と思っていたので、お礼と一緒にそう伝えました。個人的に言葉を交わしたのはほんとにその瞬間だけだったのですが、とても幸せな気持になりました。そういう人にわたしもなりたい(笑) さて、セッションとセミナーのあと、コーヒーとアルコールと砂糖を最低三日はやめるようにといわれました。アルコールはともかくコーヒーはつらいなあと思ったのですが、とりあえずセミナー終了後3日間、セッション終了からあわせて6日間、コーヒーとアルコールはやめました。(砂糖は挫折…GW中で外出も多かったんだもの…)で、昨夜「かいきーん!」とばかりに日本酒を少々いただきましたところ、今日は強烈に体調が悪いです…。やめときゃよかったんだけど、たまたま開封してしまった美味しい生原酒が冷蔵庫でひえひえになってたんだもの…。 しかしこの6日間、とくに後半はとてもクリアでした。なんというか感情がとてもぶれにくい。まあぶれるんだけど、これ以上ぶれたら不快という、その許容範囲が広い。茫洋としているんだけど考え抜いて答えをひねり出す感じではなく、ぼわーっとしている中から答えをピックアップできる感じ。もちろん食べ物というよりはセッションの影響だと思いますが、少しでもこれに近い状態をキープできるんなら、もう少し食生活を見直してもいいかなと、改めて思いました。(じゃ、飲むなよ) コーヒーもお酒もやめたり飲んだりの繰り返しですが、長いスパンで見ると確実に量が減ってきているというのはうれしいことです。年齢的なものもあるけど、飲まなくてもいいや、と思えるようになってくるのよね。これは意志の力というよりは、その心に見合った体になるようにできているんだなと。そうでないと「我慢」になってしまって、返ってよくない気がします。長くなるのでこのお話はまた後日…。
2010年05月08日
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今回のGWは、前半にボディ・ワークのセッションとセミナーが飛び石で入ったので、茨城行きは後半3日間に。しかも初日は小田原に住む叔母が先日怪我をして入院したので、どうしてもGW中に見舞いに行けっ!そして茨城にも行けっ!という父の厳命で、5/3に、うち→小田原→茨城という強行突破で茨城の父の家へ。けちな私も今回ばかりは移動時間短縮のために、小田原→東京駅間で新幹線を使用。同行のぽんぽん大喜び(逆に言えば、これくらいしか楽しいことなかったよね…。電車乗ってばっかりでさ。すげえ人込みだし)。 茨城ではきゅうりとなすとトマトとゴーヤなどを植えました。 不耕起農法とか永田農法とか興味ありますが、ま、ここは父の畑ですから、化学肥料も鶏糞もたんまりと入れてきました。無農薬なだけでも良しとしましょう。でも、となりのカルビーの契約農場のジャガイモ畑の畑主が、良かれと思って撒いてくれることがあるので、完全無農薬とは行かないかも。これがまた、ほんとに善意だからこまってしまう。 ま、いいの。 農薬も化肥も幻想だし。 移動中はぽんぽんともいろいろおしゃべりしましたが、茨城の家ではなかなか遊べなくて…。こういうとき、一人っ子って気の毒だなと思います。今回は前夜に食べたお弁当のケースを取っておいて、一緒にお花でお弁当作りをしました。画面向かって左がぽんぽんの、右が私の。ぽんぽんのにはちゃんと解説があって、 菜の花と小松菜の炒め物、たんぽぽの綿毛添え お魚のステーキ あやめの刺身 ゴマご飯 カリフラワーの煮付け だそうです。 小松菜に見立てたのはそこらじゅうにぼうぼう生えているスギナ、お魚は葉っぱ、ゴマは炭のかけら、カリフラワーは大手毬でした。 こういう遊びをもっと小さい頃に上手にたくさんさせてあげたかったなあ。一人娘の子育て中にシュタイナーや自然育児に出会い、この子が生まれる前からもっと知っていたら…とある意味ずっと悔やんでいたところがあります。とはいえ、これもタイミングですから、あまり後悔しないようにしようと思っているのですが、ひさびさにちょっと胸が痛かったな。
2010年05月08日
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