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終わりました、Vijayワーク@Tao House。 お疲れ様でした~!! いや、ほんとに濃かったですね。 前回も終わった後の感想に、「楽しくも濃ゆい日々でした」って書いてましたけど、今回はあんまり楽しくなかったです(爆) いや、参加して下さった皆さんとお会いして、Vijayさんを中心に楽しくお話しできたことは楽しかったんですが、前回のような、 「わあ、こうやってほどけていくんだ、おもしろいっ!」 というフレッシュさがやや消えて、 「…分かってるんですができないんです」 というところから始まって、 「…それしかないんですね」 というところに追い詰められていく感じの方が多かったかも。(私をふくめて) 「それ」 というのは「赦す、委ねる、そして祝福する」ということ。 もうひとつは「自分でやろうとしない、聖霊に聞く」ということです。 四日間の間に何度Vijayさんのカルメンを聞いたことか。 「それしか~ないのです、あん、あん、あんああーん♪」 あと、プレイバックPart2ね。 「ぼうや、いったい何を教わってきたの~♪」 ある意味、Tao Houseという場が一つの段階の極に近づきつつあるな、と感じました。もちろん、次の段階、また次の段階と、あるわけですが。 私自身の課題としては、言葉を超えた愛、というところに焦点が絞られつつあるようです。 「愛っていうのはね、エクスタシィ~なのよっ!」 ともだえるVijayお姐さまの懐メロ(まではいかないか)オンパレードに爆笑しつつ、今回のVijayワークは無事幕を閉じました。 帰り際、参加してくださった方が、 「ここ(Tao House)にいる間はいいのよ。問題は、ここから出てからよね」 と、つぶやいていましたが、まさにその通り。 みんなで聖霊の声に耳を傾けているときはいいのだけど、一人になって日常に戻っていろいろな場面に直面した時、それでも聖霊の声を聞くことができるか。長年の習慣として選び続けてきた、なじみ深いエゴの誘惑に打ち勝つことができるか。 そこが問題なのよね(--; 今回一番みんなが嫌がったのが「365歩のマーチ」のスピ版。 「3歩のぼって2歩堕ちる~♪」 でした。 でもでも、そんなときのために、一緒に歩く仲間がいて、一緒に語らう場があるわけです。 Vijayさんも12月にまた来てくださるとのこと。 そのときにもきっと、 「ぼうや、いったい何を教わってきたの~♪」 って歌われちゃうかもしれないけど、一歩ずつでも登っていればいいの。 もし、登れなくても、堕ちちゃってても、 「登りたいのよう…」 っていう気持ちがあれば、それでいいの。聖霊は絶対に見捨てない。 そんなことも感じた四日間でもありました。 参加してくださったみなさん、ありがとうございました。 これからも一緒に楽しみましょう!!
2010年09月29日
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突如極寒の地となった関東地方、明日からいよいよVijay's Weekのはじまりです! 「Week」といっても今回は割と短めで四日間。 とはいえ、Tao Houseはもろに自宅なので、この四日間は絶対に家も仕事も持ち崩すことができません。おまけにマネージメントとかいいながら、その実個人セッション以外の全部の講座に参加してたりするので、何が大変ってそれを消化するのがたいへんだったりします。でも楽しいんだけどね。 おかげさまで個人セッション枠はいっぱい、ほかの講座もいい感じでご参加いただけて、ほっとしております あ、26日(14:00~16:00)の瞑想会はまだ少しお席あります。 参加ご希望の方はご連絡くださーい。 さて、今回も、鬼が出るか蛇が出るか…。 でも出てきても、聖霊と一緒に、みんなで笑ってふっ飛ばしちゃうから大丈夫
2010年09月24日
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6月に我が家にやってきた奇跡猫s。あれよあれよという間にすっかり大きくなりました。もう、かわいくてかわいくて、猫なしではいられにゃーい!
2010年09月21日
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昨日は整体のI先生のとこで、5,6年生徒として受け続けてきた自己気功法の会に、初めてインストラクター・デビューをしてまいりました自己気功法というのは、I先生考案の、自分で自分をメンテナンスする方法です。伝えたい内容としては野口整体に近いものがありますが、内容はもう少しゆるゆる&テクニカルです。 前々からI先生には 「そろそろ自分で講座開いてやったら?」 って言っていただいてたんですが、なかなか踏ん切りがつかず…。 ついに先生の方が業を煮やして、 「9月から、うちの初級クラスはあなたがやんなさいっ!」 って… 「え゛ーーーっ!?」 って叫んでたんですが、なんかここのところ新しいことがどんどん始まる流れになってるもんで、 「わ、わかりましたっ!!」 って乗っかることに… 整体の先生は正確には「姿勢保健均整師」という資格を持った先生です。わたしは整体に関連する資格は持っていませんし(っていうか、資格は何にも持ってないな…)、いまでもぴちぴちに健康というわけではありませんが、頭痛・肩こり・倦怠感からくるあまりの辛さに、ぽんぽんの子育てを放棄しようかと思ったほど体調が低迷していたところから、この先生に習った自己気功法とVijayさんに習った瞑想でなんとか立ち直ってきた、という経緯があり、 「だれでも自分で自分の体を治せるんだ」 ということは自信をもってお伝えできると思ってます。 もっともわたしは中盤からどちらかというと心の方に興味が傾き始め、いまタロットをメインでやってるわけですが、自分のエゴの構造に気づいて修正すると、だいたい体の方にも相応の修正がかかります。「そのエゴを手放した体、」になるわけで、これがわりと辛い時もあるし、それほどでなくても体のメンテナンス方法を知っていると楽に早く乗り越えることができます。 精神的に成長するにしても堕ちていくにしても(!)、体と心と、どっちが先かと言えば、それは間違いなく心なんですが、あとから追いついてその精神にふさわしい入れ物に変化してくる体に物理的に手を入れてあげると、精神の成長も順調に回り始める。あるいは「どーしてもここだけは変わりたくないんだよっ!」と頑固に言い張る心を、体を緩めることで少しなだめて冷静にさせてやる(それでも変化するかしないかは最後は心が決めるんだけど)、そういうアプローチもできます。 まだ腰回りがばきんばきんで、首ががちんがちんで血圧も上がりやすいし、一日10時間寝ちゃうこともある私ですが、ここまで元気になったのはほんとにびっくりな奇跡だと思ってるし(これやってなかったら、更年期は間違いなく寝込んでると思う)まあ、完璧を待ってたらいつまでも前に進めないわけで、10月からTao Houseでも心と体のメンテナンスの実践&お話の「自己気功法講座」を開講しようと思います。詳細は近々にアップ、しばらくお試し価格でリーズナブルにご提供する予定。よろしくお願いします!
2010年09月20日
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今日はご近所の神社のお祭りでした。 各町会に山車と子ども神輿がでて、宮出し、町内を練り歩き、途中御神酒所でとにかく山盛りごちそうをいただきました。 ところで、今回、子ども神輿の掛け声が、「わっしょい」から「せいや」になりました。お神輿を担いだ経験のあるママがいたみたいで、上手にリードしてくれました。 でもですね、子どもみこしのリズムはやっぱりわっしょいだなあ、と思いました。四拍子で、「わーっしょい、わーっしょい」くらいがちょうどいい。 「せいやっ、せいやっ」になると8ビートな感じ。 「せいやっ、さー、せいやっ、さー」と、合いの手に「さー」がはいるとさらにビート感が増す気がします。 ビートが速くなると煽られる感じになって体にも緊張感が高まる。この緊張感に体をのせて合わせることで、逆に緊張をとっていく。テンパッてるときにロックが聴きたくなるのはそのせいで、そういう音楽が出てくること自体、時代を生きる体がテンパッてるわけです。現代人はもう「わーっしょい」のゆったりした4拍子では満足できないほど、体全体がテンパッてるんでしょうね。 子どもみこしがこのビートだと、なんとなくせかされてる感じ。でも担いでる子どもたちは盛り上がってたから、いまどきの子どもたちはこれでいいのかな。 ついでに「せいやっ」は「せ」にアクセントがくるのが正しいんじゃないかと思うのですが(最近お祭り見に行ってないからわかんないけど)、今日かついでた子どもたちは平たく発音してました。「映画」が「『え』いが」ではなく「えーが」になるように、最近は語頭のアクセントをつけずに発音する傾向にあるそうですが、「せいや」も「せーや」になるとなんかロックからポップスになったみたいな軽さがある。 ま、ロックでもポップスでも4拍子でも8ビートでも、いいっちゃいいんですけど、でもどうせならもっとみんな真剣にお祭りやればいいのになあ。大人神輿が一基も出ないで、子どもに担がせたってちゃんと担げないし、ちゃんと担げなければアドレナリンが出まくって気持ち良くなる快感は得られません。はっきりいって、だらだら担ぐ神輿なんて、重いばっかりでちっともおもしろくないよ~。というわけで、ぽんぽんは1分くらいしか担ぎませんでした。そういうとこ限りなくドライです。山車もねえ、だらだらと炎天下を一日中引っ張るのって、なんか苦行に近い。太鼓も子どもたちが勝手に叩いてるからばらばらだし。ドラムじゃないんだからぽこぽこたたくなよって、叩いてたのぽんぽんだし。(こっちもほとんど8ビートでしたね) 祭りって、音や声で日常の穢れを払うと同時に、日常からトリップして集団で違う意識状態になることで、自分のなかの穢れ(日ごろ溜めこんでしまっている意識の闇みたいなもの)を払う意味もある。それにはやっぱり真剣にお祭りしないとだめだよなあ。などと、二日酔いの痛む頭を抱えながら、ビールも飲めず(これは自分のせいです)、だらだらと一日歩かされた鬱憤を、ここで晴らしてみました。 ちなみにぽんぽんの宿題の日記のタイトルも「せいやっ!」でしたw
2010年09月18日
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前回の日記、全然違う意図で書いたのですが、いただいたコメントから、「信仰拒否症」という、私のわりーと根本的な問題がうかびあがってきました。「信じてる神様が違ってたらどうすんだ?」という疑いが常にあって、それが自分特有のものだということを、すっかりわすれてました 一昨日はマイミクになってくださったみーさんの占星術を受け、「自分」の構造と向き合ってきました。じっくりと多角的に解説してくださって、自分に対する漠然とした印象がぼんやりと整ってきました。このぼんやりと、がミソで、かっちり「こうです!」と言い切れてしまうほど、人間って単純ではないですよね。 その夜は師匠とミーティング、と称してセッション。やってて良かったマネージャー…。で、どーっぷりとエゴが手放せない理由を、わたしと「言葉」の因縁から見事に解体していただきました。なにかを心で信じることができない(理論的な整合性が先)というのもここからきてるなあ、きっと。それが悪いわけでもないとは思ってますが。 で、こういう一連の作業はとっても楽しいのですが、深いところではすごーく嫌みたいで、その流れが一段落た昨日は、なんだか知らないけど荒れた荒れた…。要因はいろいろあったのですが、とばっちりをうけたのはまたまたぽんぽんで、もう、ほんとにごめんなさい(--)。母、反省してますが、反省だけなら猿でもできるので、赦します。だけど、どうしてこういう時に限って人の神経を逆なでするようなことばっかり立て続けに起きるのかなあと愚痴ってみても、それも全部わたしの内側のわさわさが作り出している幻想なんだよなああああって思うと、よけい自虐的になって堕ちていく…。 ここで客観的に、堕ちていく自分の姿を赦して委ねてってすると、すごくいいのよねってわかっていながら、もうそういうこともしたくない。だいたい墜ちていく感じに慣れてるのでついそっちに。しかもこっちは自然に落ちていくので楽ちん。人とは易きにながれるものでございます。しかも、昨日は夕飯がお刺身だったこともあり、日本酒で父と晩酌、その後ぽんぽんと寝室にこもって、寝転がりながらハーレクイーンロマンスの漫画を読む、という至福の娯楽を楽しんで寝たのですが、夜中から頭痛、朝起きたら顔パンパン、太極拳も瞑想もとてもできる状態ではなく、朝からぼーーーっとしてました。モリリィさんに猫はスピリチュアルなショックに敏感、と言われていたのですが、今朝は奇跡猫sが、気づくと私のそばにいる。あんまりわたしにかまってくれないチューちゃんまで、添い寝してくれました。 朝ご飯もつくる気がしなくてカップラーメン。 ぽんぽんは超ウキウキでしたが(めったに食べられないのでご馳走化している)食べてみたらまずかったらしく、半分残しやがりました。 今日はわたしもぽんぽんも氏子の神社のお祭りです。 暑いし頭痛いし(二日酔い)で行きたくないけど、五年に一度の大祭だからね。ぽんぽんと一緒に山車ひいて、ソールナンバー9のぼよ~~~んとしたひろがりのパワーで、ご近所浄化してこようと思います。 教訓:変化してる時期は、酒厳禁。
2010年09月18日
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昨日はさとさんとのオーラソーマで、今日は初めてのスピリチュアル講座。9月に入ってから楽しく稼働しております、Tao House。 今日のスピリチュアル講座は二名の方が受けてくださいました。 初めてだったので私もちょっと緊張したのですが、お二人とも熱心に聞いてくださって、とても楽しい時間が過ごせました。ありがとうございましたスピリチュアル講座は今後Tao Houseのメインメニューにしていきたいと思っています。 9月のお題は「インナーチャイルド」。 日時の指定も出前講座も、まだまだ受け付けておりますです(^^) ところで、9.11がらみで、アメリカの牧師さんがコーランを焼くぞって言ってたそうですね。あまりそういうニュースは見ないようにしてるんですが(精神衛生上悪いので)、改めて聞くと、宗教って何だろう、とまたぞろ考えさせられてしまいます。 どの宗教もそのおおもとは「わたしとはなにか」という哲学ですよね。それをよりたくさんの人に広めるために、体系だった教義にし、その教義のもとに集団ができ、宗教になる。そうなると集団をまとめる権力者がうまれ、支配・被支配の構図ができ、政治に取り込まれ…というよくない面もでてきてしまう。 教義の内容や与え方を恣意的に変えることで被支配者たちをコントロールしてきたわけですが、でもそれは教義が支配する人たちだけのものだった時代の話で、いまはわたしのような一般ピープルもそういう宗教が悪用されてきた黒歴史を知ってるんだから、牧師さんっつったら、もっとよく知ってるはずなのになあ。 そういう理屈じゃないんだろうな。知っててもとめられない、どうしようもない憎悪が彼を支配してるんだろうなあ。そしてその根底にあるのはやっぱり恐怖なんだよなあ。 人間の感情って、分類すると「愛」か「恐怖」のどちらかって言われるけど、無意識でいると残念ながら「恐怖」のほうが優勢になる。水が高いとこらから低いところに流れるように、「恐怖」は容易にまんべんなく浸透する。「その原因はわたしにある」というより、「悪いのはお前だ!」っていう方が確かに楽だよな。憎んで憎まれてお互いのカルマを紡ぎあげて、どうやらそうやってこの世界は成り立っているらしい。 「訓練していない心は 何処にも行き着かない」 これはACIMの中でもVijayさんが好んで引用するフレーズだけど、たしかに「愛」を選択するのは「恐怖」よりも難しい。だから訓練が必要。 「恐怖」によって編みあげられた世界をほどいていく、逆のベクトルが「愛」。訓練によって愛のベクトルを身につけた人が増えていけば世界は解体されて愛になる。 愛のベクトルで生きる人が増えたら世界は別の方向に流れていく。 ACIM=「A Course In Miracles」が「A Cuorse」で「The Course」ではないのは、これだけが愛になるための絶対の道(Course) ではないから。 どんな方法でもいい、みんな、愛になれ! (…まず自分orz)
2010年09月15日
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マイミクのさとさんは、オーラソーマ・プラクティショナー。 14日の火曜日、Tao Houseでオーラソーマのセッションをやってくれる予定です。 「さとさんのオーラソーマ@Tao House」 (14:45~は、タロット、オーラソーマともにご予約済みです)そのほかにもいろいろな技術をもってる方で、フーレセラピーという、足でやるマッサージも得意。 昨日、遊びに来てくれて、 「あー、もう、今日は腰が痛くて」 と私が愚痴ったら、 「マッサージやってあげようか?」 といって、…足で踏んでくれました(笑) 「見た目こわいですよね、このマッサージ」 と笑いつつ、ふみふみ… でも「ほんとに足!?」って言いたくなるような繊細なタッチ。 こっちはうつ伏せになってるので分からないのですが、 顔を上げると、踏まれている私。 そこへぽんぽんが学校から帰宅。 目にしたのは母が踏まれている図。 さとさん、 「おかえり~いま、ぽんぽんのカタキとってるよ~」 「…」 …カタキって、あなた。 さとさん、この日はついでにオーラソーマのボトルも搬入しに来たのです。机の上に広げられたボトルをみて、ぽんぽん、 「これなに?」 「オーラソーマのボトルだよ~」 「どうして色が分かれてるの?」 「水と油でできてるの。ドレッシングと同じだよ~」 「…」 …ドレッシングと一緒にしないでよ。 その後、今度はわたしがボディーワークをさとさんにすることに。あとからTao Houseにお客さんが来る予定だったので、 「丁寧にやりたいけど、さっと流すね。右だけやって左はそんまま、とかいうのやでしょ」 と私が言ったら、 「そうですよねー。体の中に"before after"があるっていやですよね~」 「…さとさんって、おもしろいこと言うよね」 「そうですか?」 そんな天然ほんわか娘のさとさんのオーラソーマのセッションが、14日、Tao Houseで受けられます 今の自分の状態、これからの方向性、そういったことをボトルを通して説明してくれます。タロットと比べてオーラソーマのすごいところって、セッションを受けながらボトルの色で癒されちゃうところかも、ともともと感覚器が視覚型の私としては、とても好きなセッションの一つです。 さとさんのオーラソーマ@Tao House、詳細はこちら! 私もタロットやってます。ぜひよろしく~!
2010年09月11日
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今日は「神の使者の勉強会の勉強会」の日。 (ややこしいですが、その辺は正確に、と聖霊に念押しされています) さて、今日は女性が4人。 差し入れのお花にお茶にケーキにと、華やかな会になりましたが、わりとお題はディープでした。みんなでいろいろな話をしましたが、みなさん、何を持って帰ってくださったかな。 この会の面白さは、わたしが 「ここっ!ここが今日の肝だわっ!」 って思ってても、参加してる人は全然違うところを…往々にして、誰かの行った言葉の端っことかを、 「あっ!これだっ!」 と拾って自分の中に落とし込んで、 「収穫収穫♪」 なんて言ってたりする。 そういうことを聞くたびに、ああ、この会は、学ぶ意志のある人たちの「場」なんだな、その意志が、必要な情報なり知識なりを集めてきて、必要な人に提供される、そういう「場」なんだな、と思うのです。 そういう意味では主催側は大変気楽で、毎回、お茶だお菓子だとそっちにばっかり気を配って、楽しくやってたりします(^^) で、毎回私も、ああ、これが今回の収穫だったなと思い返すのですが、今回は、初めに書いたようにお題がとてもディープだったこともあって、終わってすぐには「今日はわたしは何を学ばせてもらったんだろう」というのが漠然としていたのですが、その後、ちょっとわたしにとっては、 「ああ、これか、これでわかった」 と思ったことがありました。 …なんかまだとりとめないです。でも、せっかく書き始めたので、自分の覚書として…。 会が終わった後、参加してくれた方からメールが来ました。 帰宅後連絡があって、聖霊の意志だと信じて努力してきたことが、結果的にうまくいかなかったのだそうです。今日の会でもそのテーマは形を変えて何度も出てきたような気がします。 「エゴの願望ではない、聖霊の意志だ」と、そう思ったからこそ進んだ道が進めなくなる。なにかが間違っているんだろうか、聖霊の意志を受け取り損ねたのだろうか、クリアしていないエゴが無意識に邪魔をしているんだろうか、そのエゴを聖霊に差し出されて赦すことを求められているんだろうか。 自分に対する、そして聖霊に対する不信感。 これは、こうなってほしい、という自分の希望(こうなったら良い結果になるはずだという、自分のエゴ的経験値から出した希望)があるから起きる不信感です。聖霊の意志に従うのであれば、どんな結果が出ようと受け入れなければ、従ったことにはなりません。全体を見渡せているのはわたしではなく聖霊です。 しかし、聖霊が差し出した結果があまりにも「自分の希望」とかけ離れているとき、それでもそのまま、自分と聖霊に対する不信感を抱いたまま、その道を進むというのはとても難しいことです。わたしたちの目はもともと見えていないのだから、先なんか見えたって見えなくたって同じだけど、やっぱりどこを歩いてるのかわからなければ不安になります。 もらったメールになんて返事をしようかな、と思いながら、わたしは主人の実家にむかいました。ちょっとカミングアウトになりますが、わたしは数年前から主人の実家との間に問題を抱えています。この問題がなかなか進展しない、「わたしが期待する奇跡」が起きない、つまり「エゴ的希望」がかなえられないと感じていました。そしてここに「わたしが期待する奇跡」が起きないのが聖霊の意志なら、それも仕方がないだろうとも思っていました。 同時期に、わたしは「わたしが期待する奇跡」を体験しました。病院の見解ではほぼ見込みがないと言われていた父が、それこそ奇跡的に回復し、退院後も低空飛行ながらそれなりに元気に暮らしています。 わたしは父も主人の実家の問題も、両方同じように聖霊に託したつもりなのに、なぜ片方には希望通りの奇跡が起きて、片方には起きないんだろう、ということをずっと疑問に思い続けていました。なんとなくわかった、と思う瞬間があっても、すぐになんだか、その理解がしゅーんとしてしまって、腑に落ちてないなあと思うことがたびたび。 主人の実家に着いて、メールの返事と自分の問題とを重ね合わせながら、義母と話をしていました。この問題で一番困っているのは実は義母だと頭では理解していながら、わたしは「この人はなにもわかっていない」と思っている自分に嫌気がさしていました。そうやってわたしは自分と義母を分離させている。 そしてふと「父と義母に対するわたしの思いの違いってなんだろう」と思った時に、「いとおしさ」という言葉が胸に浮かびました。 病床の父を見ているとき、わたしはほんとうに、切ないほど父がいとおしかったのです。権威主義者でみえっぱりで拝金主義者でそのくせいじけやすくてひがみやすくて、そんな父だけれど、それでもその奥に「神の子」としての、「兄弟」としての父を感じていたのだと思います。その結果、父はたまたま回復した。父の回復とわたしが聖霊を通じていやした父のパーツ(つまりわたしと父の共通項)が、たまたまおなじ回線のエゴでつながっていたからでしょう。 そういう気持ちで義母を、主人の実家全体を見られたことがないと、今日、残念ながらわたしは確信しました。わたしは主人と主人の実家の人たちを兄弟だと認めていないんだ。そう思った時に、「わたしがもし、主人や主人の実家の人たちを、心からいとおしいと、この人たちも自分の兄弟だと認めることができたら、それがわたしの、わたしをいやす、わたしのエゴを解体する奇跡なんだ」とようやく腑に落ちた気がします。そのエゴの回線が、主人の実家とのトラブルと同じ回線なら、そのトラブルはホログラフィックに修正され、回復されるかもしれません。その修正の結果がたまたま「わたしが期待する奇跡」とかぶるかもしれません。父のときはそうでした。でも、それは聖霊にしかわからないことです。 とにかく、わたしにとっての奇跡は、自分が愛せない兄弟たちを愛することができるようになること。これすら、いや、これこそ、自分の努力ではなく、聖霊によってなされる奇跡なんだなあと思いました。まず自分の内側に奇跡が起きないと外側に奇跡は絶対起きないし、内側に奇跡が起きれば、外側に奇跡が起きようが起きまいが、どっちでもいい(しばらくはエゴの残留物が苦悶するにしても)んだろうなと、そう思ったのです。 いただいたメールのお返事としてはぜんぜん的外れな気もしますが、でもこういう風に考えることができたのもそういうメールをいただいたからだし、勉強会で午前中からお昼をはさんで、お菓子やお茶と一緒にみんなでいろんなものをテーブルに広げて見てきたからだと思います。そのなかからわたしは、今日の自分に必要な情報をおいしくいただいたんだろうな、だから今日、こんなふうに自分に納得させることができたんだろうな、とおもうと、こんな素敵なお仕事はないなとニンマリするのです。
2010年09月09日
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ルーレットではなくて、ロシアンブルーのお話。そもそも、猫を飼い始めたのは、ロシアンブルーのかわいい子猫がいるよっていう話からでした。猫のなかでも、ロシアンブルーはまさに私のど真ん中ストライク。なんたって、あのツーンとした顔。ほっそりとしなやかな体格。つやつやのブルーグレーの毛皮。うちの奇蹟猫sの一匹、チューダくんは、捨て猫ですがロシアンブルーそっくりです。インターネットの猫の里親サイトで、「うわ、この子、ロシアンブルーそっくり!?」と発見されたチューダ君ですが、兄弟のミラクルくんが縞猫であることからも、由緒正しい雑種であることが確認されています。でも、尻尾や背中によーく見ると縞があったり、目がイエローだったりする以外はとってもロシアンブルー。でもでも一点、決定的にロシアンじゃないところがあるのです。それはチューちゃんが、とんだおしゃべり猫なとこ。ロシアンブルーはボイスレスキャットとか、サイレントキャットとか言われるほど泣き声を立てない、静かな猫といわれています。が、チューちゃん、しゃべるしゃべる。わたしは今日は思い立って朝から模様替えをしているのですが、それをほっぽり出してこんな日記を書いているのは、ちょっとメールチェックのためにパソコンの前に座ったら、チューちゃんがニャーニャー言いながらまつわりついてきたので、ちょっと休憩…、だったりします。ミラくんも一度鳴きだすとよく鳴くけど、四六時中なんだかんだと鳴いているのはチューちゃんのほう。どなたですか?飼い主に似てるなんて言ってるのは?
2010年09月07日
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7月に企画したマイミクのさとさんとのコラボ、オーラソーマとタロット、ご好評につき、9月も登場です! (先日の日記に16日と書きましたが、14日に変更になりました!) 昨日はさとさんの活動のベースである東向島珈琲店で(素敵なお店です~ケーキおいしい)、さとさんのオーラソーマを受けてきました。三か月前にも受けたのですが、前回は「そろそろやらないとね?」というパッションに気づかせてもらい(気づきたくなかったらしい)、今回はぽんぽんの夏休みをはさんで、その間に精神的に準備してきたもの、考えをまとめてきたものを形にしたい時期なんだなということを実感させてもらいました。 さとさんのオーラソーマは、自分の心の状態を色にして見せてくれて、そこからどうしたらいいのかというアドバイスを提示してくれます。昨日受けながら思ったのですが、さとさんとお話している間、自分の選んだボトルをじっと眺めていると、自分をとても穏やかに客観的に眺めることができて、しずかな癒しの時間でした。 さとさんもわたしのタロットを受けてくれたのですが、「ちょっと痛い」というご感想でしたま、さとさんはある意味同業者ですから、意識的にぐいっと突っ込んでみたりもしたんですが(笑)たしかに私のタロットって、受けた後に 「げーっ、そうだったんだ…」 っていうげっそりしたリアクションになる方が多くて…今日うけてくださった方もそうだったかも。もうちょっとソフトにお伝えできるように精進いたします。 お受けいただくのは、オーラソーマだけでもタロットだけでも、両方でもOKです。どちらも1セッション30分、2000円です。 恐れ入りますが、女性およびカップル限定とさせていただきます。さとさんまたはTaoのお友達は、もちろん男性でもOKですよ! お子さん連れOKです! 【日時】9/14(火)の以下の時間から、お選びください 1.11:00~ 2.11:45~ 3.12:30~ 4.13:15~ 5.14:00~ 6.14:45~ 【場所】Tao House(最寄駅、東武伊勢崎線竹ノ塚駅。詳細はお申し込み後メッセいたします)
2010年09月03日
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9/1は防災の日…でもありますが、Tao Houseの開館記念日でもございます。去年の今日、Vijayさんの初来館で幕が上がりました。 ようやく一周年、もう一周年… もっと進みたかったような気もする。 もっとできたんじゃないかとも思う。 牡羊座に火星がいる鉄火な性質のくせに、 わりとやることがトロい。 でもまあ、内側はわりとがんばったかなあ。 「自分が経験したことしか人には伝えられない。 ってことは経験にしたことは伝えられる。 あれもこれも芸の肥やしだよ」 とVijayさんに言われ、Tao Houseを一年運営してみて、 なるほどその通りと納得しております エゴを日常の中に見つけ、見つけたら手放して光に変える。 日々淡々とこれを続けていく。 これは、夢をかなえる、自己実現する、特別な自分になる、 そういうことよりも、なによりも大切なこと。 そして、それがなによりも確実な、平安への道であること。 Tao Houseは、そういうことを、 言葉だけでなく(言葉はバベるから)、 なんというか、こう、場としてのエネルギーで伝えられる 場所に育ってくれるといいなと思っています。 これからもよろしくおねがいしま~す
2010年09月01日
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