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昨夜、寝ているときにいきなり右の頬に激痛がっ…!何事かと目をあけるとぽんぽんが、「あ、ごめん…寝ぼけちゃって」ぽんぽんが思いっきりひっかいたらしい。今朝、鏡をみたら立派なひっかき傷。ぽんぽん、それを見て「母ちゃん、どしたの?」お前じゃ、お前…「あー…(気まずい顔)」ぽんぽんによると夢のなかで猫の集会に参加したそうでそこでケンカになり爪を立てて戦ったそうだ。で、私の頬に傷をつけてくれたらしい。猫好きのぽんぽん。猫の鳴きまねをすると猫が振り向くほど。夢で集会にでるのもとめはしないが、ケンカは止めて(--)
2010年04月29日
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いや… とっくの昔にHPにはアップしていたんですが、 こっちに載せるのすっかり忘れていました タロットの師匠、Vijayさんが6月22日~27日まで、Tao Houseにきてくれることになりました。今回は神の使者の勉強会、瞑想会、タロット中級&初級、そして個人セッションをお願いすることにしています。 タロット中級と初級はすでに定員に達してしまいましたが、瞑想会はまだ数名空きがあります。個人セッションもご予約承り中 Vijayさんのセッションの特徴は、なんといってもエゴ的パターンの現実的で明快な解体にあります。自分は一体何につまづいて同じところをぐるぐるまわっているのか、それが分かるとかなり人生変わってきますよ(^^) 日時等の詳細はこちら。 http://www16.plala.or.jp/taohouse/kantouwa-ku.html お申し込みはメールでもメッセでもOKです。
2010年04月28日
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一昨日、なんだかすっごい楽しそうなことを思いついてしまって、 慎重に聖霊と相談してきめなくちゃ、 と思っているのだけど、 とりあえず楽しいので、まだ聞いてません(笑) ときどき妄想にはまってとんでもない方向に行こうとして、 聖霊にきっぱり止められます。 すごくわくわくしているのですが、 このわくわくの種類を見極める、というか感じ分けるというのが、 私にはわりと難しく感じられるお題です。 つまるところ、 聖霊の声か、エゴの声か、というところですが、 エゴの声にもわりとわくわくしてしまうときがある。 目先の充実感とか、安心感とかで、 エゴ的な私がわくわくしちゃうんですよね。 でもそういうとき、よくよく感じてみると、 媚があったり(認めてもらおうとか、相手のエゴに喜んでもらおうとか)、自分に限界を設定してたり(これくらいなら私にちょうどいいだろう、これくらいならできるだろうとか)あまりに壮大すぎてとっぴんしゃんだったり(聖霊に限界がなくたって、それを受け入れる私の心には段階ってもんがある)、いろいろするわけです。 そういうのをかき分けるためには、 もう、経験、これに尽きるわけで、 このわくわくについていったらどうなったか、 というのをフィードバックさせて身体で覚えるしかありません。 (でもたいていの場合、エゴのわくわくは滑り出しがよくても頓挫します) 今回のわくわくは、 ここ数ヶ月の間にいろいろな支流をみつけて、 それは会話だったり、ワークショップだったり、 テレビだったり、二年前からの伏線だったり、 5年前からの友情だったり、本屋のan-nonだったり、 いろいろしています。 それがなんとなく本流っぽくあつまって来つつある感じなので、 こういうときはわりとヒット率が高い というわけで、もう少しわくわくしながら、 部屋のお片づけでもして、 その後、タロットさん経由で聖霊さんに聞いてみようと思います。 へへへ(…たのし)
2010年04月17日
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「これこそが『私』だ」 と、周りの人に知らしめる、 「自分らしさ」を表現するツール。 それは外見だったり内面だったり、 なにかの能力だったり経験だったりするだろう。 それを使って人は 「私はアナタよりも優れている」 と主張する。 「これこそが『私』だ」 という表現を十分にし尽くしたところに、 「『私』はない」 という経験がある。 そのツールを使う快感をとことん味わいつくし、 自分を表現し尽くした先に、 「私は全体である」という快感がある。 もう要らないと気づいてツールを手放せば、 そのツールは、 「『私』はアナタである」 と伝えるためのツールになる。 手放す覚悟をするとき、 少し悲しいのは、 慣れ親しんだ私が泣くからだろうか。 私は消えるのではなく、溶けるだけなのに。
2010年04月14日
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自分のお部屋をきれいにしようと思い立ち、 お花を一輪、飾ったとしましょうか。 フラワーアレンジメント系 お花を置いたらお部屋がとてもきれいになったので、 お花がもっとほしくなりました。 もっとお花を置いて、もっと置いて、 そうしたらだんだん置く場所がなくなって、 邪魔なものを片付けることにしました。 片付けては花を飾り、飾っては片付け、 いつしか部屋はお花だけで一杯になり、 天国のようなお部屋になりました。 気がつくと、わたしは天国にいました。 生け花系 お花を置いて眺めていたら、 そのお花がもっときれいに見えるように、 邪魔なものを片づけたくなりました。 その一輪のお花がもっと引き立つようにと片付けていたら、 あれもいらなかった、これもいらなかった、 と気づき始め、どんどんお部屋が片付いていきます。 気がついたら、お部屋にはその花しかありませんでした。 そのお花だけを見つめていたら、 気がつくとわたしは天国にいました。 ACIMの考え方は生け花系です。 ホ・オポノポノもそうだと思います。 ACIMとホ・オポノポノは同じではないと、私は思っていますが、 結局どのやりかたでも天国にはいけるんだなあ、というのが最近なんとなく分かってきました。 と同時に、何ヶ国語も操ることが出来る人も、まず充実した母国語のセンスという基盤があってこそ、それが可能だということを考えると、私にとっての母国語はACIMになるだろうと思うので、やっぱりACIMをきちんとやろうね、という気持ちになります。 理屈はともかく…あとは実行
2010年04月13日
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前回「手前味噌作り」 http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1424336608&owner_id=20217577 をお願いしたマイミクのkeikoroboさんのスピマクロ(スピリチュアル+マクロ)お料理教室、5/7(金)に開催決定です! スピリチュアルもマクロビオティックも日常に根付いて継続してこそ意味がある、というコンセプトではじまった「スピマクロ計画」、今回は、 「動物性の主菜がなくたっておいしいごはんは作れるんですよ~」 「乾物って買い置きできて保存も便利だけど、使い方が限られるから飽きちゃうし、和食系の煮ものの味だとお子さんが食べないって方が多いですよね。でも、乾物って和食にしかならないわけじゃないんですよ~」 というkeikoroboさんのお話から、こんなお料理を教えてもらうことになりました。 切り干し大根のアラビアータ ひじきのバルサミコ風味 車麩のマリネソテー 切り干し大根の顔を見ると油揚げと煮てしまう、ひじきは五目煮、車麩は長ネギとあわせて卵とじ…と、わたしの頭の中では調理法がほぼ確定している乾物組、アラビアータって言ったらトマト味だし、ソテーってことはフライパンで焼くのおっ?と、今から興味津々です。 お料理を作った後は試食会 部づきの雑穀米とお味噌汁、お番茶、そしてマクロビオティックのお話やスピリチュアルのお話、たっぷりお付けいたします!どんどん質問してくださいね! 作ったお料理は、あまりたくさんではありませんがお持ち帰りいただけます。ご家族にも味見してもらってください。 お申込みお待ちしてます! ・日時:5/7(金)10:00~13:00 ・料金:3000円 ・メニュー(暫定) ・持ち物:エプロン、お持ち帰り用タッパー3個 (おにぎりが1~2個はいるくらいの大きさで) ※お子さんとご一緒に参加していただいても結構ですが、託児はありません。おもちゃ等は少しご用意してますよ!
2010年04月12日
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ねがはくは花のもとにて春死なむそのきさらぎのもちづきの頃(西行) 何年か前にもこの和歌について日記に書いたことがあって、とってあるかなあと思って探してみたのだけれど、なくなっていた。 とっておけばよかったなと、久々に思った。 満月に煌々と照らされた満開の桜の下、あの世とこの世のあわいで眠るように死にたい…。この歌について、ずっと死に対する耽美な誘惑を歌った歌だと感じていたのだけれど、ちょっと違ったかなと、この年になってようやく思い始めた。 「死なむ」の「む」は「死にたい」という願望をあらわしている。三句切れ、倒置法で強調され、まちがいなくこれがこの和歌の主題だっと主張している。で、この「死にたい」は「花の下で死にたいんだ」という条件に対する願望ではなく、「わたしはこういう風に死にたいんだ」という死に様に対する願望なんだろうなと、ようやく分かりかけてきた気がする。 現代社会はとかく陽にばかり傾いていて(男性中心の社会だったり、夜を排除しようとしたり、元気なことがいいことだったり、ポジティブシンキングがもてはやされたり…)陰は克服すべきことのように扱われている。しかし「よく生きることはよく死ぬことだ」という言葉があるように、生きることと死ぬことは表裏一体、陽と陰、分けることの出来ないひとつのことだ。「死なむ」は「こう生きたい」と同等のレベルで「こう死にたい」という願望を歌っているのだろう。 死を現実からの解放、生に対する結末というふうに捉えると、この歌を最後の幕引きを「満月」「桜」といった舞台で終わらせたい、と劇的に読んでしまうのだけれど、生きることと死ぬことをセットで考えると、「こう生きて、こう死にたい」という淡々とした読み方になる。 死を日常のレベルに引きおろして生きるなんてまだまだ到底出来そうにないけれど、この生が夢ならば死も生も同じ夢の続きなのだと、いつかわたしの心が受け入れるときがくるのだろうかとも思う。 今日、これを書くためにネットサーフィンしていて、西行の桜の歌にこんなものもあるのを知った。桜が夢と現実をつなぐ触媒となる、不思議な歌だ。桜の、あの見ているうちにむくむくと動き出しそうな豊満な咲き方は、有を無に、陽を陰に一瞬にして転換する臨界を感じさせる。だからきっと桜は人の心を惑わすんだろう。 春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり(西行)
2010年04月08日
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敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花(本居宣長)以前もこの和歌について書いたことがあったような気がするけれど、「朝日に匂ふ山桜花」という、これ以上ないすがすがしい美しさを「大和心」という民族の心のあり方にたとえるという、この一民族としてのプライド、これがとても好きでした。もっとも作者の宣長さんは、どちらかといえば、「いやあ、日本人ってこういうすがすがしい花、好きですよね~」くらいの軽いノリで読んだらしいのですが、それが時代背景やらいろいろあって、「これこそ『大和心』だっ!」という解釈をされるようになったらしいです。和歌って文字としての情報量が少ないから、解釈が流動的で、作者の意図を離れてその時代時代の多数決になるあたりが面白いですよね。私の祖母の妹(大叔母っていうのか?)が琵琶の名手だったようで、父がよくこの和歌に琵琶調の節をつけて歌っていました。いつも酔っ払って歌うので、宴会の歌かと思ってましたね。とはいえ、こういった「プライド」も、愛の中に入ってしまうときれいに昇華されてしまうべき性質のもので、いつまでも磨いて眺めていていいものではないのだと、それによって自分と人とを分離させるファクターにしているのだと、そんなことを思いながら、今年の桜を堪能しました…といいたいところですが、今年は体調も天候も悪くて、ぽんぽんと近所の桜をやっとこさ見ただけで、花見らしい花見は出来ませんでした(TT)すべてのものを包含して「有」を飽和させて「無」に落とし込む。無限の陰陽のサイクルにのるのではなくて、「無」になることによって絶対的な「愛」になる。なんかそこんところが、今とても面白いなと思っています。
2010年04月08日
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昔はがっつり肉が出ないとご飯を食べた気がしなかった。 かなり酔うまで飲まないとお酒を飲んだ気もしなかったし、 常時コーヒーを飲んでいないと気がすまなかった。 タバコが手放せないときもあったなあ。 そう思っていたときは、 そうじゃないと生きていけないと思ってたけど、 いつのまにかそういう習慣がなくなってきた。 それと同じように、 24時間、愛100%でいるなんていうのは絶対ムリだと、 今は思っているけど、いつかは、 「そう思い込んでいたときもあったなあ」 って思えるようになるんだろうか。 昔のCMで、 だあれもいないと思っていても、どこかでどこかでエンジェルが~… っていうのがあったけど、 最近は、自分が愛じゃなくなってるなあと思うとき、 この歌が脳裏を掠めて、 「う、やば。見られてるかも(きっと見られてる)」 と思う。 そして最近、 「もっと愛に近くなりたい」と思うことが大事なんだ、 そうなるために無理やり生活習慣を変えたり、 食べるものを変えたりしても続かない、 「愛に近くなりたいよう~」 というラブコールを送ると、 自然にそういう心に対応する身体になるように 習慣も変わってくるんだなと、いう経験をしました。 どうしても動かなかった左の腎臓の上部の痛みが 少しずつとれかかってきました。 ここ数日の不調はどう考えても季節の風邪ではなく、 古いものが動き出したような変な風邪でしたから、 きっとこのためだったんでしょう。 そしたら今日、Vijayさんとお話している間に、 これまで漠然としていた母に対する投影が、 きれいに整理されて目の前に差し出されました。 なるほど、こうやってほどけていくんだ、と、 とてもしみじみと納得した今日でした。 こうやってすこしずつ、 四六時中も愛していられる人になれるのかしら。 そうしたら、エンジェルの目におびえなくてすむかも。 びくびく。
2010年04月08日
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三月のスピお茶会、私の体調やらなにやらで中止してしまいましたごめんなさい。 四月からしばらく、おしゃべり会を毎週水曜日に固定してみようかなと思いました。時間は10:00~12:00です。 前日までにメールでお申込みください。 当日でも大丈夫かもしれないので、「いこうかな」と思ったらメールか電話してみてね。 先日お友達から、出産関係やアロマセラピーに関する本が何冊か入りました。なかなかいい本もありますので、見に来てください。 自然育児友の会のバックナンバーもたくさんあります。 こちらは無料で差し上げます(^^)わたしもただで寄付してもらったので。 本当はね、喫茶店みたいなお店にして、予約しないでもふらっと来てもらって、お茶飲んでおしゃべりして、本読んで…っていうのが理想なんだけどね。そして必要なときにはセッションもボディーワークもやれるような。 ま、どうなっていくかは、神の味噌汁…(笑)
2010年04月02日
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