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この日は3か月に1度の病院での定期診察があって大体いつも長い診察待ちがあるので昼食は病院内になると思ったので、独り暮らしで台所での炊事にも慣れて来て食費の節約にもなるので人生で初の弁当を作ろうと思い立って前日に100均で弁当箱と箸を買ってスーパーでフライポテトも買って置いたのである。先ずは卵を2個お碗に割って出汁の粉末を少々入れて卵を搔き混ぜて小型のフライパンで焼いて出汁巻きが出来上がった。次に前日にスーパーで買って置いたフライポテトを皿に移してラップで包んで電子レンジで温めて先に焼き上がった出汁巻きと共に弁当箱に詰めて行く。そして最後に雑穀入りで炊いてあったご飯をおにぎりの型に詰めて俵むすび状にして弁当箱に詰め込んだ。最近ご飯を炊く際には雑穀を混ぜ入れて炊く様にしているがこれはついつい野菜不足になりがちな為に少しでも栄養不足を解消しようと思って雑穀入りでご飯を炊く様になったのである。野菜の他にも魚も食べる機会が無いのをどうにかしようと思い出した時にはブリの切り身を買って来て従姉妹にタレの調合を教えて貰ってブリの照り焼きも作ったりで苦闘中である。出来上がった弁当をポリ袋に入れて箸箱と振りかけと味付け海苔を入れて用意完了となって病院に向かって診察を終えて病院内のテーブルのスペースに腰を下ろして持参の手作り弁当を食す。おかずの具が少なくて見栄えのしない弁当だったが男50半ばにして人生初の手作り弁当はまずまずの出来であった。「まさかこういう形で50半ばになって自分で弁当を作る事になるとは思わんかったけど、たまには手間暇かけて弁当を自分で作るのも悪くは無いもんやな。」
2018年01月18日
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今でも鮮明に覚えているあの時の恐怖の瞬間は決して記憶から忘れる事は出来ないしもうああいう惨事が起きる事の無い様にと祈るばかりである。連休明けの早朝に襲ってきた未曽有の大地震でそれまでの平穏だった生活が叩き潰されて一瞬で先の見えない途方に暮れるどん底の避難所生活を余儀なくさせられた。(当時の詳細はTOPページの阪神淡路大震災、あの日あの時。をCLICK!)あれから23年の歳月が経つ間に被災当時はまだ我が家は不幸中の幸いで身内や知り合いに犠牲者は出なかったが、日韓共催のサッカーワールドカップの開催された年の2月の終わりに小学校からの一番の親友が駅で倒れて脳幹出血で逝ってから、半年後には母が熱中症で逝きその後も叔父夫婦や田舎の101歳の祖母という具合に次々と近しい人々との悲しい別れがあって、一昨年の暮れには自分自身の手術入院の最中に長年支えてくれた父も亡くなり自分は独りになった。しかしここの楽天でホームページを開設してブログを始めてから多くの仲間の人達との出会いがあり、中でもJリーグのヴィッセル神戸の応援が縁で知り合えたヴィッセル神戸のサポーターの皆さんとの出会いは孤独感に陥りそうだった自分に光をくれた存在である。震災当時にこの世に生を受けて生まれた子供達が今では成人式も終えて大学を卒業して社会人となっている現実に時の過ぎる早さを感じる。あれから以降も関東や東北くの東日本や北信越や福岡・熊本等で被災に遭った方々が後を絶たないけどもうああいう大災害は懲り懲りである。「もうあれから23年経ってあの頃生まれた子供達が大学を出て社会人になってるんか、月日の過ぎるのは早いというけどこの23年の間に多くの別れがあったのは寂しいなぁ。」
2018年01月17日
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