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おそまきながら、BSテレ東「最果てから、徒歩5分」の最終回。ずっとTverで見ていました。◇ドラマとしての力強さにはやや欠けたけど、なかなか面白い話ではあったのよね。見始めて、すぐに思い出したのは、2005年の映画「メゾン・ド・ヒミコ」でした。あれは、心に傷を負ったヒロインが、老人ホームのゲイとの交流で癒されていく物語。そのほかにも、高嶋政伸の「ホテル」とか、竹内結子の「ランチの女王」とか、「マイリトルシェフ」とか「崖っぷちホテル」とか、ホテルやレストランが心のオアシスになって、悩める人々の傷を癒していく…みたいなドラマはたくさんあるから、その意味では、かなり既視感があって、日本のドラマとしては類型的な物語なのだけど、今回のお話で面白かったのは、オーベルジュを運営している4人それぞれが、ひそかに知られざる罪を抱えていたこと。◇母との確執。絵を描くことへの夢。推しのアイドルに対して抱く幻想。妹への嫉妬と嘘。他人の幻想を演じることの矛盾。自分を育てた男を愛した少女。少女の母を愛してしまった男。後輩の苦しみに気づけず死なせてしまった青年。最後は、自分たちが救ったお客さんによって自分たちが救われ、4人で一緒に「最果て」から戻ってくる。そして、たとえ憎まれながらであっても、許されない人生を生きていくことを決める。そういう物語です。◇それぞれのエピソードをもっと深めれば、かなり手応えのあるドラマになったと思うけど、表層をなぞっただけで、ちょっと掘り下げが弱く、十分に説得力のある話になってなかったのが残念。全体的にゆるい印象のまま、ドラマの力強さには結びついていませんでした。原作の問題もあるだろうけど、やっぱり脚本の掘り下げが足りないと思う。全8話の長編ドラマなのだから、せめて後半部分は4人のエピソードだけに絞って、それぞれの話をもっと掘り下げることができたはず。◇夕雨子がギルダに雇われたのはいいとして、なぜ妹の名前を名乗る必要があったのか分からないし、出所した妹のその後の人生がどうなったかも分からなかった。一人二役だから無理だったのだろうけど、本来なら、姉妹の再会シーンも見せるべきだったと思う。…でも、まあ、プロット自体は面白いと思うので、別の演出があれば、リメイクで見てみたいと感じました。岡田結実は、カムカムの女中さんにしても、今回の赤毛の役にしても、意外に影のある役がハマってます。沙良役の加藤小夏という人は、鎌倉殿の実朝の正室だったのね。
2022.12.20
日テレ「ファーストペンギン」が終了。す・ご・か・っ・た・・・。素晴らしい脚本。いったい、どこまでが実話だったんでしょうか??◇スッくんの最後のモノローグ。≫これは母と漁師たちの終わらない物語だ…つまり、これは実話としても、まだ終わっていないんでしょうね。きっと森下佳子は、実話以上の物語を書いたのだと思う。先々週ぐらいまでは、ずっとヒロインのほうが正しくて、漁師たちや漁協のほうが間違っていた。しかし、最後は、その立場が逆転してしまう。漁師たちの直感のほうが正しくて、ヒロインのほうが選択を間違えていた…ってこと。波佐間という男が企んでいたのは、海外資本による経済侵略であり、それは詐欺まがいの脱法行為だった。…でも、波佐間には波佐間なりの信念があったように見えます。◇わたし自身、基本的には国の方針が正しいのかなと思いつつ、一方で「漁協の言い分もわかる」という気持ちがありました。漁業の自由化を進めていけば、最終的には国防の問題にまで発展しかねない。お魚ボックスを売るだけの話が、そこまで大きな政治問題に繋がってしまうのですよね。それと同じことは、漁業だけでなく、農業や林業にも言えるのでしょう。自由主義を取るのか。保護主義を取るのか。上から変えるべきなのか。下から変えるべきなのか。外から変えるべきなのか。何が正しいのか、どうすべきなのか分からなくなってくる。そんな脚本のダイナミズムを感じさせました。◇国と、海外資本と、地元マフィアの、いわば三つどもえの闘争があり、ある意味では「マフィアが国を守ってる」みたいな実態もある。地元マフィアは、ヤクザの組員まで送り込んで、殺人まがいのことを仕掛けてきたけれど、それを刑事事件として処理すれば話が終わるわけじゃない。結局、これって、社会の構造そのものを変えなければ終わらないのです。渡辺あやの「エルピス」もかなり政治的だけど、それに劣らぬほど政治的なドラマでした。野木亜紀子の以下のツイートを見ても、本作が現在進行形の闘争の物語だったことが分かる。ファーストペンギンは食われる存在。理不尽な権力者に土下座して身を差し出さないと誰も前に進めない。現実は未だここ。ドラマっぽい明るさを保持しつつもシビアな話だった。#ファーストペンギン— 野木亜紀子@WOWOWフェンス (@nog_ak) December 7, 2022森下佳子はすごいドラマを書いたなー…。TBSの一連の作品とはまったく違う題材でありながら、脚本の完成度はむしろTBSの作品よりも高かったと思う。なお、Tverでは、18年前に森下佳子が書いた「セカチュー」が配信されてます。もともと硬派な脚本家ではあるけれど、今回は、恋愛の要素がほぼないに等しく、ひたすら政治的な作品だったといっていい。ふつうに二股かける女が出てきたりして、恋愛の描写はかなりドライだったとも言えます。つまり、ベタな恋愛要素を絡めなくても、これだけ面白いドラマができるってこと。ほかの脚本家は見習ってほしいし、こうした内容についてきちんと語れる評論家も増えてほしい。◇日テレのドラマとしては、去年の「ハコヅメ」に次ぐヒットです。演出は、あくまでオーソドックスなスタイルで、日テレらしいスタイリッシュな作風ではなかったけど、この作品にかんしては、むしろそれでよかった。キャスティングの面でも、従来とはまったく違ったキャラで俳優を起用してるのがすごかった!— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 17, 2022 — まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 17, 2022 — まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 17, 2022このカップルも素敵でしたね(*^^*)
2022.12.08
ドラマ「silent」第8話。なるほどねー。今回も重要な内容だった。◇男子が女子に気を遣ったり、母が息子に気を遣ったり、健常者が身障者に気を遣ったり…そういうことが、やたらにまどろっこしいドラマだと感じてはいたけれど、今回は、その「気を遣う」ということがテーマになっていた。実際、健常者どうしならば気を遣わなくても済むし、身障者どうしならば気を遣わなくても済むのに、ひとたび健常者と身障者が向き合うと、どうしても、たがいに気を遣わずにはいられない。そういう問題を、どう乗り越えたらいいのか。とりわけ身障者の恋愛を描くうえで、このことは大きなテーマになってくるのですね。まあ、日本人の場合は、健常者どうしでさえ、たがいに気を遣ったり忖度したりする民族なので、身障者に対してはなおさらなんだけど(笑)。そうそう簡単に答えが出せる問題じゃありませんが、今回のドラマが示したひとつの答えは、結局「自分のために行動するのがもっとも誠実だ」ってこと。…たとえば、紬(川口春奈)が手話を覚えたのは、ただ想(目黒蓮)と話したかったからだし、一緒にいるのも、ただそうしたいからだよね、って話。…たとえば、入院した夫を見舞うのは、相手のためじゃなくて自分のためだよね、って話。…たとえば、春尾(風間俊介)が健常者の立場で身障者に示した気遣いよりも、奈々(夏帆)にとっては、ひとりの男性として向き合ってくれてた姿のほうが、よっぽど誠実だったのよね、って話。 誰しも、他人のことは心配するけれど、他人から心配されるのは重荷になって鬱陶しい。相手への気遣いや忖度は、ときとして不誠実であり、むしろ自分のために行動するほうがよほど誠実だってこと。「相手のためじゃなく自分のため」というほうが、ほんとうは相手のためにもなってるんだ、ってこと。日本人は、ややもするとタテマエを重視しがちな民族だけど、タテマエや忖度だけで向き合うのはむしろ失礼であって、やはりホンネを示すことのほうが大事なのだし、それこそが相手に対する本当の礼儀なのかもしれません。◇一方、中途失聴者の想が、「なぜ声で話さないのか」についても、本人からの答えが示されました。>声が出せないわけじゃない。>でも、自分に聞こえないから、誰にも届かない感じがする。>自分で感じ取れないことが、すごく怖い。>いちど声で話すと、>その先ずっと声で話さないと悪い気がする。>聞こえる人は声で聞くほうが楽だって分かってるから、それが辛い。 相手は自分の声を聞いているのに、自分にはそれが聞こえていないという不安。同じ言語を相手と共有できていないことの不安。やはり手話のほうが、同じ言語を共有できている実感があるのですね。◇今回の内容を見ると、この脚本家が、ありえないほどに繊細な機微まですくいあげて、物語のなかに落とし込んでいるのが分かります。あらためて、これだけ難しいテーマを、これだけの集中力を要するドラマ表現のなかで描き、これだけの数字で成功しているのは、なかなかスゴいことだなあと思う。ただ、次回のしんどそうな内容にも、視聴者が耐えられるかどうかは注目すべきところです。シビアな内容になると、かならず難癖をつけて脱落する人たちが現れますから。なお、今回は森口瑤子が出演してましたが、同じヤングシナリオ大賞の坂元裕二の妻が、この作品に参加していることの意味を感じます。さらに、Tverでは、このドラマの先行作品ともいえる、27年前の「愛していると言ってくれ」が配信されてるようです。そして、今日は、ヒゲダンがFNS歌謡祭でテーマ曲を歌うらしい。
2022.12.07
舞いあがれ!第9週。脚本家が交代したことによって、「#舞いあがれ反省会」が活性化するのかと思いきや、それほど過剰な反応は起きていません。むしろ、前作の「ちむどん」のベタなコメディを叩いていた人たちが、なぜか「舞いあがれ」のベタなツンデレには満足してるらしい(笑)。結局、SNSの視聴者が求めてるのは、繊細で複雑なドラマなんぞではなく、たんに「分かりやすい共感」でしかない、ってことですね…。◇逆に、これから後に懸念されるのは、桑原亮子が脚本に復帰してシビアな展開になったときに、かえってSNS全体に「共感できない!」の嵐が吹き荒れ、はげしいバッシングや炎上が起こるかもしれない…ってこと。実際、兄の投資事業とか、父の巨大工場新設とか、岩倉家の「転落フラグ」が立ってしまってるわけだし、桑原亮子が脚本に復帰したあとに、かなり苛酷な展開が待っている可能性は高い。そして、たんに「分かりやすい共感」だけを求めてる視聴者たちは、そういう苛酷な展開を受けつけない可能性が高い。もしも、桑原亮子の脚本がバッシングされる事態になれば、朝ドラは、本格的に、SNSの求める「分かりやすい共感」の範囲内でしか、物語を作れなくなってしまうかもしれません。そうなったら、それは脚本家や制作者にとって悪夢でしかないのだけれど、例によってバカな評論家たちは、ただSNSの世論に追随するばかりで、そうした事態に対して何らの批評性も発揮できそうにありません。◇いまのところ、このたびの脚本家の変更は、さほど悪い結果になってはいませんが、どこにもツッコミどころがないわけじゃありません。最初にも書いたとおり、ツンデレや三角関係をにおわせるような恋愛展開は、あまりにもベタすぎるんじゃないか?…ってのもあるし、たとえば、冷酷な鬼教官という触れ込みだった吉川晃司は、上っ面は『下町ロケット』のキャラを借りているものの、すくなくとも、このドラマでの言動を見るかぎり、どこにも「鬼」と呼ばれるような要素などないし、むしろ温情に厚い教官というべきなんじゃないの?…って気もする。それから、(専門的なことは分かりませんが)方向音痴なパイロットが、北海道の局所的な地形だけを丸暗記しても、それだけじゃ本質的な解決にならないんじゃないの?…ってのもある。そういうツッコミどころが、現状のSNSで許容されていることの疑念もありますが、それ以上に、わたしが引っかかってるのは、兄の投資業に対するあからさまな「偏見」の描写です。◇投資業を批判的に描くのは別にいいと思うけど、それは、あくまで、具体的な業態の中身を描いてからにすべきであって、たんに「投資」と聞いただけで、すべての人物が反射的に眉をひそめてしまうってのは、いくらなんでも職業差別の度が過ぎるし、そういう描写をドラマの「お約束」にしてはいけません。そもそも、兄の投資業だけがヤクザな商売であり、妹の目指してるパイロットとか、父が事業拡大を目指してるネジ作りが、それほどカタギな商売なのかというと、べつにそんなことはないと思います。◇いや、もしかすると、兄が投資業で失敗しそうに見えるのは、あくまでもミスリード的な「フラグ」であって、実際に転落するのは父だけってパターンもありえますけどね。わたし自身、そのほうが面白いと思ってる。父の事業よりも、兄の事業のほうがずっと堅実で安定していた…ってオチなら、それはかなり斬新なドラマになるかもしれません(笑)。現実に、父のようなカタギの商売が、兄のようなヤクザな商売によって救われる、ってことも、ありえない話ではない。金のビリケン宇宙人が、その伏線だったりして??まあ、そんなことになったら、SNSは、またぞろ「共感できない!」と言って荒れるでしょうが。
2022.12.04
城塚翡翠の後編です。てっきり倒叙というからには、これまでの内容を裏側から語り直すのかと思いましたが、そうではなくて、相沢沙呼の『倒叙集』なる原作の映像化なのですね。※ちなみに相沢沙呼って女性かと思ったら男性だそうです。つまり、最初に犯人をネタバレしてから、そのトリックをさかのぼって解き明かしていくという、いわば「コロンボ型」の推理ドラマってこと。なので、ここからは翡翠と真ちゃんの女子バディに変わり、変態シスコン野郎だった瀬戸くんは退場! (T_T)/~~…と思ったら、次回は特別編だそうで、また変態シスコン野郎の瀬戸くんが復活するかも(笑)。◇真ちゃんは、冒頭から、変なデザインのTシャツを着て、ソファに寝そべってアイス食ってるし、今までのキャラとは全然ちがいます。映像は相変わらず綺麗ですが、メタリックでダークな色彩から、パステルカラーの明るい色調が多くなった気がする。◇なぜインチキ霊媒で稼いでいたはずの2人が、犯罪捜査に首を突っ込んでるのかは分からない。たんなる趣味?金持ちの暇つぶし?しかも、わざわざ犯人のアパートの隣の部屋を借りて、霊媒&ハニートラップみたいなことをしたり、真ちゃんが喫茶店のウェイトレスをやったりと、ずいぶんと手間や費用が掛かっています。なお、「叔父は警視なんです」との翡翠のセリフがあり、真ちゃんは警視庁の報告書みたいなものを書いています。その一方で、「また警察庁に利用されてんだろ」との鐘場のセリフもあり、鐘場は警視から警部補に降格したものの、どうやら翡翠のおかげで捜査一課に戻れたようです。※ちなみに警察庁は、警視庁よりも上の組織です。翡翠と真ちゃんは、いったい何者なんでしょうか?◇前編とのギャップという点では、かなり斬新で面白かったのですが、…肝心の推理ドラマの中身は、正直それほど面白いわけでもなく、アリバイのトリックや真相解明の方法もショボいし、犯行動機の掘り下げも物足りないし、人生の過ちとプログラムのバグを重ね合わせるあたりも、取ってつけたような話としか感じませんでした。社長のマンションの鍵が、会社の机の引き出しにあるのも不可解だった。※追記:原作を読むと理由が分かるらしいです…。最後に、翡翠が、これから殺人罪で服役する男にむかって、女性との付き合い方とか、経験の重ね方とかを助言したりするのも変な感じ。冒頭では、真ちゃんがアイスを食べてしまったことを、翡翠が推理で見破るくだりがありましたが、わざわざ、「溶けたアイスがテーブルについていた」とか、「冷蔵庫のアイスが手の体温で少し溶けていた」とか、そんな推理をしなくても、アイスの蓋に名前が書いてないんだから一目瞭然でしょ。※追記:見直してみたら、ちゃんと蓋付け替えてました…。訂正してお詫びします!まあ、物語の出来はともかく、せっかく日テレが凝った作品に挑戦してるのだし、それをひきつづき楽しむことにします。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 21, 2022
2022.11.27
フジ木曜劇場「silent」。やはり今週も奈々(夏帆)のパートがメインでした。紬(川口春奈)をめぐる三角関係の恋愛のネタは、もはやどうでもいい感じ(笑)。つーか、個人的にもなんら興味がない…。むしろ、今後の重要なポイントは、紬と奈々とのシスターフッド的な関係ですね。そして、もうひとつ重要なのは、なぜ手話教室の春尾(風間俊介)が、聴者であるにもかかわらず、手話を学ぶことになったのか、という話でしょう。この2点が物語の焦点になっていくはずです。…先週は、ろう者は、好きな人の声を聴くことも出来ないし、両手を使って手話をするから、恋人同士になっても、手を繋いだり、おしゃれなバッグを持ったりすることさえ出来ない。みたいな話でしたが、…今週は、手話だからこそ、伝えようとする人の気持ちが、まっすぐに自分にだけ飛んでくる尊さがある。わたしは手話で話すことが出来て満足。という奈々の気づきが描かれていました。手話をネガティブに語った心境を乗り越えて、今週は、手話をポジティブにとらえなおす内容。実際、このドラマの手話を見ていると、けっこう単語を覚えられたりもするし、手話の魅力を視聴者にまで伝えてくる力があります。最後は、手話で会話してたのに、おもわず図書館で笑い声をあげてしまって、子供に注意されてしまう、という微笑ましいオチ。◇一方、中途失聴者の想(目黒蓮)が、「なぜ声で話さないのか」ってことが、このドラマのひとつの前提であり、それが考察のネタにもなってるわけですが、今回も、その謎の「答え」は先送りされたまま。なにやら、湊斗(鈴鹿央士)といい、紬といい、想に聴くこと自体をためらったりして、(過保護な母親もそうですが)妙に気を遣いすぎてるところがまどろっこしい!はたして、この謎に、そこまで引っ張るほどの「答え」が用意されているのか、正直、疑わしい気もします。◇SNSなどを見ると、「本人が答えたくないことを聞くのは無神経」みたいな意見もあるけれど、べつに聞くだけなら罪じゃないでしょ(笑)答えたくないなら、本人がそう言えばいいだけの話であって、障害者だからと言って、わざわざ聞く前から先回りして気を遣う必要はない。例の「ちむどん反省会」のときもそうでしたが、相手を慮って忖度することが正義であるかのような風潮が、しばしばSNSで支配的になるのは、とても気持ちが悪いです。まあ、日本人って、世代が代わっても、永久にそういう民族なのでしょうねえ。…なお、「てんとう虫が壮大な伏線」との記事もありましたが、いまのところ、とくに壮大って感じはしません(笑)。この詩集も関係あります?
2022.11.24
ファーストペンギン!今夜は第8話。かなり凄い内容になってます…。当初は、ただ「お魚ボックスを売る」というだけの話で、はたして10話分のドラマになるの?と、ちょっと懸念してたけど、…とんでもなかった。これだけいろんなことが起こるのですねえ。商売の問題だけじゃなく、家族の問題があって、後継者の問題があって、地元社会の問題があって、さらには、ものすごく政治的な問題も絡んでくる。じつによく取材された骨太な脚本です。◇梅沢富美男が、漁協の組合長を演じています。いまもなお、漁協関係者がこのドラマを見たら、きっと梅沢富美男のセリフに頷くんじゃないかなあ。かなりリアルです。彼が守ろうとしているのは、もちつもたれつで成り立ってきた既存の仕組み。さらに第7話では、地元のドンみたいな元政治家が出てきて、殺人みたいなことまで仕掛けてきました。既得権益を守るためには手段を選ばないのですね。◇既存の仕組みを変えようと思ったら、これだけ色々なことが起こるんだろうな。漁協だけでなく、農協とか、医師会とか、スポーツ協会とか、あらゆる団体について同じような事がいえるのでしょう。つまり、足を引っ張っているのは、古い体質に縛られたローカルな社会や組織であり、そこに根差してきたポピュリズム政治ってこと。いわばマフィア的な仕組みになっているのですね。そのような構造が、じつによく見えてくる脚本です。◇これまでにも、NHKの朝ドラとか、TBSの日曜劇場で、経済人のサクセスストーリーが作られることはあったし、最近だと、TBSの「ユニコーンに乗って」みたいに、(たんなるOLのお仕事ドラマじゃなく)女性経営者のドラマも作られるようになってますが、この「ファーストペンギン!」の場合は、ただの経済人のサクセスストーリーじゃない。日本の社会構造まであぶりだす政治的な内容です。フジテレビの長澤まさみの「エルピス」も、かなり政治的なテーマに突っ込んでますけど、このドラマも、じつは非常に政治的な作品なのですよね。◇こういう骨太な脚本は、やっぱり森下佳子の手腕によるところが大きい。彼女がTBSで、綾瀬はるかのために書いた一連の作品も、ほとんどが硬派な内容ばかりだった。意外に恋愛ドラマは少なかったのです。もしかしたら、今後、森下佳子は、日テレの奈緒でドラマを書いていくつもりなのかも。
2022.11.23
おとといの記事にも書いたけど、朝ドラ「舞いあがれ!」の脚本家が交代しました。かなり作風が変わりましたね。「ベタなコメディになった」「ちむどん的になった」と言われれば、たしかにそうです。これはこれで切り換えて、楽しめなくもないとは思うけど、切り換えられない人もたくさんいるでしょうね。NHKが、視聴者にむかって、「脚本家が変わったので皆さんも切り替えてください」…ってわけにもいかんだろうし(笑)。これはちょっと批判されてもしょうがないかな。◇一般に、複数の脚本家による共同執筆はあっていいと思いますが、ともに議論を重ねながら作品を練り上げていくのと、ただバトンリレーのようにして話を繋いでいくのとでは、まったく意味が違います。今回の交代は、桑原亮子側の事情によるものなのか、それとも、外的な判断によるものなのか。つまり、脚本家自身が、航空学校の取材まで追いつかなくなったのか。あるいは、あまりに困難なテーマを抱えすぎて、物語が書けなくなってしまったのか。それとも、物語がシビアになりすぎるのを畏れて、NHKの外部や上層部から横槍が入ったのでしょうか?◇かりに、このまま、序盤で提示したテーマが放棄されてしまうとすれば、それは作品自体を捨てるのも同然。とりあえず《航空学校編》や《パイロット編》などは、後続の脚本家に任せて、この路線でいくとしても、せめて岩倉家の物語や、久留美と貴司の物語については、このまま中途半端にせず、きちんと桑原涼子が復帰して書くべきだろうと思います。たとえシビアな内容になるとしても、わたしはそれを見たいです。
2022.11.23
朝ドラ「舞いあがれ!」。第7週は、けっこう大事な内容でした。◇たまたま先週も同じことを書いたのだけど、この脚本家は、過去の作品を見るかぎり、あまりに真面目すぎて、ドラマ内では解決しえない難しいテーマに取り組んで、七転八倒した挙句、伏線の回収もままならずに、破綻しかねないような物語を書いてしまう人だと思う。今回の朝ドラは、わりと序盤までは滑らかに推移してきたわけですが、第7週の内容には、この脚本家の特質が現れはじめている。やっぱり、かなり困難なテーマに向き合おうとしています。その結果、さまざまなリスクを孕んでいるように見える。今回の脚本が3人体制になったのも、きっとそのことに関係があるんじゃないかと推察します。◇親が「子供を思いやる」というのは、なるべく子供が失敗しないように先回りして心配する…みたいなことなのだけれど、その反対に、親が「子供の自主性を尊重する」ってのは、早い話、子供が失敗することも覚悟する…ってことですよね。そこまでを覚悟しなければ、ほんとうの意味で子供の自主性を尊重することはできない。◇さすがに、今回の朝ドラでは、ヒロイン自身の人生が失敗することはないと思いますが、…ヒロイン以外の人物にかんしては、そのかぎりではない。たとえば、看護師になる久留美の人生は厳しいものになるかもしれません。貴司の人生も救われないまま彷徨いつづけるかもしれません。ヒロインの兄の人生も、どこかで転落するかもしれません。久留美の両親の人生も、最後まで救われないまま終わるかもしれませんし、古本屋の人生も、一般的な意味での成功とは無縁なまま、よりいっそうシビアなものになるかもしれない。この物語の題材には、そういうリスクがあります。◇五島を捨てて駆け落ちしてきた母の人生は、いまのところは上手くいっていますが、はたして父の事業が今後も順調に行くとはかぎらない。どこかで惨憺たる失敗や転落をするかもしれません。そうなれば、祖母に逆らって故郷を捨ててきた母の選択は、結果的に間違っていた…ということにもなります。この物語には、そういうリスクがある。親の判断がつねに正しいわけではないけれど、かならずしも子供の判断が正しいわけでもない。そこに普遍的な《正解》などありえません。どの選択が正しいかなんて、そんなことは誰にも分からない。◇わたしは、今回のドラマが、そのような困難なテーマを選んだ結果、伏線を回収できないまま破綻する危険性もあると思います。すべての人物を救いきれないままに終わるかもしれない。しかし、かりにそうなるとしても、それをただちに「作品の失敗」だと断じるつもりはない。むしろ、そのくらいの覚悟をもって、あえて困難なテーマにいどむ姿勢のほうが正しいと思う。すべての登場人物に救いを与えることが、かならずしもドラマの成功を意味するわけではありません。◇この物語が「サクセスストーリー」だと信じている視聴者にとっては、失敗に終わる人生など受け入れがたいに違いありませんが、それはあくまで視聴者の側のキャパの問題であって、朝ドラの脚本家に課せられた仕事とは、べつに視聴者のキャパの範囲内に収めることではないし、必要があれば、むしろそれを超えていかなければならない。例の「ちむどんどん反省会」の結果、SNSの評判こそが絶対的正義と勘違いした視聴者も多いけれど、もし本当にそうなら、朝ドラはたんなる「視聴率主義」に陥らざるをえません。視聴者のキャパを超えないように、物語を穏便に丸く収めるだけの脚本を書いてたら、いつまでたっても予定調和的なフィクションしか出来なくなる。◇かりに、脚本家自身の選んだテーマが、ドラマのなかでは解決しえないほどに困難なものなら、たとえ多くの視聴者にとって、それが受け入れがたい展開に終始して、はげしい賛否両論やSNSの炎上を巻き起こすとしても、仕方のないことですよね。あくまでも脚本家は、偽りなく、選んだテーマを突き詰めていくしかないと思います。第7週を見るかぎり、この物語には、そういうリスクがあると感じました。追記:第8週から脚本家が嶋田うれ葉に代わりました。今後、桑原亮子が復帰するのかどうか分かりませんが、序盤で提示したテーマがあっさり放棄される可能性もあります。だとすれば、そっちほうがはるかに「作品の失敗」だと思う。テーマを突き詰めたすえに破綻するのならともかく、テーマを安易に放棄するのは、作品そのものを捨てるのに等しい。とくに久留美や貴司の物語については、このまま中途半端にせず、きちんと桑原涼子が復帰して書くべきだと思います。
2022.11.21
城塚翡翠の前編が終わりました。大どんでん返し!すっかり騙された。翡翠の人格が豹変しました。霊媒というのはインチキで、じつは香月よりも論理的な名探偵だった…というオチ。逆に、香月のほうが、「ボクが信じるの論理だけ」というセリフとは逆に、降霊やら死後の世界やらを信じるオカルト野郎だった(笑)。そして、その本性は、若い女性に不条理な怒りをぶつけ、気持ちの悪い歪んだ性欲を発散させてるだけの、勘違いで最低下劣な変態シスコン野郎でした。翡翠と香月の寸止めの恋愛も、キスシーンも、すべて演技だったのですね。◇来週からは倒叙編。きっと「倒叙」というからには、これまでのすべての出来事を、翡翠の視点(あるいは真ちゃんの視点)から、語り直していくのかなあと思うのだけど、予告編を見たら、まったく新しい物語が始まるようでもある。??!実際、これまでの5話分の出来事については、みんな翡翠が語り終えてしまったわけだから、もはや「倒叙」するようなことは何も残っていない。だとしたら、次回からはいったい何を「倒叙」するのでしょう??◇次回以降の話がどうなるのか分からないけど、ドラマの後編をまるごと「倒叙」に当てるってのも、なかなか面白いやり方だとは思う。推理ドラマファンとしても、そのほうが納得感があるし。シナリオを作る側からしても、細かい辻褄をすべて合わせなきゃいけないから、デタラメな脚本を書くことができなくなりますよね。演出する側からいうと、ほとんどの映像を使い回しながら、編集とナレーションだけをやり直せばいいので、制作予算を大幅に節約できる…ってメリットもある。※わたしは以前、別のドラマでもそんなことを書いた記憶があるんだけど、何のドラマだったか忘れてしまった。正直にいうと、わたしは、翡翠の話を聞いてもまだ、ほんとうに「すべてが伏線」になっていたか、ほんとうに「整合的な脚本」になっていたか、十分に納得しきれていないところもあり、香月と同じく、まだちょっと混乱しています。まあ、このドラマは映像がとても美しかったので、かりに次回からの倒叙編が、大部分の映像を使い回すことになるとしても、ほとんど不満はないだろうと思います。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 15, 2022
2022.11.18
フジ木曜劇場「silent」。今夜は第7話が放送されますが、第6話の《音のない世界は悲しい世界じゃない》を見ました。正直なところ、あまり乗り切れずにいたドラマでしたが、第6話の終盤部分はすごかった。ここまでテレビドラマで号泣したのは何年かぶり。今回の終盤15分ほどの内容だけで、のちのちまで「名作」と言われ続けるドラマになったなあ…と思います。◇先々週の第5話で、湊斗(鈴鹿央士)が自分から身を引き、主演の2人がヨリを戻したのを見たとき、え??この話って、もう終わりじゃない?このあとやることあります??と思ったんだけど、そうじゃなかったですね…。この第6話が、いちばん重要だった。ある意味、それまでの話は、第6話のための前フリだったとさえ思う(笑)。最後に奈々が泣くシーンを見て、ヒゲダンのテーマ曲がようやく耳に残るようになりました。◇夏帆が演じる奈々。彼女は、たんなる脇役じゃなくて、もしかしたら、物語でいちばん重要な存在なのかも。そして、夏帆のキャスティングがじつに絶妙なのだなと分かった。このドラマは、ほんとうは奈々が主役じゃないかな、とさえ思う。たしかに紬(川口春奈)は、太陽のように明るくて前向きな主人公だけど、ドラマの主役としては、あまりにも屈託がなさすぎて、それほど面白いキャラではないのよね。むしろ、奈々の悲しみを際立たせるためのポジションなのでは?◇奈々が紬にあてつけた、「プレゼントを使い回されたような気持ち」ってのは、けっこう強烈なセリフです。健常者は、あまりこういうことを言わない。これを「ひがみ・ねたみ」と言えばそうなのだけど、考えてみれば、人間にとって、ひがみやねたみって自然な感情なのよね。だって、人間はけっして平等には生まれていないのだから。そのことを悔しいと感じるのは、ごく自然な気持ちなんだなあと思う。ただでさえ健常者に嫉妬や憧れを抱いてきたのに、自分のわずかな幸せまで健常者に奪われたことの悔しさ、悲しさ。手話で話す人たちは、つねに両手を使う必要があるから、たとえ恋人が出来たとしても、手をつないで歩くこともできないし、おしゃれな可愛いバッグを持つこともできない。ささやかな望みですが、奈々の痛切な想いが分かって泣けてくる。ろう者の人たちは、言葉で意志疎通ができないハンデを補うために、健常者よりも感情を強めに表現する傾向がありますよね。だから、なおさら健常者から見ると、ろう者の人のあまりにもストレートな感情表現に面食らって、ちょっと驚いてしまう。そのへんの描写もリアルでした。このドラマは、とくに若い世代に支持されているとのことだけど、現実のろう者の人たちは、どう捉えているのでしょうか。やたらに「障害者は可哀想」という印象を植えつけるのも、賛否が分かれるところかもしれませんが、すくなくとも、健常者にはなかなか理解しにくい世界を、たくみに想像させる内容になっている点では評価できると思う。そして、今季の助演女優賞は、まちがいなく夏帆でしょう。◇◇◇わたしは、第5話までの内容を、30年前の「東京ラブストーリー」と比較しながら見ていた。4人の男女の恋愛模様という設定が同じだったから。30年前の「東京ラブストーリー」の場合は、やたらと互いにぶつかり合ったり、マウントを取り合ったりするので、あれはあれで、見ていて非常に疲れたのですが、逆に、今回の「silent」のほうは、やたらと譲り合いすぎるし、自分のことを必要以上に卑下したりするので、こちらはこちらで見ていてまどろっこしい、ってのがある。セリフのやりとりも、丁寧といえば丁寧だけど、かえって展開がモタモタしてて疲れる。おおむね、そういう感想を抱いてました。先々週の、湊斗「紬には片思いなんて分からないでしょ」紬 「いま片思いだよ」…みたいなやり取りなどは、なかなか洒落ていると思ったものの、それでも1.25倍速で見るぐらいがちょうどいいかなあ、って感じだった(笑)。◇しかし、若年世代にはとても評判がいいらしいし、わたしごときがそれにケチをつける必要もないし、さらに、ろう者の人たちがどう見てるかも重要な点なので、それについても、わたしがとやかく言う話ではない。くわえて、今後の展開が奈々を中心に動いていくのなら、わたしの興味のほうも、まだしばらくは続きそうです。◇ちなみに、Tverでは、湊斗(鈴鹿央士)と紬の弟(板垣李光人)の過去を描いた、「EP#0~8年前のある出来事~」が配信されている。これって、ちゃんと本編に組み込むべき内容なのよね…。そうしないと、湊斗と弟くんの親密ぶりは謎過ぎるのよ。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 16, 2022
2022.11.17
朝ドラ「舞いあがれ!」。先週までで青春篇が終わった感じ?◇ドラマにケチをつけるわけじゃないけど、大学の人力飛行サークルの話を見ていて、ちょっと競技のありかたに疑問が湧きました。たしかに、パイロットの体形や体力に合わせて、機体の設計を変えるのも大事な技術なのだろうけど、記録そのものは、理系的な技術ではなく、ほとんどパイロットの体力に負っているように見えます。これじゃあ、理系の競技じゃなくて、ほぼ体育会系の競技なのでは??◇ただでさえ、日本は、いまだ実用的な国産飛行機も作れてないし、ロケットの打ち上げもたびたび失敗してるわけですが、学生の技術コンテストがこんなことでいいんだろうか?実際の競技がどういうものなのか知らないけど、やっぱり純粋に「理系的な技術」で競うべきだろうと思います。それから、試験飛行を陸上でやったら、墜落したときに死者が出るんじゃないか、との懸念ももちました。そこらへんも発想が「体育会系」になっているのでは?◇さて、ここからはドラマの話。脚本は3人体制とのことですが、ここまでは桑原涼子がひとりで書いてますね。彼女の脚本は、『心の傷を癒すということ』『彼女が成仏できない理由』など、NHKの中編ドラマを過去に見ています。どちらの作品も、脚本家自身が格闘しすぎてやしないかと思うほど、良くも悪くも真面目すぎる脚本だった印象があって、視聴者に伝わる以前のところで無駄に格闘してる感じでした。その点、今回の朝ドラは、わりと滑らかに物語が展開していますし、案外、長編ドラマに向いてるのかもしれません。◇祖母と母の過去の確執や、母と娘の共依存の問題は、やや腑に落ちないところもあって、いまだに大学生の主人公が、「母の許し」を得ないと好きなことがやれないのは、やはり共依存の関係が抜け切れてないように見えるけど、そこらへんは、我が道を歩んでいる兄とも対比されながら、今後もなお物語のテーマであり続けるのかもしれません。◇一方、演出のほうは、派手さはないけれど、むしろ地味な良さが出ていると思います。そして、今さらですが、子役の浅田芭路ちゃんがとても上手でしたね。パッと目を見開いて、何かを初めて見るときの演技が、かつての「おしん」の小林綾子を彷彿とさせました。それから、「もがいてたらええんや」との助言をくれた、又吉直樹の古本屋もいい役どころだなと思っています。福原遥は、「ゆるキャン△」ほどの当たり役ではないけれど、ほどよく無難にこなしてるんじゃないでしょうか。総じて、よく出来ていると思います。
2022.11.14
霊媒探偵・城塚翡翠。先週はクソつまらない話で、ほとんど脱落寸前だったのだけど、今回はけっこう面白かった!(笑)一般の水準からすれば、「神回」と呼ぶほどではないけど、このドラマにかぎっていえば、第3話はベストだったかもしれません。いや、これからもっと面白くなる??最初に霊能力で犯人が分かってしまうコロンボ的展開とか、降霊をすると負担が大きくて消耗するとか、魂の匂いがするとか、そういう謎のお約束設定にもだいぶ慣れてきました。今回は予測した犯人とは違いましたが。微妙に間抜けなギャグ展開もツボで、翡翠と香月の変な恋愛寸止めの間はジワジワ笑える。今回の犯人は写真屋の娘。映像への異常な愛情のために人を殺すという心理も、なかなかに不気味な説得力があって面白かったです。 最後に「翡翠を殺して写真を撮りたかった」というオチもよい。そして、いつものように、ドラマそのものの映像の美しさも絶品でした!青緑赤ピンク黄の配色赤い車がカッコいい。赤っぽい画面。ロシア映画みたいな緑っぽい画面。
2022.11.06
TBSの「クロサギ」。TVerでは2006年版も配信中。山下智久と堀北真希は、日テレ「野ブタ」の直後に共演していたんですね。▼今回の配役は以下のように変わっています。山下智久 → 平野紫耀堀北真希 → 黒島結菜尾美としのり → 船越英一郎哀川翔 → 井之脇海加藤浩次 → 山本耕史奥貫薫 → 中村ゆり山崎努 → 三浦友和朝ドラ「ちむどんどん」からは、黒島結菜&井之脇海&津嘉山正種が、大河「鎌倉殿の13人」からは、山本耕史&坂東彌十郎&栗原英雄がスライド出演。山本耕史は前作ヒロインの旦那様ですね!◇2006年版では、山下智久もヤンキーっぽいキャラだったし、刑事役の哀川翔も、黒幕の山崎努も、いかにも裏社会にいそうなキャラだったけど、今回はメインのキャラは、みんな堅気の人間に見えます。そこが逆にリアリティを感じるところ。今回のキャストのなかでは、船越英一郎がいちばん悪人顔なのだけど(笑)、なぜか彼は詐欺に騙されるヒロインの善良なお父さん役。そこもちょっと変化球になっている。2006年版では、尾美としのりがヒロインの「叔父」の設定で演じていました。(ヒロインの「父」を演じていたのは泉谷しげる)◇この物語でいちばん面白いのは、最大の宿敵である詐欺の首魁がいちばん近くにいるところ。2006年版の山崎努は、いかにも「裏社会のドン」って感じだったけど、今回の三浦友和は、どう見ても「堅気の板前さん」にしか見えません。そこがかえってスリリングで興味が湧きます。
2022.11.02
霊媒探偵・城塚翡翠。今夜は第3話が放送されますが、おくればせながら第2話を見ました。清原果耶は当たり役だし、他のキャストもハマってるし、映像も美しくて魅力的なのだけど…話がくだらなすぎてツライ(笑)。現場にいた主演2人に容疑がかからないのはご愛嬌としても、リビングを通らないとトイレに行けない建物とか、容疑者が3人に絞られる中での殺人とか、事件のお膳立てが稚拙すぎます。中庭に面した壁に窓がなくて、用途不明なデッカい鏡が掛かってたり、設定がありえなさすぎて萎えた。リビングを通らないとトイレに行けない洋館w中庭に面した壁に窓がなくてデッカい鏡w他殺体を発見した愛人も、パソコンのデータだけ消して翌朝まで寝てるし…。しまいには、「論理の取っ掛かりになるのは翡翠さんの夢だけです!」とか、滝沢カレン並みに何言ってるかわからないし…。◇でも、まあ、推理ドラマって大抵こんなもんなのよね。作ってる人たちも、くだらないのは重々承知なのだろうけど、それでもこういう作品が出来てしまうのは、きっと何かドラマ業界とか出版業界のカラクリがあるのでしょう。次回からは、音声を消して映像だけぼんやり眺めようかな。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 30, 2022 映像はほんとに綺麗なのよね。
2022.10.30
第3話。あいかわらず映像は綺麗ですが、内容的には、ついていくのが結構大変。純愛系ドラマにはあるあるだけど、あまりに繊細すぎて、若干、キモチ悪さがなくもない(笑)。◇いちばん驚かされるのは、弟の光(板垣李光人)くん。ほぼ彼氏…?かと思うほど、お姉ちゃん想いの弟くんですよね。あるいは女子の親友みたいに、彼氏のことまで親身に心配してくれます。欧米になら、こういう男子がいるかもしれないけど、ついに現代日本にもこんな男子が現れた??◇そして湊斗(鈴鹿央士)のキャラ。今回は、彼女を奪われるのを畏れて嫉妬したのではなく、無二の親友に呼びかけても返事がなかったことが悲しかった…というオチでした。そういう心理はべつに不自然じゃないだろうけど、鈴鹿くんが演じると、ちょっとBLっぽく見えてしまう(笑)。もともと、付き合いはじめる前に、ブラック労働に追われている紬を心配した際のエピソードも、なんだか女子目線で心配してくれているような感じだった。いまひとつ、この二人が男女の関係にあるようには見えないのよね…。弟くんも、彼氏くんも、なんとなく女子っぽい。◇要するに、このドラマは、異様なくらいに優しすぎる3人の男子が、ひたすらヒロインをちやほや心配してくれる世界線になっていて、そのリアリティの斬新さに戸惑ってしまう。はたして、新進の女性脚本家が、自分の世界に浸って自分の願望を書いてるだけなのか、それとも確信犯的に「新しい男子像」を提示しているのか。この異次元の世界線を受け入れられるかどうかが、ドラマを見るうえでの踏み絵になってる気がします。今回も喫茶店の映像が美しいですね。
2022.10.25
フジ木曜劇場「silent」。今夜は第3話が放送されますが、おそまきながら第2話まで見ました。莉子と共演した目黒蓮、萌歌と共演した川口春奈に釣られた感じ(笑)。脚本の生方美久ははじめて目にする名前です。ヤングシナリオ大賞を獲った新人だそうです。セカチュウ、1リットルの涙、キミスイなど、いわゆる"純愛路線"に連なる作品といえますが、今年の莉子の「セカコイ」と同じように、綺麗な映像で撮るスタイルが定着していますね。ややセンチメンタルになり過ぎてる部分も目につきますが、まあ、この手の純愛系ドラマにはあるあるでしょう。◇Wikipediaには「手話ドラマ」なる項目があります。1995年に放送された、常盤貴子×トヨエツ「愛していると言ってくれ」酒井法子×大沢たかお「星の金貨」この2つの作品が起点になってるっぽい。それ以前といえば、ヘレンケラーの物語が何度か作品化されていて、わたしも大昔に映画を観た記憶があります。ヘレンケラーの場合は聴力だけではありませんが。去年は「コーダ あいのうた」が注目を集めました。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) February 13, 2022 考えてみたら、「愛していると言ってくれ」を書いた北川悦吏子は、その後、ほんとうに片耳を失聴してしまって、それが「半分、青い」の執筆に繋がったわけなので、何か因縁めいたものも感じます。◇今回のドラマは、中途失聴をした主人公の青年が、恋人と別れる選択をし、喋ることをやめてしまったところからドラマが生まれている。視聴者は、最終的に、彼のこの選択を許すことができるのかどうか。ただ2人が結ばれただけではハッピーエンドになりません。現在の交際相手である鈴鹿央士や夏帆にも救いがなければ、視聴者のなかにモヤモヤが残ってしまいますよね。そして、主人公2人の弟と妹の関係も気になるところ。ハッピーエンドにならない可能性も含めて、どんな結末になるのか。せっかく見始めたので、最後まで見届けます。映像は美しいですね。川口春奈がフランス映画の女優さんみたいに見えてくる。
2022.10.20
霊媒探偵・城塚翡翠。清原果耶のキャラにぴったりの役。ほかのキャストも上手くハマってるし、映像もやたらと凝ってて綺麗だし、オカルトサスペンスな雰囲気も楽しめたんだけど、— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) October 17, 2022 肝心の推理と、事件の真相がショボくて拍子抜け…(笑)泣き女って何なんだろう?まだオカルトなのかサスペンスなのか判然としませんが、とりあえず、雰囲気は楽しめそうです。
2022.10.18
朝ドラ「ブギウギ」のヒロインが決定。笠置シヅ子役は、てっきり田村芽実と思い込んでいたのに(笑)趣里でしたね。ドラマ「アイドル 明日待子」でのチョイ役は、いったい何のフラグだったんだろう??
2022.10.17
水曜ドラマ「ファーストペンギン!」。なかなか面白かったので、期待がもてそうです。日テレ×森下佳子のタッグなのね。題材としては、池井戸潤の経済ドラマみたいな感じ?オリジナル脚本とのことで、坪内知佳さんの実話はあくまで「原案」ってことでしょうか?キャスティングは、堤真一のコワモテ軍団に女子が乗り込むパターン。長澤まさみの「セーラー服と機関銃」を思い出します(笑)。国は応援してるのに地元が邪魔をする…って構図が、なかなかリアルだなあと感じました。実際、そんなもんだよねえ。
2022.10.07
遅ればせながら「石子と羽男」の最終回。ちょっと物足りなかったかな。マチベンの物語であるがゆえか、一話完結スタイルであるがゆえか、物語のスケールがこじんまりしてた感は否めない。最後にラスボスの詐欺を暴ききれず、被害者が完全に救われないところにも、ちょっとフラストレーションが残りました。◇石子の父の綿郎が長期間の調査をして、敵の懐にまで入り込んでいたのだから、きっと最後にはラスボスを退治して、「さすがはお父さんっ!」って結末になるものと期待しましたが、そうはならないんですね。結果的には、ちまちましたポイ捨ての軽犯罪を告発して、なんとか食い下がって社会的信用を失墜させる…というオチ。それがマチベンの限界ってことかもしれないし、あえてスッキリ解決しきらないところに、制作者の意図するリアリティがあったのでしょうか。…でも、タバコのポイ捨てで逮捕したところで、社会的信用を失わせることができるのかどうかは疑問。世論がどっちに転ぶかわかりませんが、かえって同情論が広がってしまう惧れもあるのでは?◇綿郎が、絵本の「スイミー」の話をしていたのも、なにか意味があるんでしょうね。いずれ被害者たちの声が集まれば、徐々にラスボスの悪事が浮き彫りになる、という今後の展開を暗示してるのか。続編を予定してるのか知りませんけど、あのラスボスの悪事を暴き切るには、やはり羽男の姉や父との連携も必要になるのかなと思う。
2022.10.06
遅まきながら、日テレ「初恋の悪魔」最終回を見ました。とくに後半の展開には、坂元裕二の不穏で暗い面を感じていましたが、やっぱり、ちょっと怖い内容でしたね。◇第2章がはじまったとき、「馬淵と鹿浜は最後に救われるのかしら?」と注目していたのですが、両者が迎えた結末は、かなり対照的でした。馬淵のほうは、ほぼ救われたように見えるけど、鹿浜のほうには、はっきりとした救済が与えられない。むしろ孤独の底へ突き落とされたようにも見える。こういう底のない孤独の描き方が、いかにも坂元裕二らしい怖さなのよねえ。思えば「最高の離婚」にも、そういう描写がありました。◇医学的なことはよく分かりませんが、わたしは、てっきり、2人のセスナの人格(というか記憶)が、最終的には統合されるものと予想していました。けれど、実際は、片方のセスナが消えてしまう、…という寂しいラスト。彼女は結局、リサにも会えないままに消えてしまった。そして鹿浜は、彼女にリンゴの剥き方を教えることが出来なかった。…もともと、「馬」と「鹿」と「小鳥」という名前自体が謎でしたが、なぜ「鹿」にだけ救いが与えられずに終わるのでしょう?そこにも坂元裕二という作家の謎が隠れている気がする。◇さて、怖いといえば、殺人鬼の描き方もかなり怖かったですね。坂元裕二のドラマで、これほど人が死んだり殺されたりするのは初めてでは?…そして、結局、「初恋の悪魔」というタイトルの意味は何だったの??馬淵の兄・朝陽(毎熊克哉)のセリフには、「雪松さんは初恋の人のようなものです」というのがあって、その雪松がじつは殺人鬼の父であり、朝陽は、初恋のように尊敬していた上司に殺されたわけなので、そこにタイトルの意味があったのかもしれません。しかし、そこに作品の中心的なテーマがあったとも思えない。◇ちなみに、このドラマのタイトルは、英語では「Love with a Case(外箱への恋)」となっています。この「Case」というのは、中身の人格ではなく、人間の肩書や容姿のことでしょうか?つまり、「Case(外箱・器)」とは、一方では、殺人鬼の父としての「中身」とは異なる、尊敬すべき上司としての「器」のことであり、他方では、人格的な「中身」は2つあるのに、見た目の「器」は1つというセスナのことでもある。…そんな感じ?※なお、「case」には、「事例」「症例」などの意味もあるし、「病人」「変人」「哀れな人」などの意味もあるようです。◇さらに怖いといえば、わたしがいちばん怖かったのは、いとも簡単に冤罪を生み出してしまう警察署内の描写!あの妙に明るいノリが、かえって怖かった。うすうす「冤罪じゃないか」と疑念をもっていても、上層部の意向に逆らってまで捜査しようとしないし、「上が決めたんだし、もうコイツが犯人でいいじゃんw」と、じつに朗らかな雰囲気で冤罪を作り出していく。その様子が、やけに能天気で明るい。一人の人生を狂わせかねないことだというのに、上層部の権威に対する忖度が優先され、さらには職場内の同調性のほうが優先されてしまう。まさに、日本社会の縮図。余計なことは考えず、難しいことも考えず、周囲の空気にも逆らわず、ただ明るく笑ってやり過ごそう、…という同調圧力。余計な疑問を差し挟む人間のほうが、かえって忌避される。前例や権威に逆らう人間のほうが、厄介者だと見なされる。恐るべき日本人の「権威主義」と「忖度主義」と「同調主義」…。…おりしも、朝ドラ「ちむどんどん」では、他人に忖度できない沖縄人に対して、「忖度できる心を養うことが人間的な成長だ!!」という主張が SNS のなかに湧き上がりました。まさに、これが、今も昔も日本の大衆のなかにある集団的無意識。SNSの論調じたいが集団的な同調主義で成り立っています。…これに対して、坂元裕二が描き出したのは、そういう日本人の「同調主義」や「忖度主義」こそが、警察署内でいとも簡単に冤罪を生み出しかねない…という恐るべき悪夢なのでした。◇さらに、もうひとつ驚いたのは、(実際のところはどうなのか知らないけれど)冤罪で収監されていた人が、何のサポートもなく社会に放り出されることですね。リサ(満島ひかり)が刑務所から釈放されたとき、彼女を迎えに来ていたのは、唯一、セスナだけでした。警察や司法関係者が謝罪に来るでもない。弁護士が保護しに来るでもない。公的な機関がサポートしてくれるでもない。数年間の人生を理由もなく奪われた末に、いきなり社会へ放り出されてしまう。これもまた怖すぎます。※調べてみたところ、「刑事補償(冤罪補償)」という金銭的な制度はあるようです。…って、それだけかよ。
2022.10.03
TBS「ユニコーンに乗って」最終回を見ました。教育系アプリと、スタートアップ企業にかんするトピックを、物語のなかでひととおり提示した…って形かもしれないけど、わたしとしては、まだ不足があったように感じます。それは、大きく以下の3点。◇第1点は、「スタディーポニーキャンパス」の完成形が、結局、どのようなものか見れなかったこと。そこが不満ですね。まだまだ発展途上のアプリだったとはいえ、とりあえず世間にはリリースされたのだから、そのメタバース空間を最後に体感させてほしかった。予算的に、そこまで映像化できなかったのでしょうか?◇第2点は、そもそも、肝心の教育コンテンツを、だれが作ってるのかが分からなかったことです。あらゆる分野の教育コンテンツを提供するには、それぞれの専門知識が必要なわけで、それを社内のスタッフだけで作れるわけがありません。はたして外部の監修者を招いているのか、それとも外部に丸投げして委託しているのか、あるいは既存のコンテンツを買い取りor借り受けしているのか。…本来、双方向ネットワークのなかに学習システムを構築するのなら、もっとも合理的な方法は、企業側が教育コンテンツを一方的に提供し、それをユーザーが受け身で消費するのではなく、いわば「学びたい人」と「教えたい人」をマッチングしながら、出会いのプラットフォームにしてしまうことだと思います。たとえばYoutubeなどには、すでにそういう側面があります。これは海外展開をする場合にも同じで、自動翻訳システムを取り入れながら、自然発生的に学習環境が育っていく「場」を構築すればいいのです。…わたしは、そもそも「教育」という概念が嫌いなのですが、それは、教育というものが容易に固定化・権威化しやすいからです。教育内容は、けっして確定的であってはならないし、たえずアップデートされつづけなければなりません。そして、教える立場の人間は、むやみに権威化されてはならないし、たえず学ぶ側によって吟味され、取捨選択されねばなりません。たとえ教える側であっても、本質的に「学ぶ人間」であることに変わりないのだから、ほんとうに必要なのは「教育系アプリ」ではなく「学習系アプリ」なのです。だれもが学ぶ場でなければならない。◇第3点は、ハードウェアにかんする問題です。ドラマのなかでは、データ量の小さいスマホでも利用できるようにする、…みたいなエピソードがありましたが、それ以上に大きなトピックは、むしろ「視力低下」などの健康面での問題だろうと思う。子供がスマホで長時間勉強し続ければ、何らかの健康被害が出てくるのは目に見えているのだから。せっかくM&Aによって大企業と組むのならば、新しいハードウェア開発の展望までを示してほしかったです。◇◇◇さて、ドラマの終盤では、いちおうラブコメとしての体裁にも落とし前をつけていました。しかし、ラブコメとしては全体的に淡白でしたね(笑)。脚本にはそれなりの必然性があったと思いますが、演出面でのエモーショナルな力強さには欠けた。その結果、俳優たちの演技にも大胆さや冒険が乏しかった。図書館という場も、いまいち活かしきれていなかった。…ある意味で、このラブコメは、功(杉野遥亮)が自立をするまでの物語でもあったのだけど、彼の頼りなげなキャラは最後まで変わらなかった。残り2組のカップルも、例によって取ってつけたような印象で(笑)全体的に薄味のラブコメに終わってしまったと思う。元カノを恋愛リアリティショーに行かせるってのも、処理の仕方としてちょっとビミョーでした。むしろ、下手にラブコメの体裁などにこだわらず、あくまで《ビジネスストーリー》に徹したほうが、かえって物語としては盛り上がったんじゃないでしょうか?
2022.09.10
テレビ東京系、「量産型リコ -プラモ女子の人生組み立て記-」。最終回だけを見ました(笑)。ガンプラを作るドラマだったんですね~。いかにもテレ東らしいマニアックな趣向。もっとはやく内容を把握していれば、きっと初回から観たと思うのだけど、気づいたときには遅すぎたっ!◇大森美香の「ニコニコ日記」にガイセイバーZが登場して以来、「トクサツガガガ」のジュウショウワンとか、 「超速パラヒーロー」のガンディーンとか、女子向けドラマに戦隊ヒーローを組み込む流れがあるけれど、ガンプラ作りって発想はかなりの斜め上だった。でも、わたしも年代的にいって、ファーストガンダムはそれなりに見ていたし、由貴ちゃんがシャアに心酔していたのもあるし、あながち興味のない世界ではない。実際にプラモデルを作るのは大変そうだけど、出来上がりを見るとカッコいいし、なんだか心惹かれます再放送があれば最初から見てみたいと思います。YouTubeには、プラモデル作りの動画もアップされているようです。
2022.09.04
日テレ『初恋の悪魔』が第2章に突入。先週の老婆との関わりのなかにも、鹿浜の「魂の救済」の要素がありましたが、いよいよ第2章では、馬淵と鹿浜(馬鹿コンビ!)がそれぞれに救済されていく?馬淵が好きなセスナと、鹿浜が好きなセスナ。一人のなかに2人の女がいます。すこしずつ『初恋の悪魔』というタイトルの意味に近づいてる?◇満島ひかりが登場しました。安田顕や田中裕子とおなじく坂元ドラマの顔なじみ。風が気持ちいい日に家に帰ったりしちゃ駄目だ。人生でいちばん素敵なことは遠回りすることだよ。遠回りしてる今がいちばん素敵な時なんだよ。なんとなく『Mother』や『anone』にも通じるようなテーマ性です。坂元裕二の物語には、じつはちょっとアブナい面があって、ここにも、やや不穏で暗い面が見え隠れしている。まるで統一教会からの脱会の是非を問うような話だったりもします。◇それはそうと、第1章は一話完結型のスタイルだったのに、第2章からは連続型にシフトするっぽい。むろん、そのほうがいいと思う。そもそも前季から今季にかけては、やたらと一話完結型のドラマが多すぎるのです。塚原あゆ子組の『石子と羽男』や、飯豊まりえの『オクトー』も一話完結型です。それなりには面白いけど、やはり全話連続型の力強さには劣る。◇この『初恋の悪魔』の場合も、坂元裕二×水田伸生という組み合わせへの期待があったものの、やはり一話完結型であることに不満がありました。序盤もそれなりには面白かったけれど、 あくまで通好みドラマの域を出ず、地味な印象にとどまっていた。前シーズンにかんしても、綾瀬はるかの『元彼の遺言状』(フジ)や、ディーン・フジオカの『パンドラの果実』(日テレ)が、なぜか一話完結型になっていて、そのことに最初から失望してしまいました。なぜ全話連続型にしないのだろう?、と。◇一般に、軽いテイストのコメディの場合は、前後を気にせず見られる一話完結型の気楽さがあるものの、重厚な内容のサスペンスの場合は、そのスタイルがかえって足枷になってしまいます。毎度毎度、最初から設定を把握し直さなきゃならない面倒臭さがあるし、それだけで毎話ごとに半分ぐらいを費やしてしまうし、そのことによって物語のスピード感も削がれてしまうから。たとえば塚原あゆ子組の『最愛』などは全話連続型でしたが、重厚な内容でありながらも、物語をぐいぐい引っ張っていくスピード感があった。もともと、TBSの綾瀬はるかのドラマ(『仁』や『天国と地獄』など)にも、フジテレビのディーン・フジオカのドラマ(『モンテクリスト伯』など)にも、そのような魅力がありました。そっちのほうが視聴者のニーズは高いはずです。もしかしたら、一話完結型のスタイルをとっているのは、スポンサーの意向に合わせて話数を調整するためかもしれません。しかし、そのような発想がかえって首を絞めている。数字しか見ない人間ほど、安易なことを考えるのですよね。
2022.08.25
NHKの特集ドラマ「アイドル」を見ました。戦前の元祖アイドル、明日待子の物語。脚本は「おちょやん」の八津弘幸。演出は「スカーレット」の鈴木航。主演は「偶然と想像」や「セカコイ」の古川琴音。わたしのお目当ては田村芽実(笑)。ちなみに来年の朝ドラの笠置シヅ子役は、まだ発表されてませんけど、わたしは田村芽実だろうな、と思ってる。◇その田村芽実の歌は残念ながら聴けなかったけど、ドラマはよく出来ていた。無駄のない脚本。簡潔な描写。力のある演出。あまりにも簡潔すぎて73分では物足りないくらい。むしろ2時間くらいの映画で観てみたかった。朝ドラ「おちょやん」もそうだったけど、八津弘幸作品には映画的なケレン味があります。…と思ったら、BSプレミアムでは、8月29日に89分拡大版が放送されるらしい。…ちなみに、田村芽実といえば、アンジュルムの伊勢鈴蘭が、地元の北海道時代に、生前の明日待子から日本舞踊を習っていた!!…なんてウソのようなホントの話があるようです。https://ameblo.jp/angerme-new/entry-12758662628.html◇さて、物語の舞台は、新宿のムーランルージュ。昔のエンターテイメントの中心地はあくまでも浅草であって、新宿・渋谷・池袋なんてのはたんなる竹林だった、…なんて昔の話もときおり耳にするけれど、文化都市としての地位が、東から西へ、つまり浅草・上野から、徐々に新宿・渋谷・池袋へと移り代わっていくわけですね。とりわけ新宿でいうと、1960年代に唐十郎の芝居やフォークゲリラがあって、1970年代に副都心開発があって、1980年代にタモリが活躍して、1990年代に椎名林檎が登場して、…みたいなイメージがあります。しかしながら、戦前戦後の新宿・渋谷・池袋がただの竹林だったのかと言うと、かならずしもそうではなくて、Wikipedia にはこうあります。1885年に日本鉄道品川線(後の山手線)が開通し、新宿駅が宿場の西はずれ角筈(つのはず)に作られる。開業当時は田畑の広がる東京郊外の田舎の駅で、1日の利用者数は50人ほどであった。続いて、甲武鉄道(現:JR中央線)、東京市街鉄道が新宿駅に乗り入れ、1915年(大正4年)には京王電気軌道(現:京王線)が乗り入れ、ターミナル駅としての姿を見せ始める。そして、その流れを決定的にしたのが、1923年に起きた関東大震災である。表層地盤の弱い都心部の銀座や浅草などの下町エリアは繁華街が全滅し人口が激減したのに対して、武蔵野台地(山の手台地)の東端に位置する新宿は地盤が強くほとんど被害を受けなかったために、渋谷、池袋といった他のターミナル駅とともに、郊外の人口の急増にともない駅周辺が新たな繁華街として発展することになったのである。なるほど。新宿が本格的に発展しはじめたのは関東大震災の後だった。つまり、大河「いだてん」的に言うと、関東大震災によって浅草十二階が崩壊してしまった。そして、朝ドラ「純情きらり」的に言うと、震災後から戦前にかけて、池袋には貧乏画家たちの集落(池袋モンパルナス)があり、それと同時期に、新宿にはムーランルージュがあったということなんですね。現在に続く新宿の文化が、このムーランルージュにこそはじまっている。とりわけ「アイドル文化」という観点でいえば、それは浅草から新宿へ移り、さらに原宿から秋葉原へと移っていったのです。◇ドラマのなかで印象的だったのは、主人公の歌う「恋はやさし野辺の花よ」でした。もともとはスッペのオペレッタ『ボッカチオ』の曲で、すでに震災前の浅草オペラでも人気になっていた。明日待子は、ムーランルージュ支配人(おそらく佐々木千里)の反対を押し切って、前線の兵士を慰問するために大陸へ渡ります。さながら、現代のモー娘やAKBが、自衛官募集の広告に出るのと同じですね。しかし、現地の隊長から彼女に向けられた感謝の言葉は、次のようなものだった。敵を倒すのが我々の戦争なら、兵を笑って死なせてやるのがあなたの戦争ですな。明日待子は、この言葉に衝撃を受けます。実際、彼女が見送った兵士の多くは帰ってこなかった。バカですよね。ファンにとって私は生きるための力なんかじゃなかった。死にに行くための支えだった。ニコニコ笑って「頑張ってください」って、みんなが笑って死ねるよう背中を押してた。アイドルなんかになるんじゃなかった。◇ちなみに、明日待子は、出兵前の「須貝富安」という青年と恋に落ちたのですが、これは実在の人物です。北海道のエンターテインメント企業「須貝興行」の御曹司。(現在はSDエンターテイメント株式会社になっています)https://www.sugai-dinos.jp/100th/history/history_hatten.htmlこの須貝富安は、無事に復員し、めでたく昭和24年に明日待子と結婚しています。もともと明日待子は岩手出身ですが、結婚後は北海道に住みました。◇ラストシーンでは、なんと美空ひばりらしき少女が登場したので、さすがにこれはフィクションだろうと思ったものの、念のために調べてみたら、たしかに昭和21年に、当時は「美空和枝」の名で活動していた美空ひばりが、(本名は加藤和枝ですが、昭和20~22年にこの芸名を使っていた)母とともにムーランルージュへ売り込みに来た事実があるらしい!明日待子と対面したのかどうかはわからないけれど、ひばり母娘がムーランルージュへ来たのは事実のようです。https://www.kaijo.ed.jp/students/832— 佐藤くらら🐈⬛11才 NHK特集ドラマ「アイドル」8月29日BSP 21:00〜放送 (@reikosugar1) August 27, 2022
2022.08.24
ユニコーンに乗って。まだ第5話くらいかと思っていたら、いつのまにか第7話まで来ていたんですね。全体的に薄味だし地味なドラマではあるものの、脚本はなかなかしっかりしていると思う。恋愛のムズキュン展開はともかく、ビジネスストーリーとしての面白さがあります。◇第4話には、プロダクトプレイスメントの話が出てきましたが、第6~7話では、チームビルディングの話に付随して、エンジニアや特許データの流出という問題が。さらに、ネットのリテラシーやモラルを高めるために、あえてデジタルデバイド(情報格差)の強い集団に、体験会やモニターへの参加を促すという話。…いつものラブコメのように、意味もなく男女のすれ違いを繰り返すだけではなく、曲がりなりにもビジネスのトピックが物語を動かしている。もちろん、あくまでフィクションだから、実際のビジネスとは似て非なるものだろうけど、ひととおりのトピックを物語に組み込んで現代的なテーマへ触れているところは評価できるし、いろいろと考えさせられるところもあります。◇肝心の恋愛のほうはというと…永野芽郁と杉野遥亮のムズキュン描写に、さほどのワクワク感はありません。(^^;このドラマでは、男子のほうが恋愛体質で、女子のほうが恋愛オンチ、という設定なのだけど、永野芽郁の恋愛オンチは、たんなる無邪気というわけでもなく、なかば自覚して焦らしてるだけのように見えるし、杉野遥亮のほうは、ひたすらヘタレに見える。あいかわらず、永野芽郁と西島秀俊のキュンキュン要素のほうが優っている。◇まあ、どっちにしろ、いつかは永野芽郁と杉野遥亮が結ばれて、ついでに西島秀俊と広末涼子も結ばれるのだと、だれもが予想しているはずですね。…しかし!永野芽郁の母親が奥貫薫で、こちらもやはり離婚しているとなると、つい「こっちのほうがお似合い!」と思ってしまうのよね。西島秀俊,奥貫薫 パナソニック 公式CM ビストロ 八宝菜篇。30秒版配信📺西島秀俊、八宝菜もお手軽簡単ワンボウルで作ってしまう。https://t.co/ZqLACEZ3G6 pic.twitter.com/X4UBvjrJHO— kooss公式 編集室(run) (@jfifdecoder) October 26, 2019実際、永野芽郁は、西島秀俊に「父性」を求めてるのかもしれません。
2022.08.17
TBSの「石子と羽男」。第1話の出来の良さからすると、第2~3話は、やっぱり見劣りがします。内容がやや保守的だし、石子と羽男のムズキュン描写もだいぶ陳腐になってきた。◇第3話は、ファスト映画を題材にしていましたが、「ファスト映画=悪」という前提でつくられた脚本にも、かなりの違和感を覚えました。これって一方的に断罪できるほど単純な問題じゃないでしょ。たとえば、NHKの「100分de名著」のような書籍の紹介や、赤ペン瀧川によるテレビドラマの紹介は許されるのに、なぜ一般個人の編集による映画紹介動画は許されないのか?そもそも著作権にかんする議論は、「作者の保護」や「作品の保護」よりも、むしろ「権利者の保護」や「産業の保護」という面が強いからです。つまり、企業利益こそがなにより「正義」とされている。◇かつては音楽業界でも、サンプリングによる引用やパロディを「悪」とみなし、国内へのサブスクの導入を「悪」と見なすのが主流でした。また、同人誌における「ドラえもん最終回」のような二次創作も、出版社側の一方的な論理によって「悪」と見なされました。現在は、NHKが中心となって、「ファスト映画=悪」とする社会風潮を主導していますが、それもやはり企業利益や産業保護を優先してのことです。かりに、こうした編集動画さえ収益化できるシステムが出来れば、あっという間に政府や企業の態度は変わるでしょうし、法解釈の議論さえ簡単に反転してしまうはずです。そこに最大の胡散臭さがつきまといます。◇この楽天ブログでも、テキストを書いている個人の表現は、すべて企業側の収益のために無償で搾取されています。インターネットの世界では、書き手自身の著作権はまったく無視されており、場合によっては、書き手の意思に反してテキストが無断で消滅することもあります。そのような不平等や不公正が何故まかり通るのかというと、基本的に、資本主義のシステムのなかでは、生産者自身の利益よりも、生産手段をもつ者(資本家)の利益が優先されるからです。ドラマを作っている人間が、そうしたことに無批判な物語を作ってはいけません。◇今回の脚本では、「素人の編集動画が作者や作品を傷つけた」との結論になっていました。しかし、「本編こそが正義であって、編集版は悪である」とか、「企業による編集は良質だが、個人による編集は悪質である」といった議論は、まったくのデタラメというべきでしょう。これは、あくまでも権利上の争いにすぎません。たとえば、本を読まずに、Wikipedia のあらすじに目を通しただけで済ますとか、NHK の「100分de名著」を見ただけで済ますとしても、それは個人の好みと選択の問題であって、べつに責められる話ではない。レコードや CD を、A面の始めからB面の終わりまで聴かずに、数秒の頭出しだけで捨て曲を飛ばしてしまおうが、誰かがサブスクで編集したプレイリストを聴こうが、それもまた個人の好みや選択の問題でしかありません。普通なら5~6時間はかかる書物を、速読術で5~6分で読んでしまう人がいるように、ドラマや映画を倍速再生で見てしまう人がいたり、10分のファスト動画で見てしまう人がいたり、赤ペン瀧川の編集動画で済ませてしまう人がいても、なんら不思議なことではありません。もしも、「本編こそが正義であって編集版は悪だ」と主張したいのならば、映画はつねに、4~5時間のディレクターズカット版のほうを観るべきであって、映画会社の都合で2時間に短縮された通常版など観るべきではありません。◇しかし、そんなことは個人の好みの問題であって、編集の正当性だの鑑賞の正当性だのを問うても仕方ありません。つまり、これは、あくまでも権利上の争いなのです。「音楽のサンプリングは悪である」「同人誌の二次創作は悪である」「インターネットのファスト映画は悪である」…等々といった主張は、つねに既得権益をもった企業の側から出てきます。たしかに一時的な産業保護という観点でいえば、そうした動きを規制する便宜的な措置は必要かもしれません。しかし、著作権の問題の本質というのが、つねに企業と表現者個人の非対称性にあることを理解しなければならない。また、日本で YouTube や Netflix が生まれなかったように、あるいは、サブスク の普及が大幅に立ち遅れたように、既得権益だけを保護しようとする後ろ向きの政策は、かえって日本の産業の国際競争力を削ぎ、メディア文化の発展を遅らせてしまうのだ、…ということも念頭に置かなければなりません。テレビドラマ制作者がいま何を考えるべきなのか。そのことを本気で自問自答していたならば、今回のような脚本の内容にはけっしてならないはずです。
2022.08.05
ユニコーンに乗って。第4話。本来、TBS のラブコメって、「ひたすら楽しくてキュンキュンすれば良い」みたいな枠だとは思うけど、今回はちょっと一味違っている。それなりに意味のある物語を構成してるし、けっこう現代的な課題に取り組んでいるところも面白い。 よくあるラブコメみたいに、どうでもいいエピソードで話数を稼ぎながら、ただ男女をくっつけたり離れさせたりするだけじゃない。◇今回は、学習アプリのサービスを「無償」にすべきか「課金制」にすべきか、…というお話。わたしとしては、たとえば一年間に数千円程度の課金で、あらゆる学習サービスを享受できるのなら、学校や塾の授業料よりずっと安いわけだし、それだけで十分に経済格差を是正する可能性もあるし、けっして高くないと思ってるけど、ここでの主人公は、あくまで「無償」にこだわります。もちろん、ドラマのなかのお話だから、ただちに現実のビジネスへ結びつけられるわけではないけど、かなり現代的なテーマに触れている部分はある。◇近年は、ベーシックインカムに並んで、ベーシックサービスについての議論も進んでいます。すなわち、現金支給ではなく現物支給の社会保障です。警察や消防、義務教育や図書館などと同様に、公的サービスの範囲を医療・介護や高等教育にまで、さらには最低限の衣・食・住にまで広げていく、…というもの。わたし自身、いずれこれらは公的サービスとして、だれもが無償で享受できるようにすべきだろうな、と思う。◇ベーシックインカムにせよ、ベーシックサービスにせよ、それらはつねに「増税」の議論と切り離せないのだけど、今回のドラマで出てきたのは、いわゆる「プロダクトプレイスメント」という広告収入の手法でした。これを用いれば、「課金」によらない無償のサービスが実現できるかもしれない、…というわけですが、同じように、特定の分野に絞ったベーシックサービスなら、こうした手法で「増税」を最小限に抑えられるのかもしれません。貧富の格差を是正し、本質的な意味での人権を実現するためにも、また、社会的な安全保障を確立するためにも、いろいろと新しいアイディアが求められているのだと思います。
2022.08.02
星新一の不思議な不思議な短編ドラマ。満島ひかりの「江戸川乱歩」や、高橋一生の「岸辺露伴」のように、大胆な脚色に期待したのだけれど、思ったほどの斬新さはない。原作の古臭さもあいまって、おおむねレトロなSFといった感じでした。たとえば「薄暗い星で」は、ロボットにも《退屈》や《懐かしさ》や《死の観念》があるといった内容。わりと古典的なSFの発想ですよね。丁寧に映像化されてはいるけど、今となっては驚きに欠ける。◇昔なら、SF というのは架空の物語と思っていたけど、最近では SF もすっかり現実味を帯びてしまって、むしろ「どれだけリアリティがあるか」を吟味するようになっています。たとえば荒川良々が主演した「ものぐさ太郎」などは、アナログな声帯模写を用いた詐欺(詐欺返し?)の話でしたが、あれをフェイク動画やフェイク音声の技術と読み替えれば、それなりに現代的なリアリティがあるかもしれない。◇いちばん面白かったのは、石橋静河が主演した「見失った表情」。いい意味で、星新一らしからぬ世界。ダンスシーンも素敵だった。整形した男女が、表情までをも機械で操作するというお話。これはある意味で、メタバースにおけるアバターの世界といえる。最後は「もう機械には頼らない」という、なにやら良識的なハッピーエンドになっていたけれど、わたしはむしろ、自分のアバターの表情を人工的に制御する時代が、それほど遠くない未来の現実になるだろう、という気がします。
2022.07.29
TBS のラブコメにしては、脚本にメリハリがあるし、構成がしっかりしている。第2話まではひたすら西島秀俊を推して、杉野遥亮は気の毒なくらい惨めな役どころだったけど、第3話では一転して、杉野遥亮と永野芽郁との回想にまるまる一話分をあてました。なかなかの構成だと思います。元カノとの三角関係、そして西島秀俊との三角関係をちらつかせながら、最終的にはハッピーエンドになるんでしょうね。西島秀俊と広末涼子の関係も見どころです。杉野遥亮と前原滉が、テレ東「直ちゃんは小学三年生」のコンビだったのも、ひそかに気になっている。◇教育系アプリのお話ですが、ネットを通じた学習システムについては、わたしも14年ぐらい前にこのブログで色々書いたけど、https://plaza.rakuten.co.jp/maika888/diary/200806120000/現在はどの程度まで進展しているのでしょうか?・個人の能力とスピードに合わせた学習・苦手分野の絞り込み・習得まで繰り返し受けられるテスト・ゲーム感覚でのランクアップ・教師による生徒の査定ではなく、生徒による教師の査定・選択・幅広い分野の生涯学習こういった点で、既存の教育システムを大きく刷新する可能性があるのだけど、なかなか長年の教育習慣と既得権益を切り崩せない。わたしは、任天堂あたりが、学習ハードウェアやソフトウェアを開発すれば良いと思ってたんだけれど。◇学校は、コミュニケーションと共同作業の体験に特化すべきであって、もはや知識を習得する場としてはふさわしくありません。とくに日本の場合は、学校が、同調主義と排他主義と権威主義の温床になるからです。日本人の同調圧力・いじめ体質・パワハラ体質は、ほかならぬ学校でこそ育まれている。日本人を、そこから解放しなければいけません。
2022.07.25
塚原あゆ子組のリーガルドラマ。今回も出来がいい!第1話の出来があまりに良すぎるので、このクオリティが次回以降も保てるのか、かえって心配になります…(笑)。映像は、やっぱり『最愛』と同様に硬派で骨太なテイスト。脚本には西田征史が起用されています。◇日本人は、現代社会の「生きづらさ」を逃れるために、もっと積極的に法律を利用してもいいのではないか?…そんなメッセージでした。たしかに、人と人との間に「法」という第三者を差し挟むことで、おたがいの苦しみが緩和されることもあるかもしれない。…石子の父(さだまさし)のセリフ。日本人の多くは、弁護士に頼むのは最終手段だと思ってるけど、アメリカの訴えまくるシステムもさ、(銃社会っていう前提があるけど)直接個人が争って深刻な関係にならないための方法だと思うんだよ。法律に対する向き合い方が全然違うっていうのかね。石子が、「なぜ声を上げないんですか?なぜすぐ弁護士に相談しなかったんですか?」と問うと、パワハラ被害を受けていた大庭は、「やっぱり自分が勤めてる会社を訴えるなんて気が引けて… 内々のことだから誰かに頼るのは間違ってる気がしたし… それに情けないって思った…」と答えます。すると、石子は「それは違いますよ!」と言う。…石子のセリフ。人間関係を円滑にするために有るルール、それが法律なんです。そのルールにのっとり、声をあげる行為は、情けなくもないし、すこしも間違っていません。法律を知っていれば、守れることも避けられることもある。傷を最小限にとどめることもできる。ぜひ法律を上手に活用し、幸せに暮らしていただければと存じます。有村架純(石子)と中村倫也(羽男)のバディに、赤楚衛二(大庭)も加わるようです。優秀なのに、なぜか弁護士にはならないパラリーガルの石子。どこか抜けているけれど、特殊な映像記憶能力をもっている羽男。大庭は、先輩の石子に想いを寄せているようです。羽男にはまだ秘密があるっぽいし、苗字の違う石子と父が敬語で会話してるのも、なにかしらワケありな感じです。
2022.07.19
放送文化基金賞ってことで、名作「ハコヅメ」がTverで再配信中。やっぱり超絶面白い…春のドラマは、どれもイマイチ乗り切れなかったので、久々にこういう優れたドラマを見ると、やっぱり違うなあと思ってしまう。脚本の出来がレベチなのよね。◇そういえば、山田裕貴も出てたんだっけ。博夫さんとは真逆のキャラだけど。ちなみに、戸田恵梨香と永野芽郁は、こんどの湊かなえの映画では母娘役なのだそうです。それも驚き。「母性」
2022.07.07
汝の名。最終話。ライオンみたいな山崎紘菜。ブタみたいな北乃きい。…どちらもいい意味で!(笑)2人の女のサドマゾ的な共依存関係。演じることの陶酔と演じる者に対する憧れ。姉は妹への支配と凌辱に喜びを感じ妹は姉への羨望と被虐に喜びを感じる。食う者の喜びと食われる者の喜び。じつは姉妹を演じてるだけの昔の同級生。2人はほんとうは歪んだ形で愛し合っていて男のことなど微塵も愛していない。ほぼ百合。とくに最終話の破滅的な美しさは秀逸でした。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) May 26, 2022 深夜枠30分で全8話でしたが2時間くらいの映画や舞台にしても良さそうな内容ではある。今回のドラマでは実年齢で3才年下の紘菜がサディスティックな姉を演じる難しさもあったと思うしかりに舞台だったらくりかえし演じるなかで二人芝居の愛憎関係がもっと深まったんじゃないでしょうか。いずれにしてもなかなか稀有な作品でした。
2022.05.27
川栄李奈が「しゃべくり007」に出演していました。彼女のAKBおバカ時代から、女優としての成功までの道のりが話題になっていた。◇わたしが川栄李奈に関心をもちはじめたのは、17年の「アシガール」とか、18年の「崖っぷちホテル」の頃だし、彼女のAKB時代のことなどはよく知りませんでした。わりと最近になって、昔の彼女が「おバカキャラ」で通っていたことを知った。YouTube などで過去の動画を探してみると、見てる側が不安になるほどのバカっぷりを炸裂させてて、いま現在の川栄李奈とはまるで別人です…。逆に、AKB時代をよく知ってる人たちは、いまの彼女の名女優ぶりが信じられないかもしれません。この変貌の謎は、なかなか容易には解けないけれど、本人の話によると、2014年のドラマ「ごめんね青春」が大きな転機だったらしい。クドカンの脚本と、錦戸亮&満島ひかりの主演。そして黒島結菜や斉藤由貴らがキャストに名を連ねていました。本人にとっては、憧れの満島ひかりと共演できた意味が大きかったようですが、わたしから見れば、やはり「クドカンの先見性」とか「クドカンの俳優育成力」とか、そういうものを感じてしまいます。たとえば長瀬智也なんかの場合も、クドカンのドラマに出演する以前はかなりポンコツでしたからね。1.川栄李奈と黒島結菜と上白石萌歌2014年の「ごめんね青春」の後も、川栄李奈は、黒島結菜との共演を重ねてます。わたし自身、17年の「アシガール」で、この2人の女優に関心をもつようになりました。最近では朝ドラのヒロイン交代式もあった。もともと黒島結菜は、日大芸術学部で写真を専攻していた人なので、同じく日芸出身のクドカンにとって後輩にあたるのね。黒島結菜は、2016年の「さよならドビュッシー」以降、上白石萌歌との共演機会もあり、さらには「時かけ」つながりなどもあって、それが現在の「ちむどんどん」にまで結びついてます。萌歌は「自分の写真の師匠は黒島結菜」と言ってますが、それは、もしかしたら川栄李奈も同じかもしれません。2019年に、A-Studioのアシスタントが川栄李奈から萌歌へ引き継がれ、さらに、この2人が「3年A組」で共演することになったので、いわば結菜・李奈・萌歌の3つ巴の関係が成立し、クドカンの「いだてん」では3人ともが出演するに至りました。そして「西郷どん」「カムカム」では川栄李奈と萌音が共演する。走るドラマの系譜!!黒島結菜「時をかける少女」2016黒島結菜×川栄李奈×伊藤健太郎「アシガール」2017上白石萌歌×戸塚純貴×伊藤健太郎「続・時をかける少女」2018黒島結菜×上白石萌歌×川栄李奈「いだてん」2019黒島結菜は「ちむどんどん」でも走ってる…。2.川栄李奈と斉藤由貴一方、川栄李奈と斉藤由貴の結びつきにも見逃せないものがある。2014年「ごめんね青春」での共演から1年後、川栄李奈はAKBを卒業すると、WOWOWの映画番組にレギュラー出演し、※番組名は「私を映画に連れてって」という原田知世パロディ。クリス松村とともに80年代の日本映画を観まくったのですが、そのラインナップの中心になったのが斉藤由貴の作品でした。これはたぶんクリス松村の趣味が反映されたからですね。番組のアフタートークでは、クリス松村の「もし自分が出演するとしたら?」という問いに、川栄李奈が「トットチャンネル」と答えてましたが、これは、満島ひかりが「トットてれび」を演じたことと、斉藤由貴が「トットチャンネル」を演じたことと、黒柳徹子が活躍した時代への関心があるからでしょうね。3.川栄李奈と浜辺美波川栄李奈は、浜辺美波との共演が多いことでも知られています。わたし自身、18年の「崖っぷちホテル」を見たことも、川栄李奈と浜辺美波を女優として意識するきっかけでした。ドラマそのものは、とくに傑出した作品ともいえないけれど、戸田恵梨香や川栄李奈や浜辺美波の演技には光るものがあり、その後の活躍に影響があったのではないかと見ています。個人的にもけっこう好きなドラマだったし、由貴ちゃんが次女と一緒にフランクシナトラを聴き始めたというのも、このドラマの影響じゃないかと睨んでる。◇川栄李奈は、ついに「カムカム」で国民的女優と呼ばれるまでになりました。大島優子、松井玲奈、深川麻衣、西野七瀬、島崎遥香など、女優の才能を開花させたAKB出身者はほかにもいるけれど、そのなかでも川栄李奈は抜きん出てるように見えます。とはいえ、これが彼女のピークだともまだ思えない。ほんとうの代表作が生まれるのは、これからではないかしら?
2022.04.27
女子の「アセ」と「ニオイ」を、恋愛のアドバンテージにしてるMBSの深夜ドラマ。基本的には、おバカお色気コメディですけど、ホラー要素などのネタをまぶしてあったり、調子がいいときのテレ東なみに演出が秀逸です。原作は2018年に描かれてますが、なんとなく有働アナの脇汗ネタに触発されてる気もする。ちなみに、大原優乃も、有働アナと同じ鹿児島出身だよね。大原優乃は、自分のアタリ役を見つけるのがなかなか上手いかも。佐藤寛太のキレッキレな変態演技も見どころです。コクられて水をガブ飲みw社内逢引きマップwお馴染みの「シャイニング」ネタw秘密の踊り場。いつも汗だくw結局、毎回おなじベッドシーンで終わるのも笑えますw
2022.02.15
CHEAT/チート 〜詐欺師の皆さん、ご注意ください〜2019年の日テレの隠れた名作。本放送のときは終盤しか見れなかったけど、Tverでようやく全話視聴できました。相当よく出来てるし、相当おもしろい。本来なら続編が作られるべき名作!◇詐欺師との騙しあいという内容なので、基本的なコンセプトとしては、フジの「コンフィデンスマン」に似てますが、たぶん、こちらのほうが通好み。コンフィデンスマンの場合は、もともと「スティング」を模範にしてて、享楽的な詐欺師側のお話を、おおむねハリウッドスタイルで描いてます。一方、こちらのチートは、全体が怪しげなアジアンテイストになっていて、詐欺の内容にもリアリティがあるし、脚本もかなり出来がよくて、映像もカッコいい。この点で、上杉柊平と福原遥がいい味だしてます。本田翼が演じる主人公は、詐欺師の娘で「サキ」という名前ですが、ちょっとスケバン刑事っぽい因果を感じさせる(笑)。風間俊介は、さしずめ「暗闇指令」ってところでしょうか。ちなみに、主題歌をももクロが歌ってるだけでなく、主人公自身が地下アイドルという謎設定なのですが、そのあたりのオタネタも楽しいし、…なんといっても!金子大地が演じる「カモっち」が最高に可愛い続編があったらいいのにねぇ。
2022.01.03
Tverの「東京ラブストーリー」。平成版&令和版が終了しました。最初はワクワクしながら見始めたけど、中盤以降は、かなり疲れた…。でも、令和版は、平成版を乗り越えたと思うし、それと同時に、「東京ラブストーリー」そのものが終わった、って気もします。坂元裕二も、そのことに満足してるんじゃないかしら?◇恋愛市場において「勝者」になれるのは誰か?それを競い合うのが、かつての都会の恋愛でした。そんな恋愛観が支配していた時代の東京のストーリー。結論からいうと、勝ったのはカンチとさとみで、リカは負け。三上も、勝ったようには見えない。たんに尚子に勝たせてもらっただけでしょう。◇当初は、リカも、三上も、たえず相手のマウントを取り続けようとする人物でした。つねに相手の期待をかわして裏切りながら、相手側の「誠実さ」だけを一方的に試しつづけ、ささいな不誠実さやタイミングの悪さをなじり、答えようのない禅問答をぶつけては追い詰め、たくみに相手の言動を否定しながら翻弄しつづける。ちょうどバブル期のお笑いと同じで、相手のボケをツッコむことで、自分の優位性を維持しつづける、そういうコミュニケーションのスタイルなのですね。上昇志向の強かったバブル期には、そんな支配的なキャラクターこそが理想とされて、多くの人が「リカや三上のような振る舞い」を模倣しました。とりわけ、男性社会から女性上位時代へ向かう転換期において、周囲を自在に翻弄しつづける奔放なリカの姿は称賛された。◇おりしも…80年代前半までは、「ぶりっ子」だの「あざといポッキー娘」だのと、同性からはげしく嫌われていたアイドル松田聖子が、郷ひろみとの破局や、神田正輝との結婚を経て、90年代になると、手のひらを返したようにその「奔放な生き方」が同性から称賛されはじめる…そういう時代と重なっています。80年代前半の松田聖子は"さとみ"だったけど、90年代以降の松田聖子は"リカ"に反転したのです。ちなみに、小倉千加子の「松田聖子論」が書かれたのは89年。ドラマ平成版の2年前でした。この時代のフェミニストたちも、おそらくリカの生き方を支持し、さとみのような女性像を糾弾していたのだと思う。◇それは、従来の「古典的な女性像」に対する反動の時代でした。だから、さとみは、あざとい「おでん女」だと糾弾された。現実に有森也実を脅迫する視聴者までいたそうです…(笑)当時は、まだネットも普及してなくて、メディアがそういう「世論」を一方的に流布した疑いもあります。さとみへの批判がいまでも有効だと思ってる評論家がいるなら、それは、おおむねバブルの生き残りでしょう。いま見返すと、カンチに「行かないでくれ」と言わせようとしたり、別れ際にいつまでも同情や後ろ髪を引くリカのほうも、相当にあざといのですが…(笑)。でも、そのころは、まだ「女子力」を率直に肯定する価値観がなかったし、まして「あざとカワイイ」なんて概念もなかったから、さとみのような古典的なキャラクターこそが、上昇志向を強めていた当時の女性から見れば、自分の恋の勝利を妨害する「仮想敵」でしかなかった。上昇志向の強かったバブル期の若い男女は、異性にだけでなく、同性のライバルに対しても、いかにして優位に立てるのかをたくらんでいたのです。◇リカと三上は、最終的に恋愛ゲームに負けてしまいます。しかし、平成版のときには、その意味がまったく理解されなかったと思う。むしろ、リカこそが勝つべきであって、さとみのような女は断じて負けるべきだと思われていた。令和版でも、三上はいちおう勝たせてもらえているし、リカも一概に負けたとは見えないように作られている。…でも、ほんとうは負けています。◇この物語には、男女2対の組み合わせが出てくるのだけど、男のほうがマウントを取る「三上&さとみ」の関係と、女のほうがマウントを取る「リカ&カンチ」の関係が、たがいに逆転した形になっています。「三上&さとみ」が男性優位の古典的な関係だとすれば、「リカ&カンチ」は女性上位の新時代の関係を象徴していた。男たちが女を振り回してきたのとは逆に、リカは、カンチを、自在に振り回したのです。これは当時の女性にとって、さぞかし痛快に見えたはず。同時に、それは「マイフェアレディ」を逆転したような関係でもある。つまり、都会の女が、田舎の青年を成長させる話なのです。リカは、カンチを都会の男へと成長させます。ただし、(イライザはヒギンズ教授のもとへ帰ってきたけれど)カンチは、リカのもとへ帰ってきません。リカはカンチに捨てられる。もとはといえば、リカを育てたのは和賀部長だったかもしれませんが、リカも、和賀のもとには帰らなかったのです。和賀はリカに捨てられた。◇そもそも、リカがカンチを選ぶのも、三上がさとみを選ぶのも、相手が「マウントの取れそうな異性」だと思えばこそです。逆に、リカと三上がくっつこうとしないのは、たがいに「マウントの取れなそうな相手」だと見抜いているからです。カンチは優柔不断で頼りない田舎者だけど、そうであればこそ、リカは、カンチを選ぶのです。さとみも弱さゆえにあざとくて野暮ったいけれど、そうであればこそ、三上は、さとみを選ぶのです。どちらにしても、相手に弱さや従順さを期待しています。しかし、それはほとんど支配欲であって、ほんとに「愛」と呼べるものかどうかは疑わしい。◇たしかに、カンチとさとみは、リカや三上のような「主体的な生き方」に憧れたでしょう。なので、一見すると、カンチやさとみのように従属的な人間のほうが、リカや三上みたいな主体的な人間に依存してるのだと思ってしまう。でも、実際は、その逆です。リカと三上が最終的に負けるのは、じつは彼らのほうがその支配関係に依存しているからです。毒親と子供の関係や、パワハラ上司と部下の関係の場合もそうだけれど、じつは支配している側が、支配されている側に依存するのです。毒親やパワハラ上司は、「子供はいつでも自分の言うことを聞くはずだ」「部下はいつでも自分の言うことに従うはずだ」と思い込むからこそ、ある日、突然、彼らが自分の言うことに耳を貸さなくなったとき、それまで自分を成り立たせていた基盤がぐらつくのを知る。しばしば毒親やパワハラ上司は、子供や部下への執着を「愛情」であるかのように偽装するけれど、それこそが依存にほかなりません。支配的人間というのは、要するに「かまってちゃん」の別名なのです。他人に依存してるという点では本質的に何も変わらない。だから、最後には、支配している側が捨てられるのです。リカは、カンチに捨てられる。三上は、さとみに捨てられる。和賀は、リカに捨てられる。本来なら、ヒギンズ教授も、イライザに捨てられるべきですよね。その現実を受け入れられなければ、子供を支配し続ける毒親と同じです。◇恋愛が「勝ち負け」だというのは、否定しようにも否定しがたい、悲しい現実です。そして、それを極限的に突き詰めていくような「都会の恋愛」は、表向きはキラキラとして華やかに見えるけど、じつは、とてつもなく悲しくて、虚しい。いま見ると、このドラマは、恋愛で勝とうとする生き方そのものを否定してるように見える。かりにカンチとさとみが一時的な「勝者」だとしても、その勝利でさえ、けっして永続的なものではありえません。恋愛で勝とうとする生き方自体が、とてつもなく悲しくて、虚しくて、不毛なのだから、カンチとさとみの勝ちを誇るべきでもないし、リカと三上の負けを恨むべきでもない。異性に対してであれ、同性に対してであれ、恋愛で勝とうとするような生き方はやめたほうがいい。この「東京ラブストーリー」は、もっとも上昇志向の強かったバブル時代の遺物にほかならないし、令和版は、この物語を葬り去るためにこそ作られたのだ、とわたしは思います。…それはそうと、永田琴がこんなところで仕事してたとはっ!
2021.12.24
テレ東の「じゃない方の彼女」。なにげに第1話からずっと見ていました。秋元康の企画は相変わらずあざとくて、タイトルのセンスも良いとは思わないけれど、やはりテレ東のドラマ作りが上手い。とくに第11話は、描くべきものをしっかり描いた脚本。そこに「じゃない方」という概念もきっちり落とし込んでました。誰もが、誰かにとっての「じゃない方」かもしれない、…ってことですね。◇不倫相手の女子大生に翻弄され、大学の同僚にも翻弄され、妻と娘にも翻弄され、女子大生の友人にも翻弄され、実の母親にも翻弄され、…という、ここまでの展開はよく出来ていたし、あとは最終回をどう着地させるかですね。映像も綺麗でセンスがいいし、キャストもみんな魅力的だし、ここまではほぼパーフェクトな出来だと思う。◇とりわけ、このドラマは、濱田岳のエンターテイナーとしての魅力と可愛らしさを、遺憾なく魅せていました。いままで見た彼の仕事のなかでは最良だった。オープニングとエンディングの、ひとり語りと着ぐるみパンダとの掛け合いも可愛くておしゃれ。一方、山本美月は、「おじさんキラー」としての素質に期待されているのでしょうか?たしかに、なかなかの説得力です。そして、小山絵里奈の甘くて優雅でロマンティックな音楽も素敵でした。
2021.12.22
遅まきながら、Tverで「ゆるキャン△」第1期、ようやく全話視聴しました。くしくも、北川亜矢子の脚本作を同時に3本見ることになった。「ゆるキャン△」「東京ラブストーリー」「メルカリ」です。「東京ラブストーリー」はまだ視聴中。北川亜矢子は、技術的には申し分ない脚本家だなと思う。あとはオリジナル脚本で代表作が生まれるのを待つだけ。◇おりしも福原遥が、萌歌の次の朝ドラに決まりました。あまり予想してなかった人選だけど、もともとピチモ勢はNHKに強いし、まいんちゃん時代の貢献もあるとはいえ、それだけの理由で朝ドラ女優にはなれないだろうから、やはり「ゆるキャン△」はじめドラマの仕事が評価されたんだと思う。— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 25, 2021まいんちゃんが舞ちゃんを演じるらしい。#福原遥 pic.twitter.com/VOG4bt9Y5P— まいか (@JQVVpD7nO55fWIT) November 28, 2021◇それにしても「ゆるキャン△」はすぐれたコンテンツ。原作は2015年に描かれています。富士山が世界遺産になった2年後ですね。漫画版やアニメ版は観てないけど、ドラマ版は、テレ東ならではの技ありの出来でした。一話完結の面白さと気楽さだけでなく、仲間が増えていく通話ストーリーとしての面白さもあるし、小ネタやキャラ立ちも楽しいし、(鳥羽涼子が男には見えなかったけど)キャンプについての知的な関心も満たされるし、ご飯も美味しそうだし!さらにいえば、日本の女子高生の生態やファッションにかんする資料にもなっている。まさしく全方位的な魅力をもったドラマだと思う。これは国際的にも通用するコンテンツだなと思いました。
2021.12.01
新旧ふたつの「東京ラブストーリー」を見ました。91年の放送当時は、さほどブームに乗り切れてなかったし、ちゃんと見た記憶もないので、第1話を見るのは、たぶん今回が初めてだと思う。見た印象としては、「やっぱり坂元裕二は上手かったなあ」ってことです。最初からグイグイ引き込まれるような脚本でした。◇織田裕二の演じるカンチは、野暮ったい地方出身者。鈴木保奈美の演じる赤名リカは、やたらにポジティブな帰国子女。どちらも、東京という街からすこしズレている。そこが魅力だったと思います。当時、東京に住んでいた人の多くは、やっぱり地方出身者だったわけで、どこかしら東京とのズレを感じながら暮らしていたはずだし、そんな主人公への共感と、そこで繰り広げられるキラキラした恋愛への憧れが、社会的なブームになる理由だったのでしょう。とはいえ、視聴率的にみると、終盤こそ25~30%を記録しているものの、中盤までは20%前後をウロウロしてる程度で、そこまで突出した数字でもなかったんですね。◇今回の2020年版は、カンチ役に 不祥事前の 伊藤健太郎、赤名リカ役に石橋静河。伊藤健太郎は、わりと織田裕二の純朴なイメージに近い。でも、石橋静河のほうは、もとの鈴木保奈美のイメージとかなり違う。もともとタレントとしても、鈴木保奈美の華やかさにくらべて、石橋静河は地味な印象の人だし、91年版はファンタジックな印象が強いけど、20年版はリアリティを重視しているかもしれません。石橋静河は、「大豆田とわ子」のときもそうだったけど、今回も、ちょっと面倒くさそうな女に見えます。この違いこそが、今回のリメイク版の大きな特色になっていて、これを受け入れられるかどうかが、旧作ファンにとって踏み絵になるだろうと思う。さらに、今回は、カンチの幼馴染である関口と三上との関係に、より焦点が当てられていて、むしろそっちのほうに共感しやすくなってます。91年版では有森也実と江口洋介が演じてましたが、今回はこれを石井杏奈と清原翔が演じています。
2021.10.15
近年は「年上女の恋」を描いたドラマが多い。古くは、大森美香の初期作「きみはペット」とか?!あのときは、小雪が28才で、松潤が20才という設定でした。最近では、さらに女子の高齢化と男子の若年化が進んでいて、「逃げ恥」の石田ゆり子や、「恋する母たち」の吉田羊や、「あな番」の原田知世などは、アラサーもアラフォーも超えて…、もはやアラフィフ!日本もだいぶフランス化してきましたね。一方、「はじこい」の深キョンや「中学聖日記」の有村架純は、ピチピチの男子高校生をお相手にしています!それからフジテレビの「推しの王子様」は、比嘉愛未が36才で、渡邊圭祐が23才という設定です。そういえば、テレ東の「ラブコメの掟」も年上女と年下男子の恋でしたね。これはタイトルのとおり、ラブコメのお約束設定をパロディにして、ウブな年上女がイケメンの年下君に翻弄されるお話。栗山千明の "膝乗せハグ" がちょっとツボだった。おそらく制作サイドは、女子目線の視聴者層をターゲットにしてるだろうけど、なかには綺麗な年上女に憧れて、男子目線で見てる視聴者だっていることでしょう。◇今回の「プロミス・シンデレラ」は、二階堂ふみが27才、眞栄田郷敦が17才という設定。同じくTBSの「中学聖日記」のときは、岡田健史がまだデビューしたばかりだったし、実際に10代の俳優だったので、しかも、役柄上も真面目でウブな高校生だったので、やたらと「禁断の恋」みたいな背徳感が際立ちました。それにくらべて、今回の眞栄田郷敦は、実年齢がすでに21才だし、役柄上も、やんちゃなマセガキでありながら、なんだかんだ「花男」的な良家のおぼっちゃんなので、さほどの背徳感もなく、気楽に見ることができた。◇とはいえ、最終回は、かなり攻めた内容になっていました。アラサー女子と高校生の恋にとどまらず、最後には"結婚"まで匂わせたりして、これは従来のドラマの良識を破ってる気もする。ちなみに、わたしは原作をまったく読んでいませんが、今回のドラマは、いろいろ腑に落ちないところもあります。たとえば、早梅(二階堂ふみ)と壱成(眞栄田郷敦)が結ばれ、菊乃(松井玲奈)と正弘(井之脇海)も結ばれ、まひろ(松村沙友理)と洸也(金子ノブアキ)も、いずれは結ばれるっぽい感じなのですが、他方で、成吾(岩田剛典)や、アルバイトのさくら(畑芽育)は報われないのです。このあたりの納得感が乏しい…。そもそも早梅は、なぜ成吾でも正弘でもなく、高校生の壱成を選ぶのですか?まあ、「人を好きになるのに理由なんてない」のですけど、どうも物語としての納得感に欠けるのですね。◇貧しい虐待家庭に育った早梅と、容姿が醜かった明(=のちの菊乃)は、それぞれに恵まれない境遇を背負っていました。前者が「家なき子」の安達祐実だとすれば、後者は「野ブタ。」の堀北真希って感じ。ある意味では、どちらも似たもの同志なのです。そんな2人が敵対した原因は、成吾との潜在的な三角関係でした。菊乃が早梅に向けた憎悪は、いわば「隣の芝生」みたいな逆恨み。菊乃は、整形して美人になったんだし、成吾とも愛人になれたんだからいいじゃん!と思うけど、どうやら「愛人」という自らの立場を恨んだらしく、成吾の想い人である早梅を、いちど成吾と結びつけてから無理やり破綻させ、早梅にも自分と同じ「愛人」の哀しみを味わわせてやろうと、なかなか面倒くさい攻撃を仕掛けていたのでした。成吾と早梅をくっつけようという意味でなら、それは大女将(三田佳子)の企みにも近いのだけど、そもそも早梅は、成吾に恋愛感情を抱いていませんでした。◇成吾も、正弘も、父に虐げられていた貧しい早梅のことを救い、さらに醜かった明(のちの菊乃)のことも救った男性です。どちらも煮え切らない優柔不断な男ではあるし、菊乃と愛人関係になったのもマズかったけれど、基本的には優しい男性のように思える。正弘のほうは、いちどは早梅と結婚できたわけだし、最後は菊乃と結ばれて終わるようなので、それなりに報われた感じですが、成吾のほうは、いっとき菊乃と愛人関係になったのみで、早梅とはいちども触れ合うことすらなく、最後はひとり取り残されて終わります。◇菊乃は、せっかくなら最愛の成吾と結ばれりゃいいのに、なぜ最後に正弘のほうへなびくように終わるのでしょうか?そして、なぜ早梅だけが、成吾も捨てて、正弘も捨てて、拾いものみたいな金持ち高校生と結ばれて終わるのでしょうか?結果的に見ると、2人の女子がそれぞれに別の男性と結ばれ、なぜだか成吾だけが一人取り残されるという不思議な結末。タイトルの「プロミス」って、なんの約束だったの?兄の約束を、弟が代わりに果たすってこと?兄をないがしろにして?◇たしかに早梅は、真っ直ぐで正義感の強い女性ですけど、彼女だけが独り勝ちするようなオチにはなかなか共感しにくい。なんらの「プロミス」も果たされた実感はない。たまたま金持ち高校生を拾ってラッキー!ってだけ…。見方を変えれば、幼少期に母親に捨てられた淋しい壱成くんを、年上の早梅が優しく受け止めた感じでもあるのだけど、それって、成吾や正弘が、早梅や菊乃を受け止めた慈悲心にも近いし、そもそも貧しい家庭に育って、ろくに家事も出来ないし教養もないバツイチ女が、2人の男性を捨てたり、老舗旅館の御曹司を選んだりできる分際なのか?ってのもある。◇原作はまだ完結していないらしいけど、わたしが思うに、原作のアウトラインだけを脚本家が借用した結果、いろんなところで整合性が崩れてしまったか、もしくは、細部の説明不足のために、かなり納得感の乏しい展開になった気がしてなりません。原作者としては、「とりあえずドラマ化してもらっただけでありがたい」ってな弱い立場かもしれませんが、本心のところでは、このような脚色に納得しきれていないのでは?◇…それはそうと、眞栄田郷敦は、最近の若手には珍しいインパクトの強い顔立ちでした。このタイミングで亡くなった千葉真一どころか、かつての三船敏郎みたいな目力の強さ。渡辺謙とか、阿部寛とか、そのあたりに連なる"大型俳優"の雰囲気があります。いっぽうの二階堂ふみは、ほぼ実年齢と変わらない役どころだったけど、こんな可愛くてキレイな既婚女なら、きっと男子高校生でも恋しちゃうでしょうね。…今回のドラマは、和モダンな旅館を舞台に、蛇女みたいな松井玲奈が人間関係を掻き回すという、いわばサスペンスタッチのラブコメだったので、日テレの「わたどう」とか「高嶺の花」にも通じるところがあった。上記2作よりは、まだしもマシな脚本だったかもしれませんが、なかなか大満足とまではいかないのが正直なところです。
2021.09.18
日テレの「ボクの殺意が恋をした」が終了。なんだかんだで全話視聴しました。新木優子は美しかったし、映像もなかなか綺麗だったし、愛し合ってる男女が敵対しあうという設定は、「奥様取り扱い」や「ルパンの娘」などを踏襲するもので、それ自体は魅力的に感じていたのだけど…脚本の出来があまりよろしくない。点数としては50点ぐらい。コミカルパートがおおむね滑っていました。むしろ真面目なテイストにしたほうが面白くなったと思う。◇まあ、前提となる背景や動機の設定がいい加減なので、コミカル要素でお茶を濁す以外になかったのでしょう。つまりは、脚本を緻密に練り込むだけの能力に欠けているのです。この作品のように、動機や背景をきちんと練り込まず、ひたすら上っ面の展開だけをこねくり回し、ツッコミどころをコミカル要素で誤魔化しながら、どんでん返しによって視聴者を翻弄していく手法は、日テレの「あな番」やら、TBSの「天国と地獄」やらに共通しているところだし、武藤将吾の一連の作品にもいえることです。制作側としては、おおかたSNSの考察合戦に期待しているのでしょう。しかし、いいかげん、設定の底の浅さばかりが見え透いてバカバカしい。◇この路線で、唯一成功したと思えるのは「シロクロパンダ」だけでした。まあ、今回の作品も、「シロクロパンダ」を意識したふしはあるし、頑張って入り組んだ物語を作ったのは分かるけど、思想性が弱いし、細部の詰めも甘いし、コメディのセンスもパッとしませんでした。なにより前提となる設定がテキトーすぎて、男女の愛憎の切ない展開には十分に乗り切れなかった。やはり、作り込む努力をしなければ、いい脚本にはなりません。あまりにも当たり前の話ですけども。◇また日テレは秋元康の企画でドラマをやるようだけど、同じようなパターンの作品になる気がしてなりません。日テレは、この種の安易な企画に手を出すのではなく、ちゃんとした脚本の書ける作家を確保すべきだと思います。今季の「ハコヅメ交番女子」を見れば分かるように、日テレは、まともな脚本さえ確保すれば、ちゃんと名作を作れるポテンシャルがあるのだから。映像が美しかっただけに、惜しい。
2021.09.16
名実ともに、日テレひさびさの大ヒット!永野芽郁、最大の当たり役!!ついに「半青」のイメージも乗り越えて、個人的には「のだめ」の上野樹里にも匹敵する当たり役だと思う。共演陣のキャスティングも非の打ちどころがありませんでした。ロイ-RöE-の音楽を世に出したのも本作の功績!オープニング曲は、ヘタレな永野芽郁のイメージにぴったりです(笑)。◇フジの「朝顔」シリーズもそうだったけれど、なんといっても、根本ノンジの脚本が素晴らしい。やたらと大仰な展開に堕すことなく、むしろ、ささやかなエピソードのなかに、じんわりとした味わいをもたせるのがとても上手い。それに加えて、本作では笑いの要素が抜群に冴えていて、女子ペアのラブラブ感なども、男性作家とは思えないセンスで描いていました。最終回、川合ちゃんのアホな小芝居によって、さくらを警官に復帰させるエピソードは、なぜだか笑いと涙が同時に襲ってくるような秀逸な展開。さらに最終回には、執念で追い続けた犯人逮捕の場面もありましたが、手錠をかけられたのは、けっして絵に描いたような悪人ではなく、普通の人。そこらへんも一般の刑事ドラマとは違って、とてもリアルだったし、勧善懲悪ではない世の中の悲哀と複雑さがありました。ちなみに、タイトルの「ハコヅメ」はダブルミーニングで、"交番勤務"のことであると同時に、未解決事件の"箱詰め資料"のことだったのですね。◇ドラマを見始めた当初は、こんなに弱ッチイ警官を見せちゃって大丈夫?と思ったものだけど、この物語の根底にある、「警官だからこそ人間性が求められる」という視点は、いろいろと考えさせられる部分が多く、矛盾をはらんでいるからこそ訴える要素も大きかった。実際、警察はけっして軍隊ではないのだし、たんに人間性を圧殺して暴力をふるう組織では許されない。コメディとしての楽しさを前面に出しながらも、社会的な意義や現代的な意義も有していた作品だといえる。◇脚本さえよければ、日テレはいいドラマをちゃんと作れますね。そのことが、あらためて分かった。かつては「女王の教室」や「ごくせん」など、数々の名作を連発していたのだし、むしろ演出力は他局よりも優れているのです。ただし、いかんせん、最近は脚本の出来に左右されている面が大きいし、近年の日テレの不作っぷりから考えて、この「ハコヅメ」のシリーズ化は確実ではないでしょうか?日テレは、このコンテンツを逃すべきではない。続編どころか、パート3、パート4ぐらいまでいけるのでは?
2021.09.15
なにげに「にほんごであそぼ」とか、実験番組の「すイエんサー」とか、Eテレの子供向け番組をけっこう見てるほうなので、服部隆之の「シェイクスピアのうた」を歌えるだけでなく、奥森皐月ちゃんのことも前から知っていました。◇全国いいとこコンサートで踊ってるときも、それはそれで可愛かったのだけど、じつは彼女がとても頭のいい子だということを、わたしはちゃんと知っていた。わたしの目に抜かりはない!◇そして、彼女は、いよいよ今年のはじめあたりから、本格的なポテンシャルを開示しつつあって、いきなり伊集院光とか、藤井青銅とか、かなりディープなところと交流してるみたいです(笑)。まだ17才だけど!先日はゴールデンのクイズ番組で、驚異的なオタクっぷりを見せつけていました。思ってた以上に頭よさそう。
2021.08.17
NHKドラマ「六番目の小夜子」が再放送されてました。2000年の作品です。21年も前って…古い!わたしは、今回が初視聴。絶賛、NHKプラスで後追い中です。鈴木杏、栗山千明、山田孝之、松本まりか、山崎育三郎、勝地涼、…というスゴい面子!しかも、当時はまだ無名だった若い6人が、主要キャストで勢揃いしてたってのが凄い。◇山田孝之は、この翌年の『ちゅらさん』で有名になりました。栗山千明は、2003年の『キル・ビル』で有名になりますね。鈴木杏は、いまや日本を代表する舞台女優ですが、わたしは、03年の『Stand Up!!』で彼女を知った。勝地涼を知ったのは04年の『ちょま神』かなあ?ちょうど、このブログを始めたころ。松本まりかは、06年の『純情きらり』に出てましたが、わたしが彼女を認識したのは、わりと最近です。山崎育三郎は、このときは、まだ渡米前だったようで、帰国後にミュージカル俳優として大成するのですね。教師役では、村田雄浩や小日向文世が出演していますが、わたしが村田のことを知ったのは『ちゅらさん』だったし、小日向のことを知ったのは08年の『喜多善男』だったと思う。そう考えると、当時はほんとに無名の役者ばかり。◇恩田陸の原作は、眉村卓の『なぞの転校生』あたりを基礎にしてると思うけど、日本産SFジュブナイルのエッセンスをうまく取り込んである。NHKもさすがに要領を得ていて、その作品の意図をきちんと汲み取って映像化しています。こういうジュブナイル系のドラマは、たいていは内容が荒唐無稽で稚拙なのだけど、なんともいえず懐かしくて胸がキュンとするのは、昔の『七瀬ふたたび』やら『時をかける少女』やらを思い出すから。実際、2000年に作られたドラマにもかかわらず、見た感じはもっと古めかしくて、その映像の古臭さは、あきらかに1970年代の「少年ドラマシリーズ」を彷彿とさせます。画面の大きさも、昔のブラウン管に収まるようなスタンダードサイズになってるし、母親役で『七瀬ふたたび』の多岐川裕美も出演している(笑)。◇もともと日本のジュブナイル作品は、少年少女の出てくる米国のSF怪奇作品あたりをモデルにしつつ、戦後に作られはじめたのだろうと思います。そして、筒井康隆や眉村卓の小説を、70年代の「NHK少年ドラマシリーズ」が映像化し、さらに80年代の角川映画がそれを引き継いだことで、美少女萌えの要素を強めたジャパニーズスタイルに発展しました。この「六番目の小夜子」も、謎めいたホラーっぽい物語もさることながら、鈴木杏と栗山千明の美少女ふたりの危うい友情があり、そこに山田孝之や松本まりかが交わり、さまざまな三角関係に錯綜していくあたりに、ドキドキするような胸キュン要素があって、…そこに思わずときめいてしまいます。各話30分という短さは手頃だけれど、それでいて全12話という長さは見応えがあります。これも昔の少年ドラマシリーズと同じですね。
2021.08.02
今季いちばん面白く見ていたドラマ!ひさびさの日テレのヒットと思ってたのに!何話まで撮り終えたんだろう?ちゃんと最後まで放送してよ~!
2021.07.24
朝ドラ「おちょやん」の総集編を見ました。本放送のときは飛び飛びの視聴だったので、ようやく全貌を把握することができましたが、あらためて「すごいドラマだなあ…」という感想です。◇めちゃくちゃな家庭に育った千代。めちゃくちゃな家庭に育った一平。そして千代と一平がつくった家庭もまた瓦解する。家族幻想がことごとく打ち砕かれる。思えば「スカーレット」の主人公も、ろくでもない父親のもとで苦労しながら、結局は自分でつくった家庭も壊していました。あたかも家族幻想を粉砕することが、いまのNHK朝ドラの主要な任務だと言わんばかりに、このテーマを朝っぱらから容赦なくお茶の間に叩きつけています。◇実際問題、世の中には、テルヲなんぞよりもっとひどい親があふれていて、意地悪な継母や、虐待男を家に連れこむような親もたくさんいる。もはや「親孝行」を美徳に出来る時代じゃなくなってる。場合によっては、ろくでもない親を捨てなければならない。子供は、親のために生きるのじゃなく、なによりも自分のために生きることを考えなければならない。そういう時代です。もともと、わたしは、やれ「親孝行だ」などと言って、親のために生きることを暗に強いるような社会は、はなっから疑ったほうがよいと思っているし、そういう社会はとても嘘くさいと思っている。むしろ、親を捨てねばならない子供のほうを、社会は積極的に支えていかなければなりません。今回の朝ドラからは、そういうメッセージを感じます。◇まあ、救いらしい救いもなかった「スカーレット」に比べれば、まだしも「おちょやん」のラストには救いがありましたが、それでもなお、物語全体の壮絶さは、その「スカーレット」さえも上回っていたように思います。父に裏切られ、最愛の弟にも裏切られ、そして信じた夫にも裏切られる女性の半生。もちろん、そこには、大正モダンの欧風文化に感化され、イプセンの「人形の家」の台本を手離さなかった女性の、いわゆるフェミニズム黎明期の姿も託されているでしょう。◇もともと「スカーレット」も「おちょやん」も、実在した成功者をモデルにしているのだから、たとえば「わろてんか」や「あさが来た」のように、あるいは「ゲゲゲ」や「まんぷく」や「エール」のように、理想的な家族を軸にしたサクセスストーリーにも出来たはずです。しかし、そうはしなかった!そんな話はつまらないし、嘘くさいから!現実の人生は、努力すれば報われるような単純なものではないし、血縁家族は、無条件に信頼できるような帰るべき場所じゃない。だからこそ、「おしん」も「純情きらり」も、「スカーレット」も「おちょやん」も、人生の成功だの、家族の愛情だのといった安易な幻想を叩きのめすのです。主人公は子供のころから成熟しているけれど、周りの大人はガキみたいなクズばっかり。血縁家族より赤の他人のほうがよっぽど信頼できる。いくら努力をしたって報われるわけでもない。そうした逆説が、これらの作品の世界観を作っています。◇もしも努力して成長して成功する話が見たいのなら、シルベスター・スタローンの『ロッキー』でも見てればいいのだし、ひたすら理想的な家族像だけを見たいのなら、マイケル・ランドンの『大草原の小さな家』を見ればいいわけで。しかし、現代のNHK朝ドラの存在意義は、そういう甘い幻想を否定し尽くしたところにこそある。実際のところ「おちょやん」は、浪花千栄子をモデルにしながらも、彼女が映画やテレビで成功するまでの人生を描いてるわけではないし、かといって、吉本の歴史を描いた「わろてんか」ように、藤山寛美へいたる松竹の歴史の栄華を描いてるわけでもありません。ただ、ひたすらに、女性が直面する「家族幻想の崩壊」と「成長成功の逆説」を描いたのです。◇さて、今回の脚本は「半沢直樹」を手がけた八津弘幸でした。TBSの「半沢直樹」は、なぜか演出の福澤克雄ばかりが注目されがちだけど、この朝ドラ「おちょやん」をとおして、あらためて八津弘幸の脚本の実力が認知された形です。原作なしのオリジナル脚本ってことが信じられないほど、エピソードが豊富だったし、その中身も充実していました。そして申し分のないメッセージ性を湛えていました。たぶん八津弘幸は関東の人だと思うけど、そうとは感じさせないほど、泥臭くてアクの強い関西芸人の世界を、見事なほどリアルに表現できていたと思います。わたしは関西人じゃないから分からないけど(笑)その泥臭さやアクの強さを嫌った視聴者も多いでしょうが、そこにこそ凄みや醍醐味があったわけだし、演技と物語のダイナミズムもあったのだし、スペクタクルとしての面白さもあったのだし、朝っぱらから濃厚な映画を鑑賞させられるような見応えがありました。いちおうは史実に沿っているので、京都の山村千鳥一座や映画撮影所パートも必要だったのでしょうが、それらは大阪パートの迫力に比べると、正直、ちょっと見劣りがしたのも否めません。やはり大阪の道頓堀パートこそが本作の主軸であり、岡安の家族的な温かさと、大阪芸人の豪胆で破天荒な生き様が、最大の魅力になっていたと思います。◇シズと延四郎の悲恋物語。ロミジュリ的なみつえと福助の戦争悲劇。一平とお夕との悲しい母子物語。千之助と万太郎の因縁のライバル物語。…などのサブストーリーも非常に印象的で、それだけでスピンオフドラマを作ってほしいと思うくらい、胸に深く刻まれるような内容のものでした。これらは史実というより、かなり脚色された部分だとは思うけど、そこにこそ八津弘幸の作話手腕が光っていたと思います。ちなみに、千代、千鳥、千之助、千兵衛…と名前をそろえたのは、やはり「千両役者」の意味合いを込めてであり、そこからすると、さしずめ須賀廼家万太郎や万歳は「万両役者」であり、かたや一平は、たったの「一両役者」ってことでしょうか?(笑)千秋万歳なんて言葉もありますね。◇そして、ドラマのダイナミズムを生み出すこの脚本家の巧みさは、養女の春子を「父と継母の孫」と設定したところに、もっとも顕著に表れていたと思います。じつは史実では、浪花千栄子の養女(南口輝美)が誰の娘だったのか、明らかになっていません。「弟の娘」という説もあれば、「母の親縁の子」という説もある。かりに愛する弟や母に縁のある子ならば、主人公にとっては、だいぶ受け入れやすかったはずです。…にもかかわらず、よりによって、もっとも憎むべき父と継母の孫と設定したところに、八津弘幸のすぐれた作劇術と思惑とがうかがえます。つまり、半沢直樹は「復讐の物語」ですが、おちょやんはまったく逆なのです。千代は、自分を裏切った夫にも、その不倫相手にも、まして、その不義の子にも復讐ができません。それだけではなく、幼い自分に不幸な運命を強いた父と継母にも復讐できないし、それどころか(=だからこそ)、ついには彼らの孫娘を養女として受け入れ、自分の唯一の家族にするのです。千代自身が、血縁ではない岡安の人々に支えられたように、春子もまた、血縁ではない人々に支えられて生きていくのでしょう。◇人間は成長などしないし、努力したって報われないし、お芝居は、台本どおりには進まない。むしろセリフを忘れたときにこそ芝居が活気づき、台本と違うことを喋り出したときにこそ感動が生まれ、禁じられた接吻によってこそ公演が成功し、出ないと思ったラッパの音が出た瞬間にこそ笑いが生まれ、そして、もっとも憎むべき人間との再会や、ラジオドラマに誘うおっさんのアホみたいな楽天性こそが、人生を諦めてしまった主人公を、奇跡のように救い出すのです。人生とはそんなものだし、感動とはそんなものだし、お笑いとはそんなものですよね。そこに八津弘幸の脚本の真骨頂がありました。◇話は変わりますが、噂によると、トータス松本が「俳優を目指す」と言ったとき、井上陽水は賛成し、奥田民生は反対したそうです。ですが、トータス松本の俳優業の展望は、ここで「朝ドラ史上最悪の父親」を演じたことによって、一気に広がっていくのだろうなあと思うし、それが良いか悪いかは別として、「もう歌わなくても食ってけるんじゃないかなあ」って気もします。むしろ奥田民生のほうが音楽だけでやっていけるのかどうか。そっちが心配になりますね。◇他方、大阪のアクの強い芸人たちのなかで、杉咲花と成田凌の主演コンビの演技は堂々たるものでした。杉咲花には、「いだてん」のときにもかなり泣かされましたけど、意外にも彼女は、民放以上にNHKで実力を発揮しています。セリフのない演技にも圧倒的な説得力があって、成田凌との掛け合いにも盤石の安定感が出ていました。そのほか、篠原涼子、名倉潤、宮田圭子、片岡松十郎、ほっしゃん、板尾創路らの演技も素晴らしかったです。
2021.06.30
テレ朝の「桜の塔」が終了。正直なところ、期待したほどの内容ではありませんでした。キャストにも演出にも不満はないけれど、どうにも脚本がガキっぽいのですよね。これは武藤将吾の特徴なのでしょうが、やっぱり仮面ライダー臭さが抜けないのです。ストーリーをこねくり回すのに腐心しているだけで、人物造形が薄っぺらいし、テーマにも深みがない。大人版の仮面ライダーとして消費できれば楽しいかもしれないけど、そう割り切って楽しめるほどのユーモアも感じません。◇最後に復習を遂げた玉木宏が生きる力を取り戻し、広末はめでたく岡田健史と婚約して、椎名桔平はしぶとく生き続けている…という終わり方は、ストーリーとしては上手く収めたつもりだろうけど、正直「だから何?」と思うだけで何も残らないし、「仲里依紗の殺人は夫への愛のためでした」とか、「頭から転落した森崎ウィンも奇跡的に生還できました」とか、取ってつけたような嘘っぽさにも程があって、さすがにシラケました。一部のバカな評論家は、「正義とは何かを問いかけた作品だった」などと、もっともらしい論評をしているけれど、仲里依紗に罪を押しつけた玉木宏と椎名桔平が、平然と警察業務を続けている時点で、この物語の正義が破綻しているのは明らかだし、たんに面白おかしく話をこねくり回しただけのドラマに、まともなテーマなど見出せるはずはないのです。当初は「警察版の白い巨塔」という体裁だったけれど、実際には「警察版の仮面ライダー」として、暇つぶしに消費すれば事足りる内容のものにすぎません。◇テレ朝やフジは、「未解決の女」とか「朝顔」とか、新しいサスペンスドラマの制作に取り組んでいて、この「桜の塔」もそんな試みの一つだったとは思う。そのこと自体は評価するけれど、今回にかんしていえば、フジの「イチケイ」のほうが上でしたね。
2021.06.14
恋ぷに最終回。・海洋保護の主張が国際的に評価されて、会社の方針が変わる。・海音が「持続可能な開発コンセプト」の素案を示す。・倫太郎の手腕が社内で評価されて、家族が和解する。・瀕死の倫太郎をキスの魔法で助けたあと、海音は海に帰る。…という内容でした。◇視聴者に投げかけた作品のメッセージは、「これから先の海のこと、倫太郎さんにお任せしてもいいですか」という海音のセリフに込められていると思う。基本的な脚本のコンセプトは悪くありません。でも、個々のエピソードに具体性が乏しいし、演出にも説得力がない。中盤までの素晴らしかった内容とは裏腹に、あきらかに尻すぼみの終盤でした。なぜこうなったのでしょう?◇第一に脚本が改変された感じがあります。視聴率が悪かったのと、バカな評論家たちが「幼稚なファンタジー」だと、変な言いがかりをつけたことも影響したかもしれません。高視聴率だったTBSの「天国と地獄」や、好評価だったNHKの「きれいの国」を挙げるまでもなく、テレビドラマにおいてファンタジーはかなりの割合を占めるし、ファンタジーにはファンタジーなりの楽しさと深さがあります。わたしはそこに期待していたのだけど、終盤のちぐはぐさを見ると、ファンタジー部分の追求よりも、いわば「TBS流のラブコメ路線」を優先した感がある。これは非常に悪い傾向です。◇萌音の「恋つづ」が放送された当初は、ボロクソに言っていたはずのバカな評論家たちが、いまや手の平を返したように、TBSのラブコメこそ正義であるかのように言ってます。視聴率主義にもほどがある。今回の「恋ぷに」でも、最終回の直前で倫太郎が交通事故に遭います。頭を打って、しばらくしてから気を失う。これは「恋つづ」の天堂先生と同じパターン。次週へつなぐための無意味な方便です。さらに悪いのは、海音が、瀕死の倫太郎を生き返らせるために、魔法のキスをして眠っているうちに去ったというのに、海辺でまた再会して、またもやキスシーン。「とりあえずキスすりゃいい」ってのも、やはりTBS流ラブコメ路線の悪しき影響なのでしょう。しかも、魔法のキスをしてから、蘇生するまで時間が長すぎるので、ほんとうにキスの効果で生き返ったのかどうか、よく分からなくなっている。本来なら、海へ帰る直前に息も絶え絶えに病院へ忍び込んで、確信をもって魔法のキスをしたら、倫太郎が目覚める前に去っていくべきなのです。視聴率優先のご都合主義のために、話の中身がどんどんちぐはぐになっている。◇TBSのラブコメを模範にしすぎるのも考えものです。テレビドラマのクオリティがどんどん落ちてしまう。むしろカンテレの「まめ夫」のように、国際的な展開を視野に入れて独自路線を行くほうが、はるかにテレビドラマとしての将来性があるのだけど、局の上層部の人間や、バカな評論家たちは、そういう展望をまったくもってない。無能な評論家にかぎって、一つ覚えのように「ファンタジーの幼稚さ」を指摘するけど、本来の脚本のコンセプトをおざなりにして、安易なラブコメ路線を優先するほうが、よっぽど幼稚なのです。◇海音が最後に示した持続可能な開発コンセプトは、「海を埋めるのではなく、陸を掘る」という発想でした。それ自体は悪くないけど、それ以上深まらなかったのが残念。そして、3年後、蓮田トラストの開発担当を任された栄太郎は、最後に再生可能エネルギーの話をしていたけれど、たんに風力発電の写真が後ろに見えただけで、とくに目新しい開発ビジョンの要素は感じられない。そもそも、なぜ栄太郎が開発プロジェクトを進めているのでしょうか?海音が「海の未来」を託したのは倫太郎だったのだから、倫太郎こそが持続可能な開発を追求しつづけるべきだし、国際会議での代理講演も、椎木や染谷ではなく、ロンドン生活の長かった倫太郎がおこなうべきでしょう。◇海音の研究の成果が、英語の論文ではなく、日本語で演説した動画によって、国際的な影響力をもってしまうのも変な話だし、海音のうったえた海洋保護の思想が、なぜか栄太郎に引き継がれていて、研究室の職員にいまいち共有されていないどころか、倫太郎にいたっては海辺で焼き芋屋をやってるだけ、というのも変な話です。ここらへんのちぐはぐさも、脚本改変の結果でしょうか?◇ちぐはぐといえば、海岸の名前は「星ヶ浜」なのに、「月の光で海の中まで明るくなる」とか、「満月の夜に人魚が陸に上がる」とか、エピソードとして出てくるのは「月」の話ばかり。だったら「月ヶ浜」にすべきでしょ。ちなみに、海音が海へ帰ったら、ウツボも一緒に帰るべきだとわたしは思うのですが、あのまま水槽に飼ってていいんでしょうか?◇ついでに、もうひとつ。蓮田家の母の誕生日と命日は一緒らしくて、その日に父と息子たちが集まって和解してましたが、これも唐突すぎて不自然でした。本来なら、倫太郎のそれまでの功績が評価されて、ようやく家族の和解へ至るべきなのですが、その順番が逆だからです。◇いろいろと不満はありますが、とりあえず最後の映像だけ貼りつけて、あとは物語の内容を脳内変換することにします。
2021.06.11
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