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私は子供が産まれても夫がいても、この人のことを一番愛さずにはいれない。それは子供でも親でも夫でも友達でもなく、私がこの世で一番愛するのは他の誰でもない、85歳になるおじいちゃんなのだ。彼は最近はボケも入っているが、元々若い頃から天然ボケのちびまるこちゃんのおじいちゃんのような人だった。今日本に一時帰国中の私は、このじいと一緒に日々を過ごせることがとてつもなく嬉しい。30にもなるのに未だ私は彼の孫であり、一生そうなのであり、朝起きると”おはようのハグー!!”と言って抱きつき、”ちゅーも、ちゅーも!!”と言って彼のほっぺにぶちゅー!!彼を見つけては後ろから抱きついたり、目隠しをして”だーれだ??”と甘えていくのだ。気持ち悪いーと思われた方ごめんなさい。これ事実。さらにいつも”じい、歌うたって!!”と頼んで一緒に歌を歌い、”じい、踊って!”と頼んで一緒に踊る、さらに、”又じいの昔の話をしてー!”と彼に駆け寄っていく、そんな仲なの。彼は彼の幼少期の話や戦争中の話など同じ話を何度も何度も聞かせてくれる。私はとっても幸せを感じる。彼の孫に生まれて、本当によかったなーと実感する。そんな中でも特に楽しいのはじいとのしりとり。私が”か?柿。”とか、”や?山。”とか、なるべくじいによくわかるような、カタカナなしのシンプルな日本語で挑んでいくのに対し、彼から返ってくる言葉はなんと9割がたカタカナ言葉。”し?シンデレラ。””ぎ?ギリシャ。”なんてガンガン返してくるのでこっちがひっくり返りそうになる。”こ?コバルト。”なんて言う事もあり、私が”コバルトって、なにぃーーー!!!???”と本当に彼が言わんとしていることを確かめようと聞き返すと、”コバルトいう色があるじゃろう。綺麗な色じゃ。”などとしっかりしたことを言うのでまた面白い。さらに彼はすぐに”ば?バッキンガム宮殿。”とすぐに”ん”で終わる言葉を言ってしまう。こんなことで勝ち負けを決めていては私達のしりとりはあっという間に終わってしまうので、いつももう一度チャンスを与える。なのに、”ん、で終わったらいけんのんか、次は運動会言えばええじゃろう。”とわけのわからないことを言い出す始末。それは”う”なんですけど。そして私が”る?さっきルビーは言ったし、るから始まる言葉ってあんまりないね。”と言うと、”るはいっぱいあるぞ。ルーマニア、ルソン島、、、”とまたまたカタカナで切り返される。あっぱれ。それどこ?それ誰?っとつっこみを入れたくなるような戦争中に覚えた外国の地名、又は外国の将軍名など言われても私には全くわからない。そういう細かい、何度も言うが、”カタカナ単語”が彼の頭にはわんさと詰まっているのだ。彼に言葉の説明をされると、そういう言葉があるのかと納得して次に進まざるをえない私。彼はさらに自分自身で新ルールを作り出す。例えば私が”銅像”と言うと”雑木林。”などと平気で返してきたり。ぞう、だから”ぞうきばやし”ですか。。。最後の一文字だけ取ればいいんですけど、、、。私達のこんな掛け合いを聞いて、海もその都度大笑い。どこまで内容がわかっているのかは謎だが、ひとまずかなり面白い状況だということはよくわかるのだろう。こんな田舎での平和な日々もあと少し。シドニーへ帰る日が近づいている。じいとの別れが辛すぎる。
May 27, 2005
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ヨーロッパ放浪記イントロに対するコメントどうもありがとうございました。期待を裏切らないようまたシドニーに帰ってから、英語の旅行記を参考にして付けていきたいと思ってます。たった一日の体験でも恐ろしく長くなるものもあるので、書き始めるのに勇気がいるんですよね。ところでこのサイトにはろくでもないことをだらだらと書いている私。実は2000年から手書きの10年日記(1ページに毎年同じ日の日記が書けるもの、つまり1ページに10欄ある)を付けている。最初の数年は漢字を書くのが面倒なので(ぐうたら)英語で書いていたがリチにこっそり盗み見されてからは全て日本語でつけるようになった。でもその日記にカイの成長ぶりを書ききれなくなったのだ。実際こんなサイトにつけても親以外の人にはどうでもいいような些細なことが多いのでわざわざ書かないが、私の母がつけていた育児日記を今読んでみると大変面白いので、私も出来るだけ詳しく自分の子供の成長を記録しておこうと、さらに別冊の育児日記を手書きでつけることにした。そうしたらあるわあるわ、毎日新しく出来るようになったことだけでも普通のノートに1ページくらいになる。これはすごい。いい思い出になりそう。海が日本語を読めるようになるかどうかはナゾなので、もしかすると本人が読むことはないのかもしれないが、何らかの形でこうして成長記録を残しておくのは後々読み返しても面白い気がする。母の育児日記には今の海と同じ頃私に何が出来ていたかが書いてあり、海と比較してもかなり面白い。まぁ日本語オンリーだったせいもあるのか、女だからか、私の方がかなり言葉は早いらしかった。それにしても平気で甘いものを与えている母。今の子育てとは違う部分も多くある。そんなこんなでまた言い訳。こんな日記を別につけているせいもあり、このサイトアップはこれまでに引き続きゆっくりになりそうです。気長にお付き合い下さいませ。
May 24, 2005
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私の体調に対するコメントどうもありがとうございました。今日は昨日より少しいいみたいです。でもまだ食欲もなく食べ物もおいしくない。早くラーメン食べたい!お寿司食べたい!!!5日目にしてやっとおかゆを脱出しました。ところで病気のため昼間爆睡したせいで、今頃目が冴えてしまった。そして以前からずっと日本語でまとめようと思っていたヨーロッパ放浪記にやっぱり少しずつ手を付けていこうと、今日ウルルン滞在記を見てて決心した。そんなに一度には勿論出来ないが。たまに思いついた時、程度に。当時の思い出はA4にして200ページ以上の英語旅行記にすでにまとめられている。旅行当時一番私の行方を心配していたのは当時の彼、今では夫のリチャードなので、旅サイトは英語で付けていたのだ。大体どこの国からでも日本語でタイプ出来るかどうかわからなかったし。そこで今日は話題を変えて、あの旅のイントロ部分に触れてみようと思う。あの旅行は今までの人生において他の何物にも変えがたい貴重な経験。これまでの出産育児における経験と比べても本当に比べ物にならないくらい感動し、幸せを感じた。これからの人生においてこれ以上の感動と幸せを感じることが出来る自信は今のところない。25カ国、約100都市を周った旅だった。今から3年前、ストレスの多いOL生活を4年少し続けた頃、以前からもっと旅をしてみたいと思っていた私も、なんだか落ち着いてしまったと言うか、もうこれ以上あまりはじけたことは出来ないような、そんな不安に駆られていた。大体1人旅なんて自分に出来るのだろうか。寂しくないだろうか。帰ってきてからどうなるのだろう、などなど、一般的にこういうことをしようとする人が感じるような一通りの不安は感じていた。生まれて初めてバックパッカーズやユースホステルなどの安宿に見ず知らずの人と部屋をシェアして泊まった。ヨーロッパでも平均一泊2000円ほど。食事はほとんどサンドイッチやハンバーガー。たまに物価の安い国でレストランに入るくらい。食生活は確かにひどかったが、旅の途中で出会った人たちとの会話は本当に楽しかった。ガイドブックは日本語の地球の歩き方、英語のLonely Planet、さらに場所によってはそれらに詳しく載っていないものもあるので別冊を用意し、とにかく毎日毎日移動中はこれらの本を読み漁った。ミーハーの私は有名どころは絶対逃したくなかったのだ。面白いもので日本語のガイドブックでは絶賛されているものも英語のガイドブックでは見向きもされていなかったり、又逆もある。とにかく全て網羅したかった。さらに毎日出会う旅人から得る生の情報により急遽プランを変えて彼らの勧めてくれる場所へ行ったりもした。最初は持ち合わせていなかった列車の時刻表もトマスクックの日本語のものをある旅人から譲り受けた。ヨーロッパ全ての連絡が示されているので大変役立った。この路線図を見ながら明日はどこへ行こうとプランを練るのが楽しかった。ユーレイルパスを持っていたのでほとんどの列車にはどれにでもすぐ飛び乗れた。さらに場所によっては飛行機、長距離バス、船などを使って旅行した。トルコからギリシャへ帰る22時間の長距離バス、スウェーデンからフィンランドへ渡る豪華客船、東ヨーロッパを縦断した夜行列車など、思い出は尽きない。毎日目が覚めると全然知らない国の知らない都市にいる。この快感は筆舌尽くしがたい。今日はどんな美しい自然を見れるのか、歴史的建造物を見れるのか、そしてどんな人に出会うのか、毎日が感動と興奮の連続とはまさにこのことだった。大げさな話、毎日自分のほおをつねってこれが夢でないことを確認したかったくらい。最後の最後まで夢ではないかと思った。中には怪しい経験もいくつかした。トルコで変なタクシードライバーに誘拐されそうになった話。トルコ風呂でのエロオヤジ体験。ポーランドサイコ病棟での恐怖の体験などなど、、、あぁ、無事に帰れて本当によかった。また思い出したら少しずつまとめていこうと思う。
May 15, 2005
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全然違うことで行った病院で風邪を移された海。ひどい下痢と発熱が治まってやっと元気になってきた頃私に移り、彼よりひどい症状でダウン。2日で体重が3~4キロ落ちた。トイレにも這って行くような状態。そんな私も今日は昨日より少しいいが、今度は85才の最愛のじいに移った。早速病院に行って薬をもらってきたが、働き者の彼は病気であることも忘れてあくせく家の事をするので心配。ほんと最悪。久々にクラビングなど考えていたがそんな余裕はなくなった。今回の帰国では病気と他に気になることもあるので海の検査のため病院に通い詰め。は~っっっ。。。それにしても心配そうに私を見つめる海。私が寝ていると水の入ったコップを口元に持ってきてくれる。せっかく持ってきてくれたのだからとマスクを取って一口飲むと、これ以上ないという程嬉しそうににっこり笑う。そして小さな腕を精一杯広げぎゅーっと私を抱きしめてくれるのだ。頭を優しくなでてもくれる。愛されているんだなと感じる瞬間。最近の海の成長振りには目を見張るものがある。英語も日本語もこちらが言っていることはほとんど理解している。言えるようになった言葉は<日本語>パパ、ママ、じい、ばあ、ご飯、パン、バイバイ、ワンワン、にゃーおん、ぶーぶー、5、10 など<英語>car, go, gone, zoo, key, beer など人やペットの名前もよく真似しようとする。自分の名前も"カ"だけは言えるようになった。私は海には日本語しかしゃべらないがうちの母や叔母はやめときゃいいのに変な英語で話しかけるので困ったもんだ。そんなジャパニーズイングリッシュなのに何故か理解してちゃんと反応している海って??自分の体の各部も英語で聞いても日本語で聞いてもちゃんと指せるようになった。まるで犬の調教状態。あと投げキスが上手になってみんなに手を振ったりキスしたり。毎日のリチャードとのウェブカムトークでは嬉しそうに、パパ、ダダを連発。リチもメロメロだよ。
May 13, 2005
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私が働いていた頃を知っている人からはかなり意外がられるが、実は私専業主婦であることをかなりエンジョイしている。確かに働いていた頃は1にキャリア、2にキャリア、とにかく勉強と資格取得と仕事と、、、キャリアに全てを賭けていたような気がする。自分から仕事を取ったら自分ではなくなるとさえ思っていた。専業主婦なんて退屈だし、何だか格好悪いなーとさえ思っていたのに。状況が変われば考え方も変わるものだ。そんな私も今ではすっかり子育てと家事に奔走する日々。考えてみればあんなにキャリアを重視していたのは大好きなイギリスの労働許可を取るのを目標にしていたからかもしれない。だって簡単に職をゲットできるオーストラリアとは違ってヨーロッパでの就職はかなりのキャリアが必要。さらにアジア人である私が仕事を見つけるには、仕事の経験、スキル、年齢、努力、運など全てを必要としていた。まぁ少なくともそう信じていたので、少しでも目標に近づくために若いうちにとにかく我武者羅に努力しなければと思っていたのだ。イギリス永住のためなら何でもするのだーと、本当に必死だった気がする。でもオーストラリアにベースを置くことになった今、そこまでしてあんなストレスの多い仕事にもう二度と就きたくないと思えてきた。かなりのストレスだった。残業や出張も多く、プレッシャーや責任感などによるストレスから体調を崩すことさえある日々だった。そんな私も最近専業主婦であることに慣れてきた。実際はそうでないのに、何だかずーと前からそうだったような気さえする。働いていた頃なんてずーとずーっと昔に思える。こう見えても私は結構料理好きだったりする。掃除などもそう苦にはならない。日本に帰った今、幼児食レシピ本、パンやお菓子作りの本、お弁当レシピの本など料理に関する本を買いあさっている。そんなに素晴らしいものを作れるわけではないが、毎日新しいレシピに挑戦するのが現在の地味な喜び。実家でも母に代わって料理担当をしている。働いていた頃は仕事帰りにコンビニ弁当を買って食べたり、海外に出てからも外食やtake awayがほとんどだったのに、手作りに慣れた今では外食なんて体が受け付けなくなってきた。以前は美味しいと思っていたレストランでも久々に食べるとかなりまずく感じる。要はこってりした濃い味付けが苦手になったということだ。まぁ年のせいもあるかもしれないけど。どんな有名なレストランの食事よりやっぱり家で作る料理が一番美味しい。あー、何て地味な生活になったのかしら。出来ればこのままずーっと専業主婦でいたい。でも人生そんなに甘くないわけで、子供もいるし、経済的な理由から将来はまた仕事をすることになるだろう。だから余計に今の幸せを噛み締めておかないと。人生のそれぞれの段階で人の感じ方って全然違ってくるんだなぁ。
May 6, 2005
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