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ずいぶんサボってしまった。何か書こうと思っていたことはあるのだが、それすらも忘れてしまった…。よって今日はテーマなし。日付が遡っているのは、いつか棋譜を載せようと思ったときに、いくらでも連続して載せられるからである。魔婆斗は凝り性なので、いったん始めると立て続けにやらなければ気がすまない。譜をためておいて小出しに更新するなどということは苦手なのだ。しかし、そんな必要ももうないような…。また気が向いたら…。(かすかな記憶による今後の出し物案)1.「困ったゲーム」 前回の囲碁ソフトに続いて、今度は本当にゲームの話を書こうと思っていた。ファイナルファンタジーシリーズあたりでも書こうかな…。2.対COM9子局 魔婆斗が白ではなく、黒を持って「紛れない打ち方」の実演をしようというもの。 「プロプロ置碁」は力量がそんなに変わらない同士(しかも強い)があえて置碁を打って模範を示そうという趣向だが、これはそれをさらに一歩進めて、あえて力量が劣るほうが白を持ち、黒の勝ち方を見せようというもの。ただし、プロプロと違って、双方の棋力水準はハイレベルではない。
2010.04.06
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ずいぶんサボってしまった。このテーマは、碁なのかゲームなのか、どちらにもとれそうだが、いちおう碁ということにしておこう。私が持っている囲碁のゲームを評価してみたい。1.ヒカルの碁・ヒカルの碁2(GBA)かつての人気漫画を題材にしたゲームである。登場人物をモデルにしたキャラと対戦できる。これはこれで斬新だった。しかしいかんせん弱い。それまでの囲碁ソフトに比べればまあましなのだが、やはり当時の水準を大きく脱してはいない。また、COMの思考時間が異様に長い。これでは、従来のソフトより強い棋力であっても帳消しになってしまう。このゲームをプレイする時はもう1台ゲーム機がほしいくらいである。登場キャラはどう設定しているか。しょせんアマ初段の魔婆斗ごときに五子も置いても勝てない程度のソフトで塔矢行洋の強さをどうやって表現するのか…。じつは単純で、強いキャラは石をたくさん置いてくるのである。しかし、九子も置いてきて、「これが名人・塔矢行洋の碁だ…」もないだろう。第2作になるとさらにいろいろな演出があってゲームとしてはそれなりに楽しめる。いずれにせよ、多くの初心者に囲碁になじむ機会を提供した功績の大きさが評価されるべきである。2.囲碁皇帝・烏鷺3(PC)毎日コミュニケーションズ製作。比較的最近入手したものである。といってももう何年にもなるが。さすがに昔のソフトのようなアタリに突っ込んでくるような弱さはないが、いくつか「こう打つと必ずこう打ってくる」というワンパターンな形があり、それに誘導するとあっけないほど楽である。このあたりが興ざめか。また、えらく地に甘く、中央を過大評価しがちなのも特徴。しかし、その代わり石が混み合ってきた時の戦闘力はなかなかのものがあり、時にはこちらの油断をついて思わぬ力を発揮することもある。魔婆斗は互先七番勝負で3連敗4連勝したことがある。3.銀星DS(DS)シルバースター社製作。ソフト名が、社名の直訳というのも珍しい。このソフトに賭ける意気込みが感じられる。もっとも、本家はPCソフトで、「世界最強」シリーズの方である。本家の方はめちゃめちゃ強いらしいが、所詮こちらはDS用である。自ずからハードの性能による限界が如実である。特徴としては、極端なまでの実利重視。序盤から二線に石がよく行く。「地下鉄」どころか「潜水艦」のような棋風である。第2作として「銀星DS中級編」があるが、こちらもさらに輪をかけて実利派である。COM黒番に限り棋風設定ができるが、「勢力型」にしてもやはり序盤から二線大好き全開である。中級編を第1作と比較してみると、《中級編のいい点》・やはりなんだかんだ言って棋力は向上している。真剣に打てば魔婆斗と互角ぐらい。 ここで「真剣に」というのは、「COMはこう打つだろう」と、正しい応手をされないことを見越した打ち方をしないという意味である。COMはけっこうワンパターンなので、見越し打ちをすると到底無理な手合でもけっこう勝ててしまうものである。最善を心がけて打てば、まあいい勝負をする。・「人vs人」戦ができる。 これがなんと言っても最大の長所である。これにより、出先で棋譜入力もできるし、相手がいる場合にはDSを渡しあっての対戦も可能である。《中級編の困った点》・低い手が好き。 先にも述べたが、前作に輪をかけた実利偏重棋風である。序盤から二線は当たり前、さらには脈絡もなしに「一の一」まで打ってくる。こうなると実利志向すら超越している。一線に打っても地にはならない。どんだけ低い手が好きなのか…。囲碁で一の一が打たれることはまずめったにない。死活基本形のひとつ、「基本死活事典」第13型が生じた場合を除いては皆無であると言って過言ではない。しかし、銀星DS中級編は、敵味方お構いなしに地中に一の一を打ってくるのである。人間なら挑発の一手段としてありうるが(まず成功しない。ほとんど冷静に無視されて相手を利するだけ)、まさかCOMにそんな機能があるはずもない。これをやられるととたんにやる気がなくなる。・DSを閉じると停止する。 これが最大の困った点である。前作ならば蓋を閉じても考慮を続けてくれたのに…。とくに通勤中などはこの機能が重宝したものである。BGMオフ、着手音オンにしておきCOMが長考に入ったときに、イヤホンをしたまま蓋を閉じてポケットにしまい、新聞を読むことができるのである。あるいは携帯をいじってもよい。音がしたらやおら蓋を開いて応手を考えればよい。ところが、中級編では蓋を閉じると機能が停止してしまうので、蓋を開けたまま新聞や携帯を見るという無様な状態になってしまう。これはわざわざ仕様変更しないでほしかったものである。「上級編」が出るのであれば、ぜひこれは元に戻してもらいたい。4.天頂の囲碁(PC)毎日コミュニケーションズ製作。ご存知、コンピュータオリンピアード1位を売りにする「最強ソフト」の一雄である。世界最強銀星にはちょっと劣るようであるが。しかし、魔婆斗にはこのソフトが精一杯である。打込み碁もやってみたが、結論を言うと、「先相先では無理」である。おそらく世界最強銀星には打ち込まれるだろう。思えばよくここまでCOMのレベルも上がったものである。たかがパソコンでこの性能が発揮できるのであるから、もっと高性能のスパコンなどを使えば、すでに魔婆斗など足元にも及ばないくらいの棋力を、しかも人間が耐えられる考慮時間で実現することも技術的には可能なはずである。資源の無駄なので誰もやらないだけのことだ。天頂の特徴は、銀星(DSに限るが)とは好対照に、勢力志向であることである。極端なまでの位取りで、地の損としか思えないような手を平気で打つ。しかし、地の損も時によりけりで、徹底すると結構な脅威なのである。いい気になって地の得に走ると、いつの間にかとんでもない模様ができていて、すでに消せない状態になっている。勝負手の豊富さも特徴で、まさかと思うところに痛打をかましてくる。もっとも、敗色濃くなってからのムチャクチャと、どこまで区別しているのかはよくわからない。ある程度地合が開くととにかくダメモトでいろいろやってくるだけなのかも知れない。それがたまたま決まれば、「絶妙の勝負手」に見えるだけのことだったりして…。5.その他DSソフトで、「梅澤由香里のやさしい囲碁」がある。これは対戦の棋力は取るに足りないが、問題集がやたら難しい。クリアしたときに我らがゆかりちゃんの可愛い顔が見れるのが、私がこのゲームを持つ唯一の意義である。その他、インターネットで無料で入手できるソフトなどもあるが、いずれも棋力はいままで挙げてきたソフトに大きく劣り、対戦を楽しむレベルには至っていない。
2010.04.05
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こうして振り返ってみると、ずいぶん古い蔵書が目立つ。それもそのはず、ここのところ、まったく本を買っていない。囲碁に限らず、書籍全般についてそうだ。したがって、私の紹介する本は、今では入手不能のものが多いと思う。しかし、いいものはいいのだ。もし興味を持たれる方がいらっしゃれば、古書などで入手していただければ幸いである。さて、今日は日本棋院「古典囲碁名局選集」から3冊。古豪の打ち碁のハイライト集である。いずれも紙面に限りがあり、私ごときの力量では解説の意味すらも完全に理解することは不可能である。しかし、雰囲気(というと些かいい加減な印象が否めないが)だけならば充分味わうことができる。『すべての囲碁ファンに捧げる本』の中で、橋本宇太郎が「空気感染で強くなる」囲碁上達法を紹介しているが、これと同じである。雰囲気を味わうだけで、充分ためになると思う。たとえば、美しい流れを味わうことによって、次は自らもかくありたいと思うようになり、美しい打ち方を意識した対局ができるわけである。これもひとつの効用であろう。したがって、私は古典囲碁を味わうことを強くすすめるものである。流水秀栄(高木祥一)キング・オブ・キングス(名人の中の名人)と言われる本因坊秀栄である。この人、大器晩成の代表のように言われるが、享年56。時代が時代だけに、じつは短命なのである。本当の大器晩成とは、名人因碩のような化け物じみた人を言うのであろう。とは言え、若かりし日は、あの秀甫の前にどうしても影が薄くなってしまい、やられ役の印象をぬぐえなかった。ちなみに秀甫は早熟タイプの典型であろう。この本では、秀栄の「グリーンボーイ」時代もちゃんと収録されていて、この手堅いだけがとりえのような碁が、後年あのように大化けする不思議がじつに興味深い。ブレイクしてからの秀栄は、他の追随を許さない打ちぶりで、ただ一人、先を保ったという田村保寿(のちの本因坊秀哉名人)でさえ、翻弄されまくりに見える。本書第3局に登場する「三子捨ての妙手」は有名だが、こういう一手で人を唸らせる鮮やかな妙手・鬼手の類はむしろ少なく、一連の流れで勝つところがじつに見事である。一連の流れがいちいち理にかなっており、そしてじつに美しい。戦わずして勝つ、と言われる秀栄だが、私に言わせれば勝つべくして勝つ、という感じである。田村以外には碁にさせていない印象である。私がこの本を買ったのは、『週間碁』でとりあげられた一局(本書では「秀栄絶局」)で、65手以下、あの田村のハンマーパンチをこともなげにひょいひょいかわす打ちぶりに度肝を抜かれたからだが、本書で「秀栄生涯の傑作」と題されている一局も涙が出るほど美しく感動的な名局である。高木先生が絶賛するだけのことはある。堅塁秀和(福井正明)日本の囲碁は秀策がお手本、とよく言われるが、趙治勲はこの秀和を推す。たしかに変幻自在というか、プロ好みのしそうな碁である。しかし―残念ながら、じつはこの本、私にはよくわからないのである。掲載局数が多すぎて、私ごときの力量では、秀和のすごさがいまひとつ伝わってこない。むしろ、解説の中にところどころ挿入されるエピソードが面白く、『物語り 囲碁英傑伝』と対比して共通するところや違うところを見出すのが楽しかった。また、秀栄と違い、この本では秀和以外の脇役もしっかり立てている。以前紹介した一局こそないが、ハードパンチャー算知との碁も掲載されており、しかも算知が豪力を発揮して勝った碁も載っている。秀和の碁で印象に残っているのは、やはり太田雄蔵との、極端な実利に徹しきった一局であろう。あの構想はやはりたまげる。あんなに好きなように中央を囲わせて、とても勝てる気などしない。これは私だけではないはずで、現に秀甫は「まねをしたら必ず負ける」とまで言い切っている。泰然知得(依田紀基)名人たる器量を充分に備えていながら、八段準名人で終わった名手・安井仙知(八世・知得)である。この人が名人になれなかったわけは、単純明快、本因坊元丈が同時代にいたからである。元丈、知得、ともに時代を異にして生まれていれば間違いなく名人だったろうと言われる。しかし、いにしえの「名人」は天下にただ一人。すべてのライバルを先以下に打ち込んで初めて名人たる資格を得るのである。だから絶対水準においてどんなに強くても、互先の打ち手が存在する限り、名人とはなれないのである。趙治勲いわく、「現代の名人は七番勝負でたったひとつ勝ち越せば、それでこの称号が得られるしくみ」と著書の中で述べ、いにしえの名人就位がいかに想像を絶する芸当だったかを強調している。さて、知得に話を戻すが、この人、古典名手の代表格のような存在だ。この本を買うまで、私が知っていたのは「ダメの妙手」くらい。どんな碁を打つのかと思い買ってみたら、とにかく表題の通り「泰然」の一語に尽きるのである。前書きで依田紀基名人(当時)が書いているように、「こんなぬるい手で勝てるのか」というような手が随所に出てくる。なんとなく華麗なフットワークをイメージしていたのだが、実際軽妙ではあるけれどもどこかイメージが違うのである。手堅いときはじつに手堅い。しかし、それでいて計算がちゃんとできているのである。「ぬるそうに見えて遅れない」といえば、現代ではまっさきに大竹英雄が思い浮かぶが、それとも違う。独特の世界である。なお、「ダメの妙手」については、「あまりに優勢なので投げを催促した」という説があるが、これについては依田名人が強く排斥している。たしかに、人格者でもあったと言われる知得にはそぐわない話である。本書では、宿命のライバル・元丈との碁が数多く登場するが、あまり知得の勝ち碁ばかりでは気の毒だというわけで元丈の勝局も1局掲載されている。この碁で依田名人が感動した元丈の見せ場は確かに圧巻で、やはり碁も格ゲー(格闘ゲーム)と同じで、「必殺技(一手の妙手)よりコンボ(連続技=一連の手順)」なのだなあ、と実感させてくれる。
2010.04.04
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プロ・アマを問わず、詰碁の効用を説く人は多い。しかし一方、詰碁と同じ形が実戦に現われることは滅多にないので、果たしてどれだけ有効なのかと、疑問に思うむきも少なからずあるのではないか。じつは私もかつてはそうだった。「詰碁はヨミの力を養うもの」というのがその疑問に対する答えである。まさにその通りなのだが、かつての私にはどうもピンと来なかった。定石と手筋と、あとは『碁きちにささげる本』の工藤紀夫の「死活」だけで充分ではないか、と思っていた。だが、やはり詰碁は碁の基礎体力づくりに欠かせないものであるというのが私の結論である。なぜか?との問いにうまく答えられそうもないので、まずはおすすめの詰碁集を紹介する。1.趙治勲『一手の詰碁大集合』(成美堂出版) これはぜひ、レベルの高低を問わず常備しておきたい本である。 ひと目でパッと答えがわかるような詰碁を何回も解く、それでも何問かに1問は必ず答えが出てこないものがある、それを繰り返す―よく言われる上達法である。まさにその勉強法にぴったりの本である。中には「これ、『一手』とは言わないだろう?」といいたくなるような図もあるが、それはご愛敬。全体を通して、理屈抜きに急所を見抜く力を養うには最適だろう。考え方の解説も載っていて至れり尽くせりである。しかも超コンパクトなポケットサイズ(やや厚めではあるが…)。これは絶対買っておいて損はないと思う。2.二口外義『玄玄碁経入門』(山海堂) 詰碁は基本形を徹底的に、というのが基本―とは言っても、ある程度力がついてきたら、やはり難問にも挑戦してみたくなるのが人情である。しかし、自分が思っているほど急速には上達するものではなく、その意欲と力量のギャップに苦しむものである。 そんな時、手にしてほしいのがこの本。何しろ、古典詰碁集の傑作と言われる『玄玄碁経』に、たっぷりヒントを与えられながら挑戦できるというもので、何問かの「関連問題」を解き、最後に原書の問題を解くというもので、普通の詰碁の解説を先に読むようなものである。しかも解説は見えても正解はあくまで伏せられており、前問までのヒントをベースに原書の難解な詰碁を自力で解いてしまえるのだ。…うまく表現できないが、要するに「無理なく古典名作詰碁に挑戦できる」本で、間違いなく「強くなった」気にさせてくれる。いや、実際に強くなっているはずと私は思う。ちなみに、『ヒカルの碁』に出てくる「金不換」も掲載されているが、この問題については、原書の別題「子房帰山」をもとに、その関連問題も提示し、さらにそれをヒントにこの題に至ると言うなかなか洒落た構成になっている。3.趙治勲『基本死活事典・上巻』(日本棋院) 名著―というか、プロ・アマを問わず、囲碁を打つ者にとってのバイブルである。 じつはこれ、恥ずかしながら私の蔵書にあらず、配偶者の蔵書であった。「お前が持っていても意味がないからもらう」と主張したが頑として所有権は譲ってもらえず、いまだに私が「占有」している状態である。どうせ所有者は持ってはいても読まないし、読んでも理解できない…と思うのだが、なんとも理不尽な話である(笑)。 これは、詰碁と違って、いきなり頭から読み進めていってよい本だと思う。なにしろ「事典」なので大変なボリュームではあるが、ぜひ通読し、さらに繰り返し通読してほしい。 人によっては結構な苦行となりかねない危険もあるが、何問かに1問は、必ず「そうか、そんな手があるのか…!」と感動するものがあるはずである。ちなみに私は、「隅の死活・六目型」の第23型の参考1図(下図)が好きである。最初に見たときは、「こんな手があるのか…」と、ものすごく感動した覚えがある。4.碁スーパーブックス『奇妙な死活』(日本棋院) 1と3は「必須アイテム」と言ってよい本だと思うが、2・4は「趣味の世界」に属するものである。だいたいおのれの力量に合わない問題に挑戦するのは時間の浪費であり、確実に自力をつけるにはおのれの力量に合った問題を着実に解くよう訓練することなのだろうが、そうは言っても、難解な問題や珍しい筋・形にひかれるのは人情であろう。所詮アマチュア、すなわち文字通り「趣味」なのである。ときにはおのれの力量を超えた難問に挑戦する楽しみがあってもよいだろうと思う。 そんな欲求を満たしてくれるのが、この本である。「本を買うからには棋力向上に役立たなければ意味がない」などと思わず、楽しむ余裕をもって、この本を手にしてみてはどうだろうか。 プロと違って、アマチュアは自らの上達に対して無責任でよろしい。これはじつは非常に恵まれたことなのである。もちろん、上達したいという意思が強ければ、それに応じた努力は求められる。しかし、どうしても気が向かなければ、少々サボっても、自らの上達が遅れるというだけのことであり、少なくともそれが生活に直結することはない。よって、多少の寄り道、趣味的難問への挑戦も許されるというわけだ。気の向くままに、興味をもったことだけをつまみ食いする―これアマの特権なり、というわけである。 序章から、「一石マス」やら「星目・風鈴・鉄柱の中で活きられるか」など、いきなり好奇心をくすぐるテーマが続出である。それでいて、趣味にとどまらない、実に勉強になる問題も数多く登場する。こういう本を「楽しんで」読む余裕ができれば、また一段と棋力向上につながるのではないか、とすら思う。なんだか最初と矛盾するようだが、この本もぜひ楽しんでほしい一冊である。
2010.04.03
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名著である。私が模様・攻めの碁から実利派に転じた直後、趙治勲二十五世本因坊の著書にひどくはまった時期があった。『カベ攻めの極意』『シノギの真髄』(いずれも河出書房新社「新・木谷道場入門」)、『囲碁とっておき上達法』(日本棋院)に続き、この1冊を買った。これらの中でも最も面白かったのがこの本である。『カベ攻めの極意』は、自分が攻める立場で、気がつくとカベ攻めにあうことがよくあったので、その秘密を知ろうと思って買ったのだが、カベ攻めを狙う立場から見た模様の攻め方が実戦例を挙げてわかりやすく書かれていた。また、『シノギの真髄』は、シノギとサバキの技術論で、これも実戦例が中心である。『囲碁とっておき上達法』は、小路盤の話が出てたのに興味を持って買った。いずれも技術論を学ぶのに役立ったが、この『地と模様を超えるもの』は、すこし毛色が違って、はじめから完全に「読み物」を意図して書かれたものである。まず、趙二十五世の幼児体験からはじまり、「碁が弱い、才がない」が出発点で、それが後の棋風につながったという。これも趙二十五世が言うといかにも謙遜に過ぎるように見えるが、よくよく読み進んでいくと、少なくとも一般的真理としては、よくわかる気がする。いじめられた幼児体験の持ち主は、模様の碁は打てないというのだ。それはすこし極端だとしても、感覚的にはわからなくもない。模様を目一杯に広げ、「さあ入って来い!入ってきたらみんな取っちゃうぞ!」とやるのは二十五世の表現で言えば「天狗少年」の専売特許だろう。武宮正樹が明らかに天狗時代を経験していると述べているのは傑作である。二十五世自身について述べていることも、まあ話半分ぐらいではあれ、まったくの嘘ではないだろう。ものごとは極端に考えてはいけないのであり、100%その通りだとか、絶対嘘だとかいうことではなく、「まあいくらかその傾向はあったのだろう」と考えるのが無難なところであろう。本書中盤以降の二十五世の囲碁観はじつに興味深い。たとえば―●地を取ることはそれ自体はよいことでも悪いことでもない。盤上に繰り広げられる一つの行為に過ぎない。○攻撃と守備は表裏一体のもので、全く別のものではない。●囲碁とは、石が根っこをおろすもの。○昔より現代が強い。最後のは、呉・坂田以前(「昔」)と林海峰以降(「現代」)が互いに全盛期で戦ったらどちらが強いかと言う、ありがちなシミュレーションに対する二十五世の答えを述べたものである。結論は、上記の通りである(笑)が、これは二十五世が「現代」の代表格だから当然そういうだろう。ちなみに、「昔」を代表する大棋士である坂田栄男が、犬猿の仲といわれた藤沢秀行が棋聖位を保持していたときに「大正と昭和と、どちらが強いか」と問われて「そんなこと決まってるじゃないか、我々の方が絶対強い。今、秀行さんがそれを証明しているんだ」と言下に答えたという有名な話がある。でもこの本を読む限りでは趙二十五世の言い分に分があるような気がするが…。「一人勝ちは間違った世界、遅れた世界」というのはいかにもそのとおりだと思う。また、昭和・平成の大家についての論評もなかなかいい味を出している。この本は、読んで「強くなろう」とか、「技術を会得しよう」と考えるのでなく、ものの考え方を楽しむ目的で、割り切って読むべきである。(河出書房新社・刊)
2010.04.02
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中学生の時に囲碁を覚えて以来、囲碁の本といえば、石田芳夫『布石と定石を打とう』と田村竜騎兵『碁きちにささげる本』(現『すべての囲碁ファンに捧げる本』)しか読まず、あとは新聞と月刊『囲碁クラブ』のみで勉強し、ひたすら伯父に稽古をつけてもらうだけであったが、大学で囲碁部に入り、それだけでは限界を感じていた。ことに、定石はずれに対する対処がまったくなっておらず、相手の無理筋を正しくとがめられず、かえって非勢を招くことが多かった。そこで必要性を覚えたのが「手筋」であり、手筋の体系を書いた本がほしくなった。結論から言えば、手筋というものはほとんど無限にあり、そもそも手筋という概念自体あいまいなものである。ある本では「手筋とは最善の手」と書いてあった。これが一番近いような気がする。もっといえば「俗筋が成立しない局面において」とでもしておけばなお正確だろう。そうしないと、俗筋が最善の局面では俗筋も手筋ということになってしまい、それはさすがにちょっと違う気がする。当時、「別冊囲碁クラブ」というシリーズがあり、その中で私が選んだのは、『碁敵がしびれる手筋一発』(長谷川章)であった。むろん「手筋」のごく一部が紹介されているだけであったが、こういうものを体系だって学習したことがなかった私には、目が覚める思いであった。相手の石を完封する「ツケ一発」から、サバキのツケなど、接触戦における基本がわかりやすくまとめてあった。手筋の入門書としてはなかなかのものだったと今でも思う。次に買ったのは、坂田栄男の『中盤戦のテクニック』。これはとくに中盤戦での戦いのよくあるパターンをまとめたもので、「辺の定石」のようなものも出ていたように思う。また、巻末の「シチョウ特訓道場」は、ヨミの訓練として著者がすすめていたが、むしろパズル感覚で楽しめる読み物のように感じた。シチョウを読むのって、結構楽しいものである。後年、『週刊碁』で絵ときシチョウのようなものが連載されたことがあったが、その記事も真っ先に読んだものである。そして最後の一冊が、やはり坂田の『ハメ手は怖くない』。これは名著である。ハメ手と一口に言って馬鹿にする傾向がある人もいるが、どうしてどうして、ハメ手の勉強はじつに手筋を学ぶのに有効である。そしてまた、なぜ定石の手順が必然なのかを理解する助けにもなる。こうしてみると、定石はずれ対策を指向してこのシリーズを買ったが、今思えばやはり定石手順を外れても通用する「手筋」を会得したかったのだろうと思う。サバく、モタれる、かわす、味を消す、などといったテクニックは、定石だけではなかなかつかめないものである。変化も知った上で定石を運用して、はじめて人より優位に立てるのである。「別冊囲碁クラブ」シリーズは、残念ながら今では入手不可能である。私も家人に蔵書の整理を迫られた際に泣く泣く処分してしまったが、じつに惜しいことをしたものである。『碁きちにささげる本』や『物語り囲碁史』と同様に、リバイバルしてはくれないかとひそかに期待している。
2010.04.01
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