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2026.05.30
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内村鑑三Q&A 山本泰次郎

内村鑑三Q&A 山本泰次郎  その2 第一期生は新入生を信者たらしめたまえと祈っていた

Q いつ、誰から、どのようにして伝えられたのですか。

A 札幌農学校の門をくぐった時からです。札幌農学校の新入の第二期生の一行(内村もその中の一人でした)は、1877年(明治10年)8月27日に北海道開拓使御用船玄武丸で品川沖を出帆し、函館を経て9月3日の朝、小樽に上陸し、それから一同馬を連ねて札幌へ向かい、その日の夕刻、農学校に着きました。すでに灯(ひ)ともし頃でした。しかし誰ひとり、出迎える者はいませんでした。意外の感に打たれた新入生らは、ただ校舎の一角の窓から、アカアカと灯が洩れているのに注意をひかれました。これは前教頭クラークの感化によってクリスチャンとなり、その前日の9月2日に洗礼を受けたばかりの上級生(第一期生)らが復習講堂内の一室に集って祈祷会を聞いて、「新入生たちにキリスト教を伝えて彼らを悉く信者たらしめたまえ」と熱心に祈っていたのです。内村らは、知らぬ間に、その火の中へ飛び込んでしまったのです。もちろん彼らは、その瞬間まで、第一期生らの焔に包まれていることなどは、露ほども知っていなかったのです。もし知っていたら、入学などしなかった者も多かったでしょう。

「宮部金吾」P35-36

札幌へ  明治10年8月27日、品川より開拓使の御用船玄武丸にて出帆した。玄武丸は644トンの蒸気船で、今日でこそ、小さな船なれ、当時としては鄙には稀な豪華船であった。もっともこの豪華船は非常に動揺しやすく、一名ゴロタ丸の別名を有していたほどである。中央部甲板の下にホールがあり、このホールは食堂兼談話室であった。ホールを中心にして一等室があり、各室とも定員2名、二等は舷側にあって定員4名、ベッドは上下に位置していた。三等室は船首にあって、荷物が輻輳すると積荷はその室にまで溢れて来た。私たちの乗船した時は、幸いに船客が極めて少なく、一行は一等室もしくは二等室をあてがわれた。途中大分荒れて一行にも船酔いを催すもの多く、町村金弥君はその時の船酔いの旗頭であった。8月30日函館に入港、9月2日まで停泊した。

9月3日早朝つつがなく小樽に入港、海路は極めて平穏であった。直ちに下船、入船川のほとりの海に面した宿で朝飯をしたためる。当時、手宮はまだ漁村で、入船町のあたりが港の中心であった。食後、馬20頭、鈴の音をひびかせて、いよいよ一同札幌に向かう。

国道は海浜に沿い、銭函までは漁村が散点していた。ただ張碓に近い神威古潭(カムイコタン)だけは、まだ道路が未完成で、高い断崖下に岩礫がるいるいしていた。好天に恵まれ、海も静かであったが故、波浪の洗礼もうけないで馬上無事通過。

これから道は海にわかれ、鬱蒼たる森林を縫って軽川から琴似(ことに)に向かった。この間、所々に農家が散在していた。

上級生一同は復習室に集まって、ちょうど祈祷会を開いたところであったのだ。 実に偶然といえば偶然、私と内村君は同室になっていたのだ。 ほの暗いランプの下で、虫の音を聞くともなく聞いていると、遥けくも来た旅愁を身にひしひしと感じた。当時寄宿舎の規定で、各学年ごとに室をかえ、また同時にコンビネーションもかえることができるようになっていたが、 私共両人は室は変っても離れることなく、4年間一緒にいて、最も平和な楽しい生活を共にすることができた。

○私たちは札幌に着いた翌日、新入生一同この開拓使本庁に挨拶に行った。その日は快晴で、塔の上からの展望は素晴らしかった。西方の峯々あたりには黒々とトドマツが茂り、山腹から渓にかけて濶葉樹の緑で埋っており、また他の方面一帯も原始林で覆われていた。東なる豊平川方面と屯田の方こそ少しく開いていたが、ほとんど奥深い森林の世界で、原生林の幽玄さはひしひしと身にせまった。

内村鑑三  「〔内村君は〕明治十年に我々と同級〔宮部は3月に一級に進んだ。なお、東京英語学校は4月「東京大学予備門」と改称されている〕になった」(「宮部金吾」)

「札幌に到りてよりは人生の快楽は一層の趣味を加へ、春夏秋冬に個々特別の娯楽ありて在学四年間は夢幻の裡うちに過ぎたりき、北地の冬の長さは友情の温かさを以て償はれ、夏の短かさは天然物の成長の速かさを以て贖つぐなはる、銭函海岸の介かい拾ひ、小樽手宮の古物発掘、高島海底の魚介の観察、(略)室に帰れば机上博物学書の堆を為すあり、(略)余は余の一生中曾(かつ)て此自由の空気を呼吸せし事あるを感謝す」(「上州の夏」『東京独立雑誌』40号、1899年8月15日)






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最終更新日  2026.05.30 10:00:04


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