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花びらの芯は青かり咲き張りておどろおどろしカナダのさくら(井口直子『赤き弧の島』) 平成十二年にだされた『赤き孤の島』の中の一首。 69歳の時、金婚式の記念旅行で、ご夫君とカナダにいらっしゃった井口さん。 時は、まさに桜の季節で、歌会の会場から、ランチの会場にお連れするときにも、車の中で 「ああ、まるで桜のトンネルね」 とおっしゃって、 「あ、こんな手垢のついた言い方をしてはいけないんだったわ」と お笑いになった。 ランチの会場のクイーン・エリザベス・パークも、ランチの後、お連れした新渡戸ガーデンでも、これでもか、これでもかというほどの桜の盛り。 新渡戸では、近寄って、花の中まで覗くような見方ができたので、きっとこういう感慨があったのだろう。 桜を歌った歌は、世間には無限にあるけれども、「花びらの芯」が青かったことまで、詠んである歌は少ない。 また、第四句の「おどろおどろし」も、まさにあの日の桜だった。 うーん、多分、「過ぎたるはおよばざるがごとし」。 もうちょっと、控えめで、やさしい桜をお見せすればよかった・・・と、この歌がコスモスに出たときに、案内人としては、少々、後悔した。 今回、歌集の準備中に、タイトルは「カナダの桜」はどうだろうかと候補に挙がった時に、すぐに思い出したのがこの歌。そして、特に、この四句。 私は、こういう風に率直に詠めただろうか・・・と思うと、まだ道は遠い。 この歌を詠まれた作者よりも、もう六歳も年上になっているのだけれども。
September 28, 2016
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雨の翌朝、完璧な蜘蛛の巣が二つならんでいるのを見つけた。蜘蛛の糸に、露が残っているので、細い糸だがよく見える。ダメだろうとは思ったが、写真に撮ってみたら、意外にきれいにとれたので、うれしくなってUP!中心に一匹ずつ、蜘蛛がいるが、この蜘蛛が頑張ってつくった蜘蛛の巣なのだろう。
September 28, 2016
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運転免許証と保険証を一体化した新しいカードが届き、詳しく見たら、身長・体重・髪の色・目の色・性別など、以前のままになっている。書き換えの時に、「住所は変わっていませんね」と言われて「かわっていません」と答えたのは覚えているけれども、他は別に確認もされなかった。私の場合、性別と目の色は変わった覚えがないけれども、 身長(情けないことに縮んだ!)、体重(ただいま、減ってはいるが、ちょっと外食が続くとすぐ増える)、そして、特に髪の色(黒と書いてあるけれども、いまや黒とはいいがたい)などは、確かに変化している。 (「目の色」は変わった覚えはないけれども、ちょっとしたバーゲンなんか見つけると、自分では知らなくても、さっと変わっていたりして)でも・・・・ま、いいか。きっと、ほかの人の運転免許証も、いい加減なんだろうから。
September 27, 2016
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『カナダの桜』という歌集を作ったのは、このブログになんどか書いたが、読んでくださった方の感想が、少しずつ届きだして、とてもありがたい。そういう中で、60代の女性のAさんから今日いただいた感想のお手紙には、はっとしてしまった。・・・・・日本で、花というと桜のことですが、さて、「カナダの桜」というのは、何の花のことなんでしょう。勉強不足で知らなくて申しわけありません。楓のことかしら などと想像しています。・・・と書いてあったからだ。日本では、もっと昔は、花といえば梅のことだったけれども、今は花といえば桜のこと。花見 といえば、特に限定することばがなければ、桜を見に行くこと。たとえば、梅の花を見にいくときは、梅見 という。薔薇園に薔薇を見に行っても、花見とは言わない。では、カナダで桜といえば、何のことだろう・・・と考える方がいてもおかしくないと気づいたのは、この手紙を読んで、三分くらいしてからのことという考え落ち。そういえば、楓の花はいったいどんなものだったかしら。だいたい、そんなのあったかしら。いや、花が咲かなければ実がならないのだから、楓にもやはり花はあるのだろう。歌集『カナダの桜』の表紙は、デザイナーさんが3種類作って、「どれがよいですか?」と聞いてくださったのを選んだのだが、選ばなかったデザインの一つに、楓の形の中に、小さい桜の花がたくさん入ったのがあり、「ああ、カナダだから考えてくださっているんだなあ」と、ありがたく思ったりもした。あれも確かに素敵だったから、あのとき、もし、あちらを選んでいたら、Aさんは、もっと混乱なさったかもしれない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・『カナダの桜』で私が意味するのは、日本で咲いているあの「桜」が、カナダに移植されて、それなりの気候の変化に耐えて咲いている、同じ(まったく同じではないかもしれないが)、桜のことだけれども、どういう言葉にしたら、そういう意味になるのか、考えてみよう。「カナダに咲(ひら)く日本の桜」 としたら、タイトルとしては長いが、下の句の77には収まりそうだ。
September 27, 2016
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少し早めだったが、一時帰国をすることを考えているので、運転免許の書き換えを申し込んでおいたら、10日かかったけれども、新しいものがとどいた。免許証には、万一のことがあった場合、臓器移植を承諾するかどうかの用紙が同封されていて、記入するようになっていたので、「まあ、この年齢の臓器を移植されても、手術が大変な割には、長持ちしませんわよ。それでよろしければなんでもどうぞ」みたいなことを、コメント欄に書いて投函。それにしても、交通事故で死ぬならともかく、病死の場合など、この人が登録しているかどうかは、どういう風にしてわからうのだろう???特に、日本に帰国中に死んだりしたら、面倒なことになりそう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・日本だと、75歳ともなると、書き換えにはいろいろとテストがあるらしいが、カナダのブリティッシュ・コロンビア州では、別に何もなく、ただ、写真を撮られて、いくつかの形式的質問に答えるだけで、これまでと同じような簡単さ。ただし、次回は、80歳を過ぎるので、かなりしっかりとした健康診断書が必要になるらしく、噂によると、その健康診断は、保険がきかないらしく、かなりの費用がかかるらしい。あくまでも噂だけれども。
September 27, 2016
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午後になって、急に東の山に陽があたって、でも、屈折現象のせいか、山がずっと近く見える。左側に見えるのが、マウントベーカー。 右の山の名は知らない。(二つとも、アメリカの山)白いところは、雪というより、氷河の部分が多いらしい。すぐに、家中がごちゃごちゃと混雑してくるような狭い集合住宅に住んでいるけれども、ベランダからの景色だけは、何日見てもあきない。
September 26, 2016
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ゴルフ場でのはなし。ティーショットを打ったら、他の三人は左の方にとんだのに、私だけ右の方にとんだから、三人と別れて一人であるいていたら、ふっと何かの気配がした。おや? と思って振り向いたら、コヨーテが トコトコこちらに向いて歩いてくる。いつもそのあたりにいて、人をおそれないコヨーテだとはわかっているけれども、こちらに向かってあるいてくると、もともと野生の動物だし、ちょっと緊張。ところが、彼は、私の横を、もうすぐ触れそうになるほど近くを通って、スタスタと用ありげに通り過ぎていった。え? と、コヨーテではなく、狐につままれたような気がして、仲間の三人の方をみたら、心配そうに" Are you all right?"" Don't worry, he is not interested in you!"" Good thing is you didn't scream."などと、口々に言っていて、 言っている方も、聞いている方も、なんだか笑いだしてしまった。このコヨーテ、今日は、私たちのグループの先になり、後になりして、四時間近くをずっとついてきた。ティーグラウンドも、平気で歩く。時々、じーっとしているかと思うと、ピョコンと飛びあがって、草の陰にいるネズミや、リスなどを捕まえたり、失敗したり・・・。その飛び上がり方が、Uの字を逆さにしたような形で、獲物には上から襲い掛かる形にしたいらしい。「何かを咥えているところは見たくないねえ」とか言いながら、平和共存しつつ進んでいるうちに、突然シーラさんがびっくりしたように「Look!」と言うので、目をやると、このコヨーテ、叢に腰を落として、「小」の方の用事をしていた。”Oh, my God! He is SHE !!" これまでずっと、みんなが雄だと思って、HE で話していたコヨーテがメスだった!と、ゴルフそっちのけで大騒ぎ。後で考えたら、子供みたい!!ま、どうでもいいけれど、つかず離れずについてきたコヨーテは、私たちおばあちゃんのことをどう思っているのだろう。案外、「噛みついてもおいしそうな人がいないな」と思って、餌にする対象から外しているのかもしれない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・それにしても、He is SHE などという英語は、私たちが中学生のころは習わなかったなあ。
September 25, 2016
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今日は、昼間に1つ、夜に1つと、一日のうちに二つのお別れ会に行くという、ちょっと覚悟の必要な日だった。夜の部は、大橋巨泉さん。ダウンタウンのお店の隣にある、立派なホテルで行われた。私の旧姓が「大橋」なので、友人の中には、親類かと思う人が時々いたが、そういうわけではない。あちらの大橋さんは、カナダにもお店があるし、住まいもあるし、知人もたくさんいるし・・・ということで、カナダの私たちも、お別れをさせていただいた次第。奥様や、弟さんばかりでなく、集まった人たちも、このところ、しばらくお会いしなかった方が多く、つくづくと年月を感じてしまった。入り口で迎えてくださったバンクーバー店の支店長Kさんは、以前、よくゴルフ場でお会いしていたころは、ちょっと気ままな青年という感じだったのに、すっかり、落ち着いて如才なくなっている。ご挨拶をしようとして、思わず口をついて出た言葉が、「まあ、ご立派におなりになって」だったから、われながら、あきれた。巨泉さんの奥様にも、ひさしぶりにお会いしたが、心遣いの行き届いているところは、こういう非常時でも変わらない。「今日は、あかるい会にするんだから、やさしい言葉はかけないでね」とおっしゃる。でも、思わず、ハグして「がんばったわねえ」とだけは言ってしまった。あかるい色の花に囲まれて、ご遺骨が祀られていたので、「ああ、やっぱり・・・」と思ったが、いろいろ思い出しながら、手をあわさせていただいた。
September 23, 2016
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8月16日に、ゴルフの直後、ロッカールームでなくなったベバリーさんの、celebration of life(偲ぶ会)が、行われた。若いときには、バスケットボールの選手で、オリンピックにも出たことのあるという彼女は、女性のキャプテンで、どう考えても、急逝などしそうもない人だったので、当日は、とてもびっくりした。どう考えても、「まさか・・・」としか思えない出来事であった。それから、3週間。お兄さん夫婦と、弟さん夫婦と、そして職場の同僚と、ゴルフ仲間と・・・と集まって、彼女の人生をいろいろに語り、惜しんで、次々とスピーチをして、もうすぐおひらきというときに、「まだ話をしたい人はどうぞ!」と司会者が言うと、思いがけず、ジュリアが立ち上がって、台にあがった。ジュリアは、中国の本土から来てだいぶになる人だが、ほとんど英語を話すことがない。でも、ゴルフがシングル・ハンディなので、べバリーとも、一緒にプレイするチャンスが多かったらしい。私などは、ずっとハイ・ハンディキャップなので、彼女が初心者だったころには、よく一緒に組んだが、この数年は、もうゴルフ的には雲の上だし、言葉は交しようもないので、会えば、にっこり Hi! というだけの付き合い。中国人以外の人と、個人的に話をしているところもあまり見なかったし、人前で英語でスピーチを、進んでするような人とはとても思えなかったので、あまりの意外さに、私ばかりでなく、人々は顔を見合わせて、ちょっとシーンとなった。マイクの前に立った彼女は、「誰かが書いた文章を、暗記してしゃべっているに違いない」という話し方だったが、持っていた原稿を見るわけでもなく、すっかり暗記した感じで、学校での発表のように、一生懸命、話をした。一語、一語はこまかくは伝わらなくても、故人を心から悼んでいるという雰囲気が全身から伺われ、みんなも、さらにシーンとなって聞いている。終わると、大きな拍手がおき、さらに、会がおひらきになってからも、あちこちから「よいスピーチだった」と声をかけられて、頷きながら、Thank you と繰り返している彼女をみて、私もとてもほっとした。「あの場で、段に上がって、何か言う」という状況では、内容はもう、聞かなくても誰にも想像がつく。だから、あとは、心をこめて、何かを言えば、それでよいのであって、英語が通じなくても、英語的なことを言えば、それで十分なのだと、つくづく教えられた。
September 23, 2016
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何回見ても、また日の出の写真を撮ってしまった。今日の日の出は、空がパーッと赤くなるというより、ピカーッと光って出てきたような感じ。ダイアモンド富士の写真などで、よく見る太陽だ。
September 20, 2016
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昨日、もう六十年以(!)の付き合いになる友から、歌集の感想として、「年齢を加えて、どういう深みのある歌を詠むようになったか、どういう人になったかと、期待を持って読んでみたけれども、そこには、昔と同じ、生真面目で、かなり深刻なことがあっても大丈夫な、娘時代とかわらないあなたしかいなくて、がっかりした」(とまでは書かれてはいなかったけれども、それに近いニュアンス)のメールが来た。私って、かなりグレーゾーンを認めることができるようになったはずだけれどもな・・・と思っていたので、ちょっとびっくりしたけれども、たしかに、作品的には、そこが生かせていないという自覚はある。それにしても、いくらなんでも、もう「生真面目」は卒業しただろうと思っていたので、そばにいた夫に、「私って生真面目?」と聞いてみたら、「そういうことをきくこと自体が、生真面目」と即答。今日は今日で、二人の方をお乗せした車の中で、「突然ですが、私は生真面目でしょうか」と聞いてみたら、「はい」とこれも即答。そうか・・・ やっぱり生真面目か・・・そこで、「広辞苑では、生真面目は、まじめの上に融通がきかないという書き方をしてあったのだけれども、ほんとうのところ、真面目と生真面目はどうちがうのでしょうね・・・」という話になる。車中での結論は @ 「まじめ」というのは、その時の状態で、「真面目になる」とか、「真面目にしなさい!」ともいえるし、また、人の性格として「あの人は真面目な人だ」とも使えて範囲が広い。 @「生真面目」というのは不随意な状況で、「生真面目にしなさい」という風には言えない、その人の自分ではどうにもできない性質のようなもので、長い間には生真面目な人がそうでない人になることもあるだろうけれども、普通は、固有の性格である ということになった。要するに、ゆとりがないのかなあ・・・。生真面目な人には。ちょっと悪口かな?
September 19, 2016
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第二歌集を作って、いろいろな方々に見ていただいているのだが、なかなか家族には見せにくい。モデルになっている作品が多いせいかもしれないし、「事実」と「詩的真実」のギャップがバレバレだからかもしれない。でも、今日たまたまそういう雰囲気の時があって、長男に『カナダの桜』(私の第二歌集)を渡した。「あんまり読んではくれないだろうけれども・・・」と思いながら渡したのに、意外にちゃんと読んでくれてびっくり。「なかなか面白かったよ、だいぶ脚色もあるようだけれども」が、ざっくりとした感想。「うん・・・。でも本当にあったことよりも、ちょっと嘘も交えた方が本当に見えるのよね。」というと、「たしかにそういうこともあるよね・・」と大人の対応。五十二歳だし・・・やっぱり。「夫、嫁、孫は何度も出てくるけれども、俺たち兄妹は、あんまり出てこないねえ」という感想もあったので、「アメリカやカナダの子はいいけれども、日本に住んでいる子には、載せると迷惑をかけそうな内容が多かったので、三人の子供の登場する歌数をだいたい同じにしようと思うと、こういう形になったの」と正直に打ち明けると、「あ、そういう心遣いもあるのか・・・。ま、親としてはそうだろうねえ」と、理解されてしまった。「でも、こういう風だから、歌人になれないのよ」と言ったら、「まあ、いいんじゃないの。一般人としての作品だし。」と、17年前に第一歌集を見せたときよりも、把握が早い。「歌人になれない」ということは、私にとって、かなり残念なことではあるのだけれども、息子にそういわれると、「なれない」のではなくて、「ならない」と自分で選択しているような気持になるから、不思議だ。実際のところ、オヨメサンたちは、日本語のわかる知り合いもいないし、だいたい、本人が日本語がわからないのだから、こちらも気楽だし、名前もちょっと変えて「子の妻」を歌った歌は、かなり多い。選者が帯に選んでくださった歌の一番目も子の妻が日本語の「はい」を覚えたり 歯切れよき「ハイッ」優しき「はあい」(佐藤紀子)これは、この一冊の中では、気に入ってくださった方が多いようだ。そういえば、第一歌集でヒットしたのは、息子のガールフレンドを詠んだ歌でI know Tanka につこり笑ひアンが言ふ After Haiku に seven seven ね (佐藤紀子)だった。自分が読めない本の話を、姑と夫が話をしているのも、感じが悪いだろうと思うから、せめて、本人がモデルになっている歌については、英語ヴァージョンを作って、書き添えてから、子の妻や孫には進呈しようと思う。日本にいる娘には、本ができてすぐ柊書房さんから送っていただいたし、夫には、本がカナダに届いたときに、まず第一冊を進呈したのだけれども、二人とも、まだ反応がない。(そういえば、私も、自分の母に歌集を貰ったときに、何も反応しなかったのを思い出す。)アメリカにいる次男には、まだ発送していない。カナダ・アメリカ間の郵便事情は、まったくあてにならないので、来月日本に行ったら、日本から送ろうと思っている。過去に、さんざん「吾子」とか「吾娘」とかの名前で、母の短歌のモデルになって、それがとても嫌だった身としては、今、同じようなことをしている自分が不可思議であり、それがわかっていて、また、歌集を作るなんて、モデルにされる家族には、まことにオキノドクサマではある。末の娘の何は憚らぬもの言ひが夕餉の卓の笑ひをかもす(大橋富子)のように詠まれて、「すご~く気を使って話しているのに、お母さまったら!!」と、むくれたのは私だというのに、なんということだ!
September 19, 2016
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夕方、日照り雨がパラパラと降っていると思ったら、片側の脚だけが二重の虹が見えた。軌道をたどっていくと、写真の向かって左の方のビルの上の方に、虹の上の方の一部がちょっと見え、あとはビルに隠れてしまっていた。全部見えたら、どんなに見事かと思ったが、ま、贅沢は言えない。うっとりと見ているうちに、五分くらいで消えてしまった。今夜はよく眠れるかな?
September 18, 2016
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昨日の欄に、ファースト・ネーム とカタカナで書いたが、これも、多分おかしい。英語のFirst Name は、「最初に来る方の名前」だから、Noriko Sato と表記したばあいに、Noriko がFirst Name. ところが、カタカナで ファーストネーム というと、サトウ ノリコ と表記した場合に、最初にくる名前だから、 サトウ がファーストネーム??? かもしれない。日本語で、姓でなく名を知りたいときは、「下の名前」とよく言う。でも、これは、縦書きの日本語を基準に考えているからであって、横書きの場合、「上の名前」も「下の名前」もあり得ないし、実際のところ、日本語は横書きの方が縦書きよりも多いくらい。昔の合戦のときのなのり、「姓はさとう、名はのりこ」というのは正確でよいが、これは女性の言葉としてはNG。役所や銀行の書類などでは、 姓 を書く欄と、名 を書く欄が別になっていることが多いが、そうしてみると、やはり、公式書類というのは、抜け目がなくて、エライ。そうそう、会話でよく使われるのには、苗字 と 名前 という区分もあった・・・・などと、つまらないことを考えてしまった。 「そんなことを考えている間に、壁のペンキでも塗り替えなさい! だいぶ汚れていますよ」と、自分の中の、もう少しまともな自分に叱られそうだ。
September 18, 2016
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時の人、ヒラリー・クリントン氏のことを、最近、ネットの新聞などでは、「ヒラリー氏」と書かれていることが多い。それを見つけた夫が、「これはおかしい」という。「氏」というのは、苗字の意味。家系のことではないか。だから、「クリントン氏ならよいし、ヒラリー・クリントン氏でも、まあ許せる」が、「氏名」でいえば「氏」ではなく「名」の方の「ヒラリー」に、「氏」をつけて、ニュースで言ったりするのは・・・・・たしかに。それはおかしい。新聞記者が悪い。・・・・ と、共感しつつ・・・・ ふと頭に浮かんだのが、今度の歌集にいれた一首・青墨で英子氏の五首書き上げて私ひとりの「偲ぶ会」する宮英子先生のことを「英子氏」と詠んだのだが、これは ヒラリー氏と同じ発想。 「名」を「姓」あつかいにしている。 ま、もう、歌集にまで出してしまったよ~~~。 夫にも、校正に参加してもらえばよかった。この一首前に、「先生とはよばないでね」と言ひましし宮英子さん やはり先生という歌があるので、どうしても、私には先生としか言えないような気がして、「やはり先生」と開き直ったのだから、その次には、「英子師」とした歌があっても、不自然ではないから、青墨で英子師の五首書き上げて私ひとりの「偲ぶ会」するとしておけばよかった。とはいえ、これでは、英子先生のご機嫌を損ねるには決まっているけれども。人の悪口を言っているうちに、自分も同じことをやっているのに気づくなんて・・・とんでもないハナシ。
September 16, 2016
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もうすっかり秋になってきて、ゴルフ場で、スリーブレスのシャツを着ている女性を見かけなくなった。と同時に、服装が黒っぽくなってきて、どの人も同じように見える。私もそうだが、冬はシャツやセーターい色を着ても、ウインドブレイカーをかねた上着とズボンを着ると、たいていの人が黒一色の服装になってしまう。その一方、木の葉は色づきはじめ、ゴルフ場は、冬になるまでのほんの一時だけれども、華やぐ。そして、夏の間は、木のような大きなあざみしか生えていなかったのに、秋になるとだんだんに、小さい、つつましやかな薊も咲いてくる。こんな薊では、敵からスコットランドを守れなかったかもしれないが。
September 13, 2016
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9日に、郵便局から「荷物が届いている」との通知が来た。歌集 『カナダの桜』が届いたにちがいない。以前は、アパートにも届けてくれたものだったが、最近は、最初から「何日の午後一時以後に郵便局にとりにきなさい」という通知が郵便受けに入っているだけで、郵便局では、もともと、配達をする気はないと、最近分かった。8月に、ちょうど、郵便やさんが、郵便受けに、ふつうの郵便物と同じように不在配達票を入れていたので、「呼び出さないで、最初から配達票なんですか?」と聞いたら、「最近は、アパートには個別配達はしない」といわれてしまったもので。なので、9日に不在配達票が入っていても、10日・11日が土曜・日曜だったので、うけとれるのは、今日の12日。もう、すでに、日本で受け取る方は受け取っていて、感想を書いてメールしてくださる方もあるのに、私がまだ見ていないというのは、ちょっと妙なものだが、ま、とりに行けるうちがハナ。手押し車を、カムリのトランクに入れて、郵便局に行き、女性局員がひきずって出してきた重い段ボ-ル箱を受け取ると、その場で、かねて用意のナイフで箱を開き、本、一包10冊ずつを、箱から出して、手押し車に入れ、空き箱もたたんで手押し車にのせ、駐車場まで行き、また、少しずつトランクに入れ・・・また、アパートの駐車場から家までおなじような手順で運ぶ。この方法だと、手間はかかるが、力持ちでなくても大丈夫だ。「めんどくさ」とか思わないではないけれども、ま、やっと第二歌集に巡り合った喜びのどさくさ紛れで、あまり苦にはならない。ただ、ひたすら、これだけの元気があるうちに、歌集が出せたことに感謝するのみ。荷物運びの元気はともかく、歌集を出すのは、自分と向き合うことに通じるので、かなりの精神的なエネルギーが必要になるのも、たしかである。最近、このことがよくわかるようになったあまり、コスモス短歌会では、80代になっても、90代になっても、歌集を出すかたがいらっしゃるのが、超人間技に見えてきた。
September 12, 2016
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If I were a bird, I would fly to Megan高校生の時に、サブリーダーとして読んだゴルスワージーの The Apple Tree の中で、主人公の青年が、恋人のところに行きたいのだけれども、行けない、現在の事実に反する仮定として、言ったせりふ。私は、これで 仮定法過去(英語で言えば、Type 1 subjunctive) を覚えた。で、三十代の後半になって、カナダに来てから、この言葉を使ったら、周囲の反応がおかしい。その種類のことが、これだけでなくたくさんあったので、「英語はなんとかなる」と思っていたのは私の誤解だったのではないかと思い、移民のための英語教室に一年ほど通った。その授業で、ある日、If I was you、I wouldn't buy that. というフレーズが出てきた。「あらあら、ここは were でしょう?」と思って質問をしたら、私と同い年の女性の先生が笑いだして、「カナダでは、もう五十年前からそんな言葉は使っていないよ」まあ、考えてみれば、自分が覚えた高校英語だって、すでに二十年はたっているし、Galsworthyだって、明治生まれだし、しかもイギリス人だ。現代のカナダ語では使わない言葉を使ったとしても、驚くことはない。なので、高校英語は高校英語として、尊重しつつ 私も If I were a bird というようにした。その度に、ちょっと意識しつつ。まあ、これは一例であって、カナダの英語は、イギリスの英語とも、アメリカの英語とも違うし、それなりに いろいろあったが、考えてみると、小学三年生で静岡県の学校から東京の学校に変わったときも、静岡県の言葉を笑われたりしたのだから、それと同じようなことなのだろう。ところで、今朝、きくともなく、TVジャパンの英語講座を聞いていたら、If I were you、というフレーズを教えていた。口癖になるように、何度も言うのが主眼らしく、何度もなんども。たとえ今、カナダで使われていないにしても、やはり、もとになる文型を覚えておいた方が、文学作品を読むときなどはよいということなのかなあ・・・ 派生形をおぼえてから、元の形をおぼえるよりも、もとの形をおぼえてから派生形を覚えるのがよいのだろう。日本で英語を覚えるということは、どこにいっても一般的な英語ができる形にしなくてはならないと思うと、こういうことになるのだろう。あるいは、先生がどこで英語を覚えたかということも、影響するのかもしれない。(そういえば、以前、高円宮妃殿下がカナダにいらしてスピーチをなさったとき、イギリス英語を上品に使いこなされて、とても上品に感じられたのも、思い出される。)
September 9, 2016
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今夜は、カナダとエル・サルバドールとのサッカーの試合があるので、夫と息子と孫が、三人で観戦に行っている。ずいぶん前に切符を買ったときに、息子の妻も、私も誘ってもらったのだが、いろいろあって、今回は、男性だけの観戦となった。当日の今日は、昼間忙しかったせいか、なんだかがっくりした感じで、「行かないことにしておいてよかったな」と思っていたのだが・・・・いざ、試合の始まる時間になると、実況のテレビをつけて、家で見ていたりして。私は、サッカーの大ファンだというわけでもないのに、どうしたことやら。家で見ていると、現場にいるような熱気は、感じられないし、全体の様子が見えないのがちょっとつまらないが、そのかわり、動きの中心はカメラが逃さずに追っているし、解説がつくし、選手の表情も見えるので、これもまた悪くない。(負け惜しみかな?)それに、選手は走っているからいいけれども、席にじっと座って見ていたら、今夜あたりは寒いだろうと思いつつ、さっきから、左目でテレビ画面の試合を見ながら、右目でコンピュータのモニターを見て上の空でブログを書いている。今、試合は2対1でカナダが優勢。87分が過ぎている。エル・サルバドルは、はじめのほうで、レッド・カードをもらっているから、戦力は十分でないところがあるのだろうが、1点差くらいは、いつひっくりかえってもおかしくない。と書いているうちに、いま、カナダにもう一点入って、3対1になった。今日は、もう思い切って、テレビを見てあそんでしまうことにしよう。私に用事を頼んだ方、またちょっと遅れますが、おゆるしを。
September 6, 2016
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地球ちっぽけ過ぎ! 惑星の大きさを比較する動画での “宇宙の無限感” がヤバイとして、msn.jp で紹介されていたyoutube の動画 「Star Size Comparison 」<https://www.youtube.com/watch?v=GoW8Tf7hTGA>を見た。(というか、これからも何度も見そう。 同じところにブラックホールのサイズを比較した動画もあり。)https://www.youtube.com/watch?v=GoW8Tf7hTGAなにやら「宇宙的」な音楽を伴奏にして、地球の月から始まり、地球、そしてさらに、水星や火星など我々の住む太陽系の惑星が小さい順に紹介され、太陽系を越えると、いくつもの銀河が現れ、またそれをもすっぽり包み込む銀河が登場して、だんだんに、地球なんかどこに行ったかわからなくなってしまう大きさの比較。こういうものを見てしまうと、探求心のわく人もいるだろうけれども、私の場合は、逆に、大抵のことは なんでもよくなってしまう。もともと、気が小さくて、クヨクヨしがちなところがある私には、よいクスリになりそうだ。
September 5, 2016
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消えるボールペンは、とても便利。訂正ができるし、本に書き込みなどをしても、ヘアドライヤーで熱を当てれば、きれいに消えて元通りになる。以前、なにかのテレビ番組で、消えるペンでサインして、それをヘアドライヤーで消して、パスポートなどを含む文書の偽造をしているところがでてきたこともあるくらい、跡形もなく消える。でも・・・・と、ふと考えた。加熱されて消えるというのは、本当に消えるのだろうか。消えるのではなくて、見えなくなるだけではないだろうか。もし、見えなくなるだけだとしたら、低温のところに置けば、消したと思った字が見えてくるのではないだろうか???実は一昨日、日本の書道関係の知り合いの某氏に消えるペンで手紙を書いた。書道関係だと、やはり字の形がわるいところも、字配りも、いろいろ気になるものだから、消えるペンを使ってなんどか消しては書いて、まあ、なんとか妥協できる形の手紙ができたので、封筒にいれようとして・・待てよ!?これを日本に航空便で送ると、飛行機の貨物室は、かなりの低温で、そこに、少なくとも10時間ほどおかれることになる。その間に、消した筈の字が表れてきて、日本に着くまでにはごちゃごちゃな手紙になっているのではないだろうか。やはり、一度はテストしなければ・・・と、書きあがった手紙を冷凍庫に入れて、一晩。つぎの朝出してみたら、添付の写真のように、消したはずの字が表れて、ごちゃごちゃになっていた。案の定・・・・ 当然といえば、当然の結果だが、テストしてみてよかった。というわけで、昨日は改めて、普通のペンで手紙を書き直して投函。市内郵便とか、地上だけで配送される郵便には問題がないわけだし、コピーでも構わないものは、納得するまでかきなおしてコピーをとって送れば、これも問題はないわけだけれども、航空便にフリクションペンは、ダメであります。
September 2, 2016
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1999年に、第一歌集を出して以来、17年ぶりに第二歌集をだす。予定とおりに行けば、今日あたり、できあがっているはずである。今年に入ってすぐに準備を始めていたので、かなりの長丁場で、郵便に頼る部分などの、自分の努力ではどうにもならない滞りなどもあり、なんとなく、気がぬけたような感じではあるけれども、選にあたってくださった松尾祥子さんも、柊書房の影山氏も気長につきあっいただいての結果である。それにしても、歌集をまとめるということは、該当期間の自分の作品一首一首と、じっくり向き合うことなので、おのれの姿をながめて脂汗を流すガマの油の「ガマガエル」君の心境。自分では、気に入っていた歌でも、歌集のなかで、おさまるべき場所がなくて、没にした歌もあれば、それほどインパクトもないし、一首では印象が薄くても、置き場所がみつかると、それなりの重みが出てきたりする歌もある。また、一首一首では気にならなくても、同じような形の歌が続くと、これはやはりまずいので、捨てたり、推敲しなおしたりする。 歌集の歌と、一首で発表する歌とは、やっぱり違うのだなあ・・・と、第一歌集のときには、あまり考えなかったことがいろいろ見えてきて、楽しかったのだが、一方で、がんじがらめになって動きがとれなくなった時もあった。願わくば、この経験が今後の作歌に生きますように・・・!!!日本の方には、日本から直接、国内便で送っていただくことになっているから、送り状とかご挨拶もなく、いきなり送りつけられてびっくりなさる方がありそうで、心配。 ・・・なるべく、メールや郵便でご挨拶するようにしますが、もし、間に合わない場合には、どうぞ、失礼をお許しください。・・・
September 2, 2016
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台風10号は、たいへんな被害を伴ったようで、カナダ・アメリカ・イギリスなどのテレビニュースでも、画像はNHKと同じものを流しながらだけれども、かなり詳しく報道されている。日本と違って、台風にひとつずつ人の名前をつけている国では、台風10号を Lionrock と名付けているようだ。 Lion + Rock とはまあ、なんと激しい名前だろう。で、今朝、MSN.JP を開いたら、まだ10号の被害から立ち直れないうちだろうと思うのに、すでに、台風12号発生のニュースがあった。「あれ? 11号は?」と思わず口に出したら、そばにいた人に「10号が来る前に消えた」という。例年なら、東北・北海道に行く前に温帯低気圧になってしまうはずの台風が北上したり、太平洋側にそれるはずの台風が東北地方に上陸したり、かと思うと、日本に達する前に低気圧になってしまったり、台風もいろいろだ。人間の名前をつけて擬人化したくなるのは、このあたりにも理由があるのかもしれない。東京府中市の多摩川近くに住んでいたころ、台風の翌日に、大雨で増水した唸るような川音を聞いたことがあるが、台風のニュースを聞くたびに、あの音を思い出す。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・追記 9月6日台風の名前は、女性の名前だと思っていたのだけれども、Lionrock が女性の名前とも思えないので、検索してみると、地域によって、女性の名前だの、地名だの風物の名前だのが使われるとわかった。最後に行きついた気象庁のホームページによると、西太平洋または南シナ海で発生する台風防災に関する各国の政府間組織である台風委員会(日本ほか14カ国等が加盟)は、平成12年(2000年)から、北西太平洋または南シナ海の領域で発生する台風には同領域内で用いられている固有の名前(加盟国などが提案した名前)を付けることになりました 平成12年の台風第1号にカンボジアで「象」を意味する「ダムレイ」の名前が付けられ、以後、発生順にあらかじめ用意された140個の名前を順番に用いて、その後再び「ダムレイ」に戻ります。台風の年間発生数の平年値は25.6個ですので、おおむね5年間で台風の名前が一巡することになります。 ということだ。ちなみに、Lionrock というのは、香港の提供による香港の山の名前で、102番目にあたるのだそうだ。
September 1, 2016
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