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29日の梅原市長の記者会見で、発言しています。要約すれば、 ○伝統的な価値観や文化は大切な価値があり、これを大事にすべき。 ○仮に男子のみ又は女子のみが進学できるという制度なら差別だが、男子校、女子高が共学の高校と並存することはなんら差別ではない。 ○戦後GHQの圧力や指導にも屈しなかった本県の伝統的なエピソードだ。 ○すべてを別学というのではない。別学の高校もあってもいい。 ○仙台一高・仙台二高は別学であるべきだ。という具合です。なお、河北新報(30日)の記事。私見は以前に書きましたので、今日はダラダラ書きませんが、梅原市長の言い方は、どうも後ろ向きで視野が狭く、将来を向いて仙台・宮城の教育を本当に考えているとは思えないのが残念です。また、「GHQの圧力に屈した誇りを持て」という認識も、残念です。本当に歴史を直視せよ。単に嵐が過ぎるのを待ったのが、当時の宮城県の対応だったのでないのか。また、「村井知事を支持する」と言っていますが、知事以上にハッキリ言っているようです。或いは、県のことだからこそ、気楽に本音が出てしまったのでしょうか。(市立高校の共学化は別論だという。だから、教育論ではないことを自白したようなもの。)仙台エスタブリッシュメントの共有意識を丸出し、か。■以前の私の日記を参照して下さい。 宮城県立高校の男女共学化を考える(1)序論 宮城県内の公立高校の男女共学化論議を考える(2)歴史
2005.11.30
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地図で見ても仙台市と山形市のは近い。境界も隣接しています。最近両都市圏の交流がさかんに提唱されるのも自然だと思います。 ところで宮城県と山形県の間には峻険な奥羽山脈が連なり、距離の近さの割には両者を結ぶ街道は容易ではなかったようです。 ちなみに鉄道を見ても、仙台と山形を直接連結する鉄道の必要性が叫ばれながらも、最初に宮城県と山形県を結ぶ鉄道は陸羽東線(大正六年全通、小牛田-新庄)が最初でした。仙台の経済界は関山越えを主張したようですが、関山にトンネルを掘る技術力がなかったのだそうです。 両県とを直結する仙山線は、仙山トンネル(面白山トンネル)の難工事を経て、やっと昭和12年に全線開通を迎えています。日本最初の交流電化による営業が仙山線で行われた(昭和32年)のも、急勾配の自然条件だったことが逆に交流のメリット実証に向いていたという理由もあったようです。(吉岡一男さん『宮城の鉄道物語』昭和62(宝文堂)から。) 街道に戻りますが、関山街道は、明治15年の旧トンネル(現在のトンネルは昭和38年完成)も難工事でしたが、それ以前は、沢がけ、峰渡りで往来したという難所で、一般には利用されない街道だったそうです。また、二口街道は最短路ではあったものの、やはり山岳地帯が険しく、一般には笹谷街道が使われていたようです。その笹谷街道も峠は海抜900メートルと難所です。 私も、仙台に来た頃(もう四半世紀も昔になった!)に、山形って2次元の地図では近いのに、何か別次元のような感じを覚えたものです。実際に大学4年に友人のオンボロ車(失礼)でドライブするまで、未踏の地だったこともあるのですが。 そこで、峠スジの海抜標高を拾ってみました(やまがた広域観光協議会「楽しいDriveMapやまがた地域版2005.7」の裏面地図から拾いました)。 ○ 関山峠(現トンネル) 511m ○ 二口峠 1,010m ○ 笹谷峠(旧道) 976m ○ 金山峠(七ヶ宿-上山楢下) 580m ○ 二井宿峠(七ヶ宿-高畠) 550m ○ 鍋越峠(加美小野田-尾花沢) 520m (※鍋越道(国道347号)の開通前は、軽井沢、寒風沢、田代などの峠越えルート。) ○ 中山峠(鳴子-向田(最上町))350m 仙台市と山形市の間が随分高いことがわかりますね。舟形から蔵王までの険しい壁の間を何とかくぐり抜けようと、笹谷や関山を通って来た、という感じでしょうか。 比べれば、中山峠(国道47号線)なんか楽々というわけです。いつの間にか県境を越えているという感じです。 山が高いとか異次元だとか、変なことを書いてしまいましたが、先人の苦労も見ながら、今後の交流と連携について考えていきたいと思います。
2005.11.29
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NNN24の「ふるさとニュース」が「ウォッチ・ザ・にっぽん列島」に衣替えして、放送局数も増加、さては仙台の「OH!バンデス」も出るか、と期待しておりました。頑張って2時30分まで起きて、再放送の時間帯を見届けましたが...その結果は、というと、冒頭に本日の紹介する放送局を示しておりました。確かに5局になっておりましたが、従来の準キー局4局の他には、福島中央テレビ、でした。おそらく、従来の4局プラスで、話題性によってローカル局1局を巡回的に付け加えるというのだと思います。「OH!バンデス」を出そう、という運動?をして来ましたわが ODAZUMA Journal としてはちょっぴり残念でした。(再びカゲの声:勝手に騒いだのでしょう。自業自得。)皆さん、お騒がせしました。NTVさん、次の機会に是非お願いしま~す。以前の日記 10月26日 11月26日 11月28日
2005.11.28
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村井知事が男女共学化の方向の見直しを求めるような発言をしています。別学維持論者の声が強くなるのかも知れません。知事の論理は次のようです。(28日県議会での説明内容をTV報道から要約。) ○共学化は時代の流れ(少子化、効率化)としてやむを得ない方向 ○しかし学校の多様性や伝統も重要 ○学校運営の実態、財政面、受験生と保護者の意向などを総合的に勘案して検討すべき ○当面は「併存」し、全校共学化方針は見直しを含めて再検討すべき ○なお学区は全県一学区とすべき ○教育委員会に伝えていく 「見直す」という決意の存在がわかるとしても、見直しの必要性が不明だし、最も肝心な「なぜ別学を残すことが良いのか」の根拠がないじゃないか... と大いに当惑します。今後の手続論も含めて、ちょっとスタンスがわかりませんけど、という感じです。 私の考え方は、未整理ながら前回の日記(宮城県立高校の男女共学化を考える(1)序論)のとおりです。 現時点ではこれ以上具体的な議論ができる材料がありません。そこで、今日は視点を変えます。温故知新。男女別学が残された歴史を振り返ってみましょう。 以下は、『仙台市史 特別編 4(市民生活)』(平成9年3月31日、仙台市史編纂委員会編集、仙台市発行)の内容を、ODAZUMA Journal編集局が要約。------------ 仙台市内の公立高の男女共学は昭和43(1973)年の泉高校(OJ注:当時は仙台市ではなく泉町)が初めて。それまでは公立私立全て男女別学だった。なお、翌74年には市立仙台高校が男子校を改め共学化。 戦後の占領政策における教育改革は、昭和23(1948)年以降の新制高校を(1)学区制、(2)男女共学、(3)総合制(職業高校を普通高校と統合化すること)、の3原則で改革することにあった。ただし、文部省は総合制と共学についてはある程度柔軟な姿勢を示し、宮城県でも、郡部の4校を共学化したにとどめ、総合制は取らなかった。 しかし、1948年から49年にかけて占領軍が強く実施を勧告したため、共学校を増やし、統合化も実施したが、いずれも郡部だけにとどめた。(厳密には仙台市内でも仙台商業と仙台女子商業を形だけ合併したが、1957年に元どおりにしている。) 宮城で別学が残ったのは何故か。 占領期に米国は太平洋陸軍第8軍の第1軍団を京都に、第9軍団を仙台に、それぞれ駐留させて、東海以西と関東以北とを管轄させた。在仙台の第9軍団の民間情報教育課長であったB.E.マーチン氏は、日本と仙台に愛着を持つ人で、教育改革にも柔軟な路線を示した。 なお同じ東北でも秋田は秋田軍政部教育課長のモロニー氏が強い方針を示したため、別学が消滅したが、宮城軍政部教育課長のハリントン氏次いでK.F.デリカ氏は寛大な方針であった。そのため、宮城県側の抵抗というより、むしろ占領軍の無理な強制はしないとの基本方針に沿った形で、県が選択したものである。 しかし、本当に主体的に選んだのだろうか。 共学化の方針に対して県側が示した抗弁は、「別学が良い」というものではなく、共学化強行の問題点に集中していた。すなわち、性道徳の混乱の懸念、財政難、高校関係者・同窓会の反対。共学と別学を比較検討した議論の形跡はない。占領政策に飲み込まれないぞという一般論的な反対意識、また余計なことはしたくないという守旧意識で、時期の過ぎるを待った、というのが実態ではなかったか。------------ 今回の議論で、もし別学を残すというのなら、本当の教育論の視点で、是非を議論して欲しいです(そして、わが県高校教育の水準を牽引すべき仙台二高と仙台一高の沈滞打破という「本論」を見失わずに。これは私見ですが)。歴史を見てもその思いを強くします。 同窓生のノスタルジーや現役高校生の現状変更反対論で、本来の議論が歪められるという愚だけは、避けたい、と思っているのですが。
2005.11.28
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ウォッチ・ザ・日本列島を夜10時に見るつもりでした。「世界まる見えテレビ特捜部」を見た後、娘たちと9時に就寝。妻に起こされたのが10時30分。あ~、10時に起こしてくれと言ったのに...あわててTVを見ると、中京テレビのニュース(小学生向けロボット教育)をやっています。その後は、大阪(関市長インタビュー)、最後に福岡(マンション問題)で10時55分になり、終わってしまいました。残念!でも、ここで、わかること。以前の順序(福岡→大阪→中京→札幌)と逆に北からやっているようだ。そして、10時30分頃に流れていた中京テレビの後は、だいたい10分程度づつ各局を流している。この配分だと、(しかも、NNN24のHPで局数を増やしていると明言しているのだから)中京テレビの前に2局か3局はあったはず。従来からある札幌は入っているはず(おそらく冒頭)だから、とすると、ミヤギテレビが入っている確率が大! ヒャッホー!NNN24に仙台の「OH!バンデス」を出そう、と提唱して来ました?(単にブログに書いただけ)わが ODAZUMA Journal としては、大いに期待が高まりました。しかも(ここがポイント)、従来の準キー局4局に加えて、他を押しのけて仙台が選ばれたという、光栄さ!(カゲの声:勝手に妄想するより、早く見ろ。いつまで待たせるんか、コラ。)以前の日記 10月26日 11月26日
2005.11.28
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人に聞かれて答えたのですが、この機会に、自分でも整理しておこうと思います。題して、「東北本線のルートにみる宮城県の歴史」(おおげさ)1 野蒜築港と鉄道建設への影響 一大開発プロジェクトだった野蒜貿易港計画の推進とその挫折は、わが県の鉄道計画に大きな影響を与えた。古くは県内初の鉄道として開業した仙台-蒲生間の軌道(明治15年から20年)が、野蒜港海運の陸送を担うべく計画されたもの。 その後、日本鉄道会社(その後国鉄が買収)が計画した東北本線(上野-青森)第二期計画も、仙台経由で野蒜港までであったが、明治17年の台風による築港中止により、塩釜(現在の塩釜港貨物駅跡地)までの路線で明治20年に開業。その後岩切から分岐して利府、松島(反町)、一関に至る軌道が明治23年に開通。(なお仙石線(宮城電鉄)は、もっと遅くて大正14年開業(仙台-西塩釜)。昭和2年松島公園まで、昭和3年石巻まで全通。) 港の関係で言えば、仙台新港の建設に伴い、仙台臨海鉄道が設立・敷設されるなど(昭和46年開業。今ではキリンビールが代表的)、やっぱり海運と鉄道の関係は切っても切れないようです。ちなみに現在は空港とのアクセス鉄道が建設されています。2 利府線をめぐる経緯 明治23年に宮城県内の東北本線全通の際は、利府ルートであったが、利府ルートの勾配(千分の17)の緩和と複線化対応のために、塩釜側を中心に海岸線の建設運動が強まり、昭和19年に貨物専用の海岸線(現在の東北本線)が開通。この後は、「海線・山線」の2本立て運行がなさることとなる。 複線化の対応では、昭和32年までに陸前山王-品井沼間だけが単線で残されることとなり、国鉄も本線ルートを海岸線に移行させることとし、昭和37年に海岸線が複線化完成(この際、松島駅が設置)。ここに利府ルートは岩切-利府間を残して廃止され、海岸線が堂々と「本線」とされるに至る。3 余談 時代の流れと鉄道の意義を見誤った結果が、軌道ルートに残された事例。 まずは、角田・丸森。東北本線の当初計画は阿武隈川沿い(白石ルートより短距離かつ平坦)だったが、伊具の住民は桑園への被害を憂慮して拒否。また、松島以北が奥州街道でも涌谷・佐沼道でもない一見不思議なルートとなっているのは、煤煙などの害が嫌われたから。 逆に先見の明があったのは仙台駅の位置。当初日鉄は榴岡に計画したが、商業発展のために停車場は町の中心にあるべきと論じた時の松平県令などの運動により、現在地に設置された。町中に停車場をおいたのは当時(明治20年開業)としては珍しいケース。これは、商業都市仙台の誇りとすべき歴史だと思います。(確か新幹線駅の際も類似の議論があったはず)
2005.11.27
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泉区内のGSが新装開店記念で27日、つまり今日までですが、洗車100円です。そこで、私はというと、23日(休日)に早速行ったのですが、洗車料のプリペイドカードを買っただけ(これも千円で2千円分とお得)。さらに、子供たちにはグミをもらいました。しかし午後に行ったためか、洗車は5台くらい列を作っていたので、断念。(子供達は、洗車機のワカメみたいなのがぐるぐる回るのが好きなようです。それと、お菓子もらえることも当然あるでしょう。)そして昨日(土曜日)は家の掃除をそこそこに10時頃行って、見事洗車。ポリマーやって100円。ちなみに、グミももらいました。家に帰って、もう1台も、と思いましたが、私が洗車後に拭いている頃には何台か並んでいる。天気も良いからね。従って、時間待ちの嫌いな短気な私は、明日(つまり今日)に回した、のでありました。そして、決戦の今日。夜も明けた。子供達は、今から「かいけつゾロリ」を見なければならない!ので、7時30分に、いざ出陣です。
2005.11.27
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以前NNN24の「ふるさとニュース」に仙台のOH!バンデスを出そう、と書きました。実は最近見ていなかったので、今週久しぶりに、午前0時台の「ふるさとニュース」を見ようとしたら、火曜日も木曜日も、別番組(全国ニュース)やっている。アレッと思って、NNN24のHPを訪ねますと、(HP自体が新しい!)11月7日から番組を一新、とのこと。そして、次のように書いています。------------深夜に放送していた「ふるさとニュース」も夜10時からに放送時間を変更。「ウオッチ・ザ・日本列島」と番組名も改め、〔注〕放送局数を増やして、その名の通り日本列島各地のスタジオで放送した、その地方ならではのニュースを放送します(注:下線部は ODAZUMA Journal編集局)------------フムフム。ということは、従来は準キー局4局だけのニュースを紹介していたのが、遂に我がミヤギテレビも入っているのか...私の要望活動?の成果が出た! 頑張れ宗さん!とワクワクしながら、子どもを寝かしたら布団からコソコソ這い出してTVをつけてみようと決意。妻に10時に起こしてくれ、と言っておいたのですが...何とも爆睡してしまい、目を覚ましたらもう6時。妻に呼ばれた記憶だけはかすかにアリ。ダメだコリャ。お楽しみは、来週月曜日に持ち越しです。
2005.11.26
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本日(25日)の河北新報の記事「野球留学生 高野連、是正に本腰 東北の私立校に戸惑い」に出ています。また酒田南高校が例に引用されていますね。私の意見は以前に記しました。(10月20日 高校生の「野球留学」を考える)高校生が主役であること、また学校教育であることを忘れないように。一方で地域には特色ある学校や高校生を温かく受け入れる度量が欲しい。勧誘の過熱にまつわる諸問題があるならそれ自体を改善するべき。それだけのこと。冷静で温かい(変な表現?)論議を望みます。
2005.11.25
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前回、学校給食の「いただきます」について書きましたが、もう1題。同じく学校給食の「いただきます」に関してなのですが、話の重点が変わります。「合掌」について、です。 平成14年12月15日に秋田市で、「第5回一日中央教育審議会」が開催されました。教育基本法の見直しなどについて意見発表がされているのですが、岩手県で小学校の教頭をされている畠山さんという方が、次のような発言をされています(文部科学省HPからODAZUMA Journal要約)。------------ 宗教に関する教育をより重視する方向で見直すべきである。特定の宗派でない、宗教的な情操の涵養や生命に対する畏敬の念の育成は、人格の形成に欠かせないが、現状の学校教育ではおろそかにされている。教育基本法第9条の第1項(宗教について教える必要性)がおそろかにされ、第2項(特定の宗教のための教育の禁止)が全ての宗教教育を禁じていると過大に受けとめられているのが実態。 例えば、給食前に合掌して「いただきます」と唱和していた富山県の小・中学校では、保護者から「合掌という言葉は宗教的な色彩があり、強制されるのは苦痛」という指摘を受け結局合掌を取りやめ、平成8年以降は、「気をつけ。いただきます」に変えたという。(他に、近畿地方では多くの小学校が伊勢神宮を修学旅行のコースに入れていたのが激減した、ゆとりの時間に家庭で神棚、仏壇、墓地を清掃し、花を献じるよう指導した校長に教育委員会は中止の指導を行った、などの紹介があり、)伝統、文化の尊重の視点からも残念なことだ。(なお、発言の後「宗教教育」の語義について中教審委員とやりとりあり。)------------ 政教分離や「宗教教育」については色々言いたいこともあるのですが、グッと我慢して、ここは「合掌」を宗教教育を理由に廃止したという点に注目したいと思います。 これは、富山市内のK中学校で平成8年に現実に投書がなされたという実例を指すようですが、実はその以前から富山県内では合掌の号令をやめた小中学校があるのだそうです(98年7月28日産経新聞が過剰反応だという視点で記事にしている)。 憲法20条の解釈論で行けば、「目的効果基準」を採用することとなり、合掌の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進または圧迫、干渉になる場合には、違法(違憲)ということになるでしょう。私個人としては、軽く合掌する程度は、現在の感覚として宗教的意義は薄く世俗的な生活の一部なのであって、公立幼稚園のクリスマス会(サンタ登場、キャンドルサービス)の方がよっぽど宗教的だと思います。 ちなみに、我が家の2人の娘たちに給食の時間の「いただきます」の際に、どうしているか(合掌するかどうか)確認してみましたら、小学校3年(公立)の姉も、保育所(公立)の5歳の妹も、いずれも手を合わせるしぐさをしてくれました。 もっとも、「いただきます」を発声するときに軽く両手を合わせる感じのようです。日常生活でも通常こんなものでしょう。 富山の例で言えば、給食前の合掌のさせ方に通常の生活を明らかにはみ出したものがある、例えば一斉号令で黙祷させる、時間が長くある程度の苦行と感じられる、などならば、目的効果基準のテストに照らしても問題にもなりえるでしょう。また、浄土真宗の強い土地柄で、何らかの社会的な要因があるのかも知れません。 いずれにしても、異論が出るようではまともな指導ができないという配慮で、こうなったのでしょう。 教育上の現実的配慮としては、妥当な対応かも知れません。個人的には教育委員会に毅然として欲しいとも思いますし、後味はよくありません。しかし、学校教育の枠内だけに押し込めた議論に終始するのも、また間違いでしょう。 「合掌有害論」は特殊な一例なのかも知れませんが、皆が自然に合意し依拠する揺るぎない考え方や所作(大げさに言えば文化とか伝統)というものが崩れているのだろうか、と思ってしまいます。
2005.11.24
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ある方のブログページを読んでいて、同感しました。その内容は...ある小学校で一部の親が「給食費を保護者が支払っているのに子どもに”いただきます・ごちそうさま”と言わせるとは何事か。」と抗議。担任の教師は抗議に従ったとのこと。感謝を込めていう「いただきます」を、「指導しません」と言う教師は資格がない。「いただきます」が自然に言え、その意味をしっかり理解する子どもを育てるべきである。という趣旨です。私も1ヶ月くらい前に新聞の投書欄か何かでこんな抗議があるという記事を読んだ気もします。ブログのご意見に全く同感です。 食育教育や食文化の観点からは、さまざまな議論があるのでしょうが、私は、もっと自然かつ単純な、子どもの頃言われたことを思い出します。 よく祖母に言われました。「米粒を残すな」と。農家だった我が家では、食後の茶碗に白湯を入れて飲み込むのが風習でした。 高校時代の同級生で別な市町村から下宿していた、やはり農家出身のM君は、茶碗ではなくおつゆの椀にお湯を入れて飲むのが「M家の伝統」だと言っていました。 要するに、苦労して作った米粒や野菜を残して捨てるなんてバチ当たりだ、という、ごく自然の発想でしょう。胸を張って貧乏根性といっても良いです。自分たちが丹精こめて作ったのですから、当然そうなるのでしょう。 自ら作物を作らない都会人からすれば、「感謝」という言い方になるのですが、食べ物、それを作った人、食にあずかれる自分などについて謙虚に思いを致すという意味で、私のような「貧乏根性」と、(ちょっと我田引水的でしたが、)根っこは同じだと思います。 それが、食事の際の当然の挨拶(というか自然の所作)として「いただきます」「ごちそうさま」となって口に出てくる、これは我々日本人の体にしみた伝統ではないのでしょうか。 本来的には学齢期になってから初めて学校で教えるものではなく、自然な挨拶として家庭で身につけるべきことだと思います。(もちろん食を題材に、栄養、農業、食糧事情を学校教育で深めることは良いと思いますが。) かくいう私、子どもたちに食べ物を残すなよ、全部食べろ、とうるさく言いながら、子どもの残したご飯を、台所でセッセと腹に入れています。どうしても食べられない場合は、翌朝に私だけ冷えたご飯を食べます。(小さい頃から、テレビCMで見せるような「アツアツの炊きたてご飯」よりも、冷めてもなお弾力のあるご飯を、そのまま、あるいはみそ汁などをかけて食べる方がウマいと感じて生きてきたので、全く支障ありません。) ただ、茶碗に残った「米粒」まで全部拾って食べることは、今はまずしませんね。祖母に言われた40年近い昔を思い出して、娘たちに話してみようか、と思います。 それから、そう言えば我が家では皆そろって「いただきます」「ごちそうさま」をシッカリやっているかというと、これも自信がないです。反省。 最初の話題に戻りますが、このすっかり有名になった?「いただきます」反対論の保護者が、どれだけ深い信念をもっているか知りませんが、学校給食費という対価を納めているのだから「いただく」のではない、という論法ならば、 (1)ラーメン屋で「いただきます」も禁句となるでしょう。さらにこの論法を進めますと、 (2)新聞配達のオジサンに「ご苦労様」という必要はない。 (3)最も「いただきます」を言わねばならない人は、泥棒である。ということでしょうか。微妙なのは、 (4)ガソリンスタンドで子どもにキャンディーをもらう場合です。ガソリンスタンドの経費に含まれていると考えれば、いただくとかお礼を言う必要はない、となり、顧客のガソリン代とは別経理で純粋に対価のない贈与であればお礼を言う、このいずれかを店員に確認して対応を決める、と相成るのでしょうか。 ああアホらしい。私はガソリンスタンドでは娘たちに必ず大きな声でお礼を言え、と言っていますよ。有償無償ではなくて、相手に対する敬意と礼儀の問題なのだから。 最後になりますが、我が家の娘たちに、給食の時間の「いただきます」をどうやっているのか、確認してみました。 ○姉 小学校3年(公立) 係が前に出て、「みなさん手を洗いましたか」と確認した後、「いただきます」を言って、手を合わせるよ。 ○妹 5才。保育所(公立) 手を合わせて「いただきます」。「お当番さん」(子どもが輪番で担当)がやるんだよ。 ということでした。この、「手を合わせる」(合掌)についても、少し書きたいのですが、項を改めます。
2005.11.24
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宮城スタジアムのファン感謝イベント、楽天とグランディのダブルファンとしては当然行きたかったのですが、子供たちが風邪で、断念。スタジアムの外観写真だけ撮りました。わかりくにいですが、スクリーンが見えます。(わからないですね。)今から、家でベガルタ応援(TV)です。
2005.11.23
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我が家の娘たちは、オヤジのパジャマを着るのが好きのようです。昨夜も、オヤジの私が風呂に入っていると、下の5才の娘がノックして来ます。お父さんのパジャマを着てダブダブになって登場するという段取りなのですが、ノックする前からクヒクヒと笑い声が漏れ聞こえるので、こっちはとっくに気づいています。それでもビックリしてやらないとおさまらないので、ビックリしてあげます。すると、今度は、サングラスをしたり、変なタオルを巻いてきたり、といろいろ変装したつもりになって何度も登場します。他によくあるパターンとしては、風呂から上がると、娘たちがちゃっかりオヤジパジャマを着込んで(姉は上着、妹はズボンとか)、テレビを見ていたりします。まあ、何年か後には、頼んでも絶対に着ないでしょうから。今のウチです。ひょっとしたら今日が最後かなどと思うと、コラやめろ! というのも気が引ける感じがします。
2005.11.22
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大それた検証だが、第1回に次いで、第2回で最終回。実は第1回直後に書くつもりでしたが、知事選挙の論戦やマスコミの評価を踏まえてから冷静に整理するのも良いかなと思って置いていたもの。置いているウチに新知事が就任してしまいました。ちょっと長いです。なお、浅野県政の検証を踏まえた新知事の県政への期待は別項。1 情報公開の成果 3週間くらい前に週刊朝日の浅野知事のインタビュー記事(警察報償費に関するもの)を立ち読みしましたが、浅野氏は最後に情報公開で胸を張る県政になれた、との趣旨を述べていた。これは客観的にも全くそのとおりで、浅野県政最大の成果だと思う。氏の主観と実績とが一致するほぼ唯一で最大の成果でしょう。 私もズバリ浅野県政の情報公開は改革の名に値する顕著な成果を挙げたと思います。ただ、一般とは少々重点が異なるので、やや抽象的ながら以下に整理します。(1)一般には、公費の不正経理問題の処理を代表例として、旧弊を次々と暴き改革に結びつけていった点で、大きく評価されていると思われます。その後も、県民の声を大切にした政策評価体系をつくり入札改革に先進的に取り組むなど、世間からは評価されています。(2)ただ、私はより重要で最大の成果は、役所の業務風土と行政に関わる県政の風土をまさに「改革」re・formしたことだと考えています。 抽象的論議に入りますが、従来型の業務風土を、さしあたり「業務手続の暗黙性」と「人間臭さ」と意義づけます。とすると、最大の成果とは、前者の暗黙性を明示的で科学的に変革した、ということです。 少々具体的に言いますと、仕事は先輩を見て覚えろというのではなく、明文化された規範や要領に従って対処せよ、ということ。かつては、不正経理という極端な典型例もあるように、規範や要領に反する仕事の進め方が現実にありました。この世の中タテマエどおりに動くのは裁判所くらい、何事もウラ規範があるのだ、というような。裏を返せば、個々の職員は、同一性障害を覚えながら仕事をしていたということです。 情報公開の導入と旧弊を改善する過程は、ややジャーナリスティックに過ぎましたが、結果として定着した姿を見れば、依拠すべきルールの暗黙性を明示化させることで、それに反する行動を許さないという風土を生み、またその内容も住民に対して説明できる「適正な」内容となったわけです。情報公開こそが行政の信頼の道だと言うことを示したわけです。(ちなみに、秘密主義なのに揺るぎない信頼を集めているのが、ノーベル賞の選考過程だそうです。これは不思議ですが、情報公開以上に信頼を得る何者かがあるのでしょう。) すなわち、役所の内外で行動する人たちが上記のような同一性障害から開放されるという大きな成果が生じたと言うことです。本来あるべき姿になったというだけなのですが。 そして、結果として、サービス向上と経費効率化にも向かうことになります。(3)もっとも役所内部や行政に関わる在り方としては、多少の問題も生じます。従来型の業務風土に含まれた良い面「人間臭さ」も失われゆく懸念があるからです。法律による行政原理(自由主義理念に基づく行政の恣意抑制)の要請から、また効率性と公平性から、行政とは本来的にルール従属的な活動です。それにしても、魂がないと機械的に過ぎて時として妥当性のない対処が生じます。 情報公開が進むことで、余計な説明責任を回避したがるあまりに(出過ぎたことは一切しない)、何でもかんでもルール従属で、機械に徹してしまう行政スタイルが懸念されます(例えば、教育と警察を考えよ。人間力発揮を自粛するようになったらオシマイ)。 ただ、これも恐らく過渡的な面があって、情報公開も役所アタックや監視の道具という使われ方から、双方向的な常時的なものと認識されてくることで、落ち着いてくると思われます。良い意味での「人間臭さ」も住民の信認を得てくると思われます。(この辺抽象論でスミマセン) 以上、きわめて大まかに言えば、行政スタイルの新しい(実は本来の)姿になった、正規化(normalize)されたという、成果です。(ノーマルとは、according to what is expected(LDCE)であり、本来の姿になることがノーマライゼーションである。) 突然思い出すのですが、長野県知事に田中康夫知事が就任した際に、ある県幹部が新知事から手渡された名刺を面前で握りつぶしたという報道がありました。一般には、民意の結果を素直に受け入れられない何か既得権益にまみれた閉鎖的官僚機構の表れ、というイメージでしょう。しかし、これまで築いた組織文化を黒船に破壊されんと考えてしまったリーダーの気持ちも何となくわかる気もします。良い意味でのプライドも必要です。ただその時は感情的発露に走ってしまった、だけなでしょう。でも、民意(公選された人)を拒否することだけは出来ません。そこは受けるしかない。その意味で、象徴的なシーンでした。 今は長野県庁もそんな組織風土ではないでしょう。(と思っていたら、中央公論11月号に田中知事の行政のまずさを指摘する県庁OBの記事もあったが。議論は大いに。) と来ると、ここで国家レベルの行政がいかに旧態依然かということを言いたくなるのですが、長くなるので今はやめます。(もう十分長い...)2 浅野流とその限界 さて、浅野県政の評価はさまざまあるでしょうが、一言で言えばこの知事は、良くも悪くも、明朗快活、自由自在だったと思います。「受け」や演出にこだわり、好みました。従来にないスタイルでした。機敏で新鮮な浅野流が、何かこれまでと違うと人々に期待を抱かせました。初期は。 自らは、「脱政党」の誇らしい宮城の文化を根付かせたと言っていますが、皮肉にも本当に脱政党の選挙をした第2期以降には、福祉、教育、産業再生などで浅野流の「みやぎ発」連発の割には、後世に評価されるものは少ないです(結果的に財政改革が進んだと私は考えていることは、第1回に記した)。明朗快活なる浅野流の限界です。 やや分析的に言えば、情報公開や官官接待は、官僚制組織の悪弊で地方政治家の利害感覚とも矛盾しないから放置されていたが、客観的には誰も良いとは思わないし反対応援団も表面化すはずもない、政治的利害調整過程の苦労のない問題だから、要はトップが勇気を持って決断すれば実行できる(皆しなかったが)。浅野氏は、これを華麗にやってのけて、もちろん成果も出した。決断の勇気は大いに評価されねばならない。 ただ、その「スタイルの華麗さ」だけを、その後も追い求めた。 他の行政課題は、そうはいかない。例えば、入札改革。透明化と行政コスト低減は素晴らしい成果と言えそうだが、公共事業圧縮とあわせて地域の建設関連事業の倒産などによる景気と雇用の沈滞が叫ばれている。入札改革による沈滞論は少々オーバーな面もあり、冷静に見なければならないが、いずれにしても、政治家としては声がある以上どう答えるか策を提示して成果を出さねばならない。なれあい体質の打破と地域経済の活性化とを両立するのは困難だろうが、これに向き合ってこそ「改革」と言えると思います。 政治の本質は資源再配分に伴う利害調整であり、政治家に実践的に必要なのは説得力と決断力です。浅野氏のスタイルは、この利害調整のドロドロに自ら入り、ドロドロの中の視点で議論をして納得ある判断に至る、ということが...ありませんでしたね。一段高いところから鳥瞰し、自ら手を汚さない、あとはコトバやタイミングで斬新さの演出に腐心する、と表現しても良いでしょう。 私の専門(エ~ッ!そんなのあったの?)の政策分析論で言うと、こういう状況を「酔っぱらいの物探し」などと表現する場合があります。本当は、1960年代の米国で、本来政治介入など非計量変数を含むオープンモデルたるべき予算編成に、敢えて数理モデル偏重の手法を導入した愚行を、電柱の下の明るい所でしか落とし物を捜さない酔っぱらいと同様だ、と批判した政治学者A.Kaplanの言葉です。 90年代以降の宮城県政にたとえれば、こうなります。「なぜドロドロした利害の調整に手を染めないのですか?」「だってそこはスタイルを発揮できないからね。」 こう見ると、情報公開はむしろ特殊な例外だったのであって、スタイル重視の浅野流はそもそも政治課題解決にはおのずと限界をはらんでいた、のではないかと考えています。 政権末期には、三位一体改革に随分力を入れて、ある程度の成果を示したと言えます。ただ、皮肉を言えば、県内のドロドロ利害調整とは一応別個の制度論だったから、氏の本領が発揮できたと言えます。 さすがに浅野氏も悟ったのか、3期目の半ばに、ユニークな「緊急経済産業再生戦略」というのを打ち出しました。教員や警察官の給料をカットした、あの戦略です。しかし、その斬新さは、給料をカットしたことと、中身は産学官に考えさせる、ということにあったようで、結局「スタイル重視」は変わっていなかったのです。(当初予算に計上もしないのは議会軽視だ、という批判も、単なる議員のやっかみ以上の重要さを含んでいた。) 私は、産業再生や所得増加に対する浅野氏の「中身の」本気度(「非本気度」というべき。)が、かえって馬脚を現した、と残念に思っています。 今回の選挙戦は、自ら不出馬のサプライズを演じたかと思えば、寂しくなって自分が立候補した以上に露出し、「県民文化」「伝統」を守れ、という。中身ではなく、スタイルを思い切り昇華させた氏の論法は(そうするしかなかったのだが)、政治や政策の中身ではなく、スタイルや業務風土の論理だけが空回り。これには正直言って県民も呆れたのではないだろうか。 退任時の言葉が新聞で報じられましたが、自身も、政策の中身ではなく、これらスタイルと業務風土の点だけをもって、「日本に誇れる宮城にした」というまとめ方でした。「中身」ではないのですね。やっぱり。 それに12年間付き合った県民は何なんだろう。もっとも、政治的にみれば、その責めは、浅野氏ではなく、自民党を中心とした県政界中心勢力が負うべきものです(以前の日記 10月16日 10月7日 9月29日 )。3 新知事への期待 新しい知事には、スタイルではなく成果を真剣に考える「政治家」であって欲しいと思います。少し象徴的に言わせてもらえば、 ○ 手続より中身を ○ 業務論より出力論を ○ 巧言令色より本質論を ○ インスタントな「受け」よりも将来の県民と地域の姿を という感じです。初登庁日の今日(21日)の記者会見などを夜のテレビで見ましたが、実直という印象を受けます。 不肖の私としても、スタイルや手続論ではない、政策の中身を論じさせて頂きたい、その意味では、申し訳ないが浅野流を大改革していただきたい。期待いたします。 宮城の顔を演ずる舞台から去る浅野氏には、ひとりの県民として、まずは長い間ご苦労様でした、と申し上げたい。
2005.11.22
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日曜日(20日)毎日新聞の「発言席」に出ている西尾理弘出雲市長の意見を、娘たちと訪れた公共施設の新聞コーナーで、読んだ。明瞭に本質を突いた文章。私の意見も軌を一にしているのですが、自分でもよく整理出来ない点が、よく整理されていて、敬服しました。その概要は、下記のとおり(ODAZUMA Journal要約・補遺)。------------ 三位一体改革での国庫負担金の地方移譲の議論は、単に財源措置の問題にとどまらない。戦後60年来のこの制度の下で、公立学校教育の機会均等や水準維持向上に多様な問題が生じているからこそ、地方自治体が教育自治権を確立する必要があるということだ。 この現実を無視した文部科学省サイドの反対論は、国民的課題である公教育の危機の打開へのリーダーシップ欠如と安易な現状維持に過ぎない。文科省は、地方移譲を牽制する狙いもあり総額裁量制を導入したが、依然地方は思い切った配置はできない。教育現場が地域のニーズや特色を生かせるよう、地方の主体性を真に尊重すべきだ。 文科省は、地方に任せれば財政格差から教育格差が生じるという。しかし、現行の国庫負担制度で拘束するから格差拡大を助長させていることが問題。国庫負担金は目標財源が十分認められない歴史が繰り返されてきた。むしろ地方の財源確保の方が安定的といえる。 その際、地方教育行政は自治体の総合行政の中で首長が主導する体制を確立すべきである。政治的中立性から首長の参画が制限されたが、東西の思想対立が終息しつつある現在、首長を信頼し教育行政への責任・参画を認めるべき歴史的転換点にある。 文科省は、自らは大学・研究機関の強化、芸術文化予算の充実に努めつつ、勇断をもって教育分権に舵を切ることによってこそ国民が信頼する政策官庁に飛躍しうる。------------ 以下、私(Odazuma Journal編集長)の意見です。 文部科学省は、学校教育分野については、学力水準統一や教育研究研修の中央機能にとどめ、行政監督は基本的に排除、財政関与は一切行わないという在り方が良いと考えております。その際、交付税制度で適切に措置されることは絶対条件。本来地方の固有財源である交付税は「当然措置されるべき」はずのもので、不安などないはず。しかし、実際、文部省の従来の小手先の一般財源化では、結果として実質的な地方の持ち出しが発生しています。交付税がジワジワ絞られるから。財務省の作戦(交付税化したら総額で絞る)と総務省の弱さ問題もありますが、このような実態があると不安もうなずけます。しかし、だとしても、ここにつけ込んで負担金堅持を主張するのであれば、文部科学省とは何とも滑稽な役所というべきでしょう。 単に省益維持したいだけで、地方自治や教育論を考えて対応してきたのではないことの証左です。 もう1点。西尾市長の意見に強く主張されていますが、地方教育行政の主体性を、真に考えるべきです。 総額裁量性が望ましい方向だというような言い方がされますが、実態は全く違います。教育財政に携わる人はすぐ気づいたはず。基準となる給与モデルをずいぶんと絞ったため、従来の支給実績ベースの負担(それも完全に1/2ではないのだが)よりも総額では下がるのです。実態としては、独自の給与カットをしてはじめて人数を増やせるという程度の「裁量」しかありません。文科省も知恵を絞ったのでしょうが、実態は総額を抑制する言い訳なのです。財務省に迎合したものと言われても仕方ありません。某新聞が浅はかにも制度を賞賛する記事を書いていましたが、よく検証して欲しい。 また、この点で、西尾氏が教育委員会制度に触れています。地方教育行政の主体性統一性の強化のため、地方自治法と地方教育行政法の改正論議になりますが、私も教育委員会制度は見直してもいいと思います。教育長を廃止して首長に一元化し、教育委員会は現在の執行機関でなく、審議・勧告的機関として、公選の議会とは別個に残置する、というデザインが良いと思います。この辺はさまざまな意見があるでしょうが、自治体レベルでの水平的統合という視点が基本となるべきでしょう。
2005.11.21
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私は、ついにやりました。もちろん仙台は積雪はまだですが、備えは早めに!なんて、これも交換したからこそ言える優越感、です。交換しないうちは、妻に言われると、「まだ大丈夫」「凍ったらバスで行く」などと方便をたれているのですが。我が家には2台の車がありまして、妻が常用している方は、なんとタイヤ交換サービス付きで購入したので、クルマ屋さんに持ち込んで、あとはジュース飲んでいればできあがり、という何とも楽チンイーグルスなのです。土曜日(19日)に娘達を引き連れて、ジュース飲みに行ってしまったのです。そこで、私はと申しますと、言われる前に、家でセコセコとタイヤ交換、というわけです。土曜日の午前中に済ませました! 洗剤で夏タイヤとホイールを洗うというすばらしさ。ああ腕が痛い。もう若くない。
2005.11.20
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わがODAZUMA Journal編集室(つまり自宅のパソコン部屋です)もめっきり寒く感じられるようになりました。今もう2時半ですね。仙台の明朝(もう今日ですが)の最低気温は3度くらいまで下がるらしい。そろそろ「ちくだん」入れましょか。10年にオール電化で建てた我が家、暖房も電気です。夜間の安い電力で蓄熱する「ちくだん」君、はるばるドイツから我が家にやってきた、全盛期の小錦よりも重く、200Vで家中に熱気ムンムンという頼れるヤツですが、これを設置しています(なお、もっと軽量の弟分も玄関に設置)。ところが、いったんスイッチ入れるともう春まで切れません。体が慣れてしまうので。だから、セコい消費者心理というか貧乏根性で、シーズンに初めてスイッチ入れるのは慎重になりがち。最初の頃は真冬に電気代が月に2万円近くになったことも。妻も、まだいいんじゃないの、と言っていたし。そういえば、最初の年は10月に初スイッチ入れたような気がします。この「初通電日」が年々遅くなっているかも知れません。ああ、やっぱり貧乏根性!実は、わたくし編集長、下ズボンに靴下というウォームビズで、現在執筆中。はい、やっぱり貧乏根性でありました!でも、それで寒さを我慢するのでは本末転倒ですから、やっぱりスイッチ入れましょう。ここは東北電力の収益に貢献させてもらいやしょう。がんばれ東北の経済よ。おれの給料で活性化だ! などと威張れるわけもないですが...娘たちよ、朝はスッキリ起きてくれよ。(でも、なぜか土日だけは、頼まなくても早起きするんだね、これが。今から再び寝るお父さんを起こさないでケロ。)
2005.11.19
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岩手県の平成の大合併。県南内陸部に、とりあえず人口レベルでみれば、 新花巻市(来年1月1日合併、人口11万人) 北上市(9万人。既に平成3年合併施行) 奥州市(来年2月20日合併、人口13万人) 新一関市(13万人。今年10月合併施行)と従来から肩を並べていた4都市が、それぞれパワーアップしての再登場です。 ところで、北上市は今ではすっかりこの名で定着しましたが、私は合併市町村のネーミングとして成功した典型例だと思っています。ここで合併とは、平成ではなく、昭和の大合併です。昭和29(1954)年、黒沢尻町と飯豊・二子・更木・福岡・鬼柳・相去の6村が合併して北上市と命名されました。 この命名ですが、具体的に北上町や北上郡などというものはなかったので、東北の大河名(下記参照)や山地(北上山地)の名でもある「北上」を採用したのだと思われます。おそらく議論もあったのでしょうが、郡名をベースにするなら和賀市もしくは東和賀市が自然でしょうし、核となる町名を採用するなら、黒沢尻市。(この辺市史などで確認したものではありません。) この「北上市」という命名、50年たった今になって考えれば、大いに成功したと思います。東北以外の人にとっては、北上川や北上山地は、逆に北上という「当地の中心地の町の名に由来する」というぐらいに思われているのではないでしょうか。合併の命名パターンで、このようなパターンを「大局的命名パターン」と名付けるとすれば、大局的命名パターンの堂々たる成功例と思います。言い換えれば、最初は気恥ずかしく?母屋を名乗ったのが、いまや母屋を乗っ取ったようなもの(良い例えでない?)。 確かに黒沢尻は北上川海運の中継港でもあり、歴史的にも「北上」を名乗る資格が一応あると言えますが、それだけではここまで定着しないでしょう。 これだけ定着したのは、その後の市勢の発展有ってこそだと思います。秋田県との交流(古くは平賀街道)の拠点、東北新幹線開業時の駅(在来線同位置)設置、東北自動車道開業と相次ぐ工業団地の開発分譲などによって、今では、工業出荷額はダントツで県都盛岡市をも超えている。商業販売額はさすがに盛岡市、流通団地のある矢巾町には劣りますが、県南4兄弟では、新奥州市に次いでいます。 人口の伸びを見ても、花巻、水沢、一関が微減傾向にあるのに対して、ひとり北上市だけが着実に伸びています。いまや、北上市と言えば、活気のある都市というイメージです。従来、岩手県の都市(旧町)の伝統や格という面では、水沢と花巻がやや上だったという感覚ですが、逆転の形勢です。 わが宮城県内でも、このパターンの命名は、昭和の大合併の時を中心に多くみられました。例えば、 ○北上村(町)(2村合併で旧村名は採用できなかったと思われる。) ○名取町(市)(増田と閖上の拮抗が背景にあると思われる。) ○宮城村(町)(宮城郡全体からすれば辺境的な一部) ○桃生村(町)(明治22年の6村合併からこの名称だが、桃生郡の中心とまでは見なされなかったと思う。) ほとんど合併で消えましたね。名取市は、できれば岩沼市と合併して堂々と新名取市になって欲しいです。名前はこだわりませんが(「南仙台市」はやめてネ)。 ところで、なんでこんなことを考えているかと言いますと、大局的命名パターンの王道を進んでしまった「奥州市」が定着するかどうか、岩手県に生まれ育った者として個人的にとても不安だから、なのです。■北上川の名前の由来 (北上川学習交流館「あいぽーと」HP。そのまま引用しました。) この地方は日本書記にでてくる『武内宿禰(たけしうちのすくね)、東国(あづまのくに)より環(かえ)りまいてきて奏して言(もう)さく、「東の夷(ひな)の中に日高見国あり…」』(景行天皇27年2月条)の日高見国ではないか、といわれています。日高見国がどこにあるかは、はっきりとしていませんが、朝廷の権力のとどかない辺境の地をさしたものと考えられています。 その日高見国を流れる川「日高見国の母なる川」の意味が、日高見川(ヒタカミ川)→キタカミ川、やがて北上川とあて字をするようになったといわれています。(ODAZUMA Journal編集長注:北上川海運の一大交易都市・石巻にこの名の酒がありますね。)
2005.11.18
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水曜日(16日)の朝8時台に、普段は見ない東北放送の朝のテレビ(ウォッチン!みやぎ)を見ていましたら、気象予報士の斎藤恭紀さんが元気よく天気を伝えていました。仙台空港のカメラ映像も見せてくれるのですが、その際に斎藤さんが、「仙台空港は松本、花巻とともに、日本三大悪「霧」空港と言われている」と。これは初めて知りました。確かに、松本空港は標高も日本最高と山間地にあるため風の影響を受け、欠航や着陸地変更という話は聞いたことがあります。それにしても、われらが仙台空港がワースト3と言われると、ちょっと残念。この話をしていたら、ある人が逆に教えてくれました。たしかに、松本、花巻、仙台の3つが日本の三大「悪気流」空港だ、パイロットの方の著書に書いていた、と。内田幹樹『機長からアナウンス』(新潮文庫)という本で、機長の視点から様々な面白い話が書いている本です。元JASのディスパッチャー(気象状況や貨客重量などからフライトプランを決定する運航管理者)が語ったと言うことで、冬になると山おろしの風が吹いて全くメチャクチャになる、のだそうです。あっ、そうか。私は悪「霧」空港と聞いたのだけれど、斎藤さんは「悪気流空港」と行ったのでしょう。私の聞き違いです。斎藤さんもひょっとしたらこの本を読んだのかも。結構面白い本のようです。横風が離着陸の大敵ですが、一定して吹いている分には問題ないそうです。また、離着陸時の視程(見通し)の話もありますが、着陸時に視程が悪いとコンピュータによる自動着陸に切り替えるのだそうです。そんな優秀なコンピュータでも唯一できないのが離陸なのだそうです。
2005.11.17
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以前の日記(仙台コンビニ今むかし)で、学生だった頃の仙台のコンビニについて書きましたが、偶然、当時のコンビニ事情を伝える非常に面白い資料を目にしました。宮城県商工労働部が昭和58年3月に出した調査報告書です。まず面白いのは、調査の趣旨の説明。大店出店規制を受けて流通王手がCVS(コンビニエンスストア)のチェーン展開に重点を置く一方、フランチャイズチェーンやボランタリーチェーンが真に消費者に受け入れられるか(コンビニエントなのか)を見定める必要もある、という趣旨です(ODAZUMA Journal要約)。当時は東北新幹線開業直後ということもあり、また、82年(昭和57年)は県内コンビニ店舗数が対前年で倍増以上(207%)と雨後のタケノコの時期であったことを反映して、中央資本と地元資本の動向、地元の小売経営者の意識、消費者の意識、など基礎データを全体的に把握しようという意図だったのだろうと思います。この後に到来する本格的な郊外型店舗立地も含めて、従来型の単立小売店と商店街を軒並み潰していく商業大変革の津波の、その第一波というところでしょうか。ライフスタイルの点でも、深夜や未明でもモノが買えるというのは、まさに画期的だったはず。いや~まさに、時代ですね。(中島みゆきの「時代」を聞いたのは小学校6年生だったかな...)以下に、調査報告書の要点をご紹介します(ODAZUMA Journal要約。なお、消費者や経営者の意識などの部分は除外)。データなのでちょっと長いですが...------------○ 83年春時点で県内に200店舗以上(何らかのチェーンを形成しているもの)。○ 内訳は(括弧内は資本)... サンチェーン(キャバレーハワイチェーン・ダイエー・ローソン)55店 サンクス(長崎屋)34店 コスモス(独立系)23店 パンプキン(オーケー(ダイエー系))16店 エイトテン(独立系)15店 マイショップ(独立系)9店 セブンイレブン(イトーヨーカ堂)21店 サンエブリー(山崎製パン)2店 YDS:ヤマザキデイリーストア(山崎製パン)42店○ 当時の全国チェーンで宮城県に参入していないのは、 ミニストップ(ジャスコ) ローソン(ダイエー) ファミリーマート(西友) サークルK(ユニー) Kマート セイコーマート コミュニティストア○ チェーンの形態別にみると、 フランチャイズ方式(FC)100%なのが、セブンイレブンとYDS。 逆にレギュラー(直営)チェーン(RC)100%が、サンチェーンとコスモス。 他はFCを基本に一部RCやVC(ヴォランタリーチェーン)を混合。------------さらに、調査報告書の中から興味深い点をいくつか。■ 店舗数ではサンチェーンが堂々第1位。仙台では、78年(昭和53年)のコンビニチェーン第1号を始めに、サンチェーンが出足が速かったようです。(78年は宮城県沖地震。私はまだ仙台におりませんでしたし、来るとも思っていなかったですが。)そのあとセブンイレブンの猛追を受け店舗数で一旦抜かれますが調査時点ではトップの座を回復。■ 82(昭和57)年には単月に約9店舗の新規開店という、物凄いペースでコンビニが拡大。この年には、セブンイレブンとサンエブリーの大手2チェーンが参入し、乱戦の幕開け! ちなみに向山高校の下に住んでいた私も向山2丁目のセブンイレブンによく行きました。■ 他方で、83(昭和58)年1月には既に仙台で2店が閉鎖しており、競争の激化の一端として注目される。(注:このコメントを書けた県の担当者はすばらしい。)■ 有名な石巻のエイトテン。15店舗全部が石巻市内。石巻では最大の店舗数を誇り、他にはサンチェーン6店、サンクス1店のみです。出足も比較的速く、70年代末には店舗網を構築したようですが、その後は店舗数も伸びず、結局大手に飲み込まれていくことになります。■ 仙台・宮城のコンビニ展開の特徴。札幌や福岡と比較して、地場のCVSが少ない。と、だいだいこんな感じ。とても興味深いですね。前の日記では確信を持てずにいた仙台の「コスモス」は、やっぱり実在した! この点は記憶が実証されたので安心。たしかこの直後に「ニコマート」(これも消滅したはず)に吸収されたように思います(この点はまだ曖昧)。それと、エイトテン。ネーミングだけで全国的に有名になりましたが、他に先駆けて地元展開したチェーンが数年であっさり大手に負けてしまったのは、一面で寂しいですね。独立系のコスモスとエイトテンが、その後東北各県に店舗展開する、なんてことにはならなかったです。まあ、それが仙台・宮城らしい、ということでしょうか。その点では、古川市に本社のあるリトルスターが注目されます。86(昭和61)年にCVSに進出、今では、岩手、山形、福島にも店舗を展開しているのだそうです。
2005.11.16
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土曜日に八甲田の谷地温泉を訪れたとき、停まっている乗用車のナンバーで、通常「ひらがな」がある部分にアルファベット大文字の「Y」と記しているものがありました。八戸ナンバーでした。以前もたまにアルファベットを見たことがあるのですが、わが宮城ナンバーではなかったように思います。ちょっと不思議で新鮮な感じを受けます。調べました。ナンバー(法令上は「自動車登録番号(標)」です。)は、道路運送車両法第9条によって、省令で定める基準により定めます。その「省令」である「自動車登録規則」第13条では、次のように(ちょっと簡潔化しました)、この順序で組み合わせて表示すると決められています。(1)管轄する陸運支局・自動車検査登録事務所を表示する文字(2)自動車の種別・用途の分類を表示する数字(3桁以下)(3)自動車の区分を表示する平仮名又はローマ字(4)数字(4桁以下)なるほど、こうなっていたのか。そして、問題の「Y」は上記(3)の文字に該当しますが、さらに、この(3)は同規則別表第三で、次のように(これも簡潔化)定められています。(a)自動車運送事業 あいうえかきくけこを(b)自家用自動車 さすせそたちつてとなにぬねのはひふほまみむめもやゆらりるろ(c)有償貸渡し(レンタカー) れわ(d)日本国籍を有しない者が所有する自家用自動車で、法令の規定により関税又は消費税が免除されているもの及び別に国土交通大臣が指定するもの EHKMTYよと、以上です。ちなみに、「し」と「へ」はやっぱりないですね。例の八戸ナンバーの車は(d)に該当することになります。よくわかりませんが、具体的には在日外国公館や米軍基地の関係者ということでしょうか。そう言えば三沢も八戸ナンバーの管轄です。昔は、「よ」だけだったと思いますので(大使館が「よ」だ、と何かで覚えていた。)、アルファベットは最近だと思います。6文字それぞれに細かく使い分けする意味があるのでしょう。
2005.11.15
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愛用の腕時計が電池切れで針が止まりました。この時計、広瀬通のジャスコ仙台店の閉店セール(フォーラスに改装する前)、たしか昭和59年の初夏ですが、その際に1万円弱で買った物です。まだ学生でした。以来21年間この時計だけでやっています。バンド交換も10回以上やったはず。本体の横やウラの一部が汗や水分のため錆びも見えます。また表面ガラス部が外れること何度か有りましたが、自分でハメ直してきました。 こうなると愛着が沸きまして、リタイアまでこれで頑張ろうなどと考えたりしています。(時計より先にこっちがアウト・オブ・オーダーかも!) 当時のジャスコと言えば、一番町の中心部分、また国分町の入り口でもあり、学生の飲み会と言えば、「6時ジャスコ前」というのが集合場所の定番でした。 学生の頃は、一番町を南北に流すと誰か友達に会う、と誰かが言っていた様に、結構みんな町に出ていました。車など持っていないし、書店、飲み屋、深夜までやっている喫茶店などが限られており、これらの店との往来に一番町を歩くことになることから、昼夜を問わず、自然と一番町で出会ったのでしょう。今でいうコンパクトシティです。 ジャスコは、その一番町のちょうど中心、人の通りの交錯するポイントでもあり、まさに集合場所に恰好でした。 今は、一番町を歩くことも月に1度か2度。郊外に住んでいることもありますが、一番町に出てくること自体が結構大変だったりします。 ちなみに国分町で飲むことも以前に比べてメッキリと減りました(よく言えば家庭第一主義とも!)。 そこで、今日の仕事の帰り道に一番町を通りました。そして、午後6時に旧ジャスコ(フォーラス)前の風景を撮ってみました。 「6時ジャスコ前」の風景、です。 多湖輝さんの『頭の体操』の第1集(?)にあったクイズ。灼熱の非文明社会に入った文明人が手みやげに持ち込んだ時計2個のうち、1個は一日に5分づつ遅れ、1個は全く止まってしまった。さて、非文明社会の現地人はどちらを選ぶか。正解は、全く止まった時計。理由は、少なくとも1日に2回は正確な時刻を指すから、というものでした。(記憶が不正確ですが、概ねこんなクイズでした。第1集でないかも。何せ小学校の頃で。) そこで、私も文明の波に逆らって、今からは一日二回正確に時間を指す止まった時計にしようかとも思いましたが、12時13分で止まった時計を見ても仕方ないです。 「ジャスコ前」からずーっと仙台駅まで歩き、仙台駅東口のヨドバシカメラで電池交換いたしました。
2005.11.14
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八甲田も十和田湖も初めての旅でした。十和田湖は青森県と秋田県の境にあるんだという認識ではありましたが、観光地街(温泉郷。西湖というらしい。)も両県にまたがっていたのが面白かったです。我々の泊まったホテルは秋田県側だったので、きりたんぽも味わえて(と厳密な仕分けでもないでしょうが)、期せずして両県の味を楽しんだというわけです。青森県側と言えば、十和田湖ビジターセンターのある地区(中湖の岸。完全に青森県分)で昼食を食べましたが、観光の店ではリンゴ関係の商品のほか、ニンニクや大間の昆布を売っていました。青森の産品です。この大間は、下北半島の突端ですが、是非行きたいところです。この間、所さんの番組でやっていました。また毎朝聴いているNHKのラジオ番組「東北朝一番」で、大間の床屋のお母さんが町の様子を伝えてくれたのを覚えています。そう、次は、恐山と大間をめぐる下北の旅を!
2005.11.13
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八甲田 秋の谷地温泉にて東北を駆け巡るODAZUMA Journal編集長、今回は青森は日本三大秘湯の一つという谷地温泉をおとづれました。八甲田はもう雪が降っています。娘は、戻ったら初雪見たと友達に教えるそうです。泊まりは十和田湖。夕食のきりたんぽ鍋がうまくて三回お代わりしました。
2005.11.12
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5時前に起きたら、雨。それも少し強くなってきた。東北の街道について日記を書こうとしていたのですが、娘が目を覚まして起きてきたので、中断。寝かし付けて(寝たかな?)今戻りました。河北新報が来たので、ざーっと読みますと、石巻市の市議選無効訴訟に関する庁内署名の記事。助役さんが中止を指示したとかいう内容。当たり前でしょう。かつて石巻市民であった者として、はずかしい話だと思っていました。再選挙になると大変だという実務面から始めたのでしょうか。それにしても、ハッキリ言って浅はかとしかいいようがない。雨のせいでしょうか。この時間でも、まだ真っ暗です。
2005.11.12
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11月11日はポッキーの日だそうです。娘が保育所の先生に教えてもらったんだと昨晩言っていました。 もう20年も昔ですが、学生時代から社会人数年目まで、なぜか日記を(もちろん紙に書いて)つけていました。断続的にですが。そして、なぜかその日記が現存しています。見たくもないのですが、これまたなぜか、先ほど引出しを引きすぎて外れてしまったら、奥にバラ積みにしているヤツが目に入ったというわけです。 今日11月11日は何があったのでしょうか。 その日は雨の日曜日で、当時学生だった私は、その日、隣県の実家に帰りその日のうちに仙台向山高校近くのアパートに戻っています。 翌年の11月11日は、月曜日。曇りのち一時雷。不安定な天気のようでした。すでに就職していた私に、大学時代の後輩達が電話をくれたようです。1人が東北電力に内定した、という内容で、そばにいる友人たちが代わるがわる近況を報告してくれました。こんな事もあったのか、ああ懐かしい。 あいつらにも、同じ20年が流れているんだな。 帰りの車中で聴いたラジオの天気予報では、低気圧が来ているそうで仙台はこれから雨になるようなことを言っていました。11月11日は雨の特異日でしょうか。
2005.11.11
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福田町の名は、福室と田子の両地名から合成した地名です。 と知ったふりをして書きましたが、仙台での生活が通算20年の私、実はこのことを今日になって知りました。まだまだ不勉強。たしかに、大字で田子と福室はありますが、福田はないですね。それにしても古くにつけた名前なのでしょう、すっかり定着しているように思います。 では、市役所の行政サービスセンター(支所)名や小学校名になっている「高砂」という地名はどうでしょう。 明治期に宮城郡の蒲生村、福室村、岡田村、田子村、中野村の5村が合併して高砂村が誕生しています。おそらく縁起の良い名前を命名したのだと思います。仙台市史を確認していないので想像ですが。そして、昭和16年の合併で、中田村、岩切村、六郷村、七郷村などと一緒に仙台市に編入されたようです。 現在のサービスセンター(支所)は基本的に昭和16年合併時の旧村単位をエリアにしているので、その名も高砂支所(現在の高砂サービスセンター)となったと思われます。また、小学校や仙石線の駅名(陸前高砂駅)も、この高砂村に関係しているのでしょう。
2005.11.10
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財務省は地方にやるカネはないと言うが、地方交付税は本来地方の固有財源であって補助負担金とは全く異なるもの。ことさらに地方のムダ使いをアピールしながら(マスコミと財界が乗せられている)、各省には補助金廃止は歓迎するが一般財源化する余裕はない、という財務省の姿勢は、三位一体の問題に正対していないといつも思う。地方に出来ることは地方にやらせる、そしてやらせる以上は適正に財源が必要だ、という議論をしているのに、国家財政のカネの単位の視点だけに立って、交付税も補助金も等しく数字の論理だけで議論するのだから。 作戦的には、総務省との力学関係を踏まえ、一般財源にしたら今度は交付税無駄遣い論で総額圧縮していく、と言う算段でしょう。 あまり言いたくないが、交付税にすると地方は無駄に使う、というなら、国の財政のムダをどうして「本気になって」見直さないのか不思議です。ひたすら予算消化に動く自己目的マシンである主要省庁地方支分局の実態は知っているだろうに。また一般財源化は補助負担金実務に携わる相当数の国家公務員の削減も可能。でも、これら国民的実利の側面には意図的にフタをする。財務省も根っこでは伝統的な政財界の中央集権財政システムを残したいし、各省の利益も擁護するというわけか。共存共栄の国会議員も基本は同じ(官僚の手の内にあるとの自覚の有無は別として)。もっと言えば、政治家を牛耳る官僚エリート政治という明治以来の日本文化を守りたいのでありましょうか。 地方の側からすれば、時代遅れの巨象のようなシステムを生かすが為に、借金までしてジャブジャブ餌を食わせておきながら、地方にやるカネはない、というのは何ともやり切れない。元凶の巨象には、爪を切って見せるぐらいしか対処しないのだから。 三位一体改革は、無駄な餌を地方も食わせてくれと言っているのではない。現実に地方も痛みを受ける覚悟で提案した。地域の行政を自主的総合的に実施する責任を負う地方自治体(分権一括法で理念は法定された)にふさわしい財源を確保せよ、あわせて、巨象をスリムにしようという議論だ。 一般財源となれば地方自治体の全体の経費効率化が問われるのはその通りだし、中央の目からすれば個別にはムダと映るものも有るかも知れない。しかし、それは、民主政の論理で整理解消していく話である。 財政は誰のものか。国会財政は国民のもの(財政民主主義、憲法83条)。地方財政は自治体の主権者たる住民のものであるはず。 財務省の論調は、その公選の首長だからこそ、人気取りの無駄な金遣いをするというのだ。これでは全く議論が噛み合わない。 それならば、財政の民主度なるものを、国と地方の比較で考えて欲しい。 予算編成者の民主的正当性(首長直接公選)、議員による個別利害主張を遮断していること(国政のような編成過程での与党説明はない)、事後的匡正手続の存在(住民訴訟など)、少なくとも現時点では、地方自治体の財政の方が手続の論理ではより民主的であると言えるだろう。また言うが、住民訴訟を国に導入すべしという議論が出ないのが不思議(日記)。 内容面で言っても、現実に今の地方自治体は都道府県レベルで大半が職員給与カットまでして財源を捻出している。財源が許さないからではあるが、優先順位を決めてダイナミックに取捨選択をせざるを得ない状況にあるのだ。カネの限界効用を身にしみているのは地方の方だと思う。 各省の既得権益を基本的に守り、赤字国債に頼る財務省の予算編成と比較してどうだろうか。 あえて言えば、国民兼住民が同じ単位のカネを信託するときに、国に使わせるのと自治体に使わせるのと、どちらを選ぶかの問題だ、といっても良い。 折しも8日、会計検査院が昨年度決算検査報告を内閣に提出した(各紙9日報道)。9日の毎日新聞社説には、検査院は大きな問題例えば地方財政計画のギャップ問題にも切り込むべしとある。 もちろん地財計画上の一般財源の想定と現実の使われ方の個別のギャップが好ましいとは思わない。しかし、一般財源なのだから、終局的に主権者が民主的に決めるべきことだ。個別ギャップ問題にとらわれて、なるほど地方の使い方はムダだね、なんて自治の論理をスッ飛ばしてはいけない。また現実の財政の民主度を見つめて欲しい。 かたや国のカネの使い方。地方レベルでは前世紀の話となった組織的不正経理がゾロゾロ出ている。 小泉氏は改革断行という。官僚政治とこれを支える族議員政治を本気で是正する覚悟があるなら(ある程度期待しているのだが)、国民の利益にたって、官僚に何の遠慮もせず、三位一体の本質に立ち返り政治力を発揮して欲しい。三位一体に多くを期待しすぎてもいけないが、これが出来ないようでは、日本の真の改革など覚束ない。
2005.11.09
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面白い座談会記事でした。「仙台のここはOKここはダメ!」(「仙台経済界」2005年11・12月号pp112-116)。県内外から仙台に転入した6人の女性のざっくばらんな声。我々は住みよい杜の都なんて自慢げに言っていますが、実態はいかに。 生活に根ざした視点で、かつ他都市との比較という観点から、我々が気づかない点を指摘してくれていると思うので、ちょっとご紹介いたしますと...(要約は当ODAZUMA Journal)〔仙台の印象〕△ 気温の割に体感温度が低い気がする(冬に曇りがちで風が強い)(静岡出身の方)△ ほどよく都会ほどよく田舎と思って来たが、実際に住んでみると田舎の部分のほうが多い。冬の寒さも秋田より厳しい。家の前まで除雪車が来る秋田と違い、除雪車が入らないので不便で、歩行者に不親切。雪かきする人もあまり見かけない(秋田市出身の方)△ 歩道の狭さ。ベビーカーを押して歩く幅が無い。自転車、バイク、路肩停車などで、買い物に行くにも緊張する。道路整備のギャップ大きい。次第に、狭い通り沿いの店を避けて車で大型店に乗り付けるようになる(盛岡市出身の方)○ 周りに公園があり子育てには良い環境。県外出身者多いので孤立せず仲良しになれ住みやすい(島根出身の方)△ 免許がないとどこにも行けない不便さ。地下鉄は高いし。車が必要になる(東京都出身の方)△ 自転車に乗る人の多いまち。車がないとどこに行くのも不便。アクセスが悪い(栗原市出身の方)〔お店〕△ 東京資本の店が増えてきたが、マニュアルのせいか接客で不快な思いはしない。でも地元のカラーがあってもいい。中央通りや一番町の地元店が減ったのが寂しい(静岡出身の方)△ 古い街がマンションに変わって、おばあちゃんたちは中心部のデパート地下へ、小さい子供のいるお母さんたちはマイカーで郊外のスーパーへ。地元商店街でなるべく買い物するが、いつ仕入れたか分からない商品を出され、やはりスーパーに行きたくなる。商店街がなくなる寂しさも感じるけれど(秋田市出身の方)△ 平気で長い時間待たせる(秋田市出身の方)△ 車で町中に出ると、土日は駐車場満杯、やっと入れても1500円から2000円の駐車料金。そのため、遠くても郊外の大型店に行くのが現実。(盛岡市出身の方)△ 仙台の百貨店で「こちら東京でとても売れていますヨ」と言われるのが嫌。もっと仙台のカラーを(東京都出身の方)△ ポイントカード、駐車場無料化などの覚悟でやらないと地元商店街はなくなるのでは。大資本に吸収されて何の色もない東京コピーの町になってしまう。誰しも便利で安いサービスを求めるが、真剣に考えないと存続は厳しい(栗原市出身の方)〔文化・医療・育児〕△ 文化的施設少ない。近くに子供だけで行ける図書館とか(静岡出身の方)△ 中心部のため移動図書館が来ない。一番近いメディアテークも駐車料金かかるから、バスで行く。バスも100円パックエリア外は歩く。秋田では買い物回数券や学生回数券があるが、仙台でも女性や子供の視点に立ったシステムを考えて欲しい(秋田市出身の方)△ 泉区には雨の日にも遊べる施設多いが町中にもあると良い(島根県出身の方)△ 医療相談施設を増やしてもらうと子供を持っても安心。東京では個人病院にも24時間電話FAXで相談できる窓口ある(東京都出身の方)△ 町中には託児・保育施設が少なく、キャンセル待ちと聞くので厳しい。安心して預けて働ければ経済活性化にもなる(栗原市出身の方)〔食文化〕△ 食べ物の当たりはずれが大きい。東北の他県はどの店に行っても美味しいのに(盛岡市出身の方)△ 魚屋で買った筋子が生臭い。店の人は「みなさん美味しいって言うよ」というが、向かいのおばあちゃんからは「仙台の味だからダメ。筋子やタラコはデパ地下で買うべき」とアドバイス。仙台の味だけに頑なにこだわり他を受け入れないところがある(秋田市出身の方)△ 他県から流入多いのに方言が残っているの点は良いが、見方を変えると排他的かも(盛岡市出身の方)△ 牛タン以外の仙台ならではのものがあるのかな(秋田市出身の方)△ 地元のものでも安くは提供しない。魚も捕れる割には高い。庶民の魚が比較的高くて美味しくない。静岡ならサバが安い(静岡出身の方)〔その他〕△ コンビニにATMがない△ 同じ名前のバス停が多くて困る。行き先が違うこと分かっていないとダメ。「何とか経由」の文字も小さい。また具体的な案内がない△ 働く能力の有るママが数多く眠っている。理由は子育てに父親の協力得られないことで、学童保育、それも家庭的・グループ的な雰囲気で、託児時間の融通が利くものがあると安心以上、本当に参考になりますよね。最後に、当ODAZUMA Journal編集長も県外からの転入者なので、1つだけ言わせて頂きます。△ 車のマナーが悪い。横断歩道で歩行者が立っていてもほぼ絶対に停車しない。先日、停車したら、後続の車が無理矢理追い越して、歩行者が危なかった。歩行者を守る気持ちがアダになった私、やっぱり田舎者なのでしょうか...(岩手県出身の方)
2005.11.08
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先ほど息切れしましたが、復活。実は娘を寝かし付け、いつもはこっちも寝てしまうのに起きたのですが、無事机に帰還いたしました。そこで、河北新報ネタ「頑張れ我らが河北新報」(いつから変わったの?)の2題目です。郡山市の原市長の「市民にも連帯責任がある」発言の記事。これも記者の実名あるのは良いです。市政運営に対する市長の認識を疑問視する声が出ている、という報道だが、結局言っていることは、市長が「市民にも連帯責任」といった一事を取り上げて、これを撤回・謝罪しないのはおかしいというだけ。私には、表面的な事象にナンクセつけるだけの記事、この記者が何か取材で面白くない思いでもしたのかな、ぐらいにしか受け止められなかった。言葉の問題以上に、何が問題なのかの説明がないからだ。市長も言い訳しているそうだが、市議会での予算・議案の審議で決めることで、終局的には市民が首長や議員の選挙という形で意思を表明するという意味であれば、至極当然であって何が問題なのだろうか、と思う。正直に言うと、ああ、こういう首長がいても良いなと、私は思うのだ。河北新報の記事は、発言の撤回と謝罪をすべきだと暗に誘導する書き方だが、私は、逆に、市長が信念で語ったのならば、軽々に撤回しないでほしい。前市長時代の問題であるが、回収できないという意味で市民の負担に帰する。そのことを指して言っているなら、そのとおりである。それを議会を通じて主権者たる市民の了解を得て事を進めるということだ、ととりあえず私は理解できる。更に言わせてもらうと、記事中に河北新報が多用するいつもの学識者が登場する。私も存じ上げている先生だけれども、仙台にいた時代ならともかく、離れてもなお使い続けているというのは、多様な意見を公平に報道する姿勢に反するのではないか。またウガッて見れば、一応学識者の意見も聞いて記事に厚みを出しました、というアリバイだけで、本当に問題を検証する姿勢がないのか、と私は思ってしまう。内容も疑問だ。引用した学者の意見は「市民は納税で責任は果たしているから、それ以上に市民の連帯責任をいうのは市民に市長を選んだ不明を恥じよと言うことでおかしい」(わかりやすく私が書き換え。)ということだ。でも、それでいいんじゃないの。法理的にはたしかに市民には責任はなく、納税は強制だから、会社になぞらえれば株主の有限責任にとどまる(なおこういう場合に「納税者だから」を持ち出すのが一般的だが、非課税世帯も多いし、そもそも租税はサービスの対価であって、納税者たることが本質ではない。租税が無くても政府は存立する。主権者たる住民の負託にこそ本質があるというべき)。しかしカネの話は別にして、政治的には、当然責任はある。でなければならない。民主政治の主権者たる以上、住民の選択の責任は問われるのが当然だ。ただ、こうなってくると「責任」の意味が幅広くなり過ぎで、どういう意味の「責任」なのか言葉の意味の議論にもなって、意味がない。いずれにしても、「責任」発言の是非だけを論じようとしても、一過性の攻撃や溜飲を下げる効果があるだけで、生産的でない。当の市民団体も言葉の謝罪が本意ではなかろう。問題に切り込む姿勢、多角的な検証、という両面でピンと来ず、読んで不満足感の残る報道であった。大衆迎合の表面的役所批判以外に、何が問題なのか伝わってこない...しかし、この件は31日の記者会見での発言とのことで、各メディアも報道してる。ネットで、毎日、朝日、福島民友新聞社、福島中央テレビ、などを見た。そして、福島中央テレビのHPを見て、いくぶん納得できました。市民団体が「薬学部の誘致計画は市が内密に進めたもので市民は直前まで計画を知らなかった、『市民にも連帯責任がある』とするのは責任転嫁だと、発言の撤回と市民に対する謝罪を求めました。」ということだ。これならわかる。河北新報も、おそらく地元では忠実に報道をしていて、一週間おいて全国?版にこの「発言」問題だけを取り上げた形となっているのだろうが、「発言」を一般論として取り上げたこの記事だけでは、何がなんだかわからない。
2005.11.07
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本日(11月7日)の「記者の視点」は面白かった。情勢分析のみならず有権者の意識変化を探るトレンド調査や衆院選のマニフェスト調査も実施し、報道に厚みを加えたという点は、有権者に充実した情報を提供しようとする意図が伺えた。また、調査手法の問題点を記しているのも、公正な報道に心掛ける姿勢が伺える。ただ、気になるのは、最後の方で「選挙中の調査報道によるアナウンス効果に各陣営は過敏な反応を示し、中には不利な報道を否定する暴論を唱える人もいた。より正確な情報が投票の前提になるのだから、有権者の良識とバランス感覚を信じるべきだろう」(まとめは私)、としている点。これは、簡単に言えば、公正な報道しているのだから報道に陣営が異論唱えるのは不当だ、ということだ。でも、勘違いしないで欲しいのは、新聞報道で選挙が決まるのではなく、あくまで候補者の訴えと投票で決まるのだ。陣営の主張や反論は自由である。新聞の報道もまた自由だけれど、不利な報道を否定するのは候補者側の有る意味で自然の動態だろう。例えば「K新聞は不利と書いたがわが陣営は有利と思っています。頑張りま~す。」という位なら自然だろう。だから、「不当」だというなら、誰がどういう状況で異論を唱えたのか、具体的に読者に明示して欲しいと思う。事実を示した上で評価をすべき。ちょっとフェアさを欠いているという印象を受ける。記事中に「長い実績を誇る」と堂々と?書ける、さすがの河北新報ならではの記事と感じる。まあ、「わが新聞は、かりに特定の陣営から干渉があっても、客観的な報道に徹しますよ」という毅然たる姿勢を改めて示したもの、として受け取っておきましょう。もちろん当然の姿勢だ。例によって河北新報の洗練度を問うネタになってしまいましたが、これも地元の最大の新聞メディアを愛するがゆえ。この記事も、実名記事となっているのは好感を持ちます。(河北新報に関する過去の日記 9月20日、10月2日、11月3日)さらにもう1件あるのですが、ここで息切れ。後に回します。
2005.11.07
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今度は5歳の妹の力作です。わんちゃんです。
2005.11.06
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また鶴岡の旅の話題です。致道館の向かいにアートフォーラムというのがあり、ちぎり絵体験をやっていました。早速、好きな祖母と孫の娘達も挑戦。これは小3の姉の作品です。昼休みにまでかかって、仙台から飛び入りの我々に懇切に指導いただいた、サークルの方々、ありがとうございました。ほめられて、娘達もご満悦でした。
2005.11.06
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ODAZUMAジャーナルの編集長である私、不摂生がたたり風邪のようです。昨晩からのどが痛み、現在は、寒気と関節痛です。前世からだと思いますが、医者と注射嫌いなので、妻の買ってくれたカコナールをガンガン飲んでいます。今日は娘達より早く眠りましょう。明日の出社が憂鬱。
2005.11.06
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思い出したこと。鶴岡で訪れたかった場所の1つに、即身仏を安置する南岳寺があります。小学校の頃テレビで即身仏の話を見ていたので(木曜スペシャルだったかな)、月山や鶴岡といえばこのイメージが強く、是非にと思っていたのです。また、昭和の火災の時も即身仏となった上人と本尊は安泰だったということで、やっぱり神秘さを感じます。ですが、うっかり話をしたら上の娘に反対されたので、取りやめました。ところが、です。7号線を市内に入り、鶴岡公園方面に曲がる交差点、ちょうど南岳寺はこのあたりだなと思っていたら、妻が騒ぎ出す。旅館に時計を忘れた、と。母(妻の)と一緒になって、何階の大浴場のあのあたりだ、とか。携帯で旅館に電話したが、届いていないという。構わず運転を続けて、鶴岡公園付近まで来たら、妻「時計あった」。腕に巻いていた、というオチです。上人のお力でしょう。ありがとうございます。情けなや。
2005.11.06
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今日は温海温泉の宿を出て、鶴岡市内を探訪しました。私が最も行きたかった致道館、その向かいのアートミュージアム、そして、父母が期待していた蝉しぐれのロケ地、など。致道館は、東北で最もよく保存されている旧藩校です。当時の教科書や徂徠直筆の手紙などもあり、派手さはないがとてもすばらしい史跡です。面白いのは、小学生用のパンフレットの説明に、設置の経緯として「武士がだらしなくなったので」と記してあること。昔も今も人材育成は難しい。それから、致道館の中に展示されていた旧朝暘学校の模型がすばらしい。上の娘に「すごいよ」と導かれて入った部屋にありました。鬼県令で有名な三島氏が自ら設計したと伝えられていますが、明治の冒頭期にこんなすばらしい建築があったなんて率直に驚き。係の人(市教委の方か)に話したら、東北随一の建築だったそうで、教育にかける意気が感じられます。また、現在も旧市内の小学校はすべて朝暘第一小学校というように朝暘の語を付している。人材育成に力を入れる気風と誇りが今に息づいているのだと感じます。娘は、この立派な学校が10年くらいで焼失してしまったことにも驚いたようで、感想カードに書いていました。昨日訪れた、旧朝日村の田麦俣集落の民家といい、羽黒の蝉しぐれロケ地といい、旧庄内藩以来の歴史を感じる旅でした。好天に恵まれ、庄内平野の晩秋の穏やかさ、日本海の夕陽にきらめく波などを味わって参りました。公務系社会人として一言。庄内藩の城下町鶴岡は10月に大同合併し、新鶴岡市となりました。かたや海運で栄えた庄内の雄酒田市は、2つか3つの町が合併構想からはずれた形でスタートしました。鶴岡市は確か面積で県内一となったと思いましたが、すばらしい町づくりを期待したいです。それと、蝉しぐれ、なかなか行けないのですが、来週中には映画館に行きたいです。
2005.11.05
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あつみ温泉にて 家族で来ました。山形は良いですね。大井川の日本一の栗の木、田麦またの民家を見ました。
2005.11.04
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あつみ温泉にて 家族で来ました。山形は良いですね。大井川の日本一の栗の木、田麦またの民家を見ました。 > > > > >
2005.11.04
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今日(11月3日)河北新報の記事にあり。左半身不自由 パキスタン出身男性 「市バスが乗車拒否」 150万円賠償請求 仙台市を提訴。2年前の一件だというから、提訴までの相談や対応でも相当に、もめたのだろう。事情がわからないから、どうこう論評はできない。一方的に役所側のサービス精神がなっていないとも、交通局よ頑張れとも、判断の基礎材料がない。ただ、一般論として次のようなことを思う。民間優良企業であれば、裁判までにはしないだろう。その前に手を結ぶ。大手企業で長年クレーム処理をして来た人の「正しいクレーム対応」なるものを雑誌で読んだことがある。カメラの使い方を客の側で間違えた場合でも、会社の経費で新品に取り替えてやる、などの対応をすべきだ、というような趣旨の記述があった。そうすれば客は長く企業を信頼してくれる、というのだ。そんなものかな、とは思う。しかし、全面的に民間企業の優良経営なるものを信奉して、役所にあてはめるべしという意見があるとすれば、反対である。民間企業や篤志の個人が、自らの経費で、社会的に「善い」あり方を求めていくことは、自由だし、もちろん尊敬も受けるべきだろう。ただ、役所は自己目的的に存在しているのではなく、国民の権利自由の擁護とサービス向上のためにあるので(社会的には大いなるワキ役)、役所自身が社会的に「いかに在るべきか」は住民の総意に見合うレベルにしなければならない。具体的にいうと、特定の人に手厚いサービスをすることの是非は、役所自身ではなく終局的には自治権の主体であり納税者(公営企業なら料金支払者)たる住民が決めるということだ。(いつも感じるのだが、私は、根っこの部分になると、英米流のコモンロー的発想ではなく、ドイツ国法学や公法理論的な発想(さほど勉強したとも言えないが。)をしがちである。民間と質的に全く異なる純粋に「公的なるもの」があるはず、と。例えば、知事多選禁止法(条例)の論議で、職業選択の自由に反するとの反対論があるが、知事は住民の権利自由を守るべき立場にこそあるのであって、憲法が自由を保障する「職業」とはそもそも言えない(他方で自治の沈滞防止という利益の方が重要だからこの点は合憲。もっとも団体自治の観点から国法と条例の関係問題の方が重要)、というのが私見である。)別な観点でいう。最近雑誌で読んだ某著名人のコラム。事情あって新幹線で進行方向に後ろ向きの座席に乗せられた人が、めまいなどを覚えたので、確か500万円をJRに求めて提訴したが、東京地裁(確か)は否定した。利用者は新幹線なら当然前向きに座ると思うはずで、かかる利益の重要性を地裁が理解していないので、おかしい判決だ。JRも500万円?くらいは払えばいいだろうに、という論旨だった。私の意見。JRが賠償するのは勝手だ。しかしもし公営企業でこれをやったら、住民は納得しますか。例えば地下鉄で座れなかった乗客は半額にする。もし住民の総意でそう思うのであれば、収支計算を示した上で、早速運送約款?を改定すべし。しかし、ルール改正論議ならともかく、特定の者に全体の費用で個別にルール外に便益を供することはあってはならない。(ちなみに某有名人の「後ろ向きも同額は不当」論議について、私個人は全然不当とは思わないが。乗れただけ良いと思うしかない。ま、ここは個人の価値判断だろうが。)もちろん、何もサービスが低レベルで良いとか、職員が威張っていて良いという意見ではない。運転士も交通局も相手が納得するまで説明に努めることは必要だ。交通局としての考え(ルール)を明確にして、最終的に納得できなれば訴訟は仕方がない、ということ。ここでルール外に手を結ぶようなことは、大手企業と違ってやるべきでないでしょう、ということだ。そして、ルールやサービス水準のありかたは、一般行政であれ公営企業であれ、収支の状況に関する情報を示しつつ住民や受益者の総意にあうように決めるべし。この前提には徹底した情報公開がなされることが必要である。バス運行のルールはどうか、収支はどうか、客からのクレームと対応状況はどうか。包み隠さず、こうやっています、と示すことが信頼になる。今回の一件で言えば、バス停が工事中だったから、正規のバス停とは離れた場所に停車したというが、本来のルールはどうなっているのか。仮停留所などの何らかのサインがあって然るべきなのだろう。道路や沿線の工事があるときは道路管理者を通じて何らかの連絡がバス事業者にはないのだろうか。また、調べていないが、おそらくバス停以外で停車するのはルールに反するのだろう。けれど結構やっているようだ。形骸化しているのであれば、正規化することが、運転士にとっても安心だと思う。ルールがふらついたり形骸化していては、いけない。対応も乱れるし、なにより住民・受益者に対して説明が付かない。例えば、バスに関するトラブルやクレームの内容と対応・経費を毎月1回公表し、さらに、現行のルール(利用約款、料金規定、運送事業上のルールなど)をこう改善しました、とか示すようなシステムにすれば、信頼度も上がると考える。(公営企業のみならず、行政何でも言えることだろうが。教育や警察もネ。)という訳で、今回の一件も裁判になるのでしたら、市バス側の「ルール」と適正で公正なサービス、願わくは情報公開を通じた公正と信頼の維持ということを考えて頂きたいと思います。これを飛び越した訴えならば、原告の人には受忍してもらうしかない。よく裁判所は和解を勧告するでしょうが、私は上記の基本思想から、役所の場合は、ルールを明確に再確認すべきで、個別柔軟な処理は反対です。仮に応じるなら、内容を住民・受益者に積極的に示して欲しい。最後に気になる点を1つ。外国出身男性だということが見出しに出ているけれど、ご本人は29年前から仙台に住み日本国籍も取得しているというから、ちょっと「煽り」に過ぎる見出しじゃないかと思う。もっとも本人が外国人・障害者差別で乗車を拒んだ、と取材に対して話したのだとは思われるが。それでも敢えて言えば、提訴者の主張はこうだ(カギ括弧)、というのならともかく、客観的な属性として外国出身と書き出しているのは、あまり意味がない、というより誘導的だ。れっきとした日本人で仙台人なのだから(仙台人としては私よりずっと先輩です)。おそらく日本語コミュニケーションも十分なはずだから、運転手としても、外国人だからどうという対応ではなかったと思われる。見出しにしてまで騒ぎ立てるべきでなく、記事の中身で客観的に記せばいい、と思うのだが。私はこういう点には、普通の人以上と思うが、敏感である。報道としてはこんなものだろうが、仙台文化の排外性を裏付けるような感覚、また当地最大の新聞メディアの洗練度についていつもながらに疑問をおぼえるから、だ。
2005.11.03
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無事終了。驚いたのは、受付や誘導を6年生の児童たちがやるんですね。「お父さんは○○教室でお待ち下さい」なんて、説明もしっかりしていて。医者の診断には帯同せず、教室で待っていると、これまた6年生が、やがて自分の担当の幼児たちを連れてきて、「誰々さんのお母さ~ん」なんてやる。これも教育のうちなのでしょうが、感心しました。うちの子は、虫歯無し、ただ、目の内反症と耳垢と言われました。保育所の子供達どうしで遊んでいるうちに、最後の面接相談の順番は何と最後になっていました。なんとか1年生になれそうです。ちなみにお父さんの参加は全体(80人弱)のうち3人くらいでした。天気が良かったので、公園で遊び。今4時半ですがもう暗くなりかけています。秋の夕暮れは早い。ピアノの先生が来たので、あわてて学童保育にお姉ちゃんを迎えに行き連れてきました。階下でやっています。今日の健診の主役だった妹も、来春から先生にピアノ教わる予定です。オイラも教わりたい♪
2005.11.02
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5歳の娘もいよいよ来春は小学生。エ~ッ、2番目は早いという感じですが、今日は午後1時から小学校で就学時児童健診。そこで、お父さんとしては今から仕事やめまして、昼飯かっ込んだら、保育所に迎えに行きます。いまごろお昼を食べているかな。わが娘は。だいたいこのような場合、男親が帯同する家庭は少ないと思われます。上の娘の1歳6か月(ってあったかな)健診の時、それから小学校の学用品買いの時に、私が行きましたが、お母さん方の話の輪には加われず(期待もされないけど)、列に並んでも何かポツンとなってしまい、何とも寂しい?思いをします。まあ、主役でないからどうでも良いのですが。保育所も小学校も近いので、秋のお散歩です。それでは行ってきます。
2005.11.02
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堺市が来春政令指定都市になる政令が先月閣議決定・公布されました。新潟市も日本海側初指定を目指していると聞いていましたが、遅れましたか。 そもそも現行の指定都市制度は妥協の産物。府県からの独立を定める特別市制度が府県の反発で画餅に終わったので、中二階的な制度として導入されたものです。 法令によって指定都市が道府県に代わって担う事務(その意味で道府県と同格・並列。「移譲事務」と呼ばれる)が定められています。中には不合意・不明確で紛争のもとになる規定や運用もありますが(義務教育教職員の任命権と給与負担、また都市計画関係助成など典型例。関係省庁の無理解な運用も問題)、まあこれらは良しとしましょう。大まかに言えば、道府県が調整以上の立場に立つことがないから、誰がやるやらないの問題がさほど深刻になりません。 問題は、例えば公立高校や養護学校。これは厳密には指定都市の問題ではないのですが(指定都市でなくとも設立できる。その点石巻市は立派!)、大都市ほど問題が顕在化します。都市側は設置が義務ではないので、理論上は一切設置しないことも可能です。仙台市の場合は養護学校は鶴谷1校だけ、盲学校聾学校はありません。市立大学・短大がないのは実は指定都市では珍しい方です。 大学とはともかくとして、公立高校や養護学校は都市が設けなければ道府県が対応しなければならない構図なので、上記の「同格・並列」とは異なります。「任意事務」と呼ばれます。 このような「任意事務」は、場合によって大都市と道府県の調整課題になります。 学校はまだ良い方です。無駄に作ることがあまりないから(もっとも仙台市内の学校だって県立市立通じて共学化・統合進めるべきとも思うが、それは別論に)。 より深刻なのは、いわゆる公の施設、それもグレードの高い施設とか、大規模プロジェクトです。大都市の行うこれら事業は当然に又は結果的に郡部の利用者を伴います。その意味で、道府県の行う事業と差がなく、そもそもどちらが事業主体になるか截然と決まるものではありません。だから時として争いとなります。 そもそも、大都市の実体は、その行政区域だけで成立しているわけではありません。ヒンターの郡部があってこそ。物流も労働も市税収入も、郡部あっての拠点都市仙台なわけです。なのでそもそも、コレは仙台市、コレは宮城県と截然と分けられない面があります。特に宮城県はそもそも「仙台藩」だったもので、仙台一極の地域システム、端的に言えば「仙台市(縁辺を含む)=宮城県」です。もっと言えば、二重行政で混乱するくらいなら、仙台市と宮城県がいっそタテの自治体合併をして統一的に意思決定する方が合理的とさえ思います。 まあ空想はやめて、現実には事務組合や協議会を組織することは可能でしょう(確か福岡県で県と指定都市の事務組合があったように記憶)。組織でなくても、個別によく話し合って協定を結んでいくことはもっと可能です(賛否あるが「仙台文学館」「仙台港背後地都市整備事業」などの先例あり)。 ただ、首長が別個しかも公選だから、どうしても難しいところです。バブルの頃は「こっちが作る」、今時ですと「そっちでやれ」、てな具合で... 今サブトラックで話題の宮城野原総合運動公園。直接はサブトラックをめぐる陳情攻勢です。本日(11月1日)の河北新報朝刊では、「仙台市が存続を断念した」という記事がありますが、「断念した」という他動詞の目的語は一体何なのか考えると(存続を断念というがそもそも存続させる主体は仙台市ではない)、曖昧さが浮き彫りになると思うのですが。私はこの問題は最初から訳のわからない構図だと思っていました。 いずれも県の施設だから県が決めることと言えばそれまでのこと。ただし、そう言わないで仙台市も積極的に関わって議論すべきだと、私は思っているのですが、どうも仙台市のこれまでの対応は、議論を混乱させているだけです。 つまり、本来広域的視点で考えるべき拠点的施設整備や大規模プロジェクトの議論に、時折、行政区域としての仙台市(民)の都合だけの論理を持ち込んで、議論を混乱させてしまうということです。 サブトラック問題で言えば、なくなったら仙台市民が困る?、と。それはそうでしょう。誰でも反対して当然。でもそれはどこの自治体でもそう。広域的施設の議論とは全く関係のない話です。 他方で、県全体のことは仙台市の知った事じゃない?。それもそうかも知れない。でも、そう言うならやっぱり県の判断をまずは認めなければならない。知事も公選なのだから。 そうじゃなくて、県全体を視野に考えて議論しましょう。でないと、どこまで行っても議論噛み合わずです。ああ話を聞いてくれない、とか不満を言うけれど、客観的には極めて当然でしょう。 また、最近よくある論調ですが、仙台市民も県民だ、俺たちも県税払っている、とか、市議会で馬鹿な議論が始まる。もう目も当てられません。(ちなみに仙台市選出の県議会議員も政治的立場上からか応援する、というより、ハッキリ言って使われているようです。この人たちの存在意義って何、を自ら体現しています。(更にちなみに言うと、「行政権能差を考慮して指定都市区域の道府県議員の定数を他区域の2分の1と定める地方自治法改正案(想定)の憲法上の問題を論ぜよ」、という問題を考えたことがあります。平等原則違反で違憲とするのがオーソドックスな解答でしょうが。脇道にそれました。)) これでは何にも議論が進まないわけです。本当に解決するには、広域的議論、つまり実体としての仙台市(郡部で成り立つ仙台市)の視野での議論をするしかないのです。県民だ、県税払っているんだ、というなら、なおさらなのですが。 県の側としては、この問題の奥には、利府の宮城県総合運動公園(グランディ21)と宮城野原総合運動公園の重複の問題があるのでしょう。ならば、同一平面で議論しなければなりません。 県だ市だではなくて、同じ視野で。それを県の責任だと言うなら、市の責任放棄になってしまいます。本当はそれでいい、陳情の範疇を出る気はもともとないんじゃないの、とまで勘ぐってしまう。有るモノ無くすなという陳情なら誰しも反対しないが、本気で議論したら、新しい施設(利府)で競技させたい、という声だってあるはずです。 宮城野原をどうするのか、仙台市にも構想がある、必要なら負担もすると言うのですから、それを示して議論進めるべきではないのか。確かに都市中央部の貴重な公園として意義は大きいとは思う。でも、ところで市民はその構想とやらの中身を知らされていませんよ。 東北の拠点作りのため果敢に指定都市を目指した石井市長が聞いたら、泣くに泣けないでしょう。(ゼネコン事件やハコモノ市長と悪いイメージですが、指定都市実現は間違いなく石井市長と後押しした山本知事の功績。) 制度論に戻りますが、全国で2千万人が、このような「任意事務」の争いの起こりがちな政令指定都市制度の上に暮らしていることになる。以前は私は制度論でスッキリ決めるべき、つまり旧特別市のような制度にしてしまうのが良いと思っていました。二重行政の弊害というなら、面倒だからスッキリさせよ、と。道州制議論の際に盛り込むとか。 しかし、現在は少々違います。制度論より実質的調整を重んじるしかないと思っています。かりに特別市にすれば、一層調整が難しくなります。もちろんリードすべきは道府県ですが、大都市側も主体的に広域的視点で関わるべきだと思っています。 大都市行政は、難しいです。本当に。制度デザインも生半可には決められず、地方制度調査会にも抜本的な提言は期待できないでしょう。永遠の課題、か。 でも、制度論議は休めても行政は休めません。忘れてはいけないのは、自治体は二重でも市民は同じです。その辺を忘れずに、先輩指定都市の仙台市も、変な論理の使い分けしないで欲しいと思うのです。
2005.11.01
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