仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2005.10.04
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カテゴリ: 宮城
大それたテーマです。浅野県政を検証するという朝日新聞の連載が始まったのは9月30日。第1回は、世論の後押しもあって身内の恥をさらけ出した「情報公開」を記事にしていた。今後の記事に関心を持っていたら、その後は、入札施設改革、脱施設、地方分権だった。
 そして、今日(4日)の記事は第5回で「脱政党」。「脱政党」を検証するなら、現象面だけでなく、宮城の政治に、さらに民主主義や地方政治にとっての政党の意義などにも踏み込んで欲しかったが、残念。その横には昨日(3日)の浅野知事定例記者会見の記事があって、選挙戦の関与を否定していた浅野知事が一転して後継候補を指名したことについての説明が載っている。正直言って浅野知事の説明はよくわからないけど。「脱政党」を一貫する自身の姿勢に反するようにも感じる。しかし、そもそも浅野氏も民主主義哲学として「脱政党」を墨守するつもりでもなかろうから、後継指名だって何だって、一政治家の動静としてありうる選択である。それに対して、前言翻している、とか、院政ではないか、と批判するのもこれまた自由だが、生産的ではないというか、本質的ではない。(この辺は9月29日日記「「無党派」浅野知事のいう「脱政党」民主主義とは何だろう」に記しました。)
 河北新報のインタビュー記事では、「県民が主役の選挙にならないから県民に選択肢を示す必要があった」旨の発言があるが、これは私見からはちょっと言いすぎ。というより、理論的に受け取るのではなくて、政治家の発言と受け取れば良いだけ。「政党にしがらみのないフリーハンドを得ることが重要だ」という発言もあるが、この方がわかりやすい。
 そして、だとすれば、「フリーハンド」を得て、どのように「県民が主役の善政」を行って成果を出したかが問われるべきで、朝日新聞には、是非ここにつっこんで欲しかった。また浅野知事の主張からすれば、それならば「悪玉なる既存政党」をいかに改革できたか(本物の民主主義?)も成果が問われるべきだろうが、この点は、政治家の方便の域なので、本質的問題ではないというのが私見で(上記9月29日日記)、あまり気にしない。
 今回の知事選挙も、政党だ脱政党だ、という歪んだ図式ではなく、わが宮城をどうするかのビジョンと政策で勝負してほしい。(そして、それを選挙時だけでなく常時的に住民意見を集約整理し的確に候補者擁立すべき集団は、やっぱり政党であるべき、というのが理想。)マスコミにもそういう視点を望みたい。

 ところで、何と、朝日の連載はこれで終わってしまった。

 私は、客観的に見て浅野県政の成果(良い面)は情報公開と財政改革と思っている。
 情報公開は朝日連載も第1回であった。その情報公開。大きな成果であることは疑いない。いろいろ言いたいことがあるが、一言で言えば情報公開は民主政治と政治の信頼の必要条件である。そのことを実証したことは、パフォーマンスと揶揄されると否とにかかわらず、客観的に見て揺るぎない大きな成果だったと思っている。(私の検証第2回で取り上げます。)
 さて、浅野県政の一番の成果は実は財政改革だと思っている。朝日は正面から取り上げなかったが、第4回「地方分権」では、「予算陳情を嫌う浅野の影響で国の予算配分は厳しくなった。地方分権が確立すればこそだが、完全に確立していない現状では、浅野流は県財政に災いをもたらした」という論旨だ。かなり表層的で、とても「検証」とは言えないというのが感想。

 改革の内実の評価(特に県内での。)は客観的になされるべきだが、事実として、国に正当な批判を向けられる地方リーダーという従来にはないスタイルを示したことは、間違いなく大きな実績だ。個人的期待としては、もっと国や自治体の構造的浪費を具体的に指摘して三位一体改革の本質論(国と地方を通じた政府のムダ)について国民的議論を喚起して欲しかったが、それは今後の改革派知事たちに期待する。彼らが中央官僚出身というのも、率直にちょっとやるせないけれど。
 そういえば朝日の検証記事は第4回「地方分権」で、「浅野は...と地方分権にこだわった」と紹介して、それは「予算陳情を嫌う」浅野の政治スタンスと結びついている、そして、それが上記の通り「災いをもたらした」と結んでいる。分権の真の意味や、それにどう貢献できたか(できなかったか、でも良い)、ぐらいは分析して評価を示してほしい。見聞きした事柄をつまんで感想を付け足す学生レポートと同列で、とても「検証」とは言えない。浅野政治の表層を振り返ってみました、という程度である。選挙前なので報道上の配慮があるのか。そんなわけではあるまい。(朝日さん、すみません。)

 地方分権を地方から明瞭に声を上げた、という画期的な意義があったと私は思っているのだが、ちょっと話がそれるが、その意味では大阪市役所の歴代のリーダーは大罪ものだ。梶原拓さんも講演で言及していたが、全く同感。地方はカネを浪費するという財務省のキャンペーンの格好の象徴になりかねない。「週刊新潮」でも、国家公務員の高給与高待遇、それより手厚い地方公務員、という論調の記事で、やっぱり大阪市役所登場。スーツ支給されるが本当はあんなの要らないよ、ロッカーに何年も放置してますよ、なんて市職員の声も紹介して、読者の義憤を煽っている。職員や職員組合を悪とする声もあるが、何と言っても政治リーダーの資質の問題だ。

 話を戻して、財政改革。

 財政改革は、本当に真剣に将来の世代のことを考えて進めなければならない。どの政治家も課題に挙げるけれど、本気になっているかどうかは相当あやしい。地元に帰ればドブ板、選挙で世話になった筋にはお返しを、というのは政治の常。これも、大きな改革を成し遂げるのなら、小さな不効率は目をつむっても、という優れて実際的な「大人の」理解もありうるけれど(宮城県の警察報償費問題を想起する)、政治リーダーたるもの身の回りも潔くして初めて有権者の信頼を得て大きな課題にも真っ正面から向かうことができる、という面がある。私は、政治家その人が立派でなくても出力(パフォーマンスと言いたいのだが、その言葉が誤用されているので。)がよければいい、選挙は美人投票ではいけない、と思っている。極論すれば、犯罪者であっても出力を残せる政治家がすぐれている、と思っているのだけれど、ある程度政治家自身が廉潔でないと有権者の理解が伴わず、結果的に政治課題に取り組めないという事実も重要だ。
 浅野知事はこれだった。政治的に意図したところもあるとは思うが、どちらかというと、特定の利害に腐心しないという廉潔な姿勢が、結果的に、歳入の構造的欠陥に対応する縮小基調の財政運営を可能にしたと考えている。言い換えれば、建設、農林水産などの圧力を気にしない、政治中立的な財政運営ができた。圧力を加える側も、この知事のいるうちは、と諦めた感もあるのだが。他県に比べると公共事業費は明らかに歴然と圧縮されている。
 これは誇って良いことだと思う。公共事業の効果論や圧縮の是非はあるだろうけれど、それを言いたいのではなくて、政治を遮断して中立的に財政運営を行えたことを誇る、という趣旨で。

 財政の論理優先だという批判もよく聞く。
 確かにそうなのだが、問題は負担増を覚悟してでも支出を増やせるのか、ということだ。税収に見合ったサイズにまずは落として(これでも大きいという意見もあろう)、縮小基調の中で個別の支出の是非を考えていくというアプローチが最も合理的である。もちろん一律縮小の悪弊に陥らないよう、個別の吟味は必要だが、それにしても大局を見失ってはならない。むしろ、現実問題として縮小基調にある時こそ本当に不可欠なものと不必要なものとを見分ける議論ができるのである。貧すりゃ鈍す、とは逆。裕なればこそ鈍る。誰も痛みを強要する議論はしたくないから。実は不必要なことが互いに分かっていても。

 そして、三位一体改革を着実に進めて欲しい。浅野知事は「地方財政自立改革」と称したそうだが、私は「国と地方の構造的ムダの徹底解消改革」と言いたい。ちょっと長いが。首相のリーダーシップと、有為な地方リーダーの声に、大いに期待する。

(私の日記は、今回の宮城県知事選挙を含め、政治的主義主張に関して特定の政治的立場や候補者を支援する趣旨ではありません。)





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最終更新日  2005.10.04 22:54:30
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