仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2005.10.05
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カテゴリ: 教育
昨夜のこと、帰宅したら娘達が母親の指示で自分たちの物の片づけをしていました。リビングに、2人それぞれにディズニーのバケツ(幸町ジャスコでコカコーラ製の小さい缶ジュール類20本買ったら付いてきたやつ。というよりバケツ目当てに買いました。)を決めておき、遊んだあとはそこに入れておくようにしているのですが、その中身も雑然としてきたので、要らないものは捨てなさい、ということらしい。
 小学3年生の姉は中から1枚のプリントを出して、これ何?と聞きます。見れば、Yellow Submarine の歌詞が英語で書いています。
 夏休みに3日間くらいだけの英語体験イベントがあって、娘が行きました。英語といっても、本格的な教育ではなく、教育委員会のALTの先生がやっている、ちょっとした遊び的感覚のもののようです。その時は、帰ってきた娘が、英語のスペルの名札を自慢げに胸に付け、また、教えてもらった Yellow Submarine を歌っていました。もちろん英語は読めないしわからないのですが、子供なりに新しいことを教えてもらうのに興味があるのでしょう。紙にアルファベットで自分の名前を書いたりしていました。
 昨夜は娘も、何このプリント?って感じですぐ思い出せなかったようですが、私が歌ってやったら、すぐ思い出して一緒に歌いながら、片づけをしました。ところで私はこれを歌うとどうしても金沢明子になってしまいます(イエローサブマリン音頭)。下の妹が、何て言っているの?、というので、「♪ぼくらが住んでる潜水か~ん。はぁ、黄色いよ。はぁ、潜水艦。」と歌ってやりました(どうしても金沢明子が入る)。すると、「え~、なんでセンスイカンに住んでるの?」。そこで、「黄色い潜水艦に色んな人がみんなで仲良く住んでいる、これは歌う人が地球のことを言いたかったんだよ」と適当に教える。ビートルズなんて、実は私もほとんど同時体験はしていないのだけど(兄の部屋にポスターがあったが)、この子供達にとってはそれこそ歴史の世界に属する文化になるのでしょう。

 さて、今回の「英語教室」は体験メインなので、親としても許可?(というほど威厳はない。)しましたが、私は、度を過ぎた児童の「英語教室」通いには、もろてをあげて大反対です。同様に小学校の英語教育導入にも基本的には反対です。
 しかし世論としては根強い導入論があるようです。文部科学省による平成16年6月の「小学校の英語教育に関する意識調査」では、小学校の英語必修化について、
 ○ 保護者 そう思う 70.7% そう思わない 21.5%
 ○ 教員       36.6%        54.1%
 ○ (参考)校長   53.4%        42.1%


 私が反対する理由は次の通りです。

(1) 単語を言えるとか、英語で表現できるとか、CMにあるような英語教室の効用は否定しないし、習い事の1つとして良い。子供にとっては未知を知る興味があるだろう。この範囲でやる分には良いでしょう。現在行われているように、総合的学習での「英語活動」なども良いと思います。
(2) しかし問題は2つあります。第1は「早く始めた方が良い。ウチの子も乗り遅れれては困る」という親心。これが業界の煽り風に乗って無用の英語教室通いを助長する。早めに興味を持たせたい。それはわかります。
 しかし、日本語さえ覚束ない幼児・児童の段階での英語教育は、他に必要な教育内容の時間を奪い取るし、また混乱を与えてかえって有害でないかという気がします。さらに、度を過ぎると子供自身が忌避してしまい数年後の中等教育段階で英語を嫌ってしまう恐れすらあるように思います。大学に進む世代が英語を使えないというのは致命的である。この辺は杞憂かも知れませんが。
 別な観点から。日本語や日本のことをよく知らないで国際人というのは貧相です。また、人間として素養や意見を持てることが先のはずで、子供のうちから英語を学ばせる時間があるのなら、こうした「普通の」教育にこそ時間かけるべきと思います。当の本人が困るのだから。
 他言語学習の開始時期に関して「言語学習の臨界点」という議論があるようですが、不勉強。常識論として「早ければ早いほど」はわかりますが、現実的にいって、私は英語習得は高校からで十分でないかとさえ思っています。極言すれば、興味を持ってから、または必要性を感じてから自発的にやればいいとまで思いますが、けれどそれは語学だけでなく数学も歴史も学習一般言えることで、中等教育段階の学校教育の否定になってしまうから、そこまでは考えません。中学校から必修としていることは、国民の総意として英語が基本的に必要な素養だと一応認めているのであって、もちろんそれで良いです。
 ただし、小学校から、となるとちょっと別でしょう。上記のとおり他に優先すべきものがあるから。
 なお、早く始めると発音が良くなるから賛成、という意見も根強いようです(上記調査の保護者の賛成意見の第2の理由)。そうかもしれないが、だから何だというのだろう。よく理解できません。
(3) 第2は、親が幻影を見ていることに気づかないことです。国際人として羽ばたく可能性は広げてやりたい、その場合現在の学校英語教育以外に教育を施すことが必要条件だ、と思っている風潮があるようですが、そうでしょうか。今の学校英語がダメで使えないと言う親は、自分が若かりし頃ろくに勉強しなかっただけのことでしょう。
 さらにひどい場合ですが、今の学校教育に行き詰まりを感じて、これまでにないものとして「英語教育」「国際教育」に光を見てしまう親もいるようです。先日日本テレビの特番で、日本にあるインターナショナルスクール(日本人も受け入れる!)を紹介して、授業は英語(当たり前)、服装や化粧も自由で自立性育つ...なんて好意的に放送していました。冗談じゃない。日本の普通教育を放棄してまで、しかも教員の資格実証もされない所に行かせる親がいるなんて。親として理解できませんが、現実にそういう親がいるのは事実。本当に子供の将来設計に責任をもって他を犠牲にしても英語を優先する、あるいは移民する計画でもあるとか、スパイにするのなら(!)、それはそれで良いと理解できるが、大多数は違います。これは、英語教育礼賛を越えて、現在の教育の混乱ぶりが問われる深刻な課題です。
(4) 更に国民的問題として捉えると、問題の本質に近づくように思われます。本当に日常的に必要だというのなら、小学校からやる必要もありましょう。リテラシーとして、ひらがなカタカナと同様だから。しかし国民各層に「日常生活は英語を使おう」あるいは「日本語と英語半分づつ使おう」などという合意なんて我が国では絶対にありえません。親が合意するはずがない。フィリピンやインドとは違う。普通の場合、大学生や社会人としてなら、読み書きができる程度で十分、より一般的には、日常生活に困らない最低限度とせいぜいタマの海外旅行やネット検索ぐらい、というのが実情でしょう。

 そう考えたときに、本当に現状の学校教育の枠でダメなのか。確かに英語力が国際的に低いと言われます。学校でも会話に力を入れるべきだと言われます。私個人は、ネイティブでない日本人の英語学習としては、やはり文法や読み書きが基本で、英会話・英作文はその応用という考えなのですが、この辺は英語の先生に聞くと、考え方がいろいろあるそうです。また、英会話自体よりも、コミュニケーション能力や自分の考えを持つという英語以前の問題も相当にあると思います。いずれにしても、こうした改善点は議論して進めて行くべきでしょう。問題は、「現在の学校教育体制で内容を改善すること」を検討もしないで、短絡的に「早くから教えれば解決する」と決めつける式の議論がまかり通っていることです。これは不思議です。「現状が本当にダメとは言えない」し、実際に「体制の改善でも対応できる」と思います。生徒のやる気の問題だってあります。さらに、「他の機会を奪う」デメリットを意識しなければ責任ある議論になりません。
 他愛もない親の希望が、さもシリアスな国民的課題のようになって「英語を使える日本人教育の在り方」みたいに議論されているのは、大変危険だとも言えます。文部科学省は教育問題の本質をはずすのが得意だが、これもその一例でしょうか。できること、賛同されやすいことを導入して、教育改革しました、と見栄を張りたいのか。
 こう言うと、子供の夢をつぶす冷たい議論のように聞こえるかも知れませんが、本当に外国語で勝負したいのなら、自分の将来像を確立できる高校生以降に頑張ればいい。文献の読み書きなら普通の高校英語の勉強プラスアルファで十分だし(勉強していないから問題なのだが)、もっと本格的に命をかけたいなら渡航してもよい。トロイ発掘の一心で、そこらの現地人を家に住まわせひたすら会話した、というシュリーマンの例もある。極論ですが。そう、言語はツールなのだ。何のツールなのか目的もわからずに学習に身が入るはずがありません。あえて言えば、要は自分の選択と優先順位の問題です。親の自己満足のために子供の時間と機会を無目的に潰したくありません。


 ところで、習い事は上の娘に幾つかやらせていますが、そのうちピアノは唯一私の提案でやっています。先生に週1回来てもらっています。娘は、時折イヤだと言いながらも、何とか続いています。本当にイヤになったら、イヤとも言わず、親の顔見てやるようになるでしょうが、そこまで無理強いさせる気はありません。頑張ればできるようになるという自信と、音楽の楽しさ発見、そして自己表現を体得できればと思い、もう少し続けられればと思います。これだけは「親の自己満足」的な側面がありますが。
 ピアノだけはと思っているのは、音楽のリテラシーだからです。和音を知り、両手を動かし、表現することを体得するためには、間違いなくピアノしかなく、ピアノはメソッドに従った能力開発が必要です(自説)。ヴァイオリンや管楽器では和音が出ないし、ギターは音域が狭い、電子オルガンは人間の地力を増幅しすぎて努力や達成感がない、などなど。子供の頃、縦笛に飽き足りて、鍵盤を紙に書いて1人で机上で練習したことがありますが、どうにもなりませんでした。運指もめちゃくちゃで、そろそろ娘に追い越されそう。



 しかし、英語はどうでしょうか。日本人の英語力の低さに便乗して、賛成派は勝手に要求水準を引き上げていないか。英語=国際人=現状の学校の問題打破? 現在の学校教育の供給側に原因があると一方的に決めつけられ、さらに、改善することも考えずに、一足飛びに「早期に開始すればいいのだ」などという議論に流れている。それで親は、現体制が悪いのだからこれで大丈夫という安心感、また隣もやっているからウチも、的な安心感を得ている、ということだろう。そんな浮ついた保護者心理で、大事な教育論が左右されていいのだろうか。
 導入するならするで、絶対反対ではないけれど、問題は早期英語教育論が、本質ではないところで増幅されている、そのこと自体なのだと思います。

 仮に本当に実現した場合、彼ら賛成派に訪れるであろう混乱が、実は最も怖いのかも知れない。





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最終更新日  2005.10.05 22:04:49
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