仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2007.06.28
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カテゴリ: 仙台
伊達政宗が秀吉の動員令に従い小田原に出発する直前の天正18年(1590年)4月5日、世にいう政宗毒殺未遂事件は起きた。

兄の最上義光に唆された母義姫が、小次郎かわいさに政宗の膳に毒を盛らせた、というのが従来の定説だったろう。伊達家正史である「貞山公治家記録」の立場であり、義姫が会津黒川城から山形城に逃れた時期も、政宗が小次郎を殺した4月7日の夜だとされてきた。

しかし、義姫の出奔は文禄3年(1594年)11月4日夜だとする史料が近年になって発見された(虎哉和尚書状)ため、義姫の関与について再検討が迫られている。伊達家文書では、事件後も母と政宗の間に情愛ある文通があったことが明らかで、義姫の殺意と出奔について疑問が生じている。

従来あまり注目されていなかった史料に、事件直後に政宗が側近(茂庭綱元か)に宛てたと思われる手紙が残されている(亘理家文書)。その中で政宗は、母から毒の膳を勧められたが一命は取り留めたこと、これは弟小次郎を擁立する一派の陰謀であること、母を殺すことはできないので弟を手討ちにしたこと、これは内部抗争を未然に防ぐやむを得ない処置であったこと、などを打ち明けている。そして最後に、このことは他人に話せないので、そなたの方で斟酌して世間へ口説き広めて欲しい、と述べている。

また、政宗が伊達家内部の小次郎派を一掃するために仕組んだ一人芝居とするのが、海音寺潮五郎「武将列伝」の所説だ。

■以上は、『歴史群像名城シリーズ13仙台城』(学習研究社、1996年)、佐藤憲一さん執筆部分による。
■関連する過去の記事
伊達者の真骨頂を考える (06年11月26日)
伊達文化の誇り 伊達政宗の度量 (06年3月1日)





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最終更新日  2007.06.28 01:00:49
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