仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.09.24
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カテゴリ: 東北
日露戦争では、ロシアは旅順に極東主力の太平洋艦隊を置いていたが、日本軍は苦難の末に二〇三高地を奪取し、明治37年(1904)12月、旅順港に停泊する太平洋艦隊を陸からの砲撃で撃破した。加えて、欧州から遠航してきたバルチック艦隊との日本海会戦は明治38年5月27日に行われ、東郷平八郎司令長官率いる連合艦隊の完勝に終わった。

ところで、極東のロシア艦隊は旅順の主力艦隊のほか、ウラジオストクにも置かれ、日本側では浦塩(ウラジオ)艦隊と通称していた。日露開戦以来、浦塩艦隊は専ら日本近海の通商破壊を任務とし、日本沿岸を我が物顔で動き回り、津軽海峡を通過し東京湾口にも出没するなど、多いに恐れられた。

最初の犠牲は、明治37年2月11日青森県の艫作崎沖で砲撃された商船「奈古浦丸」である。また、同年6月15日には「常陸丸」が撃沈され、将兵720名が自決、乗組員30名の殉職する悲劇となった。

浦塩艦隊を警備したのは上村彦之丞中将の第二艦隊である。しかし、日露開戦から半年経った8月になっても敵艦隊を捕捉できない。国内で上村への非難は高まり、無能呼ばわりや、露国のスパイとまで誹謗された。上村は非難に耐えながらも、旅順のロシア主力艦隊が黄海で東郷率いる連合艦隊と砲撃戦を行っているとき、浦塩艦隊が必ず旅順艦隊を援護誘導するために日本海に現れると確信していた。果たして8月14日早朝、蔚山(ウルサン)沖に艦隊は単縦陣で現れた。砲撃戦は上村艦隊の勝利に終わり、上村は航行不能となった敵船の乗組員627名を救助し、日本の武士道の体現と称賛までされた。

これに先立つ8月10日には、東郷率いる連合艦隊が旅順港を出てウラジオストクに向かうロシア艦隊に激しい砲撃を浴びせて、旅順港に追い返している(黄海海戦)

この黄海海戦と蔚山沖海戦によって、日本は制海権を確保したのである。そして、陸側から遼陽、旅順を占領し、奉天攻略に成功する(明治38年3月10日奉天会戦終結)。その後、冒頭に記した日本海海戦が5月27日に行われたのである。

■太平洋戦争研究会編『日露戦争と明治の群像』世界文化社、2009年 などを参考


さて、青森県の艫作(舮作)崎(へなしざき)について、だ。

函館市のサイト 「函館市史」デジタル版

西津軽郡深浦町の日本海に突き出た半島部分の中央に、艫作崎がある。五能線に舮作駅もある。黄金崎や不老不死温泉が近くだ。深浦町観光協会のサイトには、 舮作崎灯台 が紹介され、高さが約20mある日本海北部最大の灯台で昭和16年9月15日竣工と説明されている。

この岬に立って、100年以上も前の、或いはたった100年前の、明治の海を思い浮かべながら、近代国家に脱皮しようとしていた我が国の気風、また当時の人心などに思いを馳せるのも、意義深いことだろう。奇岩と深い森の海岸線には、何かが埋もれて残っているような気がする。





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最終更新日  2010.09.25 00:57:27
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