仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.10.15
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カテゴリ: 東北
寛政9年一揆の指導者 正覚坊召し捕らえられる(上) (2010年10月15日)から続く)

4 正覚菩提塔

一揆の首謀者正覚の住地だった胆沢郡徳岡村(奥州市水沢区)には、正覚坊の石碑がある。折居の高根神社境内にあり、昭和14年再建とある。もとは文政年間に建立の碑があり、昭和8年に火災で焼け折れたので再建したと記されている。

高根神社には板に書いた再建の趣旨も保存されていて、正覚が高峯山清福寺住持五宝院正覚坊という山伏であったこと、仙台近郊の七北田刑場で処刑されたこと、正覚の義挙に地方18カ村の農民が感動し寺内に菩提塔を建てて冥福を祈ったことなどが記されている。

元碑の根元は現存していて、宮城県の稲井石だという。文政年間だが、文政元年は寛政9年から20年目になる。地方の農民が自分たちのために命を捨てた正覚坊を、20年以上も忘れずに記憶し、恐らく年忌(文政12年が33回忌)に際して供養の石碑を建てたのだろう。

高根神社は、もと修験道場の五宝院清福寺が明治に神社にされたもので、境内には五宝院代々の墓碑があり、正覚の両親の墓らしいものもあるが正覚の墓はない。

5 一揆の故地について

水沢市街の西方にある丘陵地が見分森である。胆沢平野を一望できる眺望の地で、藩主巡視の際は必ず登ったという。また上下胆沢の境界に近い入会の草生地で、境界が明らかでないため度々争いの場となり、一揆集会の場所となった。明治初期に関係の村々は積年をわだかまりを解いて祝宴を開いた。建立されている別宴碑がその時の記念である。



江刺郡方面の一揆を指導した伊手村の清三郎という者があった。正覚坊と清三郎だけが頭目張本として召し捕らえられ、処罰された。他は遠島だった。義侠心に富む彼が、責を一身に引き受けたと伝えられる。御用の朝、静かに子どもの着衣を温めながら、何の罪もない子どもに冷たい着物を着せる親が居るかと悠然と言い放ち、起きてきた子どもに着せた後、従容と縛について、引かれていく途上岩谷堂郊外の伊手坂で打ち首となった。後年その地に供養碑を建て、年々供養が行われた。

■平重道『仙台藩の歴史3 百姓一揆』宝文堂、1972年 から
 (同書の第2章、第4章を中心とした。なお、10月10日の2件の記事は同書の第1章を中心とした。内容が重複しているが、著者の原典の違いのためである。)

■関連する過去の記事
仙台藩領寛政9年大一揆 (2010年10月10日)
仙台藩領の百姓一揆 (2010年10月10日)
■奥州市サイトから「 百姓一揆





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最終更新日  2010.10.15 23:36:07コメント(0) | コメントを書く
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