仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2010.11.14
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カテゴリ: 宮城
貴重な体験だった。登米船着場から北上川を下り、旧北上川への分流地点である脇谷閘門を船で渡った。新北上川(放水路)と旧北上川に85%対15%の割合で流れを配分しているが、本流と旧北上川では1.5mの水位差があるため、パナマ運河と同様の方法で、船体を前後のゲートで閉じられた区画に入れて、徐々に水位を下げてから旧北上川に出るのだ。待ち時間は20分くらいだったか。

ちょっと解説を加える。

北上川は壮大な改修の歴史を持つが、前世紀前半に本川を分流させる大工事を行った。すなわち、1911年(明治44年)から1934年(昭和9年)までに柳津と飯野川の間に河道を開削、追波川を利用して新北上川を放水路として追波湾に導いた。旧北上川は1920年(大正9年)から1932年(昭和7年)までに改修を行い、分流堰として鴇波洗堰、脇谷洗堰が建設され、舟運確保のため脇谷閘門も併設された。

完成した分流施設は、二本の澪筋が大きな中洲を囲む形で、それぞれの澪筋に堰(脇谷洗堰、鴇波洗堰)が設けられている。2つの洗堰は、下部にオリフィス構造を有し、平時は一定流量を旧川に分配し、大半の水は本川(放水路)に導く。大規模な出水時には堰体を越流してある程度は旧川にも洪水を流すという仕組みだ。

しかし、河川計画上は洪水時の旧北上川への分派はゼロとしているため、越流する構造を改めて、洪水時の旧川への流れを阻止する改築が必要とされた。そして、文化的価値の高い既存施設を残しつつ、新たに2つの水門を設置することとし、1996年に建設に着手。

こうして120億円をかけた「旧北上川分流施設」は08年3月に完成。内陸地震の影響で1年遅れて09年に落成式を登米市津山町柳津の現地で開いた。新設された2つの水門は、脇谷水門と鴇波水門。

脇谷水門は、本体26m、ゲート高12.8mで、板状のゲートをワイヤウインチで上下させて開閉する。鴇波水門は本体20m、ゲート高3.5mでドラム缶を縦に切ったような特殊な形のゲートを回転させて開閉する。


私たちの乗った船は、新しい脇谷水門の黄色いゲートをくぐって、歴史的価値のある閘門施設で水位調整を受けた。旧北上川に出てからは、中洲を回り込む形で鴇波洗堰の方にも船を寄せた。遡上するサケを網でつかまえる光景が見られた。

■参照
北上川脇谷閘門「クルーズ船通る」-Wind of TOME-NO.6
(まさに我々の乗船したクルーズの動画のようです!)
新・旧北上川の分流地点
 (大変わかりやすいので引用させていただきました。Mr.Kappaさんの
北上川ガイド
北上川の河川改修の歴史 (河川事務所)
 旧北上川分流施設の竣工式の 記事 (登米市資料)
 分流施設の 解説 (国土交通省の資料)


■関連する過去の記事
宮城県の渡船を考える (2010年6月5日) (鴇波・柳津の渡しの廃止)
北上川改修の歴史と流路の変遷 (08年2月17日)
 (リンクしていた流路変遷図が切れています。上記の河川事務所サイトを参照下さい。)

北上川流域の「水山」 (08年2月11日)





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最終更新日  2010.11.14 15:22:52
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