仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2013.07.20
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カテゴリ: 東北
宮崎道生『青森県の歴史』山川出版社、1987年(2版12刷)による。

多賀城碑には、「去京一千五百里」「去蝦夷国界一百廿里」とあって、都から蝦夷の国界までの距離は、1620里(1080km)とみなされていたと知られる。まして、エミシの中でも最も遠くに住む「都加留」エミシについては、都の人々が未開野蛮の種族と考えたのも無理はない。

蝦夷は、平安後期の歌では「えそ」と表現しているが、古訓では「えみし」「えびす」だった。これが平安後期以後「えぞ」の訓となるが、エミシではなくアイヌを意味するものとなっている。
(ただし、古くは北奥の地にアイヌ人が住んでいたことも事実であり、青森県では江戸時代になっても津軽半島の一部に「狄」とよばれるアイヌ人がいたのであり、津軽藩の政治家乳井貢のいわゆる宝暦改革で解放政策がとられたりしている。)

ところでツガルの語であるが、日本書紀の斉明天皇紀にみえるのが初めであるが、はやく新井白石が解釈を試み(「蝦夷志」)、明治に入って「新撰陸奥国誌」の解説、吉田東伍博士の詳しい説明(「大日本地名辞書」)などがある。

後二書により要点を述べると、まず文字は、津刈、都加留、津軽、東日流など、さまざまである。陸奥国誌では、ツガルとは「津借」の意味であり(むかし蝦夷が松前藩から渡ってきてこの国の津を借りて住んだ)、この地は日本の尽頭にあたるから、西の対馬にたいして東方蕃国の津所とし、「都加留」の意味を改めて「津加留」のそれとしたのであろう、津刈・津軽の津は正字で刈・軽は仮字であり、日東流(東日流とあるのは誤用か、とする)という表現は意味に基づいて書いたもので、日東は日本、流は「荒服最遠の処」の意味である、津軽をあるいは「津加呂」とも訓(よ)んだらしく、清輔朝臣集の歌などにそれがみえる、なお都加留はツカルと清音でよむべきで、濁音の場合は都我留となるのである、などと述べている。うがったおもしろい説だとは思うが、これに対して吉田博士は、白石説以下の先行諸説をすべて疑わしいものとし、「ツカルは夷(アイヌ)語か、今の夷語トカリは海豹なり」とされている。

はやくは有名な「伊吉連博徳(いきのむらじはかとこ)書」に、エミシは五穀がないため肉を食べて生活し、屋舎がなく深山の中、木の根元に住んでいる、などとあり、平安時代に入り再三大征討が行われた後も、都人からは野蛮視されたのであるが、問題はそういうエミシがなぜ長い間中央政府の軍隊を悩まし、たやすくその支配に服しようとはしなかったのかの点にあろう。

ことに津軽エミシは、その党が多種で勇壮でもあったことから、その動向について政府がきわめて神経質だったことは平安初期の正史・公記録の伝えるとおりであるが、その背景や基盤となるものについては一般に関心が払われていないようである。人間と風土の関係はひじょうに密接であるから、北奥寒冷のこの地域に住む人々が厳しい自然の圧力に良く耐えかつ生きぬいたことは、そのたくましい生活力、ひいては精神力を育て上げた主な原因と思われる。

いったい岩木山麓、大森勝山の縄文時代竪穴遺跡の示すように、津軽の地域に早くから人間が住んでいたのは明らかであり、長い間に生産手段、社会構成さらには精神生活についても工夫や進歩があったはずだ。それにしても文化は水と同じく高きより低きに流れる。中央の文化が意識的無意識的にこの地域に入ってきたことは言うまでもないところで、その意識的努力の表れが奈良から平安時代にかけての朝廷のエミシ同化政策だったといえよう。



吉田東伍博士は、エミシの人種論の後に、「本邦歴史の二千年は、専ら此の蝦夷の北走を観るものとす」といわれ、その存在意義の重さを強調されたが、少なくとも二千年の三分の一ないし半分にあたる期間、すなわち我が国の原始・古代に該当する時期は、一面エミシとの対決の時代でもあったわけで、エミシわけても北門の雄津軽エミシは、まだまだ多くの謎を秘めたままで我々の眼前に横たわっていることを、改めて思い知らされるのである。

〔続く〕

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最終更新日  2013.07.20 10:46:25
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