仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2015.03.08
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カテゴリ: 宮城
貞山運河の由来は、言うまでもなく政宗公の法名(瑞巌寺殿貞山禅利大居士)であるが、名付け親は県土木課長から仙台市長となった早川智寛である。

貞山堀のうち最初に掘られたのは、阿武隈川河口と名取川河口閖上を結ぶ、 木曳堀 である。慶長5年(1600)に、仙台の建設に必要な木材の輸送と沿線の谷地開発のために掘削された。

続いて、北上川と鳴瀬川の舟運で運ばれた米を城下に運ぶために、塩竈の牛生(ぎう)から七北田川河口の蒲生までの 舟入堀 が寛文13年(1673)に完成。関連工事として、苦竹までの 舟曳堀 が作られて城下まで米が運ばれた。

一般に、石巻から阿武隈河口荒浜までを結ぶ全体を貞山運河と呼ぶようになったのだが、とすると、閖上から蒲生までと、塩竈から石巻までが残ることになる。この区間は、明治になってから掘削されている。

閖上から蒲生までは、維新後の士族授産として掘られ、 新堀 という。塩竈から松島湾を挟んで石巻までは、野蒜築港と関連して、 東名運河 石巻運河 (野蒜-石巻)ができて、仙台湾に沿って49キロの貞山運河が完成した。

■佐々木、吉岡編『宮城県の不思議事典』(新人物往来社、2004年)のうち高倉淳執筆部分を参考にしました。

■関連する過去の記事
北上川改修の歴史と流路の変遷 (08年2月17日)
川村孫兵衛重吉 (2012年6月21日)
愛宕堰、七郷堀 (2010年11月13日)
北上川改修の歴史と流路の変遷 (08年2月17日)
七北田川を考える (07年10月3日)(寛文の流路変更)
舟曳堀(鶴巻-苦竹)を探して (2006年3月12日)





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最終更新日  2015.03.08 21:26:17
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