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青春の頃の思い出の小説がある。ゴールズワージーの「林檎の木」学生時代読んで心を動かされた本は数知れないが、その一冊。イギリスの青年がヒースと言う丘をふたりで越えていく。イギリスには山がないから丘を越えてあるくのが青年の旅。足を痛めてとある農家に宿をとる。そこで野に咲く花のように素朴な娘に出会う。そして恋に落ち、いついつ迎えにいくから林檎の木の下で待っていてと約束する。やがて青年は都会へ戻り、現実に引き戻されて、約束をいつしか忘れてしまう。年老いて、ふたたび懐かしい青年の頃の足跡を辿った村で、初めて悲しい物語の結末を知る。少女は幾日も幾日も、林檎の木の下で待ち続けていた。やがて心も身体も痛めて・・・、すでにこの世を去っていた。身ごもった青年の子を産んだあとで。案内した利発そうな子は青年の子供。よく出来たストーリーだけどその頃は無心になって読んでいた。主人公より、待ち続けた少女の気持ちに感情移入してとてもつらくなった。不安、焦躁、怒り、悲しみ・・。出会った歓びがあきらめに至るまでの長い辛い道程。同じような想いをそのあと実際に体験した。学生時代の下宿には「もう寝なさい!」という母親はいない。読み出したら夢中になって朝まで読み続けた。明け方の感動をもったまま、味気ない工学部の無機質な教室に足を運んだ。ツルゲーネフの「初恋「も同じようにつらい結末が待っている。恋敵は自分のあまりに身近な人だった。チェーホフは「子犬を連れた貴婦人」で、たんたんと人生を語る。男のある仕草がひたむきな貴婦人の思いを裏切る。が、人生とはそんなものとチェーホフは言う。シュトルムの「湖」も欧州では有名な青春小説。一生をかけた思いも、伝わっていなかったことを知ったのはもう老境に入ってからだった。英国貴族が書いた一生に一冊だけの恋の名作「アドルフ」も簡潔な文体が美しい。読むなら岩波文庫の翻訳がいいが今は絶版。古本屋にたまに見かける。スタインベックの「二十日鼠と人間」もそんな名作のひとつ。青春と言えるかわからないがアラビアのロレンスが書いた「知恵の七本の柱」もすぐれた作品。英国国家によって派遣されるが、やがては砂漠の民の独立の為に反旗を翻す。あれだけの行動をなしとげながら彼が言った下記の言葉に無限の価値があった。「過酷な砂漠の住人ベドウイン民族よりも、どんな厳しい拷問にも私が耐えたのは、生きていても虚しいという思いがあったからだった。」そうか虚無的な感覚を抱きながらも、行動することはできるのだ。それを行動で実証した英国知識人の桁外れの大きな人間性を感じた。スペイン内乱に自ら志願し「カタロニア賛歌」を書いた作家ジョージオウエルも英国人。訓練されていない味方の銃弾にあたって彼はやがて死ぬがロレンスは英国に戻って体験を詳しくまとめることが出来た。戦争従軍記の名作青春編はカメラマン ロバートキャパの名作「ちょっとぴんぼけ」。ユーモア感覚がとてもいい。彼も、取材に気が進まなかったアジアの戦争を取材中、見晴らしいのいい丘の上に仕掛けられた地雷を踏んで死亡する。日本にも青春の名作がある。久米正雄の「学生時代」、福永武彦の「草の花」、清岡卓行の「アカシアの大連」、芹沢光治良の「巴里に死す」など。小説であっても、現実のように精神移入できた若い頃に戻りたい。代わって近年特に興味を感じたのは、シルクロードを旅した人たちのこと。ヘディンの「さまよえる湖」から始まって僧玄奘の「大唐西域記」まで。この未知の国へ果敢に旅した人たちの物語は日比谷図書館でほとんど読み漁った。アレキサンダー大王の長い戦いの日々を描いた「遠征記」もいい。生々しい戦いの残酷な城攻めの手法から始まって、無二の親友を酒の上の口論で怒って刺し殺す青年王の葛藤など、時代を超えて心の動きがひしひしと迫ってきた。秋の夜長ならぬ春浅いコーカサスの寒い夜にはどこにもでかけずそんな本を日比谷公園の図書館から借りて読みたい・・・・。肩から提げるカバンいっぱいにはちきれるほど借りてきて。黒いカバンは、そのおかげで何度も吊革が引きちぎれてしまった。絵は、まだ肌寒いコーカサスの夜の「街の楽師」
2003/04/29
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”冷たい水の中の小さな太陽 ”アポリネールの詩集の中の美しい比ゆ的な言葉フランソワサガンはこの題で小説を書いている。特異な透明な乾いた、よく言われる”ガラスのような文体”で。 水溜りに映って輝いている太陽 しかし暖かいはずなのに 手を触れるとひんやりと冷たい。 人生とはそんなもの。 僕が勝手にそう解釈してとても気に入っている言葉。モーツアルトの解説者が表現した言葉は 「モーツアルトの曲にはどれも 寂しさを底に秘めた明るさ、 明るさの底に秘めた寂しさがある。」 そんな想いに似通っています。満開の桜の花にも、はなやかさの影にさびしさがある。散り行く予感があるからではなく、花そのものに・・・・。この感覚は季節のおりおりに現れてくる。 夏ならば 泣くは誰けだるき真昼の丘に吹く風に揺れゐるひなげしの花 秋ともなればなお鮮明に、 たとうればものみなさびし秋の暮れ下記は、長崎県大村市の上小路の神社の桜。小中学校をこの近くで過ごし、若くて死んだ父の思い出と重なっています。
2003/04/28
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ロシア語の先生が風邪で休んだ。代わりにと聞いたところに電話。話がどこか食い違っていたけど、とにかく来てくれた。少女のような22才。ロシア語を習いながらいろいろ聞くとやっぱり人違いだった。本当は、彼女と同居している別の女性だったのだ。彼女の英語の片言がなせるわざ。でも、間違っていてよかった。語学勉強が済んだら、もう夕暮れ。そういえば昼飯も食べていない。90分の出張授業がわずか6ドル。キャラバンサラのような高級なとこには行ったことがないという。じゃあとそこで食事をおごってあげることにした。意外と彼女は博識だった。トルストイ、ツルゲーネフ、チェーホフ、チモール、ジンギスカン、ヒットラー・・・。ロシアとコーカサスにまつわるいろんな人物のことで話が弾んだ。そしてワインをふたりで一本飲んで頃、その不思議な事が起こった。彼女が僕の手相を見始めた。「たくさんの人といろんな出会いをしている。」「すごくたくさんの収入があったけど、お金を少し損したことがある。」「ひとつの事にしばらく熱中し、次に別のことに熱中するくせいがある。」「子供はふたりいる。」「もう一人生まれるはずだったよう。」「18才の頃、一生を左右するような影響を与えた女性と会っている。」他にもいろいろ言ったけど、たんたんと述べる少女の言葉がすべて当たっていた。気になることをひとつ言った。「これからどうなる?」「大きな病気をするかもしれない。」そうかもしれない。いつも遅くまで起きていたり無理することがあるから。自重しようと思った。ロシア語の先生の風邪での休み、代理の先生の登場、人違い。偶然の重なりで出会った少女。初めていろんなことを本音で話す女性と出会えて楽しかった。これも誰かの配慮した貴重な出会いのような気がした。聞いてみたら数年の間に若い両親をなくし、異母兄弟とは別居し、友達の女性と一緒に住んでいると言った。彼女は、あまり幸せそうには見えなかった。お礼に、CDショップに寄って、彼女が好きなボンジョビのCDを買った。通りがかったショーウインドウに赤いサッカーボールがあった。彼女が欲しそうに見えたのでそれもプレゼントした。「どこで蹴るの?」「部屋の中で。」「そんなに広い部屋?」「ううん。狭いけど時々蹴ってみたいの。」赤いボールは、日々の生活の満たされぬ鬱憤を蹴飛ばしていきるために要るのかな。ほんとうに嬉しそうだった。ロシア語の先生は来週はこれると言っていたから、もう会わないかもしれないけど。食堂で働く女性の給与が1日でたったの6ドルの国。ほとんどの企業がソ連から独立して13年たったのに、まだ開店休業に近く、大学を卒業しても仕事があまりない国。頼みの石油の販売量も国全体で7000億円ほどと微々たるもので国家予算への貢献もまだまだ。みんな苦労して生きている。でも、なんとか幸せになれ!
2003/04/27
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眠るには惜しい春の夜には、ひとりでモーツアルトもいいものです。特にモーツアルトのピアノ曲はとても美しい。モーツアルトに聴き入っていたころ、どのピアノ曲が美しいか1年ほどかけてすべての曲を聴き比べたことがあった。その結果発見した、モーツアルトのピアノ曲の中でも選りすぐりの曲を紹介しましょう。きっかけは、下記の名著との古本屋での出会い。その本にさまざまに表現された曲を自分の耳で確かめたくなったからだった。そんなモーツアルトを語る名著とは井上太郎の名書「モーツアルトのいる部屋」新潮社刊と イギリスのモーツアルト研究家エリック・ブロムの「モーツアルト」、泰明社刊下記はそれらの名文を参考にしながらまとめたもの。 これらの名文を読むと、聴いてみたくなるはずです。毎日、FMからダビングしたり、日比谷図書館のCDライブラリーから探したり、とにかく夢中になって聴き入った時期がありました。演奏者は、たまたま僕がもっていたテープの演奏者です。★★ ,★ 、☆ 印が順に特に秀逸といえる個人的に好きだった作品。さて、みなさんの意見は同じでしょうか。個性的な寸評やモーツアルトにまつわる思い出を投稿くだされば幸い至極。 さて僕が モーツアルトのピアノ協奏曲から選んでみたとっておきの曲とはケッヘル番号順に語りましょう。 ★★ピアノ協奏曲 第 9番変ロ長調 K271 アシュケナージ 第2楽章 「モーツアルトの不思議な表現は単なる音楽の楽しみの為のものと いう考えを改めさせるモーツアルトの21才の曲。 個性豊かなモーツアルトの真の協奏曲の始まりといえる。」 優雅で洗練された曲。特に第2楽章が美しい。☆ ピアノ協奏曲 第14番変ホ長調 K449 「 あまり注目されていないが、暗い暗雲のたちこめる不安定な美しさと哀愁に満ちた曲。」☆ ピアノ協奏曲 第15番変ロ長調 K450 どこかに涙をさそうものを秘めている。★★ピアノ協奏曲 第20番 ニ短調 K466 マリアテーポ 「やがてやってくるシュトルムウントドランク(疾風怒濤)のロマン派時代を予感し、 モーツアルトがロマン派以前に未来を予知した作曲家であったことを示す作品。」 「激しい様式を先取りした悲哀と憂愁、それに第2主題の輝くような幸福感が交錯する。」★ ピアノ協奏曲 第21番 ハ長調 K467 「美しいピチカートの第2楽章。短調と長調とが交錯する第3楽章。」 映画「短くも美しく燃え」のテーマとなった。 「寂しさを底に秘めた明るさ、明るさの底に秘めた寂しさがある。」 この言葉が一番好きだった。とても素敵な表現。 ”冷たい水の中の小さな太陽 ”はアポリネールの詩の言葉 水溜りに映って輝いている太陽、しかし手を触れるとひんやりと冷たい。 人生とはそんなもの。そんな想いに似通っています。 ★★ピアノ協奏曲 第22番変ホ長調 K482 「荘厳な響きの管と弦が優しくピアノを伴奏する。 奇跡のようなハーモニーのハ短調の第2楽章がとても美しい。」★★ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K488 マリアテーポ 「ピアノの華やかな技巧と甘美なクラリネット。太陽のような明るさの第1、3楽章。 「嬰ヘ短調の第2楽章は、最も哀調にみちた感情表現のひとつ。 「モーツアルトが最も楽天的な時でさえ、決して純真な幸福を歌う作曲家ではなかったことを示す作品。」★★ピアノ協奏曲 第24番 ハ短調 K491 内田光子 「モーツアルト30才。笑いに満ちたフィガロの作曲の5週間前この曲を作曲。 モーツアルトはこの悲劇的な曲と喜劇的オペラとの間を全く自在に往復していた。」★★ピアノ協奏曲 第27番変ロ長調 K595 「モーツアルトにとって最後の年である1971年の1月に完成したピアノ協奏曲。 告別の作品にふさわしい不吉な予感と不思議な哀愁にみちた緊張感。」次に、モーツアルトの珠玉の小品ピアノソナタを紹介しましょう。ヴァイオリンソナタを含んでいます。★K304 ヴァイオリンソナタ ホ短調 第28番 ヘブラー 「モーツアルトが短調を選んだ時は、はっとさせる激しく個性的な何かを生み出す。 モーツアルトのヴァイオリンソナタの主役はピアノ。 ヴァイオリンはいわば、それと美しい会話を奏でる恋人。 展開部の第1主題、憂いをおびた優雅な第2主題。 特に第2楽章のメヌエットは涙を誘う美しさがある。」 こんなに書かれると、聴いてみないと死に切れない。 聴くまではいてもたってもおれなくなって、CDショップを探し回ったものです。★K379 ヴァイオリンソナタ ト長調 第35番 ト長調 ヘブラー 「 第1楽章はアレグロ、ト短調の前のト長調のアダージョの気品のあるたたずまい。 優雅な光の中に凛然とした音がまじっている。 特に、後半同一主題の5つの変奏曲は美しい。」☆K395 幻想曲ニ短調 「ゆっくりと不安に満ちた鼓動。 この世のものとおもえぬモーツアルトの美しい旋律。」☆K397 幻想曲ニ短調 「短いが洗練された曲。」★K511 ロンド 内田光子 「技巧と詩情がひとつにとけあい夢のような不思議な効果を生み出している作品。」 さまざまな演奏がありますが、僕が好きなのはアリシア・デ・ラローチャ。 髪を振り乱して般若のような様相で演奏する内田光子さんも ファンが多いようですが、アリシア・デ・ラローチャの演奏が僕は好きです。 必死に悲しみをこらえているのに・・・・、 涙がひとすじ目に光っているような そんな風情を感じます。絵は [日光戦場ヶ原の春」
2003/04/25
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コーカサス地方は、アプリコットという桜に似たあんずの白い花が咲き始めたばかり。まだ柳の芽吹き以外は緑の少ない春浅い季節です。ぽかぽか陽気がきたかと思うと、翌朝はふたたびカスピ海の方から冷たい雨がやってくる。 春浅し萌えるものみな逡巡すそんなこちらの時節に合う曲は モーツアルトの 幻想曲ニ短調ピアノのきれいな小品です。軽やかかと思うと、波乱含みのような転調、そしてためらいがちに近寄ってくる春の足音のようなピアノの音まだ燃える新緑にほど遠い国のこの季節にふさわしい曲です。寒さが戻ったこんな夜は、どこにも出かけず、PCのWindow Media Player に接続した響きのいいスピーカーでモーツアルトや、杉田真理の「もう森へなんか行かない」というシャンソンを聴いています。クラシック嫌いの方がおられたら、モーツアルトのピアノ協奏曲の22番と23番の第2楽章だけを聴いてみてください。リチャードクレイダーマンよりはるかに美しく、花にたとえるなら散り行く桜が風にただよっているような風情。透明なまじりけのない不思議な曲のとりこになるはずです。珠玉のようなピアノの小品K304。華麗でものがなしい協奏交響曲の第2楽章。次々にCDを買い求めて深みにはまっていくでしょう。今聴いているクララハスキルとグルミオーの演奏するピアノとヴァイオリンのための協奏曲も、うっとりする美しい曲。いつしかひとりですごす時、モーツアルトのCDさえあれば、他にはなにもいらない!と思えるようになる時がきっとくるはずです。今夜は、まさしく、そんな気分の静かな夜でした。絵は 「秋川渓谷の春」
2003/04/23
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コーカサス地方は、ぽかぽかと暖かい陽気の日だった。仕事を終えて広いホテルの部屋でメールをチェック後いつものように一眠り。この一眠りがスペイン以来の習慣。とても気持ちがいい。8時ごろいつも目覚める。8時とは言え、サマータイムのこちらはまだ明るい。この日が暮れる前の戸外でのしばしの明るい時間が欧州の素敵な時間。会社で真っ暗になるまで働いていた大和の民の時は知らなかった。ものみな黄昏の中で輝き、約束の場所で出会った二人連れが今夜のプランに頬を寄せる頃。私は、さびしくひとり一目散で、いつものグルジア料理店に。鳥のあばら肉に切り込みを入れた大きな塊りが、そっくり煮込んである鳥なべ。ボルシチよりうまみのある肉スープ。どれでもおいしかろうと読めないメニューで勝手に選んでいく。そして、腹くちくなれば地下のカフェクラブを探訪開始。誰に出会うかわからない楽しみの時。歩いたことのない夜の路地をやみくもに歩き、とある地下のカフェバーを見つけた。四角のカウンターに多国籍の客がしずかに飲み語っている「クラブ ユニバーサル」隣にいたの欧州系の顔はオーストラリアの医療機関のインテリだった。話してみると、シンガポールに住んでいて、今同じアスコットロッジにいる旅の人。モスクワから帰ったばかりというので、毎年5万人が行方不明か闇に殺害されている都市ですねというと、目の前で、某企業の重役が銃撃されて殺されたのを見てきたと言う。経済の40%が税金を払わないマフィアの闇経済とうわさされるソ連の末期的症状。「オーストラリアは自然保護が徹底していて、川で泳ぐ人間がワニのえさだそうですね」と言うと、海でおよいでも鮫の餌になると笑っていう。「北半球が核戦争で全滅しても、最後まで生き残れるのは島国のオーストラリアでしょう」と言うとそうかもしれないと笑っている。白豪主義のオーストラリアは、黒人パワーに最近押され気味。今の大統領は ホワイト? ブラック? と聞くと、ホワイトだけどね、保守的で困っているという。アジアの国とビジネスしようとするのを嫌っていてやりにくいんだと。その夜、カウンターを見渡すと、かなりの美男美女がいた。話しながら順に描いていくと、見にきてスケッチブックを持っていって恋人に楽しそうに見せている。ひげの典型イスラム風美男といった顔を描いてみるとなるほどひげが加えるとハンサムがいっそう引き締まる。フセインがハンサムという説に疑問を感じていたが多少納得。オーストラリアの彼とは気があった。明日、一緒にショウレストラン「イズミール」にトップ歌手マナナの歌やベリーダンスを一緒に見に行く約束をする。帰ろうとしてふいと奥の部屋に行ってみると玉突き場。女性ふたりがやっていたが、一人がプロ級。すばらしい演技をする。もうひとりは下手でもいい、黒い眉、濃い瞳、豊かな胸。うっとりするカスピ海美人。しばし、両方の「特色」に見入っていたら、やってきた恋人の一言に怒って美人の方が、キューを床に叩きつけてしまった。驚くほど激しいコーカサス魂! ” Smoke get in your eyes ” ナットキングコールが歌った名曲 恋の炎に燃えているお方よ いずれ気づくでしょう 炎が消えた時、かならず 煙が目にしみますよこんな燃えやすい人と恋する男は、目にしむどころか火傷しそう!皆がかわりにやれと言うので、ひょんなきっかけで玉突きに参戦。そばで見ていたひげずらのおじさんが、見かねてアドバイス。とんでもないところに向かって玉を突けという。半信半疑で打ってみた。コーナーのフェルト壁に当たった玉は回転しながら、別の玉にあたり、当たった玉はころころと壁際をそうように回転しつつポケットへ。打った本人がびっくり。なるほど、壁際をそうように走らせる技があったのだ。玉突きしてたら、見ていたカスピ海美人とも友達になった。プロ級はこの店の女主人だった。みんなの玉突きの華麗な姿をカメラに収めた。「今度いつくるの?」とカスピ海美人に見つめられた。どぎまぎしながら瞳の見とれていた。そして、再会を約束して夜の舗道を歩いて帰る。もう12時を回っていた。いつもの角に仲良しのギター弾き語りのおじさんはいなかった。昔ひとりで夜道を歩くときよく歌ったこのシャンソンそれを又歌いたくなるような夜だった。 水と情けは 流れてゆれて 末はどこかで 消えるものなの 遠い明かりも 静かに消えた 今夜はこれで お別れしましょう 夜明け星 おやすみね 今日の一句 語りたき思い残して春暮るる
2003/04/22
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コーカサス3国というと、イスラムのアゼルバイジャンとキリスト教のアルメニア、ギリシャ正教のグルジア。隣り合ってるのに、国民性や性向はまったく違う。たとえば、料理の創意工夫度、楽しみ方。アゼルの料理は、いわば春の七草のような生の草を切らずにそのまま皿に盛ってきて塩をかけて食べろっと言った風。まことに素っ気無い。肉はさまざまあるが、どれも炭で焼いたのを塩で味付けしたキャバブが主流。たまには変わった料理ない?っていきつけのレストランに聞くとどうしたらいい?と向こうが聞いてくる。しかし、国民性は人懐っこくてあったかい。グルジア人は、素っ気無くて、人との距離が遠い。いろんなことを親切に教えたりしてくれない。グルジア料理の店もこれがレストランかと思うほど、ひっそりして宣伝もしない。しかし、料理に関しては、創意工夫たるや天下一品。ほうれん草とくるみを練ったサラダは柘榴の赤い粒が彩りに添えてある。かりかりと歯ごたえがしておいしい。肉詰めの焼きなすのサラダはやわらかく口にとける。サラダひとつとっても、とにかく多様。逸品は肉料理。鳥の骨付き肉をたっぷり土鍋に入れて、胡桃をつぶしてさまざまな香辛料を加え、オリーブオイルと秘伝のスープに漬してじっくりオーブンで煮込んだ鳥鍋料理のおいしさ。その味を知って以来、アゼル料理が味気なくなってしまった。毎日、グルジア料理の店へ足茂く通っている。しかも中華料理のショウロンポーに似た口に広がる汁気を含んだ大きな蒸し餃子がこれまた美味だった。ハウスワインも甘くなく辛くなく味が濃く飲みやすい。しかしビールを頼むと、外に買いに行っているほど、商売っ気がない。今日は、直径30cmの土鍋にたっぷりの鳥鍋、大きな汁気たっぷりの蒸し餃子10個、それに数個のサラダ皿とボルシチ風肉スープとワイン1リットルをふたりで楽しんだ。勘定はふたりあわせて全部で1500円。えっ?間違いかと思った。明日から30くらいあるメニューのひとつひとるを順に味わうことに決めた次第。ちなみにアルメニア料理もどんな料理かコメントしたいところだけど、アゼルに戦争を仕掛けてきて占領したままの紛争当事国なのでここには一軒もなさそうですが。見つけたら必ず食べて報告します。こういうことが大好き!美味しいものを食べる国民はいい音楽を生み出すとか。だから草履のようなステーキを食べるイギリスには大作曲家はひとりも生まれなかった。神様はそのおわびにビートルズを遣わしたそうです。下記が、くるみ入り骨付き鳥肉の土鍋煮込み料理!おいしそうでしょう。直径30cmで600円でした。
2003/04/21
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誰もが、一生を左右するような恋をいくつかしているのだろう。そして、その出会いがいつも偶然とは思えない・・・。人の生き方を左右するような初めての恋も亡くなったかみさんとの出会いも。いつも誰かが、どこかでで配慮してくれたのではないかと思うほど不思議な偶然が重なっている。長崎から福岡に初めて出てきて大学の門をくぐった頃の出来事。憧れだった工学部に入った喜びは5月頃になると,もう薄らぐ。すでにどこか目標を達成したあとのむなしさがあった。”Man is a fliying arrow"「女は幸せをコンクリートで固めようとするが、男にとって幸せは、手中に入った瞬間から色あせてくる。また次の目標に向かって飛び立つしか道はない。」これはドイツの格言。次の目標は自分でさがさないといけない、が見つからない。大学を卒業して社会人になってもその先には何もないように思えた。日々がむなしいので、手当たり次第に本を読んだ。まず中島敦のカメレオン日記に同じ思いを発見した。 「俺のまわりには蛙の卵を包むゼラチンのようなものが取り巻いていて、 外界との接触をさえぎっている。俺には生きているという実感がない。」フランクルは「夜と霧」の中で言う。 「いつ死がやってくるかしれない絶望の中でも、収容所の中の木が芽吹くと 生きているという歓びを感じた。生きている意味はそういうところにも実在する。」と。シュバイツアーは著作で述べる。 「子供の生きる歓びにあふれた表情をみてごらん。大人になって虚無的になっている 貴方たちにも、あの歓びは持続しているんだよ。気づくことを忘れてしまっただけだ。」と。そんな頃、5月の大学祭で学生劇を見た。生きることがわからないと嘆く男をひきとめようとする少女が舞台にいた。一目見ただけで、ひきつけられた。色の白いほっそりした、すきとおるような声をもった少女だった。色でたとえればブルー。同じ時、入学した文学部の学生だと誰かが教えてくれた。あんな少女と恋をしてみたい、遠い夢のような思い。それから2年がたった。その頃、四国の病院に従兄が医者をしていて正月に遊びにくるように誘いがあった。授業もバイトも終え、年末の大分線の鈍行列車で四国に向かった。そしてトイレに行こうと列車の中を歩いていたら、長い鈍行列車の同じ車両にその少女が「いた!」ときめく心を抑えて声をかけた。彼女は支線のある町のお寺の娘、帰省するところだった。それから駅につくまで、夢中でいろんなことを語った。そして、なんの約束もせずに別れた。本学と言う専門課程に入って忙しくなってきた頃。工学部の図書館で、彼女の姿を時々見かけるようになる。遠くで見る笑顔がはなやかだった。いっしょに、同じ図書館にいただけで幸せだった。そしてある日声をかけてブルガリア合唱団の演奏会に誘った。「きっと、もう一度誘ってくれると思って待っていた。」と彼女は言った。それから、彼女が一緒に住んでいた外人女性教授の官舎に招かれて彼女の料理をご馳走してもらったりした。しかし結局ふたりが話す事は生きる意味が見つからないということ、いくら会っても、話はその先には行かなかった。待ち合わせ場所を間違えて、ふたりとも電停で1時間待っていたり、いろんなことがどこかかみ合わなくなって、紆余曲折して・・・別れた。そしてそれから4年たって大学院を卒業する頃、ふたたび出会って話をするようになった。彼女には、決心しかねているフィアンセがいた。ある日、公園での話しに夢中になって夜中2時近く、終電もなくなっていた。近くの宿で夜を明かした。翌朝、別れる時、彼女が言った。「自分で決心がつかなかったから、奪って欲しかった」と。彼女とのことでは辛いことが一杯あった。最初から、一緒に生きていく人ではないような予感はしていた。けど、今でも、あの、同じ日、同じ時刻のあの長い鈍行の同じ車両で出会えたことに、とても感謝している。こんなにあでやかでなく、もっとつつましやかで控えめな人だったけど偶然アゼルで出会ったこの仮面に彼女はよく似た人だった。今でも、あれがとても偶然だったとは思えない。
2003/04/20
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カスピ海に春が来た。おやっ、桜が咲いた!と思ったらアプリコットというあんずの白い花。暖かくなると、レストランは一斉に石畳の道路に海岸の公園の敷地に白いテーブルをだして客を誘い始める。暖かくなったかと思うと、またコーカサスの雪の山の方から冷たい風が降りてくる。 春浅く萌えるものみな逡巡すしかし、郊外レストランに飼われて眠っていた狼も白熊も、春を待ちきれないかのように檻の中をぐるぐる回っている。西の果てのシルクロードにようやく春の息吹がやってきた。安全なシルクロードの旅路を初めて確立したジンギスカン。そのために沿線の都市の住民を500万人殺したという。その後、チムールもここに攻め込んだというバクーの城砦の中にその昔、隊商が駱駝や馬に水を飲ませた井戸のまわりの洞窟のようなレストランがある。インヂューシカという七面鳥の骨付き肉の脂ののったのを炭火で焼いてもらって、地ビールの黒い濃いのをジョッキで一気にあおる。今日は、午前中は、ロシア語の名詞と動詞の変化を美人の先生に習った。名詞は、性によって違って変化するからややこしい。「雑誌」は男性名詞、「本」は女性名詞、何でだ!名詞は主語、目的語でも語尾が違うように変化する。こんな複雑な言葉を考えた学者を殺してやりたい!と言う思いはもうあきらめにかわってきた。動詞も語尾が主語によって7種に変化する。ようやく今日、その変化の規則をすべて理解!とにかく、明日から使えるぞ!語尾の音程をあげるだけで肯定文が疑問文に変わることも知った。これは簡単!さて、アゼルの哀愁のあるポップスを聴きながら復習していたらもう二時。昼飯も忘れていた。今日は、オペラの切符を買ってもらった。プッチーニのラ・ボエームという名作。前から7列目のいい席。1200円。値段を間違ってないか確かめたけど、やはり1200円!日本の10分の1かなあ。芸術がこの位の価格で日常生活に溶け込んでいるのが本来の姿。ヤー チャーストリブ ! チャーストリヴィ リ ブイ? I am happy . Are you happy ?さて、オペラではいつも心地よさのあまりアルファ波が高まりすぎて困った習性がある。つまり眠ってしまう!昨夜、ディスコを3つもはしごして、写真を配ってきたので良く寝ていない。昼のビールを飲んだらしばし昼寝しておかなければ。
2003/04/19
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僕は、一度、北米を40日ほど西から東へ旅したことがある。シアトル、ロスの最初のディズニーランド、テキサスのケネディが暗殺された街、砂漠の都市デンバー、クリントンの生地アーカンソー、ジャズの街ニューヨーク、アンドリューワイエスの生地、今はギャングもいなくなって五大湖のほとりにリスが遊んでいるシカゴ、そしてマイナス20度のカナダの北の街やトロントまで。西海岸のアメリカ人は紙コップのように浅薄だが生き生きして活気があった。南部のアメリカ人は、やや単純だが、古い開拓者の血を引いて誠実だった。東部のヨーロッパ系アメリカ人は、奥ゆかしく知的だった。最近のアメリカ人は、どうしてあんな風になってしまったのだろうか。クリントンが大統領の頃、出会ったアメリカ人は、みな感じのよい良識のある人たちだった。狡猾な新保守派が仕掛けたあんなつまらない些事でおいやらなければ良かったのに。アメリカは広く、多様で一言ではいえない。アメリカ人の中にも好きな人はたくさんいた。”Heart is a lonly hunter "「心は淋しい狩人」を書いたカーソン・マッカラーズ。言葉が話せない主人公と大男の友人たちがおりなす暖かい、しかし悲しい物語。感動的な映画になったから見た人も多いはず。わずか二十歳代のアメリカの少女がこれを書き上げた。もうひとりは素晴らしい天才画家アンドリューワイエス。なんでもない納屋や風景を描いてもそこに寓話的なリアルな現実感がただよう。筆致は細かく繊細なのに力強い偉さのようなものがみなぎっている。ひそかに愛し合ったオルガと言うモデル。その日常生活の姿の美しい連作がある。たとえば窓辺に眠っている裸身は、カーテンをゆらす風のそよぎから産毛一本一本に触れていく風の感覚まで感じさせた。名作戯曲「セールスマンの死」「橋からの眺め」「ガラスの動物園」を書いた作家もみなアメリカ人。問題は、こんな繊細な心を持った知識人ではなくて、テキサスの石油成金の子孫のような人が今、政治を牛耳っていることにある。そして、それに迎合しやすい無邪気でのんきな大多数のアメリカ人気質。ケネディのような多少は真剣に世界の調和や未来を考えるような政治家がでてきてほしい。あれだけたくさんの人がいるのに、日本もアメリカも最近は小物ばかり。良い人材をは本当に少ない。少なくとも信念を持って逆風に取り組む小泉さんがはるかにいい。郵政民営化は官僚の財源にメスを入れる画期的なもの。それをやろうとしている小泉さんは、本当はもっと評価されてよい。そんなことに正面から立ち向かう小泉ブレーンはなかなか素晴らしい。小泉さんの戦いは本当に見上げたもの。みんなで支えないといけない。ここで元に戻ったら、もう日本は一気呵成に滅び行くのみ。小泉さんは、いっそ、官僚でがんじがらめの滅び行く日本なんかほおっておいて次回はアメリカ大統領に立候補してみたらどうかなあ。万一当選してアメリカから日本を変えさせたら、今よりはアメリカも日本もよくなるよ、きっと。逆説的だけどアメリカ仕込みのクールな捉われない、今の良いブレーンを引き連れて。
2003/04/17
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俳句は、もっとも簡潔な日々の心の日記帳です。季語など気にせずとにかく5・7・5で述べてみましょう。 月天心貧しき町をとおりけり 蕪村だったかな本当に言いえて妙なる句です。 月夜にひとりで知らない町を歩いているといつも思い出す句です。 あるほどの菊投げ入れよ棺のなか 悲しいという言葉がないのにほとばしる悲しみを感じさせます。 漱石が弟子の女流作家の死に面してうたった句です。 そこで俳句の楽しみ方、味わい方について述べてみます。 まず、師匠中原道夫氏より受けた秘伝を少し。 ごく当たり前の誰でも思っていることを、うまく表現すると とてもいい句になるという秘伝です。 白魚は誰もが、あのかそけき肢体をご存知。 皆さんはそれをどう表現されますか。 白魚は魚たること略しけり こういうのを言い得て妙と言うのでしょうか。 あるいは逡巡する気持ちをうたった句 飛び込みの魂ひとつ遅れけり 当たり前のことを別の言葉で表現するんだ! 鍋を食べながら思いつきました。 岩牡蠣は内装に気をくばりけり 師匠に句会で褒めていただいた句 ちょっと格がおちるかな あるいは 優駿や晩夏は風の変声期 風花に蕩児の浮かれ心かな 言いえて妙なる句は、黛まどか嬢の作品 前書きも後書きもなし曼珠沙華 突然咲く彼岸花をとてもうまく表現しています。 そしてこの句はもうひとつ裏の意味あり。 わかりますか。 ヒントは曼珠沙華は墓参りの頃、咲く花。 そう。死も同じように突然やってくるという意味を潜ませている なかなかの句です。 この方は、単身でスペイン巡礼の道を歩いたり、 今は韓国の巡礼路を歩いたり。 芭蕉のように俳句の初心にもどって俳句紀行を行っておられます。 美人と言うだけでなく行動力のあるとても素敵な女性です。 俳句を始めたい「若い美人の」女性はぜひ彼女の俳句結社「東京ヘップバーン」へどうぞ。 「美しくはないけど実力のある方々」は他のあまたの結社へどうぞ 狩などの実力派の方々、まどかさんをあまりいじめないでくださいね。 もうもどろうか曼珠沙華つづく道 これも曼珠沙華に見とれて歩いてきたけど、 あまり行くと黄泉の国へ誘われそうでこわくなった という句 この句は下記の結社で出会いました。 昔、沖、狩、童子の猛者の方々が結社を越えて、水天宮界隈の居酒屋で 句会を開き、喧々諤々の句会を開いていました。 とても楽しい勉強になる句会でした。 結社によって意見が違うからおもしろかった。 落ちが必ずあるうまくできた句だけど、 うまくできすぎていてそこが物足らない優等生風の「狩」 何を言い出すか解らない野武士風の「沖」やその他の猛者連中の、 句も飲みっぷりも豪傑の方々が素晴らしかった! 結社を越えた句会ができたら、いつでも参加したい。 あの頃の句会が一番楽しかった。 悟りえて炎暑もすずし石地蔵 岡山県興福寺にて 雨脚も鯉に届かず楠若葉 倉敷市大原美術館前にて
2003/04/15
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最近、楽天以外のゲストの方の訪問が急に増えたのですがなぜかな。初めての方?あるいは友人の方々?ぜひ、左記の「メッセージを送る」欄の私書箱か、掲示板へひとことコメントをお願いします。夜中3時とかの深夜の訪問者は一体誰なんだろう?メールアドレスを記入くだされば返礼に伺います。カスピ海のそばのアゼルの首都バクーは昨日の日曜は無風快晴の良い天気でした。遺跡の喫茶店で古い城壁を二枚描き、いあわせた若者グループの一人に頼まれて描いたらチャイという紅茶をごちそうしてくれました。夜は、こちらの民族音楽の遺跡のレストランに行きました。なんと、楽器がキーボードとピアノの他にはサキソフォンとバイオリンと言う不思議な組み合わせ。しかしリリックな曲には良く合っていました。そしてアゼルの物悲しい曲を切々と演奏したのは良いのですが、髭の歌手が出てきて歌う曲が、なんと千昌夫の歌う演歌にそっくり。しかも、胸元と腰周り豊かなベリーダンサーは辺見マリ嬢にうりふたつ。神様が面倒くさがって、どうせばれないだろうと同じDNAを流用したのではないか!と思ったほど、不思議な体験でした。ここらで本題、「聖なる予言」と言う文庫本を読んだことがありますか。人生には、誰かが我々を導いているように不思議な偶然の一致があるという説。人生の節目で、偶然とは思えない出会いやきっかけで救われたり、誰かの示唆に導かれたりして現在の自分があると言うようなこと。私には、今の自分を決定的にした人々、自分が出会いたいと望んでいた人と、よくあの時、あの場所で出会ったものと言うような人がいくつもあります。木の葉虫というのを知ってますか?木の葉そっくりの葉脈まであるような羽根をもった虫のこと。木の葉虫があのように姿を進化させるには、木の葉虫が、そういう姿になったら鳥に食べられないという知恵をもたなければ、偶然の進化ではとてもあんなにはならない。しかし、木の葉虫にはそんな頭脳はない。木の葉虫がそうなるには、そう言う知恵をもった第三者がいて虫の進化を意図的にコントロールしなければあれほど芸術的な一致にはたどり着けない。ではその第三者とは誰?私が、宇宙には、そう言うすべての生き物の運命をつかさどる宇宙の意思(=神)のようなものがあると信ずる由縁です。皆さんの同じような体験があったらぜひ掲示板で紹介ください。他の人にも偶然とは思えない出来事があるのかとても知りたいのです。
2003/04/13
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誰にも好きな歌詞がいくつかあるのでしょう。僕にも好きな歌の言葉がある。それはバーバラストライザンドが歌う”MEMORY”原曲の言葉がとても美しい歌です。よく一人で旅するときに歌っている歌。誰かに逢いたくなるに違いない歌です。それが誰かは歌ってみるとみな気づくでしょう。それは一人の人の面影ではなくて、いっしょにすごした誰とはいえない多くの仲間の顔かもしれない。誰もがそんな思い出をもっているはず。”Memory lights the corner of my mind , misty water-colored memory of the way we were .Scattered pictures of the smiles we left behind, smiles we gave to one onother for the way we were.Can it be that it was all so simple then , or has the time rewritten every lines ?If you had the chance to do all again , tell me what will be ? Could we ?Memory may be beautiful but if it’s too painful to remenber ,we simply choose to forget ・・・” 確かこんな歌詞でした。 短歌で意訳すると以下のような意味になるでしょう。 思い出は霧の彼方の水彩画浮かびくるのはほほ笑みばかり 歳月が書き換えるとも美しき痛みともなう過ぎ去りし日々 いま一度生きるなら如何ならむまた愛しあうかと君問うなかれ ”Scattered pictures of the smiles we left behind” 「皆が過ぎ去った日々に残してきたほほえみの数々の情景・・。」 この美しい言葉を歌うとき、いつも胸が熱くなってくる。 散りゆけば一過の夢や花の日々
2003/04/12
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イラク戦争の終結をつげた昨夜、奇しくもアゼルバイジャンのバクーではBP(英国石油資本)主催の戦勝祝いならぬ300人の舞踏会が開催された。これから書くことを考慮するとトップの喜びはひとしおだったろう。石油は、電力、輸送、兵力、すべてに強大な力を及ぼす他とはかけ離れた製品。数社の石油会社の売り上げは、日本の国家予算の30%近い、巨大な会社。かっては、たった7つの企業がカルテルを結び価格操作して莫大な利潤をあげていた。自動車産業が生まれた頃、敵を非情なほど叩き潰して大きくなったロックフェラーの会社が独占禁止法で解体されてできた7つの石油企業。「セブンシスターズ」と呼ばれるロックフェラーが生んだような7人の娘たち。名前はかわいいが、やることは、戦争でもなんでも画策すると言われている非情な集団。テキサスの田舎者集団と言われるエクソンを筆頭に、シェル、BP(英国石油)、ガルフ、テキサコ、モービル、シェブロン。ほとんどがアメリカの企業。2社に英国とオランダが参加している程度。いまも基本的には、構造は変わらない。この国家なみの巨大産業は、国政すら軽視する秘密主義。巨大な利潤を使って、国家すら動かせる。米国務省は、常に石油資本の味方。サウジの王様のさまざまな追加の金品の要求費用分は、税金を減額するという悪法を作った。つまり利潤は企業が受け取るが、損失はアメリカ国民に負担させた。怖いのは、これらの企業は利潤追求のためには何でも行うこと。戦争中の敵国ヒトラーのドイツやフランコにも平気で軍艦や戦闘機用の燃料を売った。BPの株主は51%はチャーチルの知恵で英国政府。官僚的なBP(英国石油資本)の政治音痴はイランとの交渉に失敗。このために石油危機を招き世界を震撼させたが責任は取らない。イランがBPの石油資源を国有化したとき、英国政府は真剣に戦争を仕掛けるか討議した。今回のイラクの石油生産量は世界3位だが埋蔵量は世界第2位。米国の石油取り扱い量の20%近いイラクの莫大な石油利権。この利権にはイラク戦争に参加しないと、ありつけない。英国がブッシュとフセインの喧嘩に加担している理由でもある。アメリカの石油資本にとって、利権を手中にできる、これほど都合の良い戦争はなかった。米国国務省をけしかけて戦争を起こして、犠牲や出費は国に負担させ利益だけは濡れ手に粟で自分たちが確実に受け取れる。戦争では、戦利品の分け前はつきもの。セルビアでは戦争侵略国の美術品が根こそぎ略奪され闇に売られて、独裁者ミロセビッチ等の私腹をこやし、武器購入の資金となった。イラク戦争の戦利品は当然ながら石油の利権。戦後復興策を国連をとおさず、自分たちで決定したい背景もおのずと明白。戦後の復興には、日本にも負担させ、石油の利潤はアメリカが取る。イラク戦争は独裁者の圧制から民を解放しテロを防ぐ正義のために行われたのだろうか?
2003/04/11
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無事、アゼルバイジャンの首都バクーへ到着。明日からこちらの大勢のエンジニアが待っている技術指導へ。みな熱心で誠実だからやりがいのある楽しい仕事です。飛行機の中で米国の新聞を読んでいたら、切ない戦争での出来事を米国の兵士が告白していた。イラクの町の掃討作戦であるビルの中に入ったら、機関銃をもったイラク兵と遭遇。一瞬早く銃撃して命拾いしたが、その後が切ない。10歳にも満たない少年が物陰から出てきて、その機関銃を持ち上げようとした。兵士は打つべきか一瞬迷った。少年とは言え機銃掃射されたら自分が死ぬ。訓練どおり引き金を引いた.そして少年は即死。その後、さらにまた少年が出てきて死んだ少年の死体をひきずっていこうとした。命をかけた少年の行為を兵士たちは緊張して見ていたが、今度は誰も打たなかった。少年を殺した若い兵士は呵責を感じる自分に言い聞かせたそう。「これが戦争の現実なんだ。」と。反対者を残酷なやり方で苦しめ、数十万人を殺害したフセインは確かに悪人。しかし湾岸戦争でフセインを追い詰めていながら、父ブッシュのよびかけで、フセインに反対して立ち上がったイラクの良心的市民を裏切って見殺しにしたアメリカには良心のかけらもない。フセインにイラク市民が残酷に殺されていくのを知っていて裏切ったアメリカ人。なぜ、前回フセインを追い詰め、反対派を助けなかったのか。昨日読んだ「セブンシスターズ」と言う本で理由がわかった。7つの国際石油資本のあくどい利潤追求を語った文庫本。その原因は国家予算に匹敵する巨大な米国石油資本の、これまで米国国務省と一体で世界の石油戦略を決定してきた経過をみれば明らかだった。要はフセインの方が戦争賠償で安く石油を買い叩けると判断したこと。米国にとってフセインの方が莫大な利益を米国にもたらすのに気づいた。新しい政権がイランのように言うことを聞かなくなるよりフセインの方がまだ利用できると判断したからだった。たとえ、それによって一緒に戦ったイラクの同胞がフセインに残虐な殺され方をしようとも。現実に、湾岸戦争後、イラクでは数万人が虐殺され、一方で、アメリカ石油資本はイラクより、市場より安い価格で石油を購入、さらにひどいことに、その差額を賄賂として送った。フセイン親子は、これで私腹をこやし兵器を買い権力を強化させた。アメリカという国のエゴイスチックな正体である。その助けたフセインが売買はドルでなくてユーロで支払うとアメリカのドル支配に盾突きはじめたので腹を立てた。今回の戦争の一因でもある。正義を唱えるブッシュの影には黒い意図が渦を巻いている。これで何でもやれると驕ったアメリカが傍若無人に振舞いだしたら、ほんとうに御しがたい恐ろしい国となる。
2003/04/08
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Now I am at the business center in Frankfurt airport. German PC don’t have Japanese character, then I must write in English.I will fly to Azerbaijan by tomorrow flight watching American missiles flying to Iraq. Tonight I will enjoy German beer with Frankfurt sausage at Alt Stadt (=old fassioned German town ) .Many thanks for friendly visiters on this HP .
2003/04/07
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明日、成田をたってふたたび楽しい人と仕事が待っているコーカサスの国へ。したがって、数日、楽天仲間と交流できず。ある日、突然目が見えなくなったようなもどかしい感じ。これを楽天病という。進化の遅れた近代人特有の症状。昨日は故郷長崎の街をひとりでゆっくりと散策しました。長崎に帰ってからいつもすること。1.南山手の異人館の丘を歩いて、対岸の造船所の風景をぼんやり眺めること。 くしくも、豪華客船が外洋航路へ出発。 白い船体を回転させていて黄昏の光芒の中。 春潮や船体重くゆるぎなし 2.骨董美術館のような喫茶「銀嶺」で、ケーキ付紅茶をゆっくり楽しむ。 オランダ渡来のビードロ花瓶、清水昆が描いた西洋奇譚という風刺画、 明治、大正の雰囲気と、良く選曲された心地よい音楽がいい。 時間がたっぷりあれば、本棚の画集を。川上澄江の版画集や 新劇の創始者の息子さんが描いたという、長崎、おらんだ、千葉、札幌の風景画。 とても誠実に描かれていてすっかり見入ってしまった。 ビードロを透かし画集の春陽かな 3.長崎の美味しいものを満喫すること。 福田港のでっかい竹輪を柚子胡椒で味わう。 この柚子胡椒の美味しさをしったらわさびは味気ない。 ちゃんぽんと山盛りの皿うどんを皆でいっしょに食べる。 大波止の屋台で九州ラーメンを食べる。 屋台がなくなってた! 銅鑼鳴れば波立つ春の旅こころ4.長崎人の心のよりどころ、御諏訪神社にお参りすること。 僕の幼稚園は、この神社の付属幼稚園。 学芸会では五人囃子の笛吹きだった。 冴えない男の子が御内裏様になったので、当時、大いに不満あり。 大人になって母に聞いて謎が判明。 御内裏様は寄付がもっとたくさん要ったとのこと。 記念写真のおり、可愛い子に上から砂をかけて叱られた。 好きだからやったのにと不本意な顔の記念写真が今も残っている。 御諏訪神社のお払いは、笛と太鼓で巫女が舞い本格派。 今回は、1万円を母が払ってくれたおかげで、最上段の神殿、 金色のお払い具で、神妙に渡航の厄払いを受けました。幼少のみぎりよりたっぷり神仏の加護を受けたせいか、 人生の節目で、偶然の危機一髪で、救われることあまた。 仮に、ルフトハンザが弾道ミサイルの誤爆で攻撃されてもかならず、すりぬけて助かるはずです。さあ、出発! 雛は変わらずむかしむかしの笑み浮かべ 絵は、川上澄江氏の版画集より
2003/04/06
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九州の美しい桜の名所を紹介します。お城へと歩む参道は重なり合った八重桜のトンネル。夜にぼんぼりに照らし出される桜の参道を、小さい頃みんなで歩いた時の幸せな日々を思い出します。 城跡や 夜を重うして 八重桜ここは、長崎県の大村城。西郷隆盛の軍と戦って敗れた古城です。コーカサスへ旅立つ前に、故郷の桜の城を母とたずねて親孝行と墓参りをしています。中学校の入学式のあと、ここのお城で桜を見ながら母と梅が枝餅という美味しい餅を食べた思い出。小豆餡は練れば練るほど、真っ黒な艶がでてきます。そんな小豆餡の団子を白い練った白玉粉で包んで、少しこげる程度にやいた梅が枝餅の美味しいこと。 昨日、母とともに、再び、たずねました。もうひとつの美味しいものは、金色の糸のような卵焼きを四角い寿司に飾った大村寿司。市内の双葉食堂と言う店の大村寿司は天下一品。今日は、長崎は珍しく晴れで風の強い日です。高校時代、ひとり下宿して歩いた町のどこにもさびしいけど、懐かしい思い出がつまっています。 まさしく 「故郷忘じがたく候」司馬遼太郎さんが書いた、鹿児島の陶芸師沈寿官氏の故郷について語った名著の名。寿官氏の講演を聞いて感動して、鹿児島をたずねました。陶器を見て帰ろうとしたら、たまたま出てこられた寿官氏。誘われて、楽しい夜の集いに招かれました。思ったとおりのおおらかな優しい人柄の方でした。九州には、そんな情の厚い人々との思いがけない出会いがたくさんあり。九州に帰ると、空気が濃くなるような感じがします。
2003/04/05
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歴史を読むおもしろさと共に歴史の過酷さを感じています。8日から滞在するアゼルバイジャンのカスピ海を隔てた東の地域が中央アジアといわれる東洋と西洋が接するシルクロードの交易地。チンギス・ハンによって安全なシルクロードの交易が可能となったが、そのために殺された沿線の都市の全住民は500万人に上ると言う。セルジュークトルコは、200年君臨するが、モンゴルと交易した450人のモスレム商人を殺害したことによって、チンギス・ハンの激しい怒りを買った。地平線のかなたから現れたハンの大軍は、やがて首都ブハラを攻撃、3万人を殺害し、次々と都市を殺戮し、焼き尽くしていく。詳しくは左記の「シルクロードの悲劇」をご覧下さい。
2003/04/03
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