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カスピ海の街を飾ったライラックの紫の花が地面に散り敷いている。 リラ散りぬまぶたに栄華残しつつ春が突然やってきたと思っていたら、あっと言う間に、もう初夏。緑の木陰の石畳のいたるところに、テーブルが置かれ始めた。そんな屋外レストランが、いまとても心地よい。街は、夜9時ごろ日が暮れるまで、若者たちにあふれはじめた。若い女性群も、ライラックの花のように鮮やかな薄い夏衣をまとい始めた。仕事にいくタクシーの中からぼんやり外を眺めていても目のやり場に困らない。黒い二重まぶたの長いまつげの起伏のある顔立ちの女性群は、何を着てもさまになる。胸がゆたかで、お尻は後ろにプリッと突き出ていて、子供が座れそうな人もいる。今日、一日、技術文書の指導をした子持ちの独身技術部長も超美人。マライヤキャリーの舞台衣装のような真っ赤な薄着のドレスを着て登場。違うのは、「ここはこう書き換えるように」といっても、決してすぐにはうんと言わない。アゼルバイジャン人特有の頑迷な鉄の魂をもっている。アイアンレディと言われたサッチャー首相も舌をまくほど。説得しているうちに頭痛がしてきて、水入りとなった。アゼルの家庭料理が食べたいといったら先日家に招待してくれた人。一人で行くには、怖気づいて仲間とふたりで訪問。絵の好きな息子に絵を教えたりしてなごやかに歓談。その時は、こんな綺麗な人がどうして離婚したんだろうと思ったけど・・・。こんな激しい女性をもらう命知らずの男性はいるのかなあ。講義の帰りにいそいそと口紅を塗っているので、誰かいるのだろうけど。さて、街はいずこも恋人たちの季節。まさしく「青春の光と影」と言った光景がいたるとこにあった。 人みなに主役の日々のありにけり青春と言う光芒の中いつも買いにいくCDショップの陽気な店長も恋をしているよう。たくさん買った御礼に、秘蔵のDVDをくれると言ったのに、なんど行ってもT0MORROWと言う。何故かと聞くとどうも自宅に帰ってないらしい。そのわけはおのずと知れた。最近、仕事を終えて立ち寄ると、いつもこんなクレオパトラの娘がいる。瞳の大きなカスピ海美人。これ以上瞳を大きくしようがないと言うほど、瞳が顔の主体になっている。絵を描いてプレゼントしたけど、とても描きやすい。この女性がCDを買うわけでもないのに、いつもいる。やや太って陽気なだけがとりえの彼にも、恋の季節が訪れたよう。こんな大きな瞳に見つめられて、何か言われたら・・・・。誰もNOとはいえないだろう。僕も、そんな瞳のとりこになった。ほんのしばし絵を描いている間だけ、幸せなひとときでした。 無心てふ瞳見つめて春の夢
2003/05/31
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カスピ海からの海風が吹き付けるバクーの街に、コーカサス地方らしい花にあふれた春が突然やってきた。ポプラの綿毛が一面に街を飛び交い始める頃ライラックの花が公園にも、石造りの家並の中庭にも近道して帰る広場の、サッカーしている子供たちの遊び場にも咲き乱れている。美しい小さな赤紫の花が枝ぎっしりと覆う花木を、はじめ、花ずおうと思った。しかし、これがあのシャンソンで昔聴いたあの「リラの花咲く頃」の懐かしい名前。ライラックの花だった。テニストーナメントの帰り、タクシーを停めて写真を撮っていると、ハンサムな鼻高の若い運転手君が一枝折ってくれた。 さりげなくリラの花とり髪に刺し 星野立子東洋の異人が自分の国の花を愛でてくれるのがとてもうれしかったよう。さかんに話しかけてくる。さて、そのテニスの上位トーナメント戦はかくのとおり。このトーナメント SOCAR CUPは、アゼルに来ている外国石油資本のエグジェクティブクラスが主催していると思っていたら、カズと言う愛称でみんなに呼ばれている日本の方の個人的尽力による業績で、日本の石油公団関係の川本さんと言う人が、ほとんど一人で企画立案してここまで大きくしたそう。参加したアゼルと海外の石油関係者は総勢100人。これだけの人脈を日本の外務省が作り上げるにはそうとうな努力と出費が必要だろうと思った。さて第一試合は、最初から秘策のグルジアワインを一杯飲んだので緊張はまったくなく快調。敵方が怖気づいているという情報が入っていたので、強気でどんどん前に出てボレーをした。ボブさんのサーブの返球をポーチして面白いように鋭角に決まる。巨漢のバイキングのようなボブさんは優しい紳士だった。僕がボレーを決めると「ビューティフル!」と声をかける。自分に有利なジャッジでも、間違っていると審判に訂正を申し入れる。いっしょに組んでテニスをしてこんなに気持ちの良い人はいない。さて、勝っていると、相手がよく見える。ロブが苦手のように見えたので、前衛の後ろにロブを上げるとやはり、甘いロブが返ってくる。ボブさんとふたりでスマッシュを楽しんで決めあう。ボレーとスマッシュを心地よく楽しんで初戦は6-1で快勝。 さて、2回戦。相手はねちっこそうな典型的アゼル人。調子ついたら手が付けられないタイプ。前半は互角。ボブさんも僕もサーブが良く決まった。しかし敵は動物的なほどアグレッシブなアゼル人。勘が鋭い。ボブさんが膝が痛くてあまり動けないのを見抜いて鋭角に返球してくる。僕がテニスエルボーで強く返球しないので、ポーチされる。しかし、こちらもふたりとも前に出てボレーで決めあう。センターコートだったので、アゼル人と外国勢との拍手合戦もあって気持ちよい試合だった。ほとんど互角。しかし優しい決め球をふたりで続けて落とした。これが勝負を決めた。終わってから、多少の後悔の念。たとえてみれば小さい頃、まだ遊びたくてしょうがないのに、母から、もう家に帰ってきなさいと言われたような感覚。もっとテニスしたいのに、もう今日はできない!それでも良い試合だったよと皆が言ってくれた。いつも練習しているBAKU テニスクラブの中では、一番、最後まで残っていたよう。翌日のハイヤットホテルでのパーティでは、来月帰国するカズさんと奥さんが、会長から大きな薔薇の花束を贈られていた。なごやかな雰囲気の中で、仲間との会話と各種ワインを堪能。テニスのおかげでいろんな人と出会い、良いひとときをもてました。ライラックの花の咲く頃の異国での良い思い出となりました。 歓びを陽に踊らせてリラ匂ふ 俊介
2003/05/27
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天領で格式のあった倉敷人は、個性豊かで面白い人が多い。一方で、東北の人々のように、天変地異や飢饉などでともに苦労したことのない、豊かな穀倉地帯の岡山県人は、燃えることや協調性がない県民性と言われる。業を煮やして作った県庁のキャッチフレーズが、 「燃えろ。岡山!」岡山の方は、このアゼルバイジャン人に燃え方を学ぶと良さそう。ヨーロッパの田舎者と言われるアゼルの人の燃え方は一味違う。この国の方は、とにかくアグレッシブ!と言うか、燃えやすく自己主張が強い。とにかく譲り合うということをしない。車は、我先にと、人が歩いていようが突っ込んでくる。会議では、小さな事にでも、向きになって口角泡を飛ばす。驚いたのはアゼルバイジャン人のテニスの楽しみ方。テニスは、紳士のスポーツなんて、ここでは通用しない。その攻撃的性格が、いろんな形でまともに現れてくる。まず、一球必殺と言った勢いで全力で打ってくる。気を抜くことをしない。相棒がミスすると、激しい口調で叱咤激励する。親子の間でも容赦はしない。審判がジャッジを間違えるものなら、大変。しばし中断して、熱い討論が始まる。そんな光景をまじかに見る機会があった。バクー市の公園に花ずおうの紫の花が咲き乱れる頃、SOCAR CUPと言うテニストーナメントが行われる。潤沢な資金をもつ石油資本が支援するもので、バーベキューパーティあり、カクテルパーティありの楽しいテニストーナメント。先週の週末、いよいよ50組のペアが参戦して行われた。この企画立案は、現地のJAOCの日本の方の努力で始まったよう。私も巨漢のボブさんと組んで参戦。1回戦は、メインコートに緊張して絶不調。迷いだすと、最後の振りきりができないから、サーブもスマッシュも決まらない。そこで、2回戦からはいつもの秘策を実行。グルジアのトビリシワインを2杯ほどあおった。これで緊張が取れて、続く2試合は快調にサーブも決まって快勝。相棒のバイキングの子孫ボブさんの活躍もあって、結局リーグ2位、今週末の上位トーナメントに進出できた。同時に親子あり、夫婦カップルあり、同僚同士ありのさまざまなアゼル人の人間模様を見ることができた。練習試合で私が歯が立たなかった上手な娘さんがいたが、お父さんの激しい言葉に傷ついて調子が出ず敗退してしまったり。おとなしく上品そうな奥さんが、旦那さんがミスする度に「オラオラ」と、激しく批判するので、だんなさんがおこったり。試合の面白さは、見物している方がはるかに楽しい。とにかく、アゼルの人達の向きになって言い合う舌戦は見ごたえがありました。今週末、美味しいトビリシワインに勇気付けられてまた、がんばります。
2003/05/21
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女の子は、男よりも芯が強いと良く思うことがある。女の子には男以上に不思議な底知れぬ才能がある。私の父は、九州の地方の裕福な呉服屋のお坊ちゃんだったそう。学生時代は、バイオリンを弾いたり、蓄音機でクラシックを聴いたり。大学卒業の時は、成績優秀で金時計をもらったとか。そんな父が事業を始めて、いろんな出来事があって仕事の心労で他界。それまでおとなしかった母は一変して俄然、強くなっていった。子供を育てるために慣れない仕事で遅くまで働いていた。子供3人、母の帰りを待ちながら、晩御飯を作った。貧しくて、ご飯が4人で食べるだけ買えなかった時。そんな時は妹と薩摩芋を買ってきて、サイコロに刻んで入れた。この芋で甘味の増したおかゆの美味しかったこと。そんな日々、妹は、ひとりでいつも何か歌っていた。ままごとのござの上で、人形を着せ替えしたりしながら。どんな辛いことがあっても、弱音をはいて母を困らせることがなかった。妹の歌う歌は、ラジオで聴いたことのない自分で創作した歌ばかり。僕は、「またうその歌を歌っている」と、からかった。それが、どれだけ妹を傷つけたか知ったのは大きくなってから。口数の少ない妹に、ある時ふっと言われた。人の作った歌より自分の歌を歌いたかったと。本当は、歌手になるのが夢だったそう。兄は音楽が好きにもかかわらず音痴。何度聞いても音程を外す。妹は一度歌を聴くとどんな歌も覚えて歌えた。妹は、歌えないのではなくテレビなどの歌が嫌いだったよう。僕が「うその歌」と言った歌が妹にとっては「ほんとうの歌」だった。今になって、ひどく反省している。いつしか妹は兄貴ふたりよりはるかに芯の強い女の子になっていった。中学の修学旅行の時、小遣いをたくさん渡した。しかし少女らしい土産物はなにもなくステンレスの鍋だけ。我が家の使い古した鍋は、鉄製でかつ柄が外れかかっていた。妹は、旅行先で見つけた美しいステンレスの鍋に魅了されたもよう。先生にからかわれて、何を買おうと勝手なのにと本気で怒っていた。「修学旅行で鍋を買ってかえったとよ。あきれた。」と母は笑ってた。妹は、何も言わずに高卒で就職。本当は大学に行きたかったよう。大学時代、読んで感動した本はすべてみかん箱で妹に送った。だから兄が孤独な時も妹だけはすべて見通していた。孤独で虚無的になった時、妹と言う存在はありがたかった。妹が悲しむようなことはしてはいけないと思った。妹は結婚して、しばし悩んだようだった。ふっといなくなったことがあると母にあとで聞いた。そしてひとりで京都を旅してきたと言って一週間ほどして戻ってきたという。兄にも語らなかった思いがあったことを初めて知った。あとで聞いたら、「うん。ちょっとだけね。」と笑って多くを語らない。しかし、妹とは以心伝心、おおよそ察しはついた。今は、絵に描いたような花のあふれた庭のある家で幸せに暮らしている。銅版画は、そんな「遠い日々」を思い出している少女の像。
2003/05/15
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長崎県大村市の中学校の頃、「あごじじい」と言うあだなの絵の先生がいた。みんなの描いた絵を見ては、非難ばかりしていた。この先生の言葉に傷ついて一生絵を描かなくなった友達がいる。それまで、絵でいろんな賞を得ていた女の子だった。ある学校で、全国版画コンクールの上位10位のうち8位を独占した田舎の学校があった。NHKが秘訣をその先生に聞いたら先生は言った。「簡単なこと。誉めること。そして版画を好きにならせること。」「好きになったら、自分でうまくなっていくものです。」と。どうしても版画が嫌いな不器用な子がいたそう。先生は言った。「天井の木の木目を彫れ。」と。そして懸命に彫った「木目」に百点を与えた。その日から、その子は見違えるように熱心になったと。そうです。誉めること。子供がいろんなことをし始めた時、大人の基準で決して批判してはいけない。「窓際のトットちゃん。」も同じ。それまでの問題児が、嬉々として才能を伸ばし始める。脳には、使う機会がなかった細胞が半分以上あるそう。貴方のお子さんは、貴方の数倍も才能を持っている。あらゆる枠をはずして自由に解き放ち誉めてあげること。そしたら、神様がひそかに与えていた思いがけない才能が目を開きます。貴方が出来なかったピアノを自分が好きだからと嫌いな子供にさせる親は才能を歪めるだけ。好きなことは自分で始める。自分で動き始めたら、かまってはいけない。才能はほめるだけの方が無心な花を咲かせはじめるはず。さてこれからバクーの街を散策に出かけます。モスクワ郊外の夕べを露西亜語で歌えるようになりました。露西亜語を語る人々と心を通わすのが好きだから上達も早い。 ざわめきもいまはなく、ものみなまどろむ。そんな美しい芽吹きの春のコーカサスの宵を散策してきます。
2003/05/14
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日曜に、アゼルバイジャンで初めてのコンサートに行った。歌手はアゼリン。小柄で美人でもない。しかし、会場はほぼ満席。花束を贈るファンは数知れず。日本にはいない歌手。ジャズの楽団とセミオーケストラを背後に控えさせてモーツアルトの20番を歌うかと思うと、ミュージカル「ノートルダムのせむし男」の華麗な美しい曲を歌った。オペラも歌えば、ジャズも歌い、演歌のような歌も歌った。朗々と頭のてっぺんから突き抜けるような声量で。佐藤しのぶよりも、声が通り、かつ自由奔放で、八代亜紀の石狩挽歌よりも、切々と心に響き、杉田真理のシャンソンよりも美しい声の色を持ちどの曲も”アゼリン”だった。彼女にしか歌えないような豊かな歌いっぷり。演歌風と言っても、男女の間の感情を歌う演歌ではない。いわばアゼルバイジャンの民族の声と言ったような歌。過酷な歴史を経てきた民族だけが歌える悲しみの叙情と激しい情念がほとばしるような歌が劇場いっぱいに響きわたった。2時間半、うっとりとして皆が聴き入った。 終わって夜の石畳を帰りながら思った。民族共通の悲しみとか情念とか言ったものが日本には無いのでは。なぜ?他国から侵略され、他国人に支配された体験がないから?ポルトガルも、その点では、さほど条件は違わないのに、民族の悲しみを歌うようなリリックなファドがある。日本では、演歌歌手、オペラ歌手、フォーク歌手と多様だが、自ら枠にはめて、そこから出る人は少ない。そのせいか、日本民族は、他には、優越性をいつも語る民族でありながら、意外と民族共通の心情を語る音楽と言った現代でも通用する叙情的世界が欠落している。
2003/05/12
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今日は、バンコックから船に乗ってアユタヤ遺跡までゆったりと1日船の旅をしてみましょう。子供たちは、この旅ですっかりタイのファンになってしまいました。絵のように色とりどりの変わった形の舟が行き交っています。それは川べりの豊かな活気ある人々の生活であり、川そのものが生命を持っていることの証し。ダムとコンクリートで死期を迎えている日本の川とは違う。さまざまな初めての光景と人々の生活が垣間見れます。船の上で料理を作っていたり、昼ねしていたり。手を振ったら、子供たちが得意げに飛び込みの雄姿を披露してくれたり。川に支柱を数本、それに床を敷いて屋根を葺いて、眠っている下を川が流れ、風が流れていく。熱帯の樹林の向こうに、何度も白い寺院が見えてくる。貧しいけど、敬虔な人々の帰依で寺院は豪華絢爛。巨大な仏陀の涅槃像も途中立ち寄った寺院で見れます。その足の大きさだけでも、子供くらいとでっかい。金箔を買って貼り付けましょう。きっと仏陀の御加護が不信心な貴方にもあるはず。タイの王家の避暑地の宮殿にも立ち寄りましょう。ブーゲンビリアに似た紫の花や黄色い花が咲き溢れている宮殿の庭。タイが素敵なのは、大和の国と違って疲れた人、不機嫌そうな人、居眠りするような人がいない。みな貧しいのに活気にあふれ笑顔にあふれている。公園で車座になってるので写真を撮っていたら、安いタイ産のウイスキーを勧めてくれた。若者たちも人なつっこい。娘が乗りたがった戦後の人力車風の早籠も威勢がいい。朝の通勤前、延々と並ぶ屋台の列は、美味しい朝粥や辛いけどうまいたくさんのおかずが数え切れないほど。スペインを旅した時の朝食の品数の少なさとは雲泥の差。なにせスペインでは朝食は乾いたパンとハムばかり。汁気がない。朝スープを頼むといつも「そんなものないよ」と素っ気無い。それに比べてタイの人は料理にかけては朝から創造性豊か。市場や屋台は粗末だけど、多様である。生きてる歓びにあふれている。 夕食は、川べりに突き出た海鮮料理屋がいい。魚料理でこれに勝るものはなかった。アマダイに似た魚を丸ごと一匹、香辛料とともに炒めて、色とりどりのピーマンや野菜が辛いあんかけをしてどさっと出されるはず。白い魚肉に、えも言われぬ不思議なスープをたっぷりまぶして食べる美味しさ!大豆でつくった醤油と違って、魚を発酵させて作った醤油の味の濃くのある基調に赤や緑の香辛料が重なり合っていた。アユタヤ遺跡は、これぞ遺跡!と言う雰囲気。古代の宮殿跡が古色あるたたずまいで夏のアカシアの木々の木陰に無造作に広がっている。 これこそ 万緑や朽ちゆくものはとめどなしといった風情。 今から6年ほど前、元気にテニストーナメントに出ていたかみさんは、晴天の霹靂のように癌を宣告された。千葉のK病院の外科医は、家族との相談もなしに本人に平然と癌を宣告していた。抗がん剤を使っても余命2年、使わなければ半年後もありゆると家族は告げられた。かみさんは入院して抗がん剤で苦しむより、同じことなら自宅で、子供に囲まれて死にたいと外科医の勧める抗がん剤を拒否。おかげでその後その外科医の回診の度にいじめられた。しかしその後、素晴らしい免疫学の先生方と出会って6年まで生き延びれた。人間万事塞翁が馬。あの時、優しい先生に諭すように抗がん剤を勧められたらどうなっていたかわからない。最近訪れたら、外科部長になっていた。死期近い患者を診察のたびに虐める傲慢な外科部長に出会ってかえって良かった。しかしこの外科部長を決して許しはしない。最近ようやくセクハラではなくてドクターハラストメントと言う言葉が生まれてきた。いつか千葉大医学部長に会って、貴下はいかなる教育を医者にしてきたのかと事例をあげて問いただしてみたい。それほど、この外科部長の態度はひどかった。ある時、仕事を終えて病室にいくと娘があまりのひどさに泣いていたことがあった。ともあれ、かみさんが免疫療法のおかげで、寝たきりだった脊椎の痛みも消えて、歩いたり普通の生活ができるほど一時元気になった。梅雨の晴れ間のような小康状態の時、家族4人でタイ旅行に行った。たゆとう船の心地よい揺れにまかせて、船首では嬉々として楽しそうに話している息子と娘がいて、それを静かに見つめるかみさんがいた。そんなひとときの幸せな気持ちをこの絵に描きこんだ。思い出の一枚、多くの言葉のいらない日記帳。 幸せは たゆとうものか 夏の舟
2003/05/10
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今日は3つの国の両手のない子供の悲しい話。一人は、タイムなどに載ったのでご存知かもしれないけど、アメリカのイラク攻撃で被弾した少年のこと。両手をもぎ取られて、下半身も激しい火傷を負ってなおけなげにテレビクルーに語りかけていた少年の画像は、こちらの衛星放送でもたびたび取り上げられた。枕元には、彼の親戚のお婆さんが悲しみに必死に耐えていた。もっと、悲しいことは、この少年はまだ知らされていなかった。彼の両親も家族ももうこの世にはいないということ。あまり残酷なので、期間限定で掲載します。見えなくなったら、想像してください。痛々しさに目が向けられない画像です。アメリカ人は、自分の子がこのような目にあう場合でも独裁者を倒す必要な戦いと侵攻するだろうか。この子のかなしみを誰が償えるのだろう。 もう一人の両手のない子は女の子。いま、NTT出版の「バルカンの亡霊たち」という本を読んでいる。これは、サラエボオリンピックで、あれほど楽しい祭典を行った人々が、長い複雑な歴史の中で憎しみを蓄積し、そして民族間の殺戮がふたたび始まる経過を詳しく語ったものです。それはセルビアのミロセビッチと言う非道な首相によって、今回の民族間の抗争が始まるはるか以前の1941年のこと。ルーマニアのブカレストの正教会では、賛美歌を歌い聖水で清める一団がいた。その教会から出た彼らは、その「復讐の行動」を遂行した。まもなく、直接は何の関係もないブカレストに住んでいたユダヤ人200人が家から引きずり出され1月の凍えるような暗闇の中で全員が裸にされた。そして郊外の赤レンガの建物のベルトコンベアにうつぶせに乗せられていった。彼らは、恐怖の叫び声をあげながら、自動化された家畜の屠殺装置の精密な機械の中に送り込まれ、頭と手足を切断され、その胴体はその一団の者たちによって、鉤をかけられ「食肉可」のスタンプが押されていった。翌朝、現場を目撃した人の証言では、5歳の少女の両手両足のない胴体が吊るされていたと言う。この地区のヨーロッパの人々だけが残酷だと思っている大和の方へ。日本軍の731部隊は、中国の人々を生きたまま、細菌実験に使った。草原に人間を配置し、チフス菌の入った爆弾を投下し、どれだけ「効果的に」死亡させるかを実験したり、零下20度の屋外に裸で放置すると、何時間で凍傷で死亡するかを実験した。やがて激しい痛みを伴う壊疽となって四肢が腐っていく経過を、治療をせずに「観察した」日本人の医者の一団がいた。犠牲者の中には、可愛い女の子を抱いたオランダ人の夫婦も混じっていたという。証拠隠滅のために、生き残った者はいないから、この少女も医者たちの犠牲になったはず。アメリカは、この「細菌戦に有効な貴重な実験データ」が欲しいためにこれらの戦犯の追及を放棄し医者たちは難を免れた。これらの人体実験を行った「血液学の優秀な医者たち」は、その経験を買われて、その後、血液製剤を開発する著名な企業に吸収されたと聞いた。その血液製剤を製造すると言う企業が、最近非加熱製剤で多数の人に死をもたらした○○○十字なら許しがたい。どれだけ悪逆非道なことをしても反省しない人がこの世にはいる。被害者として、いつも罪のない子供たちが巻き込まれる。本来、あの少年も、こう言う笑みにあふれているはずだった。写真は「絵を描いて」と集まってきたアゼルバイジャンの子供たち。 最後は両手両足をもがれた日本の子供たちの話。日本の子供たちは今、こんなにのびのびと遊んでおれるのだろうか。この子達は、日本の子供たちよりはるかに幸せです。1人あたり700万円を越える借金を将来の日本の子供たちに支払わせるようなひどい大人たちがいないからです。長い間、自民党の族議員と建設官僚は、公共投資という不要のダム、港湾建設を行って未来の子供たちに借金の山を築いた。収益を生まない投資はすべて返済できない借金となって残るのはわかりきったこと。インフラとは将来それを回収する税収があって初めて成立するもの。3%の口利き料欲しさに族議員は見境いなく借金の山を築いた。最近はそれだけではない。いま、銀行や企業の経営者が行った背任行為を隠すために、景気回復と称して「公的資金」と隠れ蓑風に表現した金が投入されている。つまりは、銀行の方々に正直に言わせると「高級をもらっている自分たちの失敗を、他人が汗した税金で埋め合わせてもらえるとても便利なお金」です。今日もあらたに投入することが決まったようです。したがって、この未来の子供たちに支払わせる借金は増加の一路をたどっている。日本の子供たちには、これから「両手両足をもがれたような希望に満ちた未来」が待っています。どの事例にも共通して言えることは、ひどい大人が子供の将来の夢を奪っってしまったと言うことです。
2003/05/07
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春がやってきたコーカサス地方は、一斉に木々が芽吹き始めた。そんな春の好日にプロポーズされた。毎週、日曜の午後は3時間ほど、バクーの外人テニスクラブなどでテニスを楽しんでいた。そんな折、華麗な美技?に魅せられたアメリカ人がいた。相手は各国の石油会社の老若男女10数名が集まるテニスクラブの中の一員。テニスの試合は、その日組んだ固定ペアでのリーグ戦。先日は、テニスエルボーもやや回復、調子が良い時はサーブが面白いように決まる。4本のほとんどがサービスエースの時もあって心地よいこと限りなし。こちらの人があまりしない、前進ボレーもかなり決まった。結局、3勝1敗。まあ組んだ人が良かったのも一因だけど。そしてプロポーズされた!ぜひ、あなたのパートナーに成りたい、式場は私が予約するからと。式場の名は、毎年バクーで主催されるテニストーナメント「SOCAR CUP」SOCARとはこのアゼルバイジャン最大の石油会社。この会社の副社長は、大統領の息子。今、アゼルバイジャンはアリーエフ大統領の国と言っていいほど、この人に総てを託している。アリーエフ氏はかってソビエト連邦のアゼル出身の高官だった。突然、プラウダでその収賄システムを批判されて失脚。しかし不死鳥のようによみがえった。連邦に属すると思っていたアゼルが、この大統領の指揮で連邦から独立。ソ連は首都バクーに侵攻。市街戦でソ連のタンクに押しつぶされたりして亡くなった人は1400人に登る。この大統領がテレビ中継中に倒れて今トルコで手術中とか。もし亡くなると激しい後継者争いが勃発する。息子を後継者にしたい大統領派と裏でソ連が糸を引いている反対派の抗争が始まる。この息子さんとは、「ピンクの象」という、ここで最も高級で美味しいタイ料理屋であった。険しい顔のボディガードが周囲を警護していた。公選と言う形でなんとか息子を後継者にしたい大統領派。これはテニス仲間の公選制度の導入できている外国人からの情報。公選といっても、あの悪名高いサダムでも100%支持だったように細工はどうにでもできる。息子さんは博打好きと言うことが国民に知れわたっているので今ひとつ人気がない。各国の石油資本は、アゼル人との交流の場としてこのテニストーナメントを開催したもよう。この国でテニスするのは高級官僚か裕福な人たちばかり。ともあれ、そんな政治事情を知らぬ気に、各国の石油会社が後援するトーナメントは4日間にわたって行われる。6チームのリーグ戦からトーナメントに移るので最低6試合は楽しめる。初日は試合後、ハイヤットホテルでのバーベキューパーティ!最終日は、表彰式のあと、カクテルパーティとか。そっちの方が魅力的!喜んでプロポーズをお受けした。相手はバイキングのような巨漢、エクソンモービルのボブさん。娘も好青年にこの春プロポーズされて新居を構えたばかり。今年は良いことが続きそうです。来週は、国際ジャズフェスティバルも始まるし、情熱的なオペラ「カルメン」も催される。休日は、フル転回となりそうです。大菩薩峠の山小屋から山仲間の楽しそうなドコモメールがきた時には我が身の不運を少し嘆いたけどしばらくは別の楽しみで満足しよう。なにせ、この国には山の地図やガイドブックがないから大好きな露天風呂のある山巡りがとんとご無沙汰。そういえば鳳凰三山のてっぺんからもドコモメールがこのコーカサスにも届きました。よかったらみなさんも意外な場所から下記へどうぞ。ae2a-stu@asahi-net.or.jpさて、今回の絵は、どこで描いたか覚えていない。けどこの国ではよく見かける「カスピ海美人」のひとり。カクテルパーティには、こんな人も来るのかなあ。
2003/05/05
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人の心は水彩画、油絵のように塗りなおしが効かない。脳にはシナプスという記憶中推が無限に広がっている。初めは無限の空白空間。そこに最初にインプットされた記憶は置き換えがなかなか効かない。なぜなら、一生使いきれないほどの記憶空間が残っているから。だから最初のインプットした体験は、ながく人生を左右する。裏切られれば人への不信。思いがかなわなければ自信喪失。同じタイプの人を追い求めるのもそのせい。たった一人との体験が世界中の人との対応の教科書になりかねない。心のトラウマも同じ。なかなか消えそうで消えない。消すこつはただひとつ。新しいメモリを重ねて、遠くかなたへ追いやること。とじこもって閉鎖空間にいては決していけない。思いつめて自分を滅ぼすか相手を滅ぼしてしまう。ナチスドイツで、優秀なゲルマンの血を純粋培養する実験が行われた。血統のいいゲルマンの夫婦から生まれた子供をすぐに親から引き離して英才教育を行った。結果はどうなったか?みな心に病をいだいたトラウマ人間になった。理由は明白。脳の巨大な無限空間に最初にインプットすべきもの、自己の拠ってたつ拠り所となるもの。幼い頃、全幅の信頼を置いていたもの。すなわち母親や父親の無償の愛の記憶がインプットされなかったからと言う。だから小さい頃、親の虐待を受けた人の立ち直るための努力は計り知れないように思う。しかし、通常の心の悩みは、そんなに深刻ではない。深刻と思っている間だけ。新しい記憶を重ねて吹っ切れる鍵をにぎっているのは「時間」。同じ思いつめた気持ちで1年も続けることは外界からのいろんな変化に対応するために不可能。だから辛い時はこう思うようにしている。「1年先でも自分が同じような気持ちでいるはずがない。」と。かならず「時」が解決してくれる。絵は再登場の「天使」こんな幼い頃に心に描かれた絵がそれぞれにある。皆さんの心には、どんな絵が描かれていますか?よかったら掲示板で語ってください。
2003/05/04
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人の心は水彩画油絵のように塗りなおしが効かない新しい絵をその上に塗ろうとしても最初の絵がいつまでも浮かび上がってくる。サンフランシスコの北の海辺にはピアという桟橋が突き出ていて、フィッシャマンズウオーフというたくさんのレストランや土産物店が不夜城のように遅くまでにぎわっている。好奇心にまかせて次々と店を探索し結局、生の音楽が聞けるにぎやかな場所はいずこも同じ。「アイルランドパブ」アイルランドが好きになった理由は人と人との距離が近いこと。飲み屋で目があっただけでにっこりと微笑みかけてくる。首都ダブリンには1kmに渡って居酒屋というかたいていは立ち飲みのパブが並んでいてどこも若者たちでいっぱい。ダブリンで有名なその通りの名は「教会通り」神もお酒も疲れた人の心を癒すからか。一人暮らしのおばあさんが寂しさを紛らわしにきても快く迎える温かさがある。冷淡で心底は意外と傲慢なイギリス人に幾世紀にもわたって虐げられた数百万人も飢餓で死んだ歴史のゆえか人々の心は、協力し合って生きる気風がある。そんな楽しいパブで夜も更けて帰ろうとしたが、なかなか坂の街のケーブルカーが来ない。仕方なくタクシーを探すがこれもこない。ようやくリムジンの黒い高級車が止まった。乗り込んで深夜のタクシーの運転手をみると黒いスーツの美しい乙女だったのでびっくり。サンフランシスコはある通りを越えると危険地帯がある。一流企業の秘書みたいな上品な人がどうしてこんな怖い街でタクシーを運転しているのだろうか。防弾硝子越しにそんな印象を話してみた。彼女はいつしか身の上話を語り始めた。「好きな人ができた。会社の上司、奥さんもいた。奥さんと別れるからと彼が言うので付き合っていた。会社も辞めた。彼は必ず奥さんと別れると言っていたの。でも、最近奥さんに子供ができたそう。彼の言葉が信じられなくなってきた。彼からの連絡もなくなってしまった。」そのとき思わず言った言葉がこの言葉だった。「人の心は水彩画。初めて描いた絵はいつまでも消えない。油絵のように塗りなおしが利かない。無理に忘れようとしても無理なんだ。しかし,どんな悲しみも、いずれ時が解決してくれる。後になって、あの時あんなに思いつめていたのがうそのように思える時がかならずやってくるよ。」そう言って彼女の心をいたわった。彼女はじっと考え込んでいた。そして後ろを振り向いていった。「明日、会ってもっと話したい。」と。「ごめん。 僕も会って、もっと話したい。 でも明日の早朝の便で日本へ帰るんだ。」それっきりの出会いだった。彼女は、知的で美しい女性だった。時々今でも思い出す忘れえぬ人々のひとり。いま頃は、きっと別の優しい男性と可愛い子供たちに囲まれて幸せになっているに違いない。そうあって欲しい。今回の絵は、イズミールというレストランにて見かけたカスピ海美人!サンフランシスコの女性は、こんな感じの人だった。描いた絵がきっかけで一緒に陽気に踊った、この人も、ひょっとしたら翳りのある恋に悩んでいるのかもしれない。女性は男以上に思いつめる激しい情念を秘めている。
2003/05/01
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