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カスピ海の北はロシアに面している。そのロシアからバレー団がやってきてバクーで公演があると言うので2500円でチケットを予約。はじめ白鳥の湖で始まったバレーは、一転して予想外の展開。白鳥のような可憐な乙女達が、突然スペインのフラメンコにあわせて踊る粋な舞踏となったり妖艶に乱舞するペルシャのハーレム娘たちに変身したり、20人の若者と乙女の華麗な舞踏に2時間ほど魅入らされた。魅力あふれるシーンを思い起こしながら紹介すると・・・まず、歓びや悲しみや嫉妬やユーモアが多様に踊りにあふれていること。 たとえば、しがない書記の若者がひょうきんな仕草で踊っていると、 掃除服のやつれた乙女がやってきて掃除を始める。 若者がちょっかいを出してからかう。 怒った娘は、若者を蹴飛ばして服を脱ぐ。 下には、僅かばかりの布をまとった豊満な肢体が現れて 妖艶な激しい舞踏を始める。 あきれて見とれていた若者も、一転して、 若々しい男らしいダンスをしながら乙女に絡み合う。 やがてふたりで華麗なデュエットを踊って終わる。 次に肢体のしぐさだけで、これほど豊かに表現できるのかと言う感動。 後方空中展開を数回繰り返しながら、舞台狭しと跳躍する若者。 6人の男たちに肩の上で最後まで飛び跳ねて踊る乙女。 振り付けが変幻自在。各シーンにドラマがあり筋書きがあり、多様であること。 ウエストサイド物語の集団ダンスでは、男も女も同じように踊る場面が多いが ここでは、乙女は、つねに女らしく、おどろくほど色っぽい妖艶な仕草で踊る。 アメリカと違ってロシアの国民性と言うか、表情にも仕草にもヨーロッパ以上に感情がこもっている。愛、悲しみ、嫉妬、なんでもドラマチックに表現力豊かなこと。わずか一人の女性振り付けによるものとは思えないほど、ひとり、デュエット、集団で、さまざまに舞踏が変化する。10年の歴史を持つ有名なバレー団。会場は、美しく着飾った乙女達のファンでいっぱい。宝塚の歌劇団と似ているようでかなり違う。男性が入っていることで、陰と陽の変化が生まれ表現が膨らんでいる。バレーの基礎をマスターしていて、フラメンコでも、タンゴでも、より華麗で自由自在なこと。とにかく、舞台の若者や乙女たち自身が、ほんとうに楽しそうに踊っている魅力的なバレー団 TODES。TODESとは「死」と言う意味と「現代的な」と言う意味があるよう。DVDやビデオCDにもなって世界公演も行っているよう。素晴らしい舞踏の饗宴を機会があったら、ぜひ一度ご覧ください。
2003/09/28
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村上春樹の「ノルウエーの森」の冒頭だったと思う。野っ原にはたくさん穴が開いていて、人が突然そこに落ちていなくなるんだというくだりがある。はじめ、唐突なこの文章はなんだろうと思った。何度も読み直して、死ぬと言うことを言っているのに気づいた。なるほど、死とは穴の中に落ちて消えていくようなものかもしれない。残った人はなにごともなかったように営みをつづける。そのような死の様相をうまく表現している。俳句でも同様のうまい表現がある。彼岸花=曼珠沙華は、亡くなった人の墓参りの頃、突然咲く花。 前書きもあとがきもなし曼珠沙華 黛まどかたしかに彼岸花は決まったように突然花を咲かせる。しかしこの句が優れているのは、裏に、ある意味が隠されているから。そう、死も前書きもなく突然やってくる。そして後書きは書こうにも書けない。こうしてよけば良かったと後悔ばかり残るのだろう。もうひとつ彼岸花のなんとなく不気味さを語った句。 もうもどろうか、彼岸花つづく路 銀化の女流俳人の句いけどもいけども赤い彼岸花が咲いている田舎道。そして、もうひとつの意味は、「これ以上先に行くと黄泉の国へ連れていかれそうで、なんだか怖くなってきた。」の意。生と死に関していえば、最近アカデミー賞を取った「サイダーハウスルール(林檎園の掟)」と言う名画がある。人の世にはさまざまな生死にかかわるルールがある。しかし、一律に罰する権利が人間にあるのだろうかと問う。この映画の主題は、人間社会のルールとは、一体何なんだろうと問いかける。道徳や法律は、時には意味をなさないことだってあるのではと語る。孤児院で働く愛情豊かな老医者は、禁止されている堕胎も行う。法で許されてないために、多くの無知な少女が無許可の堕胎医の犠牲になっているからと。死期近い老医者の気がかりは、この孤児院の後継者のこと。孤児院の真面目な若者に、医学のすべてを教えて後継者にしようとする。こんな田舎の孤児院にきて愛情をもって尽くすのは彼しかいないと確信して。しかし、社会のルールから言えば彼は無資格医療の罪。後継者の審査会に、彼は偽造の医者免状を提示して彼を後任にきめる。しかし若者は、一度は世の中に出てみたいと孤児院をあとにする。出稼ぎのりんご園に働く間にいろんな「ルール違反」を体験する。林檎園の掟といったルールが壁に貼ってある。「夜、林檎園の屋根に上ってはいけない」とか、「屋根の上で寝てはならない」と言ったたぐいのルール。労働者たちが言う。「人間社会のルールとは、こんな風に人を馬鹿にしたような、わかりきった馬鹿げたものだ」と。貧しい林檎園の出稼ぎ労働者の中に父親の子供を身ごもって悩んでいる娘がいた。彼は初めて決意して、その娘の堕胎を行い娘を助ける。無資格医療という社会のルール違反を初めて犯す。娘は、林檎園を去る時に、父親を刺して去る。瀕死の重傷を負った父親は言う。「俺が自分で刺したんだ。そっとしていて欲しい」と娘をかばう。近親相姦、肉親殺害といった大罪を、作者は責めることができるかと問う。若者は兵役に行った親友の恋人と時間をすごすうちに互いの優しさに魅かれて深い仲になる。若者は親友の恋人とは知りつつも初めての恋にひたむきに没頭する。やがて親友が戻ってくる。下半身不随の身となって。彼女は「あの人には自分が必要なの」と若者のもとを去る。若者は失意をいだきつつ孤児院にもどるが老医者はすでに他界。若者は、老医者の遺志をうけついで孤児院のあとをつぐことを決意する。「ウエールズの王子たちよ。おやすみ。」と、眠ろうとする孤児たちに、老医者と同じように話しかける。クスクス笑う子供たちの可愛い笑顔で映画は終わる。人の喜びや悲しみをよく知っている人が作ったような映画だった。 さて映画の情緒に浸りたい方は、下記は読まないほうが良い。今、「アメリカだけが勝手に決定するルール」が、紛争を起こしている。日本の霞ヶ関でも、「合法的に、さまざまな、人を不幸にするルール」がたくさん作られている。高利貸しを富ませ民には不幸をもたらす消費者金融の高利の認可。放漫経営のいまだに高給取りの銀行に税金を与える公的資金の運用法。地方銀行の頭取のみ背任で起訴し中央銀行は見逃す検察の不公平な「ルール」いつ首を切られても文句がいえない人材派遣法。役人がほしいままに搾取してきた厚生年金法。そして毎年の借金国家予算は、いわば次世代の若者に先に使い込むから、あとでたっぷり、高額の税金を払いなさいと強制する不当な「ルール」。それも、人の通らない道路や、不相応にぜいたくな公共設備に。こんな「不当な多くのルール」をせっせと作るのを何も黙していわない不思議な民が東洋の小国に住んでいる。
2003/09/22
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アゼルバイジャンも秋めいてきて、家々のバルコニーの葡萄もいつしかなくなっていた。迷路のようなテデバザールの市場には、行商の,葡萄、スモモほか秋の果物が山のようにあふれている。早めに荷崩れしないように採取してパックに入った見てくれのよい葡萄と違って、おばさんたちが朝取ったばかりのもの。熟しきった葡萄を売っているので、とても甘い!1kg200円ほどと安いので、一粒づつではなくて、小さな房ごと口にほうりこみ、ゆっくりつぶしあふれる果汁を味わう。たっぷり山ほど買ってきて、昼夜、堪能しています。絵を描いた帰りに立ち寄った、シルクロードの隊商が駱駝を留めた食事宿、キャラバンサラの中庭の木々も色つきはじめてきた。涼しくなったので、カスピ海沿岸の遊園地はイルミネーションに輝き、回転木馬や野外レストランは恋人たちの華やいだ声で深夜までにぎわっている。俳句には、こんな初秋の風情を表す「新涼」という美しい季語がある。俳句は、なにげなく見過ごしている人生を見つめなおし、自己の軌跡を簡単に記録に残せる短い日記帳。ながながと日記をつけるより、わずか17文字でありありと、そのときの心情を記録できる。味のある人生を記録した初秋にちなんだ「短い日記」を紹介しよう。ひんやりしたすがすがしい初秋の夜、歩む自分の淡い影にそんな風情を見た人がいる。 新涼や身に添う灯影ありにけり 久保田万太郎この人は、飾らない着流しの自分の人生をいつも静かに見つめている。冬の句だけど老境の夜の歓びとも悲哀とも諦観ともとれる名句がある。 湯豆腐やいのちの果てのうすあかり俳句文学に挑戦し、17文字では思いを伝えるのは無理、絵の方が豊かに表現できる、心を伝えられると思いつつかつ今なお魅かれるのは、この1句があるから。この1句の味わい、心のひだは絵では表現できない。俳句には、その人の1生を語っているような重みがある。こんな句を1生に1句でも良いから作って死ねれば本望。この数少ない言葉で湯豆腐がなぜかととえようもなく美味しく感じられる。食べ物の句はおいしくなければならないとは「沖」の主宰、能村登四郎氏の弁。 新涼や尾にも汐ふる焼肴 鈴木真砂女食べもしない尾っぽに塩を振るのは、日本の美学。言われてみれば、あの尾っぽの焼いた白い塩はとても美しい。こんな誰でも見ていて気づかないことに改めて感動を発見するのも俳句のみの特徴。岩牡蠣は外観は海草で覆われているが、内側は美しい真珠色に輝いている。それを発見して作った自作が岩牡蠣は内装に気を配りけり師匠、中原道夫氏にお褒めいただいた句。実は、この句は師匠の下記のような句の秘訣を分析して気づいた。当たり前のことを改めてうまい表現で認識させること。記憶はウォッカの酔いも重なって定かではないが飛び込みのひとつ魂おくれけり 中原道夫屠蘇の酒五臓六腑をかけめぐり 中原道夫真砂女さんは銀座で割烹をいとなむ久保田万太郎の直系。若い時、道ならぬ恋をして長崎まで追って行ったという情熱の人。思いかなわずして、関門海峡を戻るときの淋しい句を乗り越えた人ならではのどの句にもいざぎよさと気品がある。俳句を知ったおかげで、どんな異業種交流会でも出会わなかった素晴らしい生き様の人を知ることができた。そう、俳句界の人は、皆、心をさらけだして勝負しているようなもの。俳句は、第2文芸と言意は放った桑原武夫は、そんな心意気を認識できずに、言葉の短さのみで批評した愚かな人物に思えてきた。さて、この絵は、いつ描いたのか覚えていない。多分、仕事で、ひとり、知らないさびしい町の居酒屋で、そんな美味しい肴を味わいながら描いた絵の一枚のよう。徳利は、心地よくデフォルメするとかえって絵になる。人生も、心地よくデフォルメして自分の好きな形を見つけたい。 さて、人生を記録した「17文字の短い日記」をもう少し。この日記は書きやすい。歳時記を買ってきて、まず好きな季語に印をつける。あとはその季語に、自分の人生体験を簡潔に記すだけ。簡潔なほど、インパクトが強烈。そんな事例を紹介します。この季語がまったくかけ離れた事象と結びつくと、新鮮な感動があると言う。そんな奇想天外の「新涼」の名句をひとつ 新涼や歯を抜く女医の腋毛かな 富士真奈美すがすがしい新涼と女医さんの清潔な白衣を重ねてそれに、意外な「おち」を見つけている。こんな句は、誰がなんと言おうといい!この女優さんは、アゼルの女性同様、奔放な個性的な生き方をまっとうしている人。アイデアが新鮮かつ大胆。誰もが知ってる「木枯らし紋次郎」の渋い原作を書いた作家との道ならぬ恋を堂々と小説にした人ならではの感性。俳句は古臭い、色気が無いと思っている方。俳句にも色っぽいのがあります。この真奈美さんの名句がこれ。たしか いなびかり淫をさらして駆けぬけり 富士真奈美暗闇で放恣に抱き合っていたふたりの肢体が雷光に突然照らし出された驚きの句。あまりの格好に我ながら恥ずかしくなったといいたげな寸鉄人を刺す「名句」である。たくさんの字句を労するより、この1句で、一生その折の光景を「詩情豊かに」思い起こせるでしょう。ただし、有能な俳人は創造性豊か、必ずしも実体験に基づいているとはかぎらない。真由美女史の豊満な肢体が実際に雷鳴に輝いたか否かは定かではない。ともあれ、人生のさまざまな情景を、これほど簡潔な言葉で豊かに想起させる俳句。俳句は不思議な力をもっている。もうひとつ艶のある、やや上品な美しい句を。 いなびかり人と逢ひきし四肢照らす 桂信子逢引のあとの湯浴みした裸身のほてりを、ひとり縁側に座っていたら・・・・。と言った情景が浮かぶ。秋になると、澄んだ空の果てに心をすいとられそうになる。 黒板の微分積分うろこ雲 沖の女流俳人 名を忘れた!これも季語との組み合わせの妙。黒板の数字をうつろにながめながら遠いうろこぐもののように遠くへ飛んでいきたくなった学生時代の思い。だれもが持っていてはっきり言えなかった心情をこんなに短い言葉で俳句は明確に形にできる不思議な「日記」である。 さいごに自分の秋の句 ゆきゆきてなほひとすじの秋の径ひょっとしたら、なにかで読んだことばかもしれないけど好きな言葉。今回の絵は、細いサインペン1本を用い線のみで描いた俳句のように簡潔な表現方法。描いていると色も面もないのに意外な情緒がうまれることがあります。秘訣は、線にできるだけ遊び心と勢いを持たせること。秋の夜長を、サインペン1本で十分に楽しめます。モデルは雑誌の風景写真でもなんでも可。新幹線の中で、あるいは会議のノートの裏にこっそりと、退屈な時間が楽しくなります。元の写真とまったく違ったものに生まれ変わります。最後にひとこと再登場。 訪れて心のありか語らずに なほ黙しつつ去り行ける風 ほら、貴方のことです。掲示板へひとこと書いていって!
2003/09/20
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繁栄を誇った日本がいまや国民一人当たり700万円もの借金を負って、国家財政は「危険水域」と世界の投資家から見放されつつある。合理化を誇った自動車産業のはずなのに、倒産寸前。たったひとりのフランス人に助けられると言う面目をなくした日本の企業。銀行すら、背任に近い無謀な投資で破産寸前、税金になきつく情けない経営者たち。サラ金が世にはびこり健全な企業はなりをひそめる末期状態。滅び行く日本を変えるために何をすべきか。海外から眺めた日本の印象を、腹に溜まった思いを率直に述べてみます。まず小泉首相の行政改革は出発点。信念をもって、突き進んで欲しい。たとえ成果が50%でも良い。税金の無駄な使い道を絶って欲しい。公団改革、法人改革で無駄な金を絶つこと。自民党政治家の利益にならないことを取り上げて、自分の信念に基づいて実行に移しただけでも素晴らしい。たとえ違った結果になったとしても、動機が立派です。心より支援致します。公団や法人を整理して、渡り歩いて数億円の税金を私腹化する官僚を追い出して現体制を改革して欲しい。ニュージーランドは、文部省の機能を見直して最後はなくしたそう。不要な省庁をなくすのが最後の目標です。全国に不要なダムや道路を作っている建設省は1/10に縮小しましょう。借金の山を築いた総本山。民のためではなく、自ら老後に建設業で仕事するために無益な投資を計画したかずかずの「業績」がこんな結果を生んだ。美しい砂浜の海岸線を建設業と結託してテトラポットの醜い護岸工事をした環境破壊の戦犯もすべてここが元凶。採算の取れない植林で、全国の自然林を破壊している農林省も1/10に縮小しましょう。 不要な役人がいるから、余計なことを考え借金を積み上げてきた。教科書を支給したり統制はいらない。文部省の機能はすべて地方に分散し地方の独自の創意で文化の華をさかせましょう。でも、滅び行く今の日本を誰がそうしたのかまず調査して物言わぬ民に報告して欲しい。気づいていることがたくさんある。まず無益な公共投資で国民1人当り700万円もの借金を背負わせ国を滅ぼしてしまった犯人は誰か?犯人の一人は人口当たりの公共投資が異常に高い島根県にいた。自分の私腹をこやすために無駄な公共投資を島根県に不公平に配分した悪代官。借金国家なのに、全国市町村に1億円をまるで自分の金のようにばらまき、借金を増やした史上最低の首相竹下登がそう。これを筆頭に歴代の首相はまずどれもこの借金拡大のA級戦犯。厚生年金を改正するまえに、やることがあります。積み立てた厚生年金を株につぎ込んで使い込んだ官僚、全国にグリーンピアという放漫な保養設備を作って年金を浪費し破産させ建設会社に天下った官僚、これらの官僚たちの名前を公表し公職から追放し、責任を追及してください。改正論議はそれからです。巨額の使いこみによって、子供たちは収入の20%もの年金をこれから負担する。国庫から支援するって?そんな金はどこにもない。それだって結局は増税して得る税金です。すでに国民1人あたり700万円も借金している国のどこに、そんな金があるのでしょう。この借金を返すのは、次世代の若者たち、我々の子供たちです。指をくわえて何もしなかったのは我々自身。ひどい親たちがいたものです。イラクに復興支援や軍隊を送る余裕がどこにあるのでしょう。国会議員の方々、霞ヶ関の役人の方々、貴方たちは一文も収益をあげていないのです。優雅に赤坂の料亭で食する高級魚も、みな他人が働いて得た税金なのです。もう少し真面目に生きてください。考えてください。安易にイラク復興に数百億負担するとか自慢気に言わないでください。自分の家が火の車なのに、他人へお金をあげる人はいないでしょう。ハワイに天文台をつくる余裕がどこにあるのでしょう。不景気だからといって防衛庁に全員就職する防衛大生を毎年300人!も採用する余裕がどこにあるのでしょう。普通の企業がそんな無計画な採用をしてたらとっくの昔に破産しています。だから国が破産するのです。海外の評価機関 MOODYあたりから「日本の国家財政はかってどこの国も経験しなかった危険水域に突入している」と言われる由縁です。日本を良くするためにやることは山ほどあります。料亭で美味しい料理を楽しむ余裕などないほどたくさんあります。低金利時代に、年利30%で若者を破産においやっているサラ金の金利を上限10%以下に抑えてください。金利30%で安易に貸すために、銀行がノンバンクと言う隠れ蓑で安易に金を貸したから市中に金が溢れ、不自然な投機によるらバブルが起こり、銀行は不良債権の山を築いた。現在の不況の原因は、ここにある。この高金利は江戸時代でも不当な金利で犯罪に近い行為。この高金利を決め、武富士に天下った大蔵官僚がいる。特定企業への便宜をはかり不当な利益を得た人物がいる。この男の作った悪法でどれだけの人が自己破産に追いやられただろう。担保も無く金を貸して、こげついたら税金をあてにする銀行。派遣制度も改正すべきです。この悪法ででいつ首を切られるかわからない若者たちがあふれている。若者から、安定した将来設計を奪った労働省。たくさんの悪法をつくって滅び行く国にしてしまった多くの官僚それを後押しした無能な財界人たち。日本に帰るといやなものばかりが目に付く。駅前の一等地にあふれるサラ金会社の群れ。金利30%は正常な人なら決して借りない金利。自己破産と言う不幸を生む会社が繁栄すること自体、滅び行く国の末期症状。できればこんなひどい国になってしまった日本のことを忘れたい。この国籍を離れてこんなことを考えるのを一切忘れたい。そんなことを考えながら、いつもすごしています。さて、絵は、そんな借金のない国の「絨毯のある街角」みんな貧しいのに表情はとても明るい。将来にまだ希望を持っているからです。今、日本は先の見えない、希望のもてない国になってしまった。よってたかって皆が駄目にしてしまった。皆さんの率直な意見を掲示板へ。
2003/09/16
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バクーの街は、しばらく肌寒い小雨と風の日々が続いて、ようやく、からっと晴れ上がった。ふたたび暑い夏がよみがえったようにみえるが、心がかみあわなくなった恋人のように、どこか昔の熱気は冷めて、ひややかな気配が感じられる。昨夜は眠れずに、ひさしぶりに短歌を作ってみた。心はすでに秋色濃い故郷の山河を飛び回っている。澄む秋の 空を染めゆく茜色 木末の紅葉陽を宿しつつ嫌やいやと 身振りするかに散りゆける 一葉一葉にひと夏の夢秋風に 鼓舞され走るさざなみの 湖水をすべるひたむきなさまさびしさは 雲の影ゆく湖の 湖底に沈む 落ち葉なりけり今年作ったなかでもっとも好きなのは欲しいまま無為にゆだねる光陰を なほ研磨する夏の陽光カスピ海のビーチでじりじり陽に灼かれたいる時のもの昨日、ホテルの前の石段に座って、晩夏の空を描いた。建物を省略したり、かなりデフォルメして縦長の画面にまとめあげた。 ひげの親父がやってきて、さかんに描かれた絵と建物とを指指す。「あの建物には窓が三つある。お前のにはひとつしかない。」と指摘しているよう。絵画の技法でデフォルメと言うんだと英語で話するが伝わるはずもない。絵をいまだに写真のように描くものと信じている「誠実な嘘の無い生き方」をしている人がいる。そういえば最初は真面目な?僕は一木一草正確に描いて先生から構図を考えて位置を変えるんだよと笑われた。今では、一風変わっていると言われる僕なんか、絵画以外の面でも、「人生そのものをずいぶん前からデフォルメして生きている」よう。皆と同じことをしないとすぐ言いつける大和民族の方々。皆と同じことをしてないとなんとなく自信をなくす方々。自分の好きなようにデフォルメした人生こそ、貴方自身の人生ですよ。最後にひとこと。 訪れて心のありか語らずに なほ黙しつつ去り行ける風 ほら、貴方のことです。掲示板へひとこと!
2003/09/14
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早朝のカスピ海沿岸の街バクーは荒れ模様だった。冷たい雨が石畳を濡らし、アカシアの梢が激しく揺れていた。先週、城砦の中の絨毯を売る家々の路地を描いた。今日は、色つけに行こうと思っていたのに・・・。こんな日はしずかに本を読むしかない。日本からはるか異郷にいると、無性に読み直したくなる本がある。振り返ると特に30代頃、たくさんの本に夢中になっていた。まずは、宮本輝が自身の青春時代を描いた「青が散る」、「道頓堀川」、「泥の河」特に学生時代を書いた「青が散る」が好きだった。すがすがしい文体で素敵な伴侶への思いを熱く語ったのは詩人清岡卓行の「アカシアの大連」。男女の間の機微を描いた作品の蔵書は数知れない。川端康成の「雪国」のような本は大人になって読み直すと、また違う感動があることに気付いた。読書とは、時には恋愛を疑似体験できる仮想空間のようなもの。立原正秋の「残りの雪」、「紡ぎの里」・・・。ここでは、いつも男は酷薄で、女はひたむき。立原正秋のは簡潔な文体で読みやすいのでほとんど全部読んだ。大人の情愛は、渡辺純一。 たくさん読みすぎて名を忘れた。「ひとひらの雪」が一番よかった。どんなに激しい男女の愛も、過ぎてしまえば、手の上で溶けていくひとひらの雪のようにはかないもの・・・。心はもうあともどりできない。深夜ひとりで読んで、誰かと感動を話したくなるのが 藤沢周平の「蝉しぐれ」などの短編集。「たそがれ清兵衛」が評判になったけど、短編にもとても良いのがある。さて、今日は、読む本は決まっている。「プラハの春」が上巻が終わって下巻に入ったところ。プラハ革命の頃の日本人大使館員とチェコの美しい女性との恋を描いたもの。本当の歴史体験が重なっているのでとても興味深い本。ところで日本では高価なブルーベリーがここでは1kg数百円。そこでワイン作りを試みた友人がいて、帰国の時残していった。すっぱくて飲みにくいと言うので、ポルトガルワインのようにブランデー代わりの糖分を入れて再発酵したところ、発泡ワインのようになって美味しく生まれ変わった。今、丁度飲み頃で、野葡萄の深く濃い味わいがある。今日は、それを飲みながら、読書三昧をするかな。絵は、信州霧が峰の白樺林のれんげつつじ。こんな白樺林の山荘で読書の秋などいいだろうな。
2003/09/13
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ここ、カスピ海の風の街バクーは連日40℃を越える猛暑。と思って今日は旧市街に絵を描きにいったら、冷たい強風が吹きまくって肌寒くなって帰ってきた。もうバクーの街の家々のベランダの葡萄棚には青い実がふくらみ始めている。公園の噴水を囲む木々も一部は黄色くなってはや秋の気配。海外にいると、インターネットのありがたさを痛感。昔は、手紙の往復に2週間、電話だと5分で4500円もあの悪名高きKDDに取られていた。いまは、通信はほとんど即時でしかも費用は無料に近い。ここのホテルは、インターネット利用無制限。したがってホテルのプロバイダーから日本の自分のメールを無料で見れる。便利な世になった。何千キロも離れた北海道の山仲間の携帯電話からでも即座にメールが届く。北海道の山々にはもう初雪が降り紅葉が始まっているそう。娘に今朝の家族の様子を写メールで送らせることもできる。さて、閑話休題。秋の気配で、思い浮かぶのは、大和の美しい紅葉の景。今年は、クリスマスまでここに滞在なので見れそうにない。例年なら、関東近辺の山々が最も美しく紅葉に染まる10月下旬、その頃、どこの山に登るかが毎年の悩みの種だった。群馬県境は、どこも素晴らしい紅葉の山ばかり。尾瀬、武尊、谷川岳、霧降高原から日光女峰山、苗場山、谷川連山の端、草原の平標山、妙義山・・・。知られざる紅葉の山は、尻焼き温泉から北に入った野反湖を囲む周囲4,5時間の一周の尾根の道。特に名のある山がないだけに、人の訪れはまばら。淋しさは 風の軌跡の白い波 湖面をたどる風も旅人紅葉とやなぎらんの咲く草原をめぐる一周も尻焼き温泉の川原の露天風呂からの紅葉もたくさんの至福の思い出と重なっている。東京に「アドベンチャークラブ」と言う英米日本人あわせて150名の登山やカヌーのクラブがあった。総勢20人近くで、東京都の最高峰雲取山の小屋に泊まった。翌日の青海駅までの道は快適な秋のひと日となった。鷹の巣山へ連なる落葉松に囲まれた尾根道はすすきの草原を行く。三石の尾根ではススキの穂が一面に秋の陽を受けてまばゆく光っていた。 すすきの穂ばかりに夕日残りけり 久保田万太郎 山は暮れて野は黄昏の薄かな 蕪村この絵は、白やクリーム色のクレヨンで薄の穂を先に描き、あとでそれが浮き出るように水彩絵の具を重ねた初めての試み。なんとか逆光のすすきの穂が浮かび上がった。作戦成功!かな。
2003/09/07
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今夜は、個性ある生とは如何なるものかを語らんと思う。ここコーカサスに住みて、はや半年。大和の小国に戻りて感ずる思いあまたあり。その一因は、豊かであるべき人々の表情の暗さ。電車の中なる疲れたものうげな顔の数々。渋谷、新宿にあふれる少女らの個性の無き表情。いずこも、みな、はやりの同じ装いをまとい、同じような口調と言の葉の浅薄さ。共感できる心の深み、表情の豊かさがなきを憂う。ここカスピ海の街はシルクロードの西端ゆえに、いにしえより東洋と西洋の血族の交わる歴史の影、人々の表情にもあまた宿り豊かに花を開きけり。遠くはアレクサンドル大王の世には希臘の国の戦さ人住みつきて、この地の乙女と交わりしとかや。東洋の蛮族ジンギス汗も大軍ひきつれてしばし足跡を残す。残虐な帝王チムールの世には、蛮族あまた城外より進撃し麗しき乙女を砂漠の帝国サマルカンドに連れ去りしとかや。色濃きこの国の男達は北方の大国露西亜の頬白き乙女らを好みてめとり血の交わりを深めける。かくして、この国の乙女らは、歴史の生き証人のごとく豊かな逞しき心を四肢に蔵し、いまなお蛮族の闊歩せる世を彷彿とさせる趣きを有したり。まずは露西亜系の、抽象画を描く女流画家。「大国露西亜の豊かな創造性」を「見るからにあふるるほど、胸に蔵したる」才媛なり。描きし絵にも、ほほえみにも、上目使いのまなざしにもはつらつとした個性ある生き様のあふれけり。豊かに仲間と語り、笑み、踊り、恋する彼女の生を推して、羨望をすら感じけり。下記は、あまりの迫力にたじたじとなりし、題して「カスピ海美人 個性派編 」蛮族の世の乙女かくありしやと歴史を語る生き証人なりしか。蛮族チムールの軍隊も、この乙女をサマルカンドに連れ行くのは、ためらうのではと思ふ。この個性豊穣なる乙女の前に立ちはだかり、恋を語り、歓喜の時を享受せんと挑む、命知らずの若者に幸あらんことを願う。かくまでに自己を主張し個性を楽しめるこの国の乙女の堂々として豊かで伸びやかな生を心のいずくかに、賛美したき思いあり。
2003/09/03
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珍事件発生。丹精込めた大鍋のビーフカレーが鍋ごと紛失!暑い一日、仕事を終えて帰ってさっそく宿のキッチンへ。昨夕作った大鍋のビーフカレーを温めようと。しかし、無い!カレーが鍋ごと、無くなった!どこを探すも行く方知れず。昨日、バクーのラムストアで、ビーフの塊り、マシュルームジャガ、玉葱、インゲン豆などたっぷり買い込んだ。玉葱を甘味がでるまで炒めて、ビーフ、ジャガを加えて更に炒めて、胡椒、塩で味こしらえして、コンソメでじっくり煮込んだ。さらに、こちらのプロが調合したカレー粉をたっぷり入れて数時間煮込んだ。最後にマッシュルームとインゲンを加えた。「今夜は、ビーフカレーだよ!」とみんなを呼んだのに・・・。一日経ったカレーライスは、もとても美味しいはず。なのに、無い!宿の寝ずの番の用心棒の若者が、すぐに犯人調査開始。キッチン担当の女性陣に電話してくれた。結果はなんと「みんなで食った!ありがとう」「とても美味しかった。」朝、身振り手振りで、「その鍋のカレー、僕のだから取っといてね。」と言ったつもりだったのに「その鍋のカレー僕のだから、食べといてね。」と、”好意的に”に解釈したらしい。女性陣全員で食べたんだそう。とっちめてやりたいけど・・・。各階の受付の女性はみな、女子大生とか、新婚の乙女とか、用心棒の恋人とか憎めない心根の、優しい知的な美人ばかり。特に、にっくき犯人のひとりは、このラーラ嬢。女子大卒の知性派。モデルのように背の高く、いつも笑みをうかべて”What can I help you"とほほえむ。独身のロシア系美人。この人に面と向かって・・・・、何も言えないなあ。いつもお世話になっているお礼にとプレゼントするしかない。でも、小さじで味見しただけで一口も食べてなかったんだぞ。こら!
2003/09/01
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