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カスピ海沿岸のこの街は、木枯しが吹いたかと思うと、また、小春日和のような暖かい日が続く。宿から数分の噴水公園はいま黄落期。ポプラの大木からひっきりなしに黄色い葉が散っていく。ひらひら揺れて散り行くさまは、やや媚態のようにも・・・黄落や陽をじらしつつ散りゆける黄落と言うと思い出す一枚の写真がここにある。山陰の湯原温泉から大山へ向かう街道沿いの有名な大銀杏。敷き詰めた銀杏葉の黄金の絨毯に座った一枚。亡くなったかみさんが両足をなげだしてちょこんと座っている。黄落や束の間触れし手をつなぐかみさんと初めて登った山は、中国地方の櫃ガ仙と言う、獅子が眠っているような美しい起伏のある山だった。黄落のトンネルを潜っていくと獅子のたてがみの広い草原に出る。山頂の岩の絶壁には人気がなく、ふもとを流れる川が秋の日に光っていた。水車のある郷緑温泉と言うひなびた山の宿に泊まった。黄落や朽ちゆく小屋の屋根の上それから大山、蒜山、比婆山とふたりでいろんな山に登った。黄落や切り株に栗鼠鎮座せり吹雪の大山でも弱音をはかず黙々と同じ歩調でついてきた。山小屋の入り口は雪で埋まっていて煙突から暗い小屋の中に入って暖を取った。黄落と言う季語が大好きだが、秋日を反射する黄落に出会うたびに思う、どこかにとりかえしのつかないものを忘れてきたような・・・そんな思いにかられる。誰にでもある過ぎ去った日の光と影がおりなす思い出のせいか、" Scatterrd pictures of the smiles we left behind "バーバラストライザンドの「追憶」の一節のように。先日、黄落しきりなる公園で、この絵を描いた。公園にはアゼルの恋人たちであふれていた。しかし巴里の街角では当たり前のキス風景は皆無。こちらの人たちは外では礼儀正しい。黄落や座りし距離が恋の距離
2003/11/30
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先週の火曜は、このカスピ海の国では、断食して神に祈るラマダンで休日。東洋の無神教の徒は、友人を誘ってテニスの試合をみっちり2時間。普通なら、そのあと昼寝をむさぼるのだが、更に卓球場に寄ってアゼルの大学生らに挑戦して負け知らず。15人抜きの快挙達成!そのあと又、ロシア語の先生とイズミールというレストランへ。ロシアの歌と踊りを楽しみながら、食事のできるところ。隣のテーブルの気の良い紳士を描いて贈ったら、舞台に呼ばれて紹介された。踊ったり、ウォッカで乾杯したりして、ようやく帰って寝たのが深夜1時過ぎ。無理をしすぎたのか、翌日から風邪を引いてしまった。数日、体調を崩したけど、今、深夜にふと目覚めると、風邪が遠のく気配。この回復の時の気分は、とても嬉しい。気分良く、グールドのバッハを聴きながら、この日記を書いている。ところで本題。なぜか今月17日を境に、怪奇現象が続いている。このホームページの訪問者が急増するというだけのことだけど、それも楽天以外の無記名の方々ばかりがびっしり。なぜ? 誰だろう?知っている人かな?17日以降に、訪問されている方、よかったら左の公開「掲示板」か「メッセージを送る」にある公開されない私書箱へメールください。下記のような秘蔵の水彩画をメールでプレゼントします。誰かわからない人に見られているようで、どこか落ち着かず眠れない!絵は、イタリアのワインがおいしい中世都市、迷路のような路地に迷ったら、上へ上へといけば頂上広場へたどり着くという美しい丘の街ペルージアの夜。この絵は、たいていのパソコンに装備されているソフト「ペイント」などで簡単に描けます。
2003/11/28
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自己の再発見と求道的な目的でスペイン巡礼路を歩くのはアメリカ人には向かないのか,とても少ない。一人だけ出会ったが、ヨーロッパ人がイメージする典型的なアメリカ人だった。それは自信満々で自分に疑念など全くないようなタイプ。スペイン人でも、北部はおとなしく、南部特にローマ帝国時代に移り住んだのかイタリア人に似て陽気なバレンシアの人々は良く話す。にぎやかによくしゃべるが、人の話もよく聴く。一方で、西海岸のアメリカ人も、ほんとうによくしゃべる。が、人の意見をほとんど無視する人が多い。「スペイン巡礼路で、どこが一番良かった?僕はHospital de Obrigo だけど。」と話のきっかけを作ろうとすると、このアメリカ人は、「どこもSplendid! みんな良かったわ。甲乙なんて付けれないのじゃない?」と、自信満々に自説を主張して、何度も話の腰を折る。みな白けてシーンとなってしまう。30日間、アメリカをニューヨークから始まって、ほとんどの州をJetroの技術専門家として旅した経験から言うと、アメリカはたしかに国を合わせて作った国、合衆国だとつくづく思う。IBMの副社長と言う名刺の人とたまたま東京であった時、ユーモアを交えてこう言った。「アメリカは3つの国から構成されるのをご存知ですか。?まずヨーロッパから移住してきた優秀なテクノクラートが支配する真面目で勤勉で優秀な東部海岸の国々。次は、英国から最初にわたってきた、フロンティア精神をいまだに持つ、敬虔で実直な中部や南部州の国。つぶれかかったデルタ航空のために飛行機をプレゼントするような神にも自分の企業にも忠誠心の厚い人々が住んでいます。さて最後は西海岸、人は使い捨ての紙コップのように扱われ、雇われる側も毎日、新聞で次の転職先をさがし、会社がつぶれかかると、さっさと他に移る。いろんな Unbelievableな人々が住んでいる国です。」と。アメリカ人すら、笑いながら、そのとおりだと言う。実際、東部から西部海岸に行った時、国柄の違いにびっくりした。我々が待っていた会社の社長を30分も待たせて私用電話を平気でする秘書。会議中にひざを組んでふんぞりかえり、ひっきりなしに携帯電話で会議を中断させる社員。問題を知っていても、年1回の雇用契約の時にしか披露しない技術課長。自分の給与をあげるために、そういうネタを隠しもって溜めるような人たち。礼儀正しい東部や南部の人たちに比べると、態度が軽薄に見え、浅薄な自分の意見を疑念をもたずに人に押し付けるような人々が多い印象をもった。大統領でたとえれば、実際は別として、ケネディは東部海岸族、クリントンは南部族、自慢げにスピーチして反応をうかがうブッシュは西海岸族タイプ。アメリカ人と話す機会があったら、こんな話題から入るとさまざまな意見が出て話がはずむかもしれない。ちなみに僕は東部人種が好きで、本場のユニバーサルスタジオを見ても、嘘っぽくって、あまり感動しなかった。これは、僕の実体験から得たステレオタイプな独断的な意見。もちろん西海岸でも、気持ちの良い人々がたくさん住んでいる。広大なアメリカでは、いろんな体験をした。サンフランシスコから1時間南に行ったシリコンバレー。寄宿したホテルの隣にFaceと言うディスコがあった。毎日、仮装した若者が集まってきて、We are the world だったか、一緒に肩を組んでよく歌ったり、踊ったりした。陽気で屈託が無く、さわやかだった。中南部に位置するアーカンソー州を横断し、日がとっぷりくれた10時ごろ、ようやく目的地に。さあ、ビールを飲もうと、レストランを数軒。しかしビールがない。仕方なくスーパーに行ったがここにもない!ふと思い当たって聞いたら、やはり Dry City!アルコール禁止の町だった!サンフランシスコのゴールデンゲートをわたって、左に折れると美しい海岸があるという。泳ぎにいった。浜辺を歩いていると、突き出た岩礁でさえぎられた先に美しい入り江が見えた。そこまで歩いていってびっくり。みな水着を着けている人はまばら。一緒に行った若いアメリカ人と「どうしよう?」としばし思案。「郷にいらば郷にしたがえ」と言うことわざが日本にはあるよ、と言うと、じゃあ、ここで泳ごうと、生まれたままになって泳いだ。カルフォルニアの美しい太陽の下で、心地よい午後となった。寝転びながらそばにいた人たちと話した。「旦那さんはどこにいるの?」「ゴルフなの。彼がゴルフの時はここですごすの。ここは、ほんとうは生まれたままでは禁止のところだからポリスが来たら服を着て逃げるのよ」と笑っていた。産毛が金色に光っていて美しかった。アメリカはやはり一言では言えない多様な様相をもった国。でも、歴史的に、各州の国柄のようなものがあるのも事実のよう。絵は、その西海岸から更に西に行った島 ハワイの絵。ここは番外と言おうか、ただ人生を楽しむためにあるような太陽と自然にあふれた陽気な人々の国だった。
2003/11/26
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夏、若い乙女たちでにぎわったカスピ海沿岸のビーチも、今は浜辺に散在するコッテージの下に、全く人影がない。穏やかだった海に白波が立ち、晩秋の陽をあびて、さびしく光っている。かえって、そんな海の風情が好き。一日そんな波を眺めながら何もしないでいたいほど。季節の変わり目の陽の散乱は、ススキの穂の先であったり、波頭の砕ける瞬間であったり、いずれにしても、どこか物悲しい。とりわけ、異郷の果ての喧騒のないしずかな国にいるとそう感じる。生きていると言うことは、いろんな出来事の連なりだけでなく、季節に対する感受性を持ち、時の推移を静かに見つめることそのものとも思える。死ぬまでに残された時間を大事にすることは、この認識を深めることのようにも。足先にひんやり触れるものに季節の推移を感じた人がいる。やや寒や一人世帯の土間の下駄 道ならぬ恋に生きた銀座割烹の女蒋 鈴木真砂女さんの作あるいは、動物園の象が鳴らす冷たい鎖の音にそれを感じた人がいる。やや寒の象に曳かるる足鎖 秋元不死男欧米人でも最近はこういう感受性を学び始めた。欧米俳句の入賞作にこれと似たのがあった。たしかAutumn moon is high, elephant tagged his chain.寒くなって、子供が無意識に身を寄せたと言う優しい母親の思いにも季節感があるあはれ子の夜寒の床の引けば寄る 中村汀女こんな風情を解する人は風も友達となる風いつも先に来ているすすき原 池辺治子雲取山山頂から鷹巣を越えて、青海駅までの長い道のりも、こんな陽に光る尾根をあるく幸せがあるから苦にならない。 季節を感じるには、風の音が夜通し聴ける山小屋がいい。山の湯のランプの燈火親しみぬ 富安風生そんな季節に対する感受性は、俳句でも絵でも養えるよう。この句にぴったりの絵を10年前に谷川連峰の山小屋で描いていた。季節を感じながらの無為の中の充実感こそ、貴重な人生の軌跡と思うこの頃。山の湯やまだ尾根駆ける秋の雲 俊介
2003/11/25
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フランコの独裁を阻止しようとスペインの市民戦争に参加したヘミングウエイは「日はまた昇る」で闘牛への情熱を熱く語った。情熱的なスペイン娘と恋をするも、主人公は身体の自由がきかず、美しく情熱的な恋人は、闘牛士といつしか姿を隠す。それとともに、闘牛士の美しい技は次第に乱れていく。感情を交えぬ、歯切れの良い短い文章、簡潔な名文でつづられている。昨夜、2時間にわたって、その闘牛の衛星中継があった。絵を描く観点からすると、闘牛は絵画の要素にあふれた画材。ムーブメントと呼ぶ力の流れと躍動感が牛と闘牛士の肢体にあふれ、瞬間の静止した姿がどちらも、とても美しい。釘付けになって、さまざまな美しい瞬間を撮った。肉眼ではとてもとらえようのない息をのむような決定的瞬間がディジタルカメラなら発見できるのに気づいたのはごく最近。闘牛は決して勇壮なだけではない。テレビでアップされる闘牛士の表情には、不安や惑いが垣間見える。剣を突き刺して逃げる役目の闘牛士の身体は、恐怖で震えていた。恐怖感に耐えて、すれすれまで、猛牛に身を寄せて、牛の角をかわし、やがて急所の肩甲骨に鋭い剣を突き刺す。獰猛な牛の眼差しに死期を意識したような悲しみがあふれ、やがて急所深く剣を刺された肢体を痙攣させて死んでゆく。残酷な末期の悲哀感。次の写真は、背中に幾本もの槍を刺され、死期を意識しているような牛の哀しい眼差し。それに、さらに止めを刺そうとする闘牛士は、こんな身近に接近して、闘牛と戦わねばならない。動物愛護とは無縁、過酷であり非情でもある。 はじめ、牛を弱らせるために、防護服を付け目隠しされた馬に乗った槍士が、背中に槍をつきたててえぐるむごいシーンがある。昨夜は、二度もその馬が押し倒され、一度は腹部を角でさされた。そして思いがけないシーンがやってきた。闘牛士が赤い布を開いて身をかわした瞬間、いつもならそのまますりぬける猛牛が身を起こし、闘牛士の肢体が宙に舞った。一瞬、鋭敏な角が闘牛士の胸深くに突き刺さったように見えた。 しかし幸いにして、角は脇をすりぬけていた!その牛はすぐに眉間の急所に槍を刺されて殺された。闘牛士を攻める術を知った牛は危険なのだろう。驚いたのは、この闘牛士は、その後、二度も別の猛牛と対決したこと。喝采をあびせる観客の手前、やめることはできなかったのだろう。恐怖心が冷めやらぬまま、それを果たした中年の闘牛士の眼にもかなしみのようなものが宿ってるようにみえた。映画「グラディエイター」で、奴隷戦士を獅子と戦わせるシーンがある。ローマ帝国時代のそんな風習の名残りともとれる闘牛。違いは、闘いに勝てば奴隷は身分を得られ、闘牛士は栄誉を得られること。トップにあるこの絵は、闘牛の躍動感とともに、黒一色の牛にも、色彩感を加えようと腐心したもの。人と獣、生と死、勇気と恐怖の対立とともに、ひたむきな習性を持つ闘牛の悲哀のようなものを描きたかった。
2003/11/22
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カスピ海沿岸の首都バクーは、シルクロードの隊商が憩った街。串刺しの羊や七面鳥を食べさせるキャラバンサライと言う遺跡のレストランは宿から5分。今日は、石油を掘削するバルブを開発する検討会議。アゼルの人は、議論しだすと、喧々諤々、夏せみの森と化す。しかし、どこか肝心のとこが抜けている。終わったらハラショーと握手するも、途中ではあ然として言葉を失うことも度々。そんなこんなの悪戦苦闘の一週間を終えて、今日は花の金曜日。寒い夜には1杯おでんをと、居酒屋ののれんをくぐりたい気分。しかし、おでんのようなものがない!自分で作ろうにも・・・竹輪がない、かまぼこがない、昆布巻きもない! これみな大和近海の海の幸。豆腐がない、厚揚げがない! これは蛋白質の乏しかった日本独自の苦肉の作か。あるのは、ジャガイモ、卵。あえていれるなら手羽、ソーセージ。これではシチュー! おでんじゃない。と言うわけで、今夜は手に入れた食材に決定権をゆだねる。結局、冷蔵庫の骨付き牛肉の骨を削ってステーキを作ることに。切り離した骨は、たまねぎと煮込んでワインを加えた。シャワーを浴び、かみさんの遺影に薔薇の花と麦酒を添えて乾杯。骨付き肉のワイン煮込みが意外とおいしかった。花の金曜日は夜更かしできる、さて、今夜は何をしようか。バルカン半島の悲劇を描いた本が読みかけ。ネットの俳句の締め切りはまだ少し余裕がある。ディスコで異国の美形を描いて語るには、まだ早い。イズミールのショーレストランは、今夜は賑わっていそう。だけどシャワーを浴びた後は、出かけるのが億劫。音声がでるロシア語の教育DVDも、そろそろ再開せねば、電子ピアノも、指が慣れて、少しむつかしい曲がひけそう・・。と、思案している時に、衛星テレビでそれが始まった。ときおり放映される、スペインの闘牛の特別番組。獰猛だが一方で、もの悲しい眼ざしをもつ闘牛に、恐怖と自負が交錯する闘牛士が素手で立ち向かう。ピカソもこの闘牛を愛し、その瞬間を捉えようと腐心した。私は、現代の利器ディジカメで100枚近く撮影し、その中の決定的瞬間を、絵に描こうと悪戦苦闘する。今日の闘牛はのっけから荒れ模様。最初に牛を弱らせる槍をもった馬上の闘牛士が二度も落馬した。そして、花形闘牛士が、肩甲骨の急所に槍を刺そうとした瞬間、それは起こった!ウォッカの酔いが回ってきて、眠くなってきた・・。この先は次回。おやすみなさい。
2003/11/21
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「あきれたもんだ!」「それはないぜ!」「おやおや」ロシア語で、そんな時に使う言葉が「ヨウキ ポウキ!」そんな名のロシア料理店が、アゼルバイジャンの首都バクーにある。これまでの仕事のお礼にと、アゼルの夫婦二組に友人と共に招待された。この国は、ロシアから独立して13年たっても、まともな産業が育たず、かって繁栄を誇った企業は、ロシアからの注文が途絶えて閑古鳥。西洋から注文を得ようと、品質管理の技術指導を行って10ヶ月。そんな矢先に、二人の優秀な人材が、指導した企業を去った。ひとりは、指導した技術で欧州のISOの審査員補の資格を取って欧米の企業に就職。半年、給与未払いだったので、ようやく家族を楽にできるという。毎週、欧米テニスクラブでテニスを楽しんでいた私の友人。給与が未払いだから会費を払えないと、最近は見てるだけだったボリスさん。招待の理由は、これまでの、われわれの指導に感謝しての宴とか。ロシア民謡の演奏を聴きながら楽しい雰囲気で宴は始まった。右のカップルがボリス夫妻。ボリスはいつもニッコリ笑って言う。「私のオクサンは美人です。それに娘がふたりいる。家では3人の美女に囲まれて、果報者です。」と。この店は、生演奏があるので、すでに何度も訪れたお気に入りの店。左端は、ピアノも手風琴もこなすこの店の楽師、いまでは私の親しい友人でもある。彼は英語が話せない。僕はロシア語がほとんど片言。でも、身振り手振りで、こんなことまで語り合えた。彼の息子はふたり、一人は軍のパイロット、もうひとりディスコで遊び狂っている不肖の子がいる。私の大好きな美しいロシア民謡「Two river side 」をいつも演奏してくれる。手風琴にあわせて、歌ったら、他の卓の人まで拍手してくれた。 この国で恒例が、ウォッカを乾杯しながらのスピーチ合戦。ふたりのどこかうしろめたい気持ちを払拭させ、のびのびさせたかった、また、奥さんが20年も働いた会社からはなれるときいて不安がってたから、私は、次のようなスピーチを行った。「彼らが去ったと聞いたとき、最初は困ったけど、もうマニュアルは完成した段階。あとは各部門の実施段階。道はふたりがしっかり築いたあと、気にすることはない。ふたりが去ったおかげで、他の人たちが、私たちの教育を得る機会を得始めている。ふたりは、前の企業にいては、確かにその能力が十分発揮できないよう。二人とも優秀、小さな枠に入りきれない大きな翼を持っている人たち。学んだことをいろんな形で、多くのコーカサスの国に広める、より大事な仕事が待っている。奥さん方は、伴侶が大きな翼をもっていることを誇りに思って、安心して、だんなさんの決断に付き従っていってください。」と。みんなが、いいスピーチだったと握手してくれた。ボリス氏の奥さんは、色白のロシア美人。ボリス氏がテニスでミスすると、「アリヤ、リヤ、リヤ」と、口をとんがらせて激励する、自らもテニスをする楽しい人。絵は、クレヨン画「典型的ロシア美人のボリス夫人」 天国にいるかみさんとテニスをしたら気が合いそうな気さくな方。いつか天国にいったら、みんなでやろうかな。絵を描いてあげたり、一緒にロシア民謡を合唱したり夜が更けるまで、心温かい異国の人たちとの交流を楽しんだ。彼らのいままでの給与は、月100ドル前後。今日の払いは、半月分の給与に相当するだろう。彼らは激しく議論する一方で、本当に優しい心配りをする。だから、この国を去りがたい。心も紙コップ風のカルフォルニアや、生き馬の眼を抜くハンブルグなどと違って、この国は、明治維新の頃の日本のような、ひたむきさがある。違うのは、国を牛耳る官僚が、日本は多くの若い人材を欧米に送って国の基礎を築いたこと。この国は長いロシア体制の悪習をひきついで利権を漁り、私腹を肥やす官僚ばかりで国の展望が見えないこと。最近の日本は大差ないから、大きなことは言えないけど。
2003/11/16
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ハワイでの娘の結婚式は、なにもかも初めてのことばかり。教会での結婚式も、海外での挙式も初めてでしたが、いろんな新しい体験ができました。 神主が優しく話しかけて心を通わすことのない神前式にくらべると、 ふたりに話しかけている神父の微笑がなかなかいい。 新婦の腕を組んで歩いて、新郎に花嫁を託す儀式の意図も明確。 心に残りました。 賛美歌の歌い手も、こう言う折には、人の心を幸せで満たす楽しい役のよう。でっぷり太ったハワイ人らしい女性の豊かな声量が響き渡った。 ろうろうと賛美歌こだまする教堂 ベールをはらう新郎の腕 やはり、一番良かったのは、丘の上の一軒家を借り切って行われた披露宴。 玄関の入り口にランの花を敷き詰めたBarbaraさんと言う女主人の心配り。 花にあふれたベランダの食卓からの、光あふれるワイキキの夜景。 ハワイでも著名と言われる豊かな声量の上品な歌い手の唄。 その生演奏を聴きながらの乾杯が、とても印象に残りました。 カスピ海から運んだキャビアをほおばり、 夜が更けるまでリラックスして歓談。 来賓、縁者に気をつかうこともなく、気心の知れた、うちとけた雰囲気。 一番リラックスして楽しんだのは新郎新婦と目を細めて見守るその親たちだったよう。 カットしたケーキを顔面一杯に押し付けあったり。 そして、式の前後は、サーフボードやゴルフやドライブ。ダイアモンドヘッド登山や、夕暮れのクルージングディナーと、思い思いに休暇をすごしました。 娘も息子も、親の知らないところで、すっかり大人になっていた。 普通なら、こちらは娘が一人いなくなってさびしくなるはずだが、 さびしい父子家庭に、娘のおかげで、楽しい家族が一挙に増えたような感じ。 笑顔のご両親にうちとけて幸せそうな娘を見ていると、 本当に、良い出会いに感謝したい幸せなひとときだった。娘の花嫁姿を描いてみました。似てるかなあ? ともあれこの娘への父親の思いは、23日の日記「嫁ぐ娘への懺悔録」に語っています。よかったら、ご覧ください。 参考)これから挙式を控えている方へ今回の素敵な式一式を企画くださった方を紹介します。 ◎◎殿などの大掛かりな商業化した結婚式をやめて 手作りの結婚式をハワイで挙げたい方は、下記へご相談方。 食べない料理、使わない引き出物、気疲ればかりの大披露宴は、もう改める時期かも。 国内のお偉い上司の方々の有益なスピーチはないけれど、 気心のあった親しい人たちだけの披露宴の素晴らしさがある。 休みの取れにくい両親、兄弟にも長期休暇とバカンスの機会をプレゼントできるよう。 ハワイ在住9年のハワイの隅々を知り尽くした眉の濃い好漢の向井さんという方が、 衣装から式場からムードにあふれた披露宴から、宿やコンドミニアム、ツアーの手配まで、 心に残るプランを練ってくれるはずです。 向井さんアドレス → kamukai@pixi.com ただし、先方のご両親の友人の方なので、本当に挙式を真面目に考えておられる方だけ。 失礼のないように誠意をもって対応をお願いします。 ちなみにハワイでの挙式の利点は、費用が明確でかえって安いものがあるよう。 おおよその目安ですが挙式の主な費用を参考に 教会の挙式費用。 $1000~1500 その他の挙式費用 $1000~1500 リムジン1台、ヘアーメイク、花束含む。 花嫁の貸衣装 $ 600~1200 披露宴 1人 $200~250 空港への送迎などは、別途実費明細で明確化。 なお、頼むと、フォトツアーと言って、2時間ほど名所でふたりの写真ツアーあり、 式場でもユーモアのあるカメラマンが、50枚以上のスナップ写真を撮ってくれ思い出になるよう。 写真は日本とちがってフィルムをくれるので安上がり。ともあれ、皆が満足して楽しいひとときをすごせる心に残る結婚式でしょう。
2003/11/10
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