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「生きる」ことを「使命」や「責任」としてとらえるなら早く終えることは悲しいことでもない。早く荷を降ろさせていただけるとありがたい。生きることの厳かさを考える。そう簡単には、重荷を下ろせないのが常だ。だから大変だ。大変だから、喜びも大きい。子どもには、子どもの使命若者には若者の使命壮年には壮年の使命老人には老人の使命病者には病者の使命みんな知らず知らずに負っている。それぞれの輝きを持っている。老人には、しわしわの身体をさらして生きる使命が。それが老人の輝きだ。ボクにもそういう使命が待っている。
2006年12月31日
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2度と還ることのないこの年が終わろうとしている。歌ではないが、時は川の流れのように流れていく。ボクたちは時の中で生きる。そしてこの世では終着が確かに待っている。「隣りびとと共に生きる。」人生とはたったそれだけなのだ。
2006年12月30日
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晴れやかな空になりました。昨日の強風の名残で、風の音がします。冬の空の下に守られ、どうぞ良い年末をお過ごしください。片づけなど、できるだけでいいんです。そんなに頑張らなくても。それより陽だまりで暖まりましょう。
2006年12月29日
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以前のことではあるが友人が、クリスマスを前にして旅に出たことがある。行く先も告げずに。何を言われたのかは知らないが奥さんの一言でKOされたのだ。そこでその教会のその年のクリスマスは牧師不在で執り行われた。ボクはほっぽり出す勇気の方に感動したよ。そこがあの人のいい所なんだな。
2006年12月28日
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過去を振り返りたくなる時自分を戒める前だ前を見つめよ未知なる前喜びは前にあると後ろは忘れていい良かったことも慚愧に堪えないことも全部忘れていい今のお前は過去が作っているそれで十分では?それ以上のものは過去にはありません新しい年は来るだろうかもし来たら喜び迎えよう友だちが来た時のような親しみを込めてみんな!一緒にスタートしようね。
2006年12月27日
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各地で死刑囚が4人執行されたというこんな悲しみは滅多にない前の法務大臣の分が2名だと
2006年12月26日
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クリスマス礼拝や、前夜祭の喜びの波が収まり朝は静かに明けたああ今日も与えられた。そうだ!メリー・クリスマス平和のあるじよ、あなたはどこにおられますか?「おまえの中にいるではないか!」精一杯に下を向き自分のおなかの辺りに目をやりメリー・クリスマス!
2006年12月25日
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メリークリスマス羊飼いが見聞きした天の軍勢の祝いをお手本にしてボクたちも今日、降誕礼拝を守ります。メリークリスマス主よ心からご歓迎いたします。ボクの心に神の愛の焼き印を押して下さいました、その初めの日。メリークリスマスボクたちも「主の愛」の挨拶を交わしたい「主のお出でを感謝いたします」と。メリークリスマス今日、主のお生まれを何よりも喜び共に祝う人々の心にメリークリスマス今日洗礼を受けようとしているかたにメリークリスマスメリークリスマスメリークリスマスメリークリスマス
2006年12月24日
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「あわてん坊のサンタクロース」って歌だけじゃない。ちゃんとクリスマスの朝にやってきたけどすやすやと寝息を立てている子供たちの部屋は素通りして彼らの両親の枕元にプレゼントを置いていったよ。
2006年12月23日
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日曜学校の生徒さんに誘われて英和女学院のクリスマス礼拝に参加しました。ええ、ちょっとしたピクニック気分でしたよ。信徒さんたちと車一台で、高速を行きました。富士川SAは富士山を眺める名所なのですがいつも望めるわけではありません。昨日は、絵に描いたように眺められ、みんな歓声を上げていました。アングルの中には、山、空、海、町、道そして富士山そこでお弁当を食べて、静岡市へ。英和のチャペルは荘厳で、礼拝はステキでした。生徒の皆さんが司会、奏楽、ハンドベル、お祈り大聖歌隊は良く訓練され、コーラスは美しかった。山北牧師の説教は、超きまじめなようで、ユーモアもあり貫禄がすごかったです。英和女学院に幸あれ!
2006年12月22日
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妻の言うことは、神様の言うことそう思っても、そんなには差し支えがないこと
2006年12月21日
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昔、聖書学院の生徒が身体をこわして、高名な教授・笹尾鉄三郎師の元に行った、と。「わたしの信仰と癒しのためにお祈りください」と。教授は聞いた、「どんな毎日を過ごしているのか」と。「はい、朝は5時半からの早天祈り会それから掃除、密室、授業放課後は、路傍伝道、信徒の訪問、夜は集会、それから遅くまでの宿題」「そうか・・・キミに必要なのはね癒しの祈りよりも、休息だ。」
2006年12月20日
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クリスマスのキャンドルサービスピアノを弾く人の都合が悪くみんなでアカペラで歌うことを決意。みなさんにそのことを伝えると、ピアノの先生をなさっているという、日曜学校の生徒のお母さんが、友情出演して下さることになった。「聖しこの夜」が、初めて歌われた夜みたいだと思った。あの時は、オルガンがこわれて、ギターの伴奏で、その曲が披露された。「主の山に備えあり」(ヤハウェ・イルエ)
2006年12月19日
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人口11万人余りの小さなこの町にもオーケストラがあります。「三島フィルハーモニー管弦楽団」昨日は、楽団員の方からチケットを譲られて教会の皆さんと4人で出かけました。メンデルスゾーンの「ヴァイオリン協奏曲」若い時から大好きだったこの曲瑞々しく、美しいメロディーが次から次へと重なり合います。チャイコの「第4交響曲」若い頃は余り好きではありませんでしたが改めて見直す機会となりました。弦楽器がそろってピチカートでメロディーを奏する部分があります。堅苦しいクラシック音楽とは思えない演奏する人々も聴く人々も一緒に楽しめるのは、こんな場面でしょうか。若い音楽家が多く、技術も確かです。若いってすばらしい!思いきり拍手をしました。
2006年12月18日
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聞く人は2人なのに勢い余って喋ります。不必要な大声で。身振り手振りも加わります。こんなことが2度続きました。疲れたり、ストレスが昂じると、こうなります。横にいた妻からストップがかかりました。ありがたいものです。それでも礼拝は45分で終えあとは3人で楽しいお茶を過ごしました。夜が更けて、木枯らしは少し弱まりました。
2006年12月17日
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土曜日は日曜日のために、教会のお掃除をします。60代半ばのご婦人が毎週来て下さいます。彼女は、トイレを入念にお掃除下さいます。ボクは、椅子やピアノ、講壇などを科学雑巾で磨きます。妻は掃除機をかけたり、その他の雑務をこなします。「今年は外にディスプレイを飾りませんね」ご近所から声がかかりました。なんとなくやっていませんでした。暗くなって、息子が軽トラに乗ってやってきました。事情を話すと「星くずのディスプレイ」を飾ってくれました。
2006年12月16日
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(聖書を読み解く)ルカによる福音書1章より、「マリアへの受胎告知」から 天使は、彼女のところに来て言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」(28節) 祝福の訪れは突然に。 マリアはこの言葉に戸惑い、いったいこの挨拶は何のことかと考え込んだ。(29節) マリアは挨拶の意味が分からず、とまどいました。 すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。 あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。(30~32節) 説明を聞けば聞くほど、とてつもない知らせでした。ユダヤが待ち望んでいたメサイアが、マリアを通して生まれるという知らせでした。 マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」(34節) 子供を宿すなど、あり得ないことですと、答えずにはいられませんでした。 天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。 (35節) この出来事は、神様の偉大な力が働いて起こること。人間の努力や力は一切関係がありません。 あなたの親類のエリサベトも、年をとっているが、男の子を身ごもっている。不妊の女と言われていたのに、もう六か月になっている。神にできないことは何一つない。」(36~27節) 親族のエリサベトも、年齢が過ぎ去っているのに懐妊していること、マリアさんあなたも知っているでしょう? 知っています! エリサベトに子供が生まれることは、山里の村中の評判になっていますもの。「神にできないことは何一つない」 (37節) 考えていたって一生わからない。 神様の御心は、私たちを幸いに導くことと、ただ信じましょう。神にできないことは何一つないのですから。 マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(38節) 「恐れ」から、「アーメン」へ。 頭でわからなかったら、心で受け止めます。従順が力と恵みの元だと、教えられていますから。 天使が去ったら、マリアの信仰は高まっています。この喜びをだれかと分かち合いたくて、エリサベツを訪問することにしました。 そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。(39~40節) マリアの挨拶の言葉で、エリサベトの胎内の子が踊りました(41節)。祝福に満ちた人の訪問は、まだ産まれていない子供にさえも喜びを与えるんですね。エリサベトもまた聖霊に満たされて祝福を述べます。祝福を持ち運ぶ人がそこに現れるだけで、その場所が苦しみから喜びに変わるのでしょう。 ボクたちが歩き出せば、周りに祝福をもたらす。ああ、そんな人になりたい。 そこで、マリアは言った。 「わたしの魂は主をあがめ、 わたしの霊は救い主である神を喜びたたえます。(マリアの歌46節~) こんな小さな自分さえ、主の母となる祝福に導かれました。 マリアの歌はすべてのクリスチャンの歌です。こんなボクたちでさえ、主はお選び下さり、福音に仕え、まことの礼拝者として整えてくださいました。ボクたちがささげる賛美は、いつだって、そのようなマリアの歌なのですよね! アーメン!聖書本文は日本聖書協会・新共同訳聖書より)
2006年12月15日
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このブログに来て学んだこと。「井の中の蛙」だった自分に気づかされたこと。みなさんどうもありがとう!少しは成長できたのなら、今度は、ボクのお勤めしている教会の成長に仕えたい。主が許したまわば。
2006年12月14日
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オルガンを処分したい人がいたので、頂きに行った。「○○年度卒園記念」と横に書いてある。弟に東京から運んでもらった。(スゴイ兄だね)サンドペーパーをかけてニスを塗り直し、破れている布も張り替え、中を開けて、ほこりを吸い出した。空気を思いきり送り鍵盤を押すと、会堂いっぱいに分厚い音が響いた。引越を手伝いに行ったら「むかし軽井沢で宣教師が使っていたものだ」キミにあげるよ、と言われた小型のリードオルガンは微妙に上品な音色ですてき。「何でももらってこないで下さい」役員さんに言われてしまった~信徒さんの家に伺った「このピアノを頂いて下さいませんか?」
2006年12月14日
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午後になって雨が降り出して町中に出ました。そこで色々な人とすれ違いました。お顔を見ていて、思ったこと、「人の顔ってそんなに違わないな」でも、やっぱり微妙に、すべての人の顔が違っているのです。
2006年12月13日
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共に生きる喜びを知ったからもう二度とさ迷わない
2006年12月13日
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礼拝用のメッセージを書く夢を見ていました。夢の中で、シンプルで論旨明確なメッセージができました。ボクにもこんなメッセージができるのか!と驚きました。夢の中で、それを携えて、礼拝の講壇に立ちました。5,6人の人々が来ていて、「今日は都合の悪い人が多いな」と思いながら、下を向いてお話ししていました。ふと気づくと、何と満席になっています。おお、夢の中で。目が覚めた時には、そのメッセージを覚えていました。時間がたって気づくと、きれいに忘れています。シマッタ!
2006年12月12日
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愛する人がいる守らなければならない人がいる愛されている必要とされている
2006年12月11日
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今日はクリスマスに備える「待降節」の2番目の日曜日。「マリアの受胎告知」をメッセージに選んでいた。昨晩遅くまで、何をお話ししたらよいか、迷っていた。朝になって、ここからお話しすべきメッセージが心に開けてきた。やっと信号が「青」になった感じ。朝の光はステキだ。
2006年12月10日
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子供たちが小さかった頃サンタさんがわが家を訪れて下さったものだった。クリスマスには、ボクたちにも、そんな楽しい日々があったことを思い出すようにしたい。クリスマスには、どうしてプレゼントを仕合うのだろう。いつ頃から、そうなったのだろう。キリスト様が生まれた時、東の国の博士たちが訪れてプレゼントをささげた、あの時からかな。そうか、キリスト様のお生まれそのものが、神様の愛のプレゼントかもしれないんだ。それに気づいた人々がお互いに、ささげ合うようになったのかな。た・ぶ・ん
2006年12月09日
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苦々しい思いは、しばしばやってくる。感謝をすることは、意外に難しく、奥深いものだ。神様と心が結ばれ、与えられ、生かされていることを学べば、「そうか、感謝なんだな」と気づくようになる。以下は、「感謝」を勧める聖書の(パウロの)言葉。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」フィリピ4:6「どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」1テサロニケ5:18
2006年12月08日
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「もし、神様が愛だったら」 「もし、天国があったら」 ボクが、こんな調子で話すことが多いらしく、抗議する人がある。 もっと断定的に、確信を持ってお話するべきだと言うのだ。 断定的に言わないと、聞いた気がしないらしい。
2006年12月07日
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「エサイの根より 生いいでたる くすしき花は 咲き初めけり」 新聖歌69(讃美歌96)待降節になると歌われるクリスマスソングです。平板な旋律のようでいて、歌い出すと味わいがにじみ出てくる。何度も歌わずにはいられません。15世紀ラテンの曲だと小さく書かれてあります。エサイとはダビデ王の父となった人。ダビデ王家の子孫からメサイア(キリスト)が誕生するとは、聖書の預言です。イザヤ書には、「エッサイの株から一つの芽が出て、若枝が出て実を結ぶ」と記されてあり、この辺りからキリスト誕生の預言が具体的になっています。イエス・キリスト誕生の700年以上前で、実に、700年以上もキリストの誕生が待たれていたことになります。ボクなんか、せいぜい待っても3年かな。いや2年かな。いや1年かな。いや・・・・
2006年12月06日
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ツリーは、子供たちがきれいに飾り付けました。リースも各部屋に懸けられました。お正月の「お飾り」のように表玄関にも懸けました。こうしてボクたちは、だれでも初めての赤ちゃんを迎える若い夫婦のような心になってクリスマスを待つのです。クリスマスの起源となったその日は空で天使たちが集まって賛美をしたそうです。羊飼いたちが、その有様を報告しました。そんな様子を心に描いていると、キリスト様のお生まれならば、「そのくらいのことは、きっとあるだろう」クリスマスの礼拝が持たれるその日には、今でも、空には天使がいて、賛美が響いているような気がします。
2006年12月05日
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今朝は凍てついた「初冬」から「冬」に移ったのだ冬は人々の心が温まる降り注ぐ陽の光のありがたさを感じ合うからだ
2006年12月05日
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昨日の日曜日、お昼にうどんを頂きました。「皆さんとご一緒に頂くと、余計おいしいですね」そんな会話と共に、食事が楽しく進みます。お鍋に残りがあると、たいていはウチが頂くことになります。温め直して、今晩頂こうとしたら、ずいぶん膨らんでしまっていて、箸ですくうと、切れて落ちてしまいます。
2006年12月04日
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ボクは怪力サムソンの物語が好きです。士師記13章からです。サムソンの父親はマノアと言います。マノアの妻は子供はなかったのですがある日、御使いが来て、子が生まれることを告げられます。「あなたの名はなんと言いますか?」と尋ねられた御使いは「わたしの名は不思議」と答えます。こうしたサムソンが生まれる事情も、不思議ですがサムソンの生涯そのものが、不思議に満ちています。神様はどうしてあんな荒くれ男を、御用のために用いられるのか。サムソンは女性依存症患者に見えますし。神様がなされることは、不思議です。こんな物語が、聖書の中には幾つもあります。聖書とはまったく「奇書」だよなぁ。
2006年12月03日
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光があふれだすのは、2月だけれど12月の光も柔和で温かいと思った冬の朝の光は、朗らかに歌いながら降りてくる日が高くなるにつれ風が強くなりやはり冬はやさしいばかりではないか
2006年12月02日
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「師走」何ものかに駆りたてられるような言葉。「じゅうにがつ」この言葉の方がいい。今日は公孫樹の葉が敷き詰められている中を走った。
2006年12月01日
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