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ボクたちの教団は創立20年目を迎えた。歴史の短い若い教団と言える。教会の数は40ほどで、スタート時より2倍ほどになった。ボクたちは本来、日本キリスト教団内の「ホーリネスの群」に属していた。当時は日本キリスト教団の信仰や教職制度が長い間混乱していた。日本キリスト教団は長い間、教師検定試験を開くことが出来なかった。ようやく教師検定試験が再開した頃、ボクたちは独自の教師検定試験を始めた。それはある人たちからすれば過激な行為であり、してはならないことに映った。ボクたちは止める気はなかったので、総会でボクたちのグループを切り離す決議がなされた。それは僅差(2票ほどの差だったと記憶している)だったが、ボクたちがしたことは道理にかなわないこととされて、ボクたちはホーリネスの群から切り離された。それが今の「ウェスレアン・ホーリネス教団」が設立に至るきっかけである。ボクたちにとっては、教師検定試験を行い、またそれを受験したことは信仰の証しだった。ただそれだけ。それから自分からホーリネスの群やひいては日本キリスト教団から飛び出したのではない、そこにボクたちの「良心のかけら」があったと、今にして思う。あとはもう歴史に委ねるしかない。
2012年02月29日
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「3人合格した!」上気した顔で判定会を終えた教師たちが会議室から出てきた。よかった!
2012年02月28日
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この冬初めての鍋料理は松阪牛のスキヤキ松阪牛を心待ちしていた。息子がラジオの懸賞で当てた、松阪牛1Kg。きのう、来た。
2012年02月27日
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礼拝応援頼みます、と金曜日に連絡を受け友が働く教会へ緊急出動した。片道2時間半。礼拝の説教をし、礼拝後の祈り会に出て食事を頂いて帰った。ちょっと薄着で出てしまったので体が温まらず、東京ケズイックに回りたかったが大事を取ってそのまま帰宅した。残念。わが家の礼拝は妻に頼むと、「急には準備ができない」という。経験上、根を詰めると血糖値が急上昇する。「じゃぁ証しをしたらいいね」「それでいいね、でも証しをしていてもきっとメッセージになるわねぇ」船橋の叔父が礼拝に出席なさったという。叔父には説教よりきっと証しの方がいい。神様のご配剤に感謝!
2012年02月26日
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超楽しい礼拝後
2012年02月25日
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震災関連緊急会議の議事録が、ほとんど執られていなかったこと。あまり恐ろしい事態が起きてしまったので「議事録とらなくていいですか?」とか、伺いを立てることさえ気がひけたのだろう。あるいは「ばかそんなの執っている場合か!」と怒鳴られた可能性もある。昨今公開された、アメリカ政府の関連議事録の詳細さ。日本とアメリカの違いをイヤというほど見せつけられた。日本の政府って、大型の町内会じゃないかな~それがボクたち日本人の肌に合っているのだろう。「民主主義」とか「議会」さえも実はボクたちには異質のものかも知れない。そう、天皇を中心とした社会とか、水戸黄門、忠臣蔵ああいうものがボクたちの心の故郷なのかも知れない。ボクたちの国はこれからどういう道を歩むのかな?
2012年02月25日
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ボクは「歩行者用信号」を押せない。だれかが押していてくれていれば安心して一緒に渡る。犬の散歩で県道を渡ることがある。信号の前で「だれか来ないかな」と待っている。だれも来ない。左右の車の流れが切れるのを待って、渡ってしまう。たった一人で車の流れを止める勇気を持てない。
2012年02月24日
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浅き春の雨も、午後には上がったので夕方市役所に「確定申告」に行った。20年以上前に一~二度確定申告をした記憶がある。人がまばらなのに拍子抜け。最近の皆さんはネットで済ませているのかな?申告をするほどの収入もなかったが、義務感に駆られて行くのである。1~4月は教会から牧師給を頂いていたこと。「その分の源泉徴収票を発行してもらって、また来て下さい」「恐らく税金は還付されるでしょう」その言葉に心明るくなり家に帰った。
2012年02月23日
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今度の住まいは2階建で階段が急だけれど両側に手すりが付いているので安心感がある。両手をかけながら降りればまず大丈夫と思われる。しかし加齢のためかボクたちは夫婦とも夜中に必ずトイレに降りねばならない。夕食後は水分をとらないようにしているが。妻を見ていると、2度ほども降りているようだ。妻が立っていくのに気づけばボクは祈る。寝ぼけてうっかり階段から落ちませんように、と。
2012年02月22日
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パスカル著『パンセ』全924章をデーターベース化しようと思い立った。ネットで邦訳を探すと、部分的には載せているサイトがあり拝借。青空文庫にあるかな、と思ったが載っていない。本をばらしてスキャンして「読取革命」でテキスト化する。順番にエクセルに貼り付けていく。まてよ。ボクの年齢では2年位はかかるかも知れぬ。ほかの読みたい本を読む暇がなくなるなぁ。それにこのデーターベスを役立ててくれる人がいるとも限らない。押し売りはだめだしな。やっぱり『パンセ』全巻データーベース化は時間を取りすぎてダメだなぁ。寿命が尽きてしまう。とすると、自分なりに厳選して、「ダイジェスト版」でやってみるかな?
2012年02月21日
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愛とは好き、嫌いうれしい、悲しいそういう感情が凪いだとき静かに生まれてくるものではないだろうか
2012年02月20日
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母は確かに84歳になるが、74歳ほどにも見える。話し方は老成を感じさせるが会話の内容は60歳と変わらない。わが妻も64歳であるが、54歳と思い込んでも別に構わない。信仰の話でも始めればもう歳は不明である。過ぎ越してきた年月を数えることはそんなに意味のあることではなかろう。忘れていて差し支えない。
2012年02月19日
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前任教会では34年間働いた。妻は約36年間働いた。遣わされるとき前任の老牧師に仕え、ご老人の信徒さんたちを無事に天国に送り届けるようにそういわれて、ボクたちはその通りに生きた。ボクが赴任したときおられた老牧師、信徒さんたちをすべて天国に送り届けた。気づくともうボクがここに来てから教会に来てくれた人たちだけ。やがて妻は病みからだがきつくて出来るなら退きたいと言った。でもあなたががんばるならワタシは従うけれど、とも付け加えた。出来るとも。優れた後輩たちがたくさんいる。ボクたちがここにいなくても大丈夫。ボクたちの結婚式の日からここに着任して子供を産み育てみんなに祈り支えられていつの間にか子供たちは成人した。ありがたかったねぇ。もういちど、若い頃の気持ちを思いだして仕切り直そう。ボクは今は教団巡回教師を拝命している。妻は闘病の身で無任所教師である。
2012年02月18日
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寒風の中を往復で2時間バイクで走ったのが祟ったのかちょっと体調を崩した。やはり歳を考えなければ。そんなことを妻に言うと「すぐ忘れそうね」それでも今週の大事な責任は果たした。神様がお守りくださったのだ。やさしい神様!今日は教団総会の準備で事務所に出る日だった。昨晩「行かなくてもいいですか?」とメールを出すと「3人集まるから、キミはいいよ」同労者もやさしい・・・
2012年02月17日
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教派 denominationボクは偶然にもホーリネス系のキリスト教会に入った。家の近くにあった。それでホーリネスの聖書学校に行きホーリネスの教会に赴任した。もしも家の近くにバプテスト教会があったらそこに行っただろう。ルーテル教会があったらそこに行っただろう。長老教会があったらそこに行っただろう。その教派スタイルで信仰が育てられ今日ある。だから生まれ、生かされたわがデノミネーションには感謝をしている。しかしデノミネーションに優劣を付けるのはどんなものか?デノミネーションは器であり、本体ではない。良い器を持つ趣味の人なら別だが。ボクたちはこの器の中にイエス・キリストを頂いているのだ。それこそが大切なものだ。ボクたち自身が「土の器」だと聖書に書いてあるのにデノミネーションに、着飾らせることは滑稽だ。プロテスタント「プロテスト」というネーミングを持つことに恥を覚える。カトリックわれこそは普遍的教会なるぞよ、なんて傲慢だ。正教会自分だけが正しいと言っているように聞こえる。みんな自分のネーミングの愚かさに気づこうよ。そして新しいキリスト教会を作り直そうよ。
2012年02月16日
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「父さん、人は何のために生きるの?」父の仕事を手伝いながら聞いた。父は仕事の手を動かしながらこちらを向いた。「ばっか、そんなのわかるか」人間を深く突き詰めていくとニヒリズムに突き当たる。ヨーロッパの近代精神はキリスト教を捨てることからスタートした。やっと日の光の下で自由に生きられるそんなふうに思った思想家、哲学者しかしたどり着いたのは相変わらずニヒリズム。ニヒリズムの崖の上に立ったパスカルはそこにイエス・キリストが立っていたことに気づいた。そこにおられたのですか。イエスは静かに立っておられた。それは邂逅だった。灰色の空気が変わった。透明に・・・・
2012年02月14日
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10ヶ月前、千葉に越してきてさてインターネットはどうしようと思案したものだった。婿さんから、お父さんワイマックスがいいですよと教えられ、ボクと息子が使うので端末を2台申し込んだ。ところが2台同時には使えないことがわかった。がっかりしていたら、端末に有線ランの入り口がありスイッチングハブを使って2本にして一件落着。ワイマックスから日曜日の午後、電話がありお客様は端末2台お申し込みですね2台同時につなげるキャンペーンを始めました、ついては2ヶ月間無料でございます、と勧られてしまった。無料期間が終わると、月約2500円のプラスだそうだ。ワイマックスは、まれに繋がらなくなるときもあるが今のところはストレス無くインターネットにつなげる。息子は、ボクたち老夫婦を助けながら自宅兼仕事場でレザークラフトの職人として立とうとしている。これで、ボクが端末を外に持ち出しても両方でインターネットが出来るようになった。 ちなみに、息子のお店はここです ↓ http://www.miles-leatherworks.com/
2012年02月13日
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講壇交換で教区の教会を訪ねました。牧師のお母様が九州から引越されたということ。帰り際に立ち話。苦労している娘たちを助けたい親の心。礼拝は一人でも多い方がいいでしょうと故郷を捨てて。信仰の心と一緒に。
2012年02月12日
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ネットで「パスカル」を検索しできる限り読んでみた。参考になったが、心にふれるものはそんなに多くない。パスカルの知的部分に関心が行きキリスト教信仰の深さをたどらないから。書籍など帯などに「天才」という言葉が踊っているがそんなに重要ではない。そんなふうに人の気を引いても仕方ない。パスカルは数学者、科学者としてスタートしたが、彼の超繊細な心は、それで納められない。パスカルの人間への洞察は怜悧、それはあまりにも冷徹で時に悪寒を催すほどである。人間への冷めた目、突き放した言葉はいったいこの人はそこに自分を含めているのだろうかと疑問に思う。そしてパスカルはあらゆる懐疑を克服した。ただ一人の人によって。ゴルゴダの丘に顔を向け静かにそこに歩むキリストの姿に彼は心奪われる。彼はどうしてキリストに心を奪われたか。キリストは彼にとってどんな方か。『パンセ』の後半にはそのことが克明に書かれている。この地上を歩いたたった一人の人がこんなにも悩める天才の心を動かしたなんて!パスカルは全部暗唱するまで聖書を繰り返し読んだという。彼の愛唱聖句は詩編119:84「あなたの僕が長らえる日々はどれほどでしょう。 わたしを迫害するものに対して いつあなたは裁きをしてくださるのでしょう。」なぁんだ。ボクならその前の節の方がイイ。「わたしは煙にすすけた革袋のようになっても あなたの掟を決して忘れません。」
2012年02月11日
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「わたくしは健康の危険と病気の喜びを知っている」 (パスカルの言葉)
2012年02月10日
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人間に対する疑い。神の元に行けば解決する。パスカルの精神は神の元で安らった。だから自分のように悩んでいる人間を神の元に連れて行きたいと願い。『パンセ』をしたため始めた。パスカルを「護教家」と呼ぶのは皮相的すぎる。「だれかをその美しさのゆえに愛している者は、 その人を愛しているのだろうか。 いな。 なぜなら、その人を殺さずにその美しさを殺すであろう天然痘は、 彼がもはやその人を愛さないようにするだろうからである。」パスカルはこのように人の愛に疑いを持つ。「だから人は、決して人そのものを愛するのではなく、 その性質だけを愛しているのである。」「人は、だれをもその借り物の性質のゆえにしか 愛さないからである」(323)そしてパスカルはキリストの無償の愛に触れたとき、感動し、感嘆し、真理を見いだし、これに生きることを願う。ボクもそうだった。ボクが若き日に救いを求めた道筋と変わらない。
2012年02月09日
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パスカルを繙いて面白いのはパスカルの心が2つの世界を行き来しているからです。マクロとミクロ科学の世界と精神の世界1と無限人間に当てはめ神の作品としての高価な人間神に背いて汚れに染まった人間どちらかに偏らないようにパスカルは苦心しています。「人間は考える葦である」との有名な言葉(347)これはつまりはどちらかに偏らないようによく考えなさい、と言う意味なのです。
2012年02月08日
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老いることは朽ちること。その先に肉体の完全な滅びがある。命のどん詰まりの先に新しい命とか永遠とかを信じる人とそれを信じない人と生き方に違いが出るだろうか、とパスカルは問いまた思索した。パスカルは肉体の痛みと共に生きた人でもある。40歳にならずに神様のもとに帰った。
2012年02月07日
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「オレオレ詐欺」の被害が依然として高水準という。報道される度にため息がでる。そんな高額をよくまぁすぐに準備できるものだと。
2012年02月06日
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フランスの思想家、科学者ブレーズ・パスカルは彼の思想、断章をまとめた著書『パンセ』の中で「賭の必要性について」という項を著している。わかりやすく繙くとこうだ。神を信じる、信じないというのは「賭」だ。キミはどちらにキミ自身の人生を賭けるかね?賭だから誤ることもあるだろう。正しい方を選ぶことに越したことはないのだが。神が存在する方に賭けてそれに生きてみる。それが正しい道だったなら万々歳だろう?生まれてよかった、正しい道を選んだ、良い人生だったと回想できる。しかるに誤った場合は?いいや誤ったとしたって、たいした実害はない。それでも神に従って品行方正の生涯を送れたと満足できることはある。それに反して神はいない方に賭をして神がいない道を最後まで生きてみたまえ。それで誤った場合はどうなる?天国も地獄も意に反して実在していたとしたら?地獄に行かなければならないキミ自身を想像してみたまえ。
2012年02月05日
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以前友人から「すごい交流サイトが出来た」と勧められてボクも一員となった。色々な人がボクが写っている写真を貼ってくれた。このブログ記事も貼れることがわかって貼ってみた。とたんに訪問者が増えた。でも何となく・・・わずらわしくなった。
2012年02月04日
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「立春」の前日は「節分」冬と春が分かれる日ということ。本来は「立夏」「立秋」「立冬」もその前日を「節分」と呼んだらしい。明日は「春が来た、春が来た・・・ 山に来た、里に来た 野にも来た」と謳おう。
2012年02月03日
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気がつけば2月。顔を上げると日が伸びていることに気づく。外はまだ寒く日足だけが先に春となるのだ。そう「光の春」それが2月なのだ。あのときの2月ボクたちは婚約中で東京と三島から手紙をやりとりしていた。「2月はすぐに終わるので『天使のつばさ』(伝道新聞)を早く配ってしまいましょう」妻はそう手紙にしたためた35年前。そこには結婚式の日を目前にした期待がこぼれ落ちていた。ボクたちも年を取ったねぇ。あの時のときめいた気分に立ち戻りボクたちの人生の仕上げとしようね。
2012年02月02日
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