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「受容する」受難節にボクの心は揺さぶられ与えられた使命は「受容」だと行きついた「耐える」こんな言葉は消え去って欲しい「喜ぶ」ことが良い「喜び、喜べ、天において・・・・」とイエス様もおっしゃる人との係わりで生まれる喜びには、時に惑わされる天を仰いで喜ぶことが喜びなんだ
2012年03月30日
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キリストの弟子は12人。その中の一人が彼を裏切ったイスカリオテのユダ。たった12人の弟子しか作らなかった。その中の一人が裏切った。小さな弟子の群の会計係だったらしい。信頼されていたはずだ。だれよりも主を愛していたはずだ。激しく深い愛が変わると激しく暗い憎しみに変わることがある。ユダの失望は大きかった。彼が考えていたメシア像とは違っていたのだろう。「俺が好きなのは、りりしく格好良く清々しいメシア」でも実際は見るべき面影はなく輝かしい風格も、好ましい容姿もない。彼は軽蔑され、人々に見捨てられ多くの痛みを負い、病を知っている。 (イザヤ書53章より)十字架を前にしてますます主が小さく見えるようになる。「なぁんだ、こいつがメシアかぁ」木曜日の晩の夕食の際だってあいつは奴隷のように俺たちの足を洗おうとしたのだ。そしてお前たちもこうしなさい、だと、ちぇっ俺の足も洗いやがったやさしい目で、俺をまっすぐに見やがったへっ何も知らずに。ユダは銀貨30枚で主を売り渡した。彼は敵の先頭に立ってゲッセマネの園で祈り終えて出てきたキリストを迎えた。少しは緊張したぜ。脂汗が出てきやがる。「先生」といって、キスをしてやったさ。それが捕らえる合図だったのさ。やつは「友よ」と俺を呼びやがった。この場に及んで、「友よ」だと?馬鹿かね、キリストは。友でね~よ、敵さ、裏切り者さ。キリストはかくして捕らえられ、引かれていった。十字架の刑が彼を待っている。ユダの手には銀貨30枚が握られていた。ユダは掌の中の銀貨を見つめた。いつまでも見つめていた。銀貨はだんだんと光を失ってきた。やがて黒々とした錆びた鉄の塊のように見えてきた。思わずユダは身震いした。そうだ、返してこよう、この銀貨は。ユダ、銀貨のことは忘れなさい。敵の懐に飛び込んではいけない。彼の元に、主のもとに、行きなさい。帰りなさい。今すぐ。まだ間に合う。主に向かって叫びなさい。赦しを求めなさい。主は今でも待っていると思う。あなたを。
2012年03月29日
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菜の花畑にやさしく風が吹くと菜の花は体を揺する風はまた向こうの畑に行く
2012年03月28日
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今は受難節という期間を過ごしています。キリストが十字架にかかった苦しみやその意義を、聖書を読みながら考える期間です。その苦しみや苦しみの意味は理屈の上ではわかっても経験的に理解することは困難です。しかし病を背負うことになれば別です。その痛み、苦痛の深さでキリストの十字架に近づけます。病めるキリスト者にピュアな信仰者が多いことはきっとそのためでしょう。ボクがやがて病むようになるときには従容として主の御苦難に寄りかかることができるようにお祈りしましょう。
2012年03月26日
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年度末の礼拝を終えました。「枝の主日(しゅろの主日)」の直前の日曜日今日は園で祈るイエス様のお姿と弟子たち、「ゲッセマネの祈り」を学んだ。ブレーズ・パスカルが『パンセ』B553で「イエスの秘儀」を著している。ここは「ゲッセマネの祈り」への黙想でありパスカルの根本思想が表れていると言われている。パスカルの肉体の痛みと十字架を目前にするイエス様の苦しみが深く強く共振し合っているとさえ思える。
2012年03月25日
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救世軍が出しているブレングル著『聖潔の道』という小冊子を朗読してICレコーダーに録音した。神学院の始業オリエンテーションのテキスト。自分が寝ながら聴くためでもある。ブレングルの書物は良い。お堅い内容をお堅くしない。ヒューマンというかどことなくユーモラスというか。それでいて「聖潔=きよめ」についてやさしく解きほぐされている。
2012年03月24日
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昨日年次総会を終えて今日は書類整理をした。振り返ってよい時だったと改めて思う。皆さんの思いやりの心穏やかな心を痛く感じた。大切な提案を通してくれた。ボクの任期はまだ残っている。次年度は前年度よりきっと良くなる。主よ、みんなの信頼に応えることが出来るように、知恵と力を与えてください。
2012年03月23日
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ホーリネス系の教会には聖別会とか聖会とか呼ばれる集いがあります。神様との新しい出会いをそこで経験します。神様の声を実際に耳で聞くわけではありませんが、聖書の言葉を通して神様の呼びかけを心で聴き、意志をもってお答えする時です。だから皆真剣に耳を傾けます。神様への信仰を深めたりする場となります。そこで伝道者になる決意を表す人もいます。何らかの決意が出来た人は、みんなの前に出ます。そこで祈ります。そのように前に進む場所を「恵みの座」と呼んでいます。「恵み座」は期せずして開かれる場合もあり予め開くことを予測して、前を広く開けておくときもあります。昨夜は「恵みの座」が開かれました。大勢の人が出て行きいっぱいになりました。ボクも進み出て、ひざまづいて祈りました。
2012年03月22日
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あしたから年次総会で全国から集まる。食堂のテーブルに置く鉢の花を買いに行った。はじめに松戸のでっかいホームセンターに行った。枯れてきている鉢しか置いていない。つぎに、うちの近所の農園で育てて売っている店に行った。もうすごい!春の花が生き生きと咲き乱れている。品定めしている後から、どんどん新しいものを運んでくる。年次総会から帰ったらきっと妻を連れてこよう。
2012年03月19日
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靜やかに、日付が替わろうとしていますということは今日も一日無事に守られました感謝です主の恵みをただ感謝します
2012年03月18日
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40の若い小さな枝がキリストの幹につながるボクたちの群です。来週は教団総会があり自分が責任を持つ部署の書類を一日かけて整えました。しかし非常に安いリサイクルインクカートリッジと交換したら、うまくプリントされません。ノズルをクリーニングしてもかすれるのです。思わぬ時間をとりました。
2012年03月16日
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年次総会の最後の準備に事務所に出た。夕方には帰れると踏んだが甘かった。10時になってしまった。でも遅い食事を3人揃って近所のレストランで取った。それは楽しかった。だんだんと整ってくる一部始終を見ていてそれなりに楽しい。
2012年03月15日
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夜遅くまでネットワーク会議をしました。自宅に居ながらにしてのネット会議は出かけていく時間のロスがなくて助かります。書記録を取りながら会議に参加できます。ぱちぱちキーボードを打つ音が邪魔だったかな?
2012年03月14日
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年会の準備日だったので午前中に事務所に出てから午後から友人の引越の手伝いに行きました。一所懸命に探し歩いた牧師や信徒さんたちの思いと神様の御心が呼応して新しい伝道の場所を見いだすことができたとわかりました。
2012年03月13日
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牧師になってよかったことの一つは真実な友人が多いということ。こんな宝を持てる職業もそんなにはあるまい。今日は友人の引越の手伝いをしました。
2012年03月12日
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政府が発表する県単位の線量の数値は、どこから来るのだろうかと、いぶかります。それに比べると自治体の発表はきめが細かいです。各学校内の線量を計り、定期的に発表しています。雨が降れば、濡れても大丈夫だろうか?花粉が飛べば、放射能が着いていないだろうか?水道水は大丈夫か?井戸水は大丈夫か?野天で無人販売の野菜を買っても大丈夫か?土壌と作物の線量の関係は?関東の人で心配をしない人はいないと思います。しかし情報はおどろくほど少ないのです。どうしてもっときめ細かく動いてくれないのでしょう?放射能禍の時代を生きるように神様がボクたちを召されたのでしょうか?放射能を浴びた野菜や魚を黙々と食べ、こんな時代を静かに生きることがボクたちの使命なのでしょうか?後世のために、ボクたちはモルモットのように生きる責任があるのでしょうか?今日テレビを見ていたら事故直後の惨状の中、現場の東電職員は現場を捨てようとした。それを当時の菅首相がとどめたそうです。ぞっとしました。さらに原子炉が壊れないで済んだことは奇跡に近いことだったと。日本は神様に守られていることを感じたと、そんなことを言っていました。ああ、世の終わりがとどめられたのか?明日で事故以来、一年経ちます。何もかも手つかずでいるように思えてならない。
2012年03月10日
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都会の隅の小公園にホームレス氏がうずくまっている。幸せとか 不幸せとかと無縁のようにじっとうずくまっている。そこで死ぬ日を待っているかのようにじっとうずくまっている。寒さを耐えしのびながら家族に囲まれた子どもの頃の日を思っているのかも知れない。手に職を持って活きていた青壮時代を思っているのかも知れない。なつかしい歌を密やかに歌っているのかも知れない。自分がここで息絶えればだれかが静かに運び去ってくれるのだ。荼毘にもしてくれるのだ。もしかしたらお経の一つでもあげてくれるかも知れないと思っているのかも知れない。パスカルはだれでも死を待っている人だという。ただ仕事や趣味で気をそらせているだけだという。そういうことを考えるとボクもこのホームレス氏と同じで、自分の運命を背負いながら生きる。
2012年03月09日
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「余分な仕事を少なくするために 外注に出しましょうよ」そんな議論を昔、したような・・・でも結局手作業の報告書作りに帰る。まぁ印刷機も進化したから。両面印刷の3台のページプリンタがフル稼働。一冊分ずつセットされて出てくるから助かる。みるみる紙の包みが無くなっていく。事務所は印刷所と化した。刷り上がった書類を1冊ずつていねいにのり付けする。最後に裁断機でページを揃える。封筒に宛名ラベルを貼り、製本なった書類を入れてガムテープで封をする。最後に郵便局に運ぶ。達成感に浸りつつ、お祈りをささげて解散となる。ご奉仕の一日終わり。
2012年03月07日
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雨の朝、教団事務所に出向き仲間たちと総会資料の原稿を整えた。印刷が始まったのが、夜7時を回っていた。「もう大丈夫、あとは明日」家路につくと外気はすっかり春と入れ替っている。歩きながら、冬の装備を一つ一つ取り外す。毛糸の帽子マフラー手袋家に着くと、「あぁやっと春になって嬉しい」と妻。関東での初めての冬も、ようやく・・・・
2012年03月06日
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街路樹に巻いていた菰を外しているニュースを見る。24節気の「啓蟄」虫が地面から這いだし野獣は冬眠から覚める「啓蟄」をネットで調べていたら、こんなステキな説明があった ↓ http://iroha-japan.net/iroha/A04_24sekki/01_haru.html聖書に「啓蟄」はあるかな?あるあるボクがよく口ずさむ聖句が。美しいひとよさあ、立って出ておいで。ごらん、冬は去り、雨の季節は終った。花は地に咲きいで、小鳥の歌うときが来た。この里にも山鳩の声が聞こえる。いちじくの実は熟し、ぶどうの花は香る。恋人よ、美しいひとよさあ、立って出ておいで。岩の裂け目、崖の穴にひそむわたしの鳩よ姿を見せ、声を聞かせておくれ。お前の声は快く、お前の姿は愛らしい。雅歌2章19~14節 聖書 新共同訳: (c)共同訳聖書実行委員会 Executive Committee of The Common Bible Translation (c)日本聖書協会Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988
2012年03月05日
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母は、自分は長生きはしないからと年金は掛けませんでした。なので無年金者です。母はお金は手元に置かない性分です。手にしたお金はその日のうちに使ってしまうのではないかと思われます。母は今年84歳になるのですが、もう少し若い頃は、周囲に良く注意されていました。お金はわずかでも手元に置いておくようにと。しかし母は自分が決めたとおりに生きるのです。ボクたちが若い頃の三島時代にほんとうにお金に困ったことがなかったのは恐らく母の援助があったからだと思います。たとえばボクたちは自分の子どもに小遣いを渡しませんでしたが母が渡していました。だから今、定収のない母に少しでも小遣いをと思い毎月始めに1万円を渡すようにしています。しかし母はなぜかボクからお金を受け取ることを喜びません。「いらないわ。 くれても礼拝献金にするわよ」今日はニコニコと受け取りました。でも、部屋の入り口に置いていた献金の箱を開けると別の1万円札がはいっていました。
2012年03月04日
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ジョン・ウェスレー著の『キリスト者の完全』を読んで中ほどに進んだ。今読んでいるのは藤本訳で、この訳では色々な機会に何度か読んだ。藤本訳は「注」が充実しているのが特徴である。「賛美歌」や「聖詩」といった部分が口語になって訳されているから平易である。『キリスト者の完全』は、「キリスト者の完全についての平易な説明」A Plain Account of Christian Perfectionというのが原題だが、決して平易とは言えない。だいたいどうして「完全」という言葉にこんなにこだわるか、理解に苦しむ。神様を愛する。熱心に愛する。聖書の御言葉通りに生きる。神様に対する一途さ。誠実さ。こう書くと、パスカルと一脈通じるものがある。ただし哲学者、科学者でもあるパスカルほど多岐にわたってはいない。パスカルはポールロワイヤル修道院の客員として生きたがじつに『キリスト者の完全』の後半で、ポールロワイヤルの黙想が引用されている。ちゃんとつながっているのだ。
2012年03月03日
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ひとりの卒業80人の参列粛々たる卒業礼拝
2012年03月02日
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開拓伝道は、人が来ない日もある。時々は人が訪れてもまただれも来なくなる日々がある。ボクが説教の御用に呼ばれた日もだれも来なかった。でも伝道者夫妻を前に50人を前に語るように語り2人を励ますようにも語った。終わってからコーヒーを淹れてくださった。真新しい袋を開いてくださった。
2012年03月01日
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