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生きることは、死に向かって生きる生きることは、死ぬことでもある死ぬことは、次の命を信じる人にとっては生きることでもある生きることも、死ぬことも同じどちらも神に任せて今日の生き死にに向かう
2012年11月29日
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十字架の下に立ちし女達 イエスが重い十字架を負ふてクラリオン(どくろ)の丘へと向はれた時のことである。 イエスが磔柱に懸けられると多くの女達が、其の下へまでも行って、彼の最期を見届けてゐる。 女性はセンシチヴである。ヒステリーになり得る程の敏感をもつ。凡ての者がイエスを罵り、イエスを裏切った時、最後までイエスの追従者としで残ってゐたのは女性である。 外の男の弟子達が、皆イエスのもとから退散、逃避した時に、四人の女の人は終りまで、十字架の下に立ってゐた。 女の人達は、いつの時代にも、善い所を保存して呉れる。若し女の人が、その子供達に、お伽噺を口移しにしなかったならば、民話も、童謡も跡を断っであらう。又、いい日本語を母が教へて呉れるので、子供がいい言葉を覚えるのである。母たる婦人たちのお蔭で我々の日本語は、保存され、段々に美しいものとなって来るのである。 十字架のイエスを終り迄、凝視めて呉れたのは女の人達であったのだ・・・。 (賀川豊彦『イエスと人類愛の内容』 ~第5章「イエスと女性の聖化」より抜粋)電車の中で読み物をしていたら、上の文章に感動し、思わず電車内の女性たちを見回してしまいました。女性の皆さんがまぶしく見えました。
2012年11月27日
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若い頃はベートーヴェンが大好きだった。壮年になると、ブラームスやモーツアルト、シューベルトを聴く。今、初老期になって、改めてまたベートーヴェンを聴き直している。今はMP3ファイルという便利なものがあり、パソコンに音楽を入れられる。ベートーヴェンのほぼ全作品を集めて、作品番号順に並べた。4ギガバイトのメモリに収まる。これを電車の中や、夜中に目覚めた時に聴くのである。ベートーヴェンは良い。比較的長命(といっても今のボクの年齢には達しなかった)なので、初期、中期、晩年と音楽が変化していくのを確かめることが出来るのだ。モーツアルトなどは、若いままでほぼ音楽が終わっている。初期の、ピアノ協奏曲第1番とか、交響曲第2番など青春のはつらつとした響きを聴きとることができる。聴きながら、「ああボクの青春はどんなだったのだろう」と思わずため息。
2012年11月24日
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TPPに参加することは避けられないことに思える。世界の人々と一緒に生きなければならないから。自由化になると農家が最も打撃を受けると言われる。ボクたちが一所懸命に国産のものを選べばいいと思う。安いからと言って外国産に飛びつかないように自分に戒める。今から、ボクは袋やラベルをよく吟味してできるだけ国産を選ぼうと努めている。小豆、小麦、蕎麦、レモンだって、国産表示があれば形が悪くても青みがかっていても喜んで買い物籠に入れる。困るのは産地国表示がないものが意外に多いことだ。これは義務づけてもらわないと困る。中古のノートパソコンを買う時も、裏をひっくり返してMADE IN JAPAN と表示しているものを買う。例えば 東芝Dynabook~まったく同じ機種でも、裏を見ると MADE IN CHINA と書いてあるものがあるから。
2012年11月23日
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クリスチャンで鬱病と付き合っている人は多いと思われる。ボクも鬱になることがある。(病院に行かなくても立ち直るから、軽いのだろうと思われる)クリスチャンで、鬱になるのは不信仰だからと思うと鬱から立ち直るのが遅れる。最近は、鬱は「心の風邪」と言われることがある。クリスチャンだからといって、風邪を引くことはないことはないだろう。同じように、クリスチャンだからといって、鬱にならないことはないという。ものすごく落ち込んでいるボクを見かねて精神科クリニックの受付にいた母がこれを飲むと楽になるよ、と薬を持ってこられたことがある。でも基本的に何であっても薬は飲まない性分なので飲まなかった。あの薬はどこへやったかな?薬を飲んだことがないので、薬を飲むのが怖いのだ。クリスチャンはまじめな人が多いので、鬱になると信仰はどこへいったのかと自分を蔑み、自分を追い込んでしまう。聖書を読まなくては、祈りもしなくてはクリスチャンとしての自分のふがいなさを悲しみ、焦りを感じる。いやいや生きる活力とか気力が低下していく病気だよ。そんなふうに自分を追い込まないでいいんだよ。信仰もあなたの一部であり、生きものなんだよ。礼拝や祈とう会を休んでもかまわない。ゆっくり休むんだよ。とにかくやすむんだよ。休むことに決めた!
2012年11月18日
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向かいの家に可愛らしく集まって咲いていた小菊。気がつくとすっかり変色して枯れていた。花の寿命は短い。短いからこそ人の心を引きつけるのだろう。それに比べると人の命はずいぶん長い。約65年、長く生きたのだな。それでも夕暮れも近づいた。空を紅く美しく染めたいものだ。わが子たちがそれを眺めるだろう。
2012年11月14日
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「あなたはいずれお母さんのいる東京に行かなくてはダメよ」思い出したように妻は言った。ボクは静岡に骨を埋めるつもりだったので、耳を貸さなかった。忘れた頃になると、妻はまた言った。気がつくと、静岡を離れ、妻が言った通りになっている。これは人生設計にはなかった。少年の頃から、海と山が見える所に住みたいとあこがれていたっけ。「三島で御用をしなさい」と委員会に申し渡され思いがけなくも願いを叶えられ、そのまま30有余年やさしい人たちに囲まれ過ごした。「もういいね?」神様はそうおっしゃった?「はいはい」夢にも描かなかった千葉は鎌ヶ谷の地を安息の地として仮の宿ではあっても、恵まれた毎日今は、母も毎週ここに来て、一緒の礼拝それはうれしそう。80歳も半ばを迎える母に最後に親孝行が出来妻も心安らかに、安らかに闘病。明日のことは神様に任せていて今日をがんばるだけ。
2012年11月10日
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「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」ルカによる福音書24章5~6新しい時代を予感させる言葉!キリスト教はここに立っている。キリスト教はここから始まっている。理屈ではないから、いくら考えても、一生考えてもわからないこと。 あの人がボクの妻だって事は考えるまでもない。 外出から「ただいま!」って帰れば迎えてくれる。 あの子がボクの子だって事は、考えるまでもない。 下から「コーヒー飲むか?」って見上げれば 上から「うん」と答える。そう、キリスト様が復活なさったことそれと同じ。復活したキリストに出会い、語り合い、食事を共にしたこと。それは高邁な思想ではない。
2012年11月01日
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