『福島の歴史物語」

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2008.05.05
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 日本の蚕業の特徴は、その繭から作られる生糸が長く、高品質でかつ丈夫なことにあった。ビーハイブ扶助協会も、二人から積極的にそれらの技術を学びとろうとしていた。
「本当は湊の義兄さんに頼んで三春から蚕種を取り寄せたいところだが、輸送の期間とその間の温度管理を考えると、まず成功はおぼつかないな」
「うん。俺もそうは思うけど、これについては、いまここにある蚕を使うしかないでしょうね。それと問題は、簇(まぶし・蚕が繭を作るとき糸を掛けやすいようにする網)ですね。稲藁も菅もないところですから麦藁を使うしかないと思いますが、これは固い。編んだら折れてしまうでしょう」
「そこなんだ富造。そこで俺は、麦藁を一度煮沸して柔らかくしてから編んだらどうかと思っているんだが?」
「なるほど兄貴。それはいいかも知れませんね。それに簇を消毒することにもなりますしね」
「それじゃ蚕座紙には何を使う?」
「紙は何とか小さな皺を付けて漉いてもらうことにしたらどうでしょう」
 二人は蚕具そのものから検討をする必要があった。それらの代替品として、いろんなものが試された。またアムッセンも二人を養蚕のエキスパートとして遇し、地域に大きくアピールしてくれていた。そして何よりも、ブリガム・ヤング自身が養蚕に積極的だったのである。 
 このようなことからアムッセンのバックアップを得た富造は、アムッセン邸から五〇〇mほど北にあったブリガムヤング・カレッジ(農業科)に入学した。日本での獣医の資格がここでは認められないためにアメリカでの資格を取ろうとしたこともあったが、他人に教える以上、アメリカ式の養蚕についての学問と技術についても知りたいと思ったからである。
「兄貴。俺はここで頑張ってみるよ。実力さえあれば、アメリカ人は俺たち日本人とも対等に付き合ってくれることが分かったんだ。まず養蚕をやってみることで、日本人の地位の向上になるかも知れない。それに移民たちの中にも、養蚕の経験のある者が少なくない筈だ」
 それはまたアメリカ人になる一歩として、日本人社会から離れてアメリカ人の社会に入り込もうとしていた富造の、趣旨に叶うことでもあった。
そんなとき富造は、アムッセンにさらに声をかけられた。
「ユタ準州のオグデンにある矯正学校で、養蚕を教えてみる気はないか?」
 その依頼の言葉に、富造は感激していた。実力さえあれば自分たちとも対等に付き合ってくれるという考え方に、間違いがないことを実感したからである。


マウナケアの雪
       (ユタ準州のオグデン矯正学校)


「うん、そうだな。それに矯正学校で教えてくれとは、アメリカ人の先生になれという意味と同じだ。ありがたい話ではないか。それに正式な講師になれば、ビーハイブ扶助協会での収入とも相まって生活の糧にもなる。湊の義兄さんにこんな形でアメリカでもお世話になるとは、思いもよらなかったな」
「湊の義兄さん・・・ですか。姉さんも元気でいるんでしょうね?」
 思わず二人の話題は、三春へ戻っていた。
「ミネさんや克巳も、元気なんだろうな」
 富造は窓の外に視線を移した。街の建物の遥か向こうに、急峻な薄紫の山容が迫ってきていた。富造は話をしながら、別のことを考えはじめていた。それは日米用達社に力をつけ、日本から移民を呼び寄せて搾取のない会社を作れないかということであり、教養も品性もない下等な労務者として軽蔑されている日本人たちに、よりよい仕事を与えられないかということであった。
「兄貴。三春の三師社(自由民権運動の学校)を作る積りで矯正学校に参加し、移住して来る日本人のために自由のコミュニティを作りましょう。そして何とかして日本人を人種偏見から救い出しましょう。それには、あんな田中のような日本人をアメリカにのさばらせておいては、日本人としての名が廃ります」
 周太郎も真面目な顔をして言った。
「もしビーハイブ扶助協会やオグデン矯正学校での仕事がうまく行けば、これは大きな力になる。夢で終わらせたくないな」
 しかし望んでいた矯正学校の養蚕クラス立ち上げには、予想外の難題が発生した。この矯正学校の監督者のディビット・カーレイが、二人の講師就任に反対したのである。
「矯正学校の生徒たちは社会に対する反逆者であり、手の付けられない犯罪者の集団である。教育などを施しても、更正する訳がない」
 アムッセンが強く反駁したが、ついに押し切られてしまった。
「やはりわれわれは差別されているのかな。本当は日本人だから駄目なのかな」
 肩を落とす周太郎に、富造は明るく言った。
「そんなことないよ兄貴。なにもわれわれが悪いことをやった訳ではない。あえて頭は下げなくても良い。アメリカには実力さえあれば、国の違いを越えて認めてくれる寛容さがある。何人であれ、好きになるとこの社会には人種偏見がない」
「しかし富造。いくら俺たちがアメリカの社会に溶け込んだと思っていても、人種の問題となると受け取られ方が違うかも知れないぞ」
 この周太郎の危惧が、現実となった。

 カルフォルニア州のウィンタースで、白人労務者たちが同じ農園で働く清国人や日本人労務者のキャンプを襲撃するという事件が起きた。外国人労務者らは荒縄で縛り上げられ、キャンプ内の物品がことごとく略奪されたというのである。その他にも事件があった。フレスノにおいては十余名の日本人が突然拘引拘留されるという事件が起き、またアイダホ州では日本人の間に疱瘡が流行しているという理由で日本人が放逐されるという事件が発生した。二人は、愕然とした。
「確かに移民が増えれば白人の仕事は減る。しかし移民のする仕事は彼ら白人の嫌がる重労働や危険な仕事ばかりではないか。それなのに労働だけさせて差別するとは、どういうことなのか? 不当ではないか」
 憤然として言う富造に、周太郎が慰めるかのように言った。
「人種差別とは、もともと不当なものなんだ」
 そしてその頃、かって二人が建設工事に携わっていたオレゴン・ショートライン鉄道で、あの田中忠七とその配下の日本人労務者との間で紛争が発生した。田中が、労務者から預かった一万五○○○ドルもの大金を私(わたくし)し、その支出の説明できなかったことが原因であった。このカネは、労務者たちが日本の家族へ送金する目的で、その賃金から田中が差し引いて預かっていたものであった。そのため田中の元請けであったレミントンが、この高額のカネを横領した田中を解雇することで決着をつけたのである。
「やはりな。悪いことは長続きしないな」
 二人はそう言って笑った。しかしその田中が今後どうこの国で生活して行くのかを考えると、他人ごとではない、とも思われた。外国で生きるということは、決して楽なことではなかったのである。






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最終更新日  2008.05.05 08:28:35
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