『福島の歴史物語」

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2011.08.11
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 なおここに白鳥の話が二度ほど出てくるが、これらの白鳥伝説は、日本武尊と重なる話である。     (田村市)

 田村麻呂は鞍掛山(田村市船引町芦沢字鞍掛)に登り周囲を眺めましたが、形勢を知ることができませんでした。そこで、鏑矢を一本とって東へ放ち、落ちたところに本陣を置くことにしました。そのとき放った大鏑矢がこの地に落ちたので、ここに本陣を進めました。そして、そのときの鏑矢を祀ったのが大鏑矢神社(田村市船引町)です。           (田村市)

 鞍掛山は、田村麻呂が馬に鞍を掛けた山で、濡れた旗を乾かしたとされています。そこには旗を立てたという旗石があります。
                    (田村市)

 田村麻呂が、岩に鐙を摺りながら通り抜けた眼前に、桜が見事な花を咲かせ迎えたという。
(お伊勢様の鐙摺石桜・市指定天然記念物・田村市
              常葉町早稲川字一本松)

 田村麻呂が鞍掛山から探矢を射て戦いはじめたとき、ここの大松に矢が立ったので、人々は矢立の松と呼ぶようになりました。この松は栗出にあったのですが、明治の大暴風で倒れて今は無くなりました。         (田村市大越町栗出)

 黒石山(田村市船引町七郷、小野町飯豊,郡山市中田町御館の境・鬼穴の西)=暮色が迫ったころ田村麻呂が陣をここへ移したので、暮色(くれいろ)山が訛ったものです。山頂に田村中央台・物見石、山腹に上台・中台・弓張石などがあります。
                   (田村市)

 太平山(おおひらやま)=田村麻呂が、山頂に陣を張った山と言われています。          (田村市都路町)

 馬洗戸=この大字は、九郎鹿、大平、休場の三字からなっていましたが、現在、馬洗戸としての地名は残っていません。大滝根山攻撃の前に馬を洗った所と伝えられます。
           (田村市都路町岩井沢の俗言)

 休場=馬洗戸で馬を洗った後、馬を一休みさせた所と伝えられています。なおここには、田村麻呂の乗馬の蹄跡といわれる窪みが、石の上に残っています。
           (田村市都路町岩井沢字休場)

 延暦十三年、田村麻呂は大武丸との戦いで、苦戦を強いられました。そこでやむを得ず山口に退き、正一位馬頭観音に念じて再攻撃をしました。      (田村市都路町岩井沢)

 高柴で作られている三春駒は、この戦いのとき何処からか現われ、武士を乗せて大活躍をしたものと伝えられ、この木馬を持っていると子供が元気に育つと信じられ、子育て木馬とも言われる。また三春駒は賊やわざわいを『見張る』ものとして、里人のお守りとなりました。       (郡山市西田町高柴)

 達谷窟(たつやのくつ)=世の人はこれを鬼穴と言います。大滝根山の中腹にあり、入口は四尺ばかりの横穴で中には二間ばかりの広場があります。これを八畳敷といいます。さらに進むとひとつの階段があり、狭い口を過ぎればまた広くなり、なお奥深くにはつるべ落としあるいは千畳敷と言われるところもあります。伝えられるところによりますと、夷酋大竹丸悪路王らがこの山を拠点として衆賊を集め暴悪を働いていたのです。大武丸の子分の鬼五郎、幡五郎兄弟が「達谷の窟」で果敢に抵抗しましたが。田村将軍に討滅されることになりました。  (田村地域)

 大滝根山の早稲川(田村市)にある、達谷窟または鬼穴という洞窟にはエミシの首魁・悪路王大武丸(大多鬼丸とも)がいて、田村麻呂と死闘をおこなったという伝承があります。史実としては田村麻呂その人ではなく大和の東征軍との戦いだったのかも知れませんが、大滝根山のすぐ南東の山は鬼ヶ城山(八八七、三メートル)といい、また大滝根山周辺には鬼五郎など鬼の地名が多いことから、その戦いは死闘・激闘であったことが想像できます。また大和は、手強いエミシの抵抗があった地に鬼の地名をつける傾向が顕著です。           (郡山市史より)

 田村麻呂に追い詰められた鬼が田の中に鬼の子を捨てて逃げました。かわいそうに思った村人が育ててやると毎日庭先の大石と遊んでいました。そのためこの石は鬼石と呼ばれ、鬼生田の地名となりました。       (郡山市西田町鬼生田)

 五十人山=田村麻呂が大滝根山の賊を平らげた後この山にさしかかり、この山の頂上の大岩に田村麻呂の部下五十人が乗ったのでこの名がついたと言われます。なおここで喉を乾かせた部下のために田村麻呂が金剛杖で谷間に近い所を突くと、清水がコンコンと湧き出たと言います。頂上南より真下の湿地が、その泉の跡と伝えられています。    (田村市都路町岩井沢)

 田村麻呂は帰り道で、船引まで負傷兵(一説には戦死者)を舟(棺)で引いて運びました。船引の地名の起こりです。
                 (田村市船引町)

 延暦二十年、東夷ことごとく平らげた田村麻呂は、帰路、田村庄に着きました。田村麻呂はそこで不屑女を見染め、女は田村麻呂の子を宿しましたが村の人は賤しい女のためこれを認めず、生まれた男の子は山野に捨てられました。すると不思議なことに二羽の鶴が飛んできてこの赤子を養育しました。これを見た村人は驚き、疑いを晴らして赤子を女に返しました。その家系は代々続き、田村清顕公に至ります。ところが跡継ぎがなかったため、天正十六年に断絶しました。延暦二十年より天正十六年までは、ほぼ八〇〇年にわたった年月です。  (郡山市熱海町)

 胆沢経営に成功した田村麻呂は、都へ凱旋するため帰途につきましたが、途中、愛馬が長い転戦の疲れで死んでしまいました。ある夜、田村麻呂は愛馬が霧の立つ美しい景色の中で遊んでいる夢を見ました。三春に着いた田村麻呂は、先夜見た夢と全く同じ景色があるのに驚き、愛馬のためにその地に馬頭観世音を勧請しました。今の荒町の馬頭観世音がそれである。
                 (田村郡三春町)

 この他にも田村地域では、大武丸を滅ぼしたのは坂上苅田麻呂で、田村麻呂ではないとする伝承もある。しかしこれは長い言い伝えの間に親子が錯綜してしまったものとも考えられる。またこの話に出てくる悪の巨魁・大武丸の名は、大滝根山と非常に語呂の似た名となっている。





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2011年8月6日、お陰さまで110,000を突破しました。ブログ開設から1458日でした。






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最終更新日  2011.08.11 08:31:11
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