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自分の覚書として書いておきます。今日の午前中にお友達2人と一緒に葬祭場に見学にいきました。最近はやりの(?)家族葬をしているところの見学です。2つ見たのですが、1つは比較的規模の大きいところで、一般の葬祭場の一角に家族葬用の祭壇や部屋やホテルなみの控室、バストイレつきの寝室等がありました。とっても綺麗な新しい施設で祭壇も立派にこしらえてあり、ある程度の人数も入れます。家族葬というよりも一般のお葬式でも大丈夫なくらいでしたね。でも、お値段もそれなりにお高くて。義父の時は急だったからあわてていて、葬儀屋さんに言われる通りで、すごい費用がかかったのです。それに比べたら位のお値段でした。もう1つ見学したところは、本当に家族葬専門のところで、施設もこじんまりとしていて10人位までのお葬式にピッタリのところでした。あまり色んなオプションもなくお値段もお手頃の明朗会計。説明してくださった方のお人柄もよくて好感が持てました。自分がお葬式をしてもらうとしたらここがいいなあって思いました。一緒に行ってたお友達は「ここが理想だわ」って会員登録してました。親ごさんの希望もそうなんだって。やはりご本人が望むような形のお葬式が理想ですよね。私もそろそろ自分の親ともよく相談しておかなくては、と感じたのでした。やはり時代の流れかご近所で亡くなられた方でも、家族だけで葬儀される方も増えてきています。あとから知らされることも多いです。帰ってきて義母に話たら「あら私も家族葬にしてね~」と言いました。あら、義母も変わってきたのかしら?と思いましたねそれで自分の親のことも含めて、私が今考えておかないといけないことって多いかもとも思いました。あっでも基本は、「なるようになる」ですけど・・・
2013.11.28
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と考えながら、またまたタブレットから書いています。今、夜の11時くらい(24日の)なので、多分最後までは書けないでしょうね~前回の日記のように2日がかりで書くことになりそうですね。最近ネットから遠ざかっているわけでもないけれど、パソコンに向かう時間はグッと減りました。それに比例するように子供を見る時間も減りましたね~自分のことばかりしています(笑)この前に「やるせない思い」という題名の日記を書いたときに、読んだ本のことを書いたのですけど『涙の理由』という重松清さんと茂木健一郎さんとの対談集。もう1ヶ所自分がそうそうと感じた箇所がありました。そのことについて少し書いておきたくなりました。私がそう感じたのは重松氏の「同感ではなくて共感してほしい」という言葉です。「同感」はある意味よそ事なんです。自分は安全なところから同意するというか、同情するというか。共感は「問いが共有できること」と氏は書かれていました。私たちはともすれば、共感(共に感じる)ではなく同感ですましていることが多い。「同感は答えに関する同感」であって、「共感は出発点が同じだね」ということ。もちろんすべてのことに共感することは出来ないです。皆考え方はそれぞれ違いますしね。でも最初に答えありきではなく、なぜこの人はこう思うのかしら?と考えを馳せることが大事なのかな~そうせざるを得ない理由というかね。同感することはある意味簡単だけど、共感することは難しいですよね。それはひとくくりにしないということにも、通じると思います。人って1人1人違いますものね。子どもに対してもそうですよね。子どもがそうするにはそれなりの理由があるということを親がまずわかろうという姿勢が必要なんでしょうね。立場を理解しようとしてくれた時、気持ちを理解しようとしてくれた時、人は初めて自分を尊重されていると感じることができるのでしょうね。そして「尊重」されなければ、真の信頼関係は生まれないのかしらね・・・ なんて、えらそうなことばかり書きましたが、自分がそのように出来ているかと言うと、そうとばかりは言えないのが現状です。子どものことだけじゃなくって自分の身近な家族に対してすら、なかなかそう出来ないですね。つい自分が正しいように感じてしまい(答えありきで)共感出来ないことも多いです。この前に、今勉強していることの2回目の勉強会がありました。そこで自分や他の方々が話されたことについては、外へ出すことは出来ませんので、わかりにくいとは思うのですが、講師の方の言われたことでひとつ私の琴線に触れた言葉があって、それに対して自分でも思わず「同情はされたくないです」と答えていました。その方に非難されたとかではないですよ~むしろ共感してもらえたと感じました。人間としての「誇り」を奪われることが人は1番辛いことで、それは大人も子どももかわりはないのかしらと思ったのです。「あの人はかわいそう」と思われるのは嫌だなあ~上から見られたくないなあって思いますね。私はね。上手に甘えるとか、吐き出すとかとはまた違うのですよね。強がっていることとも違うのです。うまく言えないですけど、それが自分なんだなあって今感じていますで、結構面倒くさい性格だなあとも思ってるかしらね・・・
2013.11.24
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まず親が一番に楽になり幸せを感じることが大事なのかなあということです。自分が幸せじゃないと、人の幸せも喜べない。自分が幸せじゃないと、人の幸せをつい妬んでしまう…でも何もかもが自分の思ったようにならない時、これを実行する事ってなかなか難しいことですよね~不登校の初期に「お母さんがまず楽にドンとかまえて」と言われても、なかなかそう出来ないようにね…楽しく育児する方法として、「子どもの幸せな顔を見ることで自分が幸せになる」とか「子どもが喜ぶようなことをしてそこに自分の喜びを見い出す」とか書かれているものを読んだことがあります~でもなかなかそうとばかりは言えないところもあり、現実は難しいですよね…いい時ばかりじゃないですものね。いくらそうありたいと思っていても、色んなことが起こって気持ちや状況はは日々変わるし、子どもの気持ちもそう簡単に変わるものでもないですしね。子どもの幸せ=自分の幸せであれば、それは立派な依存だし子どもにとっては重たいですものね。でも親って単純に子どもの嬉しそうな様子を見れば、自分もまた嬉しくなるのも事実ですしね。だから依存しやすいのでしょうね。ここまでは昨日タブレットから書いていました。今日はここからパソコンで書きます。ブログの更新も毎日していなかったら、書くのにすごく時間がかかってしまいます。私はなのですが、アップする日付もまだ変えられないですしね。と言うかいつでもいいかなあって思ってますね。最近はそんなこだわりからも抜けてきたと思います。話は変わって先日親の会に参加しました。今回で4回目かしら?回を重ねるごとに、お知り合いの方も増えて、段々と慣れてきて私にはとても居心地のいい空間ですいつも安心して自分の気持ちを話せるから、2時間余りがあっという間です。「話すことで自分の気持ちに気付く」「話すことで自分の気持ちを整理出来る」ってこういうことかなって感じます。「何を言っても否定されない」「受け入れてもらえる」安心出来る環境であれば、自分の言葉がどんどん出てくるのです。自分を大きく見せる必要もないし「こんなこと言ってどう思われるかな」と躊躇することもないですしね。子どもも一緒なんだろうなあ。子どもの方がより自分の本音や違和感を言語化することが難しいだろうから、時間はかかるのでしょうけどね。家の中で子どもが安心してものが言えるような信頼関係を持つことが、まずスタートなんでしょうね。自分の気持ちを安心して出せる場がある今は、私は幸せなんだろうって思います。リアルに話すことでもこうやってブログに書くことでも。たとえ自分の家族の中でいつもそう出来ていなかったとしてもね~なんかまとまりのない文になりました。何が言いたかったのでしょう?そうまず自分が幸せになることが言いたかったです。子どものアレコレとは切り離して。写真はこの前に作ったクリスマスのリースです。これを作っている時、私は確かに幸せな時間だったんですこれからも、そんな時間を出来るだけ増やしていきたいなと思っています。
2013.11.19
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最近とは言っても、10月に食べたものも含まれています。ちょっと前のこと。釜玉うどんにはまっている時があり、お昼によく食べていました。シンプルだけど本当に美味しくて大好きです。うどんは乾麺を茹でる時もありますが冷凍うどんをさっとゆがいて出し醤油や鰹節、天かすや温泉卵ねぎや三つ葉をのせて。2番めはサイフを忘れて出て買い物出来ず、家にあった在庫で作ったものです。さつま芋をスダチと砂糖で甘煮にしたもの、なすともやしのピクルスの酢の物、レトルトの肉団子と野菜の炒め物、ほうれん草の胡麻和え。メインの魚や肉がなくても缶詰やレトルトなどで、何とか作れるものなんでしょうね。3番めは初めて作った料理で、シジミご飯です。乾物のシジミを売っているところを教えてもらったので、それをお米といっしょに炊飯器に入れて、醤油やお酒を入れて炊きました。シジミから出汁が出てとても美味しいご飯になりました。あとは青菜と厚揚げの煮物、サラダトマトクリームシチューなどです。4番目は蕪が主役の料理です。立派な蕪だったから半分でもこの量です。あとは前日に作りおきしていた餃子や五目豆、蕪の葉の漬物など。常備菜があると、出かけていた日でもバタバタしないから助かります。とは言ってもなかなか計画的には作れません。気分次第で作ってますからよく手も抜いてます。最後は最近ではかなり頑張った日のご飯ですね~揚げ物をたくさん作る日は気合がいります。息子が豚かつが食べたいと言ったから、このメニューになりました。久々の豚かつでした。あとは秋刀魚の塩焼と、大根おろしや大根の葉の炒め物。生産者の方が販売されてるお店で、週に1度野菜を買っています。蕪も大根も青々した葉がついていてるから嬉しくなります。これから寒くなってくると、ますます甘みが増しますねご飯を作ることって面倒な時もありますが、今は無理せず手を抜くところは抜いて結構楽しみながら作っています。1番の理由は自分が食べたいからでしょうね~
2013.11.16
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最近次々と咲き始めた庭の山茶花です。私の大好きな花です。とっても華やかなのに薔薇や牡丹のように目立たず、寒い時期に凛として咲き散る時は一気に花びらがバラバラになって落ちます。なんか潔い花なんです先日の日記にコメントのお返事を書いていて、つい自分の中からするすると出てきた「やるせない」という感情・・・きっとこの感情は、人によってそれぞれ違うけど生きていれば誰もが持つ感情なんじゃないかなあって思いました。そして言葉では説明し辛いけど、誰かにわかってほしい。もしわかってもらえたら自分が癒されるというか・・・私にとってこのやるせない思いってどんなものなのかな?きっと自分の努力ではどうにも変えられないものなんでしょうね。そしてかりに人に「助けて」と言ったとしても、その人も助けられないというか1人1人の個人的なものなんだろうと思います。この前に読んだ本で『涙の理由』という重松清さんと茂木健一郎さんとの対談集がありました。その中でこの「やるせなさ」についてふれられた部分がありました。お2人の結論は喜びや悲しみや怒りは共有できても、この「やるせなさ」は共有できないということでした。「やるせない人の横で一緒にやるせなくなることは出来ない」そうです。やはり言葉ではなかなか説明し辛い感情なんでしょうね~そんなことをつらつらと考えながら車を運転していたら、最近車の中でよく聴いている桑田佳祐さんのアルバムの中の1曲で「現在(いま)がどんなにやるせなくても明日は今日よりすばらしい」というフレーズが流れてきて「ああ、いい曲だなあ」と思いました。今の自分の気持ちにフィットした曲でした。調べてみると『月光の聖者たち』という曲です。今この曲ばかり聴いてます。もし興味のある方がいらっしゃったら聴いてみてください。ほかの歌詞もいいと思います。「やるせない」ってどちらかと言うとネガティブな言葉かもしれませんが、私は嫌いじゃないですね
2013.11.14
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もう1週間前になりますが、夫と山の方にドライブに行きました。この写真には映っていませんが、アチコチで紅葉が見られました。写真は山の中腹の脇道に入った時のものと、帰りに寄った大きな川のほとりの鳥たちです。本当に静かな場所で小さなお地蔵さんもみられて、落ち着けました。話は変わって昨日は地元の親の会に参加しました。その時代表者の方がおっしゃっていた言葉です。「ネガティブな言葉を発さない」というか(言ってはいけないではなく)やめてみると、自分自身が楽になるそうです。ネガティブな言葉をいつも発していると、自分自身もその言葉を聞くわけだから、その言葉に支配されると言うか、そういう思考になりやすというお話だったかな。その方も何かの勉強会でそう聞いたみたいなんですけどね。「ネガテイブが悪い」というわけではないのです。どうしてもネガティブにならざるを得ない時もありますよね。むしろそういう時の方が多いです。私は(笑)でもそれをことさら言葉にして自分に強く認識させても、いいことがないという意味かな。「ああ自分は今ネガティブな気持ちにかたむいているな~」と認めてあげることはしても「それは〇〇なことがあったからだよなあ」「それならしょうがないことだよね」「自分も頑張ってるものね」と最後はポジティブな言葉(?)で終わる方がいいというか。自分で気持ちを一旦受け取って認めてあげるというかね。なるほど。ネガティブを悪者にせずに、上手にお付き合いしていけばいいのねって思いました。とは言うものの、昨晩図書館で借りている色々な方の介護の体験をかいた本を読んで「ああ。自分って親に何もしていないなあ。今」ってついネガティブ思考に傾きかけかけたのです。でも「自分が悪い」という自責にまでは至りませんでした。自分の癖を知って、少し気をつけてみようかしらって、今感じています。
2013.11.10
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ここ最近の自分の中の、マイブームを集めてみました。お気に入りのコーヒーカップで飲むコーヒー。お鍋で炊く炊き立てのご飯と漬物。庭の花を切って、花瓶に活けてみること。美味しいおやつをいただくおやつタイム。自分で焼いた焼き立てのパンをいただく贅沢な時間・・・無理して好きなものを見つけようと思わなくても、ごく自然にそう出来ること。書いてみて気がついたのですが、ほとんど食べることばかりですね~(笑)そして本当にささやかなちっぽけなことばかりですが、確実に自分の気持ちは上がり幸せになります。こんな時間を日々大切に丁寧に暮らしていけたらなと今思ってます。そしてこんな時間を味わえるのも、家族が自分が健康で居られるからなんでしょうね。自分の中のささやかな幸せに気づけた。そしてそこに感謝の気持ちが生まれた。このことは、自分の人生の中では非常に重要な大きなことと感じていますこのことに気付けないまま一生を送っていたとしたら・・・いつもいつもないものねだりばかりしている自分であったとしたら・・・それは自分を自分で不幸にしてる独りよがりの傲慢な人生であったのでしょうね。今夜はこんな気持ちになりました。と言うことで今の気持ちを書いておきます。でもいつまた変わるかもやも知れません。それが人間ってもの・・・なのかしらね・・・?
2013.11.04
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今年が比較的暖かいせいか、近年の異常気象のせいか分かりませんが、庭には春や夏に咲くような花が今開花しています。写真のブーゲンビリア、ハイビスカス、桜、スモモの花、紫陽花など。秋の夜長に読書でもと何冊か本を借りてきました。エッセイや料理本など軽く読める本がほとんどです。それでもなかなか読み進められません。割とスッと読めて心にも入ってきた本があったから、少し書いておきたくなりました。読後感は一言で言うと「爽やか」そして絵本を読んだ時のような、ほのぼのとした感じもあったかなあ~本の題名は『中学生に贈りたい 心の詩 40』です。(水内喜久雄編)おばさんの心にも残るような詩がありました 言葉は 杉本 深由起 言葉は 紙ヒコーキのようなものでしょう 一つの言葉に 丁寧に折り目をつけて 祈るような気持ちで飛ばしたり ときには荒々しく続けざまに投げつけたり わたしのこころ 乗せたり ひとつも こぼれ落ちずに届くから まっすぐに 笑うこと 田中 章義 はしゃいでいる人の 顔はいいのに はしゃごうとしている人の顔は どうして こんなにも さみしいんだろう いろんなことに 無理しすぎているんだから せめて 笑うことにまで 苦労しなくていいんだよ きっと よかったなあ まど みちお よかったなあ 草や木が 何おく 何ちょう もっと数かぎりなく いてくれて 目のさめる みどりの葉っぱ 美しいものの代表 花 かぐわしい実 よかったなあ 草や木が 何おく 何ちょう もっと数かぎりなく いてくれて どの ひとつひとつも みんな めいめいに違っていてくれて よかったなあ 草や木が どんなところにも いてくれて 鳥や けものや 虫や 人 何か訪ねるものをでも そこで動かないで 待っていてくれて ああ よかったなあ 草や木がいつも 雨に洗われて 風にみがかれて 太陽にかがやいて きらきらと ちがっても おなじ 工藤 直子 林のなかを散歩する こずえのさき あかるい空 風のとおり道 しめった落ち葉の しずかなにおい まいにち おなじ けしきだけれど まいにち すこしずつ ちがう きのうは なにもなかったところに きょうは きのこが ぽこん きのう えださきで ゆれていた葉が きょうは じめんにひらり まいにち すこし ちがうのだけれど 空のしたで みんな 「いまここにいる」 というのは おなじだね
2013.11.01
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