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庭の葉牡丹書いておこうと感じたことが2つあって、最近すぐに忘れちゃうから・・・早く忘れた方がいいこともあるのですけどね~忘れてたとしても結果は一緒というか、気にしただけ損をしたような気分になることってありますよね。でもそれもこれも後から気がつくことで、その時々で感じたことは大事にしたいなあって思います。前置きが長くなりましたが、1つはこの前の年末最終のカウンセリングのこと。この先生とは息子が中3の時からだから、もうかれこれ4年以上のお付き合いになります。だからあまり緊張せずに受けられるというか、自分を飾らずに本音でお話し出来るように思います。先日のカウンセリングでは主に娘のことについて相談しました。息子に関しては先生が「表情が明るいのなら大丈夫ですよ」とおっしゃったので。娘の行動のことで少し私が心配に思うことがあって、そのことについて医学的な立場からアドバイスをいただいたので、ちょっと安心しました。医療機関に相談したいと娘が思った時は、先生が橋渡ししてくださるということであとは本人がそう思うかどうかなんですよね。本人への声掛けも「私だったら〇〇と言うけれど、その場の雰囲気や親子関係もあるから、あなたの感じるようにやってみたら」と言ってくださって、こちらの考えを尊重してくださるというか、かと言って「好きにしたら」というような感じでもなく親身に考えてくださってるのが伝わってきました。先生との間に信頼関係が出来たのかな?「ああ~いい出会いがあってありがたいなあ。私は恵まれてるのね」と感じました。もう1つ書いておきたかったのは息子との会話です。息子は娘に比べるともともと言葉数が多いので、わりと自分の考えをあれこれと言います。今回私が印象に残った言葉は「俺ってプライドがメチャ高いなあ」と「でも自己肯定感は高くない」と「プライドが高いことと自己肯定感が高いことは比例しない」という言葉です。よく考えると「なるほどそうだなあ」とも思います。プライドが高いことは悪いことじゃない。自分に誇りを持つと言うか譲れない何かがあるというか。そして人はプライドを傷つけられることが、とっても嫌なんだと思います。でもそれが自己肯定感に裏打ちされたものじゃないと、砂上の楼閣というかただの鎧になってしまうのかしらね・・・自分のことを考えてもそう感じますね~自分はそのままの自分のままで充分価値があると思えるいうか、誰かとの比較じゃなくってね。子どもがそう感じるためには、やはり親に充分受容されることなのかな?「あなたはあなたのままでいいんだよ」って。そして親も誰かに受容されることなのかな。そんなことを感じました。なんかまとまりがありませんがそう感じたということで、忘れないうちに書いておきます
2013.12.29
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なんですよね~私は(笑)なのに今はそんな気がしないのですよね。「問題を問題としない」そんなことも考えていました。それは誰の問題なのか?子どもの問題を自分の問題にしていないのか?手伝って一緒に考えてとお願いされたのか?そんな問いかけも自分によくしていますね。そうやって気持ちをを落ち着かせてるのかしら。もちろんそれが命にかかわるようなことならば、手伝ってとお願いされないとしても、何か自分に出来ることはしますが・・・でもそうじゃないことには、出来るだけ首を突っ込まない。不安がわき上がってくるのはいたしかたない事ですよね~人間なら全く不安を感じないで居られることは、誰でもないですものね。でもその不安をより大きくしているのは、自分の中の見栄だったり虚栄心だったり、いつも安心していたいという欲だったりします。それもあって当然のものですものね~誰でもそうなんだろうなあ。まずそんなちっぽけな自分を認めてあげると、肩の力が少し抜けて楽になれるのかしら?とも思っています。「自分って実は何も出来ないんだ」「その日1日出来たことがすべて」「何の力もないなあ」「誰でも自分のことで精いっぱい」そんなことを最近よく感じますね。実際そうだよなあとも思います。今まで自分で自分を、どんなに過大視していたのかと。子どもだったのかな。自分に自信が無いというよりも、もともとそうであっただけなんだって。これは自分の理想を下げているのかどうかは、よく分からないのですけどね。昨晩のクリスマスイブに夫とワインを飲んでいたら、ちょっとネガティブ思考になりかけて。急にタブレットで日記を書き始め、その続きを書いてるのです。今朝は少し気持ちがあがったかな。アップしようかどうしようかと迷ったのですが、その時のリアルタイムを記録しておくということで書いてみました皆さまよいクリスマスをお過ごしでしょうか?
2013.12.24
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ブログも自分がそう感じた時に書かないと、忘れてしまいますね。その時の自分を解放してあげるというか、「自分はそう感じた」「それが自分」と確認するというか。そのために今まで私は書いてきたのかな?とも思います。だからやはり私は自分のために、書きたいから書いてるんですよね。大学の時ですが近代文学史の授業で「私小説」という分野を学んだことがあります。もううろ覚えなんですけど、記憶が正しければですが、自分の身の周りに起こった様々なことを小説に書く形態かな?ブログとも少し似ていますが、フィクションとノンフィクションの間のような感じでもありました。若い頃はその分野の小説はあまり好きではありませんでした。事実であって事実でないような、なにか曖昧な感じがしたから。今は何となく理解出来ます。事実は小説より奇なりということもありますし、事実か事実でないかを拘るよりも、体験をベースにその方がどう感じたか?ということが知りたいから読むのだなあと、思えるようになったからかしらと思います。最近「どっちでもいい」と感じることが多くなってきた私です。「AでもBでもどちらでもいいよね~」「どちらになっても問題ないよね」というか。いい意味でいい加減になってきたのかな?拘りから抜けてきたのかな?これは子どものことに関してもそうですね。「AかBか決めるのは本人であって私じゃないものね」と思えるようにもなってきました。前なら子どものへこむ姿を見たくなくて(今でも怖いけどね)なるべく失敗しないように誘導したい誘惑にかられていましたね。これは年をとってきたからか、今までの経験からかはわかりませんけど、大分力が抜けるようになってきたかしらね。その時のリアルタイムのことを書いておくということでは、昨日とってもお会いしたかった方々とお会いしてお話しするという、楽しい時間を過ごさせていただきました。まるで自分への少しはやい、クリスマスプレゼントみたいでした。私は自分の気持ちを話し言葉にするのにとっても時間がかかるのですけど、だから聴いてる方が多かったのですが・・・自分ではしゃべれたほうだと思っています。皆さま、素敵な時間を本当にありがとうございました~ 次男からも少しはやいメリークリスマス
2013.12.22
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昨日は1日ずっと外出していました。少し前までの私なら、すごいグッタリしているところですが、昨日はそんなに疲れなかったように感じました。どうしてかしら?よく分かりませんが・・・基本おうちで過ごすのが好きだから、外に出たいという気はあまり感じないんです。なにか予定が入れば出ると言う感じです。いつもボーッとしてる時間が多しです(笑)昨日は朝から昼過ぎまでは、ここ最近学んでいることの勉強会でした。3回目の昨日も色々と有意義なことを教えて頂きました。何時ものことであまり内容については詳しくは書けませんが、印象に残ったことだけ。「その人の問題はその人しか解決出来ない」「人は皆自分で自分の問題を解決出来る力があると信じる」この2つはとても印象に残りました。これは子どもにもあてはまることなんです。親がそう思えなくて、いつまでも子どものことを信じられず手を離せなければ子どもの問題をいつもでも自分の問題にしていたとしたら、子どもは自立には向かえないということなのでしょうか。このことは自分の中では頭では理解していたと思うのですが、つい境界が曖昧になってしまうことがあったので、気をつけようと改めて感じました。たとえそれがすぐにうまくいかなかったとしても諦めずにね・・・それと昨日は2人1組になってお相手のお話を聴く練習もしました。聴く人が主役というか聴く練習ですね。否定や提案をはさまずにひたすら聴く。なかなか難しかったですね。「人事」として聴きながら共感するということが。つい自分と重ねてしまったり、単純に同感してしまったり、自分の経験と比べてしまったり(これを全くしないでいられることは無いと思いますが)します。「この世界に自分と全く同じ人は一人もいないのですよ」とも言われました。勉強会が終わってからは実家に行きました。母が風邪気味で外出出来なくて色々と買い物や用事を頼まれていたからなのですが。行って渡してすぐに帰ることも出来ないから、両親の話をひたすらききました。ちょっと聴く練習もしてみた。一旦相手の言い分を受け取るというか、きちんと聴いてみようかなと思いました。今まであまり共感して聴いていなかったんです。実家から帰るともう夕方になっていて、最近日が暮れるのがはやいから義母が2階の洗濯物を取り込んで、きちんと畳んでくれていました。とってもありがたかったですね。だから「ありがとう」とお礼を言いました。今までだったら頼んでないのに勝手に入れてとちらっと感じた時もあったのです。でも昨日は義母の行為を、素直に受け取ることが出来たんです。義母は「そうしたいからそうしたんだ」と私が感じたからなんですよね。昨日布団に入る時に「どうして私は今日疲れを感じなかったのかな?」と少し振り返ってみたんです。予定が一杯だったのになあ~帰って来てバタバタご飯作ったりしたのになあ。(お勤めされてる方からすればいつものことですよね)きっと「自分がそうしたいからそうしてる」と心からそう思えたからかしらね。子どもも一緒なんでしょうね。自分がしたいことはそう出来る。そして疲れない。心と体と行動って一致するのが自然なのねって、今さらながら体感したのでした書き始めたのが遅かったから、ちょっと遅い時間の更新になりました・・・ 最近のある日の食事風景です
2013.12.14
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最近煮物系のおかずがしみじみと美味しい。またまた久しぶりに書きたくなったので、書いてみます。皆様のブログにはおじゃまして、読ませていただいてはいるのですが、なかなかコメントを書けず、いつも読み逃げばかりでゴメンなさい。書きたいことも浮かんではくるのですが、まとまらないというか~書きたい気持ちと一致しないというか、ふわふわと毎日を過ごしているうちに、あらもう12月ですね。題に書いたことは、今でも私が日々子どもに対して感じていることです。子どもに対する「心配」とか「不安」とかの裏には自分の「支配欲」が見え隠れしている。子どもを1人の人間として自分はきちんと尊重しているのだろうか?と思います。年が上で経験してるからとか、いつも安全なところで居てほしいとか(自分の安心のため)経済的に子どもを養っているからとか、そういう思いがあってつい自分の思うように動いて欲しいと感じてしまう・・・これは親ならだれでもそう思うことなのかな?でも子どもが1度も立ち止まることなく順調にいってたとしたら、そんな支配欲が自分の中にあることすら気づかず、いつまでも子どもを自分の持ち物のように感じてしまうところだったのかな・・・それは怖いですよね。気づかせてくれた子どもに感謝ですね。支配欲を愛情と勘違いするところでもありましたね~まず気づけたことが大きな1歩なんでしょうね~なかなか手放せない自分だったとしてもね。そりゃ誰でも不安より安心がいいし、暗いより明るい方がいい。出来たらいつも幸せを感じていたいですものね。そして自分の将来に希望も持ちたい。でもそう出来ない時そうでない時があればこそ、そう出来た時にはより大きな喜びになるのでしょうね。もしそんな大きな喜びがなかったとしても、自分の周りの小さな幸せに1つでも気づけたら、それを大事にしようって思えるようになる。そんなことに気づけたのも、自分にとっては大きな成長だと思います子どもだって一緒なんでしょうね。より幸せになりたい。よりよく生きたいといつも思っている。子どもは大人以上にそう思ってるのでしょうね。そう出来ない時、自分にOKが出せない時、一番不安に思って苦しんでるのは子ども自身だってことを、忘れてはいけないよなあって思います。自分の安心が欲しくて「早く安心させてよ」とつい感じてしまう欲深い私なんですけど(笑)色んな気づきを自分に与えてくれた子どもに感謝ですね。もしそうじゃなかったら、もっと傲慢な人間になっていたのではないかなあ~と思いますね。何でも当たり前のように感じてしまうね・・・自分の中の支配欲にも気づくこともなかったでしょうね。まず気づくこと、それから考えること、そして謙虚になることが出来たらと思っています。
2013.12.06
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