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コレクション展の会期も特別展と同じだったため、引き続き観ました。前田育徳会尊經閣文庫分館歴代藩主の甲冑・陣羽織と加賀象嵌鐙Ⅰ毎年6月上旬に「金沢百万石まつり」が開催されることから、特集展示を毎年この時期に行っています。今回のⅠ期では、5代綱紀所用の《日の出に立波文陣羽織》と《黄無地陣羽織》、8代重熈所用《日の出に立波文陣羽織》、11代治脩所用《日の出に立波文陣羽織》の4領を紹介します。あわせて《水引文金銀象嵌鐙》をはじめ、12点の加賀象嵌鐙も展示します。江戸時代の甲冑は、それぞれ別々になった兜・胴・袖・面頬(めんぽお)・籠手(こて)・脛当(すねあて)・佩楯(はいだて)を組み合わせて着用します。歴代藩主の好みを反映するだけでなく、当時の最高技術を用いて作られました。兜の形も、変わり兜とよばれる独特の形状のものや、筋兜につく前立(まえだて)も様々です。陣羽織はカラフルなデザインのものが目立ちます。お楽しみください。コレクション展:古美術古九谷と再興九谷磁器の表面を鮮やかな彩色により装飾する「色絵」は、日本においてすでに1630年代から行われていたことが有力視されています。では、誰がどのような目的で色絵磁器の開発を九州で行ったのでしょうか。上絵付けの釉薬には、イエズス会が長崎や島原、天草のセミナリオで聖画制作に使用していたと考えられる顔料が使用されていたことが科学分析により明らかになりました。つまり、日本における聖画需要の逼迫を受けて、紙や布より耐久性の高い媒体として、イエズス会が色絵磁器に着目したと考えることができます。しかし1637年の「島原の乱」や、1639年の幕府によるポルトガル船来航禁止によってイエズス会の宣教活動が事実上不可能となったことで、その生産は途絶え、窯や釉薬などの生産基盤は破却・隠蔽されたと考えられます。そのため、イエズス会主導による色絵の技法は有田では継承されず、また歴史を語ることも禁忌されました。そこで加賀藩3代藩主・前田利常はこの色絵に着目し、古九谷の創製に着手しました。コレクション展:絵画・彫刻優品選日本画分野は「街並みを愛でる」と題し、前期に引き続き小テーマ展示を行います。変わりゆく風景を絵に閉じ込める、画家たちの挑戦をご覧ください。そのほか、高光一也がギリシャの美術館を訪問した際、エーゲ海のキクラデス諸島で栄えた古代文明の女性像に出会った体験をもとに描かれた《キクラデスの部屋》(油彩画)、キャンバスにアルミニウムを貼りつけ構成する作品で知られる白尾勇次の水彩画作品、彫刻家・野畠耕之助による肉体の美と空間表現に取り組んだ円熟期の《青春歓喜》などを展示いたします。コレクション展:工芸幾何学文様のデザイン幾何学文様とは、点や線・面などで構成される文様のことで、これらを組み合わせたり、連続させたり、大きさや太さを変えて配列することで、さまざまな文様が生まれます。日本では、古来より幾何学文様が施された陶磁器、漆器、染織などの工芸作品がつくられ、時代を経るごとに単純な文様から複雑な文様構成へと発展し、現代においては作家の表現方法の1つとして重要なものとなっています。本展では、幾何学文様でデザインされた工芸や、幾何学的な姿をした作品を、「幾何学文様のデザイン」、「連続文様」、「線の表現」、「幾何学のかたち」の4つのパートに分けて紹介します。「幾何学文様のデザイン」では、当館所蔵の《色絵石畳双鳳文平鉢 古九谷》にみるような石畳文を、□や∟、点などの幾何学的な形に分解して、それを再度リズミカルに構成した、嵐一夫《色絵幾何文大皿》を紹介します。「連続文様」では、釉薬の濃淡によって生み出された菱形の連続文様が美しい三代德田八十吉《燿彩鉢》を、「線の表現」では線と線とを組み合わせて生まれた様々な図形に友禅染を施し、街の景色や人々を抽象的に表現した成竹登茂男《街の断片》を紹介します。最後に「幾何学のかたち」では、〇と△と□をそれぞれ象った、久世建二の《落下》シリーズ3点を紹介します。線や図形による様々な表現をお楽しみください。
2024年06月22日
特別展能登半島地震復興応援プロジェクト|甦れ能登能登が育んだ作家たち― 能登はやさしや土までも ― 当地で古くから言い伝えられてきた言葉です。能登に生きる人たちの優しさ、慎ましやかさ、底にある芯の強さ、そうした人たちを育んだ能登の風土を表した言葉です。 本年元日この地を襲った大震災により、能登ののどかで穏やかな日常は一変しました。多くの人たちが茫然自失とし、立ち尽くす日々。 そんななかでも、救援に入った人たちに「きのどくな。(ありがとうございます、恐縮です)」と深々と頭を下げ、困ったことはないかと尋ねられると「なーん、特に困ったことない、こうしてあぶののうて、ぬくいところにおいてもろて(危なくなくて暖かいところにおいてもらえて)、ありがたいこっちゃ。」と答え、そして、帰り際には「あんたら、これ、ちょっこし、持ってかっしま。(ちょっとでも持って行ってください)」と気遣う。 被災した身でありながら、声高に何かを求めることのない慎ましやかさ、そして他者への感謝と思いやるこころ。こうした柔らかな温かさ、これが能登の人であり、その生き方は我々がどこかで忘れてきたこの国の宝物のように思うのです。 この展覧会は、能登に生まれ今もこの地で活躍している作家、生地を離れ新しい土地で制作に励む作家、能登に思いを寄せ、題材として表現する作家の作品をご紹介します。どれもが能登が育み、能登に魅せられた作品です。 本展は、当館所蔵の作品のみならず、金沢市以南の市町の美術館、博物館にもお声がけしたほか、県内の作家活動を支援し、数多の優品を所蔵しておられる北國新聞社のご協力も得て、石川県をあげて能登を応援しようという思いで企画しました。 この国の宝物が失われてしまうことのないよう、我々も能登の新たな再興を力一杯応援してまいります。” 甦れ 能登 !” 本展の趣旨に鑑み、この展覧会の観覧料は全額、能登の美術文化の再興のために活用いたします。能登が育んだ作家たち今月はサッカー観戦が忙しく、美術展鑑賞がややおろそかになっていました。まだ日があるだろうと思っており、美術館の前に行ったら会期が翌日までになっていて焦りました。「今日来てよかった」と。石川県立美術館の所蔵作品も含まれていたため、これまでに観たことのある作品も多かったのですが、初めて観た作品もあり、ギリギリでしたが観ることができてよかったです。
2024年06月22日
富山県美術館で「エッシャー 不思議のヒミツ」を観てまいりました。「テセレーション(敷き詰め)」も「メタモルフォーゼ(変容)」も大変興味深かったです。----------------------------------------------------エッシャー(正式名 マウリッツ・コルネリス・エッシャー。1898-1972年、オランダ生まれ)は、みる人に驚きと発見を与え、数学者やアーティストから子どもたちにまで世界的に人気の高い版画家です。ある形で平面をくまなく覆い尽くす「テセレーション(敷き詰め)」、一つの形が次第に別の形へと変形する「メタモルフォーゼ(変容)」など、人間の視覚や錯覚を利用した緻密で幾何学的な画風が特徴です。本展は、オランダのエッシャー財団の全面的協力のもと、初期のイタリアの風景から「だまし絵」的な代表作まで、約160点を一堂にご紹介します。また、作品をイメージさせるセットなどを使って、エッシャーの作品を体感する場を設けます。デジタル社会を生きる私たちが、版画という手法で想像力豊かな世界を生み出した、エッシャーの魅力を楽しめる展覧会です。----------------------------------------------------
2024年06月15日
ギャラリートークの時間帯に合わせて観に行ってまいりました。企画展「ふたつの愉しみ ~異国の器と日本の書~」 遠い国から私たちの元にもたらされた陶磁器は、異国を感じさせてくれるものとして珍重されてきました。海を隔てた中国や朝鮮半島、さらにその先の大陸の陶磁器は、その地を訪れることができない人に、土地の文化や風習を伝えてくれます。日本のものとは異なる形や文様に私たちは異国の空気を感じ取り、遥か遠い国々に憧れを含めた思いを馳せながら、作品を愉しむことができるのです。さて憧れという意味では、古人が流れるようにしたためた書はとても美しく、しかし現代の私達ではなかなか書いたり読んだりすることが難しいぶん、憧憬に値するのではないでしょうか。書にはさまざまな種類があり、懐紙と呼ばれる大判の紙に和歌をしたためたものや、長い和紙に禅の教えを含ませた言葉を書いたもの、また身近なものでは手紙も書の一種といえます。これらの書の文字を判読することが難しくとも、筆勢や墨色などを鑑賞することもまた書の愉しみのひとつといえるでしょう。折しも和歌や紫式部が話題となっている今日この頃です。このたびの展覧会では、日本から遠く離れた異国の器と流麗な日本の書に焦点をあて、異なるふたつの文化をお愉しみいただきたいと思います。
2024年06月08日
会期が長かったので「まだ大丈夫!」と思っているうちに、最終日になってようやく観に行くことができました。。(いつもより悪い)卒寿記念 人間国宝 鈴木藏の志野展展覧会について日本を代表する陶芸家、鈴木藏(1934- )。荒川豊蔵(1894-1985)に続き二人目の「志野」における重要無形文化財保持者(人間国宝)です。鈴木藏は岐阜県土岐市に生まれ、多治見市市之倉町の丸幸陶苑(まるこうとうえん)に勤務する父の助手として働く中で、本格的にやきものづくりの道へと進むことになります。1966年31歳で独立し、薪窯でしか焼けないとされていた「志野」にガス窯で挑戦し、自然への畏敬の念を重んじ、伝統を大切にした中から独自の作陶スタイルを確立していきます。そして、作品を作るなら「新しくて、力強いもの」という姿勢を崩さず今日まで取り組んできました。本展では、2024年の今年、卒寿を迎えるのを機に、初期から最新作までの作品を一堂に展示します。古典を大切にしながらも、鈴木藏の美意識を映し出した独自性に富んだ作品を展示することで、鈴木藏の軌跡と“今”をご紹介します。展覧会の構成展覧会のポイント鈴木藏(すずき おさむ、1934- )1994年、59歳で重要無形文化財「志野」の保持者に認定され、現役陶芸家として最長の人間国宝です。「伝統ということについて、物をつくる側から言えば、革新しかありえない。つまり、革新の中から生まれたものが、伝統となっていく」 (鈴木藏氏の言葉から)焼成による偶然を待つのではなく、確かな意志を持った中で「志野」を制作し、とくに造形に独自性を持つ作品をつくり出し、作陶に向き合い続けています。「志野」とは「志野は日本で生まれた独特の創作であり、日本人の感性、美意識といった最も基本的なすべてが凝縮されている。」(鈴木藏氏の言葉から)「志野」は日本陶磁の歴史において初めての白いやきものであると共に、初めて筆を使って絵付を施したやきものです。16世紀後半の桃山時代にその多くが美濃*で焼成されました。*美濃とは、美濃焼を生産した岐阜県の南東部、東濃地方を指します。「志野」の技法は追求され続け、長石釉(ちょうせきゆう)のみの「無地志野」、下絵付による鉄絵が施された「絵志野」、鉄化粧を掛けてその色合いの変化による「鼠志野」や「紅志野」、「赤志野」、二種類の土を混ぜ合わせた「練上(ねりあげ)志野」などがあります。暖かみを感じる白色の釉薬に、焼成によって生まれるほのかな赤みの「緋色」と、「ゆず肌」と呼ばれる表面に現れるピンホールが見どころです。
2024年06月02日
石川県立図書館で開催されていたこの展示。ずっと見に行きたいと思っていたのですが、最終日になってようやく見ることができました。素晴らしい展示でした。この時代の装丁は本当に美しい。棟方志功が装丁した本がたくさん展示されていましたが、個人コレクターのもので、驚きました。[企画展]本の装丁~棟方志功と同時代の芸術家たち~外箱や表紙など、本の外側の装いを仕立てること、デザインすることを「装丁」といいます。明治から昭和初期ごろに出版された本には、有名な画家や工芸作家などが手がけた美しい装丁が多く見られます。2023年、生誕120年で改めて注目された版画家・棟方志功も多くの装丁を手がけました。コレクターと図書館が所蔵する本から、棟方志功を中心に、同時代に活躍した染色家・芹沢銈介、陶芸家・富本憲吉、洋画家・中川一政が手がけた装丁本も紹介します。
2024年06月02日
観たかったのはこちらの企画展。チラシに掲載されていた青い作品が印象的で。ガラス作品とは思えない(陶磁器に見えた)ものもあり、興味深かったです。■概要本展は、ガラス作家・大平洋一(おおひらよういち)氏(1946-2022)を紹介する、国内初となる大回顧展です。小説を通してガラスに惹かれた大平は、華麗なるガラス芸術で名高いヴェネツィアに魅了され、作家となることを目指して26歳の時に渡欧します。500年以上の栄華を誇るヴェネツィアン・グラスの伝統と歴史の厚みに圧倒された大平は、自ら考案した作品の構想を元に、巨匠たるガラス職人との協働作業で作品を創り上げるスタイルに自身の進むべき道を見出しました。企業デザイナーを経て独立以降は、透明ガラスと不透明ガラスを巧みに組み合わせた意匠によって自身の作風を確立します。大平は、ローマ時代のモザイク・ガラスに着想を得ながら、東アジア圏に見られる陶磁器や漆器の形を取り入れるなど、西洋の古典的な美の規範と東洋の工芸的な要素を巧みに調和させています。ヴェネツィアン・グラスの歴史を隅々まで吸収した上で、日本とヴェネツィア双方の文化や美意識の融合を目指した大平は、ついにその厚い伝統を乗り越え、普遍的な美しさをもつ独自のガラス表現へと到達したのです。本展では、国内外のガラス作品約150点を中心に、緻密なスケッチやドローイング、大平が研究のために自ら収集したガラス製造関連資料を併せて展示します。現代ガラスの粋を集めた作品の数々を、ぜひご覧ください。回顧展 大平洋一 ヴェネツィアン・グラスの彼方へ
2024年05月22日
ルヴァンカップ3回戦 対ヴィッセル神戸戦を観るために、午後から休みを取りました。仕事が終わったあとにすぐに富山に行っても、シャトルバスの時刻までには時間があったので、以前から観たいと思っていた富山市ガラス美術館の展覧会を観てきました。■概要今回のコレクション展では「重ねる」をキーワードに、当館の所蔵作品をご紹介します。薄い板ガラスを何枚も集積させる、複数の色のガラスを被(き)せる、重ね合わせたガラスを削り出して形作る…など、ガラスの作品には重ねるからこそ得られる様々な表情が見られます。これらの作品では、下の層の色や模様が透過することによる独特の立体感や、複雑な光の反射・屈折による視覚的効果といった特徴的な様相を見ることができます。重ねるという行為は、ガラスの特性を最大限に生かすことのできる手法のひとつと言ってもよいでしょう。本展示を通して、重ねることで生み出される、ガラスの多彩な表情をご覧いただければ幸いです。コレクション展 かさねのガラス
2024年05月22日
鍼治療のあとに観に行ってまいりました。数多くの脇田作品、今回初めて観る作品もあり、大満足です。佐藤忠良のことはこれまで存じ上げませんでしたが、温かみを感じる彫刻が多く、興味深かったです。以前は彫刻にはまったく関心がなく、日展などでは彫刻部門を素通りしていましたが、関心がないなりに接するにしたがって慣れてくるのか、食わず嫌いみたいなことはなくなりました。「継続は力」だと思います笑。---------------------------石川県立美術館は脇田美術館より寄贈を受け、現在 321点の脇田和作品を収蔵しています。本展は脇田と交流の深い作家の作品を交えて、その魅力を伝える企画の第2弾です。今回は交友作家として、脇田とともに新制作派協会で活躍し、戦後日本の具象彫刻をリードした佐藤忠良(1912~2005)を取り上げます。脇田と佐藤は2人がそれぞれ長く美術教育の現場に携わり、家族や身辺の子ども、そして、女性など共通のモチーフの作品を多く残しています。また、絵本『おだんごぱん』(脇田)と『おおきなかぶ』(佐藤)は、多くの人々に愛されてきたロングセラーです。本展では、2人の絵本原画とともに、それぞれの子どもへのまなざしが感じられる作品や、代表的な油彩、彫刻、素描、版画作品約 100点を展示、終生自らの芸術の高みを追求した仲間としての2人の関わりについても紹介します。脇田和と佐藤忠良 -子どもへのまなざし-
2024年05月19日
東山魁夷好きとしては、もちろん東山魁夷館も観てまいりました。連作「白い馬の見える風景」の起点となった代表作《緑響く》を中心に、オーストリアに取材した《沼の静寂》などを展示します。また、5月6日は東山の命日であることから、絶筆となった《夕星》を展示します。東山魁夷館コレクション展2024 第Ⅰ期
2024年04月27日
企画展だけでなくコレクション展も観ました。信州出身の作家たちや、信州の風景が描かれた作品を中心に形成された長野県立美術館のコレクションから、一年を通して、洋画、日本画、工芸等さまざまなジャンルの収蔵品を展示します。2024年の第Ⅰ期では、5月25日から始まる企画展「生誕150年池上秀畝 高精細画人」の連動企画として、「生誕150年池上秀畝×菱田春草と南信が生んだ日本画家たちを中心に」と題し、ともに中央画壇で活躍した、池上秀畝と同い年の菱田春草の作品を比較します。あわせて、東京出身で少年期を伊那で過ごした登内微笑や、諏訪出身で東京美術学校に進んだ矢沢弦月など、同じく南信が生んだ画家たちを特集します。NAMコレクション2024 第Ⅰ期
2024年04月27日
これが観たくて、翌日のアウェイ松本戦を前乗りして長野経由で行くことに。コロナ禍もあって、改装後初めての長野県立美術館訪問です。--------------------------春陽会は1922(大正11)年に、再興院展洋画部から脱退した小杉放菴、山本鼎、森田恒友らと、草土社の岸田劉生らを中心としたメンバーにより、洋画界を代表する第三の団体として発足しました。それぞれの画家の個性を尊重する自由な会風のもと、油彩だけではなく、版画、水墨画、素描、新聞挿画がジャンルの隔てなく出品されます。また、次世代の育成をも念頭に置いた芸術研鑽の場を全国的に展開し、今日に続く春陽会展の基盤を固めました。本展では、日本近代美術史を語るうえでは欠かせない著名な画家たちに彩られた草創期から、1900年代後半までの約200点をご紹介します。春陽会誕生100年 それぞれの闘い 岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ
2024年04月27日
会期前に前売券を購入していた展覧会。開館時刻と同時に入ったので、人が少なく、ゆっくりじっくり観ることができました。川端龍子(かわばたりゅうし、本名昇太郎。1885(明治18)年和歌山県出身~1966(昭和41)年東京都没)は、横山大観・川合玉堂とともに近代日本画の三大巨匠のひとりに数えられる画家です。最初、洋画家として活動をはじめましたが、渡米して日本の古美術と公共建築の壁画にふれたことをきっかけに日本画家に転向。「会場芸術」の名のもと、従来の「床の間芸術」を脱した規格外のスケールと大胆で豪快な表現の日本画を、次々と発表していきます。近代的な空間にふさわしい大画面によって大衆の心を動かし、画壇に旋風を巻き起こした龍子は、在野の日本画団体・青龍社を設立し、その旗手として後進を育てつつ自身も精力的に制作を続け、1959(昭和34)年には文化勲章を受章しました。その革新的な作風は、生誕140年をまもなく迎える今もなお魅力に満ちており、とりわけ画家の息遣いを感じられるようなダイナミックな筆さばきや想像をこえるほどの大画面は、私たちの心をとらえてやみません。本展は、80年という生涯を通して龍子がどのような日本画を追い求めていったのか、その画業全体を探ろうとするものです。初期の洋画、その後の日本画の屏風や大作、スケッチ等により、明治・大正・昭和という激動の時代において、異彩を放った龍子の魅力に迫ります。「川端龍子展」
2024年04月20日
例年、年末に購入している雑誌にカレンダーの付録があります。そのカレンダーに、《竹》が掲載されていて、「すごく良いな!」「これを観たい!」と思っていたため、休みを取って大阪へ観に行ってまいりました。■概要*重要なお知らせ|4月9日(火)– 4月23日(火)の期間、作品保護のため《漣》(重要文化財)の展示を一時休止いたします。展示の再開は4月24日(水)になります。その後5月6日(月・休)の閉幕まで展示いたします。詳しくはこちらをご覧ください。大分市に生まれた福田平八郎(1892 – 1974)は、18歳のとき京都に出て絵を学びました。自然を隅から隅まで観察した写実的な作品で評価を得たのち、昭和7年(1932)に《漣》(重要文化財、大阪中之島美術館蔵)を発表し、その大胆な挑戦で人々を驚倒させました。その後も《竹》(京都国立近代美術館蔵)や《雨》(東京国立近代美術館蔵)など、色や形、視点や構成に趣向を凝らした作品を制作し「写実に基づく装飾画」という新しい時代の芸術を確立しました。大阪の美術館では初、関西でも17年ぶりの回顧展となる本展は、代表作や所蔵館以外では初公開となる《雲》(大分県立美術館蔵)など、初期から晩年までの優品約120件を展示しその魅力に迫ります。また「写生狂」を自称した画家の瑞々しい感動やユニークな目線を伝えるスケッチ類も紹介して名作誕生の背景を探ります。見るものに今も新鮮な驚きを与え、自然美への共感を誘う平八郎の明るい世界にどうぞご期待ください。-------------■みどころ1. 関西では17年ぶり、大阪の美術館では初の回顧展2. 大阪中之島美術館では初めての日本画家の回顧展3. 初期から晩年まで、画業を一望する120件以上を展示4. 重要文化財《漣》をはじめ《竹》(京都国立近代美術館蔵)、《雨》(東京国立近代美術館蔵)など代表作が集結5. 大分県立美術館以外では初めての公開となる《雲》(大分県立美術館蔵)が登場6. 画家の瑞々しい感動を伝える写生帖や素描も多数紹介■構成第1章 手探りの時代福田平八郎は、18歳のとき画家を志し京都に出て、京都市立美術工芸学校、京都市立絵画専門学校で絵を学びました。この時期の作品は、習画期ということもあり、作風に統一感がなく特徴をつかみにくいところがありますが、伝統的な日本画や同時代の新しい傾向の作品にも興味を示し、自らの進むべき道を模索していたあとがうかがえます。第2章 写実の探究京都市立絵画専門学校の卒業制作に悩んだ平八郎は、美学の教授・中井宗太郎に相談し、対象と客観的に向きあうことを決意します。こうして大正後半から昭和のはじめにかけての平八郎は、対象を細部まで観察し、徹底した写実表現を試みた作品を発表していきました。第3章 鮮やかな転換平八郎は、昭和のはじめころから、形態を単純化し、鮮烈な色彩と大胆な画面構成を特徴とする独自の装飾的表現へと向かいます。そして、昭和7年(1932)の第13回帝展に《漣》を発表し、日本画の新たな表現の可能性を画壇に問いかけました。第4章 新たな造形表現への挑戦第二次世界大戦後の美術界では、伝統的な日本画への批判が高まりましたが、平八郎は確固とした信念で日本画の表現の可能性を模索しました。こうして、徹底した自然観照によりながら、対象がもつ造形の妙を見事に抽出し、写実と装飾が高い次元で融合した傑出した作品がいくつも誕生しました。第5章 自由で豊かな美の世界へ平八郎は、昭和36年(1961)を最後に日展への出品を止め、以後は、小規模な展覧会に心のおもむくままに制作した小品を発表します。作風は晩年になるにつれ、形態の単純化が進み、線も形も色彩も細部にとらわれない大らかな造形へと展開します。「没後50年 福田平八郎」
2024年04月19日
お天気が良かったので、石川県立美術館の裏側から遊歩道?を下りて、鈴木大拙館へ行きました。思いがけず人が少なく、庭を見ながらぼんやりとしました。ゆっくりと落ち着いた時間を過ごすことができました。ときどき行ってみようと思います。企画展「大拙館たより」「鈴木大拙館たより」「鈴木大拙館たより」は、当館賛助会員向けに刊行している館報です。当館の事業記録をお伝えしてきました。開館時より刊行の「たより」は第32号の刊行を3月に予定しています。企画展「鈴木大拙館たより」は、12年間にわたって刊行してきた当館報を紹介しながら、当館の歩みをお伝えします。過去に訪れて下さった方々は思い出していただくきっかけとして、また初めて来館の方には当館の特徴を知っていただく手がかりとしてご覧いただくことを願っております。リニューアルオープンした当館にぜひお越しください。
2024年04月13日
久しぶりの美術館です。■特別陳列加賀藩前田家の名刀-天下五剣の名宝「大典太光世」が石川に-北陸新幹線の県内全線開業を記念し、天下五剣の一つとも称される国宝《太刀 銘 光世作(名物大典太)》に加え、国宝《刀 無銘義弘(名物富田江)》、重要文化財《短刀 銘 吉光(名物前田藤四郎)》の名刀(すべて前田育徳会蔵)を一挙公開します。この3振が一堂に展示されるのは、57年振りのこととなります。「名物大典太」は、平安時代後期の永保年間(1081~84)頃に活動したとされる刀工・光世の作です。光世は筑後国三池に住み、「典太」(伝太)と称されたと伝わります。前田家には光世作の刀剣が2口伝わり、長さによって「大典太」、「小典太」と区別したようです。足利尊氏以来の重宝として、室町幕府将軍家に相伝され、15代将軍・足利義昭が豊臣秀吉に譲り、秀吉から前田利家に下賜されたと伝わります。秀吉から利家に下賜された経緯については諸説あるようです。『享保名物帳』には、宇喜多秀家に輿入れした利家の四女・豪(樹正院、秀吉の養女)が病気になったとき、利家が大典太を秀吉から借りて豪の枕元に置くとすぐに病気が治り、秀吉に返すと病気が再発し、それを繰り返したため、3度目に秀吉が利家に与えたと記されています。以来前田家第一の重宝とされました。「名物富田江」は、南北朝時代に活動した刀工、江義弘の作。義弘は相州正宗の弟子といわれ、越中国新川郡松倉鄕に住んだことから、鄕義弘または江義弘と称されます。そこには「鄕」と「江」は草書体が類似しているという事情もあるようです。本展では、国宝の指定名称に合わせて「江」と表記します。義弘の作は粟田口吉光・相州正宗と並んで天下三作と呼ばれ珍重されました。本作は、もと豊臣秀吉の家臣、富田一白(左近将監信広)が所持していたことから「富田江」と呼ばれます。それを堀秀政が購入し秀吉に献上し、慶長3年(1598)秀吉の遺物分けで前田利長に下賜されました。その後、利長の遺品として将軍徳川秀忠に献上し、前田利常の時に再び前田家に下賜されました。義弘の作の中でも第一の名刀とされています。「名物前田藤四郎」は、加賀藩祖・前田利家の次男・前田利政(孫四郎)から嫡子の前田直之(三左衛門)に伝わり、前田直之から前田利常に献上され、以後前田家に代々伝えられました。「前田藤四郎」の名は、当初利政が所持していたことによります。■国宝《剣 銘 吉光》と刀絵図国宝《剣 銘 吉光》(白山比咩神社蔵)は、1633年に3代将軍・徳川家光の養女大姫(清泰院、水戸徳川頼房の子)が加賀藩4代藩主・前田光高に輿入れした際の持参品で、清泰院が死去した翌年の1657年に、嫡男の5代藩主・綱紀が、母の冥福を祈って白山比咩神社に奉納しました。現在のところ、本作がどのような経緯で徳川家の所蔵となったかについては不明です。しかし、将軍家の養女に、輿入れの際に持参させるとなれば、名物刀剣にしばしばまつわる俗的な逸話などとは無縁のものだったのでしょう。そして本作が放つ清冽な気品は、前田家と徳川家の緊張関係も和らげたのではないか、との感慨も抱かせます。《剣 銘 吉光》と同時に、重要美術品《刀絵図》の全体を展示します。刀絵図とは、刀剣鑑識の参考とするため、必要な点を簡潔に図示したものです。本阿弥宗家の9代にあたる本阿弥光徳が1595年に制作した本作には、主として豊臣秀吉の蔵刀40口が収録されています。特に「太閤御物」として名声の高いものなどが、その後の大坂の陣や明暦の大火で焼けたり、消失したりする前の姿で確認できる点でも第一級の史料ということができます。また粟田口吉光が巻頭から12口収録されていることは、この刀工の高い歴史的評価を伝えるものとして注目されます。
2024年04月13日
中村記念美術館に行ってまいりました。うっすらと雪が積もっていました。---------------------------------暖かな陽につつまれる春は、外に出かける機会が増える人も多いのではないでしょうか。名所観光、日常の小旅行、故郷からの旅立ちなど、異なる土地を訪れて新たな経験をし、そこで多くのことを感じることでしょう。実際に訪れずとも、文芸を通して、古来愛でられてきた風景に思いを馳せるということもまたこころの旅といえるのかもしれません。 今春には北陸新幹線が金沢から敦賀まで延伸します。北陸と京阪神は、昔から人の往来により、さまざまな文物や技術が相互にもたらされました。新幹線により、往来にかかる時間は短縮され、文化的な交流はますます盛んになることでしょう。 本展覧会では、旅にまつわる美術工芸品と、季節にふさわしい茶道具を展示いたします。日常を離れて旅の気分をどうぞお楽しみください。---------------------------------
2024年03月10日
午後から別件で休みを取ったので、富山県美術館へ行ってまいりました。倉俣史朗のデザイン――記憶のなかの小宇宙倉俣史朗(1934-1991)は、没後30年以上を経た今なお、デザインの領域にとどまらない高い評価を受け、影響を与え続けているデザイナーです。アクリル、ガラスのほか、建築用金属素材も用いて、主に家具とインテリアを中心に、時に同時代の美術の影響を受けながら展開されたその仕事は、デザインや社会の状況への問いかけも含みながら、今もなお人々を魅了しています。倉俣史朗の名を冠した展覧会としては、約10年ぶりの開催となる企画です。デザイナーとして独立する以前の20代の頃の仕事を紹介する資料から、56才で突然世を去るまでにデザインした家具やインテリアを、《ミス・ブランチ》(1988年)など当館所蔵の椅子7脚も織り交ぜながら、時代順に辿ります。また、晩年の倉俣が残した夢日記やイメージスケッチ、傍らに置いた蔵書やレコード、そして倉俣自身の言葉を通して、その内面や思考の背景など「倉俣史朗その人」を伝えることも試みます。
2024年03月04日
令和6年度の友の会への継続申込みとあわせてコレクション展を観に行ってまいりました。天神画像と文房具前田家が家祖と崇める菅原道真の忌日が2月25日であることにあわせて、毎年この時期には「天神画像と文房具」をテーマとした特集展示を行っています。「文房具」から連想するように、道真は「学問の神様」として崇められますが、さまざまな姿で描かれた「天神画像」は、「学問の神様」以外の道真の姿を伝えています。敷物に座す道真を描いた《胞輪天神画像》(ほうりんてんじんがぞう)ですが、よく見るとその表情は目を見開き、何かを睨みつけているようです。両肩も鋭く上がっています。本図は、束帯(そくたい)姿であることから「束帯天神」とも称されますが、「怒り天神」とも呼ばれます。道真が座す敷物は、実は大宰府へ向かう船の中でとりあえず用意された綱を巻いただけのもので、道真は惨めさのあまり、怒りをあらわにしたのでした。《縄敷臨水天神画像》(なわしきりんすいてんじんがぞう)は、真っ白な髪の道真が水面を見る姿です。苦悩の余り、一夜にして白髪(一夜白髪天神)になった道真は、大宰府の川面に映った自らの姿に驚いたという「水鏡天神」の逸話に基づいています。一方、梅の枝を持ち中国風の姿で描かれた道真像もあります。《渡唐天神像》です。道真は後に中国へ渡り法衣を受けたという、中世の禅僧の間で語られたエピソードに基づき描かれました。《渡唐天神画像》は真正面姿がほとんどですが、前田育徳会が所蔵する江戸時代の画僧月僊(げっせん)が描いた画像は、少し体を右に傾けているのが特徴です。作品リスト金沢城の絵師たちかつて金沢平野を一望する小立野台地の先端にそびえていた金沢城の御殿は、江戸時代を通して2度の焼失、再建を経て姿を変えながら、加賀百万石の中心としての役割を担ってきました。しかし、明治14年(1881)、失火によって焼失し、その歴史に終わりを告げました。現代に入り、石川県では金沢城の中枢であった二の丸御殿を復元整備する取り組みを進め、御殿の内装についての調査も行っています。御殿の障壁画は、ほぼすべてが失われ、《唐花図(中村神社拝殿天井画)》を除いて現存が確認できません。今回の特集展示では、詳しい資料の残る文化度造営の金沢城二の丸御殿において、障壁画を描いた絵師たちを取り上げます。御殿内部の障壁画を描いた絵師たちは、臨時の手伝いも含めると26名にのぼりますが、3つのグループ、①江戸から来た狩野派の絵師、②京都から来た岸派の絵師、③地元の絵師、に分けることができます。本展示ではこのうち、②に属する岸駒(1749/1756~1838)とその息子岸岱(1782/1785~1865)、そして③に属する佐々木泉景(1773~1848)の作品を展示します。彼らの残した作品から、在りし日の金沢城に思いを馳せていただければと思います。作品リストヴァリエーションズ - 画家たちの変奏曲 -ひとつの主題や旋律が、様々に形を変えて表れる曲を変奏曲(ヴァリエーション)といいます。有名なところではモーツァルトの「きらきら星変奏曲」やバッハの「ゴルトベルク変奏曲」などは、お馴染みの名曲です。さて、多くの画家たちは、ひとつの主題(テーマ)を繰り返し描いており、その様相はまるで変奏曲のようです。ひとつの主題を一度の制作で極められる画家は希でしょう。かえって何度も繰り返し挑戦するだけの価値を認める主題との出会いは、画家にとっての幸福といえるかもしれません。今回の特集では、ひとつの主題に繰り返し挑む日本画家たちの作品をご覧いただきます。作品リスト優品選当館の収蔵作品から優品をセレクトして展示いたします。作品リスト特集 小松芳光小松芳光没後30年にあたり、所蔵する小松作品ほか、今年度新たに収蔵となった作品等を紹介します。小松芳光は明治36年金沢市に生まれました。大正13年東京美術学校聴講生となり、その後、植松包美に師事しました。昭和2年第8回帝展に初入選、13年第2回新文展特選。戦後は日展を舞台に意欲的に活躍し、21年特選、43年文部大臣賞を受賞。52年には加賀蒔絵で石川県指定無形文化財保持者となりました。また、昭和23年より金沢美術工芸大学教授として後進の指導にもあたり、44年に定年退官、名誉教授となっています。小松のモダンなデザイン感覚と加飾による独創的な意匠作品は漆芸界に新風を吹き込みました。作品リスト
2024年03月03日
会期が長かったので「まだ大丈夫!」と思っているうちに、残り1週間になってしまい、慌てて観に行ってまいりました(いつものパターン)大変興味深い展覧会で、ゆっくりじっくり観ました。国立工芸館が金沢に移って本当に良かったと思います。それにしても入場料が300円。安すぎないだろうか…?印刷/版画/グラフィックデザインの断層 1 9 5 7 - 1 9 7 9展覧会についてマス・コミュニケーション時代が到来した戦後の日本では、印刷技術の飛躍的な発展とともに美術と大衆文化の結びつきが一層強まり、複製メディアによる表現が関心を集めました。印刷/版画/グラフィックデザインという領域は近接し重なり合いながらも決定的なズレのある、まるで〈断層〉のような関係性であり、その断層の意味を積極的にとらえ直して自在に接続したり、あるいはその差異を強調するような、さまざまな実践が展開されていきました。その舞台の一つとなったのが「東京国際版画ビエンナーレ展」です。同展は世界各国から作品を集めた国際的な規模の版画展で、1957年から1979年まで東京国立近代美術館、京都国立近代美術館などを会場に全11回が開催され、当時の気鋭の版画家やデザイナーの活躍の場となりました。本展は国立美術館のコレクションから東京国際版画ビエンナーレ展の出品作家を中心にご紹介します。同時代の多様な視覚表現のなかに交錯した版画とグラフィックデザインの様相を通して、印刷技術がもたらした可能性とその今日的意義を改めて検証します。あわせて、1977年に開館した東京国立近代美術館工芸館の記念すべき第1回目の展覧会「現代日本工芸の秀作:東京国立近代美術館工芸館 開館記念展」をふり返る特集展示も行います。東京国際版画ビエンナーレ展が開催されていた当時の、工芸の現代性にも目を向けていただく機会になれば幸いです。
2024年02月25日
金沢市立中村記念美術館へ企画展「寿ぎの工芸」を観に行ってまいりました。---------------------------------------- 寿ぐ(ことほぐ)とは言祝ぐとも書き、慶びや祝いの言葉を述べて祝賀することを意味します。慶びや祝いの場面としてどのようなシーンが想像されるでしょうか。人生になぞらえると、誕生・成長・成人・結婚・出産・長寿などがあります。また社会生活においては、学業達成や立身出世など、目標とした物事の成就が挙げられるでしょう。四季折々の行事や人生の節目の祝い事など、ひとの一生にはお祝いの場面が数多くあります。 言葉にこめた祝福や成就を願う気持ちは文字となって残り、また、思いを託した絵柄や文様で身の回りの調度品を彩ることで、祝賀を表現することも行われてきました。本展覧会では、新年を祝う意味も込めて、祝福や願望を託した装飾をもつ工芸品ならびに絵画と書を展示します。----------------------------------------
2024年02月11日
企画展鑑賞のあとは、今回の企画展に合わせた記念講演会を聴きました。■記念講演会「石川県文化財保存修復工房の成り立ち」日 時:1月21日(日)13時30分~15時会 場:石川県立美術館 ホール 講 師:中越一成氏(石川県文化財保存修復協会理事兼相談役)15時までの予定でしたが、終了は15時半でした。しかし、興味深いお話ばかりで、あっという間の2時間でした。お話の中で「40年前だから40歳のとき」とおっしゃっていたのですが、ということは現在80歳。講演の2時間、ずっと立ったままでいらっしゃったのが驚きでした。石川県文化財保存修復工房
2024年01月21日
2日連続の石川県立美術館。この日は企画展の鑑賞です。前日の土曜講座を受講したことにより、理解が深まりました。よみがえった文化財 -保存活用を支える修復技術- 加賀藩主・前田家は文化財保護に高い意識をもって先駆的に取り組んでおり、その精神は今日まで石川県に継承されています。石川県立美術館も開館以来文化財の修復に取り組んできましたが、平成9年(1997)に石川県立美術館の付属施設として、石川県文化財保存修復工房が開設されました。平成28年(2016)には美術館の広坂別館に隣接してリニューアルオープンし、主として地元北陸の文化財修復の拠点となるべく実績を重ねています。 修復工房では、(一財)石川県文化財保存修復協会の修復技術者が、国指定文化財を始めとする多数の作品の修復を手がけ、全国に先駆けてその作業の様子を一般に公開し、その活動には国内外から高い関心が寄せられています。 そこでこのたび、文化財修復を改めて地域文化の本質的な独自性と位置付け、藩政期から修復工房開設に至る石川の文化風土を再認識しつつ、文化財の保存・修復の成果を技術面に主眼を置いて紹介するとともに、地域間の連携など、これからの文化財活用を展望する展覧会を開催します。
2024年01月21日
石川県立美術館で開催された土曜講座「石川県立美術館所蔵品修復について」を受講しました。講師は寺川 和子さん(学芸第二課長)。
2024年01月20日
特別陳列 生誕150年初代德田八十吉とその時代 Ⅱ初代德田八十吉の生誕150年の節目を迎えたことを記念し、本展を開催します。九谷焼の陶芸家・初代德田八十吉(1873~1956)は、古典文様の組み合わせや、写生に基づく絵付を施し、独自の作風で現在も高く評価されています。自身が陶芸の道に進んだ際、古九谷や吉田屋窯の作品に感銘を受け、それらを再現するために釉薬を研究します。その過程で、深厚釉(しんこうゆう)などの新しい釉薬も開発しました。その後、絵付の技術に裏付けられた古九谷五彩の再現度の高さが評価され、昭和28年(1953)に、「上絵付(九谷)」の分野で「助成の措置を講ずべき国の無形文化財」に選定されています。展示では、初代八十吉が欽慕(きんぼ)する古九谷・再興九谷の写しや、自身の開発した濃い紺色と紫を主体とする深厚釉を用いた作品を中心に紹介します。初代八十吉《色絵山水図大鉢》は、緑、黄、紺、紫、赤の九谷五彩で楼閣山水を描いた迫力のある作品です。また、同《色絵金彩葡萄文花瓶》は深厚釉を用いた作品で、金彩により縁取られ、意匠化された色鮮やかな葡萄文様が器面いっぱいに広がり、新しい時代を感じさせるような九谷焼です。その他、初代のもとで絵付をおこなっていた洋画家の硲伊之助や中村研一の陶磁器や絵画作品、交流のあった工芸家や歴代八十吉の作品も併せて紹介します。溶姫と婚礼調度溶姫(ようひめ)は第11代将軍・徳川家斉の二十一女で、加賀藩13代藩主・前田斉泰の正妻として知られています。本展では、溶姫が持参した婚礼調度を中心にご紹介いたします。徳川家関係から前田家の歴代藩主への輿入りは多く、3代利常が2代将軍秀忠の二女珠姫(天徳院)を迎えたことをはじめとし、4代光高が3代将軍家光の養女阿智子(清泰院)、5代綱紀が保科正之の二女摩須子(松嶺院)、6代吉徳が5代将軍綱吉の養女松子(光現院)を迎えました。溶姫は文政6年(1823)4月に11才で2才年上の斉泰と婚約し、文政10年(1827)11月27日には、溶姫が江戸城から本郷の加賀藩邸へ移る「引き移り婚礼」が執り行われました。この時、溶姫を迎えるべく建てられた御殿の正門が、東京大学本郷キャンパスに残る「赤門」(重要文化財)です。今回展示する婚礼調度は、「引き移り婚礼」の際に溶姫が持参したものです。前田育徳会では「葵紋蒔絵調度品Ⅰ・Ⅱ」として保管しています。よく見るとⅠとⅡでは葵紋の形や蔓の巻き方などに違いが見られ、作成時期や作成者が異なっていたと考えられます。本展では、Ⅰに属する厨子棚や黒棚のほか、Ⅱに属する渡し金箱、耳盥(みみだらい)なども展示します。溶姫の生活の様子に思いをはせるとともに、ぜひ装飾の違いにも注目していただけますと幸いです。石川県の文化財重要文化財や石川県指定文化財を含む県内の貴重な文化財を一挙にご覧いただけます。今回は、大乗寺に伝わる《佛果碧巌破関撃節》などの重要文化財5点をはじめとし、重要文化財《古今和歌集 清輔本》や石川県指定文化財《源氏物語図》伝岩佐又兵衛など、雅な雰囲気を感じさせる作品も展示しています。本展に出品する作品に限らず数多くの文化財は、多くの先人たちによってここまで受け継がれてきました。彼らが守り受け継いでくれたからこそ、現在のわたしたちが実際に見ることができています。美術館というと「展示」という役割ばかりがクローズアップされがちですが、作品の劣化をなるべく防ぎ、後世に残しつないでいく「保存」の役割も大変重要です。本展では、石川県内に伝わる貴重な作品の数々をご覧いただき、県内の文化財を広く知っていただくとともに、美術館の役割の一つである「保存」についても思いを巡らせていただければと思います。優品選季節は師走。日本画分野から季節の優品として、石川義《冬の水路》を紹介します。石川は日本の原風景を描いた画家ですが、昭和30年代に日本を席巻した抽象表現の影響から、制作に行き詰まります。しかし本作は、そのピュリスム的な表現が冬の風景という主題にマッチし、冬の冷気までも表現することに成功しています。油彩画分野から紹介するのは、自然賛美の風景画を描く森本仁平の《湖畔のはす田》です。「日常的な視野の中で、事実に即した実感としての詩情を大切にしたい」と語る森本の作品は、丹念に描写がなされ、広大な大気が広がります。見る者に静けさと懐かしさ、そして暖かい心情を誘う作品をお楽しみください。彫刻分野からは、梶本良衛《ワ・タ・シ今ナニヲ》をご紹介します。作者は一貫して自身(ワタシ)の心境や状況を作品として表現しています。腰を僅かに曲げ、細い足で立つ人物像。表面には漆を塗り磨き、木と漆の質感が対比されます。本作において作者は「もう一度、これから立ち上がろう」という気持ちを表したと語っています。彫刻家の作品から高田博厚の版画作品も紹介します。版画の伝統が長い欧州に27年滞在をしていた高田は、「画家・彫刻家が常に勉強しなければならないのは素描と版画」という言葉を残しています。また、「素描の勉強は自分の脚が常に大地についているかどうかの試験」と捉え、毎日素描に取り組んでいました。
2023年12月17日
京都国立近代美術館のあとは、京都駅へ。こちらは駅の中の美術館なので、駅に着いてしまえば、移動時間(帰りの電車の時間)を気にすることなく安心です。「白の時代」の作品が好きなんですよねー。今回、それ以外の作品も観て、知ることができてよかったです。生誕140年 ユトリロ展展覧会概要哀愁漂うパリの風景を描いた画家として知られるモーリス・ユトリロ(1883‐1955)。アルコール依存症の治療のために始めた絵画制作でその才能を開花させ、1928年にはレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエ章を受章し、エコール・ド・パリの代表的な画家のひとりとなりました。約半世紀におよぶユトリロの画業の中でも、1908~14年頃の「白の時代」に描かれた作品は特に高く評価されています。ユトリロの生誕140年を記念した本展では、画家としての名声を高めた、白壁の描写が特徴的な「白の時代」の作品を中心に、初期の「モンマニーの時代」、1915年以降の色使い豊かな「色彩の時代」、そして晩年までの作品を国内のコレクションからご紹介します。作品リスト
2023年12月08日
休みを取って、京都まで観に行ってまいりました。この展覧会は会期が12/10までだったので、ギリギリセーフです。会場である京都国立近代美術館に行くのは二度目でしょうか?前回は、藤田嗣治展のときだったと思います。若いころの作品が中心の展覧会は大変興味深かったです。おもしろかった!!美術館までのバスの中がとても混んでいて、ツラかったです。。(さすが京都!)京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち開催趣旨京都の明治以降の美術界の歴史は、東京や西欧との対峙の歴史と言っても過言ではありません。開館60周年を記念して開催する今展では、その中でも特に明治末~昭和初期を近代京都画壇の青春時代ととらえ、土田麦僊(1887~1936)を中心に据え、小野竹喬、榊原紫峰、岡本神草などの代表作約101点を4章に分けて展示します。まさに青春時代と重なった画家だけでなく、上村松園、菊池契月、木島桜谷といった先輩作家達や師匠の竹内栖鳳も含んで一丸となり、東京、西欧、そして京都の伝統に挑んだ彼らの、青春時代特有の過剰さと繊細さとをあわせもつ、完成期とはまた異なる魅力を放つ作品群をご堪能ください。
2023年12月08日
石川県立博物館で開催されていた「御殿の美」を観に行ってまいりました。この日は夜間開館 かつ 18:30より展示解説があることをお昼に知り、「だったら、オペラのあとに観れるじゃん!」と思い、お天気が良かったので決行しました(雨が降っていたらその気にはならなかったと思う)。いしかわ百万石文化祭2023リーディング事業令和5年度秋季特別展 御殿の美---------------------------近世城郭において政治・儀礼・生活の場であった「御殿」。幾つもの殿舎が連なる壮大な外観、そして障壁画や金工品などが彩る内部は、御殿の主が持つ権威を演出していました。城郭御殿の大成は江戸時代初期と言われ、室内装飾は絢爛の極致に達しました。慶長・寛永期に遡る名古屋城本丸御殿障壁画および二条城二の丸御殿障壁画は貴重な遺例です。時に、城郭を襲った災害。江戸城の諸御殿や金沢城二の丸御殿などは幾度も復興に挑み、再建にあたっては先例遵守を第一としながらも、当代の為政者の美意識も反映されたのです。本展ではこうした城郭御殿をめぐる変遷に注目し、その機能と美のあり方に迫ります。■序章 天守から御殿へ近世城郭にとって重要な役割を果たした天守と御殿。天守が天下を平定する者の武力を示す役割を担ったのに対し、御殿は新しい社会秩序が作られた泰平の世における政治や儀礼の場で、為政者の権威を演出する舞台となりました。序章では、天守と御殿の役割を、城郭の実例を通して紹介します。■第1章 御殿創建―厳威の顕在城郭御殿を特徴づけるものとして、豪華絢爛な室内装飾が挙げられます。特に、内部の床(とこ)や壁、襖、杉戸などを彩る巨大な障壁画には、描かれた内容や配置、大きさによって空間に意味を持たせ、そこに身を置く人にメッセージを伝える力がありました。第1章では、城郭御殿の完成形と名高い名古屋城本丸御殿および二条城二の丸御殿の障壁画から、江戸時代初期に大成した権力の視覚化のあり様に迫ります。また、石川県のシンボルである金沢城では天正14年(1586)頃に天守が、寛永8年(1631)に城の中枢である二の丸御殿が造営されました。創建当初の金沢城は謎に包まれていますが、藩主の書状や初期加賀藩が登用した絵師の作品に注目し、その解明への端緒を探ります。■第2章 御殿復興―先例と御好城郭において火事をはじめとする災害は大きなリスクであり、江戸城では本丸御殿が5度、二の丸御殿と西の丸御殿が4度全焼しています。金沢城二の丸御殿も宝暦9年(1759)および文化5年(1808)に火災に見舞われました。御殿は城において政治や儀礼を執り行い、為政者が住まう重要な空間でしたので、早急に復旧作業が行われました。再建には失われる以前の姿に戻すことを基本方針とする一方で、時の将軍や藩主の好みに合わせて改められる部分もありました。第2章では城郭御殿の復興をテーマとし、研究が進む金沢城二の丸御殿の文化度造営を中心に、復興に力を尽くした人々の活躍に注目します。---------------------------
2023年11月23日
午後からオペラ「禅」を観に行くから、というわけではないのですが、時間があったので、鈴木大拙館へ行ってまいりました。とてもお天気がよく、散策日和。27日から長期休業に入るとのことで、いいタイミングで行くことができ、よかったです。ふたりの縁を伝える書・作品(日本民藝館所蔵品)を展示鈴木大拙(1870-1966)と柳宗悦(1889-1961)との出会いは、1909年(大拙39歳、柳20歳)の頃です。柳は、学習院高等科において英語を大拙に学んだのが機縁となり、個人的にというだけでなく、思想上においても交わりました。また大拙は、柳を通じて、豊かな交友関係を形成していきます。若くして雑誌『白樺』の創刊に携わり、画家・詩人・思想家ウィリアム・ブレイクの全貌を日本で初めて本格的に紹介し、また江戸時代の木喰上人による仏像研究など実に多彩な才能を発揮してきた柳は、やがて民藝美論と民藝運動によって画期的な仕事をしました。「民藝」=MINGEIを提唱し、日本民藝館の創設者として国内外において広く知られる柳は、宗教哲学者として大きな業績を残しています。大拙は柳を「天才の人」と高く評価し、自らの後事を託すつもりでいたほど深い信頼を寄せました。日本および東洋の文化や思想を西欧世界へ伝えるだけでなく、東洋・西洋という対立を超える視点をふたりがともに持ち合わせていたことは重要なつながりを示します。日本民藝館と鈴木大拙館はふたりの縁にちなみ、2013年10月1日に交流協定をむすびました。十周年を記念する特別展「大拙と宗悦」は、ふたりの“いまに生きる考え方・生き方”に改めて着目します。日本民藝館交流協定10周年記念特別展「大拙と宗悦」
2023年11月23日
この展覧会は会場が2つに分かれており、2会場を同じ日に観なければならないということがありません。前期展は同じ日に一度に観たのですが、後期展は諸事情により《第1会場》を先に観て(11月11日に)、《第2会場》(工芸)の国立工芸館はこの日に観ました。
2023年11月23日
後期展を観たあと、第2会場の工芸館へは行かず、そのまま石川県立美術館のコレクション展を観ました。展示替えがあったので。コレクション展:近現代工芸特別陳列 生誕150年初代德田八十吉とその時代 Ⅰ初代德田八十吉の生誕150年の節目を迎えたことを記念し、本展を開催します。 九谷焼の陶芸家・初代德田八十吉(1873~1956)は、古典文様の組み合わせや、写生に基づく絵付を施し、独自の作風で現在も高く評価されています。自身が陶芸の道に進んだ際、古九谷や吉田屋窯の作品に感銘を受け、それらを再現するために釉薬を研究します。その過程で、深厚釉(しんこうゆう)などの新しい釉薬も開発しました。その後、絵付の技術に裏付けられた古九谷五彩の再現度の高さが評価され、昭和28年(1953)に、「上絵付(九谷)」の分野で「助成の措置を講ずべき国の無形文化財」に選定されています。 展示では、初代八十吉が欽慕(きんぼ)する古九谷・再興九谷の写しや、自身の開発した濃い紺色と紫を主体とする深厚釉を用いた作品を中心に紹介します。初代八十吉《色絵山水図大鉢》は、緑、黄、紺、紫、赤の九谷五彩で楼閣山水を描いた迫力のある作品です。また、同《色絵金彩葡萄文花瓶》は深厚釉を用いた作品で、金彩により縁取られ、意匠化された色鮮やかな葡萄文様が器面いっぱいに広がり、新しい時代を感じさせるような九谷焼です。 その他、初代のもとで絵付をおこなっていた洋画家の硲伊之助や中村研一の陶磁器や絵画作品、交流のあった工芸家や歴代八十吉の作品も併せて紹介します。コレクション展:古美術茶道美術名品展Ⅱこのたび、重要文化財《染付竜文花生 銘 白衣》安南 をご寄贈いただきました。重要文化財《色絵雌雉香炉》に続いて、重要文化財に指定された歴史的名品をご寄贈いただいたことは、茶道美術をコレクションの柱の一つとする当館にとってありがたいことです。 本作は、わずかに灰色を帯びた白色半磁胎で、円筒形の胴の上下をしぼり、口と底を開いて口縁下に花弁を造り出した珍しい形で、これを白衣観音に見たて、白衣の銘が付けられました。胴には竜文・蓮弁文・波濤文などが染付で描かれており、14世紀後半頃に安南(ベトナム)で作られたと推測される、いわゆる安南染付の代表作です。中国元時代の陶磁の影響が強く反影したもので、同様の作例は世界に例がなく、もと徳川将軍家が秘蔵した名物茶道具である「柳営御物」として伝わりました。 本展では、第2展示室の中央に本作を展示しています。その後方にあるケース中央には、「白衣」にちなんで伝牧谿筆の《観音図》を展示しています。今回は、脇絵として久隅守景の《蓮に翡翠図・笹に兎図》を用い、そして、この三幅対の手前には禅的意味合いから、野々村仁清作の重要文化財《色絵梅花図平水指》を展示しました。こうした名品の協演によって、当地における茶の湯文化の厚みを実感することができます。今回は唐物、高麗物、和物の取り合わせの中で、安南の魅力が一層際立ったのではないでしょうか。コレクション展:絵画・彫刻近代逍遥明治時代に始まる「近代」においては、人々の生活に大きな変化がもたらされ、わたしたちがいま〈美術〉と呼ぶものをめぐる状況にも影響を与えました。西洋発の新しい考え方に呼応し、これまで日本に存在したモノ・コト・ヒトがそのあり方を大きく変え、試行錯誤のなかでその意味内容を形成し始めた時代であるといえます。本展では、そんな時代における〈美術〉や新しい生活をあらわす作品を紹介いたします。コレクション展:絵画・彫刻優品選油彩分野からは、高光一也《フードの女Ⅰ》を紹介します。本作は高光作品の中で最も華麗とも言われる作品。オレンジの背景の中で紫の衣服を着こなす女性の姿は鮮烈な印象を与えます。本作以降、作者はエキゾチックな衣装を身に纏う女性像を繰り返し描くようになります。 彫刻分野からは吉田三郎《山羊を飼う老人》をご紹介。吉田三郎が生涯に渡り追求した、老年の男性像に動物を組み合わせた本作は、作者の代表作の一つとして知られています。老年の男に2匹の山羊が寄り添う配置は、写実性と力強さに加え、これまでの吉田の群像にはない強い安定感を見せています。 日本画分野からは、玉井敬泉《山の秋》を紹介します。本作は、紅葉したナナカマドや高山植物の中に雷鳥を配した秋の白山の風景です。敬泉は画家として活躍したほか、白山の国立公園化や、文化財の調査・保護、日本工芸会の創設に加わるなど文化行政に貢献しました。同時開催の企画展「三の丸尚蔵館収蔵品展」には、敬泉図案の壁掛けの大作が展示されています。 版画分野からは脇田和のリトグラフ作品を展示します。10代のドイツ留学時代以来の黒白の単色表現から、のちに日本在住のブブノア女史の作品に魅せられ、色彩リトグラフを手がけるようになった脇田。刷師と一緒になって制作する方法の普及を願うなど、多くの画家にリトグラフ制作の魅力を伝えようともしていました。
2023年11月11日
第38回国民文化祭/第23回全国障害者芸術・文化祭 いしかわ百万石文化祭2023皇居三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室と石川 ―麗しき美の煌めき―後期展を観に行ってまいりました。ただし、《第1会場》(絵画・彫刻・書跡・刀剣)である石川県立美術館だけ。1週間前より空いていました。《第2会場》(工芸)の国立工芸館へはまた日を改めて。
2023年11月11日
第38回国民文化祭/第23回全国障害者芸術・文化祭 いしかわ百万石文化祭2023皇居三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室と石川 ―麗しき美の煌めき―途中で展示替えがあるとのことで、前期展の終了目前に行ってまいりました。東京国立博物館で観た『やまと絵』の続きを観ているのか?と思いました。素晴らしい展示でした。展覧会特設サイト石川県立美術館と国立工芸館は今秋、皇室ゆかりの美術工芸品などを収蔵・展示する皇居三の丸尚蔵館の収蔵品による展覧会を開催します。本展は、石川県で行われる国民文化祭のメイン行事として開催するもので、三の丸尚蔵館の収蔵品のなかから石川ゆかりの作品と、名品の数々を厳選してご紹介します。まず石川ゆかりの作品では、旧加賀藩主前田家から皇室に献上された国宝《金沢本万葉集》*、八条宮智忠(としただ)親王に嫁いだ前田利常の娘・富姫(ふうひめ)の婚礼調度と伝える狩野探幽《源氏物語図屏風》*、そして石川出身の近代工芸の名工である諏訪蘇山(初代)《青磁鳳雲文花瓶》**や松田権六《鷺蒔絵筥》**をはじめとする多彩な作品が並びます。また収蔵の名品では、伊藤若冲の代表作・国宝《動植綵絵》*や、明治時代の金工の最高水準を示す海野勝珉《太平楽置物》**、そして皇太子(昭和天皇)の御成婚を祝して献上された《鳳凰菊文様蒔絵飾棚》**など、優美で気品あふれる作品をご紹介します。三の丸尚蔵館の収蔵品による展覧会は現在各地で開催されていますが、2館合同での開催は、全国初の試みです。第1会場の石川県立美術館では絵画や彫刻、書跡、刀剣を中心に、第2会場の国立工芸館では工芸を紹介し、その他にも石川県立美術館、国立工芸館、公益財団法人前田育徳会所蔵の関連作品を加えた、国宝・重要文化財を含む約120点という最大規模での展示となります。*は石川県立美術館で、 **は国立工芸館で展示予定。会期中、展示替えがあります。------------------見どころ1伊藤若沖、俵屋宗達、横山大観、海野勝珉などによる日本美術の名品をあまた展示見どころ2宮殿を飾った絢爛華麗な工芸作品など、石川ゆかりの名品を数々展示見どころ3国宝指定後初展示となる《金沢本万葉集》など三の丸尚蔵館と、前田育徳会の名品をコラボ展示見どころ4近代工芸を代表する《鳳凰菊文様蒔絵飾棚》などの名品が東京以外で初展示
2023年11月04日
日本伝統工芸展のあと、そのまま石川県立美術館のコレクション展を観に行きました。特別陳列 前田家の至宝Ⅱ Ⅱ期では、重要文化財《武家手鑑》にかわり、重要文化財《手鑑「野辺のみどり」》を展示します。本作は、前田家に伝来した古筆切のうちの優品28枚を選んで、前田家16代・前田利為が1937年に作らせたものです。作製の監修は、当時の古筆の第一人者で、《源氏物語絵巻》、《平家納経》などの文化財複製を手がけた田中親美に委嘱しました。「野辺のみどり」の名称は、最初に収録した伝紀貫之筆「寸松庵色紙」の「わかせこか ころもはるさめ ふることに のへのみとりそ いろまさりける」に由来します。 表紙と裏表紙には、名物裂の一つで千利休の弟子、里村紹把が所持していたところから命名されたといわれる「紹巴裂(しょうはぎれ)」が用いられており、前田家伝来の名物裂の中から選ばれています。四方の角には、裂を傷つけない配慮から、菊をあしらった七宝金具が付けられています。古筆切は1面に1枚ずつ、紙面が傷まないようその大きさに合わせて、枠押しして凹面を作ってはめ込むように押されており、極札や貼紙は付けられていない点が特徴です。また古筆切収録の順番も、重要文化財《武家手鑑》と同じように一般的な身分によるものではなく、筆者の年代順となっています。 本作に収録された古筆切の多くは、加賀藩3代藩主・前田利常が入手したものと考えられています。筆跡の分析から、現在では異なる筆者を推定するものもありますが、利常、利為の意向を尊重して、同時に開催されている「皇居三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室と石川」と関連する「金沢万葉切」以外は、特段の注釈なしに展示します。茶道美術名品展Ⅱ このたび、重要文化財《染付竜文花生 銘 白衣》安南 をご寄贈いただきました。重要文化財《色絵雌雉香炉》に続いて、重要文化財に指定された歴史的名品をご寄贈いただいたことは、茶道美術をコレクションの柱の一つとする当館にとってありがたいことです。 本作は、わずかに灰色を帯びた白色半磁胎で、円筒形の胴の上下をしぼり、口と底を開いて口縁下に花弁を造り出した珍しい形で、これを白衣観音に見たて、白衣の銘が付けられました。胴には竜文・蓮弁文・波濤文などが染付で描かれており、14世紀後半頃に安南(ベトナム)で作られたと推測される、いわゆる安南染付の代表作です。中国元時代の陶磁の影響が強く反影したもので、同様の作例は世界に例がなく、もと徳川将軍家が秘蔵した名物茶道具である「柳営御物」として伝わりました。 本展では、第2展示室の中央に本作を展示しています。その後方にあるケース中央には、「白衣」にちなんで伝牧谿筆の《観音図》を展示しています。今回は、脇絵として久隅守景の《蓮に翡翠図・笹に兎図》を用い、そして、この三幅対の手前には禅的意味合いから、野々村仁清作の重要文化財《色絵梅花図平水指》を展示しました。こうした名品の協演によって、当地における茶の湯文化の厚みを実感することができます。今回は唐物、高麗物、和物の取り合わせの中で、安南の魅力が一層際立ったのではないでしょうか。
2023年10月28日
日本伝統工芸展 金沢展を観に行ってきました。もともと工芸には関心がないのですが、せっかく金沢に住んでいるので、足を運ぶようになりました。これまでは無理やり観ている感があったのですが(自分に課していたので)、今回初めて、観ていて「楽しい!」と思えました。-----------------------------------------------我が国には、世界に卓絶する工芸の伝統があります。伝統は、生きて流れているもので、永遠にかわらない本質をもちながら、一瞬もとどまることのないのが本来の姿であります。伝統工芸は、単に古いものを模倣し、従来の技法を墨守することではありません。伝統こそ工芸の基礎になるもので、これをしっかりと把握し、父祖から受けついだ優れた技術を一層錬磨するとともに、今日の生活に即した新しいものを築き上げることが、我々に課せられた責務であると信じます。昭和25年、文化財保護法が施行され、歴史上、若しくは芸術上特に価値の高い工芸技術を、国として保護育成することになりました。私どもは、その趣旨にそって、昭和29年以来、陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸の7部門にわたり、各作家の作品を厳正鑑査し、入選作品によって日本伝統工芸展を開催してきました。金沢への巡回展は昭和38年の第10回展から始まり、以降は毎年開催されています。今回は全入選作品552点のうちから、重要無形文化財保持者(人間国宝)や受賞者らの秀作に加え、地元北陸の作家を中心とした入選作品311点を展示します。-----------------------------------------------第70回 日本伝統工芸展 金沢展
2023年10月28日
日本伝統工芸展のあと、そのまま石川県立美術館のコレクション展を観に行きました。特別陳列 前田家の至宝Ⅱ Ⅱ期では、重要文化財《武家手鑑》にかわり、重要文化財《手鑑「野辺のみどり」》を展示します。本作は、前田家に伝来した古筆切のうちの優品28枚を選んで、前田家16代・前田利為が1937年に作らせたものです。作製の監修は、当時の古筆の第一人者で、《源氏物語絵巻》、《平家納経》などの文化財複製を手がけた田中親美に委嘱しました。「野辺のみどり」の名称は、最初に収録した伝紀貫之筆「寸松庵色紙」の「わかせこか ころもはるさめ ふることに のへのみとりそ いろまさりける」に由来します。 表紙と裏表紙には、名物裂の一つで千利休の弟子、里村紹把が所持していたところから命名されたといわれる「紹巴裂(しょうはぎれ)」が用いられており、前田家伝来の名物裂の中から選ばれています。四方の角には、裂を傷つけない配慮から、菊をあしらった七宝金具が付けられています。古筆切は1面に1枚ずつ、紙面が傷まないようその大きさに合わせて、枠押しして凹面を作ってはめ込むように押されており、極札や貼紙は付けられていない点が特徴です。また古筆切収録の順番も、重要文化財《武家手鑑》と同じように一般的な身分によるものではなく、筆者の年代順となっています。 本作に収録された古筆切の多くは、加賀藩3代藩主・前田利常が入手したものと考えられています。筆跡の分析から、現在では異なる筆者を推定するものもありますが、利常、利為の意向を尊重して、同時に開催されている「皇居三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室と石川」と関連する「金沢万葉切」以外は、特段の注釈なしに展示します。茶道美術名品展Ⅱ このたび、重要文化財《染付竜文花生 銘 白衣》安南 をご寄贈いただきました。重要文化財《色絵雌雉香炉》に続いて、重要文化財に指定された歴史的名品をご寄贈いただいたことは、茶道美術をコレクションの柱の一つとする当館にとってありがたいことです。 本作は、わずかに灰色を帯びた白色半磁胎で、円筒形の胴の上下をしぼり、口と底を開いて口縁下に花弁を造り出した珍しい形で、これを白衣観音に見たて、白衣の銘が付けられました。胴には竜文・蓮弁文・波濤文などが染付で描かれており、14世紀後半頃に安南(ベトナム)で作られたと推測される、いわゆる安南染付の代表作です。中国元時代の陶磁の影響が強く反影したもので、同様の作例は世界に例がなく、もと徳川将軍家が秘蔵した名物茶道具である「柳営御物」として伝わりました。 本展では、第2展示室の中央に本作を展示しています。その後方にあるケース中央には、「白衣」にちなんで伝牧谿筆の《観音図》を展示しています。今回は、脇絵として久隅守景の《蓮に翡翠図・笹に兎図》を用い、そして、この三幅対の手前には禅的意味合いから、野々村仁清作の重要文化財《色絵梅花図平水指》を展示しました。こうした名品の協演によって、当地における茶の湯文化の厚みを実感することができます。今回は唐物、高麗物、和物の取り合わせの中で、安南の魅力が一層際立ったのではないでしょうか。
2023年10月28日
日本伝統工芸展 金沢展を観に行ってきました。もともと工芸には関心がないのですが、せっかく金沢に住んでいるので、足を運ぶようになりました。これまでは無理やり観ている感があったのですが(自分に課していたので)、今回初めて、観ていて「楽しい!」と思えました。-----------------------------------------------我が国には、世界に卓絶する工芸の伝統があります。伝統は、生きて流れているもので、永遠にかわらない本質をもちながら、一瞬もとどまることのないのが本来の姿であります。伝統工芸は、単に古いものを模倣し、従来の技法を墨守することではありません。伝統こそ工芸の基礎になるもので、これをしっかりと把握し、父祖から受けついだ優れた技術を一層錬磨するとともに、今日の生活に即した新しいものを築き上げることが、我々に課せられた責務であると信じます。昭和25年、文化財保護法が施行され、歴史上、若しくは芸術上特に価値の高い工芸技術を、国として保護育成することになりました。私どもは、その趣旨にそって、昭和29年以来、陶芸、染織、漆芸、金工、木竹工、人形、諸工芸の7部門にわたり、各作家の作品を厳正鑑査し、入選作品によって日本伝統工芸展を開催してきました。金沢への巡回展は昭和38年の第10回展から始まり、以降は毎年開催されています。今回は全入選作品552点のうちから、重要無形文化財保持者(人間国宝)や受賞者らの秀作に加え、地元北陸の作家を中心とした入選作品311点を展示します。-----------------------------------------------第70回 日本伝統工芸展 金沢展
2023年10月28日
パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ東京国立博物館のあとは、国立西洋美術館へ。パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命こちらは平日・土日祝にかかわらず日時指定ありませんでした。やはり事前にネットでの購入はせず、当日、現地の窓口で購入しました。入場したのは15時ごろ。(やまと絵は混んでいて、前まで行ってきちんと観られなかった作品もあって端折っていたのに、意外にも時間がかかっていてびっくりしました)キュビスム展のほうがずっと人が少なかったのですが、私の興味は断然こちらのほうでした。キュビスムの流れがよくわかり、大変素晴らしい展覧会でした。大満足!!キュビスム・レボリューション——フランス・パリ発、世界を変えた美の革命20世紀初頭、パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックという2人の芸術家によって生み出されたキュビスムは、西洋美術の歴史にかつてないほど大きな変革をもたらしました。その名称は、1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と評されたことに由来します。伝統的な遠近法や陰影法による空間表現から脱却し、幾何学的な形によって画面を構成する試みは、絵画を現実の再現とみなすルネサンス以来の常識から画家たちを解放しました。キュビスムが開いた視覚表現の新たな可能性は、パリに集う若い芸術家たちに衝撃を与え、瞬く間に世界中に広まり、それ以後の芸術の多様な展開に決定的な影響を及ぼしています。この度、パリのポンピドゥーセンターからキュビスムの重要作品が多数来日し、そのうち50点以上が日本初出品です。主要作家約40人による絵画や彫刻を中心とした約140点を通して、20世紀美術の真の出発点となったキュビスムの豊かな展開とダイナミズムを紹介します。日本でキュビスムを正面から取り上げる展覧会はおよそ50年ぶりです。ポンピドゥーセンターについてフランスのジョルジュ・ポンピドゥー元大統領によって構想され、1977年に開館したポンピドゥーセンターは、パリの中心部にある複合文化施設です。中核を占める国立近代美術館・産業創造センターは世界屈指の近現代美術コレクションを誇り、キュビスムの優品を数多く収蔵しています。プリツカー賞を受賞した2人の著名な建築家、リチャード・ロジャースとレンゾ・ピアノによって設計され、配管やチューブ状のエスカレーターがむき出しになった特徴的な外観でも知られています。■見どころ1.50年ぶりの大キュビスム展、 本場パリ・ポンピドゥーセンターから50点以上が日本初出品ピカソとブラックが開いた新たな美の扉——初来日作品50点以上を含む約140点を展示する、日本では50年ぶりとなる「キュビスム」の大型展覧会。ポンピドゥーセンターと国立西洋美術館という日仏を代表する国立美術館の共同企画によって、ついに実現します。20世紀美術の真の出発点となったキュビスムの全貌を明らかにします。2.ピカソ12点×ブラック15点、 初期の代表作で、スリリングな造形実験を追体験2人の天才画家によるキュビスムの冒険の軌跡をかつてないボリュームで追体験。絶えず変化を続けながら展開する作品群はすべて第一級です。なかでもピカソのプリミティヴな裸婦像に衝撃を受けて制作されたブラックの重要作《大きな裸婦》、ポンピドゥーセンターを代表するピカソの傑作《肘掛け椅子に座る女性》は必見です。3.ポンピドゥーセンターの人気作品、 4メートルの大作《パリ市》も日本初公開 & 撮影OKピカソ、ブラックとは異なるアプローチでキュビスム旋風を巻き起こした「サロン・キュビスト」たちの作品も多数紹介。なかでも初来日となる幅4メートルにもおよぶロベール・ドローネーの《パリ市》は、ポンピドゥーセンターを象徴する大作のひとつです。会場では多くの作品を撮影することができます(撮影は非営利かつ私的利用の目的に限ります。一部エリアは撮影できません)。■主な作品紹介本展は全14章で構成されます。前半は、ポール・セザンヌやアンリ・ルソーの絵画、アフリカの彫刻などキュビスムの多様な源泉を探る「キュビスムの起源」から始まり、ピカソとブラックが2人きりの緊密な共同作業によって全く新しい絵画を発明する軌跡を追います。後半では、その後のキュビスムの展開に重要な役割を果たすフェルナン・レジェ、フアン・グリス、ロベールとソニア・ドローネーら主要画家たち、キュビスムを吸収しながら独自の作風を打ち立てていくマルク・シャガールら国際色豊かで個性的な芸術家たちを紹介します。また、第一次世界大戦という未曽有の惨事を経て、キュビスムを乗り超えようとするル・コルビュジエらのピュリスム(純粋主義)や、合理性を重視する機械美学が台頭してくるまでを展覧します。
2023年10月20日
東京国立博物館で開催されている、特別展「やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」を観に行ってまいりました。特別展「やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」平日は日時指定ではありません。事前にネットでの購入はせず、当日、現地の券売機で購入しました。入場したのは正午前。博物館を出たのは14時前でした。■開催趣旨平安時代前期に成立したやまと絵は、以後さまざまな変化を遂げながら連綿と描き継がれてきました。優美、繊細といったイメージで語られることの多いやまと絵ですが、それぞれの時代の最先端のモードを貪欲に取り込み、人びとを驚かせ続けてきた、極めて開明的で野心的な主題でもありました。伝統の継承、そして革新。常に新たな創造を志向する美的な営みこそが、やまと絵の本質と言うことができるでしょう。本展は千年を超す歳月のなか、王朝美の精華を受け継ぎながらも、常に革新的であり続けてきたやまと絵を、特に平安時代から室町時代の優品を精選し、ご紹介するものです。これら「日本美術の教科書」と呼ぶに相応しい豪華な作品の数々により、やまと絵の壮大、かつ華麗な歴史を総覧し、振り返ります。■見どころ・やまと絵とはやまと絵の概念は時代によって変化します。平安時代から鎌倉時代頃にかけては、中国的な主題を描く唐から絵えに対し、日本の風景や人物を描く作品をやまと絵と呼んでいました。それ以降は、水墨画など中国の新しい様式による絵画を漢かん画がと呼ぶのに対し、前代までの伝統的なスタイルに基づく作品をやまと絵と呼びました。中国に由来する唐絵や漢画といった外来美術の理念や技法との交渉を繰り返しながら、独自の発展を遂げてきたのがやまと絵です。四季の移ろい、月ごとの行事、花鳥・山水やさまざまな物語など、あらゆるテーマが描かれてきました。・日本絵巻史上の最高傑作 四大絵巻数ある絵巻作品のなかでも、最高傑作として名高いのが平安時代末に制作された「四大絵巻」です。10月11日(水)~22日(日)には30年ぶりに四大絵巻が集結。このほかの期間にも、古代・中世絵巻の名品が続々と登場します。・国宝 源氏物語絵巻 より、関屋・絵合(10月11日(水)~22日(日))平安時代・12世紀・国宝 信貴山縁起絵巻 より、飛倉巻(10月11日(水)~11月5日(日))平安時代・12世紀・国宝 伴大納言絵巻 より、巻上(10月11日(水)~22日(日))平安時代・12世紀・国宝 鳥獣戯画 より、甲巻(10月11日(水)~22日(日))平安~鎌倉時代・12~13世紀
2023年10月20日
徳田秋聲記念館のあとは泉鏡花記念館へ。現在開催中の企画展を観てまいりました。鏡花生誕150年記念特別展「再現! 番町の家」---------------------------------------------------------泉鏡花(1873-1939)の終の棲家・番町の家は、昭和20年(1945)5月の空襲により焼失しました。しかし、自筆原稿をはじめとする鏡花の創作活動の足跡を示す資料、それらの執筆生活を支えた愛用品の数々は、鏡花没後に遺品等が寄贈された慶應義塾図書館、そして泉家遺族のもとに分蔵され、今に伝えられています。鏡花生誕150年を記念して、本展では現存する室内外の写真や関係者の証言をもとに分蔵された遺品を展示、鏡花を愛する人々によって守り抜かれた品々を通して希有の作家が過ごした空間を体感していただきます。---------------------------------------------------------決して熱心に見ていたつもりではないのですが、展示を見ているときに記念館のスタッフに声をかけられました。「何かご質問があれば、お聞きになってください。さきほどから熱心にご覧になっているので」「ありがとうございます。いまのところは・・・」と言うと、首から下げているネームプレートを見せて「館長です。たいていのことは答えられると思うので」とおっしゃいました。えーーーっ!館長!?館長自ら館内を巡回なさっているのにも驚きましたが、そうやって来館者に声掛けをしているとは!帰宅して、ググってみたら、なんと!泉鏡花と徳田秋聲がご専門でした(某大学の学長)。熱心に見ているように見えたのは、時間に余裕があったから。だって、年パスで時間つぶしをしているくらいですから。。金沢に住んでいるあいだに作品を読んだりして、勉強しようと思います。
2023年10月08日
前日に引き続き、年パスで観てまいりました。企画展「東の旅」--------------------------------------今春、開催した企画展「西の旅」のシリーズ企画で、作家・徳田秋聲の旅《東日本篇》です。「忘れ得ぬほどの旅の記憶もありません。」(「独居の閑寂」)というように、”旅”に対していつも比較的距離をとった書き方をする秋聲ですが、中でも繰り返し語るお気に入りの地・伊香保に始まり、真山青果との苦い思い出の残る湯河原、「秋聲会」の面々や作家仲間と出かけた箱根や熱海への遠足、家族旅行の定番・房州の海、妻はまの出身地である長野、そして最後の遠出となった子どもたちとの北海道旅行など、その生涯を見渡せば、各所への旅の記録が確認されます。この展示では、東日本における秋聲の訪問地と、ゆかりの作品についてご紹介します。--------------------------------------
2023年10月08日
まだ観ていなかった石川県立美術館コレクション展を観に行ってまいりました。特別陳列前田家の至宝Ⅰ室町時代末期、戦国大名による分国間の抗争から天下統一を目指す者が現れます。名門の大名家ではなく、武力と知略により“下剋上する成出者”と呼ばれた彼らにとっては、自身の権威付けが重要な課題となります。将軍との関係は必須でしたが、織田信長に擁されて15代将軍となった足利義昭は、やがて信長により京都から追放されました。しかし、足利将軍家は北山文化や東山文化の推進など、文化においても中心的な存在でした。そこで織田信長、豊臣秀吉は足利将軍家に倣い、武力のみならず、文化力でも自身を権威付けることに注力しました。このような背景から、信長と秀吉に仕え、千利休にも茶の湯の指導を受けた加賀藩祖・前田利家は文武二道を家風としました。そして、加賀藩の歴代藩主は、百万石大名の家格にふさわしい文化度を顕示することに尽力しました。3代藩主・利常は、江戸幕府に対する対抗意識を鮮明に打ち出した、独自の美意識による名品の収集や、名工の招聘・支援などの文化政策を展開し、5代・綱紀はそれを拡大・継承しました。本展では、10月14日から開催される「皇居三の丸尚蔵館収蔵品展 皇室と石川」の“前奏曲”との位置付けと、第2展示室で同時開催する「茶道美術名品展」との関連を意識して、茶道美術を中心とした前田家の至宝を紹介します。主な展示作品は、国宝《古今集巻第十九残巻(高野切)》(前半部)、重要文化財《茄子茶入 銘 富士》(大名物・堆朱丸盆はⅡ期で展示)、重要文化財《武家手鑑》(三帖のうち下帖)、《肩衝茶入 銘 浅茅》(大名物)、重要美術品《井戸茶碗 銘 福嶋》(大名物・嶋は箱書き表示)です。茶道美術名品展Ⅰ今日石川県が茶道文化の拠点となっている歴史的背景として、加賀藩は、藩祖・前田利家、2代藩主・利長が千利休から茶の湯の指導を受け、さらに豊臣秀吉からのキリスト教棄教勧告を拒否して追放との身となった利休の高弟、高山右近も、利休の尽力により客将として迎えていることが挙げられます。千利休没後の茶の湯が、古田織部、小堀遠州、金森宗和らによって進められた大名茶となった時流において、3代藩主・利常が推進した文化政策に大きな影響を与えたのが遠州でした。大名茶興隆の一方で、利休の孫・宗旦は千家の再興とともに利休の佗茶への回帰を強く打ち出しました。利常は遠州、宗和とともに宗旦とも親交があり、宗旦の四男で裏千家4代の仙叟宗室が、晩年の利常に仕えています。利常が1658年に没した後も仙叟宗室と加賀藩の関係は続き、5代・綱紀には1661年に初御見得して以後、30年以上にわたって仕えました。利休没後100年に向けた利休再評価の風潮は、綱紀の美意識にも大きな影響を与えました。このような背景を持つ加賀の茶道文化は、文化による地域の個性を表明する気風とあいまって、明治維新後も歴史的名品の集積をもたらし、国宝《色絵雉香炉》をはじめ、その一部は当館の重要なコレクションとなっています。今回は重要文化財《色絵梅花図平水指》野々村仁清作、石川県指定文化財《黒樂茶碗 銘 北野》初代長次郎作をはじめ、千少庵と親交があった俵屋宗達の石川県指定文化財《槇檜図》などの名品を展示します。近代逍遥明治時代に始まる「近代」においては、人々の生活に大きな変化がもたらされ、わたしたちがいま〈美術〉と呼ぶものをめぐる状況にも影響を与えました。西洋発の新しい考え方に呼応し、これまで日本に存在したモノ・コト・ヒトがそのあり方を大きく変え、試行錯誤のなかでその意味内容を形成し始めた時代であるといえます。本展では、そんな時代における〈美術〉や新しい生活をあらわす作品を紹介いたします。近代における〈美術〉の様相を反映した作品から、野外彫刻の原案や印刷物の図案を紹介します。野外彫刻は、西欧から「モニュメント」という考え方がもたらされて以降、いわゆる銅像として日本でもさかんにつくられました。最初期の銅像ともいわれる兼六園の日本武尊(やまとたけるのみこと)銅像の原案として制作されたのが今回展示する《日本武尊像》です。最終的にはこの案は採用されなかったようですが、銅像という近代ならではのメディアに大きく関わる作品であることは間違いありません。図案からは浅井忠《桜》を紹介します。浅井の死後に出版された『黙語図案集』は、浅井による図案約150点を厳選した書籍ですが、当館所蔵の《桜》は同図案集に掲載されたものであることが今回確認されました。図案集とともに展示予定ですので、ぜひご覧ください。ほかにも、近代の生活(モダン・ライフ)をあらわした絵画作品や、作家がみた石川のむかしの風景などをあわせて紹介する予定です。お楽しみに。Rey Camoy- 鴨居玲 晩年の肖像 -鴨居玲(かもいれい、1928~85)は、今から38年前の9月7日、57歳の若さで亡くなりました。「人間とは何か」に迫った彼の作品や人生そのものは、今も多くの人の心を惹きつけてやみません。鴨居は石川県金沢市に生まれ、宮本三郎(1905~74)に師事し、金沢美術工芸専門学校(現・金沢美術工芸大学)で学びました。在学中から石川県現代美術展で県知事賞を受賞、二紀展初入選を果たすなど、早くから頭角を現しましたが、スランプに陥ります。1959年(昭和34)年以降諸国を転々とし、1971年(昭和46)スペイン・バルデペーニャスでようやく制作・プライベートの両面において充実した日々を送りました。しかし ひとところに落ち着くことのできない鴨居は、その後パリに移り1977年(昭和52)2月に帰国、神戸に居を定めます。制作と病に苦しみ、死を意識していたこのころの作品には、鬼気迫るものがあります。当館では毎年、鴨居の命日にあわせて特集展示を行っていますが、本年は1977年(昭和52)帰国以降の作品を中心に展示します。第1章でそれまでの画業を紹介し、第2章では晩年いかにして「人間とは何か」に迫ろうとしたのかを探ります。第3章ではセカンドストーリーとして制作以外の姿を紹介し、作品から受ける印象とは異なる鴨居の一面もご覧いただきます。作品と作家自身の魅力を味わっていただける機会となれば幸いです。なお、第6展示室では、絵画・彫刻の優品を展示します。模様を楽しむ模様という大きなくくりではありますが、幾何学模様と言われる細かな点や線から構成されるものや、動植物など自然にあるものを取り上げて構成したもの、描くのではなく彫って魅せるものなどさまざまに発見・楽しめる作品を集めました。入口右手ケースには着物がずらりと並びます。小宮康孝《江戸小紋菊通し着物》、小宮康正《夫婦櫺子小紋着物》など、着物の中でも小紋と呼ばれる全体に細かい繰り返し模様が入った作品を今回多く展示しました。展示作品のものではないのですが、小紋を染めるときに使用する型も一緒に展示いたします。また、今年度まだあまり展示のなかった木竹工作品も今回は展示いたします。神代杉の蓋側板に、神代桂と尾州桧を交互に重ねて斜め格子に象嵌し、縦中央に黒柿を帯のように象嵌してあり、美しい木目や象嵌が印象的な、福嶋則夫《神代杉木象嵌重ね箱》を。竹という素材の持つ粘りと弾力性を生かしながら、緻密で入念な模様あみと、渋みのあるほっこりとした光沢の橋本仙雪《竹組四方盤》ほか、木竹工から見つけられる模様の美しさをお楽しみください。本展では、作品をもっと楽しめる「わくわくわーくしーと」を無料配布しますので、オトナも子どもも作品鑑賞を楽しむひとつのヒントとしてお使いいただければと思います。
2023年10月07日
三連休中に実施されるカターレの試合はアウェイ。ホームゲーム観戦のために富山に行く必要もなく、三連休なのに何の予定も入っていませんでした。。「金沢市文化施設共通観覧券」という、17施設にいつでも何度でも入館できるパスポート(以下、年パス)を購入していました(2,090円)。元を取るためにも、これを使って時間つぶし?をすることに。まずは、室生犀星記念館へ。現在開催中の企画展を観てまいりました。企画展 あにいもうと ― 人生の悪を吐きつくせ---------------------------------------------------------室生犀星の名作「あにいもうと」に様々な角度から迫る展示。一家の愛憎をむきだしに描いたこの作品は、中堅小説家として停滞期にあった犀星が再び勇躍するきっかけとなり、名も無き市井の人々の本能をえぐりだし、人間を見つめ直す「市井鬼もの」と呼ばれる作品群を生んだ。犀星の作品のなかで最も多く舞台化、映画化、ドラマ化され、現代にも読み継がれる「あにいもうと」の魅力にせまる。---------------------------------------------------------
2023年10月07日
高岡文化ホールでの演奏会の前に、高岡市美術館で開催されている展覧会を観てきました。ヘテロジニアスな世界 光瑤 × 牛人-------------------------------------------美術館というひとつの展示空間にそれぞれの個性を放つかれらの作品群が対峙したとき、まるで化学反応を起こすように、新たな気づきに眼前がひらかれる。一見異質な作品群が有機的に織りなすハーモニーにより誘われる、これまでに味わったことがない世界、これを「ヘテロジニアス(heterogeneous)な世界」と呼ぶことにしよう。本展では、鮮烈な色彩と生命力を表出させた花鳥画に個性を発揮し、文展・帝展を中心に画家としての地位を確立した石崎光瑤(こうよう)(1884-1947)と、「渇筆」という技法で大胆さと繊細さをあわせもつ独自の水墨画の世界を開拓し、孤高の画家として自由奔放な芸術家の生きざまを貫いた、富山市生まれの篁(たかむら)牛人(ぎゅうじん)(1901-1984)の作品約60点を対峙させ、新たな美の発見を試みます。二人の作品を並べることでそれぞれの個性が一層輝きを増し、一方で、富山という土壌が育んだ二人の画家に通底する精神性が感じられることでしょう。なお本展は、光瑤ゆかりの南砺市立福光美術館、牛人ゆかりの富山市篁牛人記念美術館と、近年それぞれの回顧展を企画した富山県水墨美術館のご協力のもと、開催いたします。-------------------------------------------
2023年09月24日
「鴨居玲オマージュ~ドラマを描き出す身体~」のあと、同じ石川県立美術館の地下展示室で開催されている「川瀬巴水 旅と郷愁の風景」を観ました。■川瀬巴水 旅と郷愁の風景大正から昭和にかけて活躍した木版画家・川瀬巴水(1883~1957〔明治16~昭和32〕年)。近代化の波が押し寄せ、街や風景がめまぐるしく変貌していく時代に、巴水は日本の原風景を求めて全国を旅し、庶民の生活が息づく四季折々の風景を描きました。巴水とともに木版画制作の道を歩んだのが、新時代の木版画「新版画」を推進した版元の渡邊庄三郎(現・渡邊木版美術画舗初代)や彫師、摺師といった職人たちです。四者は一体となって協業し、伝統技術を継承しながらもより高度な技術の活用を求めました。そして新たな色彩や表現に挑み続け、「新版画」を牽引する存在として人気を博します。本展では、季節や天候、時の移ろいを豊かに表現し「旅情詩人」とも呼ばれた川瀬巴水の画家としての生涯を、初期から晩年までの代表的な作品とともに紹介します。まとめて観る機会の少ない連作(シリーズ)も含め約180点を展示し、叙情的な巴水の世界へと誘います。展覧会公式サイト
2023年09月23日
国立工芸館で開催されている「水のいろ、水のかたち展」を観に行ってまいりました。水のいろ、水のかたち展■展覧会について本展は「水」をテーマに、工芸・デザイン作品に表現された水や、水をいれる器の形に注目して国立工芸館の所蔵品を中心にご紹介する展覧会です。私たちの生活に欠かすことの出来ない「水」は、決まった形も色もありません。それでも水は古来より海や川を始め様々な形や色で描かれ、工芸作品においても多くの作家に着想を与え、様々な形や色、技で表現されてきました。例えば蒔絵で描かれた波紋や、急流を思わせる竹の編み方、多数の色糸で織り上げた水辺の景色…そのほかにも様々な形や色、技で表現されています。とらえどころのないものだからこそ、作家の観察眼によって個性が表れる水の表現をお楽しみください。また人々は水甕や花瓶、水差しなど、形のない水をいれるために様々な器を作ってきました。そして今も多くの作家やデザイナーが水をいれる器に向き合い、日々新しい器が生まれています。本展では用途とその形にも改めて注目します。■展覧会の構成展覧会のポイント誰にとっても身近な「水」を題材にした作品や、水を入れるための器を展示。工芸作品を初めて鑑賞する方やお子さんとの鑑賞にもおすすめ!出品作品の水に関するエピソードを掲載したリーフレットを来館者全員に配布予定。鑑賞にお役立ていただけます。展示の構成第1章 水のいろ、水のかたち様々な形や色で水を表現した作品をご紹介。作家が水とどのように向き合い、どのように捉えて作品に昇華させたのか、エピソードもあわせてご覧いただけます。第2章 水のうつわ水をいれる器をご紹介。水差しやグラス、文房具の水滴、そして茶の湯における水の器、水指にも注目します。同じ用途をもった器であっても意匠やデザインは様々です。第3章 水とともに作品タイトルから水を連想したり、船や魚、貝といったモチーフから水を連想できる作品をご紹介。鑑賞者それぞれの「水のいろ、水のかたち」を想像しながらご覧ください。
2023年09月20日
金沢21世紀美術館 市民ギャラリーAで開催されていた織作峰子写真展「光韻」を観てきました。石川県立音楽堂での演奏会に行くと、各種演奏会のチラシをどっさり受け取ることがありますが、そのなかにこの写真展のチラシを2度受け取ったのです。アンサンブル金沢のアーティスティック・リーダーである広上マエストロの写真も展示されているということで。------------------------------------------------------------石川県で生まれ育った私にとって、縁付金箔は身近な存在でした。箔という支持体と写真の融合はきっと美しい!と、その想いを礎に10年に渡る試行錯誤を重ねてきました。今回は「石川県ゆかりの人々約100名」のポートレートを縁付金箔にプリントし展示します。400年前から続く縁付金箔に写真が重なり、微かな灯りで発光する新たな表現を是非ご覧いただきたいです。------------------------------------------------------------鍼のあと、金沢21世紀美術館の前には、石川県立美術館コレクション展をもう一度観てきました。8月6日に観に行きましたが、もう一度観たいと思ったので。会期が始まってすぐと、会期終了の前の2回観ると、良いような気がしました。今回に限って言うと、1回目は途中で集中力というか気力がなくなりました。暑さでバテたというか、最後のほうは作品の前を通り過ぎているだけでした。
2023年09月10日
11:30から歯医者の予約を入れていたのですが、担当の方(歯科衛生士)が発熱したとのことで、予約の日時を変更してもらえないか?との連絡が当日の朝9時前にありました。4か月に一度の定期健診だったので急ぎではないため、快諾。というわけで、急きょ午前中から午後にかけての時間が空いたので、富山県美術館に行くことに。大竹伸朗展本展は、高度経済成長期の東京に生まれ育った大竹伸朗の軌跡を7つのテーマ――「自/他」「記憶」「時間」「移行」「夢/網膜」「層」「音」――に基づいて読み解く回顧展です。大竹伸朗(1955-)は、1980年代初めに華々しくデビューして以来、絵画、版画、素描、彫刻、映像、絵本、音、エッセイ、インスタレーション、巨大な建造物に至るまで、猛々しい創作意欲でおびただしい数の仕事を手掛け、トップランナーであり続けてきました。近年ではドクメンタ(2012・ドイツ)とヴェネチア・ビエンナーレ(2013・イタリア)の二大国際展に参加するなど、現代日本を代表するアーティストとして海外でも評価を得ています。2006年に開催された「全景 1955―2006」以来の大規模な回顧展となる本展では、国際展に出品した作品を含むおよそ500点を7つのテーマに基づいて構成します。作者が「既にそこにあるもの」と呼ぶテーマのもとに半世紀近く持続してきた制作の軌跡を辿るとともに、時代順にこだわることなく作品世界に没入できる展示によって、走り続ける強烈な個性の脳内をめぐるような機会となるでしょう。
2023年08月26日
石川県立美術館のコレクション展を観に行ってまいりました。■前田利為のコレクション前田利為によって、今日の前田育徳会にあたる「公益法人 育徳財団」が設立されて、令和8年(2026)で100年を迎えます。前田家16代当主利為(としなり)は、旧七日市藩12代利昭の五男として明治18年(1885)に生まれ、明治33年(1900)に前田家15代利嗣(としつぐ)の養子となり、利嗣逝去ののち、家督を嗣ぎました。利嗣の娘渼子(なみこ)と結婚した利為の最初の責務は、利嗣の遺志でもある明治天皇の行幸を仰ぐべく、本郷邸を新築することでした。当時、旧大名家はこぞって西洋式の邸宅を新築して天皇を迎えており、華族にとって家格を示す重大事業だったのです。本郷邸の新築は、日露戦争によって一時中断しますが、西洋館は明治40年(1907)12月に、日本館はその2年前に竣工しました。西洋館は、列柱とアーチをもつ広いバルコニーを備えた玄関で、豪華なルネサンス風の建物でした。利為は、竣工したあとも西洋館は使用せず、行幸決定の内示を受けて、西洋館の装飾を始めます。タイミングよく、パリで美術商として活躍した故林忠正のコレクションの一部を明治42年(1909)に入手します。本特集で紹介する《中古市街ノ風俗ノ図》(ジャン・デュモン)、《牧場図》(ヴィオレ=ル=デュック)、《森林群犬図》(フェデリコ・ロッサーノ)は、この時購入したものです。本特集ではその他、行幸の様子を描いた下村観山による《臨幸画巻》のほか、昭和2年(1927)の4度目の渡欧にて入手したルノワール《アネモネ》を紹介します。■古九谷とその展開令和3年に開催した「加賀百万石 文武の誉れ」展では、加賀藩3代藩主・前田利常が推進した古九谷の制作を、江戸幕府による禁教の状況下で、キリスト教信仰が日本・東洋文化と高度に融合した文化的所産として再考しました。文武二道の精神から、利常は江戸幕府に対して文化力で挑みました。そこで古今東西の名品の収集や、名工の招致・支援に続いて着手された古九谷のプロジェクトには、江戸では生産できない色絵磁器という日本では新しい芸術ジャンルであることに加えて、大胆かつ斬新な様式に、美しさと深い思想的な含蓄があることに戦略的な意思が示されています。1637年に、佐賀藩は有田から日本人陶工826人を追放しています。日本人のみを追放した理由は、キリスト教信仰者の排除だったと考えられます。その年、利常は長崎、平戸に御買手を派遣して、「古き唐織の切」(名物裂)や茶道具の購入にあたらせています。その際に、追放されたキリシタン陶工とも接触し、色絵磁器生産の技術を導入する道筋が付けられたと推測されます。近年、色絵磁器に用いられた顔料の科学分析から、すでに1630年代から、来日したイエズス会宣教師を中心として、ヨーロッパ由来の顔料を用いた色絵磁器の開発が行われていたとする見解も出されています。そこで「マリア観音」の進化形として、東西のモチーフに共通する属性を基盤とした、暗示的なキリスト教信仰記憶媒体が、高山右近ゆかりの加賀藩で構想されたことは十分考えられます。■近代の木版画明治に入り西洋印刷術が導入されると、木版画である浮世絵は、時代を写す鏡という一大メディアの座を奪われていきました。しかし、近代の木版画はその頃まだ多くいた彫師・摺師の名工たちを擁して、明治時代の新たな分野の「口絵」や大正時代の「新版画」などの新たな舞台を得ました。口絵は文芸雑誌や小説単行本の巻頭に付けられ、明治時代に刊行された近代文学は、口絵によってその小説なりの世界を導くためのビジュアル・イメージの役割を務め、大衆の関心を集めたのでした。口絵の花形は美人画でしたが、当初小説に付随するものであった口絵が、次第に小説から完全に独立して美人画に特化していきました。この口絵のブームは明治中期から大正初期の30年間ほどで終わりますが、近代の木版画は伝統派の鏑木清方門下の伊東深水、そして、風景画では川瀬巴水といった画家たちの大正・昭和の近代美を備えた新版画へと受け継がれていきます。新版画の中でもっとも制作されたジャンルは風景画です。葛飾北斎や歌川広重によって浮世絵で名所を描くことが定着し、明治初期には小林清親によって季節や天候、1日の移ろいを光と影の関係によって表現し、木版画における風景表現の近代化が図られました。この後、明治20~30年代にかけては美的評価が定着した名所ではなく、個人の主観によって選ばれた無名の自然景を描くことが普及、戸外での写生や水彩画ブームとともに新版画の風景画に大きな影響を与えました。そして、この時代の浪漫主義の文学や絵画など、次々に到来した西欧の新しい自由な芸術観によって、それぞれの個性尊重の考えから作風のヴァリエーションが広がり、近代の絵画表現をさらに豊かにしていったのでした。■よく見てみっけ!夏の恒例コレクション展「みんなで楽しむ美術館」は、当館によく親しんでいただいている方はもちろん、美術館が初めてのお子さんや美術鑑賞に慣れていない方など、様々な方に作品を楽しんで見ていただく機会としています。本展は、鑑賞の基本である「よく見る」ことを楽しんでいただくため、「探す」「内側を見る」「くらべる」という3つの見方を提案します。作品をじっくり見て、新たな発見をする機会となれば幸いです。第1章「探してみっけ!」では、各作品に設けられたお題を作品のなかから探していただきます。作品に目を凝らすだけではなく、遠くから全体を眺めるなど、「探す」ことを通して様々な見方にチャレンジしてみましょう。第2章「内側を見てみっけ!」では、外と内で異なる表情を見せる作品を集めました。ふたをとったり、のぞき込んだりすることで、作品の外と内の組み合わせの妙を味わってみましょう。第3章「くらべてみっけ!」では、2つの作品を比較して同じところ・違うところを見つけてみましょう。実は、ここで「くらべる」作品は、同じ展示室にあるとは限りません。館内の異なる展示室にある作品や街中の彫刻作品が「くらべる」対象になっていることもあります。見慣れた風景であっても、作品に注目すると違った雰囲気に見えるかもしれません。ぜひ足を運んでみませんか。■優品選油彩画分野では明治から終戦までの作品を集めました。宮本三郎《赤いクッション》は、着物をはおり、赤いクッションにもたれる裸婦を描きます。このころ宮本は浮世絵や安井曾太郎の影響を受け、日本的な表現を意識した制作を行いました。本作でも、形態を簡略化し明るい色彩を用いて、近代的で装飾的な画面を作り上げています。昭和10年代の宮本の特徴をよく表した作品です。彫刻分野からは昨年度新収蔵となった作品をご紹介します。得能節朗《豊穣の祈り》はメソアメリカ文明に伝わる「チャクモール」に裸婦を組み合わせた作品。チャクモールとは儀式の際に生贄をささげる像のことを言います。本作は、作者がメキシコなどを旅行した際に着想を受けて制作したといいます。胸に手をあてた裸婦が腰掛けた姿と異国の像の組み合わせが神秘的な作品です。日本画分野からは、稲元実《夏日》を紹介します。画中の男女は作者とその妻。鑑賞者に向けられた2人の視線や姿勢はしどけなく、夏雲を想起する白と、枯れかかった向日葵を配した背景とが相俟って、やや暗い印象を醸します。画題の「夏日」は、過ぎ去るひと夏の1日でもあり、人生の盛夏が永遠に続かないことを暗示するかのようです。■四季の移ろいⅣ「夏さんぽ 秋さんぽ」をテーマに、夏から秋にかけて身近に見られる風景から、美しいみのりなどを楽しめる作品を特集しました。入口右手から、雨上がり、大地が染まる青と白い雲に、凜とした空気が感じられるところに優しい色合いでかかる虹が深く印象に残る、堀友三郎《虹の立つ丘》でスタートします。本作はパネル作品ですが、このほかにも、展示のご要望が増えている染織作品を多く展示しています。着物の中から1点、金丸水明《服飾「盛夏果実」》は、逆光に映える青りんごを、実の部分には藍と黄の補色を使い夏の光を感じさせ、樹や葉などは藍の濃淡で表現することで、夏のさわやかさをより印象深く感じる仕上げとなっています。また、実にある黄色によって、麻の地色をそのまま背景として使用しても、模様と地とが強く割れてしまうことなく、逆にすがすがしさを残し、夏をそのまま感じる作品です。そして今回、一番奥には稲穂がみのり、穂のなかを鳥が飛ぶところで遊ぶ子どもたちを表現した木村雨山《遊童図》を展示します。夏休みにも当たるこの時期、美術館でさんぽがてら、ゆっくりぶらぶらと鑑賞を楽しんでいただきたく思います。
2023年08月06日
前期展を観に行ってまいりました。生誕150年記念・川合玉堂展近代水墨画を語る上で欠くことのできない近代日本画壇の巨匠、川合玉堂(かわいぎょくどう・1873-1957)の生誕150年を記念した展覧会です。川合玉堂は、愛知県一宮市に生まれ、少年期は岐阜で過ごし、その後、京都、東京と転居を重ねる中で、円山四条派や狩野派などの技法を習得しました。さらにそれらを融合して、伝統的な墨の表現、線の表現を、近代日本画の中によみがえらせた独自の画境をひらき、詩情豊かな風景画の名作を数多く残しました。自然の中に身を置き、風景写生を重視し、そこに暮らす人々に温かいまなざしを注いだ初期から晩年にいたる約40点により、日本の原風景とも呼べるような味わい深い玉堂の絵画の世界をあらためてご紹介いたします。
2023年08月05日
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