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早口の人の記録で困るのは、そもそもきちんと発音されていない単語である。いくら早口だって、相手に話の内容を伝えようと思ってしゃべっているわけで、根気強く聞いていけば9割くらいは聞き取れる。残りの1割は、そもそも発音していない。母音が落ちるだけなら自分でゆっくり発音するとわかることもあるが、子音まで落ちると、だいぶ違う単語になってしまう。母音も子音も落ちてしまう単語は、その人にとってなじみがあって、言い慣れている単語である。言い慣れた人名、団体名、なじみのある概念、口癖になっている接続詞や副詞。問題は、なじみがある、言い慣れている、ということは、その単語が話のキーワードになることが多いことだ。この単語一つ聞き取れないことによって、原稿全体で何を言っているのかわからないものが出来上がる。これは致命的だ。火力発電の専門家が「エレンジ」「エレンジ」と連呼する。それは「LNG」だろう。フェミニストの講演では、何度も出てくる「ンタチオカイ」がわからない。何度も発言するのに、毎回「ンタチオ」としか発音しない。その活動家の経歴が載っているサイトや主催したシンポジウムの記録などから「女たちの会」であることがわかった。オーラル・ヒストリーで学生時代の思い出を聞いているときに、「カイフンチュ」が頻出する。これは「開北二中(仮名)」である。逆に言えば、そのキーワードがわかることによって、原稿全体のクオリティが格段に上がるのだ。相手は早口で、ほかの部分もきちんと発音されていない。聞き間違いを多くしているはずの原稿だ。フェミニストの講演で、「○○○女たちの会」という固有名詞がわかることによって、今度は「○○○女たちの会」に関連する人名、活動内容から、講演のほかの聞き取りにくい単語が芋づる式に引っ張れる。極端な場合、「そういうことはン」と、文末が「ある」だか「ない」だか発音が不明瞭な場合でも、「○○○女たちの会」の平素の主義主張から類推することができる。いつも思うのは、聞き取れない単語というものは、聞いたこともない専門用語であることは少なく、当たり前の単語であるほうが多い、ということだ。聞いたこともない専門用語はもちろん聞き取れないし、「ナラティブ・エクスポージャー・セラピー」や「アレキシサイミア傾向」といった単語は、調べ倒さないとわからない。でも、これ言っちゃなんだが、専門用語がわからかったら「ごめんなさい」してもいいと思う。でも、「女たち」とか「二中」とか聞き取れなかったら、「ごめんなさい」じゃ済まないよね。だから、あなたにとって大切な団体名やキーワードは、雑に発音しないでほしい、と切に願うのだ。講演やインタビューのときだけでいいので。
2011年05月29日
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前回、「東京在住の方はほとんどいない」なんて書いたら、来ましたよ、戦前に東京在住だった方のインタビューが。ブログに書いたり、人に話したりすると仕事を呼ぶんですよね。(笑)「こんな仕事したい」とか、「数年後にはこうなりたい」とか、積極的に言ったほうがいいです。なんちって、ちょっと嘘。記事を書く前から受注していた仕事ですから、順番的には呼び込んだわけではありません。でもまあ、そういうふうに考えるとちょっと幸せなので、いいじゃないかと。『マイナス・ゼロ』に資料的価値があるといっても、今回の仕事との接点は、省線がどうのとか、地下鉄はどのくらい延びていたかとか、世田谷辺りがどのくらい都市化していたかとか、多少、街の様子がイメージがしやすいという程度でしたが、それでも楽しみながら仕事しました。資料といえば、今期の朝ドラ「おひさま」もちょっと参考にしています。子供たちが保育園→学童保育という道を歩んだので、地域の知り合いはワーキングマザーが多いです。私みたいに在宅でぷらぷら仕事をしている人はいないので、日頃、「朝ドラ、毎日楽しみにしてんのよね」と言うことはほとんどありません。(あと、「昼寝した」も言わん、絶対)ごめん、みんなが通勤電車に乗っている頃、あたし、身支度も半端な状態で朝ドラ見てる。そんなわけで、私が朝ドラを見ているのはトップ・シークレットです。そんなことはどうでもいいのですが、ずっと見続けるほど朝ドラが面白いかというと、そうでもないものもありますが、今回の「おひさま」は面白いです。ドラマとして出来がいいと思うのですが、戦前の風俗を映像で見られるので、半分資料的に見ています。今日は、国民学校の授業で、レコードに録音された戦闘機の音から機種名をあてさせる、というシーンがありました。文部省だかどこかが戦闘機の音のレコードを作製し、全国の国民学校に配布したということですね。(戦前の録音メディアは、圧倒的にレコードですよね。玉音放送もレコードでラジオ局に配布したとのこと)インタビューを聞いていると、「昭和16年のあのとき来たのはP38だった」「B24が哨戒して帰っていった」というような話がよく出てきます。その記憶力にも驚嘆しますが、どの方も具体的な機種名がちゃんと入っているのが特徴的です。戦闘機の種類を瞬時に区別し、それによってどういう攻撃をされるかを予測して、どういう方法で避難する、という教育が徹底していたのだろうということが、今朝の朝ドラでわかりました。ドラマですから厳密な当時の描写はあえてせず、現代風にアレンジしている部分がありますが、そういう「間違い探し」的に見るのも楽しいです。
2011年05月23日
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【送料無料】マイナス・ゼロ改訂新版価格:800円(税込、送料別)ちょっと前に娘とタイム・パラドクスの話をしていて、「そういえばこんな話があるよ」と例に出したのがこの本のエピソードだった。家にインターネットの工事の人が入って、仕事もできず、手持ちぶさたで待っているときに、なんとなく手に取ったのはたぶんその時話をしたから。なんか30年前の文庫は、文字が小さいっすよねえ。そんな苦労を乗り越え、一気読み。描かれる過去の時代は昭和初期の東京。作者は大正13年生まれの東京育ちである。綿密な調査を基に、マニアックに当時の東京を描いているのだが、そこにリアリティとノスタルジーを感じさせるのは、作者が少年期に実際に見た風景だからであろう。粋でお洒落で、関東大震災から復興していく東京がそこにある。作者が工学部出身ということもあるし、タイム・トラベルをするのが男性(だけではないが)ということもあって、着目点が男性的。戦前の自動車のほうが(スバル360より)かっこいいとか。 ハドソン系の中級車エセックス・スーパー・シックスは直列六気筒 七十馬力のエンジンを積み、時速一三〇キロのまま丸一日走行可能。 しかもガソリン消費量はリッターあたり八ないし一〇キロ当時のカフェーは今で言うキャバクラに近くて、「肉体美人」のサービスは、マッサージ・サービス、ネッキング・サービス、ポケット・サービス、無抵抗サービスなどがあった、とか。(ちなみに詳細な記述まではない)蛍光管が発明される前のネオンサインには中間色がなく、赤、青、黄色などの毒々しい色だった、とか。日頃インタビューでお話を聞く方は、このあたりの年代のことが多い。まあ、東京在住の方はほとんどいないのだが、昭和初期の東京の描写として、資料的価値のある作品である。初読は高校生のときだが、今読むと昭和初期の用語を結構拾えるので、当時いろいろ読み飛ばしていたことがわかる。子供に本を薦めるとき、「これはちょっと言葉遣いが難しいかな」と躊躇してしまうことがあるが、多少読み飛ばしながらでも読書は堪能できるのだ。自分が体験しているのに、やっぱり「これはまだ難しいかな」とつい思ってしまう。これ、直らないだろうか。肝心のタイム・パラドクスのほうだが、これが鮮やかである。昭和初期の風俗を描くことにページ数の大半を使っているので、最後の種明かし、辻褄合わせの部分はちょっと駆け足感があるが、パズルのピースがあるべき所にカチカチっとはまっていく爽快感がある。タイム・トラベルをしてきた男と関わったことによって運命が変わりそうになる人々が実際どうなったか、という整合性も読後に確認すると面白い。「でも、なんかよくわかんね-」みたいなもやもやも残しつつ(笑)。実に見事だ。数年前は絶版状態でプレミア価格がついていたらしい。文庫に4000円とか!最近、書店で平積みになっていて、「今どき広瀬正かあ?」と不思議に思ったことがあるが、復刊リクエストの声によって2008年に復刊されたからだったのか。うれしいことである。新版は、字も大きい。(笑)
2011年05月21日
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【送料無料】半日村価格:1,470円(税込、送料別)4月23日は文科省で設定した「子ども読書の日」で、毎年その付近で全校生徒への読み聞かせをしています。普段はクラスごとだけど、この日ばかりは700人を相手に体育館で読み聞かせします。4月23日はもともとはサン・ジョルディの日だけど、バレンタインデーみたいに定着しませんでしたね。700人の前で本を読むというのはそれなりに緊張します。子供がたくさん、というのもあるけど、何せ先生方がずらっと並んでいるのがねー。まっ、図書ボランティア数人で分担して読みますので、平気ですけど。1年生は入学したばかりだし、だからといってあまり簡単な話だと高学年には退屈かも、などなど、毎年選書には頭を悩ませます。昔話系の創作童話が無難というか、安全パイというか、今年は斎藤隆介さんの『半日村』。今年はなんとなく時節も気になって、子供たちに明るい話を読んであげたかった、というのも選書の理由です。 山あいの半日しか日が当たらない寒村の話。 作物が育たないという両親の嘆きを聞いた少年が、 「それなら、自分があの山を低くする」 と、袋を持って毎日山の土を運び出した。 最初、村人たちは「そんなことで山が低くなるわけがない」と 馬鹿にしていたが……。読み聞かせの長さとしては手頃。7~8分くらい。文章にはリズムがあって、声に出して読みやすいタイプの本です。私はこの文章、ぴたっと気持ちに合って、読んでいるとカタルシスを感じます。ぞくぞくっとするほど気持ちいい。ただ、話は本格的なので、読み手のほうにも覚悟が必要だなあというのは感じました。「演技力」とはちょっと違うけど、でも演技力みたいなものかな。作物の育たない寒村のあえぎ、少年のばかばかしく見える思い付き、徐々に心を動かされていく村人たちの心情、時の流れ、希望に満ちたラストシーン。……そんなものを表現するのは、こちらも襟を正していかないと、という感じでしょうか。お薦めの一冊です。
2011年05月05日
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ほかの言語は書けないので比べようがないのだが、日本語の表記法は結構自由度が高いと思う。ギャル文字なんか最たるものだが、適当に書いてもだいたい読めるし、文字なんか意思疎通するためのもので、読めりゃいいんだけれども。学校で教わっていない書き方が自由にできるというのは、ある意味文字を使いこなしているということだと思う。そう考えると、文化度が高いということかなと思ったりもするが、もしあなたがテープ起こしをしたいならば、そう気軽に文字を書いてもらっちゃ困るのだ。「学校で習ったとおりに書けば、それだけで文章はかなり正解に近い」と思うんだけど、そうは言っても「何習ったっけ?」というほど遠い過去だから、逆に使用禁止のものを並べてみることにする。◆五十音にない平仮名、片仮名は使わないウィンドウ → ウインドー (「ィ」は五十音にないから使っちゃ駄目)ヴァイオリン → バイオリン (「ヴ」は五十音にないから使っちゃ駄目)3ヵ月 → 3カ月 (「ヵ」は五十音にないから使っちゃ駄目)ぁぃぅぇぉゎ ァィゥェォヵヮは五十音にない。だから使わなくていい。 外来語はこれらの小さい文字を使わないと表現が難しいものがある。 やむを得ず使う場合があるが、それはあくまでやむを得ずだ。◆略字は使わない。3ヶ月 → 3カ月 (「ヶ」は「箇」の略字だから使わない)5才 → 5歳 (「才」は「歳」の代用字だから使わない)◆?!を使わないへー! そうなのか? → へえ、そうなのか。「~か」とあれば、日本語はそれで疑問文だとわかる。「?」をわざわざつける必要はない。疑問文には「?」をつけろと口を酸っぱくして言ったのは、国語の先生ではなく、英語の先生のはず。「!」も然り。 話し言葉を文字にするテープ起こしでは、 肯定文の文章を尻上がりに発音して疑問文にする文がある。 「?」がないと意味が通じない文にだけやむを得ず使う。◆,.を使わない。でも,文科省のサイトでは使ってるけどね.→でも、文科省のサイトでは使ってるけどね。 クライアントが「こっちの句読点を使って」と言ってきたら、 やむを得ず使う。◆‘’“” ~ を使わない。クォーテーション、ダブルクォーテーションを引用符として使うのはあくまで英語。(言ってるそばから「ォ」を使っていますが)「~」は、まっ、駄目だよね。メールじゃないんだから。‘は~るの小川はさらさらゆくよ~’→「はるの小川はさらさらゆくよ」 歌詞はま……、迷う。使いたいぞ。
2011年05月02日
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