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マールイ祭りが終わって早3週間。まだちらちらと脳裏に浮かんでは占領されています。さすがに仕事中にぐるぐる勝手に(頭の中で)BGMが流れることはなくなったけど、祭り開催中は鼻歌が出そうで、無意識にリズムをとってしまう自分に、あぁ、無意識ってコワいと思いました。しばらく白鳥もジゼルも他では観る気しないー。といいつつ4月のポリーナちゃんは観てしまうだろうなぁ~。まだチケット取ってないけど、観たい度がかなり薄れてしまった。それもこれも、ドラマに引き込まれる舞台を見せられちゃったから、なんだよね。あの吸引力はすごい。つくづく感じたけど、踊り手の感情が観ている側に浸透するってすごいことだと思う。「楽しそう」が「楽しく」感じたり、心の「痛み」が「痛く」感じたりするし、愛がこちらに届いたりするんですよねー。ダンサーにとっても、舞台を生きるってそういうことじゃないかなー、と思ったりします。ルジマトフとシェスタコワのペアは好きだけど、同じ組み合わせばかりで飽きないだろかと思ったのは間違いでした。シェスタコワはうまく豹変するダンサーだと去年のバヤデルカだけでも思ったけど(ガムザッティ→ニキヤ)、本当に化ける人ですね。オデット/オディールだけでも魅力的でしたが、ジゼルを観て度肝を抜かれました。こんなふうにジゼルを演じられる人っていないんじゃないかなー。愛くるしいジゼルと、壊れちゃったジゼルの眼が忘れられないんですよ。ルジマトフも絶好調な上に、2日連続で嘘みたいに奇跡の舞台。こんなに幸運でいいんですか~~~。それに、シェスタコワは愛でつつむとか、愛に愛で答えるとか、とにかく愛情の表現に長けた人で、ルジマトフの強い(濃い?)アピールに臆するどころか波長を合わせて更に高めることのできる、貴重な人ではないかと思います。バヤデルカで一日はどうしてもペレンのニキヤになるのは、ルジ自身がガムザッティのシェスタコワと踊りたいからだと思う。その時点でニキヤ(ペレン)への愛情は薄いと見た。2幕の婚約式はシェスタコワのガムザッティだとキラキラと金粉を撒いたようなのよねー。そういえば、ペレンは幻影の場で何故髪を金髪に染めたのかしらん。まさかカツラ?この世とあの世で分けたかったのだろうか。ルジはあれでもオッケーだったのかが心配だわ。ペレンのニキヤはペレン単独でみると会心の出来だったと思うんですよ。滅茶苦茶艶っぽかったし、憂いたっぷりだったし。バレエ的にも美しいラインですごく安定していて、骨折したあとのリハビリがうまくいったのか、足腰強くなった気がするし。バヤデルカを見る限り、足りないのはルジとの心の通い合い、でしょうか。ルジのテンションも低すぎじゃないの?というか、愛は生まれてないか、愛が冷めたカップルになっちゃうのよね。わたしは今回、すでに心のズレが生じているカップルに見えました。心が見えないのはむしろソロルのほうで、ズレてることに気がついていなかったニキヤの物語として、最後までニキヤの一人芝居みたいでした。でも美しいラインを持つペレンのニキヤも好きなんだよね。叙情性も加わったので、これでルジがそれなりに愛情を傾けてくれれば...。白鳥のペレンはシヴァコフと相性もよくて感動すらしちゃったので、パートナーシップの問題なんでしょうねーーー……。それが一番難しいところか…。これで相手が他の人であれば、ペレン絶賛!で終わったのかもしれないけど、まったくルジは罪な人です。一度シヴァのソロルを試してみてはどうなんでしょう。ガムザッティがエフセーエワとか。うん、観にいっちゃうな。最終日のバヤデルカにペレンとマラトが来てたので、どう思ったか知りたいところです。
2007年02月24日
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この前CDショップをうろうろしていたら、どこかで見た覚えのある顔が...。が、しばし思い出せず。店内にかかってる曲をよく聴いたら、これもどこかで聴いたような声…。はっ!これは「アリー・myラブ」で歌っていた男の子じゃないの。...って随分前ですが。少年ぽいのになんて美しいイイ声♪ とその時は名前も知らずにいたけど、今になってやっとわかりましたわ。それにアリー・myラブのエピソードがとても印象的だったのよ~。その時の曲が聞きたくて、今売り出し中の3rdアルバムを無視して1stアルバム『ジョシュ・グローバン』を購入。曲名がわからなかったけど、入っておりました。(わーい)↓2曲『josh groban』(1st)3. you're still you (シーズン4 最終話)ジョシュは教会の聖歌隊に入っている、内気な高校生マルコム役。学校のプロム・パーティーに行く約束をしていた彼女から突然断られてしまい、落ち込むマルコムをアリーが元気付ける。アリーの励まし方は正直で嘘がない。ちょっぴりジーンとして、ちょっぴり前向きになれる。彼女のために歌うはずだったソロを、アリーに勧められてプロムで歌うことにする。で、この曲を歌うんですよね。気弱そうな童顔からは想像もつかない、たっぷりとした声量の深みのある声。そのギャップにまずびっくりして、聞き惚れました。5.to where you are (シーズン5 第7話)アリーは墓石の前で涙を流す男性に声をかける。彼は牧師で、妻を強盗に撃たれて亡くしたことがきっかけで、神を信じられなくなり教会に不当解雇されてしまった。いままで愛する人を失った家族に、自分は神の存在を説いて来たけれど、今はそれを信じられないでいる。母親を失った息子の力になることもできないという牧師のために、アリーが息子に会いにいくと、扉の向こうにいたのはマルコムだった。マルコムにとって、歌は母とともにあり、母との思い出が多すぎて歌うことができなくなっていた。やがて教会との話し合いで牧師は復職できることになり、アリーはマルコムに母の死から立ち直って歌って欲しい、と頼む。牧師はミサで語り始める。愛する人を失って、その人の魂がこの世から消えうせたと感じていたけれど、心に生き続けるかぎりその魂は永遠だと多くの人に教えられた。息子も立ち直ろうとしていて、今ここにいます、と息子を紹介する。マルコムが聖歌隊の一員としてソロを歌い出すのが、この曲。これが母の死を乗り越えようと歌ったと思うと、とても沁みる曲です。歌詞が泣けます。(T_T) ちなみにこのエピソードは9.11の後に撮影されたもので、9.11を意識したものらしいです。www.joshgroban.comで視聴できます。(左上の JOSH GROBAN AUDIO PLAYER をクリックすると曲目が出ます)ちなみに、続いて2ND, 3RDアルバムも購入してしまった。『CLOSER』(2nd)『AWAKE』(3rd)LA出身のジョシュですが、イタリア語の響きが好きなんだそうで、イタリア語の歌も多い。オペラ歌手ばりの声量で、クラシカルなボディーにポップなアレンジをした感じ。本格テノールの声が男らしい~。彼のもつ声の力に癒されております。
2007年02月21日
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あらら。1幕を書いてから1週間も経ってしまった。(汗)いや~、2幕はなんて深いんでしょ。思い返しながら浮かんだこともあるので、観たままじゃないかもしれないけど、まぁ感じたことだし、もう自己陶酔の世界です。しかも長いっ!ジゼルの魂を求めて、ユリの花を抱えたアルベルトのルジが姿を現したとき、舞台の空気は悲しみに同調するように、なお一層青く深く沈みこんだ。しんとはりつめた静寂。マントの持つ高貴さと、研ぎ澄まされたルジのすべての神経と美に、一瞬のうちに吸い込まれていく。蒼白な横顔はひときわ美しく、壮絶なまでの美しさを見せつける両の脚。青ざめたルジはどうしてこんなに美しいのだろう。怒り、哀しみ、痛み、といった負の感情が伴うと、その美しさに胸を突かれる。アルベルトは、泣くことができないでいるようだった。心が裂かれていくのを放置して、なのになんの痛みなのか認めることを拒絶していたかのよう。それなのにお墓に手向ける白い花束を手にしている自分。どこか呆然としていて、なにかひとことでも発したら、自分は狂ってしまうとでもいうように。そんな心の内が足取りをのろのろと迷わせる。せめてジゼルの墓前に花を...。もしもそうしなければ、犯した罪は一層重く、このまま死ぬことも許されないであろう。止めようとする従者を静かに遮る姿には威厳があふれていた。従者がどんなに主人の身を案じても、これには頭を垂れて従うしかなかった。気遣われるより、今は罰されたい。わたしは罪深い人間なのだ...。その顔はつらく歪んでいた。お墓にたどり着き、さっきハンスがしたようにうなだれ、花を手向ける。ハンスとは比べものにならないほど、ジゼルに向ける愛情と失った哀しみは深い。(ハンスが雑に思えてしょうがない。ハンスがジゼルの家の前で好きな気持ちを表現する1幕と、墓前で悲しむ演技が、同じに感じるんだけどー。)ルジの見せる悲しみよう、嘆きの感情って、「演じてる」とか「なりきってる」とかではなく、アルベルトが感じているままなんだと思う。ルジマトフはアルベルトになっているので、アルベルトが愛し慈しみ、傷つき嘆く、感情のひだのそのままを体現してる。アルベルトとして生きているから、演じる必要がないんだ、などとルジが言いそうだな。いやー、それはアナタがいろいろ超越しちゃってるからできることですから。ジゼルが風のように現われ、アルベルトはすぐにその気配を感じる。舞台を斜めに横切るジゼルに手を差し伸べたかと思った瞬間、ジゼルの体は宙にとどまり滑るように着地して消えていった。ジゼルに触れられたというだけで、アルベルトはさぞ嬉しかったであろう、とじんわり感動していた自分。ウィリーになったジゼルは、幼さや愛くるしさは消え、かすかに憐れみを帯びたような儚さ。ふわふわと宙を舞い、静寂のなかに瞬くようにかすかな重み。冷たいだけのウィリーではなく、ペン先ほどの小さな愛がまだ灯っている。アルベルトが弔いに来たことで温かみを増したようだった。白いユリの束をアルベルトの前にばらばらと落とし、「わたしの純潔な心をあなたに捧げます」「どうか受け取って」と祈るような表情。ジゼルのアルベルトへの慈しみが溢れていた。ジゼルは自分を責めないばかりか、ミルタの前では身を挺して自分を庇う。もう決して結ばれない相手なのに、この愛の深さはなんだろう。アルベルトは自分を恥じ、ジゼルの清らかな愛に感動すら覚えたに違いない。ミルタは残酷な楽しみを奪われて怒り、まずジゼルを踊らせる。扇状に広がる純白のチュールは、ジゼルの穢れの無さと存在の神秘性の象徴のよう。精霊のように透き通る優美さに魅了され、アルベルトはふらふらと吸い寄せられる。それこそがミルタの企み。神聖な守護物である十字架からアルベルトを引き離し、魔力でアルベルトを操るために、ジゼルは誘惑の舞いを踊らされた。もしかしたら、アルベルトはわかっていたのかも。こうすることが自分への罰なのだ。ジゼルの手をとることで死に至るなら、それを甘んじて受けたいと、ジゼルのために今度は自分が犠牲になりたいと思ったのかもしれない。ジゼルを頭上高く掲げるリフトは重力もなくふわりと舞い上がり、チュールが花びらのように広がってとても幻想的。舞台を横切るジゼルを滑るようにサポートする。なんて淀みないなめらかな動き。ふたりで息をあわせるたびに、愛でつつまれていく2人だけの静寂の世界。こんなに美しい世界はそうそう存在しない。お互いの吐息や気配や温度で感じ取っていくような間合いまでも息苦しい。(ウィリは体温ないだろうけど)ウィリのジゼルを象徴するようなポーズの数々を、シェスタコワは驚異的な安定感で、かげろうのように儚げに印象的にみせてくれた。切なくて涙がこぼれるような、美しい透明感。ルジとつなぐ手にさえ想いを込めて、信頼しきったパートナーシップ。ルジが支える手もいつも以上に美しかった。それにしても、ルジの手はひらひらと残像を残し、なぜあんなに美しい軌道を描くのだろう。あれにいつも吸い込まれそうになる。魔力で踊り狂わされて疲労困憊の場面でも、もう余力がないアルベルトでありながら、形を崩していても美しさを失わず、本当に操られているように踊る。糸が切れたように地面にくずれ落ちた姿までため息が出てしまう。髪の毛の乱れ具合までが美しいと思う。4時を告げる鐘が鳴り、ジゼルの胸に安堵が広がる。やさしく抱き起こすと、この人を救えたことを神に感謝しているように天を仰ぎ、その手をやさしく胸に抱く。シェスタコワはまるで天女だった。アルベルトに抱きかかえられたときのジゼルの瞳が痛々しかった。このあと来る本当の永遠の別れが彼女の顔を歪ませていた。最後の抱擁でこんなに痛ましいなんて。ひざまづく愛しい男の顔を、ゆっくりと撫でるようなしぐさには愛が込められ、慈愛に満ちた瞳がアルベルトをみつめていた。限りない愛で包み込む聖母のようなジゼル。同時に深い哀しみを湛えていた。お互いの愛が気高く深いもので、決して壊してはいけないものだったと、アルベルトは今更ながら痛感したのではないだろうか。ジゼルがお墓に消えるまで、こんなに辛くて長い瞬間はない。やはりこれが罰だったのだ。生きて痛みを味わうこと。それでもジゼルは生きていてほしいと望んだのだ...。墓前のユリの花を抱え上げ、いまや完全にジゼルを失った事実に突き当たる。白い花はジゼルの死を意味する。それを本当に理解した瞬間に、胸の奥から湧き上がるうめきとも嘆きともつかぬ感情。ジゼルがこの手から零れ落ちていったように、ユリの花をばらばらと取り落とし、放心したままずるずると後ずさる。お墓に向かって大きくジュテで一直線に飛び、お墓に取りすがって激しく嘆く。身をよじって泣き伏す哀れなアルベルトに泣かずにおれようか。 こんなに奇跡のような舞台が立て続けにあっていいのか。心臓に負担かかってるんじゃないかと思ってしまう。しばらくずっとジゼルの世界に捉われていたかったけど、3日後には問答無用でバヤデルカが始まるという、嬉しいんだか困るんだか、悲鳴を上げつつも嬉々として出かけては放心して帰ってくるという怒涛の日々。いやもう、この眼で観た事がすでに奇跡なのかも。カーテンコールは慈しみあうジゼルとアルベルトのままで、これほど美しいカーテンコールをいつまでも観ていたい...と心から思った。だからこその初出待ちをしてみたのだけど、あれほどの悲劇の舞台をみせたあととは思えないほど、素顔のなんて気さくで優しいことか。晴れ晴れとしたいい笑顔で、心臓のどきどきが止まらなかったよ。そこまで動揺することはなかろう、と思うけど、完全に舞い上がってましたねー。はーー……。だって素顔があんなに素敵だとはねー。
2007年02月18日
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ジゼルのことをゆっくり思い返す余裕もなかったけど(バヤデルカにすぐ巻き込まれたので)、ほんとにいい舞台でした。おとぎ話の世界に入り込んだような、純真で素朴で心が温かくて、ほほえましい一幕前半。この雰囲気をつくりだしたのは、シェスタコワがそんなジゼルだったから、というのが大きいと思う。村のみんなが大切にしている、かわいらしい存在。かわいらしく恋をして、幸せな夢を見ているごくふつうの村娘なんだけど、か細くて壊れそうな繊細さは、薄幸そうな弱々しさもある。男の人からすれば、守ってあげたくなるタイプというか、きっとルジはこんなジゼルがイメージだったのでは。あまりにかわいくて、恋に走っちゃうのを止められなくて、猪突猛進...。(おりしも今年は猪年) 両手をがしっと包み込むわ、超至近距離で見つめるわ、今年のルジは心の衝動を隠さない人だ...。ルジがかわいらしいポイントがいくつもあって、ジゼルの一幕は楽しすぎだよ。・ジゼルが家へ戻ろうとするのを遮って、微かに首を振り「だめだよ」と目で訴える。「行っちゃいやだ」にも見える。それが真顔なんだな。置いてけぼりにされそうな子供みたいで、超ツボ。・恥らうジゼルの手をとり、「きみは、ぼくと、こうするんだよ。」というように腕を組ませるうやうやしい仕草。手をとられているシェスタコワが、なんともいえない顔ではにかんで、なんつー初々しさ。・花占いが吉と出て、ふたりで腕組んで弾むようなジュテを繰り返すところ。笑顔になったジゼルに、満面の笑顔ではしゃぐルジ@アルベルト。・胸が苦しくなったジゼルに慌てふためいて、頬をつつみ、顔色を見て、汗ばむ額に触れ、「あぁ、ジゼル…!」とその両手に二度キスをして頬をうずめるところってば、う~ん、とっても情熱的~。・村人と踊りながらとっても楽しそう。ジゼルにしきりに投げキッスを繰り返し、大きく手を振るアルベルト。童心にかえっちゃって、とても貴族の振る舞いには見えませんが。つまりはジゼルといると素のままでいられる、自然体になれる。心を開放できる存在だったのね。・母が出てきて、あわてて息を整え身だしなみをチェックするジゼルを背中合わせになって隠しているアルベルト。背中で愛おしさを感じながら、「まだ大丈夫だよ」と言っているみたいだった。ジゼルといるアルベルトはもちろん美しいけど、気持ちがゆるゆる。(浮かれすぎ) でも、ハンスに向ける目のするどさといい、毅然とした態度といい、到底村人にゃ~見えない。貴族の自分も身に沁みついていて、逃れたいわけでもないし、どちらの自分も同時にもちあわせているもの。でもいざバチルトが登場すると、ジゼルのことを否定してしまう。ジゼルの繊細で子供のような愛らしさは、ちょっと異常かもというくらいだった。その純真さは心の繊細さでもあったから、裏切りという最もむごい事実にとても耐えられなかったのだと思う。壊れ方がぞっとするほどで、音もなく、見る間に幼女のようになっていくジゼル。小さな花びらが、ひとひらひとひら散るように、少しずつ正気を失っていく。そんなジゼルを信じられない面持ちで見るうちに、自分の身勝手さがジゼルを狂わせてしまった、と自分を苛むアルベルト。自分は卑怯なのだとわかっても、手を差し伸べられない。後ろを向き従者の肩に手を置くと、「見るのは耐えられない」なのか、「許してくれ」なのか、背中がつらそうだった。シェスタコワは狂乱の場で髪をほどかず、ジゼルの中身がすっかり変わってしまったように、ふつうではない状態を示して見せた。髪を振り乱すと、いかにも気がおかしくなったとわかるし、激しく演技すればそれはまさに「狂乱」なのだけど、わざわざ髪をほどくのも考えてみれば変。シェスタコワはもともと童顔なので、愛らしい顔は得意と言ったらなんだけど、四歳児かというような顔つきになってたときは、この人すごい、と思った。(次、ガムザッティやる人とはとても思えず) 内側から人間が壊れていく様って、きっとこんな感じなんだろうな。止めようとするハンスに向けた狂気じみた笑いが、実にコワかった。ジゼルがくずれ落ちたとき、アルベルトの動揺は最高潮に達し、彼自身もなにかが壊れたのだと思う。ハンスに八つ当たりする、勇ましいほどのルジの姿は、ファン・サービスなのかと思うほどカッコよかったし、あとでキレるならなぜ見放したのだ、とも思うけど、まさか死ぬなんて、ということなんでしょう。元を正せばおまえがばらすから悪い。と言うけど、もっと元を正すと自分が悪いんだよね。どうあがいても自分が悪い。卑怯者の自分が(自分のなかで)クローズアップされて、心は激しく慟哭し、衝動的にその場を去った。その嘆きがあまりに強くて、目の前のものも見えていないようなアルベルトが痛ましかった。(とりあえず一幕終了)
2007年02月12日
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今回ルジを8公演(大阪の海賊以外)観ることができて、まるで夢のような時間でした。もう一週間も経つのかと思うと、あれは幻だったのではないかと......。後半はあっという間で、ジゼルの余韻に浸る暇もなかった。でも押し寄せるパワーに翻弄されてるのが嬉しかったりして。終わってしまうと、前半の低速ぎみのルジも、中盤から飛ばしてきた魅力満載のルジも、どれもやっぱり素敵。不発弾だと思っていたものが、結構あとからボディーブローのように効いてきたりするから不思議。バレエを観るときは、特にルジは、まったくの白紙状態で観たい。そのときどう感じるかだけに集中していたいので、公演が近づくほどDVDも観ないし、CDも聴かない。比べるだけの経験もないけど以前観たものは一旦忘れる。ルジがどんな思いでそんな表情をするのか、とか、どんなに全身全霊をかけてそんなポーズをするのか、とかを感じたい。実際はただ見とれているだけだったりするけど。その形・表情だけで想いを伝えようとし、それがどんなに美しいか、魅入られてしまうかをルジは知ってるのかな。どんな場面でもルジは音楽に呼応して全身に音を響かせていた。だからこそアニハーノフさんに指揮してほしかったなーーーー。【海賊】のアリは、周囲から浮きまくる個性の強さと、ここに極めたり、のポーズの数々。海賊が修行僧だなんて聞いてなかったけど!という、ひとり磁場状態で、それがえらいおかしかった。必要以上に美しく、物静かであって野生的。ひとりだけ目立つ半裸のハーレム・パンツ。主役がどーでもよくなる強烈な麗しさに釘付けなPdT。ルジは全幕ではメドーラに恋心はないと言ってるけど、膝を突いたアリと両手を握り合いメドーラがアラベスクするところは、どうしてもメドーラへの憧れがつのっていくように感じるんだけど、気のせいなのかしら。【白鳥】のジークフリ-トは、心から笑えない大公殿下(7日)と、懐の深い良家の子息(26日)的な王子はどちらも忘れがたく、ルジにしてみれば両極端を表現してみたかったのかも。果てしなく思い詰める闇を濃く打ち出してみたヴァージョンと言われれば、そうかもと思える。そんなことをしておいたあとで、笑顔で登場の若い王子だなんて、頭をごーーーーん、と鉄の鐘楼で叩かれたように度肝を抜かれたよ。あの落差は絶対反則だ!息を詰めて見た白鳥との出会い。ふたりの心の震え。胸の鼓動をあわせるような、静謐なグラン・アダージオ。性急に愛が生まれて王子は胸を焦がし、オデットは心のままに王子を愛する。これほどふたりのハートが重なり合った時を、この目で観ている幸せ。こんなに素敵でいいのかしら~。【ジゼル】のアルベルトは、無邪気に恋する1幕のルジがあまりにもかわいくて、どうしようもなくツボでした。ハンスと相対すると「きりっ」とした男らしい顔になり、かわいい! > きりっ! が瞬時に変わるもんだから、目はずっとはぁとのままでした。一幕の黄土色の衣装は余り好きではなかったけど、あの貴族然としたアルベルトの衣装の中で、一番地味で村の色に馴染みそうな色だったんじゃないかと思った。マント姿でユリの花を抱えたルジは、背景に溶け込むように群青色に青ざめて冴え冴えと美しかった。マントから見え隠れする青紫のタイツが浮かび上がり、その美しいことといったら...! ジゼルの死を受け入れられず、涙を流したら壊れてしまいそうでした。従者のマラーホフさんとのからみが目にも美しかった。主人を心配するあまり必死に説得しようとする姿と、「下がれ」と言われてがっくりうなだれる悲しげな顔。「仰せの通りに」と頭を下げ、後ろ髪引かれながらとぼとぼと引き返す姿。この従者なら、アルベルトの生還を心から喜び、ずっと傍にいて尽くすだろうなぁ。ミルタに「お願い」するルジがねー、子供のようにすごく純粋に見えた。この「お願い」って、「殺さないで」というよりは、「ジゼルといさせて」にも見えた。踊り狂わされる演技も真に迫っていた。1日目はミルタに操られて高く跳びながらもうだめ…。2日目は本当にもう跳べない…。(これを見てルジマトフの体力の限界と思った人がいるみたいで、あれって演技だと思ってるのですが...) ジゼルで相当感動したので、最後の演目にすればよかったのに、と思ったのだけど、考えが甘かった。【バヤデルカ】のソロルは、なんて麗しい!2幕の白い衣装も大好き~。アヘン吸引は、なんだか吸ってもちっとも酔えないでいるみたいだった。でも酔いたい。酔って苦しみから逃れたくて、胸深く吸い込んでみる。マグダウィアの踊りに気のない虚ろな目を向け、ほぼシラフのまま横たわる。早く現実逃避したいのにできないソロルに見えました。昨年は何がツボだったかって、アヘンが体に充満して全身の力が抜けていくソロルが、悲しみと憂いがごちゃまぜになった顔をさらしたまま、ゆっくりとのけぞっていく姿があまりに美しかったから。ヤバかった。あれは。ニキヤのヴェールの踊りは、またしてもシェスタコワのときだけ、ルジのヴェールさばきに愛を感じたわ~。ものすごく想いを込めている姿が切ない!青の衣装のソロルは、美しいと感じれば感じるほど切なく、ソロルの心が号泣してるのだろうと思った。長くて美しい手を胸にあてるときの、はらはらと涙をこぼしそうなソロル。ニキヤを胸にしまいこむように目を閉じて、その面影を感じているようでもあり。ふたりの愛は崇高なのに、現実ではこれが許されないなんて。巫女との愛を貫いたら、現実社会では脱落し、社会のなかで生きようとすると、神に制裁をくらい...。ソロルってつくづく悲運な男。それがとことん似合っちゃうルジなのでした。まだまだ余韻はつづく~。
2007年02月10日
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すごい迫力でした。圧倒的!!!とてもとてもとても浸りました。今は抜け殻です。このキャストは説得力がある!ソロルがなぜ裏切ったのかなんてわからなくてもいい。この迫力なら。でも自然と感じてしまう。どくどくと濁流のように流れ込んできてしまう。もうそのまま流されて、感じることをそのまま感じていたい………。という舞台でした。ジゼルでかなり参ったというのに、まだ先があったなんて。しばらく心臓ばくばくしてました。ルジとシェスタコワも勿論のこと、エフセーエワのガムザッティにマジ惚れしました。コワい!すごいコワい!でもすごくいじらしい。勝気さと高慢さと脆さ危うさがすごく伝わってきて、ぐいぐい引き込まれました。縦ロールの巻き髪にギンギラ光る衣装が似合いすぎる。この役を踊りこんできたのかしら。昨年より数段大人の女性の迫力がついてました。前日との違いは、簡単にいうと、ペレンが女であり、シェスタコワは巫女であったということ。つまり、根底が違うのでその後の話のつながり方が変わってくるんですね。シェスタコワが登場してニキヤのソロを踊り始めたときに、「穢れのないもの」とか「神に身を捧げた者」とか「世俗と相容れないもの」といった「巫女」の神聖さを強く感じたので、それでそのあとがストーンとつながった気がしたのです。インドといえば、封建社会。カースト制度。という背景が自然と浮き上がってきました。(ちょっとだけ調べたところによると)ヒンドゥー教の教えのひとつである、「神への絶対的な帰依(Bhakti - バクティ)」。寺院に仕える巫女は「神の召使」と呼ばれ、神と結婚した者達。藩主と臣下の主従関係。絶対的忠誠。神の捧げ者と添い遂げるなどとは、到底無理な望みだったのだなぁと。実に納得。戦士ソロルには超えられなかった。ニキヤと愛し合うこと自体、神に背くことだと知りつつも、密かに逢瀬を重ねていた。ニキヤの無垢な愛らしさに、逢わずにはいられなかった。すでにとても愛していて、この気持ちを切り捨てることができず、誓いを立ててしまう。でもそれは、果たされない約束なのでは?と思うし、ニキヤはそうと知りつつもそれを拠りどころにしていたのだろうなぁ。藩主に結婚を申し渡されたとき、現実を見たというか突きつけられたソロルは、夢うつつで将来のない巫女との恋に終止符を打つべきなのか、と自問自答した、のではないか。身を滅ぼすことと、この社会のなかで生きられることとを秤にかけて迷っている自分がいた。それも名誉ある藩主の娘との結婚という光栄を差し出され、後ろ暗い気持ちのまま承諾させられていた。ガムザッティはゴージャスなお嬢様だけど、今のソロルにとっては藩主に忠誠を尽くすための存在。勝気だけどかわいいところもある。でも心は動かされない。婚約式でも祝いのムードに華の咲いたようなガムザッティと、終始考え事をしているようなソロル。このふたりの並びも大好きなのよ。こうしてどんどん結婚への場が整っていく(=ニキヤを裏切っていく)のに対して、ソロルは何もしていない。周囲がすべてお膳立てして、自分は変わっていないのに物事が動いていく。ソロルのヴァリはなかったけど、ソロルの心理状況では跳んだりはねたりしている気分じゃなかったので、合っている気も。(うー、でも観たかった)ニキヤが登場すると、後ろめたさで目を合わせることができず、ガムザッティには偽りの愛をみせる、なんとも情けない心境。この結婚がもたらす、忠誠の証を破ることができなかったのでしょうねぇ。ニキヤの哀しみように動揺も激しく、思わず立ち上がってしまうなど自制できなくなっているのに、ニキヤが絶命するまでどうすることもできないでいる。舞台の端と端でニキヤと長いこと見つめあい、解毒剤の小瓶を手にするニキヤに、ソロルはかすかに首を振る。ニキヤに他の男のものになってほしくない。だからといって、ふたりで生きていくことはできないのだ。と言っていた。絶望したニキヤが命を落とし、はじめて駆け寄り抱きしめる。このタイミングが絶妙。抱きしめている姿がヒジョーにツボです。幻影の場でふたりが感じていたのは、「ふたりで幸せになりたかった」ということじゃないかな。ふたりで生きていきたかったけど、状況が許さなかった。ニキヤは自分が巫女で、ソロルは自分の立場があって、望むだけではどうにもならなかった。ふたりが陥ってしまった許されぬ恋は、どうしようもなかったもの。やりきれなさと、変わらぬ想い。自分の本当の心はニキヤに捧げるとソロルは思い、ニキヤはそれを感じ取っていた。そういった場面であると思った。ガムザッティとの結婚式でソロルは亡霊のニキヤの存在を感じるが、確信のないまま腕には結婚の証である紅いヴェールが巻かれていく。頭上からぽたぽたと花が落ち、ソロルはハッとする。やはりニキヤなのだと確信する。そのとき突如ニキヤの訴えを悟り、紅いヴェールをくしゃくしゃにしてガムザッティに詰め寄る。怒りをあらわにしたソロルには、もう立場のことは頭になく、ただこの女の仕業だったのが許せなかったのだ。激しく拒絶され憎悪されたガムザッティは、痛ましいほど傷つき嗚咽していた。(エフセーエワの演技も素晴らしいわ~)寺院は崩壊し、ニキヤの魂が天高く舞い上がる。(インドでは肉体と魂は完全に分離すると考え、死して肉体が自然にかえってこそ、そこから離れた魂は鎮魂する、という信条だそうです。)ニキヤの魂はようやく慰められたのだろうと思う。とても深くてしみる、素晴らしい舞台でした。ルジの姿は、どこもかしこもほんとうに美しい。あとでじっくり思い返したいと思います。本当にお疲れさまでした。このような感動をありがとう~~~。
2007年02月04日
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ついにレニ国最後の演目、バヤデルカとなってしまいました。オーチャードホールの1階って段差少ないなぁ~。目の前に男性が座ると壁ですよ、壁!これなら1日の2階席(ペレン&シヴァの白鳥。はい、観てきました)のほうがずっと観やすい。ペレンは艶っぽさが増して、情感豊かになりましたね~。「一生懸命踊っている」感がなくて、ルジを相手に堂々としていました。生徒は卒業したらしい。ペレンの美しい手脚は叙情性が増してほんとにきれい。以前は目が笑ってないとか表情が途切れるとかあったけど、表情が表面的でなくなったのが大きい。婚約したソロルの前ではねっとりと哀しみが伝わるソロでした。ルジの「静かな大人のソロル」とは「年の差カップル」みたいで(実際そうだけど)、愛し合っているけどお互いの沸点は違うかな?という感じ。もどかしさを感じているのは常にソロル。そういうアンバランスさが、悲劇を生む伏線になっていたとも思える。2幕のソロルのヴァリが省略されていたので軽くショック。昨年は熱のせいでカットしたと思っていたので、今年は観られると楽しみにしてたんだよーん。もう踊ってくれないのかしらん。シェスタコワのガムザッティは昨年とは一味違いました。ソロルのことが好きなのね。ニキヤとのことを聞いて落ち込むけれど、高貴なプライドも許さない。昨年の恐ろしい180度振り向きはなく(あれはわざとソロルを「恐ろしい女だ。逆らうのはやめよう」と思わせたかったんですかねぇ。)、ニキヤに背を向けソロルと向かい合って見つめるという手段に出た。ニキヤ完全無視 → 疑惑完全否定 → ソロルに可憐な女をアピール → それをニキヤに見せ付ける。でも、ソロルのことをとても慕っていたと思う。 ルジは初めからちょっと暗めなソロルでした。アヘン吸引は今回はのけ反らず、吸いに吸いまくって(吸いすぎでは?)そろそろ横に...と脚を投げ出し上体をひねってうつぶせに。そんな寝姿も美しや。幻影の場では美しいことこの上ない。アラベスクはもっと音を引っ張って欲しかった。像に乗って登場するソロルもツボでした。超シリアスな顔でしたのう。影の王国の幻影たちは32名。これだけいると奥行きが違って圧巻です。シーズン最後でお疲れでしょうに、マールイの底力ですね。ロバノワがかわいかった~。ミリツェワは今シーズン観た演目ではこれまで皆勤賞!働き者だ~。ステパノワは1日の白鳥パ・ド・トロワで転倒したそうなので(1幕1場には間に合わなかったのだ)、元気に幻影のトリオにいたので安心しました~。
2007年02月03日
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30日、31日のジゼルは、どうしてもまだ言葉にならず、なんだか観たはずのものが、なにかを突き抜けてしまって、まとまりません。ジゼルという物語をあれほどピュアな領域にまで高めるのは、決して簡単なことではないと思うのだけど、2日間とも最高に純度の高い、素晴らしい「バレエ」であったと思います。侵しがたいステージ(レベル)にまで達していました。2年前に観たこのふたりのジゼルでも「忘れられない舞台」だと感じ、以後のルジを観続けるきっかけにもなった演目ですが、2年の間に映像で幾通りかのジゼルをみた後でも、今回のジゼルは「どうしても忘れられない舞台」だと感じました。そしてあらためて思いました。白鳥であっても、ジゼルであっても、舞台に立つルジマトフを目で追わずにはおれない、ということを。どうしてルジマトフでなければ、オデットやジゼルばかりが主役になるのか。もちろんその姿が美しいからだとはわかっていても、それだけでは説明のつかないものが、意識するしないに関わらず、ルジマトフ一点に惹き付ける吸引力と成り得るんですね。それにあらがうつもりもないわたしは、喜んでその力に巻きこまれているわけですが。ここにシェスタコワという、役を心理的に掘り下げて感性で踊るようなダンサーが、ルジと意を同じくして精神的に結びついてしまった、という奇跡。ふたりの波長がぴったりくると、そこには愛を軸にあふれる感情がとめどなく湧き出てきて、不思議なちからを生んでしまう。ルジが同じ気持ちで舞台で臨んでも、ザハロワとだったら、ヴィシとだったら、あるいはルジじゃなかったら、こんなに深いところで感じることはできないだろうなー。それくらい、このふたりの『ジゼル』は特別で、理屈抜きに素晴らしかった。2日とも舞台に惜しみなく愛を注いでくれたルジとシェスタコワに感謝。細かいことは後日。
2007年02月02日
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