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ダンマガ6月号を買いました。「ルジマートフ舞踊生活25周年記念ガラ」 inサンクトペテルブルクの現地取材が特集されてますが、阿修羅なルジさんは目が強烈です。炎が出そうな燃える目をしています。まー、いつも目ヂカラは強いルジさんですが、阿修羅なだけに、芯から強烈。眼力だけで有無を云わせぬ凄みがあって、本屋で一瞬本を閉じようかと思ったほど。が、しかし、一度まともに見たら目を離すことができない迫力なもんだから、ひと目で縛り付けられそうな勢い。取材された桜井多佳子さんの言葉にあるとおり、阿修羅は『理不尽な運命を受け入れざるを得なかった「正義の神」であり「戦いの神」』。娘を「力の神」に奪われて、戦いを挑み続けて敗北し、天界を追放される神話の通りなんでしょうか?勝ち目のない戦いを正義のために突き進めるあたり、きっと戦い方も正攻法だったのだろうか、と思わせる。燃える目は怒りやエネルギーなんだろうな。体中から湯気が出そうですけどー。阿修羅は怒りによって鬼の姿になっていくのでしょうか。絶望感が怒りを増幅するのでしょうか。そんな姿、ちゃんと見ていられるかしら。 解説を読んだせいか、ルジの目に怒りの底の「屈辱」を見た気がして。正義を貫くだけでは得られない、まっすぐなだけの誠実さゆえの、埋められない矛盾との深い溝。それを認めることへの屈辱感、みたいな。そりゃまー、相手が力で及ばない帝釈天とはいえ、娘を奪われては戦いを挑まないわけにもいかないし、お父さんとしては当然の怒り。でも悲しいかな、当の娘が帝釈天と仲良くなり幸せな妃になるというのは、いつの世も親の気持ち子知らず...。嗚呼、阿修羅悲しすぎる!いつまでも執拗に戦いを続ける阿修羅は天界を追放されてしまうけど、正義を示すのに戦さという形以外、知らなかったんでしょうね。阿修羅としては。興福寺の阿修羅像(千手観音みたいなやつ)は、まるで思春期の少年みたいで手が枝のように細い。とても戦いの神だったとは思えません。釈迦の説法を聴いて怒りが消え、戦いのための筋肉がそぎ落とされた、ということのようです。妙法院の阿修羅像は、いかにも争いごとの好きそうな、睨みのきいた「目つりあげ」タイプ。天界時代の阿修羅は、やっぱこっちでしょうかね。暴れ者の鬼神、て感じなので、あんまり正義とはつながってないような気もするけど。阿修羅にはこの「超ひっつめ」がよろしいのでしょうが、それにしてもひっつめ度高し。白塗りじゃない分、生身で戦う勇ましい阿修羅神、て感じがします。蓄積したエネルギーを溜めて、ぎりぎり限界まで弓を引いているような。ボレロのルジは、チーク濃いめに前髪オールバック。フラメンコ的には正しい姿なんだよね、きっと。あぁ、でも、できればチラシそのままのアンニュイ路線(くりくりの髪の毛はらり)が希望です。ラ・ルナ(月)に魅せられたミノタウロス(人身牛頭)、なのか~。フラメンコでギリシャ神話とくるとは思わなかった。(牛の頭に恋するかねー。そりゃ、牛の顔がルジだったら別だけど。でも牛じゃいやー!)うむ。とりあえず、どんなふうにルジが激しくリズムを重ねるか、楽しみにしていようっと。えーと、ファルフ舞踏生活25周年、ていやはやすごいことです。25年もこの厳しい世界で生きてきて、今なお進化しているってことが驚きです。人がどういおうと、まだ限界が見えないということにも。25年も見続けている人がいるのもすごいことだけど、今年初めて観ても、今のルジに魅了されるだろうことが驚異です。阿修羅をお稽古してるルジの姿は、真剣そのもの。東洋・西洋どちらから見てもエキゾチックなルジなので、あまり「和」の型にはめなくてもいいような気がするけど、振付の意図を理解して、内側から入っていこうとするルジの姿勢がとっても真面目。それに阿修羅と同一人物とは思えないくらい、華奢なんだよね~。そのギャップがまた素敵。
2007年04月30日
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一体ルジのジークフリートのどこに、ここまで目が離せなくなる理由があるのだろうか。若いダンサーが放つ若さと、どこがどう違うのだろうか。何故、若いダンサーの王子よりも、これほど惹き付けられるのだろうか。実際、まるっきり違うのだけど。ジークフリートはあくまでも王家の、成人した王侯貴族の青年であり、気品を備えた麗しき王子様なのだ。甘さや無邪気さや、ストレートな強さも、若さの象徴ではあるけれど、一国の王子である以上、それだけでは物足りない。ルジを一目見て、思わず「嘘っ」とつぶやいた、光り輝く美しさ。整った美しさ、というべきか。誰もが思わず憧れを抱くような、プリンスとしての存在感。一分の隙もない洗練された身のこなし。若さが振りかざす、まるで特権の、生命力にあふれた眩しささえ発していることに、信じられない驚きを覚えた。貴族的な者がもつ、見目麗しい立ち居振る舞い。あぁ、この人は、生まれる前からその宿命に選ばれた人なのだ。高貴なエレガンスを身につけ、その運命をあるがまま受け入れた、若き輝く王子なのだ。まるで、美少年系とでもいうべき麗しさだったのよね...。(幻覚じゃなくて、本当に)7日の年相応の姿を見た後では、昨年も神戸も、とんでもなく素晴らしく、最高に煌めいていたのだと、はっきりと違いがわかる。あの白タイツにしたって、特別に照明を当てているわけでもなかろうに、燦然と輝いているあの眩しさといったら。あの、脚が.........。美しすぎて窒息しそう。彫りの深い顔や、彫刻のような全身と同じく、研ぎ澄まされた陰影を持つ、あの脚が、白タイツにも陰影をもたらして、感じ入るほど魅了されてしまう。この調子で肩でも背中でも胸でも、ひとしきり語れそうなのだけど、長くなるのでやめておこう。そんなルジが、なんでもいいからポーズをとると、どうなるか。その動きがまた優美で、誰より際立っていて、後姿にも首筋にも、指先一本にも気品が感じられ、どこにも緩みのない、かといって力んでいるわけでもない、優雅で典雅な美しさ。それは自然と身分の高さを示し、たとえ布きれ一枚をまとっていようと、隠しようのない崇高さを漂わせているに違いない。おそらく、背中を丸めても損なわれることのない、潜在的に植えつけられた気高い気品は、王族の血が受け継ぐ、誇りという遺伝のようなものなのだと。そう思わせる。大げさといえば大げさだけど、ルジの扮するジークフリートは、まぎれもなく地位と名誉のある高貴な者だけが持つ、特有の気高さを兼ね備えていて、ただ一瞬見ただけでそれを圧倒的に感じさせる。そうでありながら、若さという輝きを力強く放つ、真摯な王子だったのだから、この魅力に逆らおうとしたって無駄なこと、と悟ったわけです。これだから、ルジの舞台は...。観ないではいられないし、果てしがない。
2007年04月22日
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ルグリのチケットもあっという間に完売状態となってますが、かくいう自分もこの前劇場先行予約にハズレてしまった。フェリのチケットもきっとすごいことになるだろうと思われ、一般発売(28日)の前のセット券発売に手を出さなかったのが悔やまれる。...と思っていたら、サンケイ・リビング新聞社(この公演の後援をしている)の「チケットファン」会員受付というのが20日より開始していました。試しに会員になったら、あっさりチケットが取れてしまった。S席、A席、B席のみの販売ですが、おかげでプレオーダーも取り消しました。とりあえず、ほっ。プレオーダーは当たった試しがないんだよねー。ザハロワのドン・キもハズレたし、一般発売も争奪戦のようで、ちょっと戦意喪失。
2007年04月22日
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クラシカ・ジャパンで放送された、ベルリンの白鳥。「王妃が踊るちょっと変わった演出でエンディングが斬新」としか知らずにみたら、まぁ随分変わった構成であります。これって、王子を溺愛する王妃の物語にみえるけど、それでいいのかしら~。設定が現代に近くて、一幕の序奏でいきなり現代風(でもクラシカル)な服を着た女性が、男の子の手を引いて現われる。女性が愛情を傾ける男の子は次に少年になり、青年になる。王子の登場の場面で、さきほどの青年に続いて、王子と同じ衣装の青年がもうひとり。ふたりは親しそうに微笑み肩を組んだりする。王子と同じ衣装って...ふたりは兄弟、とか?友人だったら衣装が同じっておかしいしなー。でもやっぱり友人みたい。王子よりこの弟か友人かわからない何者かのほうが目を引いたりして。王子は、そうさねー、もさっとした印象。顔とか全身から受ける感じが。王妃登場のシーンで先に出てきた紫の軍服を着た細身の口髭男。はて、この人誰かしらん。まさか王子のパパじゃあるまいし。王子の肩に手を置く態度は尊大だし、継父?王妃の愛人?王妃とも目配せなどしつつアヤシイ。王子は石弓ではなくライフル銃を渡される。石弓が古いのはわかるけど、現実的でちょっと引く。王妃は白いレース調のロング・ドレスに大きなつばのある黒のお帽子。お帽子にはでっかい白い羽根がのっている。社交場の競馬場に集まる貴婦人のようないでたち。なぜか下手にある籐の椅子に座って、トロワの踊りもずっと見ている。王妃はこの辺でちょっと踊るのかしら~と思っていたら、全然ちょっとじゃない。帽子を取った王妃が立ち上がり、王子に踊りましょうと誘う。王子は母親に抱く無条件の愛情を持ちながらも、王妃の過剰な愛情に戸惑い、ふと一歩離れるとこのまま拒絶するのかと思ったら、「母上...!」と駆け寄り、ひざまづき腰に抱きつく。このときの王妃の満足げな笑みは、やっぱり息子を愛しすぎちゃってるからだろうか。王子は歓喜に満ちたようすで王妃のまわりを跳びはね、再び王妃の手をとり、しまいには頭上に王妃をリフトする。かと思うと、また動揺するのか、王妃から離れる。こんなにマザコンで無事オデットに心惹かれるのかな、この王子は。宴のあとにそのまま憂鬱な王子がソロを踊る。そのうち照明が深海の青に変わり、どうやら森に来たらしく、とにかくそこは湖のほとりらしい。背景が全然ないのね。いよいよオデットの登場間近を告げる曲になると、友人(弟?)がライフルを持ってやってくる。「君のために持ってきたよ」と額の汗をぬぐう友人。森の不思議な雰囲気に囚われていた王子は、ライフルには喜びながら、友人には機嫌が悪い。(友人は怪訝そうに退場。ちょっとかわいそう)オデットと出会い、マザコン王子は素直に惹かれる。オデットの身の上を聞くと即効で誓いを立てる。うむうむ、やっと王子も親離れか。少し大人になった王子の振る舞いが次の幕で見られるであろう。一旦オデットが袖に引っ込むと、またしても友人(弟?)が登場。「さっきのあれはなんだ」と両腕をぱたぱたとしてみせる。王子はうっとうしそうに彼を遠ざけると、王子の態度にショックを受けた様子の友人退場。(友人、かなりかわいそう。)ロットバルトは、舞台奥で大きく黒い羽根をばさばさと広げるだけ。暗くて顔もわからず、ダンサーとしては踊りを披露しない。なぜか分からないほうが、あとでナルホド~と思うのでこれはこれでよいかも。夜明けとともに別れのときがきて、オデットは王子に何度も分かれがたく手を差し伸べる。王子もオデットだけを見つめて別れを惜しむ。これでマザコン卒業ね~!2幕(全3幕だとすると2幕)に入る前に、王妃が王子の肖像画を見ながら、憂いをこめて踊るシーンがある。子離れできない王妃が、母親とべったりだったころの王子の愛情を求めているように見える。ひとしきり踊ると、王妃は装飾品を持ってこさせ、てっきりネグリジェだと持っていた薄紫色の衣装にブレスレッドやネックレス、イヤリングなどをつけていく。最後にティアラを頭上に載せ、王妃の準備を整えると、顎をあげて部屋を出て行く。場面はそこで宮廷の広間に変わる。はじめに階段から降りてくるのは、例の(王妃の愛人か?という)口髭男。今度は黒のタキシードにマント姿。やっぱりこいつは悪の匂いを漂わせている。カラフルなチュチュを着た娘たちが入場し、口髭男と挨拶を交わす。この男の手引きで送り込まれたのかしら~、と思わせる。どうやらこれが花嫁候補だったらしい。高らかにヴァイオリンがメロディーを奏でると、王妃は手袋を脱ぎ、この男の手を取り、ロシアの踊り(新国でいうとルースカヤ)をふたりで踊る。まるで王妃主催の、王妃による、王妃のための舞踏会ですな。美人で妖艶な王妃は、踊りも妖艶。王妃は脇にいる王子の友人に誘うような目つきをして、モーションをかけてるとしか思えない。友人もつい右手を出し一歩前に出てしまう。ロシアの踊りは、口髭男のソロで終わり、息を弾ませた男が王妃に、またお相手を願うと、勿体つけるように王妃が手を差し出す。と、ここでハンガリーの曲。なんとソロは王妃と口髭男でした。またも王妃は腰をくねらせ妖艶に踊り、王子はたまらず?王妃に近づき、しかし諦めて引っ込む。途中まで踊ると、王妃はシャンパン?を持ってこさせ、王子にもグラスを持たせて乾杯する。王子は口髭男のグラスと乾杯を交わさず、不快感を表す。つまり嫉妬?この時点でも相当母親に影響を受けているのでは、オデットのこと覚えてるかと心配になってくる。チャルダッシュが終わると、スペインの踊り。テンポがゆっくりめでいまひとつ。次にナポリ、マズルカと続く。マズルカは王子の友人を先頭に、男性ばかりの構成。衣装はマズルカぽくない。途中で王妃が口髭男と友人の手をとり、両手に男状態でマズルカを踊りだす。王妃はそれも途中でやめて、また下手に下がる。口髭男が王妃になにやら耳打ちし、王妃は王子になにか囁く。なんか企んでる?王子は王妃をまともに見ようとしないし、反抗期のような、すねてるような表情を浮かべる。この時点でまだオディールは登場していないので、このままいくと、オディールなしでオデットを裏切るんじゃないか?と余計な心配をしてしまう。あのー、オデットのこと、覚えてる?オディール登場の音楽がかかると、さきほどのカラフル・チュチュ組が正面に登場。オディールはそのあとに階段から降りてきて、口髭男がエスコートする。さっきスペインは登場しちゃったし、オディールが退場したらどうすんだろう?王子はオディールのあとを追わず、ここでかかった曲は、最終幕でオデットと王子が悲しみに暮れながら踊るアダージョの曲。これでチュチュ組がつぎつぎに王子を誘惑するように踊る。王子は、心ここにあらず。ここで口髭男がオディールを連れてきて、気を引くようにゆっくりとリフトして王子を惹き付ける。誰を花嫁にするか、順番に並ぶ候補の最後にオディールがいる。なのに王子はオディールの手をとらないで、「どうしよう...」 何故迷う~?口髭男に促されて、オディールを指名すると、とたんに嬉しそうになり、そのままアダージョに移行。いよいよ気持ちの高まる王子をオディールから口髭男が引き離すと、オディールを連れて上手でごにょごにょ耳打ち。王子は下手に連れて行かれ、王妃が「あの娘に誓うのよ」と指示。王妃はオディールの元へも歩み寄り、手を絡ませてふたりで意味深な笑い。あ、あやしい~。王子がなんだかためらっていると、オディールが「さぁ!」というようにつくり笑いでけしかけ、その気になって誓いを立てたと同時か、少し早すぎるタイミングで背後はざわつき、王子もすぐに後ろの白鳥に駆け寄る。オディールはさも面白そうに高笑い。追いすがる王子を指差して嘲り、再び高笑いすると、口髭男と退場。王子は振り返りママのもとへ。ところが、王妃の目は同情ではなく「お帰り、坊や」と言っていた。王子はハッとして王妃から後ずさり、友人にぶつかりそうになって、「仕組んだのか~」という目で、何も信じられなくなったようにその場から退散。まるで王子の愛情に渇望していた王妃が、息子を傷つけたら自分のもとに帰ってくると信じて、わざと陥れたみたいに見える...。傷心のオデットは白鳥たちに悲しみを訴え、ここで女王の悲しみに同調する儚げな存在、というより、女王を守るべく力強く立ち上がる白鳥たち。王子がオデットに赦しを乞うと、オデットは静かに首を横にふる。あなたは私を裏切った。とマイムで訴え、拒絶のポーズをする。白鳥たちは王子に背を向け三角形のフォーメーションを組み、オデットを先頭に(王子から一番離れた場所)、後ろ向きのまま、一斉に力強く翼を羽ばたかせる。強い拒絶にあって王子はうろたえ、へたり込む。そのまま白鳥たちはオデットと共に立ち去ってしまい、王子は置き去りにされる。怪しげなスモークとともに、口髭男が登場。あら?衣装は薄いグレーだけど、大きなマントをまとっている。やっぱりこいつがロットバルトだったわけね。はじめはロットバルトのマントに巻きこまれたりして、不利な体制の王子。なぜかロットバルトはマントを脱ぎ捨てる。もみ合ううちに王子はロットバルトの首を絞めて殺してしまう。その事実に当惑し、自分が誓ったばかりに、と頭をかかえ、そのまま倒れこんでしまう王子。そこへ頭から長いヴェールをかぶった王妃が登場。普通だとそこでオデットが生き返ったり、残された白鳥たちが朝日に照らされているクライマックスで、王妃が王子を必死に助け起こす。あぁ~、最後はやっぱり王妃とツーショットなのね、と思っていたら、なんと王子は息絶えていて、ぐったりと王妃の腕からすり抜ける。呆然の王妃が立ち上がり、呆然と歩き出し、そこで幕。ロットバルトが悪者だったのか?オデットは定説どおりロットバルトに操られていたのか?すべて王妃の仕業だったのか?ロットバルトは王妃の愛人だったのか?彼も利用されていたのか?最大の謎は、この版のオデットって脇役だったのか?ロットバルトは倒されたけど、白鳥たちは白鳥のままなのか?いろいろと想像しがいのある演出です。振付のパトリス・パートは元パリ・オペラ座のエトワールで、マラーホフは芸術監督になる前、パトリス版の白鳥の湖をバレンボイム指揮で客演したことがあるらしい。王妃とマラーホフ王子のからみはちょっとイケナイ雰囲気かも。 【白鳥の湖】 ベルリン国立歌劇場バレエ (1998年収録)(於:ベルリン国立歌劇場)オデット/オディール: STEFFI SCHERZER シュテフィ・シェルツァージークフリート: OLIVER MATZ オリヴァー・マッツ王妃: BETTINA THIELロットバルト: TORSTEN HAENDLERBENNO: JENS WEBER演出: PATRICE BART パトリス・バール指揮: DANIEL BARENBOIM ダニエル・バレンボイム
2007年04月21日
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それぞれの白鳥の湖をそれぞれ楽しみつつ、そうして更にルジの舞台が鮮明に思い出されてしまいます。他の舞台は白鳥/黒鳥をメインに観ているので、王子の比較をしてるわけでもないけど、終わるとあとで恋しくなるんですよね。先日のフォーゲルくんの王子を見ても、(全然違うので)ルジと比較してどうこうということでもないし。でもどうしても観たくなった場面があって。レニ国ボヤルチコフ版の、一幕一場から二場へ移るところ。あの演出は何度思い返しても素晴らしい。あのように王子の心理までも投影した場面となって、森の奥深くへと王子が足を踏み入れる自然な流れが、なんとも秀逸。他の版では一旦幕が降りるので、唐突感がないように、憂鬱を晴らすために友人と狩りに行ったのだとか、前の場面でそれらしき演出が必要になるけど、ボヤチー版の場合はちょっと違う。憂鬱がそうさせるというより、自分を呼ぶなにかに強く誘われて、暗い森の奥へと、足が自然に向いていく。森のカーテンがつぎつぎに奥行きを増し、気がつくと誰も足を踏み入れたことのない湖のほとりまで来てしまった。このときのルジの美しさをどう表現したらよいか、実はいまだに言葉がみつからない。果たしてまだなんとも言いようがないのだけど...。音楽に導かれるように、音楽の求めるままに、限りなく自由に、身をゆだねるように表現したら、あのように純粋で美しいものになったのだ。そこには自分の魂を惹き付けるなにかに対する憧れや、未知なるものへの心の震えや、理屈ではない突き動かされる衝動があり、王子は自分の魂に従ってここまで来た。憂鬱を晴らそうとしたのでもない。ただ何となくでもない。現実逃避でもない。王子はきっと感じたのだろう。感じるままの行動なのだ。だから石弓なんていらない。そうして出会ったオデットに、一目で恋に落ちるのも至極当然かな。だって魂が呼び合ったのだもの。...やっぱりルジの美しさの説明にはなってないな。胸が締め付けられるような美しさだったのよ~。なにかに書いてあったけど、美しさを言葉にするのは、美しさの幅を狭めるだけだと。まぁ、ある意味そうでしょうね。でも美しさの一部分でも切り取って、記憶に焼き付けたい(妄想を働かせたい)と思ってしまうのですよね。
2007年04月15日
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先週だったか、芸術劇場で放送された「アントニオ・ガデス舞踊団 カルメン」を見て、熱いスペインの芸術魂を感じました。(内容はこれ)フラメンコの舞台は5年くらい前に、その道のカリスマらしきダンサーが来日したときに観にいったことがあります。パンフレットも買ったけど、どこかへ行ってしまった…。その舞台を観に来た人たち(ほぼ女性)は、やっぱりカリスマダンサーのファンらしく、そういえば皆さんお召し物がどこかしら「血の赤」、なんですよね。実際カリスマ・ダンサーの踊りは凄かったです。彼の放つ熱気と、ムンムンの色気が、打ち付けるリズムと呼応して、異常なまでに緊張を高めていく。体温が急上昇するように、思わず引き込まれずにはいられなかった。いや~、熱かった。とはいうものの、そのままフラメンコにのめりこむことはなかったけれども。アントニオ・ガデス舞踊団のカルメンで久々にみたフラメンコの世界。最近バレエばかり観ていると、はじめ慣れない感覚ではあったけど、みているうちに独特の高揚感と濃い表現に感染(?)していく。フラメンコだと主役の女性は肉付きもよく、立派なボリュームがあったりして、それが迫力であり魅力であったりする。濃いものを求める国民性のスペインでは、どろどろに濃いのが良いのだろうか。恋愛とは、刺すか捨てるか?熱いか冷たいか?愛するか憎むか?ま、毎日刺すか捨てるかしてるわけじゃないだろう(あたりまえだ)。そういうのを凝縮した芸術のひとつがフラメンコで、スペインの血を騒がせ熱狂させる。もう随分前のこと、マドリードのタブラオで目にした、深夜になるほどのめり込み陶酔するダンサーと地元の客たち。まわりがすべて赤で染まってしまいそうな、体中から放出されるエネルギー。「我を忘れる人たち」に圧倒されつつも、巻き込まれていた自分。「アントニオ・ガデス」の舞台で、フラメンコのパッションを感じたかった(思い出したかった)んですね。なぜって、フラメンコに魅せられたルジの、情熱の源を感じたかったから。情熱を搾り出すようなフラメンコに魅せられて、ルジがその魂に触れたいと思ったのはなんだか理解できる。彼の深い感性に響くものがあっただろうということも。でもフラメンコの情熱だけではバレエは踊れないし、ルジがすごいと思うのは同時に両極端な感覚をみせることで、情熱と静寂もそのひとつ。一見矛盾するようでも、どちらも真実なんですよね。情熱の分野をフラメンコで磨いたら、いまよりもっと熱くなるのでしょうか。この冬の舞台で十分熱い変化を感じたけど、まだ進化の途中だったら(きっとそう)どこまで行ってしまうのだろう。嬉しくもコワいような。
2007年04月15日
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東京バレエ団 【白鳥の湖】(全4幕)9日、10日と白鳥の湖を観てきました。セミオノワは伸び伸び素直な、恋する白鳥だった。彼女の身体能力には脱帽するしかない。大きく優雅に動くアームスは、それだけで「敵わん」という感じ。疲れを知らない驚異のスタミナ。顔が小さいから遠近法のバランスがくずれるのか、フォーゲルの顔が大きく見える。肩まわりががっちりしてるので、ある一瞬だけ、2日間とも同じ場面で、白鳥のポリーナが女装した男に見えた...。(マジで)白鳥になってまだ日が浅いオデットなのかしらね~。悲劇性による独特の孤高の女王の雰囲気とか、侵しがたい神秘の存在や、心を開くことを恐れている白鳥ではなく、ポリーナのオデットは王子の出現に多少警戒しながらも、好奇心をもって横目で見つつ、心を開いていく、気持ちの揺れを素直に表現したオデットでした。アダージョは、恋する嬉しさに喜びを隠し切れないようす。自分の不幸な身の上を嘆いたり、これからの自分の運命におののく様子はまったくなく、ただただ恋にひたり、幸せを感じているオデット。あふれる気持ちを大事そうに包む仕草にも、とても幸せそうな、満たされたオデットを感じました。そんなオデットを愛しそうに包み込み、やさしく頬を寄せるフォーゲルくんがほほえましい。ロットバルトが不穏な空気とともに現われたとき、初めてこのままではいられないと、すっかり思い出したようすのオデット。離れがたい思いが、王子に差し伸べようとする指先と眼差しにあふれていた。ロットバルトが不気味にマントを泳がせると、オデットの意思は消え、人形のように操られたまま森の奥へと姿を消していく。オディールのポリーナは、その表情が「邪悪」でした。悪戯な目つきが王子を魅きつけるのをよく承知していて、その先の王子の落胆を楽しむために、ますます邪悪になり、オディールの中の黒い悪魔が艶を増していく。王子はオデットにもしたように、愛しげにオディールの首元に頬を寄せる。オディールがオデットではないと、まったく気づいていないであろう。疑うことを知らない、純粋な王子なのだわ。オディールが首の後ろから伸ばした腕を、後ろに広げて前へ進み出ると、その手をとっていた王子の手は自然にはずされて、オデットから退けられたようになる。はじめはその腕がすり抜けた空間まで、オディールの名残にうっとりしていた王子も、2度目には取り残されたようになり、拒絶されたのだろうかと不安げになる。それからちょっと躊躇するようになる王子の心理に、おもわず応援してあげたくなる。白鳥を見せられて、戸惑い混乱する王子。白鳥のフリをするオディールに気を取り直し(?)、やっぱり魅せられていく王子。(そのまま疑ってて良かったのよ~。←応援モード)騙されたとわかった王子は、相手が別人でむしろホッとしたかも。オデットは自分を試すような、駆け引きをするひとではなかった。(それなら誓いを立てんなよ、てことですが)振り回されるのも楽しかったのかしら。どっちにしても自業自得だな。ロットバルトとオディールは王子がショックを受けるのを楽しみ、嘲りの笑いをたっぷりお見舞いして、傷つくのを見届けてから去っていく。親子で性格悪い。湖に戻ってきたオデットは、すっかり悲しみに暮れている。ここでロットバルトの登場とともに、不安をあおる曲と同調するコール・ドの雰囲気が好きなのだけど、コール・ドが一羽残らず退散してしまうのでつまんな~い。誰もいない湖のほとりに王子がひとり到着。あとから白鳥たちが少しずつ現われるのもなんか変な感じ。オデットは王子に悲しみを訴えるようなことはしない。裏切りをなじったりもしない。ふたたび手をとりあい、寄り添う。王子はロットバルトによって命が尽きそうなオデットのために、突然勇敢になり、激しく対決する。ここに来るまで、王子が男らしく敵に向かっていくとは思わなかったわ。倒されながらも果敢に立ち向かう王子が、ロットバルトの片羽をもぎ取ると、相手は勝手に自滅。それまでひっそりと死んだようなオデットが再び目覚め、自分が無事で、魔法が解けているのに気づく。そのようすを見守る王子の姿。(かわいい王子に戻っている) オデットがきっとこの奇跡は王子がもたらしたのだわ、と王子の存在を確信して振り向く。胸を躍らせるポリーナの表情はいじらしくてかわいかった。期待どおりに王子の笑顔と出会い、深い安堵と愛につつまれて、ハッピーエンド。◇◇◇ ◇◆◇ ◇◇◇ふたりの身長が高いので、周りは子供に見えてしまうのが難点ですかね。東バ全幕は生で初めて見たけど、白鳥に関して言えばあんまり好きじゃないな。振付はダンサーの問題ではないけど、単調でなんだか地味だと感じてしまった。白鳥たちはきびきびしすぎて情緒がないので、不幸な運命に耐える悲しみが伝わらない。女王の嘆きに呼応して感情を助長してくれない。ちょっと軍隊を思わせる。2幕で白鳥たちが続々登場するところが、6羽だけが出てきてしばらく踊り続けるので、とても違和感。大きな白鳥も、あの音楽とともに登場しないので、肩透かしをくったような気がした。あれが好きなのに~。衣装もどうなんでしょう~。ロットバルトの衣装は、「ママがつくってくれた、黒鳥のアップリケ」 と 「五月の節句の兜のお面、手作り風」。学芸会のノリなのでしょうか。別に笑いはいらないと思うんだけど。ナポリもチャルダッシュも衣装がぼやけていて、村娘風。マズルカの男性陣がかぶっていた兜とミニ甲冑は何なの~?なぜあれがポーランド?踊りも全体的にぼやっとしていて、なんかな~。きびきび感は、白鳥でなくてこっちに持ってきて欲しかったなりよ。スペインだけは衣装も踊りも特出してました。井脇さんの背中の反りはすごい。毎回扇子の先が小気味よく床を打ち付ける。男性は2日目の後藤さんがよかった。後藤さんは1日目も踊ってるけど、2日目のほうがインパクトが強かった。王妃の衣装も、いまひとつ...。衣装だけで格の違いも表れるのが普通だけど、とても王室の衣装とは思えないんだわ。なぜひとりだけ避暑地風?それに、王子の母上というより、祖母かと思ってしまった。立ち姿に威厳とか品が感じられなくて、歩く姿はふつうのおばさま。せめて衣装を工夫すれば随分違うのでは。そういえば家庭教師の存在が希薄だったけど、この版はそういうものなのかしら。王子は家庭教師とも道化とも、それほど信頼や気を許す相手でもなかったので、あんまり王子とのかかわりが深いようには見えなかった。パ・ド・トロワは2日とも王子の友人たちには見えませんでした。王子と踊ると身長差が災いして、大人と子供に見えてしまう。一幕が終了して二幕まで休憩なしで幕が降ろされている間、「ぶつ切り」されたような感じでなんだか落ち着かなかった。(全三幕だと、一幕一場から二場に移るところ)これはレニ国版を見すぎたせいですね。突っ込みどころは色々あったけど、ポリーナを全幕で見られたので満足です。オデットの表現も今後変わっていくのでしょうね。それを観られる機会があったらいいな~。
2007年04月14日
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本日はセミオノワ&フォーゲルの白鳥の湖を観てきました。東京文化会館に着いて、チケット切る前に、今年はクラシックの演奏だと何があるのかいな?と気を抜いてチラシ群を眺めていたら、どーーーんと!!(と私には見えた)ルジマトフのすべてがわたしの前に迫り、呼吸も忘れて釘付けになると、しばし棒立ち。写真は光藍社さんのHPと同じですが、この、額縁に入れたくなるような、美と誘惑の神のようなルジが、チラシ実寸大で目の前に突如現われたときの衝撃!!ああああわわ。(こんなとこでアガッてどーする)美しいわーーーーーーーーーー。この写真を撮ってくださった、秦さん、ありがとう!!入り口で配られたチラシの中にも入ってましたが、あとで気づきました。その時も手が止まって見入ってしまった。だから、美しすぎるんだって。(今日の白鳥のことはあとで)
2007年04月09日
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先日放送された、BS Hi Visionクラシック館の【サンクトペテルブルク建都300年ガラ】(2003年5月)。オペラとバレエのミックス・プロ。こんな企画が日本でもあったら、オペラも見てみるかも。でもその前にチケット代に挫折しそうだ。1. 歌劇「ホヴァンシチナ」 第3幕 から ( ムソルグスキー作曲 ) 2. 歌劇「悪魔」プロローグ から ( アントン・ルビンシテイン作曲 ) 3. 歌劇「スペードの女王」第2幕 第1場 から ( チャイコフスキー作曲 ) 4. 歌劇「エフゲニー・オネーギン」 第1幕 から 手紙の場面 “わたしは死んでしまいそうだ” ( チャイコフスキー作曲 ) 5. バレエ「ラ・バヤデール」 第3幕 から ( ミンクス作曲 ) 6. 歌劇「ボリス・ゴドノフ」 第3幕 第2場 から ( ムソルグスキー作曲 ) 7. 歌劇「イーゴリ公」 から “ダッタン人の踊りと合唱” ( ボロディン作曲 ) 8. 「声と管弦楽のための協奏曲」 から 第1楽章 ( グリエール作曲 ) 9. バレエ「瀕死の白鳥」 ( サン・サーンス作曲 ) 10. 歌劇「スペードの女王」第3幕 第3場 から ( チャイコフスキー作曲 ) 11. バレエ「海賊」 から “グラン・パ・ド・ドゥ” ( アダン作曲 ) 12. 歌劇「イオランタ」 から “フィナーレ” ( チャイコフスキー作曲 ) ソプラノ : タチヤーナ・パヴロフスカヤ (3曲目) 〃 : ルネ・フレミング (4曲目) 〃 : アンア・ネトレプコ (8曲目) メゾ・ソプラノ : オリガ・ボロディナ (6曲目) テノール : ウラディーミル・ガルージン (6, 10曲目) バリトン : ドミートリ・ホロストフスキー (3, 10曲目) バス : セルゲイ・アレクサーシキン (1曲目)<バレエ・ソロ> ディアナ・ヴィシニョーワ (5曲目) ウリアナ・ロパトゥキナ (9曲目) スヴェトラーナ・ザハロワ (11曲目) ウラディーミル・ポノマリョフ (2曲目) レオニード・サラファーノフ (5曲目) イーゴリ・ゼレンスキー (11曲目) バレエ : マリインスキー劇場バレエ 合 唱 : マリインスキー劇場合唱団 管弦楽 : マリインスキー劇場管弦楽団 指 揮 : ワレリー・ゲルギエフオペラで目(耳?)を引いたのは、「エフゲニー・オネーギン」のルネ・フレミングと、「声と管弦楽のための協奏曲」のアンナ・ネトレプコ。ネトレプコは♪a~の母音だけで歌い、神秘に満ちた声に惹きつけられました。さすが、ロシアが誇る歌姫。生で聴いたらどんなにすごいだろうか。ヴィシとサラファーノフの「ラ・バヤデール」は、3幕だけだとヴィシの魅力満開というわけにはいかないわねー。サラファーノフは、無味無臭というか、どうしても惹かれないダンサーなんだな。(好みの問題ですが)せっかくヴィシと組んでるのに、パートナーは誰でもいいような感じだし、これといって役に入ってもいないし。ガラとはいえ、ヴィシと波長を合わせたらもう少し良かったのではと思う。だって何も考えてなさそうなソロルなんだもん。ヴィシのニキヤがとっても孤独に見えたわよ。(あのー、あなたのせいでニキヤさんは死んじゃったんですけど)そうだ、昨年観たバヤデール2幕のつづきと思えばよいのだ。(ソロルは同じサラファーノフだし、同じく「坊や」みたいだったし) そう思うとラストはヴィシが神々しい女神みたいに、幼いソロルを導くようにも見える。別の意味で、このソロルと添い遂げるのは無理があったかもねー。ロパートキナの「瀕死の白鳥」は、以前You Tubeで見たリハーサル風景の画像が印象深い。リハーサルは逆光で、それが却ってシルエットをくっきり映し出してきれいなんですよね。レッスン室の外から鈴なりになって見ている子供たちもかわいい。(バレエ学校の生徒かな)このガラの「瀕死」ですが、とても白鳥らしい、自然なものでした。これには「大げさすぎない」ということも含めて自然で、一羽の白鳥が傷つきもがき、儚く幕を閉じていく感じでした。腕を必要以上にくねくねさせないのがいい。あれやりすぎは瀕死に見えなくて。他にYou TubeのDying Swan(2005年11月モスクワ)の映像が美しくて、個人的にはこっちのほうが好み。扇状のステージに、ピンスポ・ライトで照らされたロパートキナの影はまるで白鳥。震えるパドブレは弱りきった白鳥の脚そのもの。脚をたたみ上体を前に倒すと、力なく頭から先にくずれ、本当に力尽きてしまったのかと思わせる。気高く胸を張る姿は気力が支えてるといった感じ。胸で息をして、めいっぱい羽をばたつかせ力を振り絞る。最期の息をするところまで感じられて、何度見ても胸が詰まってしまう。ザハロワとゼレンスキーの「海賊」は、ザハロワに尽きるでしょう。お顔まんまる!!健康そのもののザハロワで、実に華がある。対してゼレはちょっと抑え気味だったような。エンジン全開ではなく、丁寧に踊っているけど絶好調ではない感じ。ザハロワは手足の長さと美しさにまずあらためて惚れ惚れ。首から肩、背中にかけてのラインといい、この人ほんとにバランスがいいわー。うーん、また観たくなってしまった。(生で!)ゲルギエフの指揮、音はいいんだけど、バレエだとダンサーのタイミングと合ってなかったところがしばしば。ラ・バヤデールは、「おまえ、絶対ダンサー見てないだろう!!」と突っ込みたくなるくらい音が遅れてて、ちょっとサラファーノフが可哀想だった。ヴィシも。ダンサーを戸惑わせてどうするよ。海賊でも「あぁ、ゼレちゃん気の毒...」というくらい、音楽が先に走っちゃって。「おーい、ゲルギー。見せ場の回転くらい、ちゃんと出だし合わせてあげようよ。」それにしても、ゲルギーは相変わらず汗だく。乱れていく髪の毛。ううーん、無駄に暑苦しい。
2007年04月08日
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映画【Dancers】はDVD化してくれないのかな~。(つぶやき) 適当に探してたらPHOTOだけ見つけました。→[ダンスと映画]フェリとミーシャのジゼルが見たいのはもちろんのこと、興味をそそるのは、当時19歳のジュリー・ケントがとてもかわいいということ。今はガリガリのイメージしかないけど、若いときはぴちぴちしてるものよね。水の玉がお肌で弾けそう。<メモ>にいきなり、「ストーリーがつまらなく、...」から始まる。おわっ、辛口。ダンス映画はそういう傾向があるので、内容はどうでもいいから、ダンス・シーンが見たいのよ。それに、やっぱりというか、ミーシャの役どころはプレイボーイで、彼のお気に入りは役をもらえるのか...。うさんくさいプロデューサーと大して変わりないよな...。すでに棄てられた女の役が、レスリー・ブラウン。あら、「愛と喝采の日々」のエミリアちゃん...。今度は棄てられた側なのね。そして今はミルタ役。うーん、変われば変わるもんだ。
2007年04月08日
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映画【愛と喝采の日々】(原題:THE TURNING POINT)を見ました。バレエをとるか、女の幸せをとるか、で人生の道が分かれた二人が、過去にわだかまりを残したまま再会し、やがて嫉妬やライバル心が再熱し、そして和解するという、簡単にいうとそういうストーリー。ディーディー(シャーリー・マクレーン)は妊娠を機に引退し、現在はオクラホマに共にダンサーだった夫と子供3人とで暮らす家庭の主婦。エマ(アン・バンクロフト)は現役バレリーナ。ディーディーの娘エミリアは才能あるバレリーナに成長しており、エマが面倒をみるうち、元バレリーナの自分より娘は親友のエマを尊敬するようになる。かつて親友だったエマとは、ライバルでもあり、アンナ・カレーニナの役をめぐって争った仲でもある。次第にエマの存在が妬ましくなり、ついに心のドロドロをぶちまけてしまう。どっちかというと、バレエを辞めてしまったディーディーは、自分で選択した人生で今それなりに幸せなのに、かなり嫉妬深い性格らしい。始めは冷静に、ふたりは昔読んだ童話になぞらえて、実にうまくお互いに嫌味を言い合う。童話の2人の王女は、「ひとりは口を開くと宝石が飛び出し、もうひとりはイモリやヒキガエルが飛び出す」というもの。「ヒキガエルは一匹みたわ」(エマがディーディーのある言葉に傷ついたことを指している)「また一匹」(ディーディーが自分の舞台を観に来ていながら見なかったことを暗に言ったから)「今度は大きなウシガエルね」(ディーディーが嫉妬して、娘の母親気取り?と聞いたので)女の戦いは嫌味合戦でこわーい。そのあとのいがみ合いは醜ーい。(詳しいあらすじはこちらを参照されたし)◇◇◇ ◇◇◇ ◇◇◇ストーリーはさておき、もちろんミーシャ目当てです。この映画では脇役ですが、ダンス・シーンがたくさんあるので嬉しい♪ミーシャは女たらしのダンサー、っていかにもわかりやすいというか、ありがちな役どころ。エミリア(レスリー・ブラウン)と恋に落ちるのが、ロミ・ジュリのリハーサル中というのがバレエ的でした。練習中、パートナーが電話に出てしまったので、所在無くピアノにもたれかかるユーリ(ミーシャ)の目に、稽古を続けるエミリアが映る。エミリアがその視線から目が離せなくなると、そのまま二人だけのロミ・ジュリの世界へ(稽古)と突入~。そして一気にベッド・イン。(早っ。このあたりがアメリカ的か?)ダンサーだから、裸になっても美しい。肉体はダンサーの売りのようなものなので、美しくなくてどうする。てか、綺麗。エミリアが二日酔いのへべれけのまま、ジゼルのウィリに出るシーンがあるけど、ストーリー的には笑いをとるつもりなんでしょうかねー。ついうっかり笑ってしまったけど、そんなダンサーを出すほうがおかしいと思うんだけど...。しかも、遅刻してきて舞台途中から。(そこまで酔ったのは一応理由があるけど)前に進みすぎたエミリアを、他のダンサーが衣装をつまんで引き戻したり、必要以上にくるくる回ったり、他のコール・ドと反対のことをしてしまったり。(この辺でちょっと呆れる)吐きそうになって途中で吐きに行って、また戻ったり。他のダンサーにエルボーしちゃったり......。学芸会じゃあるまいし、あり得んーーー。舞台への冒涜じゃないのかしらん。どうして彼女が叱られないのか理解できない。ジゼルで全盛期バリバリのミーシャが見られたのでうれしい~。ウィリ役のひとりがずっとユーリを見つめているんだけど、実際そんなことしたら舞台で目だってしょうがないはず。いつも思うけど、コール・ドってどんなに素晴らしいダンサーと同じ舞台にいても、実際にはその素晴らしさをほとんど見られないんですよね。ちらっと見たくなったりしないのかな。「ABT 25周年記念公演」と題して、後半はバレエ・シーン満載♪「眠りの森の美女」(Sevilla Haslam & Yuri Kopelkine=バリシニコフ)うーん。ミーシャの白い王子姿がかわいい~。映像はほんのちょっとだけなのねー。もっと見せて~。(T_T)「Legende」(Marcia Haydee & Richard Cragun)あら。マリシア・ハイデがこの映画に出てたのね。「Tchaikovsky pas de deux」(Suzanne Farrell & Peter Martins)映像メディア嫌いのスザンヌ・ファレルが出演したのは貴重とか。「Black Swan」(Lucette Aldous & Felnand Bujones」「Anna Karenina」(Emma Jacklin=エマ & Freddie Romoff」「Ellingtonia」(Emilia Rodgers=エミリア)映画中の若い振付家による新作。音楽に感じて表現しようとするエミリアが、振付家とあわずに投げ出そうとする作品。振付家が「考えるな。(カウントを)数えろ。音楽にあわせて動くただの肉体だ。感じるな。」と言うのに反発する。でも本番の舞台でわかった。この作品は「強さ」や「カウント」で構成されていて、音と音の間に感情をうめるものではない。あたりまえのようですが、振付に合う踊りというものがあるということですね。「Le Corsaire」 Yuri Kopelkine=バリシニコフ)海賊のミーシャ!!ここでお目にかかれるとは。全然予期してなかったので、はぁ~、いったい誰が?と思ったら、ミーシャだった。わーい。ひときわ高く、ひときわ美しく、跳ぶわ回るわ、それにチャーミング!!(若いし) 色々ビシッとキマルので見てて気持ちいい~。アリはルジ以外考えられないと思ってるけど、ミーシャはやっぱり別。途中で浮気しちゃったユーリ(=バリシニコフ)。プレイボーイの役どころとはいえ、あまりにも簡単に他のダンサーに目移りしちゃう。エミリアとは自然消滅か~?と思っていたら、ひとりで稽古しているエミリアのところに現われて、なんとなく一緒にレッスンを始めると、振りの合間にキスをする。「今のは本気」とユーリが言って、なんとなく仲直り。あまりにも簡単、お手軽。とも思うけど、映画の流れではいろいろあって、思うにエミリアが、人は過ちを犯すこともある、と気づき、それでも好きな人を許したり、理解しあったりするものなのだと感じたから、ユーリを受け入れたのかな、と思ったのでした。ドン・キのミーシャは回転でまったく軸がぶれないで、楽しそうにくるくるくるくる...。おいおい、一体何回まわるんだ?エミリアはお稽古のときにダカロワ(アレキサンドラ・ダニロワ)に注意されていた、キトリの肩の入れ方が、本番でできてなかったと思うんだけど、せっかくだから(ストーリー的にも)お稽古の成果を見せてくれなくちゃ。と思ったのは私だけ?ドン・キの舞台のあとに、仲たがいしていた母親が楽屋の入り口から娘(エミリア)を見ていると、エミリアは花束を無言で差し出して、言葉なく涙ぐむ。ここでもエミリアの心の成長を見た気がして、こっちも涙ぐみました。リハーサルや舞台裏、普段とは違う角度からのダンサーが見られておもしろかった。でも、なんといってもミーシャ!!ですね。
2007年04月07日
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Classica Japanで放送された『魅惑のプリマ シルヴィ・ギエム』を録画して見ました。おそらくDVDで発売されている『美と神秘のプリマ シルヴィ・ギエム』と同じ内容だと思います。彼女のポリシーが面白い。彼女にとってそぐわないものは、そぎ落としてしまい、気の乗らないジェスチャーはやらない。それが伝統という理由では納得しない。ロイヤルではイギリスのお国柄からして、相当きつい陰口を言われてたに違いない、と思うんですけど。マクミランと波長が合わなかったのは、実にもったいなかったことです。ジョナサン・コープとの白鳥の湖 1幕2場(@キーロフ・バレエ)では、ギエムそっちのけで、コープがかわいいーー!!コープといえば、引退したはずが復帰するというニュースがありましたけど、これが一時的なものでも、舞台に出られるということは、怪我も随分良くなったということですよね。よかったよ~。(ダーシーの引退公演にTryst pas de deuxで出るらしい)グラン・アダージオのギエムで感じるのは、愛とか身の上の悲しさではなくて、力強さだった。堂々としていて、きっと王子なしでも逞しく生きていけそうな...。(ごめんよ、コープ)だって、女王さまと皇太子、ってな風貌だったので。シシィを踊るギエムも力強いには違いないけど、古典よりこういうほうが合ってるんだろうな~(彼女の感性にも)。イン・ザ・ミドル・サムホワット・エレヴェイテッドは、無機質に踊るほどギエムのテクニックが強調されるような気がする。この映像で一番気に入ったのは、ロイヤルのオフ・シーズンに南フランスでレッスンする場面。ダンス・スタジオと言ってたけど、こんなに素敵な環境だとさぞ気持ちいいだろうな。スタジオ全体が真っ白で、宮殿のようなアーチ型の窓からは、明るい陽光に照らされた南フランスの景色が見える。ピアノの伴奏でドン・キ 一幕のキトリのソロを踊るギエムはかっこよかった!光の差す白い背景に黒の衣装が映えること。ひらりと跳び回転するたびに、チュチュの内側の赤い生地が花びらのようにぱっとひらいて美しい。正確で美しくキレのいいフォームが決まる決まる。全幕をこのまま観たいくらい、舞台とはまったく違って素晴らしい環境です。袖つきの黒いチュチュに衣装を変えて、コープと踊る黒鳥のPdDも良かったです。本番用衣装ではないので、シンプルなのがかえって新鮮。ギエムは古典をそのまま踊るより、舞台と衣装をスタイリッシュに改訂したらすごーく合うと思うのよね。そしたらギエムのそぎ落とす踊りのスタイルも、きっと合うんじゃないでしょうか。マノン(寝室のPdD)のギエムは、初々しさというより、奔放で物慣れた感じを受けました。この先この奔放さがデ・グリューを苦しめるのだろうなぁ~、と予感させるマノンでありました。ギエムの驚異的な安定感は、人間のできることを超えてます。微動だにしない、ってこういうことをいうのねー。足上げたまんま、これを実践できるんだからすごいことです。
2007年04月01日
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