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バサマに連れられ、東京ドームで開催中の「世界らん展日本大賞2008」へ行ってきた。1991年から始まって18回目のこの「らん展」は、おそらく世界を名乗るだけの事はある規模と内容である。世界21カ国から、3000種類の蘭が10万株も展示され、40万人以上が来場するという。オイラは今回で4回目であるが、バサマは初回から休まずに通い、近年では会場に2回も足を運ぶっていう位、入れ込んでいる展示会なのです。バサマは何故2回か?というと、初日に仲間と出かけ、隅々まで観察し、最終日に即売店の値下げした花を仕入れに出掛けるのです。今回の日本大賞は「ユーロフィエラ・レンブリアナ」というアフリカはマダガスカル原産の3mもある大型蘭で12本の茎に200輪もの、赤紫色の花が咲く、始めて見る素晴らしいものでした。なんと、これを育成した人は、茨城県の斉藤正博さんといって、業者やプロの人では無く素人の蘭愛好家なのです。そして更に驚くことには、大賞2位に当たる優秀賞も、この方の出品したカトレアが受賞していることです。このカトレアも、実に見事で1株からなんと233輪の花が一気にこの日のために開花し咲き誇っていました。更に良く見てみたら、ベスト10位に入る奨励賞にも、この方の「リカステ」と「パフィオペディラム」の2点が受賞していたのです。オイラとは、なんの関係もありませんが、同県人として、大変誇らしい思いがして、一度斉藤さんの温室を訪ねてみたい気がします。ところで、オイラは会場では、バサマとは別行動で、退職記念に子供達が贈ってくれたカメラで蘭の花をバチバチと撮りまくってきました。ところが197枚も写した映像の90%はピンボケで、納得のいく写真はやっとこ10枚、折角のカメラに申し訳ない。「なんか言い訳でもあるのかい?」バサマの買った蘭を持たされ、重い足で歩きながら、小声で「人が多すぎたかなア」ぐらいしか、考え付かないのでした。
2008年02月29日
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YAWARA!やMONSTERで有名な浦沢直樹さんって漫画家知ってます?娘が友人から借りてきた、その人の「20th Century Boys] 20世紀少年」という冒険漫画に、今、はまってます。まだ、半分も読み進んでいませんが、一日3冊ペースでそのコミック本を読破、今、5日目、14巻目に入りました。この本の感想は後にする事にして、本の中、主人公達(1960年生まれ)の少年時代の遊びや、育って行く時代背景がテーマのストーリィが展開するのですが、何故か急に、自分の子供の頃を思い出し、ブログに残して置きたいと思ったのです。この主人公達より20年も前にオイラは東京で生まれた、東京といっても、足立区は当時田圃や畑に囲まれた田舎で、家はオヤジの勤める会社の社宅だった。2軒建てで5棟、10家族の社宅は筑波台社宅と名が付いていた。今でもその家族の苗字を覚えている?金子、多田、行田、今野、小坂、種村、沢村、亀田さん、に後一軒、うーん・・と思い出せない。なにしろ55年も前の事だもんね。生まれて6歳までは戦争中、家ノ前に防空壕が掘ってあり、空襲があって、東京の中心部の方角の空が赤々と燃えている様子、そして、その夜空に探照灯の何本もの光のスジが敵のB-29を探して、右に左にゆれ動き、時々高射砲の光とその音が綺麗いと(怖いという印象がない)母に叱られながらも、むしろの扉を開け眺めていた記憶が鮮明に残っています。又、オヤジの田舎(栃木)に疎開する途中、空襲で汽車が止まり、駅前の宿屋にオフクロと1才の妹と3人、灯火管制で暗闇の中を、狭い3畳ほどの部屋に、やっと泊めてもらい、翌朝トラックの荷台に乗って実家に向かい、降りる際に母が運転手にあげている5円札の緑色を忘れません。疎開先のオヤジの実家での生活はオイラにとっては、それはそれは、山・川・野原・畑・田圃の毎日が愉しい日々だったが、オフクロや兄や姉にとっては、大変な苦労だったと聞く。小学校に上がるまでの大半の想い出は、その疎開先での田舎生活を満喫していた、ある意味幸せな時を過ごせたと思います。・・・小学校時代の秘密基地の話を書こうと思ったのに次にしよう。
2008年02月28日
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オイラはあんまり自転車なんて、乗らないんだけど、運動になるからって、そこそこのところには、乗ってけって云われ、家に居るようになってからは、結構乗るようになった。先月の事になるが、少し離れている銀行へ自転車に乗って出掛けた時の事です。駅前から、郵便局を過ぎ、八百屋の角を曲がろうとした瞬間”パアアーン”って凄い音がした「おっとおー、どうしたアー」、後輪のタイヤがパンクしたのです。ガタゴトガターって止めました。八百屋のおばちゃんが飛び出してきて「ななんだあーア」・・・情けない顔をしたオイラとチャリンコを見て「自転車のタイヤでもスンゴイ音すんだねー、びっくりしたよー、誰か鉄砲でも撃ったんかと思ちゃったヨー」・・・ペタンコになったのが後輪なので乗るわけにもいかず、でもラッキーなことに、少し先にある自転屋さん迄手押ししながら歩いた。そういえば、この自転屋さん、つい、数日前に、孫の自転車のパンク修理に来たばかりだった。その時バサマに「あそこの自転車屋で自転車買った事ないだよねエ、それなのに、修理にだけは、良く行くんだなあ、今度買わなきゃねえ」言われていたんだっけ。自転車屋の親父「頑張って乗ってるねエ、チューブ古いから・・・空気沢山入れたでしょ?」そういえば、出掛けに思いっきり空気入れたっけ「チュウブ新しいのと変えなきゃ駄目だな、こりゃ」「換えられますか?」「新しいの、買ったほうが良いみたいだな」丁度銀行に入金しようと、お金を持っていたので、そこでママチャリを買うことになってしまったのです。どうせなら、スポーツタイプのかっこいいヤツ欲しいなーって想ってたのに・・・・残念バサマ「自転車も可哀想だよねー、こんな重いの乗せるんじゃネエ」
2008年02月27日
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映画「80日間世界一周」は、今から丁度50年前、高校2年生の時に観た忘れられない映画の一本です。当時(1957年)、オイラは、年間350本あまり(勿論映画館で)観ていた映画少年でした。浅草の名画座は、入場料50円、昼飯代の30円を三日貯めると、往復バス代とコッペパン代をいれて2本立て映画が観れました。日曜日はそれを2軒はしごするのです。「エデンの東」「野いちご」「王様と私」「死刑台のエレベイター」など、その頃からエルビス・プレスリーやジェームス・ディーンが彗星の如く現れ、フランスではヌーベル・バーグが台頭し、ハリウッドでは数々のミュージカル映画が封切られ映画全盛ともいえる時代でした。オイラにとって映画は、学校より何より、多くを学び影響されたし、全ての芸術の頂点だといきまいてもいました。そんな「80日間・・」を、先日TV放映されたのを懐かしく、違う意味で感激して観ました。1872年、「デビット・ニーブン」と「カンティンフラス」がイギリスから風船や汽車、帆船、馬車に乗って、最後は船を燃料にした蒸気船で世界を一周する。(勿論へんてこな日本も出てくる)今は、出演者の殆どは逝ってしまったが、当時仲間と出演者の名前を何人云えるか競争したものだ。主演の4人は別にして、チョンの間出演の大俳優は、馬ずらの「フェルナンデル」リリー・マルレーンの「マレーネ・デートリッヒ」は、用心棒「ジヨージ・ラフト」とピアノ弾きの「フランク・シナトラ」と絡んでいたし、第三の男の「トレバー・ハワード」浮気なキャロリーヌの「マルチーヌ・キャロル」、お笑いの「レッド・スケルトン」「バスター・キートン」「ジョー・E・ブラウン」「ピーター・ローレ」などなど、そして出演者だけでなく当時の話題はタイトル・デザインの「ソウル・バス」彼の「黄金の腕」「悲しみよこんにちは」「めまい」などは映画を超える人気だった。「ビクター・ヤング」の「Around the World in 80 Days」は今でも残る名曲だ。大好きなシャーリー・マクレーンの初々しいお姫様が可愛いし、懐かしかった。50年を過ぎてもまだまだ鑑賞にたえるのは、そんな思い出が詰まってるからだろうか、原作の「ジュール・ベルヌ」のロケットで月に行く逸話がモノクロ映画で巻頭に流れるが、更に50年後、オイラは生きちゃいないが、フィルムライブラリーで映画の歴史を語る一作となるんじゃないだろうか。
2008年02月26日
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昼飯後、市役所裏の勤労青少年体育センターへ、確定申告をしに行った。広い体育館に設けられた受付で459番の番号札を貰う。、机に椅子が300席程あり、中央の後ろの方に座る。面談する所は、ブルーの間仕切りで体育館の5分の1ぐらいに仕切られており、1番から3番の番号札が掲げてある。番号順に「何番の右側からお入りください」とマイクで案内をしている。まだ200番以上後なので、時間潰しにと、持参したナンプレに取り組む。12ページ迄進んで、約2時間、やっとオイラの番だ。間仕切りの内は20人程の係員が対応をしている。オイラの担当は中年の女性、「宜しくお願いします」頭を下げる、黙って手を出すから、持ってきた書類を、分けもせず全部渡す。「これ必要ないのね」案内書や、記入サンプル書等を抜き出し返される。「去年6月に退職したんで、始めてなんです」「そのようね」源泉徴収書の明細書を返してくれながらいう。手際よくパソコンにデータを打ち込みながら、詳細に説明してくれる。田舎の爺さん婆さんにするように(そうか、オイラは爺さんだったんだ)今までは、会社任せだったから、こういう類は難しいと決めていたが、なんちゃないね。「こんなの、今のI・T時代に、めんどくない?」その女性に尋ねた。「これは、多く税金を納めた人が、差額を戻して貰う為に、申告するの」「申告しなければ?」「戻らない」「不足してる人もいるでしょ?」「その人達には、ちゃんと督促状がいくの」「そういえば、年金事務所でも同じような事言われたな」「役所はそういうとこなの」15分程で終了「50856円」が戻ってくる。嬉しいのやら、悔しいのやら会社を辞めても、年金から源泉徴収税・介護保険・健康保険・生命保険・火災保険・地震保険等こんなに色々支払っていたんだと改めて、税金や保険について、考えさせられる。「国民は、怒ってます!」「無駄使いすんなよー!オイラも怒っちゃうぞおー」
2008年02月25日
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春一番にしちゃあ、凄すぎる風が吹き荒れた昨日今日、今朝のウオーキングは、さすがに足がすくみ、玄関からベッドに逆戻り、朝寝を楽しんだ。新聞を郵便受けから取るついでに、風にさらされ、からからに乾いていた庭石に、水道も甕の水も凍っていたが、氷を割って、水かけをした。それでも、春は、すぐそこまできている。庭の隅の軒下に、30株程のクリスマス・ローズとやらの花が咲き揃っている。バサマが4~5年前から、少しずつ増やしてきた成果なんだ。白、黄、緑、暗紫色に一重、八重咲きとバラエティも一応そろい、枯れ葉を突き抜け、緑の元気な葉を広げ、この寒さにもめげず、可憐に咲いている。クリスマス頃にバラのように美しく咲くので、この名前がついたという。キンポウゲ科の宿根草でヘレボルス・ニゲルという。東ヨーロッパからバルカン半島トルコ・シリアが原産という。イギリスで品種改良が進められ、今のように色々な種類のタイプのものが出回ったという。花に見えるのはガク片なんだ。「冬の貴婦人」「雪おこし」とも呼ばれ、ヘレボレスはギリシャ語で「悪魔」の意味だそうです。なんで「悪魔」なんだろうね? 貴婦人と関係が、あるんだろうか?「毒」でもあるのか?・・・バサマにゃ云えないが、この庭にゃ似合わない花だぜい。
2008年02月24日
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子供やジジイのなんで?どうして?の単純な疑問は、誰にでも、すぐきちんと答えが返せる筈だが、世の中、あいまいで、不明瞭な事柄が多くて、まともな大人でも、返事に困る事がおおくありませんか? 最近の新聞やTVで報道される、重大なニュースも、ささいなニュースでも「なんで?どうして?」と頭をかしげる様なものが多いのは、どうして? 特に、公官省関係の対応の不味さから起きてる疑問が多すぎるのは、なんで?それも、いつの間にか、答えの出ない間にうやむやで消えていくのは、どうして?年金の受給名簿不備問題は、昨年内に内容を全て調査し、報告する筈じゃなかったのかい?何時までに、どんな解決策になったの?誰か、国民に説明したのかい? それと、結局ガソリンは値下げになるの?北朝鮮、拉致問題は、止めちゃったの?万景峰号は日本に入港してるのかい? 郵政民営化実施で何か不都合が起きているのかい?ペルシャ湾での給油は、その後も続けているのかい?「オームの麻原」は死刑になったの?「中国ギョーザ」は、もう輸入はしてないの?してるのかい?「安全」宣言は誰がするの? 食料の国内需給率を高めるって議論はしてるの? イージス艦って、超ハイテク艦だからハイテク機器が全てをやってくれるの?人間は何もしないの?艦長は顔を出さないけど、全ての責任者じゃないの?防衛省の守屋さんは今どうしてるの?新幹線で販売してる弁当、賞味期限をごまかしていたって、食べた人に、なんかあるの?・・・・・ニュースを最後まで見極めないオイラが悪い?知らないオイラが勉強不足なんだな、きっと。それにしても「なんで?どうして?」を明確に答えてくれる人が偉い人だと思うのだが、今、日本のTOPにいる人達の、なんと分かりずらい、不明瞭であいまいなこと「なんで?どうして?」
2008年02月23日
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先日、晩ご飯を食べている時に、小学校4年生の孫が「今日、3階の教室から富士山が見えた」と、眼を輝かせながら云った。「そうか、綺麗だったか?」「うん、すんげー、でっかい太陽がみえて、そん時、富士山も見えた」「いい天気だったし、風が強かったからなア、スモッグが無かったんだな」「スモッグてなに?」「東京や神奈川県の空は、自動車の排ガスや工場の排煙なんかで空気が汚れてるんだ、それに靄がかかって出来るんだ」「なんで?」「人が多く住んでるし、自動車も会社も工場も多いいだろ」「家のベランダからは見えないね?」「そりゃあ、学校の方が高いところにあるだろ」「でも、太陽が沈むとこは見えるよ」「地球が丸い証拠だ」「なんで?」・・・・とえんえんと「なんで・どうして」が続く。実はオイラも「なんで?」を多発するので、嫌がられている。娘に「チャンネル替えていい?」と聞かれ「なんで?」と返すと「4チャンが見たいの」「いやいや、いつも勝手に切り替えるのに、なんで聞くの?」というのと「今、見てるのが面白くないの?」と「他のチャンネルで何か面白いのやってるの?」というように、尋ねられた時の頭の状態によって、幾通りもの「なんで?」が浮かび、とっさに出てしまう。老化現象だろうか?「いいよ!」「駄目」って咄嗟に判断出来ないからなのか、単に理屈っぽいだけなのか・・・・最近では「なんで?」って聞くと、みんな「なんでも!」って、語気荒く云う。子供には許されても、ジジイは、ウザイだけなのか・・・何にでも疑問を持つ事は良い事だとおもうんだけどなア・・・
2008年02月22日
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ウオーキングから帰ると、家に入る前に、することがある、落葉時の、家の周りの落葉掃除、バサマの弟が植木屋で、新築した時、家の周りに、沙羅・ぶな・やまぼうし・楓・椿・蝋梅など樹木を、庭とは云えぬ、狭い隙間に植えてくれた。そのお陰で、晩秋から初冬にかけて、両隣の庭にまで入り込み、落ち葉掃きをする。それと庭石、大きな岩が三つ、クレーンを使って設置してくれたのだ。その岩に昨年の夏ごろから、うっすらと緑色の苔が生えてきたのです。2~3種類の苔が、だんだんと色濃く覆っていく岩の様子が、優しく風格のある姿に変わってゆくのが嬉しく、毎朝、水をかけてやる習慣になったのです。既に、この冬の寒さでは枯れてしまう筈なのですが、なんとか頑張って、へばり付いています。そんな水掛をしている時ついつい口ずさんでしまうのが、なんと「こおーけエーのオーむウーうーすウーまああーでえ」なのである。いつ頃だったか、仲間4人でゴルフに行く車中で「最近、国歌とか国旗とかに反対する奴がいるんだねえ」から議論が始まったのだが、「君が代」の歌詞の意味が解ってない奴が2人も、いたのには驚いた。何十年も聞き歌い続けてきたのにである。いい大人の常識人がだよ「ああ、そういうことなのか・・・」だって。もしかすると、こういう人が大勢居るんじゃないだろうか?オイラは我が日本国の誇りの「国歌」「国旗」だと信じているので、反対する人の気持ちは解らない。ましてや子供達に教育する人たちの、そんなの歌う事も、守ることも無い発言は信じられない。そんなら校則も、自分の「意」に反するからと守らない、やらない生徒たちを縛る事は出来ないと思うのだが。今、中国重慶でサッカーの国際試合が行われている。日本人選手は堂々と国歌を歌う姿をみせて欲しいし、国旗を誇りに試合をして欲しい。「君が代」をネットで調べていたら。有名歌手の映像と声が聞けた「堀内孝雄」「さだまさし」「サザンの桑田」「中島美嘉」「ガクト」等など、ついでにアメリカ国歌も聴ける「ホイトニー・ヒューストン」「マライヤ・キャリー」「ビヨンセ」等は、ホント泣けるよ。一度ぜひ観て下さい! 国歌の素晴らしさが改めてわかります。
2008年02月21日
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退職して、はや8ヶ月目、仕事をしない毎日を、やっと”後ろめたい”と思わなくなってきました。ああ、そろそろ秋葉原駅、満員電車を乗り換え、急ぎ足で総武線の階段を昇ってるころかなア。 とか、年度末決算の最終見通し会議で、営業担当のオイラは、売上不足による経常利益赤字を、どうやって切り抜けるのか?と、突っ込まれ、考えても、知恵を絞っても、答えなんか出やしないのに、財務担当、経理担当の説明と数字の羅列に「いいから、お前ら好きなようにせーよ」と云いたいのをこらえながら、申し訳ない素振りと、悲壮な顔で、一日中攻め立てられているころかなア。とかをである。オイラが在籍していた会社でオイラの秘書的な役割をしていたAさん(美人・・ホント)は毎月2度ほど近況をメールしてくれる。大体が、このままでは会社がどうにかなってしまう的な悲嘆にくれた内容のものである。「どうしたらいいでしょうか?」「部長以上全部首にしろって、社長に云いなさい」とか「社長自らが作業服に着替え先頭に立って倉庫に入り、在庫を整理、処分させろ」とか「銀行に行って土下座して来い」とか、在籍中には云えなかったいい加減なアドバイスをしてやっていますが(殆ど伝わってはいませんが・・・)彼女のストレス解消に少しは役立っているようです。そのAさんから今日メールでTさんの病気(末期癌)の知らせがありました。この8ヶ月間で3人目になります。退職する人だけでなく、人生をリタイアする人もいるのです。100年も続いた企業(今年6月で)ではそこに働く従業員の高齢化は仕方ないことです。商売として扱っていた「モノ」の成長期から成熟期に在籍していたオイラは本当にラッキーであったと思います。「モノ」が溢れ、余り、そして安い「モノ」が外国からなだれ込み、市場は破壊され。残るは、特殊な「モノ」を特別なお客様にのみ、特別なしつらえで商売を形成する事になってしまった。歴史や伝統を守り抜き、良いものを大切に提供し続ける事は今の世の中では難しい。薄っぺらな偽物や、その時だけの使い捨てや、安けりゃいい的なモノが主流というのを止めねばならない。中国ギョーザ問題も環境問題もそこから始めないと。安全・安心・信頼にはコストがかかるのです。高くても、すこしづつ、ながーく、大切に使う事にしよう。Aさんに「社長以下全員で厄除け神社に行って来い!」とメールを返しました。
2008年02月20日
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昨日の続きではないのですが、久し振りに、たった二年間の仙台時代を懐かしく思い出してしまった。33才で3人の子持ちだったが、おそらく人生の中で、一番仕事してたし、充実もしてた。仙台に営業所ではなく、別会社を立ち上げたのだ。東北6県をお前にやると社長に言われ、二つ返事で快諾、死に物狂いで仕事をした。東京で生まれ、東京で育ち、東京を始めて離れたが、仙台になんも不安がなかったし、逆にそこには、ホントの生活があった。なによりも、人も環境もみんな優しかった。家族全員が東京を離れるのを反対したが、それ以上に2年後、やるからと言った社長の「やはり東京にお前が居ないと駄目だ」のおだてで、仙台を離れる時の方が抵抗が強かった。「サラリーマン生活45年間の内、この2年間だけに家庭生活があった」とバサマは今でも云う。通勤時間はゼロ、敷地内に住居があったから。三食とも家族と一緒に出来た。車で10分以内に「野草園」「動物園」「広瀬川」「仙台城址」「東北大キャンパス」そして「百貨店」も「スーパー」も「国分町」もあった。そして30分も走れば「山」も「海」も「温泉」も「ゴルフ場」も「スキー場」もあった。夏には「蛍・トンボ・カブトムシ・鮒・カッコウ・そして「七夕祭り」、冬の「八幡神宮のどんと祭」と休日に家に居る事は殆ど無かった。東京との違いを言えば「文化度」だろうか・・・次から次への有名画家の展覧会開催の美術館・博物館、歌舞伎・新劇・能・宝塚・音楽等の劇場、野球・サッカー・ラグビー・水泳など全てのスポーツ場などなど・・・でも、東京に住んでいても、サラリーマンの殆どはオペラやバレー、歌舞伎、能、クラシック・コンサートなどに行けないし行かない。なんともったいない話ではないか。でも、一握りの人達で、大抵の会場は一杯になってる。東京に住み、その特権である「文化」を有難く満喫している人たちも沢山いるのです。大都会には大都会の、地方には地方の良さ有難さがある。積極的に楽しみに行かなければ、そこに住んでる意味がない。東京に帰ったといっても、東京まで2時間弱もかかる、こんな田舎にしか住めない中途半端な生活を今更悔いても、なんとも、しゃーないのだけれど・・・・・「なんだ、愚痴かよ」
2008年02月19日
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「美味しい・まずい」「美しい・汚い」「上手・下手」「良い・悪い」など評価を述べるのは、難しいと感じるようになった。自分自身の中で決めるのは勝手だが、公の場で公の人々に向かって、その意見を述べる様な場合はかなり慎重にしたい。自分の体調や精神状態が一定ではないからということと好みがあること、聞く側にとっても、体調や精神状態に加え、その人たちの立場や状況・背景・知識等に個人差があり、さらに個人個人の好き嫌いで左右されることがあるからである。それと更に、評価するもの、そのものが状況・状態などにより変化することがあるからである。だから、一般的に、あたりさわりのないようなものや、調査研究を充分にした間違いの無いもの、歴史的に評価の固まっているようなものは断言出来るのですが、自分の主観だけで発表するのは覚悟が要ります。勿論、他人に自分の意見を聞いていただくのですから、当たり前のことなのですが・・・こんな文章を書いてることが既に問題を投げかけていると意識するのです。以前、会社に在籍中のこと、仙台から戻った上司が朝礼で「日本三景といわれる「松島」は汚ない、そして「牡蠣」も不味くて残念だった」と出張報告の、ついでに話をした。真面目で尊敬もしていた方なので、「そうなんだ」とずーと思っていた。後年オイラが仙台に転勤し、実体験して解った、ある意味正しいけれど、でも全く違っていたのです。三十数年前の丁度二月の今頃、家族共々、仙台に引越して初めて迎えた日曜日、地元の社員が松島に家族全員を案内してくれた。途中から振り出した雪が松島に着く頃にはあたり一面真っ白にかわり、山の上から見る松島は、まるで名人の描く墨絵のよう、薄墨色の海と空に白く島々が浮かび、雪がこれでもか・これでもかと音も無く降りかかる、ため息の出る程の美しさでありました。まさに芭蕉の「松島や、ああ松島や、松島や・・」だったのです。寒かった一日の締めは、海岸沿いの料理屋の牡蠣の土手鍋、これまた美味しかったこと未だに忘れません。その後、春に、夏に、秋に松島は夫々に色を変え、姿を変え、楽しませてくれたのです。おそらく会社の上司は夏の暑い盛り、丁度引き潮で浜が露出しゴミが砂浜に散乱した様子と、季節はずれの牡蠣と、店を選ばなかった所為でしょう。影響力のある人は、発言を充分注意するべきと、強くおもったのです。最近、国の政治のTOPにおられる方々の発言が問題になっています。それと、マス・メディアの多くの記事が、又それらの方々の意見なり、論評が均一集中化し、暴走化する。しかし次の事件が起こるまでの短期間に終息し、大抵の事件は、うやむやのまま流され消えいく。それが心配です。中国餃子問題も消えかかっています。我々の「食」の安心・安全と安定供給が続けられるために、日本国が今何をするべきなのか、議論を拡大発展させ、「世界環境問題」とあわせて、将来構想を政治が中心になって経済界を巻き込み、国家プロジェクトを即立ち上げ・・・・・レレレレット!なんだよう! がらにもない・・ジジイが、どうした?「いや、こんな寒い日は熱燗で牡蠣の土手鍋なんか、いいんじゃない」って言いたかったの。
2008年02月18日
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ここ3~4日、あのグリン・グリン・グリンの音が響いてこないから不思議に思っていたら、バサマが腰が痛いと、ホントに辛そうに腰を曲げ、そろり・そろりと歩いてる。グリン・グリンどころじゃないらしい。元気印のバサマにゃあ、笑っちゃ悪いが、可笑しい。が、こらえて「どした?」「なんか、急に腰に痛みがきてサ、歩くのも、息をするのも辛い」「なんかしたか?」「なーんも」・・・・「あのサー、もしかして、あのグリングリンじゃないの?」「違うだろ、毎日たった15分間だよ」「でもオイラ、あのサイ・トレーナーをやりすぎて膝をおかしくして、そのサーフ・ボーイでも腹筋が痛くなって中止したんだぜ」「そんな、やわじゃねーよ」「でも、いい歳なんだから、ほどほどにしないと、大体、なんも普段運動しない老人が、急に身体を揺さぶって、良い訳無いとおもうんだけどネ~」「ジサマに云われたくないねー、あんたが買ったんだろ、使わないで置いとくな!」ってナ訳で、また粗大ゴミを作ったような気がする。それにしても、この歳になってする「ウオーキング」も「スイミング」も今頃から始めようとするあらゆるものが、やりようによっては、身体に良かったり、身についたりするもんじゃないってことなのかなア・・・「焼け石に水」かな?いや、まさに「年寄りの冷や水」ってやつだ。 オイラの年代は何でも真剣に取り組んじゃうからまずいんだよね、「ホドホドに!」とか「いい加減に!」がなかなか出来ないんだ・・・困ったもんだ。
2008年02月17日
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あまり期待もしていなかったんだけど、先日「スピーチの下手な日本人?」のタイトルで日記を書いてたこともあって、ついつい授賞式のTVを観てしまった。いろいろ、云いたい事はあるのだが、云ってどうなるものではなし、そんなら観なきゃいいじゃん!って云われそうだから、まあ、ジジイの勝手な独り言として聞き流してちょうだい。先ずは、この協会はこの賞の権威や位置付けをどのように考えているのだろうか?樹木希林さんに受賞挨拶で「名実ともにこの賞が、権威あるものとなる事を心より祈っております」などと言われる有様。希林さんは画面で見る限りですが、このどうにもならない会場状況をホントにうんざりした様子でワインをがぶ飲みしていたし「早く帰ろ!」と逃げ腰だった。最後の挨拶でさすがにに市川監督への哀悼の言葉をキチンと述べ、権威の話でまとめたけど、作品賞も最優秀女優賞等6部門受賞の「東京タワー」組の誰もインタビューに喜ばないなか、松たか子さんがやっと両手ガッツポーズで「ヤッター」でオイラが救われた。そして、東京タワー組のテーブル席のザワつきが、周りの他のテーブル席にも波及して、なんかしらけきった空気が流れていなかっただろうか?受賞者が次々に「エー俺が?」って心底不思議がってる。小林薫氏の「有馬記念のマツリダゴッホ」発言や、オダギリ・ジョーさんが作品賞に「全く思ってもみなかった」発言や吉岡秀隆さんの最優秀主演男優賞もしかり、まんざら謙遜のポーズだけではあるまい。去年の芸人インタビュアーよりはましになったが、こんな風に、この番組を構成する演出のセンスは、視聴者・映画ファンから見放される。撮影賞・脚本賞・美術賞・音楽賞など陰で活躍する人達をこんな時にきちんとその内容と如何に優れているかを紹介して欲しい。さすが、渡辺謙さん、折り目正しくプレゼンター役をこなしていました。はたしてモニターはあったのでしょうか?
2008年02月16日
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高校の夏休み、オイラ、時計のベルト屋さんでアルバイトをしていた。高級鰐皮ベルト作りは細かい作業で、鰐皮の型を抜き、それを芯地の牛革に被せ接着剤で貼り付け、穴を開け、金具を取り付ける。簡単そうに聞こえるだろうが大変だった。家内工業で一家7人は夫妻・男4人兄弟・女1人の全員が従業員だった。オイラの役割は接着剤で張り終わった後、はみ出した糊を指で擦り落とす”地味ーイ”な仕事だった。そのアルバイト最中にその接着剤にかぶれて、両手の指の間に小さな水泡がびっしり出来てしまい、しまいには手首にまで広がって、直るまで病院通いが2ヶ月間も掛かった。それからというもの腕時計が出来なくなった。腕時計をすると、すぐに湿疹が出来てしまうのだ。今では、汗のかかない時期に短時間なら大丈夫なんだけど、でも殆どしない。数年前、そんなオイラが時計を買った。いや買わされたとでもいおうか。百貨店の知人に「世界の大時計博」という催事に呼ばれた「時計は嫌いだ」「買わなくても見に来るだけでいいんだ、客を呼ぶノルマがあるんだ」仕方なしに出掛け、罠にはまった。散々断り続けていたが、上手な販売員に「息子さんに、お父様として形見のようなモノを、何かお持ちですか?」「えー、そんなの考えもしなかった」虚を突かれた。そういえば、なにやら以前こんなのが欲しいと、カタログを見せながら聞いたことがあった。呪文を掛けられたように、ついつい、ン拾万円もする高級時計を買ってしまった。いつかタイミングのいい時にプレゼントしようと、誰にも内緒で置いておいた。ある日、息子家族と一緒に飯を食べていた時、オイラが買ったのと同じ腕時計を息子がしているじゃありませんか「どした、その時計?」「キク(嫁)の父ちゃんのプレゼント」「ナンだッテえ!」「どうかした?」「うーうー・・・ぐるるるうー」もう5年もそのまま置いてあったが、新聞の広告欄「時計高価買い取り、相談に乗ります」に電話した。 半額になるけど売ッちまおうか・・・でもなあ。
2008年02月15日
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昨日、水泳教室だった。洗面台で水着を洗おうとしたら、鏡の脇にに大きな張り紙があった。ここで水着を洗わないでください! 赤字で「禁止!水着洗い」。「なんだよう!先週は書いてなかったじゃん、じゃ、何処で洗うんだ?」「ここは洗面台、顔を洗うところです」「プールから出て、シャワーを浴び、ここで顔を洗っている奴なんか見たことねー」10台もある洗面台は何のためなんだ?手さえ洗ってるとこ見たことないよ。鏡の前で髪を整えている人はたまにいるけど・・・、あっ、それと、シャワー室に石鹸・シャンプー持ち込み禁止だって。いいじゃないかねー、帰ってから又フロにはいるのかい?プールの水の塩素の臭い、水で流すだけじゃ落ちないんだよね。そういえば、「飛び込まないでください!「飛び込み禁止」「走らないでください「駆け足禁止」「悪ふざけ禁止」「見物入場禁止」「水泳個人指導禁止」「タオル以外持込禁止」いやはや気が付いたら、やたらに赤丸にバッテン印が目に付く事・・・しょうがないかねー、昨年のプール死亡事故以来監視員の人たちも懸命に危ない事させないように、必要以上に厳しく監視してるんだから。でも最近何処でもやたらに禁止の看板が眼につきませんか?子供達も冒険や探険、チャンバラごっこや悪漢探偵など、危険な遊びをしなくなり外に出りゃあ、怖い人に何されるかわからないと、家の中でピコピコとゲームばかりやって、母親に「あんたはゲームばっかりやってー」とか叱られてる。ホント可哀そう。ところでね・・・昨日、そのプールで「一方通行水泳コース」を何を勘違いしたのか、逆方向から泳いでいって、監視員のピ・ピ・ピー・ピイの笛の制止にもかかわらず50mを泳ぎきり、顔を上げたら、コースの中に5・6人が溜まってて「こちらからの泳ぎ 禁止」の看板を目の前に差し出された・・・・アア恥ずかしー!
2008年02月14日
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11日、米国最大の音楽賞、第50回グラミー賞が発表された。英国のエイミー・ワインハウスが年間最優秀シングル賞にあたるレコード・オブ・ザ・イヤーなど5部門受賞が話題になっている。そして最大の映画賞、第80回アカデミー賞の授賞式が25日にある。ここでは、その内容についてではなく、授賞式におけるスピーチについての話である。司会者は勿論の事、受賞した俳優も歌手もプレゼンターも、みんな気が利いた、ウイットに富んだ、しゃれたスピーチをする。ステージに上がった受賞者は、先ず、世話になった大勢のスタッフの名前を挙げて「君達のお陰だ!」とお礼を言う。そして、両親・連れ合い・家族・友達・先生等にも「ありがとう」だ、最後に「神」に感謝の意を告げる。一つのパターンはあるのだが、それぞれが、個性溢れるスピーチをするのが、なんとも粋でお洒落なんだ。日本の、その手の授賞式の司会者や監督そして役者や歌手のスピーチや、そのやりとりは、見てるこっちが恥ずかしくなってしまう場面が多く、その違いを、ついつい比較して悲しがっていた。ところが、先日あるTV番組で、あの渡辺謙さんが、アカデミー賞のプレゼンターとして、あの往年の美人女優カトリーヌ・ドヌーブとステージに上った。そして英語でスピーチした。その感想を「すべてモニターに書いてあるのを読み上げるだけ」「全部の人がそうしてる」と語っていたが、オイラはかなりのショックを受けた。自分の事だが25年ほど昔「江川ひろしの話し方教室」ってのに通っていた事がある。今でもあるのだろうか?飯田橋にあった。あまりの話し下手に、管理職になった時、会社命令で行かされた。3分間の自己紹介で100回以上も「えー」と云ったと30人中ワースト1になった。卒業スピーチの演題は「えーを言わないスピーチ」だったが、意識すればするほど「えー」が連続に出て止まらず、その教室で一番受けた。そのテープが社長に送られ、そして家に、オイラのいない時に、そのテープを家族全員で聞き大爆笑されたことがあり、スピーチはいまだ大苦手なのだ。その「話し方教室」には引退した有名野球選手とかゴルファーとかが講師や解説者として話が旨く出来るようにと、かなり通っていた。あまり人のスピーチのことは言えないんだけどネ・・・・
2008年02月13日
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最近、昼時、一人きりのことが多くなっていて、昼飯が定番化してきた。最初の頃は、フライパンや鍋を出して、炒めたり、煮たり、焼いたりで、少し料理らしい事をして楽しんだりしていたんだが・・・一人分の、たかが昼飯のために、時間がもったいなく感じ、だんだん、手抜きをし、今や、カップめんオンリーになってしまった。T-FALという、簡単に水が沸騰するポットがあるから楽チン。ニッシンのシーフード・カップヌードル、サッポロ一番・みそ・しょうゆ・塩ラーメン、ペヤング・ソース焼きそばが好みで、それが主体だ。今や、ケース単位で買ってくる。バサマは見栄を張って「こんなもの大量に買ってどうすんだよおー」とか云ってるが、準備も後片付けもしなくていいから、最近は、無くなると買い足し、補充してくれている。ミシュランの三ツ星レストラン本の話や、美味しいもの番組が氾濫し、TV画面で皆がしたり顔に同じようなコメントをほざいているのを「美味しそー」とよだれを垂らしながら眺めているように、食文化への関心が高い、一方、食の安全・安心が取り沙汰され、毎日大騒ぎをしているのを、横目で見ながらカップ・ヌードルをすすりながら、「ケシカランなあ!」等と云ってるオイラは、貧しいなあ・・・・でも、バサマの造る「きのこ汁」「ふろふき大根」「肉じゃが」など、田舎料理は抜群だよ!これこそ三ツ星の味なんだけど・・・
2008年02月12日
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2月9日からアメリカンアイドル・シーズン7の放映がFOX CHANNELで始まった。今朝、その2週分を3時間にわたって観ました。アメリカ中から約10万人の若者が歌手の夢を求めて、オーディションに集まってくる。ほぼ10ヶ月間の勝負で勝ち上がったチャンピオンは間違いなくアメリカのアイドル・スターの夢が叶う。ケリー・クラークソン、キャリー・アンダーウッド、クリス・ドートリーなどは既に有名人、昨年ドリーム・ガールスでアカデミー女優助演賞のジュニファー・ハドソンがシーズン3の準優勝者だったと話題になった。シーズン5から観始めたが、予選から観ているとお気に入りの人を、応援したくなり、ファンに変わっていく。去年のメリンダ、一昨年のキャサリンがオイラのお気に入りだった。特にキャサリンの「オーバー・ザ・レインボウ」は感動で震えたね。全米のTV視聴率が断然TOPなのが理解できる。最後のベスト10人ぐらいになると視聴者からの電話投票で順位が決まる。昨年の最後決戦ではなんと7500万人の投票があったそうな。それと、ゲスト出演者が凄いのよ!勝ち残った人たちにレッスンした歌手は「ダイアナ・ロス」「スティ-ビー・ワンダー」「ロッド・スチュワート」「クイーン」など超一流ばかり。最終決勝のステージは豪華絢爛のエンターテイメント・ショウなんだ。ところで、本日のTVは予選第一日と二日目、フィラデルフィア(ペンシルバニア州)とダラス(テキサス州)どちらも1万3000人もの人がオーディションを受けに集まった。3人の審査員(それぞれ有名人)による審査風景が爆笑もの、個性溢れるというか、一風変わった人たちが次から次へと繰り返す真剣なパフォーマンスが愉快、3時間があっという間に過ぎる。もう既にマークしたお気に入りの人が二人いる。毎週土曜、日曜日、夜の楽しみが始まった。日本でもこういった番組はNHKの素人のど自慢大会だけになってなっているが、過去「スター誕生」とか「全日本歌謡選手権」とか昔の番組を思い出す。暮れに「イカ天バンド合戦」の思い出番組やってたけど面白いよね!どうなんだろう、「お笑い」ばかりでなく、本物のスターを探す番組を制作したら・・・・
2008年02月11日
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タマネギ、中玉・10個・網袋入り・480円を買ってきた。10個全部、茶色の表皮を剥き、半分に切り、涙ながらに、スライスする。それを、底の深いシチュウ鍋に入れ、超弱火でことこと、何も入れず煮詰める。飴色になるまで、鍋に溢れんばかりだったタマネギが10分の1位になるまで煮詰める。およそ、7時間程でタマネギのジャムが出来上がる。鍋にそのまま置いて冷ます。冷めたら、密封できる金具つき蓋の付いた瓶に容れ、冷蔵庫に保管する。トーストに付けて、サラダに、肉と一緒に、スープにして食べる、毎日必ず食べる。オイラだけしか、食べないから、およそ1ヶ月間もつ。「美味しいか?」って。「いや、決して美味いもんじゃないが、不味くもない、食べられる」実は、高血圧に効くと聞いて半年前くらいから始めた。まだ、薬は朝晩必ず飲んでいるのだが一生飲み続けなければならないと聞いて、なんとか、嫌いな薬から離れたくて、それだけでなく、毎月2500円も取られる薬代が惜しくて、運動はするが、減塩メニューに中々出来ず、酒も止められずに、血圧を下げたいと、続けているのだ。最近は上が140台、下は70台と落ち付いているから、そろそろ、薬を減らし始めている。会社勤めも辞めて、毎日好きな事をして生きているから、ストレスもなく、血圧が上がる筈がないのであるが・・・かかりつけの医者に云ってないんだけど・・・毎月が、1ト月半間隔になり、2ヶ月に1度の通院になっているから気がついているだろうな。タマネギくらいで大丈夫だろうか?変にケッチってもなあ・・・・「倒れたって、そんな、でかいズータイ、面倒みんかんねえー」って、何時もバサマが・・
2008年02月10日
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午後2時から4時まで、NHKーHV特集神尾真由子21歳の天才バイオリニスト<強い個性と精神>のドキュメンタリーを観ました。そして、午後9時から11時までは、彼女のサントリー・ホールでの優勝記念演奏会を鑑賞しました。昨年ロシアで行われたチャイコフスキー国際コンクールで、日本人としては17年振りの優勝を果たした天才バイオリニストです。普段の顔と、演奏中の顔、インタビューに答える時の顔がそれぞれに同じ彼女か?と思ってしまうほど大人の顔、子供の顔、思慮深い女の顔に変わるのです。長い間、カメラが密着して追い掛け回す素顔は、タイトルにあるように個性的で、将に強い精神の持ち主にかんじました。大阪、豊中に住むご両親も小学校時代の友達もごくごく一般的な人達で、カラオケやゲームセンターで遊び焼肉屋での食事風景など全く庶民的なのです。ところが、ステージや練習でヴァイオリンを持つと、成熟した女性芸術家に変わります。インタビューに色々答える中で「私は観客のためにヴァイオリンを弾いてはいない、お客様に聴かせてやるぞ!みたいな感覚は持っていない」と明言する。又「弾いてる内に、頭の後ろのほうから心地よい音楽が聴こえてくる」とか数々の個性的な答えが興味深く、しっかりとした自分を主張できる人だと好感ををもった。てな訳で、久し振りに、チャイコフスキーの「ヴァイオリン協奏曲」など堪能した。バサマの「ジジイだけの家じゃないんだぞー」の、ののしり声を無視して・・・
2008年02月09日
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映画「力道山」をTVで観た。オイラの中学校時代のヒーロー「力道山」、駅前街頭白黒テレビを大勢の大人達も一緒に、黒タイツ姿の力道山が、空手チョップでシャープ兄弟をやっつけるのを、興奮し大声で応援した懐かしいあの頃を思い出しながら観た。今朝の新聞一面は「前時津風親方を逮捕」暴行、兄弟子3人も、力士急死傷害致死の疑いと報道。17歳の青年を死ぬまで可愛がる稽古とは、どんな酷いものなのか、想像出来ない。映画の中で、二所ノ関部屋に入門した力道山や新入りが、しごかれる場面が出てくる。特に、貧しい朝鮮人の力道山には厳しいが、どんなにいじめられ、しごかれてもても「ごっつあんです」と耐える。帰るところが無いから、帰っても、これ以上にひどい生活がまっているからと・・・今の相撲界では、白鵬・朝青龍をはじめとする外人力士の多さが、全く想像もつかなかった時代であった。朝鮮人というだけで番付けまで、まともに上がらないような差別を受けていたのです。関脇まで上がった頃、プロレスを知り、転向したい旨を、支えてくれている会長に「プロレスは国際的、国籍も人種も関係なく、実力で闘える」と訴える。その後、興行主らしい人達の集会で、力道山が「いつから日本人はこんなに弱くなってしまったのですか?私は子供達に、日本人として外国人と闘って、やっつけ、強い所を見てもらい自信を持ってもらいたいんですよ!」と力説、その人たちがハッとする場面があります。何か今、我々日本人全体に向かって云われた感じがしました。そうか、子供の頃、あれ程、みんな熱狂したのは、外人をやっつける正義の味方(ヒーロー)の出現だったのだ。そして、この映画がソン・ヘソン監督ソル・ギョング主演で韓国で作られた事に日本人として何か微妙な歯痒さの様な感じがしたのです(中谷美紀と藤竜也は光ってますが)色々な面で、我々日本人による日本伝統文化の継承は難しくなってしまったのでしょうか?もう一度、皆が、原点に還り、日本人としての、プライドや幸せってナンなのかを、相撲や中国ギョーザや絹織物や地球温暖化や石油高騰や・・・・・を見直してみる必要があるんじゃないかなあ?
2008年02月08日
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雪が降るなか「わたなべ ひろこ先生(多摩美大名誉教授)」の話を聴きに西荻窪まで出かけた。女性ばかり18人、昨年の6月28日から91日間、中国、キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イラン、トルコ、ギリシャ、イタリアの9カ国、いわゆるシルクロードを奈良東大寺(正倉院)のスタート地点から最終地点ローマまで一気通貫で、絹がたどった道をなぞって旅し、各地で日本の文化を伝える交流イベントを行ってきたそうです。イベント内容は現代テキスタイルアート展、ミニアチュール展、着物の着付け、風呂敷・折り紙のワークショップなどです。何故女性だけかというと、シルクロードの発展の陰には、糸を紡ぎ染め織りを広めた女性の力を意識し、次の世代を育む主体であることへの想いからだそうです。色々な体験談を興味深く聞かせて戴きました。日本という素晴らしい伝統文化国を、数多くの国の人々や文化と出会って改めて認識したそうです。パソコンの不具合で映像が観られなかったのは残念だったが、わざわざ出掛けた甲斐はあった。先日、観たTV「アフリカ縦断114日の旅」や「関口知宏中国36000キロ列車の旅」など、現地の人達と直接触れる旅に、憧れる。そして、文明と経済発展が伝統文化と引き換えになってゆく時代背景を大変考えさせられた。早いうちに、中央アジアを旅しよう、シルクロードの匂いのするうちに。その後、出席者全員(13名)で飲み会、家には1時前になった。鍵を持って出るのを忘れ、雪の中を、暫く締め出された。悪い事なんかしてないのに・・・
2008年02月07日
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朝から雪が降っていた「どうしよっかな?」ってぐずぐずしてると、バサマが「どした?」「いや腋の下が気になって・・・」「馬鹿ジャン!誰がジジイのそんなとこ見てるかい」「はよ、行け!掃除すんだから」って追い出された。みんなの後ろの方で、準備体操をして、各班に別れる、オイラはバタフライ・チーム今日は7人、コーチが「おはようございまーす!」・・・何時も元気で、いいなー「今日は、先ず陸上で、形の練習をしまーす」「ええっーつ、水の中に隠していたかったのにい」「はい、両手を肩幅に揃えて、肘を内側に曲げて、水をキャッチ・・・」「○○さーん! どうしましたーあ? 元気ありませんね-・・・・ぐうーっと、大きく上に伸びてーえ」・・・どうも、参りましたね、こりゃあ。でもやりましたよ最後まできっちりと・・・なんか、コーチがあんまり、オイラの方を見なかったような気がするのは、自意識過剰ってやつですかね?・・・それとも、気持ち悪かったから?
2008年02月06日
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頭皮の脂漏性皮膚炎が大分良くなってきたので先生に腋の下に出来ているイボを診てもらう。実は先日、水泳が終わりシャワーを浴び、何の気なしに鏡にバタフライのフォームを映した。両腕を振り上げた時、腋の下を見ると、なんやら小豆ぐらいのイボが左に3つも、そして右にも1つ赤くなってる。将に赤い果実が生ってるって感じ。やーらし!水着で、体操の時、何時もコーチにむかって、こいつを見せびらかしてたんだ! 格好悪ッ・・・ってんで、先日、先生に診てもらった。「老化現象ですね・・・」って簡単に言われる。「すぐとれますよ」と液体窒素をイボにあてる・・・。「いチチチ・・・」液体チッソで焼かれた。今は、そこが焦げたように黒くなって余計に目立っている。明日水泳教室なんだけど、どうしよう?・・・ストレッチ体操は遅れて行って、後は水にもぐっていればいいか、なんて考えてしまう。情けナ・・なんだか、次から次えと、ガタが来て、身体のあちこちを補修、修理しないとならない。長年の間、なんの手入れもせずに、ただひたすら酷使してきたんだもの仕方ないか・・・逆によく故障もせずに、これまでもっているよなー、って感じ。簡単な修繕で済んで、良かったと、感謝しょう・・・でも、明日休もうかなぁ・・・・
2008年02月05日
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昨日降り積もった、雪の景色が見たくて、朝10時過ぎに、カメラを持って家をでた。朝から雲ひとつ無い青空と真っ白な雪に、太陽の光がまぶしい、サングラスが欲しいほどに。何時ものウオーキング・コースを行く、雪は、すでに車が走ったところには無いが、田んぼや畑の田舎道には、まだ沢山残っている。ブーツでわざわざ雪の深い所を選んで歩く、ザクザクの音が愉しい。川の土手に着く頃には、汗ばむ程であった。ウインド・ブレーカーを脱ぎ腰に巻く、そして川、川沿いの道、川向こうの家や林、田んぼや畑の雪景色を何枚もカメラに収めて1時過ぎに帰る。そして早速パソコンで画像をチェック、ところが満足できる写真が一枚もない。77枚も撮ったのにだ!絵が面白くない。あんなに光り輝いていたのに、なんだア、こりゃアである。白色の難しさなんだろう?眼に見える白の世界は、光と影のコントラストがレンズを通すと微妙に違ってしまい・・・・いや単に未熟な技術のせいです・・・つまらない写真になってしまった。「白」とは入射光(白色光)を100%反射するモノの表面に見える色と定義される。SNOW WHITE の色名は1000年も昔から存在していた。はるか、太古の時代から、地に降り積もる雪は白いに決まっていたのだから・・・白に対する最上の美称として用いられてきたが、現実は、天候や空の色、時間、また凹凸や見る角度によってさまざまにみえるのである。そして、あまりセンスの良くない人間の目を通すと更に変化してしまうのである。
2008年02月04日
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またまた、色の話です。というのも、今朝のNHKHV「美の迷宮館」で「赤の魔力」というテーマの放映がありました。マチスの絵の赤色の意味やルノアールと梅原龍三郎の赤色を通じた関係の話など赤という色をめぐる話でした。血流をあげる赤、幸せを感じる赤、破滅の赤、補色にある緑色をじーいっと見つめた後、白壁を見ると赤く見える等実験を通し赤の魔力を解明してゆきます。実は、オイラは絵画教室に通う、油絵の初心者なのです。やっと2枚目を1ヶ月半もかかって描いています。赤い蘭の花の絵で、微妙に透明感のある花弁の色が出せず、又、バック(背景)の色も何度塗っても決まらずに格闘しております。先生はその格闘振りを楽しんでいるような素振りで、前回も「やっと40%出来たかな?」っておっしゃいました。色をパレットの上で混ぜ合わせても中々出来ないが、塗り重ねていると突然「オッと!」いうような色が現れたり、全くどうにもならない色に変わってしまったりで、今迄味わった事のない、描く楽しさと難しさを味わっています。又、それは、今朝のTVの、ルノアールの「赤の下地」の意味が解ったのです。そんなことで、絵筆を持つなんて、今までの人生の中で、全く考えてもいなかったオイラが、芸術家気取りでキャンバスの前にいる不思議を意識的に味わっているのです。そしてそれは、それから広がってゆく、今迄とは別の世界の色々な事柄に、手を染める過程に「色」が当たったのです。ちなみに「色の名前507」では赤系の色は57色あります。「臙脂」「茜色」「朱色」「緋色」「スカーレット」「くれない・紅」「レッド」「ワインレッド」など、違い分かります?
2008年02月03日
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今朝の朝日新聞「天声人語」欄に「黒の色」についての記事があった。一昨日ブログに書いた色の続きです。その記事は「水墨画の篠田桃紅さんの随筆集「墨いろ」の文章から、「黒」は真っ黒のの一歩手前、明るさのある黒で、沈静であって死ではない。あと一歩に無限の働きを残し、それはわが手のなすところではなく、天地自然、神、宇宙、とにかく人間のはかり知れない大きな手にゆだねる。そうゆう考え方が好もしいと、つづっている。科学の世界でも米国大学研究班が最近「世界で最も暗い物質」を発表、色は光が反射して生じる、だが、その物質は当たった光の99,955%を吸収してしまうそうで、一般的な黒い塗料だと5%から10%も反射する。新物質は0,045%これまでの3倍暗い、けど真っ黒ではない。どんな物質も、光を完全に吸収することはないのだという。「あと一歩」の深淵、墨の芸術にも、科学にも底がない・・・・黒の色について語っている。「色の名前507」が紹介する「黒」は「すみ・墨」「てつぐろ・鉄黒」「レイブン」「ランプブラック」「ぬればいろ・濡羽色」「アイヴォリーブラック」「しっこく・漆黒」「あんこくしょく・暗黒色」「くろ・黒」「ブラック」の10色。ちなみに「レイブン」の解説を記してみると「日本の烏(からす)はたいてい中型の烏で、英語ではクロウ(CROW)、もちろん色名としては黒のことで、1806年から使われている。ところがもっと古く1600年頃からレイブンという黒の色名が知られていて、こちらは大型の渡烏のことをいう。漢字で鴉(からす)と書くのがレイブンのことらしい。濡烏という日本語の色名でも紫みの黒のこととされているが、レイブンもクロウもヴァイオレットトーンのある黒のことだという。・・・・中略・・・あの小説家E・A・ポーの「大鴉(The Raven」という詩は有名。・・・・・どうです、面白いでしょう?
2008年02月02日
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中国製ギョーザによる薬物中毒事件は、怖い事件だ。おそらく国内外を問わず大問題になる。事件の詳細は、あらゆる報道機関を通じて、なされるであろうから、事の成り行きを静観するしかないし、じっくりと見守りたい。人の健康や命に直接関わることだから神経質になるのが当然である。中国だけでなく、これほど繊細な日本の国でも、大手の老舗食品会社の雪印・不二家・赤福・白い恋人・吉兆と・・・次々に問題を起こし国民の前に頭を下げた。いったい、どうゆうことなんだろう?オイラのいた会社では、食品関係ではないが、中国との関係は30数年前からあり、15年前には合弁会社も設立し今でも友好関係を続けている。そして、取引数字は年々下がり続けてはいるが、僅かではあるが会社設立以来黒字で配当を受けている。過去、数々の危機も経験してきたが、両国の話し合いで、乗り越えてきた。一番は、お互いが信頼しあうこと。次が無理をしない、させないこと。三番目が、それで自分達のお客様が満足し、そこで働く従業員が喜んで仕事をしてくれるか、を常に思い馳せることだった。以前バブル時代、大手量販店から大量発注(通常生産量の20倍以上)があった、でも要求納入価格が低くすぎ、自分達の設定最低品質基準を下回らないと製品化出来ないので(眼をつぶれば出来るが)断った。取引も止める勇気と決断が必要だった。その商品は他メーカー商社経由で量販店から大量に出回り、2年余りの商品寿命で顧客から見放され、売り場から姿を消してしまう結果となった。中国メーカーは生産設備も人員も拡大し対応したが、3年後には1枚の注文も無くなり、その殆どは大打撃を被った。そんな事を繰り返してはいないだろうか?
2008年02月01日
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