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「これって、いけてるんじゃないの?」 とかなんとかで、とりあえず観たのですが あたり! でした。
AMITE 友情 映画は、この アランの定義 を、あたかも映像化して見せてくれるかの展開で、正直驚きました。
それは自己に対する自由でしあわせな約束である。この約束によって、自然な行為が、あらかじめ年齢や情念や相剋や利害や偶然を越えて、揺るぎない同意となっている。そういうことはふつう、明言されていないけれども、そういう感じはよくわかる。 友情には絶対的な意味での信頼がある。 そこから、どんな策略もなしに自由に話し合うことが、自由に判断することができるのである。逆に、条件付きの友情など嬉しいわけがない。(P26)
「そういう娘さんもいたよな。」とうなづける 普通の女性たち といっていいのですが、それぞれの人間のこころの底にある、その人だからこその真摯さ、あるいは、やさしさのようなものを掬い取ろうとしている作品だと思いました。
「そうか、彼女は、結局、K察官になったのか!?」 とかなんとか、頓珍漢なこと考えたりしていましたが、ちなみに、 アラン の 「定義集」 によれば、 「真摯」 という言葉の定義はこんな感じでした。
SINCERITE 真摯 この定義を写していて気付いたのですみませんが、ちょっと、映画の話に戻りますね。映画の後半ですが、ありえない 祖父母殺し を疑われた ジヨン が警察につかまります。捜査員の尋問でも、収容された施設の取り調べでも、彼女は完全黙秘を貫き続けるのですが、面会に来た テヒ がこんなことをいいます。
人が 真摯 といえるのは、話し相手を疑わないで、ゆっくり自分の考えを説明する時間がある場合だけである。こうした友好的な状況以外では、もっとも 真摯な人間 は、誤ったことは なにも言わない こと。誤解されかねないことは なにも言わない こと、そして自分の考えていることはすべて、ほとんど 黙っていること 、またもちろん、確かな考えでないことは必ず 黙っていること を、規則とするだろう。 (P150)
「ジヨン、話さないとわからないよ。」 ことば で、 ジヨン ははじめて語りはじめたらしく(そのシーンはありません)解放されるのですが、帰る家も家族もすべて失った ジヨン の 真摯 が テヒ の 友情 とぶつかったシーンだったのですね。
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