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目次 作家 村上春樹 の翻訳に関する、まあ、彼自身が語っている著書は、 柴田元幸 と語り合っている本はもちろんのことですがたくさんあります。
まえがき
翻訳作品クロニクル一九八一 - 二〇一七
対談 村上春樹×柴田元幸
翻訳について語るとき僕たちが語ること〈前編〉
サヴォイでストンプ
オーティス・ファーガソン 村上春樹訳
翻訳について語るとき僕たちが語ること〈後編〉
寄稿 都甲幸治
教養主義の終わりとハルキムラカミ・ワンダーランド
村上春樹の翻訳
「僕としては正直な話、表現はあまりよくないかもしれないが、猫さんの首に鈴をかけるネズミくんのような心境だった。そして予想どおりというか、あるいは予想を超えてというか、最初のうちは厳しいことをいろいろ言われた。」 と振り返っていたりするのが、興味を引きますね。
作家としても真摯だ というふうに感じていて、翻訳作業において、 原作のハルキ化 、いってしまえば歪曲が起こっているというふうには考えたことがないので、まあ、なんともいえませんね。
彼(村上)の語る国家の論理との戦いは、翻訳する作品を選定するうえでも大きな役割を果たしている。なぜなら、その多くで戦争が扱われているからだ。国家は必要とあらば個人をたやすく殺し得る。その極限の形が戦争だ。オブライエン「本当の戦争の話をしよう」所収の「レイニー川」の青年は、ベトナム戦争は間違っているとわかっていながら兵役を拒否できない。フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」の主人公は第一次大戦帰りで、ときどき人を殺したことがありそうな目をする。「キャッチャー・イン・ザ・ライ」を書いたサリンジャーは第二次大戦で数々の激戦に参加した。そして彼らの作品と、国家や宗教教団について考える村上春樹は地続きだ。(P195~196)都甲幸治 そうか、そういう経路で考えるのか、と、まあ、そういう感じでしたが、 村上春樹 という作家の不幸は、 加藤典洋 亡き後、彼を正面から論じる批評家がいないことだとボクは思っていますが、ないものねだりなのでしょうかね(笑)。
追記
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