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昨日、家内と口論した(我が家の口論はいつも時間が長引く。えっ!どこも同じですか)とき、立ったり座ったりするもので腰の痛みが倍増した。 今日は、思い切って医者に行った。行く前、家内が「ヘルニアかも知れない」なんて脅かす。でも背中が伸びてしまうと痛みが消えるから、ヘルニアとは思っていない。 レントゲンを診て、「人間誰でも年をとると、こうなる」と言いながら、背骨に異常が無いことを保障してくれた。痛みの原因について説明を受けたが、大丈夫と言う言葉を聴いたらそれ以外のことは、すっかり聞き逃した。だから、医者の説明を受けるときは、一緒に聞いててもらいたいものだ。 歩行も昨日とは、打って変わり順調だ。この繰り返しで良くなるんだろうな。そう言えば、今朝床で麻痺の右手で、何の気なしに指折り数えてみた。今までは、中指と薬指が同時に曲がり、更に薬指と小指が同時に曲がる。つまり1から5まで指折り数えるのが、1,2、で3と数えたら全部の指が閉じていた。でも今朝は違った。ちゃんと1,2,3,4と5になった。更に小指から6,7,8,9そして10まで数えられた。 嬉しくて、何度もやり直した。 やはり、直るんだと確信した。 家内に見せたら、よくできたねと喜んでくれた。自分ではそんなに回復してるとは思わないが、他の人が見ると格段に回復してるそうだ。春先はヨチヨチ歩きだったそうだ。それなのに誰も付き添わずと皆がハラハラしながら見守ってたそうだ。今では、遅いが普通に歩いてると言ってくれます。 とっても嬉しい。 でも、自分としては必死に足を運んでて、疲れ具合は変わらないので、回復度を実感できていない。 でも、嬉しい言葉だ。「回復しているよ」この言葉が一番の励まし言葉だ。
2005.10.31
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今日のリハビリ歩行は、調子が悪かった。良い日と悪い日があるからあまり気にしてない。 家内とちょっとした事で喧嘩をした。胃が痛くなった。 一人でドライブをした。ドライブといっても30分程度だがもっと長く感じた。以前運転したときよりは、右手が軽かった。以前はハンドルを持っていられなくなり、肘掛に落ちた。今日は、しっかりと握れた。 足の操作も前よりはすばやくなった。ブレーキの加減がまだしっくりしてない。これも慣れれば大丈夫と思う。 ドライブしたら、多少気分が晴れた。 自分は、車の運転は嫌いだと思っていたがそうでもなさそうだ。 注意しながら練習しよう。ゴルフの練習に車で行こう。
2005.10.30
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近頃体に力が入らない。生きる気力がなくなってきた。 腰の痛みは、続いている。床から起きるとき、椅子から立ち上がるときに痛みが走る。立ち上がり腰を伸ばしてしまうと痛みが治まる。 腰の痛みもあるが、力が入らない。 このまま生きていて、良いことがあるのだろうか?明日の糧が心配だ。働きたくても、働く先が無い。先日の友人の話も経ち切れ状態。年金まで、まだ7年もある。借金もある。絶望的なことばかりだ。 体は回復してきたが、気持ちが落込む。家内との会話も聞いていないときがある。病気の後遺症の一つだろうか? これが、うつの兆候なんだろうか? 皆はどうして生きているのだろうか。 先日、我が家に牧師先生が来てくれた。お話を聞いているときは、力をもらえたような気がするが、現実に戻ると絶望的になる。 死んだ親父やお袋が微笑んでいる夢を見ることが多くなった。
2005.10.29
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昨日、今日とサポータを簡易サポータ(ベルト式)に変えた。これまでは足首全体を覆うサポータをしていた。やはりサポータの効用があった、これまでも簡易サポータは家の中だけしていたが、リハビリ散歩コースでは全体タイプをしていた。 どう違うかと言うと、 全体タイプは、足首をある程度固定するので、自然と指先が上を向く。更に、足が自然と前に出る。 このことから、足を持ち上げて、足首を固定し、前に突き出す必要があることが解かった。歩いて左と比べると、何も変わっていない。つまり、左足は足を上げ、足首が曲がらないように前に出している。 な~だ、と思うが、これが自然な歩き方である。でも自分としてはすごい労力を使っているんだが…。 歩き方は、近頃のITと同じで、日進月歩である。試行錯誤をしながら死んだ脳細胞の代打がパターンを覚えるのだろう。代打に借り出された脳細胞は、これまでこんなにシンドイことしてなかったのだと思う。もし、友の(脳細胞)死を予測していたら、生きているうちに引継ぎをしているだろうから。会社も同じで、新人が独り立ちできるまでは最低1年~3年かかる。それを思ったら、焦らずじっくり、育つのを待つしかないなあ~。 自分と同じのんびりやの代打ならもっと時間が掛かりそうだ。早くしないと人生の残り時間が無いんだけどなあ。 一昨日、リハビリ散歩していたら、鹿の親子連れに出くわした。左の藪(崖)から右の谷へ移動していた。右の谷側にはガードレールのような手摺が着いていた。 最初に、子供の鹿2頭が順番に手摺を潜り抜けていった。それを見て自分は拍手した。次に母親が挑戦した。小鹿たちは「お母さん頑張れ」とでも言ってるような鳴き声がした。自分もガンバレと声をかけたが、手摺の間に挟まった。人間もそうであるように、鹿のメスのお尻が大きかった。 必死にもがいた。でも、鉄の手摺はびくともしない。これは大変だ。小鹿たちは見えない所で、「お母さん大丈夫?」と叫ぶ。「もうだめかも…、ここに怖そうなおじさんがいるから」と言ったような気がした。 オスの鹿はと見たら、もうどこかに逃げたようだ。人間社会でもいるね。大事な人が大変なときに、ほっぽリ出して逃げるのが。 周りを見廻したら、運よく工事に使用する鉄パイプがあった。それを手摺の間に入れ、左手で(何で右手を使わないのかって、まだ上手く使えないから)思い切り押した。5センチ程広がった。 お母さん鹿に、もう一度がんばれと声をかけたら、再度もがいてたが5センチ広くなった所から大きなお尻がスルリと抜けた。\(^o^)/良かったね。 去っていくときのお母さん鹿の目が「ありがとう、怖そうなおじさん」と言っていたような気がした。小鹿達と会ったお母さん鹿が、2度叫んだ。 多分1度目は、「ありがとう、おじさん」で2度目は「さようなら、お父さん」(オス鹿)だろうと思った。 良いことしたなあ。でもあの時、もしこの鹿がこの手摺から抜け出せずに、死んだらどうしよう。鹿肉は旨いのだろうか、でも鹿は天然記念物だから…。といろいろ思ったことも事実です。 鹿の親子の惨事に直面して、人間模様の縮図を観たような気がした。困っている時こそ手を差し伸べる勇気が必要なんだ。と教えられた。神様が、鹿の惨事を通して教えてくださったと感謝しています。 今困っている自分だからこそ、そう感じたのだろうか。 イエスキリスト様どうか私にも哀れみを!。
2005.10.24
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昨日、ハンドパワーなるものを腰におくってもらった。一種の気功と思うが、試しにと思い受けてみた。約1時間程腰に当ててもらった。気分的に痛みが治まったような気がした。 いい感じで床に就いた。夜中にトイレに行こうとして起き上がろうとしたら、余計に痛かった。 やはり、効き目が少ないようだ。 ハンドパワーを使えるようになるには、相当の訓練が必要と思うが、昨日の人は、講習会に参加すれば誰でもできるようになるそうだ。(ホンマかいな) 足首の調子が良いから、私も車の運転しようと。でも手が肩より上に上げるのがしんどいので、ハンドルを廻すのが不安だ。でも慣れるしかないと思う。
2005.10.20
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昨日の朝、起きようとしたら、腰が痛くてどうにもならなかった。暫らくうつぶせになり、痛みが引いたころあいに少しづつ腰を上げて立とうとした。腰を伸ばそうと思い、背中を伸ばしたら、ズッキンの10乗ほどの痛みが走り、顔から脂汗が流れた。 暫らく、そのままの状態でいたら痛みが引いた。恐る恐る歩いてみたが大丈夫だった。 歩きすぎで、腰に負担がかかったと思う。今までは、左(健常)に体重がかかる歩き方だったが、近頃、ヒザ、足首と指の使い方を覚えてからは、自然な歩き方ができるようになった。 自然な歩き方をしてから、今までは疲れも痛みも感じなかった、右足、腿、腰が痛みや疲れを感じるようになった。 でも、自然な歩き方と言っても、ゆっくりゆっくりなので、時間がかかる。この、自然な動きをマスターしなければ、早く歩いても自然な形では歩けないと思う。 今日は、起きるとき多少の痛みがあったが、今は大丈夫だ。 この頃、人生とは何ぞや、とかこのまま生きていて意義が有るのだろうか、死とは、と考えることが多くなった。 人生のとばりが下りる頃、誰しも思うことらしい。 神様、私をお救いください。アーメン。
2005.10.19
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家内が、近くの教会へ説教を聴くに行った。自分は、久しぶりの良い天気なので歩いた。昼頃、家内が戻ってきて、教会で昼食をご馳走になる(初回はただ)ので行くと言う。自分も一緒について行った。 牧師先生は、アメリカ人で日本に来てもう、50年程だそうだが、日本語がまだ上手くない。 我々日本人が英語がへたなのは当たり前なのであり、彼らにすれば、意向が通ずることで許される。これは、お互い母国語でないことを理解しているからである。 上手に話そうではなく、意思が通じることが大事である。 教会での牧師先生の説教は聴きたいが、その後のことがあまり好きではないので、めったに行かない。それに、賛美歌を知らないので歌えないことも理由である。 数日以来、足の運びが非常に自然だ。左足と比べて、違いを見つけ直してみた。それが上手くできるようになってきた。坂や平坦地ではできるが、下り坂ではまだだ。これが、早く歩いてもできれば完璧になる。 生かされていることに感謝して、明日も頑張ろう!
2005.10.16
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いつもは、6:30に起きて7:30頃から3時間程かけて歩く。 これまで退院して以来休みなしに歩いたがついに今日休んだ。昨夜から、しんどくてしょうがなかったので、10:00前には眠った。朝6:30には起きて朝食をとったがどうにも体がだるい。家内の進めもあって、今朝は止めることにした。 自分では、この辛さは、ある種の壁と思った。この壁を越えたら足が回復するのではと考えた。 でも、歩きすぎのリハビリで脳梗塞を再発した人を思い出し、止めることにした。 リハビリのし過ぎは、過ぎたるは及ばざるが如しでありそうだ。 結局10:30頃まで眠ったら、直った。どうやら、疲れがたまってたようだ。 これからは、休み休み行こう。いそいでも急には直りはしない病気だから。 神様が、スローライフをくださったのだから感謝しよう。
2005.10.12
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倒れて以来、初めて家内と嵐山へ行ってきた。嵐山まで家からは、乗り継ぎが良ければ、1時間ほどの距離である。 いつもなら、自分の運転で行くのだが、今日は電車にした。 嵐山から渡月橋を渡り、竹林の嵯峨野を通り、落柿寺経由で念仏寺まで歩いた。今日は連休なのと昨日が雨だったせいか、人の出がすごかった。石畳や砂利道でただでさえ歩きにくいのに、大勢の人にぶつからないように避けて歩いた。 皆が、足の不自由な自分を避けて通ってくれるものとばっかり思って歩いてた。でも、皆が避けてくれず、何だこいつは、と言うような目で通る。 家内に確認したら、私の歩き方が普通に見えるからだと言われ、嬉しいような腹立たしいような気がした。歩くペースがゆっくりだと、比較的普通に歩ける。でも歩く時は、麻痺足を運ぶのに大変なエネルギーを使っていて、とても普通の歩き方をしていない。 今日の発見は、喜ぶべきか悲しむべきか複雑な思いだ。
2005.10.09
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ここ2~3日、痛いほどではないが頭痛がする。今日脳外科の定期診断があって、恐る恐る先生に相談した。 先生がおもむろに、脚気の診断に使用する先がゴムで三角したハンマーみたいなもので、腕や足の筋肉をコンコン叩いてから、心配ありません、筋肉が緊張し過ぎているので力を抜くように。 要するに、肩がこると頭痛がするのと同じとのこと。 そう言えば、東京に5Kgほどのカバンを担いで行ってからだ。 良かった。夕べは家内と再発の前触れかと心配した。 もしかしたら、知人の会社で雇ってくれそうだ。この年ではなかなか雇ってくれないからな。 障害者雇用でのメリットはなんだろうか?
2005.10.04
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今朝いつも通り、リハビリ歩行に出た際の1歩が、あれ!何か違うぞ。と思った。しばらくして、足が自然な動きをしているのに気がついた。いつもなら足の運びがどうのこうのと考えながら一歩一歩歩き出すのだが、今朝は別のことを考えていた。そのせいか自然な運びをしてたようだ。意識したとたんつまづいたが、それ以降も上手く歩ける。 このままでいたい。この歩き方を忘れたくないと思い歩いた、20Km以上歩いた。満足感があるので疲れが無い。 昨日今日とリハビリ歩行中に栗ひろいをした。取れたてなのですごく旨かった。こう言うと、どんな所に住んでるのだろうと思われるかもしれない。実際、自分も驚いている。イノシシは出るや鹿の親子には出会うのである。でもとても都会な街なんだけどな…。大阪にも京都にも15分で行く。信じられな~い。 東京に行った日に携帯を忘れたが誰からも連絡が無かった。次の日は打って変わって仕事の連絡が4件も入った。これが東京に行った日だったら全て失注したと思うとゾッとした。神様に感謝です。 4月に仕事の話があってから連絡が取れなくなり諦めていたのに、連絡があったり、来週後半に仕事の打ち合わせや、今回のセミナーを手伝った社長から仕事の話があったりした。仕事の話が無いときはどうあがいても、もがいても無いのに、4件も重なりそうでうれしい悲鳴である。 仕事が無くて、このままならあと2ヶ月程で首をくくらなければと思っていた矢先で、嬉しかった。 IP電話機の翻訳とマニュアルの作成がメインだ。これなんかは自分の得意な分野であるから嬉しい仕事である。 神様感謝です。
2005.10.01
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