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ペンギン館遠くから眺めているとペンギンの餌やりをやってました。いつも思うのですけど姿勢がいいですね。燕尾服のすそが真下に下がってます。 アクリルのトンネルに入ると居るはいるはペンギンの乱舞です。 こうやって見るとペンギンが動物ではなく鳥類だということが良く分かります。普通の鳥とは違って空気よりも抵抗(浮力)の大きな水の中を飛んでるんですね。トンネルといっても水面は屋外の池ですので彼らは躍動感に溢れてます。 このようにトンネルからは空も見えダイビングして海底から見てる趣向。 下の写真の情景が重い出せなくて苦労した。余りに上下対称的なので実像と鏡像と思ってましたが2匹なんです、良く見ると下ペンギンの白い腹が上のペンギンの上に写る筈はない。黄色い三角形が余りにも一致しているので一種のだまし絵である事にきずいた。 しかしまあこの暑さ(22℃)やはり昼寝は欠かせません。 人間の子供は元気、一寸休憩とベンチに腰掛けても羽蟻を捕まえて飛ばしたりいちいち見せに来る。 人影も少なくなった園中央のカスケードの飛び石を飛び回ってはしゃいでいる。一体この子達のエネルギーはどうやって出てくるのだろう。そういえばこの小さな体で私と変わらないかそれ以上に食べるのは確かだ。まあこんな姿を見るのも爺婆の疲れる楽しみなのだろう。爺婆から見るとペンギンの俊敏な泳ぎを見るの徒余り変わりが無い光景である。 この動物園は一日大人800円子供は無料、シーズン券(4・1-3・31)千円この日は3時に入園して一時間あまり比較的空いた園内で人気の館を見終えた。これは大正解であった。翌朝10時に入園したときはおびただしい団体客でごった返しており、前日我々が見た人気館は屋外にも長い列。この日我々は空いている他の館をゆっくりと見ることが出来た。今回の目的は旭山動物園だったので2日間に亘ってゆっくり見学出来たのは正解であった。
2010.07.31
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ホッキョクグマ肉食動物としては最大で北極圏の氷上で生活し主食はアザラシ。首が長くて重心が下半身にあり泳ぎに適した体型で全身保護色(誰からやっぱり人間か?)とも言うべき深い白毛に覆われている。熊類は丸い体型をしているがこれは表面積を小さくして放熱を抑える工夫である。サイコロの角を削って面積を小さくしていくと最後は球になる、同じ原理で丸い体型は放熱しにくい。余談だが人間も丸型の人は大体において熱が逃げず暑がりの人が多い。今日の展示舎はルルちゃん一人(?)で頑張っており、暑いのにプールにも入らないで 休み無く広い岩窟を行き来している。何か落ち着かない様子である。表情も何か悲しみに耐えている風に見えた。出口に近いホールの掲示を見てルルの気持ちが分かった。大お婆ちゃんのコユキが前日亡くなったのである。コユキは平均寿命25のホッキョクグマにあって今年34歳日本最高齢のお婆ちゃんで人間なら100歳に相当するそうである。最近までこの岩屋で子供の相手をしていたそうである。身ごもっているルルちゃんはこの姑のような同居人の死を悼み落ち着かなく、何をしていいのか分からずいらいらしていたのであろう。間断なく岩屋を隅から隅まで回り続けていた。 献花台が設けられていたが観客は皆出口で知り悲しんでいた。お花でも供えたかったがそのすべも無かった。前もって広報すると大勢の人が押しかけて混乱するのでこの言うな静かな弔い形式を取ったのだろう。あるいは別に「お別れの会」を催すのかも知れない。韓国の俳優よりコユキを愛していたファンも大勢いることだろう。 ルルも金網越しに献花台の周りをうろつきどうして良いか戸惑っている。 合掌 日差しは強烈で暑いと思っていたが外の気温は22,6度、信じられない。旭山動物園はアンテナの林立する旭山の山麓にある気温は低いが空を見上げると夏空そのもの。この東山一帯、かっては市民格好のハイキングコースだったらしい。うなずける。
2010.07.31
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アザラシ館大きな鳥籠を抜けて動物たちのいる館に移動。まず見たのはアザラシ館アザラシと言えば北海道では特に珍しいものではなく納沙布岬や礼文島スコトン岬などで見かけたが、ここでは展示法が独特である。上下2層の岩水槽の間を曲がった太いアクリル円筒で繋いでいてアザラシの習性なのか彼らはこのパイプを休み無く上下にすり抜けてゆく、客はそれをまさに至近距離で見られるのだ。 旭山動物園はこの特異な展示法で世界に名を知られている。中国・韓国からの団体客を満載したバスが次々と到着し、元気な彼らと関西のおばちゃんが目立つ場所である。日陰のベンチではどう考えても私の故郷の四国弁のおばさんが動物とは何の関係も無い話題で盛り上がっていた。 私たちの時間には二種2匹のアザラシがサービスにこれ努めてくれた。 外では別のグループの食事タイム、北海道のホッケをご馳走になっていた足をそろえて姿勢良く子供達への良い見本である。決してホッケを尻尾からは食べず必ず頭から飲み込むそうである。今でこそ全国どこでもあの美味しいホッケが食べられるが私が若いころは冷凍魚は余り無く仙台に住んで初めて食べた北方の魚である。鯵や鯖ではなくホッケと言うところがさすが北海道と思った。 食事が終わったらもちろん子供たちの所へ遊びにやってくる。本当にご飯の上にたっぷり焼きゴマを振りかけたみたいなアザラシ君である
2010.07.30
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旭川・旭山動物園例年我が家の夏の一大行事として息子たちの家族と打ち揃っての海水浴があるが今年は一番上の孫が受験で塾の夏期講習重視。そこで静岡に住む弟一家と早めの夏休みで旭山動物園を訪れることにした。我々は羽田から、彼ら親子4人は中部国際空港からとび、旭川空港で落ち合うことにした。旭川空港着陸直前にはパッチワークの丘で有名な美瑛の上を飛ぶ この時期余り色の変化が無くパットしないが道路や水路が谷間を通り両側の丘に畑が連なる非日本的光景が目に入る。 頭髪が写っている窓側隣席は少3の女の子の一人旅、空港にはお爺ちゃんが迎えに来ており、そこまで空港職員が引率してくれる隣席のお爺ちゃんはこの少女をリラックスさせようと「今下北半島を飛んでるんだよ、下北半島って知ってる」 「ウン、妖怪がすんでる恐山があるんでしょう」 「どうして知ってるの」 「漫画であるんだ」「そうなんだ、おじさん行ったことが有るけどそんなに怖くないよ」などと他愛も無い会話。出口で待ち受けている所へ無事孫達の到着。弟は照れ屋でどうしてもちゃんとした姿勢で写真が撮れない。 8人乗りの大型レンタカーを借りて早速動物園に直行した。正門入り口のモニュメントはホッキョクグマ、昔は白熊と言ったが英語のpolar bearは直訳すると極熊でこれもおかしい。南極にはいないのでこれもヨーロッパ人の一人合点だ。3時過ぎの園内は閑散とはいかないがそんなに込んでる風でもなかった。アップダウンがありきついが展示には好都合で無料の電気バンも動いている。バス停の右に黒い網が見えるがこの中は森の鳥類展示館で最初の お迎えはフラミンゴ、やんちゃ坊主は早速パパのカメラを借りてパチリ。ここには三種類のフラミンゴが居るとのこと、もちろん一本足で休憩中のフラミンゴもいる。 どこにでも居るカルガモもここまで小さいと可愛さだけで鴨南蛮蕎麦なんて想像できない。鳥かごを出てみると大きくて下から見ると真っ白な葉の見慣れない木の木影であった。表示を見るとギンドロ(銀泥)とあり、学名からも分かるようにポプラの一種らしい。白い葉の陰は葉摺れ音と共に実に涼しげである。 例によって話は飛ぶが、 日本でもっとも多く見られるポプラの木はハコヤナギで材から箱を製することからこの名があり、別名ヤマナラシ(山鳴らし)。ボルガ河を旅したとき岸辺に多く見かけ、ロシア人ガイドに聞くと「ヤマナラシ」と教えてくれたがポプラとは思わなかった。風が吹くと山を鳴らすのでこの名があるそうだ。ポプラに吹く風と言うと私にはサラサラの涼音だが群生するとゴウゴウという恐ろしい音に聞こえるらしい。帰国後調べるとヤマナラシは日本の普通のポプラの別名と判明した。ハコヤナギもギンドロも共にポプラの木で春先おびただしい量の白い綿毛付き種子を飛ばす。かって2ヶ月ほどドイツの「黒い森(schwarzwald)」 近郊に住んでいた時、森を乱舞する白い綿に悩まされたがアレルギー症の大きな原因ともなっている。 Wilipediaを見ると1976年朝鮮の南北緩衝地帯板門店でアメリカ軍が視界の邪魔になる一本のポプラの木を切ろうとしたら北朝鮮軍が攻撃を仕掛けてきた。あわや第二次朝鮮戦争寸前だったそうである。あなどれない一本のポプラの木。 余りの暑さに仮死状態を続けていたが孫との旅ともなると久しぶりのブログを書く気になれたのはやはりエネルギーを貰ったせいかも。
2010.07.29
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口蹄疫昨夜なぜか世の中が真っ白になる夢を見た。宮崎県で口蹄疫の最後の一頭が処分された。以前から累々とした遺体が消石灰で真っ白にされてゆくのを見続けてきたトラウマか。そこで口蹄疫について2,3考えたことを記録する。口と蹄の疫とは変な命名である。普通病名には臓器名が付くがここではあっさりと部位が示されている。そもそも1870年アメリカで初例があり、foot-and-mouth desease と命名されているのでその直訳に近い。それにしても蹄を持つ動物にしか感染しないと言うのだから変わっている。5本指の人間や犬猫は大丈夫らしい。症例が発見されると広い範囲で屠殺処分されるがなぜそこまでと思っていた。しかし保菌者(細菌ではないので変な表現だが)が免疫を獲得した場合健康体でもウイルスを排出し続けるらしいので仕方が無い面がある。単細胞生物である細菌のさらにその核に有る遺伝子をアンコにしたお饅頭のようなウイルスは小さすぎて濾し分けることが出来ない。実に厄介な代物である。鳥インフルエンザと同様にウイルスなので石鹸や洗剤には弱いらしい。また多くの除菌剤は有効のようである。これは多分多くの除菌剤が細菌の核をやっつける性質を持つので細胞核に近いウイルスにも有効なのだろう。消毒薬を調べると 炭酸ソーダや苛性ソーダ・苛性カリの薄い溶液が有効とのこと。要するにアルカリ性の水で良いみたいだが、化学の知識に乏しい素人には難しい。そこで世界的に多用されるのがイギリスのアンテック社が製造し、バイエル社が販売している”アンテック・ビルコンーS” と言う消毒剤である。インターネットを見るとBayer社が売っているこの薬を巡って、韓国が買い占めたとか中国が持って行ったとか、はたまた日本の備蓄分を横流ししたとか実に色んな憶測、捏造に近い情報や非難が飛び交っている。このビルコンSは以前からペットや家畜の飼育者にとって馴染みの消毒薬らしい。本来国際的買占め競争になったりするような代物ではない。そこでどんなものか調べてみたら、なぞが深まった。ブログに出てくる記事では皆”次亜塩素酸”系の殺虫剤としている。プールの殺菌や衣類の漂白剤として広く使われているものである。そんな臭いものが広く使われるはずが無い。バイエル社の畜産部門のホームページを見ても支離滅裂だ。 見出し部分には次亜塩素酸系殺菌剤とある所が成分表にはそんな成分は一切記載されておらず、peroxosulfuric acid pottassium hydrogen と記されている。多くのブログを見てみると無臭なのでペット愛育家にとって便利だとの記載あり。それなら次亜塩素酸ではありえない。塩素漂白剤の悪臭なら誰でも気が付くはずである。大体次亜塩素酸は分子式が HClO であり もう一方は KHSO5 である。いくらなんでも販売元がこんな嘘をつくなんて考えられない。でも現実にはこうなっている。もう一つ感じたことはカタログでは成分表が記されていてもそんなものを見る人は少なくキャッチフレーズだけで物事を見ている人が多いことに気づいた。そういえば最近買ったエヤコンでも取扱説明書は難解で店で貰ったカタログのほうがはるかに分かりやすかった。 さて最初に戻って家畜の遺体やそこらじゅうに撒かれていたのは消石灰である。昔は農耕時に土地の酸性化を防ぐために畑にまかれたが最近では漆喰壁にしか使われていないと思っていたがどっこいウイルスの消毒薬として用いられていたのには驚いた。真っ白になるくらい多量に撒かないと効果が無いそうである。苛性ソーダ溶液同様環境をアルカリ性にするだけで人間には害が無いので便利かも知れないが。空気中の二酸化炭素を吸ってすぐ失効し、大理石と同じ成分の石灰石になるのが難点である。 それにしてもここの所の暑さは何なんだろう。今休憩をしたついでに室外日陰の寒暖計を見て思わず写真を撮ってしまった。公式発表で昨日は東京練馬37.6度、さて今日の練馬の温度は図で示そう。 今日も室内で静かに過ごすことにしよう。
2010.07.21
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参議院選結果分析7月13日の新聞に今回の選挙確定票数の統計が出ていた。以下独断と偏見に基づく解析と評論を記しておく。 今回改選議席数: 選挙区 73 比例区 48 選挙区 比例区 民主党 28 16 自民党 39 12 公明党 3 6 みんなの党 3 7 共産党 0 3 社民 0 2 国民新党 0 0 改革 0 1 たちあがれ 0 1 幸福 0 0 無所属 0 0 * 今回の選挙で民主/自民=51/44であり民主の惨敗と言うには 当たらない。かといって惜敗でもない、完敗であろう。しかし、 比例区では12/16で勝ってさえいる。 要は一人区で民主党/自民は8/21でこれは惨敗である。 * 公明党、共産党は組織選挙で戦う党である。したがって 比例区で稼ぐわけだが、組織を持たないみんなの党が比例区で 検討しているのが目立つ。浮動票を党首がかき集めてきた次第。 比例区得票率(%) 得票率/当選者(2.08)民主党 31.56 1.97 自民党 24.04 2.00 公 明党 13.07 2.18みんなの党 13.59 1.94共産党 6.10 2.03 社民党 3.84 1.92国民新党 1.71 --改 革 2.01 2.01たちあがれ 2.11 2.11幸福 0.39 --創進 0.84 -- 女性 0.71 -- * 得票率から言えば大差で民主が自民に勝っている。首相 直接選挙であれば菅さんの圧勝。 今回の選挙では1.9%を獲得 した党が比例区で一名獲得。 国民新党は一寸力不足と言うより 党首のイメージで0.5% くらいは差が出たのだろう。亀井さんは 悪役を演じているが 同じ資質なら正義役・悪役でこのくらいの 差は出るだろう。 * 比例区での票獲得法には公明党や共産党のように組織の 積み上げで票を積み上げてゆく方式と、党首や有名人の名前で 票をかき集める方式がある。集票マシンとしてテレビタレントや スポーツ選手を使うのは珍しくない。一方以前に小泉さんが 票を集めて自民候補に配ったが同じパターンが今回の渡辺さん で、かれのカリスマ性で浮動票をごっそり集め、実績も知名度も ない候補者にどっと票を配った。この間出来て実績も実力も未知の 政党があのヘヤスタイルで大いに稼いだことになる。子分どもは 頭が上がらず、ワンマン政党にならざるを得ないだろう。今後の 党運営に注目したい。 比例区当選最高・最低当選者(落選者)得票数 民主党 有田 373,839 西村 100,932 自民党 片山 299,036 赤石 108,258 公明党 秋野 836,120 荒木 457,700みんなの党 柴田 87,863 桜内 37,191 共産党 市田 83,806 大門 43,897 社民 福島 381,554 吉田 130,746 改革 荒井 65,250(1名当選) たちあがれ 片山 117,636(1名当選)国民新党 長谷川 40,6587(落選) 幸福 中松 38,242(落選)創進 中田 122,978(落選)女性 福井 19,690 (落選) *12万表余りを得ている創造進党・中田氏の落選は気の毒だが 44万票の秋野氏が落選(次項参照)しているので慰めにはなる。 3.7万票の桜内氏の当選は完全に党首におんぶに抱っこの形。 同じ低得票当選でも大門氏は組織の成果。二人は対照的である。 選挙区最高得票 選挙区最低当選得票 蓮舫(東京・民主)1,710,734 広田(高知・民主) 137,306 * なんと両者の得票数は12.5倍も差がある。ホテルで言えば 蓮舫さんはスイートルーム、広田さんは納戸部屋くらいの差 だろうが、議員席仕様も同じ、一票の重さも同じ。 あいうえお順の気がするが席次はどうやって決まるのだろう、 得票順に並べたら予備校の成績発表みたいになるか。 比例区次点落選者、次々点落選者得票数 * 国民新党 長谷川 憲正 406,587 江本孟紀 43,233 創進党 中田 宏 122,978 斉藤弘 35,157 公明 荒木清寛 457,700 浮島智子 445,068 鰐淵洋子 28,850 *国民新党は江本氏を応援団にして党の得票をかさ上げし、 郵政の長谷川氏を国会に送ろうとしたが、応援団はフレッシュな 顔で無いとマンネリはだめみたいである。今回は元野球選手が 多すぎた。結局比例区では全滅。スポーツ界からは柔ちゃん 一人が奮闘した。創進党も同じパターンである。 * 公明党は候補者17名中6名当選、問題はその得票パターン 荒木45.7万当選、浮島44.5万落選には大差なし、次の鰐淵 はいきなり16分の1の2.8万。組織としては浮島までの当選を 期したが一寸目標を外れた。それにしても17名中3万票以下が 10名そのうち7名は1万にも達しない。組織としては最初から 空砲だったのだろう。さらにそのうちの一人は全国から684票で 今回の選挙でのぶっちぎり最低得票者である。泡沫候補ではない れっきとした実績も存在感もある党の公認候補者なのである。 もっとはっきり言うと同じ教区の人達も投票しない候補者を公認 したことになる。執行部の責任は問われないのだろうか。 選挙の意味として当選者数ばかりでなく、落選者の分析からも 色々なことが分かり、少しだけ世の中の理解が進む気がする。
2010.07.13
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参議院選挙に際して思うこと日曜日の深夜の出来事のうちスペインの優勝はオーバーハウセン水族館のPaulo君が前もって知らせてくれていたので見る気もしなかった、Web Newsでその通になって納得するだけでしたが、民主の惨敗は予想外だった。一人区で自民と同数と踏んでいた。菅さんだけの責任と言うよりは鳩山・小沢・菅の共同責任だろう。万一小沢が菅に責任を迫るようであればそれは ”かん” 違いと言うものだろう。 前財務大臣として消費税に触れないでいて、選挙後すぐに検討を始めるのはまた公約無視となじられるのを懸念してのことだろうが責任者とはつらいものだ。マニフェストに書いてないものに手をつけるとやはり公約無視になるのだろう。私は菅さんの応援団では無いが辛い立場は理解できる。 大体以前の民主党のマニフェストがおかしい、財源確保→優先政策の時間軸を含めた 一つ一つの政策順位を示さないで、いいことばかり羅列するから国民のとんだ誤解を招いてしまった。20年前に比べて税収が60→36兆円(聞き伝えなので間違っていたら御免なさい)と落ち込んでいる最中、1年や2年でマニフェストが全部実現できるはずが無いではないか。10年はかかると思っていたが、果たせるかな誤解されてしまった。マニフェストを作ったのは野党時代で、魚釣りで言えば撒き餌なのだが撒き餌はばら撒いたが本当の餌を買うお金が無かったので集まった大魚は騙されたと怒ったのである。魚(票)釣りの戦略としては余りにも幼稚ではないか。有能で真面目な民主党若手にかっての自民のあのしたたかさと戦略が欲しい。 今度の選挙前に自民党が消費税値上げを唱えたことは高く評価したい。もちろん私も納税者の一人として、そして年金生活者の一人として税の負担増はこたえる。ただ今のように赤ん坊も含めて国民一人当たり600万円、年予算をはるかに越える借金を抱えて国の財政が破綻したら年金が無くならないまでも半減は常識だろう。 また万一に備えて苦労して貯めた債券や株券が紙くずになることも考えられる。100円収入を確保するために10円の負担増はいたし方の無いことだろう。あえて10%増税を持ち出した自民党につられて言い出しにくかった増税検討を持ち出した菅さんの負けである。撒き餌で菅さんを引き寄せ本餌を与えないで銛を打ち込んだ手法は捕鯨法にも通じる。欧米の世論はこの漁法を非鯨(人)道的と非難するが、今回は自民戦略の圧勝である。 何人かの経済学者や政治家はどんどん国債を発行し、日銀券も増刷させてお金をだぶつかせれば景気は良くなり良い社会が出来ると唱える。日銀券は安く印刷できるし国債券もすぐ印刷できる、こんないい事は無い、なんか夢のような話をしてくれる。だが、一寸待って欲しい。これは現代人が勝手に借金(債務)を増やして行き、その支払いを次世代・次々世代に回すことである。とりもなおさず我々が子供や孫から彼らの収入や生活を搾取する構造である。我々世代が既得権を主張する余り子供や孫の将来を搾取していいものだろうか。”お爺ちゃん美味しいものが食べたくなったのであんたのツケで払っといて”と言われた薄給の孫はどう思うだろうか。 金時計をチタンに、マグロすしを鮭すしに、虎やをウイロウに、現代人が少しだけ傲慢さを捨てて謙虚な姿勢を取り戻すだけでこの難局を打開できると考えるのは楽観的過ぎるだろうか。 今日は柄にも無く日ごろ感じていたことを纏めてみた。選挙も時々は真面目に世の中を考え自分の考えをまとめる良い機会である。
2010.07.13
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男鹿への旅・最終日 観光し終えた男鹿半島には火山噴火の痕跡がいくつもあった。そしてかって半島根元には琵琶湖に次いで大きい八郎潟があり、その両岸のベルト地帯によって本土側とつながっていた。すなわち本来島であったものが本土側の川の堆積物や海の砂洲形成によって繋がったものとされている。その砂洲部分に堰を設けて潟全体を水田にし、新しい大潟村を作ったのだ。わが国の歴史上これほどの大型干拓が行われたことは無いだろう。さしずめオランダのようなものだ。有明海の干拓がこれに次ぐが、八郎潟はもともと海水が少し混じった汽水湖で浜名湖、宍道湖の類であり、有明海とは事情が違う。宍道湖も一時干拓の動きがあったが今はどうなったのだろうか。幸いにもコンクリートより人と言い出した民主党政権下ではストップされるだろう。 男鹿線の車窓からは大潟村の稲田が延々と続く。 海とは防潮堤で遮られており、堤の向こう側には調整池を挟んで大潟村が広がる。農地拡大のため入植した農家が減反に応じず混乱していたが現在はどうなっているのがろうか。 この日は由利本荘市に宿を取り、翌日天候が許せば前日男鹿半島から海に浮かんで、霞んでで見えた鳥海山に行くことにしていた。翌朝フリー切符の強みで特急稲穂号で一駅の象潟に向かいそこからタクシーで鉾立山荘まで登る予定であった。天気予報は雨、途中鳥海山の一部が垣間見えたが中腹以上にはまだかなりの雪が残っている。ただこの様子では山頂は雲の中何も見えるはずもあるまいと判断した。 象潟や雨に西施がねぶの花 芭蕉が訪れた象潟は松島のように海に浮かぶ無数の小島が有ったらしいが地震による地盤隆起で今はすっかり水田や畑になり、海岸部は市街化してしまっている。それでも車窓からは畑に浮かぶ小島が数知れず認められる。 象潟駅ではリュックザックを背負った数人が降りたが私たちは よぼよぼ老人である。フリー切符の有難さ、とっさの判断で鳥海山行きは諦め新潟まで乗り続けて、新潟で過ごしても良しすぐ帰京しても良しと考えた。 象潟を過ぎ反対側から見てもやはり鳥海山は雲の中、おそらく山は雨だろう。 新潟も雨、昨年秋にも訪ねているので駅で食事を済ませて早々に上越新幹線の人となった。それでも疲れた、こんな気楽な旅といえども何時まで続けられるか。
2010.07.11
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寒風山の景観 男鹿のたび最後の訪問地は寒風山、半島の陸地に立つ独立峰だけあって冬は風が強くその名が有るのだろう。平地から盛り上がった噴火丘である。規模は小さいが阿蘇の噴火丘に似て大木は無く草原の山である。これまた規模は小さいが信州の車山をも連想させる。355mの低山ながら周りを遮るものは無く遠くは白神の山々やまだ雪を残す鳥海山が望め、男鹿半島の全貌そして眼下にはかっての八郎潟を干拓した大潟村を一望に収めることが出来る。頂上の丸い建物は回転展望台でベンチに座るとゆっくり回転して全く障害物の無い360度の景観を楽しむことが出来る。 残念ながら回転いすはガラス張りである、写真には良い条件ではないがあえてここではガラス越しの画像を示すことにする。回転椅子とガラス窓の間は安全上かなり離れており、カメラを近づけることも出来ず、反射像があったりぼやけていたりするのはそのせいである。 遥かにぼやけた白神山地の手前は広大な大潟村で白い川の向こう側は以前の八郎潟。潟の外周が水路として残っており、 手前には干拓前からあった村落、そして水路の向こうには広大な面積にぽつんぽつんと孤立する入植農家があり、用水路が並木となっているのが伝統的日本の農家とは様子が違う。 水路の海側には調整池と呼ばれる大きな池がある、いかにも人工的な長方形の池である。どんなに無理しても湖とは呼べない。 そしてこれは帰路の汽車中からの映像であるが、調整池は下のような水門で海とは遮られ、水田用の淡水を確保しながら海水の流入を防いでさらに水田への水位を調節している。 さらに展望席が回転すると隣接するもう一つの噴火丘があり、そちらが本当の頂上かと思わせる立派な記念碑が立っている。 今登ってきた道は日本海やゴルフ場を従えて草原に見事な曲腺を描いている。 上の写真の左端に垣間見える小噴火口があるが隣り合って大噴火口跡が窪んでいる。 このように寒風山は小さな丘に過ぎないが眺望といい、なだらかな起伏のおわん型草原の柔らかさといいpeace & calm な実に私好みの観光スポットである。
2010.07.10
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入道岬・北緯40度モニュメント入道岬の草原大地を進むとあちこちに白花と紫花が目立つ、ハマボウフウとウツボグサである。 その開けた草原に一列に並んだ石のモニュメントがある。連想するのは かって訪れたことがあり、いつかブログにも記したフランス・カルナックの列石群である。 もちろん規模は全く違うし、置かれたシチュエーションも違う。鉄道の休日ダイヤとストに悩まされながら一日がけでルマン、レンヌを経てバンヌに宿り、翌日カルナックに行くべ、午前中一本のバスを捉まえるため明け方のバス停までタクシーを駆った。朝霧にかすむ無人のバス停には無常にも日曜日バスサービスは無しとある。石を見るべく一日かけてやっとここまでたどり着いたのである、この際仕方なく遠路タクシーを飛ばした。列石域内の農家では鶏が無き農夫が起き出したばかり。石の影にスーツケースを隠して1時間ばかり列石に沿って散歩した。帰りはオンボロ車中で野宿していたサルジニアの青年に頼んで駅まで送ってもらった。そんな思い出が詰まったカルナックの列石群である。 入道岬のそれはフランスのように荒々しいものではない。綺麗に直線状に並び、各石のかつ中央に揃って隙間が見られる、そしてそこには「北緯40度モニュメント」とある。北斗の石塔、日時計、列石は直線に配置されている。喜び勇んでこの40度線を覗き込む。 日時計の針の上にカメラを据えると列石の中央溝が重なり合いその中央線が見通せる。念のため説明板を写真にとっておいた。 ここまで北緯40度を強調され、素通しのモニュメントを見せられると 誰しもこの線が40度と思うではないか。ところがいまブログを綴るに 際して上の写真をよくよく見ると列石スリットは南北線である。 経度線は東西に亘るはずである。よく見ると4つ目の石柱の所に 40度ラインと記されている。 なんかだまされた気分になってしまった。東西ラインなら太陽との 関係で季節を占う手段にはなる、南北ラインでは一日の時間しか 読めない。ちょうど夏至が過ぎたばかりの昼時で、太陽は真上に有り、 多くを語ってはくれなかった、と言うより読み取る力が私に無かった。 ストーンヘンジの列石も環状石群から続く直線上列石と太陽の関係から 暦に関係すると言う説が有力である。 入道崎のモニュメントに見られる列石スリットに込められた意味を 説明して欲しかった。
2010.07.07
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八望台・入道崎車は海岸線を離れて小さな尾根を登った。ややあってドライバーは尾根の鞍部に車をとめた。下車してみると道路の両側の木の間から二つの丸い潟が眼下に見える。遠くに湾を望むのは一の目潟そして間近に小さな湾を従えるのは二の目潟、いずれも噴火口跡でそこに清らかな水が溜まったもの。これら潟の後方の湾はいずれも半円形で、これは明らかに海岸線での噴火口跡である。水中で噴火すると水蒸気爆発が起こり比較的小さな噴火でも破壊力は増幅されてしまう。水蒸気爆発で出来た北海道の内浦湾(噴火湾)や伊豆大島波浮の港の円形湾の形成については以前ブログで触れたことがある。さていよいよ男鹿半島の突端、入道崎に着いた。先月訪問した犬吠崎、北海道の宗谷岬などと同様ここも断崖の上部が平らな草地で、そこに大きな灯台が立つという共通点を持っている。嬉しい例えではないが2月に訪れた沖縄戦終焉の地、魔文仁の丘も同じような光景である。入道崎灯台は白黒模様の珍しいもの。灯台と言えば白一色か赤白模様が多い中これは特筆すべき灯台模様である。草原を岬に向かって進むと高い石碑が目に入り、そこからまた一連の石のオブジェが並んでいる。さらに近づいてみると大きな日時計がありそこから石碑に向かって”北斗の道”と言う短い石畳みが続いている。日時計のところに立つと石碑の上には北極星が輝くそうである。断崖の下にはさらに磯が伸びており、この日は静かであったがここは日本海の波が最初にこの地を打つところである。ここで釣ることに意義があるのだろう小岩の上には釣り人がいる。お弁当を持って一日中岩の上で過ごすそうである。天候の急変が気になるが、時間に関係なく海が荒れると釣り船が迎えに来てくれるそうだ。さらに小さな岩礁の上には何かモニュメントがある。これこそ測量上の真の岬突端なのだろう。
2010.07.06
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秋田・男鹿半島への旅 21万2千円切 符の人気だろうか、午前11時前に上野を出る座席が取れず、バスを乗り継いでその日のうちに 男鹿半島に行く行程が無理で秋田に一泊したため翌日は私達にしては早立ちだった (8:30)。バスの便は極度に悪く、それゆえか乗りあいタクシーの制度が発達している。確かに寒風山、入道岬と言った観光目玉スポットにはそれでも いいのだが男鹿半島に来たからには半島西部の磯や断崖の続く海岸線を巡って見たかった。年の せいでレンタカーを止めた今となっては時間制タクシーを利用するしか無く、前日予約しておい た。 男鹿駅を降りると空港でよく見かけるように私の名前を掲げて迎えてくれた。まず延々と浅瀬の磯が続く鵜の崎海岸が始まった。土曜日 であったが人影はちらほら,腰まで浸かって百メートル位沖まで出て貝など採っている。 次々と小さな村落を過ぎながら奇岩を望むたびに車を降りて写真を取る。 帆 立岩: 昔は前後にも岩があり、舟形岩とも言われたらしいが侵食で船首・船尾が削り取られ帆 だけが残った由。ゴジラ岩: 確かに両手を掲げ、口から海に向かって火を吹いている。道路わきに巨大な”なまはげ像”、そういえばここ男鹿はなまはげの本拠 地、島中部にはなまはげ伝承館もあり一年中なまはげが現れ、大人まで脅しているそうであ る。 海岸線後半は水辺を離れ断崖の上をゆく、確かにこのように出入りの激しい 埼の続く地形では上を通すしかなかったであろう。今なら簡単にトンネルを掘ってしまうのだ が。 断崖の上からズームで見ると澄んだ海には海藻が密生している。寒天の原料 の天草だそうで、そういえばこれを採集して道路で干している人を見かけた。 イカ釣り船と思われる小舟が舫っている。赤い小旗は何だろう。
2010.07.05
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秋田・男鹿半島への旅今年も梅雨真っ盛 り、この時期当然ながら旅行者は少ない。そこでJRは考えた、空気を運ぶより暇な爺婆を汽車 に乗せようと。¥12000でJR東日本全線3日間乗り放題、東日本以外でも函館までとか、富山など一部のJR 西日本もOK。新幹線や特急に一駅でも気軽に乗れ るので便利である。問題はこの時期3日間晴れを期待するのは至難。それでもリタイアしてから は毎年挑戦している。週間天気予報を見ながらの挑戦であるが今年の守備やいかに ?かくして6月25日秋田にやってきた、このフリーチケットで何度かこの地には来ている。秋田は秋田蘭画家としても有名な佐竹の殿様の居城久保田城があ り、その目前のホテルに投宿した。以前お城の中心部は見ているのでお堀端を歩いてみることに した。今は蓮が大きく育っているが時期が早いのか遅いのか花は咲いていない。4月生まれのお釈迦様は蓮の花を持っているのでもう終わったのだろうか、い やインドではいつも咲いているのだろう。それにしてもあの蜂の巣みたいな蓮の実が無い、など と戯言を言いながら堀を越えると、 屋根が特異な形をした建物が目についた。平野政吉美術館でこの日はもう閉 まったあとであったが、前回来秋した折ゆっくり見物したことがある。藤田嗣治が描いた”秋田 の行事”と題する、縦3.65m 横20.50mの大作絵画が2階の全フロアを占めている。 ただこれだけの大作を短い平野氏宅滞在期間に描き終えたと言うことで荒っぽく、藤田の作でなければ銭湯の絵のほうが見ごたえがあるくらいである。滞在費代わりに軽 い気持ちで書きなぐった物であろう。どうして藤田がこの絵を公開させたのか疑問が沸くが、公 開されたのが藤田の死(1968)の前年だったことと何か関連が有りそうな気がする。ただこの絵のために立派な美術館を久保田(秋田)城内に建てた平野氏と秋田県には敬服する。 秋田藩主の佐竹氏は歴代文芸に優れ、特に8代藩主佐竹曙山は画家としても高名で江戸末期にあっ て西洋の技法を取り入れた独特の日本画である”秋田蘭画”を完成させたことで知られている。 城内二の丸跡には佐竹家歴代の資料が収められた佐竹資料館があるが、夕食前のジョガーの駆け巡る頃でもあれば勿論閉館。ここも前回の訪問時じっくり見 学しているので悔いは無い。入り口上の佐竹家紋章が美しかった。”月丸五本骨扇紋” と言う のだそうだ。金地に銀のお月様、骨太の力強い扇は文武両道の佐竹家を象徴するのに相応しい気 がする。 お 城に登り辺りも明るさを失くしかけたので駅前に急ぎ、夕食を採ろうと考えて駅前のレストラン に急いだ。途中一軒の民家の生垣に小さな野バラが咲き乱れていた。 かつてはよく民家の垣根や野原に満ちていたこのような素朴な野バラを見るのは久しぶり。 バ ラの垣根の下には淡く上品なピンクのシモツケソウ(下野草)が咲き誇っておりここの住人をし のぶことが出来た
2010.07.04
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狭山湖・狭山不動尊 ユリ園を出て駐車場を突っ切るとすぐ狭山湖畔にでる。湖畔の雑木林を抜 けると東京都水道局の狭山湖貯水場 突堤に出る。湖畔の小公園に立派な石碑があり表 を見ると、石原慎太郎の銘入りで”五風十雨”とある。脇の解説版に五日に一度風が 吹き、十日にいちど雨が降り、気候順調天下穏やかを表す語だそうだ。さすが文学者知事、でも 時の知事が良いとこ取りするより尽力者の顕彰碑かここの”トトロの森”を傷つけた原住動物たちへの詫びの言葉が相応しい。 ここの雰囲気が好きで近所に来たときにはしばしば立ち寄っている。取水口 の塔もエキゾティックでルチェルンの湖を思いださせてくれる。この前寒い無人の突堤で一時間 ほど心を静めていると、鉛色の水面がはるか向こう岸の水面から銀色に変色し始め、その境界線がこちらに向かってきた。そして約一時間をかけてこちら岸に達した。無風状態から微風が起り、さざ波がゆっくりと押し寄せて来たのである。湖全体が同時にざわめくのではなく、このように前線が静 かに押し寄せて湖面を鉛/銀の2面に分割するのも珍しい光景だろう。(下の写真ではない) 長いダム突堤の向こう側は”トトロの森” である。宮崎駿男監督の映画の 舞台で武蔵野の風景を今に残す遺産としてNPOが買い進め、ととろの森保存林として知られ る。もっとも実際訪れてみると民家の周りに広がる武蔵野の雑木林に小道が整備されているだけである。まあ夜になるとアニメの主人公達が集まって相談事でもしているのであろう。 狭山湖から西武球場に戻るのに実は狭山不動尊を抜けるのが近道である。裏門には立派な石灯籠が並び、増上寺と共に贈り主大名の名が刻まれている。そしてその奥に桜井門が。この門は幕末尊皇攘夷派の過激派”天誅組”が本陣として使った奈良十津川 村の桜井寺の山門をここに移築したもの。十津川村と言えば有名な紀ノ川上流の瀞(どろ)八丁 やここから集団移住して新しく出来た北海道の”新十津川村”を訪れたことがある。西村京太郎(?)の十津川警部との相関は知らない。 門をくぐると左側に大群の青銅製灯篭がずらりとそしてびっしりと立ってい る。これまた増上寺と共に大名家の銘が見える。徳川家の廟所に大名家が競って寄進したもので ある。 全ての灯篭には黄門さんと同じ三ツ葉葵門が付いている。 境内に入ると”丁子門”という掲示、 説明文を読むと徳川秀忠公夫人で淀君の妹”お江の方”の廟所門で国の重要 文化財である。 この寺には他にも勅額門、御成門など徳川家廟所のより大きくて立派な門や 日本各地の史跡建造物が集められており、寺社庭園建築の野外資料館の感がある。種明かしをすると、1950-1980年頃、堤康二郎率いる西武鉄道は飛 ぶ鳥を落とす勢いであった。徳川家の廟所を抱え、戦災を蒙った増上寺は経済的に困窮し、廟所 の復元維持の力は無かった。そこで堤が手を差し伸べ(?)境内の一部を買い取り、芝プリンスホテルの開業となる。多分東京タワーの場所もそうだろう。主として将軍 秀忠とその夫人の廟所は移転。墓は建長寺など由緒ある寺に移されたが、建造物はユネスコ村 のある狭山の地に移した。そこまでは考えやすい。西武はさらにその地に天台宗 ”狭山山 不動寺”を建立、寺の開基はXX上人などではなく西武不動産と言うのが冗句みたいである。”不動産”が建てた”不動山”とは出来すぎた感じがす る。それはともかく多宝塔など各地の由緒ある建築がここに集められまた明治維新の偉人たちの好んだ建造物なども移築されている。今回は抜 け道として裏側を通らせていただいただけなので詳細は記さないが何年か前にここの訪問記をブ ログした記憶がある。
2010.07.03
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クレマチス西武ユリ園は武蔵丘陵の傾斜地を 切り開いて作られているがそれぞれの区画周辺には大きく雑木林が残されていて、その全ての木の幹にはクレマチス が絡まっている。実を言うと私はユリよりもこのクレマチスを楽しみにしていた。ユリが白、黄色 オレンジ色、赤、緋色と、虹で言 えば外側系統の色が中心に対してクレマチスは白を共通として青、藍色、紫と虹の内側系統の色が多く、ユリの ような黄色を基調としたものは見ない。したがってここではユリとクレマチスを両方見ることで虹色は全て見られることになる。ただ残念だったことにユリも早すぎたがクレマチスにはもっと早すぎたようで華麗なる競演とは程遠かった。 根元に ユリを配しているがまだまだのクレマチスの蔓。 下はユリのような花形、赤系統とクレマチスでは異端的存在のエトワールローズ(? 多分間違いない) 下はアレクサンドラライト 早咲きと見えてここでは最もよく見かける紫花であった。アラベラ、ランタナの可能性もあり。下は花弁のトンガリが気になるが色 調花弁の数からイワンオルソンとしておく、ユリとの対比はいい。 余り見かけないが下のようなクレマ チスも有った。多重弁花である花名はWebでも調べたが決め手が無かった。 兎に角、時期尚早であったが下 の写真のように大木の上部まで巻きついたものが咲けば見事であろう。 白花も幾つかあるが地面にま で伸びていたりするところを見ると早咲きのアーリーセンセーションだろう。 クレマチスは花弁の数も四-多 重とバラエティーに富み比較的同定しやすいが、いかんせん時期早尚で花の数が少なかったのは残念である。
2010.07.02
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西武ユリ園 2ここには約45種の透かしユリが有るらしい。” 透かしユリ” とは花びらと花びらの間に隙間があって、そこから背景が見えることからの命名で芳香は無いそうである。いくつ かの同定できたものを下に記録する。あかばなはネロ、きばなはモナ またはセベコダジール 昆植のカクテル調が良いがこの 花数では寂しい。 ポリアナ あかばな ネロ、しろばな クーリア、 おれんじ プラトー、 ピンクカブレット ネロモナ ミュージック フォンギオ ラコルノ こ のユリ園にはこれらの透かしユリのほかに芳香性のハイブリッド種と言う花弁にも色が混じったり模様が入ったりで大型でユリも多く有 るらしいが、これらは遅咲きの様でまだ開花していない。ユリは葉の形大きさもほとんど同じで花弁も全て六葉、花の色も違いが 微妙で識別し難い。したがって上の同定結果も間違いがあると思われるが、あえて自分用のメモのつもりで記録した。パンフレッ トに花名は列挙されているがカタカナ表示しかないのでどこの言葉かも分からずイメージも湧いてこない。 鉄道会社の宣伝に乗 せられて時期的に早すぎたようで未開花の種も多く、いささか後悔している。 ”・・・・・、歩く姿はユリの花” のような美 人を見つけようとしたが、残念ながら立っても、座っても、歩いても 程遠い昔美人にしか会わなかった。
2010.07.01
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