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聖橋の光景前ブログで記したように御茶ノ水駅には1955年以来数 え切れないくらい足跡を残しているがビル群を除けばその光景は変わっていない。 昔から私の好きな景色に下の見事な Nagashimaさんのイラストの光景がある。 総 武線と中央線の電車がいるプラットホーム、神田川に架かる聖橋。学生時代この河はどぶ川に近かったが今は浄化されてホームか ら水面を見下ろすと見事に対岸を映しだす。 電車のホームは聖橋の下を越えて続くが橋の袂の階段を登ると御茶ノ水駅聖橋口。JR 駅はどこも駅ビルに納まってしまったがここは今も昔の風情 で接してくれる。 橋の両端にニコライ堂と湯島聖堂があるのでこの名が有る。 出口を出るとそこはも う聖橋。そこから上流を見ると中央線と神田川をまたぐ御茶ノ水橋、川の上部の空中にに小さなクレーンが見えるがこれは後楽園遊園地の乗り物、すぐ左のビルは東京ドームホテル。神田川の左側一体は神田駿河台で少し左に「白雲なびく駿河台、眉秀でたる若人 の・・・・」の明治大学。写真中央の高いビルの辺りにはアテネフランセ、文化学院と言った自由の象徴のような学校があり、 かってはベレー帽を被り画板を抱えた若人が行き来した、パリ・カルチェラタンのようなところだった。 橋から下流を見る と目に付くのが旧式な鉄骨アーチの万世橋私が学生時代にはこの橋が高く聳えて見えたものだが今はビルの谷間で神田川の空間が 無ければ見えない存在だ。手前の線路は東京で銀座線に次いで2番目に古い地下鉄丸の内線で次の駅は東大のある本郷三丁目。今の地下鉄は深度が深いが初期の地下鉄はこんな浅い所を走っていた。 南 こうせつさんの歌「神田川」の光景はずっと上流の早稲田界隈で、神田川の光景も御茶ノ水まで下ってくるとがらりと変わってい る。 橋から対岸を見る と医科歯科大学の建物が聳、上部の壁画彫刻が目に付く、調べてみると三つの絵で中央はバチカン美術館にある有名なラファエロ・アテネの学童。プラトンやアリストテレスが描かれているこの大作は大好きで、それを見に2回目に訪れた時には修復中でその部屋だけ閉鎖されていたことを思い出す。左部は医聖・医学の父と謳われるギリシャの哲学者ヒポクラテスとその医学 書、右部は1848年にマサチュセッツ総合病院で行われた最初の全身麻酔の公開手術を描いた有名な絵画だそうだ。 振り返ると真正面 にニコライ堂のドーム屋根が美しい。 アップで見るとさ らに美しく見えるビザンチン様式の青屋根である。 帰 りに地下鉄新宿駅で乗り換えたが通路に下のような万華鏡と見紛うディスプレイを目にした。ここの地上は日本で一番高層ビルが 林立している場所である。このオブジェ模様はビル群にも見えたが何の宣伝なのだろう。しばし見とれたことである
2010.05.31
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キリスト正教会 一応仏教徒 の私、でも余り仏教のこと知らない。当然のことながらキリスト教のことは殆ど知らない。前ブログでニコライ堂のことを記したが、正式名は東京復活大聖堂で日本正教会の府主教座教会でイイスト・ハリストス(イエス・キリストのギリシャ 語読み)の復活を記憶する教会とある。 以下ニコライ堂で頂いたパンフレットにある記述や2,3の調査を元 にいくつか記してみる。誤解があるかもしれない点を断っておく。カトリック系かプロテスタント系かとよく聞かれるが、正教会(Orthodox Church)は初期からの正統キリスト教でそこから11世紀にローマンカトリックが分かれ、さらに後者から16世紀にプ ロテスタント諸派が分裂したのだそうだ。つまり「うちがキリスト教の本家ですよ」と言う自負がこの正教会に込められているわ けだ。 ただこれも主体をどこに置くかでニュアンスは変わるのではないだろうか。つまり初期キリスト教が西ローマ帝国で発展した西方教会のローマン カソリック (後にさらにプロテスタントが離)と東ローマ帝国で発展した東方教会のギリシャ正教会に分裂して出来たわけで、土産饅頭店の”元祖”と”本家”に 類したものかも知れない。したがって正教は宗派としては(ギリシャ)正教であって、ロシア正教は宗派名ではなく教区の組織名 であるようだ。日本の主教座区はギリシャ正教でもロシア正教でもなく「日本正教会」であり、ニコライ堂はギリシャ、ロシアを 経て日本に伝えられた正教の「日本ハリストス正教会」 である。日本ハリスト正教会はロシア正教の司祭ニコライによってもたらされたので何かにつけロシア様式である。 ニコライ堂では2,3の違った形の十字架に出会う。一番良く目にしたのは下図左端の八端十字架でロシア正教に特有 とも言えるもので、我々が一番良く知っている右端のラテンクロスの上部に横棒、下部に斜め棒を加えた形。昨日のブログでニコ ライ堂の屋根やロシアの墓標の写真を掲げたがみなこの形の十字架を付けている。 単純に八つの端があるのでこの名が有る。 キリスト教で用いられる各種の十字架を解説した優れた WebPageをリンクしておく。 斜め棒はキリストが貼り付けにされた際の足台だそうで、私は以前から台がなければあのよ うな姿勢は取れないと思っていたので納得したしだい。さらにこの棒が斜めになっているのはキリストと共に処刑された二人の盗賊の末路 を示すそうだ。 キリストから見て右側の盗賊はハリストスを救世主として認めて天国へ登り、左側で貼り付けになった盗賊はハリ ストスを罵って地獄に落ちた。その行方を示すために足台が斜めに付けられている。これで私が長く疑問に思っていた斜め棒の意味 がやっと氷解した。正教では他に + 型のギリシャ十字架も多用されるが正教がギリシャ正教を発祥と考えると理解できる。 次に上左の斧かラッパを象徴するような十字架 はゲルマン民族系の十字軍が多用したもので、ニコライ堂でも認められたが理由は良く分からない。さらに上右のものはヨ ハネ騎士団が用いた十字架でさらに洗練された文様である。いずれも斧や矢にも見え、戦うキリスト教徒の象徴としては相応しい のかもしれない。 上の写真は何年か前に マルタ島に旅した時に求めたお土産ベルであるが、ヨハネ騎士団がキプロスを追われ、ロー ドス島を追われ最後に鷹1匹の地代でシチリア王から借りたマルタ島で奮戦しマルタ騎士団としてキリスト教世界をイスラム世界から 守りきった西洋にとって記念すべき紋章である。マルタ島では土産物のマークに、ブローチやジュエリーのデザインにと多用 されている。 立教大学校章 白百合学園校章 立 教大学の紋章として十字架にユリを組み合わせたものが有るが、ユリの花そのものもキリスト教関係で多用される。多くのキリス トミッション系女学校で校章に採用されている。白百合は清純、無垢、処女性のシンボルとしてマリア様の象徴として用いられて いるためだろう。 やや脱線してしまったが十字架も調べると結構面白い。
2010.05.30
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御茶の水・ニコライ堂昨日午前の鍼治療の後4時から御茶ノ水で所用があった。帰宅 してもまたほどなく出かけることになるので御茶ノ水駅周辺で時間を過ごすことにした。JR御茶ノ水駅の聖橋口 を出るとそこはもう聖橋の袂である。御茶ノ水へは所要でもう2,3百回は来ていると思うがこの出口から降りたことは数回に過 ぎない。ここから100mくらい先のニコライ堂もいつもやり過ごしていたのでここで時間を使うことにした。東京は坂の街とも 言われるが、紅梅坂と言名前の坂道に接してニコライ堂がある。ニコライ堂はニコ ライ司祭の努力によって主としてロシア正教の信者の寄進によって建てられた。ニコライは最初函館のロシア領事館付の修道司祭 として1861に来日。上記募金などのためのロシアへの帰国を除いて1912年に没するまで日露戦争中でも日本に滞在し続 け、谷中墓地に埋葬された。1970年整地のため掘り起こされた不朽の遺体は現在、谷中墓地、東京ニコライ堂、函館ハリスト ス正教会に分祀されている。太平洋戦争後敷地を一部売却せざるをえず広さに欠けるため広角レンズ無しのコンパクトカメラでは 全体像を収めることが出来なかった。 ロシアの建築家シチュールポフの原案、イギリス人建築家コンドルの実施設計によるこの 建築はロシア正教の教会に似ている。 下の写真は先年モスクワ・サンクトペテルブルク間をクルーズした時多く目にしたものの一つであるが、俗に言うビザンチン様式であろう。 300円の志納金 を納めると由来書とキャンドルを頂けたので灯明台にかざすことが出来た。堂内は撮影禁止なので示せないがキリスト(ロシア語 でハリストス)正教(オーソドックス)なので勿論イエス・キリストやマリア様の像は無く、イコンの祭壇である。イコンもロシア の教会でよく見かけたように天井まで届くような一面イコンの祭壇ではなく、いわば日本の屏風を広げたようなものである。 本館内は撮影禁止で あるがロシア正教特有でクレムリンの建物でもおなじみの玉ねぎ屋根の脇礼拝堂は外に面しているので祭壇の写真を載せておく。 ここには聖母マ リアとイエスキリストのイコンと共に二種類の十字架が描かれていた。中央のは下部が欠けているがニコライ堂では一番多く見ら れるもので、八端十字(ハッタンジュウジ)と言い、屋根の上にはこの十字架が掲げられている。 前述したロシアの クルーズで訪れたキジー島の墓地で見た墓標の十字架もこの形で別名ロシアンクロスとも称されるそうである。墓標にはこの十字 架に屋根が加えられていた。 その意味についての調査結果は別稿で披 露することにする。
2010.05.29
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ツバル、モルディブ、そしてセーシェルここのところ余り外出していないのでブログねたが無い。そこで人の褌(失礼)で相撲を取る失態をあえて犯すことにする。私のお気に入りブログでピンク・ラフラ ンスさんがモルディブの美しい 海上・海中景色を見せてくれている。モルディブと言えばインド洋に浮かぶ絵に描いた ようなサンゴ礁の島々である。この島の名を聞くと私はすぐにツバルとセーシェルを連想する。まずツバルである がこの島は予想に反して南太平洋に浮かぶオセアニア圏に属する国でバチカンに次いで人口の少ない立憲君主国。セーシェ ルに次ぐ低地国で、最高でも標高4.5m、3m以上の土地は殆ど無く、海面が1m上昇するとほぼ全滅する。つまりツ バルは人口においても陸地の高さにおいても世界で下から二番目の国である。 次はモルディブ、ここは一転インドの南方インド洋に浮かぶ島々。ここも標高2.4mで海面が1m上昇すると国土の80%が水没 するため今観光で稼ぎ、外国(インド、スリランカ、オーストラリなど)から土地を買って移住する計画があるそうだ。まさにモルディブ版 「日本沈没」である。本ブログの主題はセーシェルである。先日NHK-BS再放送で世界のエコツアー”命あふ れる島々セーシェル”と言う番組を見た。海亀と共に渡り鳥の渡来・繁殖地として有名で、ここでは鳥たちも人間を恐れず、ガイ ドの指導の下、雛に触っても良いと言うことであった。さてセーシェルは日本人には殆ど馴染みのない島国で、 1976年イギリスから独立している。1977年から2004年に引退するまでルネ大統領が社会主義の独裁体制を牽いてき た。現在もまだ社会主義体制の国のようである。ただ産業としては観光が主で他にはココナッツ製品くらい。 上の国旗を見るとヨー ロッパの国々が使っている国旗の色を全部張り合わせた様な単純なもの。Webで写真を見ると森が有ったり、大きな岩があった りで標高の低い島には見えないが標高が一番低い国と言うことは無数の低地島からなるこの国ではごく一部の盛り上がった島だけ が観光開発されているのであろう。 私がなぜこのSeychalles諸島を 思い浮かべるかと言うと1985年に筑波で科学万国博覧会行われた際、知り合いの人が世界で始めて音楽演奏ロボット作りに関 与し、そのロボットが開会式でN饗と協演してG線上のアリアを弾いた。その夏招待券を入手した私は常磐線を乗り継いで出かけた。どのパビリ オンも炎天下に長蛇の列。冷房の無い夏の満員電車に押し込まれていた時代で日本が限りなく発展していると錯覚していた時代、 皆エネルギッシュであった。ちょうど今の中国みたい。私はそんなエネルギーを持ち合わせず、空いている所を探すと有りました。10へーべ位のテント掛 けのようなバラック建築に魚網を垂らし、海亀の甲羅と大小の美しい貝殻や水中眼鏡(ゴーグルをそう呼んでいた)を並べて綺麗 なサンゴ礁の海中写真が展示して有った。客は一人もいなかったがゴムぞうり(これも今はなんと言うのか)の係りの青年が暇そ うにしていた。私は「土産屋かパビリオンか」と訪ねると、初めて聞く ”Seychelles,セーシェルと言う国のパビリ オンだ” との答え。綺麗な貝殻や珊瑚石を手に取りながら彼はその国の歴史、地理、などについて熱心に語ってくれて、私は2 時間くらい彼と楽しい時間を過ごした。その間数人の冷やかし客は来たが皆我々と顔を合わせて捉まったら大変だと言わんばかり に去っていった。長いフランスやイギリスのト植民地時代を経てやっと独立してまだ10年も経たない若い社会主義国セーシェ ル。一人の青年を派遣するのも大変だっただろうが、観光資源しかなく、人口8万にも満たない国にとって万博は最大の国威高揚 と観光宣伝の場である。パビリオンの展示も彼の自作である。そんなこんなで私にとって筑波万博のセーシェルは心地よい思 い出である。シャンハイ万博にも出展しているようである。
2010.05.27
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松脂の用途 字数が多すぎて受け付 けてもらえなかったので2分割したら前後が逆転して続編を先に出してしまった。急いで第一稿をアップするこ とにする。 前ブログからの連想で防腐剤としてのコールタールから松脂に話が及んだが、軍需品としての松脂については稿を改めるとして こ こでは2,3の軽い松脂の用途について記すことにする。 野球のピッチャーが滑り止めに手につける松脂がrosinbag。よくアナウンサーが”ピッチャーがロージンバッ クに手をやりました” 等と話すが、あれは決して”老人(rosin)背中(back)を掻いたといっているのではない。日 本人はRの発音が出来ないのでRosinをロー ジンと発音するのだ。ちなみに正式の野球規則ではロ ジンバッグと記されているそうだ。余 談だがバッグをバック、ベッドをベット と発音 する人が多いのはなぜだろう か。テレビやラジオの解説者は殆どの人がロージンバック派である。多 くのご婦人たちも高価なハ ンドバック(hand bag)にご執心である。 ロジンバッグ 野球規則でロジンバッグの色は白で、置き場所はピッチャープレート後方となっているが、ある人によると斜め後方に置くとアンダースロー投手の玉離れと重なりバッターを困惑させるのでプレートの真後ろに置くように野球規則の改正が検討されてい るそうだ。 バイオリンの弦は馬の尻尾に松脂から作ったロジン を 塗って音を出す。ナイロンテグスで弦をこすっても決して妙なる音楽は奏でられない。人間の髪の毛や馬の 尻尾 はシャンプーのコマーシャルでよく見るように表面がごつごつしているので樹脂粉を付けてこすると摩擦熱で樹脂が溶 けて馬毛に張り付き安定したしなやかな音が出るらしい。ただ塗ればいいというものではなく、名演奏家が馬毛に慣らして仕 上げているのだ。塗り方一つをとっても名人芸があるのだろう。 もう一つ思い起こされるのがカクテル用のドライジンの匂い。あれも松 に近い杉(juniper)の香り付けをしたもので、元々は医者が発明した医薬品だった。アルコール度数 が 高いので今でもアル中患者には良く効く薬には違いないだろう。赤いコートをまとったイギリス製が有名であるがチャー チルは葉巻を吸いながらこれをあおっていたそうだ。そういえばロシアのエリツインさんもウオッカをあおっていましたね。鳩 山さんも琉球泡盛でもあおって頑張ってもらいたい !! *原稿作りに一寸手を省いたら”高機能エディタ”が機 能せず無様な画面であるが作り直すエネルギーが無いので容赦願いたい。
2010.05.21
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続 松脂の用途 少し歴史を振り返ってみよう、象を引き連れてアルプスを越え北からローマを攻撃しようとしたカルタゴの将軍ハンニバルの名を知っている人は多いだろう。カルタゴは地中海を支配していたフェニキアの植民地である。なぜフェニキアが地中海を支配しえたのだろうか。それは有名なそして今は絶滅に近いレバノン杉のおかげと言ってもよいだろう。フェニキア人たちはこれでガレー船を建造して地中海を駆け巡った。 ガレー船 杉と訳されるが材質としてはむしろ松だったようである。大きな板が作 れ、それ以上に大切だったのはこの木が松のように多量の樹脂を含んでいるため撥水作用と防腐作用を持ち、船材に最も適していたためである。 レバノンの国旗にも描かれているこのレバノン杉はこのように して使い尽くされWikipediaによると2004年現在1200本しかない絶滅危惧種で、樹齢1200年を超 えるものは400本しか無いそうである。現在再生運動が行われていると聞いている。松脂を含む樹脂(resin, rosin) 製品を英語でnaval store(海軍の貯蔵品・軍需品)と言うことがある。中世・近世においてもヨーロッパの海軍は船に塗りこめるためこの樹脂を大量に必要とした。日の没することの無い海洋帝国を築いた英国海軍へのnaval storeの供給源はスエーデンとアメリカの松の木であった。アメリカ東部の松ノ木は樹脂を取るために乱伐され、現在 は殆ど見なくなったようである。西部の国立公園には今なおこれらの大木が茂っている。 この松脂から取ったテルペン油、ロジン、ピッチ等全てのものを指してnaval store (海軍軍用品)と言う。松脂が重要な軍需品だったなど現代では想像しにくいことだろう。 私は子供の頃肥後ナイフを使って1センチ位の船型を作り、その船尾に松脂をつけて洗面器に浮かべると、水の上に樹脂の膜が出来て船はエンジン無しで前進した。都会の子は樟脳をつけたらしいが田舎っこは松の幹から出る松脂を取ってきて使ったものだ。 松脂でもう一つ思い出すのは松 根油である。太平洋戦争末期、日本の航空隊に燃料は尽きていた。 松の切り株から根を掘り出し、それを裁断して乾留し、油分を取り出して航空燃料とした。それが「松根油」である。松の根にはとりわけ樹脂分が多かったが、それだけでは間に合わず、故 郷の山では軍の命令で松の幹にあばら骨のように斜めの溝を掘 り、出てくる松脂を集めて軍に供出させられた。 メイプルシロップや漆液を採集する要領である。 軍はそれから液体部を分けて松根油を作り、飛行機の燃料にした。今でも公園や海岸の松林にその醜い傷跡を見ることがある。 私の故郷の近くに海軍航空隊があり、飛んでいる飛行機のプロペラも胴体も翼も木目のはっきり見える木製の訓練機が真っ黒い松根油の煙を吐きながら低空で訓練飛行するのをよく見たものである。 もっ と凄い話はバスも木炭を不完全燃焼させる釜を車外に備え発 生したガス(一酸化炭素)を燃やして走って(?)いた。 木炭バス それでもまだましで最後は木炭も無くなり、まきを蒸し焼きにして不完全燃焼させ、発生したガスを(一酸化炭素)を燃やして走っていた。この「薪バス」は平地や下り坂はいいが上り坂は乗 客が降りてバスを押して登る珍風景もあった。 薪 バス
2010.05.21
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枕木、コールタールそして松脂 先日のブログで鉄道の枕木についてYorosiku さんから質問を受けた。何気なく書いたものだがこれを機会に枕木について調べてみることにした。借用した写真は殆どはWikipediaや通販カタログからのものである。 驚いたことに園芸用 として多くの通販サイトで扱っている。ほとんど新しく作った模擬枕木で廃材枕木ではないが中にはレール跡や犬釘の穴などもはっきりとした古材もある。最初に廃材を園芸用に転用したアイデアが抜群で新しい商品分野を開拓した人の功績である。 下のものはオーストラリアからの輸入とあるので標準ゲージ鉄道の ものみたいである。 そ れに対して下のものは軽便狭軌鉄道のものだろうか。 子供の頃、枕木はなぜ、黒いのだろうかと疑問に思っていたが、木の防水と腐食を避けるためコールタールを塗布したものである。昔は石炭から製鉄用にコークスを製造した際、大量にコールタールがえられ、防腐剤として広く用いられていた。我が家にも一缶有って父が自作 の木工具に塗りたくっていたのを思い出す。 コールタールを塗っ た黒い板塀屋敷もよく見かけたものだ本来の黒塀は柿渋に灰粉をまぜて作った防腐剤を塗ったもので” 粋な黒塀 見越しの松に あだな姿の姿のお富さん・・・” なんて春日八郎さんの歌が田舎の映画館で上映前に良く流されていたのを思い出す。花柳界は別として安い代用品としてコールタールが使われることも多かった。 時代は移り今は柿渋もコールタールも無く黒 いペンキが用いられていることだろう。 コールタール中には発がん性物質のベンゾピレンが含まれているので現在これを防腐剤に使うことはまず無い。コールタールは木材だけでなく金属製品の防錆にも多用されていたので、鉄製・木製を問わず大小の船も黒いものが多かった。 そこでもっと昔の船はどうしたのだろうかと調べてみると松脂に突き当たった。そんな訳で次のブログでは松脂に関することを脈絡を余り考えずに記してみることにする。(編集機能がうまく機能せず見苦しいことは残念であります)
2010.05.20
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バラの宴 風邪で咳が抜けず気分の晴れない日をすごしているので日 曜日思い切ってバラを見に行った。バラは種類も多く花言葉も多く、さまざまな寓意を持っているのだろうが、無粋な身には余り なじみが無い。分かる範囲で名前を上げて記録しておくことにする。 宴 羽衣 テキーラ white masterpiece 不明 不明 不明 ロココ Gold bany ファーストルネッサンス アンゼラ 紫雲
2010.05.19
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光が丘植物園 風邪で咳が抜けず不愉快な日々をすごしているので気晴ら しに近くの光が丘植物園にバラを見に行ってきた。ここの団地はごみの自家焼却炉を持っていてその熱で各戸への給湯や熱帯植物園の暖房に使っている。この日は暖かい5月、青い空に白い煙突が冴えて見える。高度の施設があるのだろう、汚い煙を見たことが無い。ここには西洋庭園があり、メタセコイアの林があるが今年は芽吹きが遅くまだ写真のように芽が出始めたばかり。 温室の前にも人影 はなく、つるバラも寂しげである。 例年だともう真っ 盛りと思われるがバラ園の花もまだ咲き始め。 メタセコイアはい つも見上げてばかりだが幹の根元から新芽が伸びていた。銀杏と共に生きた化石と言われるメタセコイヤも幼芽はういういしい。
2010.05.18
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虹の里の鉄道イギリス村Romny駅の近くに枕木を利用した手洗い場が あった。土器の手洗鉢とブリキのジョーロが懐かしい。そういえば昔は一年中線路工夫がつるはしで枕木を打っていたものだ。ここのミニSLは 街中の駅を出るとすぐ森林地帯に入るが今年の連休は本当に新緑が美しい。 高原列車の雰囲気 も感じられる。かって軽井沢と草津を結んでいた軽便鉄道を思い出す。向かい合って座ると膝を突き合わすようなトロッコ車両が 高原の白樺林を駆けた。南国生まれで白樺など見たことが無かったのでこの光景は今も鮮烈である。高峰秀子主演の「カルメン故 郷に帰る」という映画がこの沿線を舞台にした日本で何番目かのカラー映画であった。 花で彩られた 丘陵地帯ではまだ芽を吹いていない木々も多い。 田舎道の沿道を走 るときは乗客も村人も手を振るのに忙しい。 駅には鉄道の通っ ていない村へのバスが待ち受けている。 なんと言うこともない 経験であるが子供たちと一緒だとすぐ童心に変えることが出来るのは不思議である。と言うわけで数十年のタイムスリップを経験 した家族旅行の最終日であった。今は子供たちは学校に、パパたちは会社に、爺婆は疲れて風邪引いたり、好天に 洗濯と衣類の入れ替えに忙しい。
2010.05.08
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虹の里家族合宿2日目は広場で思い思いのスポーツを楽しんで一日施 設内ですごした。3日目、新幹線の時間まで時間があるので近くの虹の里と言うテーマパークに行くことにした。予備知識なしで 出かけたが駐車場の上の鉄橋をミニSLが煙を吐いて過ぎて行った。 入り口を入るとそ こはイギリス村で木組みのゲイトや建物が並びSLミュージアムやトイミュージアムがある。 トイミュージアムで は早速子供たちがフラフープに興じた。1960年代の大流行としてこのフラフープと抱っこちゃんがあるが、後者を知る若者は 殆どいないだろう。現代の縫いぐるみと言ったところだろう。それにしても多くの子供がもたもたする中、運動神経の鈍い我が孫 たちが巧みなのには驚いた。 園内にはSLがイギ リス村とカナダ村を結び、2階バスがさらに日本庭園や伊豆の村・匠の村などを結んでいる。古くなったバスはアイスクリーム屋 になっている。 早速SL deカナ ダ村に移動することにした。列車は2編成あ り、もう一方はディーゼル機関車のようだ。 鉄橋を渡るとカナ ダに着く。 ボール投げでター ゲットを落とすゲームに挑戦した孫開始前にパパにフォームのチェックを受けた甲斐があり商品を獲得してご満悦。 村の入り口は定番 トーテムポール。カナダビクトリアで実物製作中を見たことがあるがここのもなかなか立派である。駅の外壁には馬具 が懸けてあり、懸け具が馬の形をしていた。 園内は新緑が見事でこの時期石楠花や春バ ラが綺麗とのことであるが、今回の主役はあくまでも子供達、彼らがそんなものに興味を示すはずも無かった。気 持ちのいいテーマパークではあるが連休でこの入りでは経営状態がちょっと心配になった。
2010.05.07
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修善寺 Laforet我が家には息子が2人おり神奈川と静岡に住んでいる。いずれも配偶者の実家近くに住んであり、嫁さんの親とは会う機会も多いので連休、正月にはいつも我々に付き合ってくれる。春の連休は修善寺のホテル LaForet に集合して共通の時間をすごすのが恒例となっている。三島まで新幹線、そこからレンタカーでホテルへ いろんな遊具や絵の具を持ち寄って絵を描くもの、ゲームに熱中する者、孫たちにとってもほかに従兄弟はおらず下の子は久しぶりに会った年上の従兄弟にくっ付きっぱなしである。 外に出てみると富士山がぽっかりと浮かんで見える。LaForetと言うだけあって森が美しい、例年だと新緑は過ぎ森はもう少し濃いのだが、今年はつつじがまだ咲き始めだった代わりに新緑がみずみずしく、いい気分にさせくくれた。 まだまだ枝を透かして見える富士の白さが印象的である。 後ろを振り返れば天城山の主峰万三郎、万次郎がみえる。 昭和30年、大学に入学した春、川端康成「伊豆の踊り子」と同じ徒歩旅行をしたことを思い出す。踊り子の宿”湯が野温泉福田家”に宿を取り、少し前に映画伊豆の踊り子の撮影で美空ひばりが使った部屋に宿泊したことをことを思い出す。その後、学習院の大久保青年と清朝直系の愛親覚羅翆生さんが天城峠の八丁池で心中したことなどもあり、この山は私にとっても追憶の山である。
2010.05.06
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新宿御苑の八重桜 私の花見 はソメイヨシノよりも新宿御苑の八重桜が恒例で、これはもう何十年も続いている。ここの桜は種類も多く表示もしっかりしてい るのであとからでも十分楽しむことが出来るからである。本ブログでは木の全体像よりは花房の写真を中心として記録する。 な お今回撮影した本稿の写真は全て ”さくやこの花図鑑 - 美しい日本の桜”の ホームページで確認したものである。 関山(かんざん) 琴平 関 山はもっともポピュラーな八重桜でどこにでも見られるものである。 普賢象 普賢象普賢象も比較的ポピュラーな花で大木になる。名の起りは雌しべを見れば分かるように象の鼻 に似ている。仏の普賢菩薩が像に乗っていることからの連想だろう。 一葉 鬱金一葉は御苑では比較的多く見かけた桜である。写真を撮り損ねたが上の普賢象と異なり葉っ ぱのような雌しべが一本だけなので 一葉の名が生じたらしい。鬱金は薄黄色の”うこん色”から来た名でポピュラーと言うほど にはないが、かといって希少と言うほどもない。 江戸 福禄寿両者とも江戸を中心にあったものらしい里桜であるが由来は良く分からない。 御衣黄 御衣黄御衣とは天皇の衣の意、ピンク、白、緑は見られるが黄色は認識できなかった。 梅護寺数珠懸 桜 兼六園菊桜新潟県にある梅護寺を親鸞上人が訪れ、数珠をかけるとたちまち見事な花が咲き以後も見事に咲 くのでこの名が出来たとある。花びらが花の中央部からどんどん生えだんだんと丸くなってくる。多いものでは一花に300もの 花びらがつくそうだ。原木は天然記念物として養生されているそうである。もちろん御苑にも一本しかない希少種。兼六園菊桜も ここには一本しかないが金兼六園の原木はもう枯死してしまったそうである。 朱雀 市原虎の尾朱雀はもと京都の朱雀に有ったためこの名が有るとされる。雀の子供が群れているよう に見えるところからと言う説もあるようだ。花柄が長くて小さくて濃い色の花が下を向いて咲いている。沖縄の琉球寒緋桜の花数 と色調を薄めたような姿である。 松月 大山桜 松月は殆ど根元から切られた幹に少枝が2本だけの芝生広地のなかの孤立樹で あったが盆栽のような美しさがあった。肝心の花が枠から外れているが小母さんがどうしてもどいてくれくれなかった。満開時に 白く変色するそうである。ここには一本しかないが希少種かどうか分からない。 最後に八重桜ではないが”オオヤマサクラ”と いう地味な花を目にした。しかし、大 ”山桜” なのか ”大山” 桜なのか判然としない。一説によると木も花も大柄な山桜 なのでこの名があり、関東以北で自生し、札幌円山公園はこの”オオヤマサクラ”の名所だそうである。一重咲きで私は好きであ る。 案内パンフには4月のサクラとしてまだこの他に「松前はやさき桜」、「長州緋桜」などの名が有ったが見過ごしてしまっ た。少し丁寧に見ていると”誰かに説明”したがっている桜フリークがすぐ見つかる。一言二言質問するとあたりを案内してくれ る。一本一本の状態を刻明にメモしている。来年のためだろう。 ”このは なさくや図鑑”のホームページにはおびただしい数の桜が載っており驚くと共に作者の努力には最大の賛辞を贈りたい。
2010.05.01
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