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我挑戦 全漢字日記 受影響一昨日書展残念乍 漢詩不知 平仄不詳 出鱈目御容赦本日日記 午前一時既書 理由有 年始遅挨拶帰省実家一泊実家皆好飲酒 待望晩餐 大層賑 含二従姉妹及娘我今年一大決心 断固不為痛飲 断固不為泥酔 大人大人飲酒意志貫徹 強固決心少々不安此日記 非常愉 同時仰天 超短終了微心配 正確被読明後日夜 復見日記 皆様 希佳週末。
2004年01月31日
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昨日は仕事がちっとも進まなかった。今日もランチの約束が入っていたのでちっとも進まない。そうそう、でかける途中、近所のホテルで「楽天カンファレンス」という催し物が行なわれていました。ショップの方対象の催しだそうで、「楽天」というだけで親近感がわいてしまいます。嘆いていても仕方がないので、早々に日記を書いてとりかかりましょう。今回のテープはある会社経営者へのインタビューですが、立志伝中の人物なので、おもしろそうです。ところで、昨日の性別不明の声の話。昔、旅行会社勤務のときは電話でのやりとりが主だったのですが、仕入れ担当の私は顔の見えないのをいいことに、貸切バス会社などに向かって、かなり威勢のいい姉ちゃんを演じていました。「だめ! もっと負けてくださいよ~!」「え~、この日、いっぱい? 何とかしてくださいよ。1台ぐらいイケルでしょ?」「それ、高すぎ。もっと値段下げて!」なんて、いっぱしの口をきいて。そんな中、いつも取り次ぐあるホテルからの電話で、性別不明の声がありました。若い男性なのか、年齢を重ねた女性なのか。少々低くて太い、今だったら濃紺の声と形容するような、そんな感じです。(どんな声だ)名前も、ちょっと変わっています。課内でも話題になりました。「一体、この人は男か女か?」直接はさすがに聞けない。ある日、営業にいらしたそのホテルの方に、そっと課長が尋ねました。「あの、いつも電話をかけてきてくれる○○さん、女性ですか?男性ですか?」「・・・・○○は、女性です」以来、少々警戒を解いた私は、電話を取り次ぐ際に、余分なことも、その方と話すようになりました。向こうも、私の低めの声と、威勢とテンポのよい会話に興味を覚えた様子です。しばらく、そんな電話だけのやりとりが続いて2年あまりたったとき、突然電話の最後に「実は、今月で辞めるんです。一度お目にかかりませんか?」せっかくの声馴染み、しかも色々お世話にもなったので、ある日、会社が終わってから銀座で待ち合わせをしました。お互い、会うのは初めて。「○○さんですか?」「・・・・麻nekoさんですか?」「そうです」「・・・・電話のイメージと、大分違いますね」彼女は20代後半~30代前半。電話の声のまま、髪も短い、地味な色のパンツスタイル、ほんとにボーイッシュ。ある意味、女性らしさを捨てて、仕事に生きようとする女性でした。転職も、単調なホテルの予約受付から脱出したかったからとのこと。その際の会話、実はあまり覚えていないのです。たしか、銀座のライオンだったと思います。だから、ビールを飲んだのでしょう。期待したほど会話ははずまず、別れ際に「いいなあ、文庫本をいつも持っているというのが、いいなあ」と変な褒め方をしてくださったことだけ覚えています。今思うと、電話のやりとりから、きりっとしたOLをイメージされていたのに、実際に登場したのがボヤヤンとした麻nekoだったので、落差にがっかりされたんでしょう。女性の自立!真のキャリアウーマンとは!、そんな話題で盛り上がりたかったのかもしれません。そういえば、最近はそんな性別不明の声は少なくなりました。逆の、女性っぽい男性は多くなりましたが。そして、テレビから流れる女性の声のトーンを真似してみると、相当高いです。これはアニメの影響ではないかと感じています。それに慣れてしまった私たちは、街の中、家の中で普通に会話をするトーンでしゃべっているタレントさんの声を聞くと、クラ~イ印象を受けてしまいます。例えば「はなまるマーケット」の伊藤かずえさん。月曜日登場の彼女の声、随分低いです。他愛のない会話であっても、もう少~しテレビ向きの声を意識すると、もっと柔らかい印象に変わるのではないでしょうか。女性アナウンサーの声が低くなったとはいっても、小宮さんや安藤さんの声は、ある種の華やぎがあるし、ただの「低音」ではないようです。NHKの有働さんも独特です。ちょっと時代からは外れているような気がしてなりません。この方のスポーツニュースの読み方、どう思われますか。一体どんなスタイルを指向されているのでしょうか。時代によって、好まれる声のトーンというものもあるのだと思います。そして、それは景気と同じように、サイクルのあるものかもしれません。今は相当「高音好み」の時代になっていると思われますが、これ以上高音の声になっていくでしょうか。そろそろ限度でしょう。次は、どんな声が好まれるようになるのでしょうか。
2004年01月30日
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自治体議事録、納品。次は会社経営者のインタビューらしい。少し納期に余裕があります。ありがたや。今日を逃すと見そびれそうなので、渋谷、Bunkamura ギャラリーまで。109前の雑踏を通り抜けて東急百貨店までたどり着く。店内は、街にあふれていたはずのわけのわからぬ人たちが、ざっくりふるいにかけられたようにいなくなり、まことにすっきり。「和のモダンを楽しむ ~インテリア書と陶~」のタイトルで、4人の書家の方が作品を展示しています。いろいろな字体(というよりもデザイン)で漢字一文字を額装していました。すっきりしたリビングに飾ると素敵。この創作書は既にショップがあり、パリにも支店を出しているという話。なるほど、ジャポニズムな雰囲気です。新築や出産のお祝いにも良いかもしれません。いろんな字がありました。「笑」「夢」「結」「華」「風」などなど。あまり直接的な「雲」「女」などという漢字よりも「悠」「響」といった字のほうが、広がりがあって、いいなあ。娘の名前に使っている字があり、とても素敵だったので、一瞬購入の誘惑にかられるものの、飾るにふさわしい場所がなくて、断念。ところで、4人の作品が混在しているので最初は気付きませんでしたが、心惹かれる作品に近づくと、いつも同じ人の名前です。竹田華堂さん。名前と繊細な作品から想像して、女性の方かと思いきや、ハズレ。1950年生まれの男性で、書の世界では竹田悦堂というお父様とともに高名な方。それにしても、字は性別不明ということがありますね。声でも、たま~にあるんです。一つ思い出しましたので、明日、その話をしようっと。
2004年01月29日
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本日は午後より子供の用事で外出。今週は珍しく外出の予定、多し。自分の用事で1日、子供の用事で1日、ランチで1日。「今週は外出が多い」と家人に言ったら、「それが普通じゃないの?」という答えが返ってきた。外出好きの彼にとって、「家から出たくない」のが信じられないらしい。何から何まで、正反対の私たち。仕事も納期が緩くなってきたし、「少し休めば」と家人も言う。今抱えているものを納品したら、ちょっと気分転換しようかな。・・・と思っていたら、納品の時期を見計らって担当者から電話が来る。なんて上手いタイミングでしょう。はい。仰せのとおり、間もなく納品です。予定、空いてます。はい。ありがとうございます。この時期は、自治体の仕事が一段落のため、いつもと違ったジャンルのおもしろい録音が来ることがあります。何かな~と、ちょっと楽しみ♪
2004年01月28日
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会議録、校正中。 私の仕事の幅、最近狭いなあ。これはこれで新たな発見もあるだろうと前向きに。おや、珍しい理事者が発言する。出席者名簿にいつも出ていて、発言することはほとんどない課長さん。がんばれ~・・・・って、聞き取れないじゃん!緊張してるらしく、早口。おまけに、すんごい低い声。まるでGackt。あっという間に煮詰まったので、ちょっと用事を済ませに恵比寿まで出かけることにします。平日の恵比寿はお洒落な人、多し。公園で遊ばせている幼稚園ママも、とても身ぎれいです。そんな中、パンツと小物は黒でまとめて、水色のコートに水色のマフラー、ちょっと地味めにうつむきかげんでトボトボ歩く私。三越のドアを開けるときに、はっと驚く。「シネマロ」し、しねまろ? 綾小路きみまろよりも過激。「しねまろ」とは一体・・・!!ちがった。ここは「シネマ口(シネマぐち)」。ウェスティンホテル方面からの入り口は、ガーデンシネマの隣なので、「シネマ(側の入り)口」なわけです。も~。そういえば、数ヶ月前に来たときも、やっぱりここでびっくりしたことを思い出した。学習能力のない私は、いつも新鮮な驚きに包まれている。用事を済ませてとっとと帰る。ああ、バーゲンに後ろ髪をひかれつつ・・・。再び聞くと、判るようになってきた。早口緊張課長さん。この人、「一応」がクセなんだ。やたらと「一応」が来るのだけど、早口なので「ちょ」「ち」にしか聞こえない。それを後に続く文字とつなげて一つの言葉と理解しようとするから、聞き取れなくなっていたんだ。「ち」を外して聞き取れば、すんなり判る単語、多し。一通り聞くと発言者のクセが判ってくるので、聞き取れなかったら、最後まで聞いて、気分転換の後、再度トライ。あきらめちゃ、だめなんですね。今回は「一応」さんでしたが、いろんな人がいます。人の話を聞いてるようでいて、自説を主張の「やっぱり」さん。もっともらしく意見を述べてるつもりの「いわゆる」さん。言いたいことは、何かしりたい「ほんとうに」さん。ナイショごとの好きそうな「実は」さん。「一応」さんは、とりあえずその場をおさめたい派なのでしょうか。話し言葉だけではなくて、書き言葉にも性格は出るようです。こんな本も出てます。「メール文から性格を見ぬく方法―その人の人間性や本心が、文章のここに出る!」http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4309502814.html 「でも」を多用する人は頑固者が多いとか、そんな内容なのでしょうか。自分の文章を推し量るに、「ちょっと」「あまり」「少々」と、程度を加減する語がちょっと多いように感じます。断定を避け、少々逃げ道をつくろうとしているところが出ているのかもしれません。蛇足ですが、注目された古賀議員の街頭演説は、「と同時に」が、とてもとても多かったですね。あれだけの時間をかけて訴える中身が、「議員をやめない」でしかないのですから、「と同時に」を多用して、引き伸ばさざるを得ないんだなということがよくわかりました。
2004年01月27日
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専門的な話の続きになります。ご容赦ください。反訳の話です。1/21の日記で「この業界用語で「ケバ」というものがあります。言葉の合間にさしはさまれる「えー」「あのー」「うー」といったものです。」 と自信たっぷりに書きました。しかし、その後の日記やさくさく堂さんとのやりとりで、気付いたことがあります。「ケバ」という言葉、実際に仕事の上では使わないのです。これは、会社のカラーによるのでしょうか。実際に反訳(テープ起こし)に携わる皆さんのところではどうですか?1/23の日記では「整文」という言葉を使いましたが、「修文」という言い方もあります。この区別も本来はあるはず。そのことをおろそかにして話をしてしまいました。自分のスキルを語るのに、このまま曖昧で、いいのだろうか。少々気持ちが悪い。おさまりが悪い。(でも眠れぬほどではありません。1日中考えているわけではありません。)大体、「ケバ」という言葉、あまり好きではありません。人に伝えるとしても「いわゆるケバというもの」と苦々しく言うことでしょう。あるいは、ほかの表現を探すでしょう。符牒らしい言葉なので、苦手なのかもしれません。お寿司屋さんで「おあいそ」「あがり」などと言うのを好まぬと同じように。「ケバ」も通信教育用語ではないかな~と感じる昨今、私が初めてこの言葉を知ったのも、F氏が講師を務めておられたテープリライターのカルチャーセンターでした。そのときは、新鮮な気持ちで「そうか~、ケバっていうのか~!!」とまっさらな頭にインプットされてしまったのです。今、振り返ってみると、その後、実務においてこの言葉を使う機会はなかったように思います。そこで、もう少し「ケバ」の実態について掘り下げて考えてみたいのですが、もしも、同じようなお仕事をされている方がお読みなら、ぜひ「ケバ」という言葉がどれだけご自分の実務の中で使われているか、教えてくださるとありがたいなあと思います。通信教育で習っていても、実務に入ると違うことはよくあります。これも、通信教育の言葉がひとり歩きしているんじゃないのかなって思い始めて。「ケバ」。実は胡散臭い、実態のないヤツかもしれません。ちょっと知りたいその正体。「使うな!」と主張しているわけではありません。皆さんが当たり前のように使っていれば、それがスタンダードになるでしょう。ただ、私の中で「ケバをとる」「ケバ」という言葉がしっかりインプットされているわりに、実際には生きていないと思うのです。それが不思議でなりません。どこかでは頻繁に、当たり前のように使われているのでしょうか。心ある方は、ぜひぜひ、書き込みいただけるとありがたいです。どうぞよろしくお願いいたします。
2004年01月26日
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阿川弘之「食味風々録」読了。旧かな遣いが珍しく、楽しく読みます。国文科だった私はさほど苦になりませんが、旧かな遣いというだけで、今は敬遠される世の中でしょう。もったいない。そういえば、本日の日経で読んだ丸谷才一の文章は現代かな遣いでしたが、いつから宗旨がえされたのでしょうか。それにしても、阿川佐和子さんは、こういうご家庭にお育ちだったのですね。彼女の食に関するエッセイをあまり読んだことがありませんが、どう書くでしょう。読んでみたいな。家庭や旅行先での彩り豊かな食卓。その中で「テールシチュー」の記述を発見。ややっ!以前、過去日記(12/3「台所・・?」)でテールシチューのことを書きました。母方の実家に伝わる家庭料理です。神戸に住んでた曾祖母がイギリス人から習ったという話でしたが、どう考えても信憑性薄し。明治時代にしてはハイカラな料理のルーツは一体どこに・・・。阿川氏の本を読んで、ぴんときました。「テールシチュー」のルーツはここかもしれない。明治時代の料理本のベストセラー「食道楽」。彼の奥様は、嫁入り道具にこの書物(春夏秋冬の4分冊)を携えていらしたとのこと。当時の流行作家、村井弦斎が、料理上手な妻(大隈重信の親戚だそう)の助言を得ながら報知新聞に連載を続けた料理小説。村井弦斎についてはこちら。1863年愛知県生まれの小説家。神奈川県平塚市にゆかりのある人物で、かの地では「弦斎まつり」なる催し物を行なったそうです。「二十世紀の予言」という著書もあるらしく、要チェック。http://www.area-shonan.com/gensaimaturi/gwhogensai.html それにしても、このレシピ、知りた~い! 我が家のシチューと同じかなあ。曽祖父の家は、台所の天井からベーコンがぶらさがっていたと母が話してくれたっけ。(想像がつかない。どんな家だ)この本に注目しても不思議はない。村井弦斎「食道楽」(しょくどうらく)。読んでみたいと思うのに、残念ながら絶版とのこと。あ~あ、とがっかりしつつ、あきらめきれずに検索すると、ありました、ありました。柴田書店が復刻版をPDF形式で公開しているとのこと。しかも無料。すっばらしい!早速飛んでいきました。こちらです。http://yumyumtown.com/lib/shokudoraku/index.html さすが食の出版、第一人者、柴田書店。こちらの発行しているホテルやレストラン関係の雑誌は、旅行会社時代にもさんざんお世話になりました。今でも驚嘆する料理と食材の数々。海の幸、山の幸、肉料理は子牛、羊、ジビエ、内臓料理に至るまで。デザートも充実。カボチャのプリンやトマトのジャム(?!)、ブラマンジェだって載ってるし。とにかく実際目次を見てくださいまし。当時にしては相当ハイカラな部類でしょう。ゆっくり読んでみたいものです。ただ、再現すると、今風にアレンジが必要なものもあるという話。ところで、テールシチューは秋の巻の5ページに載っています。安価な料理の一つとして紹介されており、ちょっとムッとします。いずれにせよ、レシピを読んで、納得納得。伯母が口を酸っぱくして教えてくれた「水から煮るのよ」「赤葡萄酒を入れるとおいしいのよ」、このあたり、「食道楽」の記述のとおりです。若干異なる部分があるのは時間の経過によるものでしょう。偶然手にした書物から、かねがね気になっていたことがわかっていく、このつながり、思わぬ発見に感動した日でした。この快感は、仕事で「ヒット」したときと通ずるものがありまする。それにしても、こんな貴重な書籍を惜しげもなく公開してくれる柴田書店さま、ほんとにありがとうございました♪我が家のテールシチューのレシピは左のページにアップしますね。パンと、サラダと、しっかりした赤ワインをお供にどうぞ。
2004年01月25日
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招待券が手に入り、展示がえの前に見ておきたくて、横浜まで東山魁夷展。土曜の午後はなんと入場制限、待つこと約20分。思いがけず唐招提寺の襖絵までも展示されており、静かな迫力を楽しみます。波の音まで聞こえてきそうな襖絵です。一巡では足りなくて、人ごみをかきわけて再度ひとまわりし、会場を後にしました。何でこんなに人気なんだろ?後期は平日に見にいこうっと。
2004年01月24日
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自治体議事録の話。ちょっと専門的なので、ご容赦くださいね。今日はおかたい官公庁の議事録作成のはずなのに、引っかかる私の手と耳と足。(足はフットペダルを踏むから)どこの自治体も、本会議の代表質問は大抵原稿の棒読みで、「話して」いるけど書き言葉に近いもの。整文の必要性はほとんど感じませんが、今手がけているのは、委員会。普通の会議室での会議で発言内容もフランク。そのフランクがちょっと曲者。地方議会でカラーが出ます。とてもスマートに言葉を選んでやりとりが進んでいくところ。これはとても楽なのに、録音していることをそっちのけで、言いたい放題、思いっきり話し言葉で発言されていると、少々戸惑います。いくら発言どおりと言われていても「おれ、こんな内容じゃ、絶対納得できねえよ、なあ。」これをそのまま起こすことは、抵抗があります。そのまま議事録になって、その自治体の図書館に置かれたりするのに。別に困ったり恥ずかしがったりする必要はないのですが、何となく文字に起こすと、これでい~のか、とドギマギしてしまう小心者の私。ちょっとは録音を意識してよ~。初めて手がける議事録は、それでも、これで起こします。向こうから、直してくださいといわれない限り。もちろん、方言があってもそのまま。中部地方の議事録だったら、過日は聞こえたとおり、「~だでよ」と起こしました。これは、標準語に直せば「~だからね」になるのでしょうか。頻繁に話し言葉に出てくる「けれども」も、「ど」で単語登録してあるので、それで入力すれば速いのですが、人によっては「けど」「けれど」といろいろなので、校正するときは少々留意。自治体によっていろんな表記の方針があって、ある自治体は、「僕」と発言している人をすべて「私」と直すように指示が来ます。他の自治体では、「けど」は「けれども」に統一してほしいと指示が来ます。これらは、私は「ケバとり」ではなく「整文」の範囲であり、依頼があって初めて手をつけるものと認識しています。指示のない場合には、納品したときに「あれっ?」と思われないように、という仕上げ方が大切だということは過去の日記でも書いていると思います。おっと、当たり前? 失礼しました。そうしたら、同じ仕事をしておられる「さくさく堂」さんのメールマガジン最新号にケバとりの話が出ていました。こちらです。既読の方も多いでしょう。http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000108892 「ケバとり」の範囲を「整文」まで広げておられることについては、私は分けて考えるべきだと思いますが、改めて基本に立ち返らせる、示唆に富む内容でした。ケバとり、あるいは「聞いたまま起こす」という微妙な部分は、つい「経験」「さじかげん」という言葉であいまいに逃げてしまいがちなのですが、人にわかるように説明するのはなかなか難しいことだと改めて思います。11/30の過去日記でご紹介した、情報量たっぷりで、いつも感心させられる「おこ総研」さんのメルマガにしろ、このさくさく堂さんのメルマガにしろ、この仕事が好きで、いろんな方に知っていただきたい、同業の方にいろいろ感じていただきたいと書いておられることでしょう。それを読んで、頭から否定しては何も進化はありません。いろんな「ふうん」「へえ」をいただいて、自分の仕事につなげていければなって思っています。経験を積むと、登録会社の社員の方より古株になり、つい自分のやり方に固執したり、他者の意見も耳に入らず。在宅ワーカーは横のつながりが乏しいだけに、なるべくいろんな方のお話を聞いて、頭の中をやわらかくしていたいな~と感じます。私も、及ばずながら、そんなお力になれたらいいなと願って日記を書いているのです。今週は、何だか頭でっかちの1週間でやっと金曜日になりました。メントレを見ながら、缶ビール1本でダウンです。
2004年01月23日
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家事して、仕事して、楽天して。あまり変わらなすぎて、昨日と今日の区別がつかないぐらい。「はやいね~、もう1週間たっちゃったよ」と、忙しそうに騒ぐ人がいるけど、(ヒマそうなおばさんに限ってこう言う)自分の経験では、忙しすぎるほどなかなか毎日が過ぎていかない。「まだ木曜日だよ、トホホ」の気持ちのことが多い。昨日と違うのは、アイロンかけながら、送ってもらった三洞のポヨヨンCDを聞いたことぐらい。16年の専業主婦生活から抜け出して、行政書士の資格を取得、開業なさった素敵な女性へのインタビュー。中身は「むむむ」。考えさせられること、多し。気になる方は、右の「お気に入り」から、三洞さんの日記へどうぞ。
2004年01月22日
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身づくろい、してます。これから表参道にお買い物に行くんです・・・ってごめんなさい、うそです。今日も家から出ずにテープ聞いてます。身づくろいは、原稿のこと。7/2に「すっぴんじゃダメ」という日記を書きました。打ちっぱなしの原稿じゃ、だめかなっていう話でした。この業界用語で「ケバ」というものがあります。言葉の合間にさしはさまれる「えー」「あのー」「うー」といったものです。この「ケバ」をどこまでとるか、一字一句削らないのか、それは納品先の要求や起こす人のさじかげんによるので一概に言えません。お堅い議事録でも、あまり頻繁なものは5回に2~3回は削ります。(人によっては4行に5回ぐらい、「あの」や「やはり」の出てくる人もいるので)自治体の議事録は正確に起こすものといわれていますが、おそるおそる削って納品し、校正が戻ってきてみると更に削られていた、ということもあるので、「一字一句正確に」とは言われるものの、自治体などの議事録のケバとり、事務局の判断に左右されることもかなりあるようです。これは経験を積まないと、ニュアンスはなかなか感じ取れない部分かもしれません。探究心の強い方は、国会中継などをビデオに録画し、その音声と、後日アップされる衆議院や参議院のサイトの議事録と照合してみたらいかがでしょうか。スタンダードはそのあたりにあると思われます。自分で確かめてお伝えできればいいのですが、言いっぱなしでゴメンナサイ。「ケバ」は、ある意味、眉を整えるのと似ています。聞こえたまま起こすことも要求されるので、そのときは素顔のまま、隠さずに。たとえ、まゆげボウボウでもそのまま。普通の議事録では、ある程度体裁を整えて、ちょっと太眉。もっと体裁を整えてほしいときは、さらに細眉。でもさすがに眉なしになると、ちょっと人間味がなくなって、要約に近くなってくる。同じように少々悩むのは「いうふうに」君です。こいつは曲者で、話し言葉に頻繁に出てくるのですが、書き言葉においては全く能無し。「私は、この議案には賛成できないというふうに思います。」「私は、この議案には賛成できないと 思います。」削っても何も問題ない、まるで盲腸のようなヤツです。それと似てるけど、削れないヤツもいる。「いうふうな」君です。「待ち合わせの場所に遅れてきても、悪いというふうなそぶりも見せず・・・」「待ち合わせの場所に遅れてきても、悪いと そぶりも見せず・・・」これでは、ちょっとニュアンスが変わってしまう。この子は削れない。「いうふうに」君はいわばネクタイのようなヤツです。お堅い審議会や議事録、裁判提出書類など、「きちんと」を要求されるものは、ネクタイをつけるように「いうふうに」君をつけておく。もう少し柔らかい内容のものは、ノーネクタイでもOK。こんなふうに、身づくろいだと思ってみると、自分の起こしている原稿、かわいいもんです。実は、過日納品した先は、いくつか質問するために、とりあえずメールで送ったものが「これでもうOKです」といわれ、そのまま納品になってしまいました。自分としては体裁をもう少し整えたかったのに。何とも「これでいいのかな」感がぬぐえず、化粧はしたものの、髪をとかさずに人に会ってしまったような、そんな決まり悪さを覚えました。やっぱり、人前に出る以上、納得のいく身づくろいをしなくては。うっ、原稿より、自分はどうなの~~っ!
2004年01月21日
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座談会、納品。メールで納品し、さほど遠くないのでごあいさつを兼ねてテープをお返しにうかがう。徒歩20分ほど。山ひとつ越えるので息切れする。情けなや。城南五山といわれるこのあたり、その話はまたいずれ。納品先は、もともと地方で立ち上がった会社です。東京に支社を出して半年あまり、伺うのは何度目かになりますが、お邪魔するたびに活気が出ているイイ感じの会社であります。慣れない作業を終えて、ホッとしながら帰ります。紅茶を切らしていたことを思い出し、品川駅前、ウイングにある紅茶専門店に寄りました。「レピシエ」。たくさ~ん並んでいるので迷います。季節柄、ミルクティーに合う紅茶の葉が色々並んでおりました。クンクン香りを嗅ぎながら選んだのは、ごく普通のダージリンを100グラム、ラベンダーティーを50グラム。甘いものも、食べたいぞ。私にしては珍しく、生クリームたっぷりのパイが頭に浮かびます。そうそう、アンナミラーズがあったっけ。お洒落な紅茶専門店の紙袋を持つだけで、ちょっといい気持ち。トコトコと、アンナミラーズへ。おっと、可愛い内装の店内のわりにオヤジ客が多いのは、かの有名なミニスカの制服のせい?バナナチョコパイとサワークリームのパイ、3つしか入れないわりに大きな箱でヨタヨタしながら家路につきます。三時のおやつに、食べようぞ♪・・・あれぇ、アンミラのパイってこんな味だったっけ。昔、広尾で食べたころは、もっと感激があったのに。お店の味が落ちたのか、私がぜいたくになったのか。いずれにせよ、納品直後のほっとしたひととき。一番、肩の力が抜ける時間です。--------おかげさまで、2万アクセスの山を越えました。キリ番を踏んでくださったのはkawasemi1726さん。こんなにたくさんの方に読みに来ていただけるとは、思ってもいませんでした。反訳を通じて感じる淡々とした日常は、さほど山も谷もありません。いつも読みにきてくださる皆様、ほんとにありがとうございます。たっくさん感謝♪です。
2004年01月20日
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座談会の議事録も、もうすぐ納品。要約つきなので、ひと手間だけど、いつもと違う作業をするのも、ちょっとおもしろい。なるほど、調査会社の情報処理はこうして行なわれていくものなのか。ちなみに、反訳の入力は親指シフトなのに、要約を入力するときはローマ字入力です。反応の速さが合うほうに使い分けているもよう。ちなみに、日記はローマ字入力です。要約は、言葉を切り取ります。細かいニュアンスは削ぎ落とす。「本日はお忙しい中・・・・」から始まるベタ打ち。普通の反訳はそこでおしまい。納品先が、それを読み、必要な情報を切り取り、加工する。ですが、会社によっては、そんな手間をかけてはいられません。反訳する人に全部ゆだねる。どこの部分を切り取るかによって、大切なことは変わってくるし、切り取った言葉から感じることは、一見同じように見えても、実は千差万別かもしれません。今回は、反訳と要約の2種類の納品でしたが、もしも要約だけを読まれたときに、きちんと伝えているだろうか、いつもの仕事よりも少々不確かさを感じました。言葉を切り取る作業が当たり前の世の中。ビジネス本、ハウツー本、最近は文芸本に至るまで、みんなコピーが命です。テーマは興味あるものだったのに、要約をつくる作業をしていく中で、いつもと感じ方が違ったことはちょっと発見でした。要約に気を取られるあまり、「言葉」が記号と化します。大きく流れない。切り取られていく。テレビの字幕をつくる作業も、雑誌や本のコピーを考えるのも、こんな感じかもしれません。もちろん、それを、「本来、反訳とはこういうものです!話し言葉を大切に、一字一句おろそかにしないでください!」と訴えても意味がない。そんなにかたくなになっていては、これから先に仕事が来ることはないでしょう。先方の要求は「いかに見やすいか」「いかにわかりやすいか」。用字例を大切にするあまり、発言に忠実なあまり、要求を曲げるのは筋違い。ただ、知っているのといないのでは、注意を払う部分も変わります。反訳の基本を知っておいたほうがいいのは言うまでもありません。逆に、通信教育を経た方が、「こういうふうに習いました!」と自分のやり方を主張して曲げないという話も聞きます。ノウハウを得るのはよいことですが、私たちの仕事はあくまでも「下ごしらえ」。納品先の要求に、いかに沿うようにするかは大切なことです。サイトに載せる議事録と、調査会社の情報処理と、雑誌の記事にしたいもの、それぞれ、その先の加工の仕方が違います。それらを踏まえて仕事をするのはとても大切なことなんだと、改めて思います。あーあ、当たり前のことを、ちょっと力んで書いちゃったかな。エンジンがかかっているつもりでも、どこかうまく回らなかった、この半月あまり、ようやく出口が見えてきました。
2004年01月19日
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日曜日だけど、日曜日じゃないような、パソコンにはりつく日。娘が傍らの校正用の机で勉強を始めます。つきっきりでは見ませんが、一緒の部屋にいれば、お互いに安心。2学期の個人面談で思わぬ指摘を受けました。「もう少し、字をていねいに・・・」娘もお習字を習っているのに、どうして?詳しくうかがうに、筆圧が強すぎて、たくさん書くものは、最後に疲れてひどい殴り書きのようになってしまうとのこと。力を抜きましょう。ちょっと気になってのぞいてみた漢字ドリル。短文をつくる欄がありました。いつも親がチェックしているわけではないので、彼女の心のままに書いてます。ぱらぱらめくると笑えます。先生に暴露している思わぬ真実。「妻」---「前田利家の妻は、まつ。」 そうね。おととしは、毎週一緒に見たねえ。今年も見ようね。「仮」---「J君は仮面を百個持っている」 三島由紀夫じゃあるまいし。「貧」---「世界には貧しい人がどのくらいいるのだろう」 そういえば、今週はユニセフ募金。このあたりはまだ微笑む程度ですが、ひきつることも。「障」---「わが家のパソコンは使いすぎて故障した」 たしかにいつも使っているけど、故障までは、いってないぞ。「製」---「私の服は、半分以上中国製だ」 いつの間にチェックしてたの? 「領」---「母は買い物に行くと、いつも領収書をもらう」 あのね!レシートよ、レシート。家計簿をつけるときに忘れちゃうからなの!
2004年01月18日
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わたしは、つぶれやすい。慣れない仕事のプレッシャーにつぶれ、些細な悩みに心がつぶれ、風邪をひけば声がつぶれるし、容姿において、つぶれているところもある。もちろん、酒にもつぶれる。つぶれないようにするには、どうしたらよいのだろう。ため息をつきながら雪模様の空を見たら、突然おぜんざいが食べたくなり、小豆を煮ました。柔らかくなった小豆に砂糖を加える。小豆もつぶれる。シンクの隅の卵の殻が目に入る。つぶれるのは、中途半端にかたいから。そして、中身がヤワだから。確かに、私は中途半端に、かたい。育った家は、堅かった。立位体前屈は、マイナス5センチ。酢の物も苦手。いろんな意味でかたくなだし、頭も最近堅くなった。これでは、いけない。黒酢か、ヨガか、それとも「頭の体操」か。せめて家具にはつぶれないように寝室には、何も置かない。咲き始めたカニサボテン以外は何も置かない。阪神・淡路大震災から、もう9年。たしか、あの日も1日中家の中にいて、NHKの宮田アナをずっと見ていました。
2004年01月17日
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いつもと違うマーケティング会社からの依頼。座談会。要約つき。フォントを変えたり、枠で囲ってみたり、いつもと全然違うことを要求されて少々戸惑いぎみ。「見やすさ」「わかりやすさ」を重視するあまり、本来の一字一字がどんどんおろそかになるし。これでいーのか。見やすいものをつくる。これはこれで結構面白いんだけど、反訳の基本からは、どんどん外れていく。こういう会社からの成果物と自治体の議事録の差は、企画やコピーで注目させて売れる書籍と本来の地道な書籍の差にとってもよく似ています。なれないことをしているために、優先順位が大きく狂う1日。
2004年01月16日
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午前中は家のことと、ちょっと打ち合わせを兼ねた外出。午後からは校正などなど。校正で侮れないのは出だしの1ページ。気合いが入っているはずなのに、緊張しているはずなのに、凡ミスも、案外最初のページにある。人の名前を思いっきり間違えたこともあるし、「座談会(第5会目)」などという大きな見出しを平気で打ってしまっていたり、日付の間違いも見逃しがち。自分だけかと思っていたら、以前「前回データです」と送られてきた中東情勢の話題では、最初のページの5行目あたりに「中東周辺でも、特にイクラでは・・・」突然、荒ぶる海と、はねる鮭の姿が浮かび上がり、消えるのにしばらく時間がかかりました。つい先日も、校正し終えて、さあ打ち直し!と思ったら、1行目にいきなり「御苦労サマでございます」こんな言葉が赤字も入れずに放置されていたのに仰天。心理分析官にでも見てもらったら、何か判明するかもしれない冒頭の凡ミス。これがわかってきたので、最初のページはより慎重に校正するようになりました。今日のテープは、今年を見通す講演会。マクロの視点でなかなか興味深い。気になる書物の紹介もたくさん。次のテープは手間がかかるので、さっさとこちらを終えないと。昨日のようにゆっくり読書をする時間、なかなか家ではとれません。いやいや、日記の時間を回せばいいのです。楽天は悪魔ちゃん。誘惑、断ちがたし。
2004年01月15日
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自分の身体をいたわりに行く!って、エステじゃなくて、人間ドック。人間は、内面から。誕生日の前後をめどに総合病院で受けている人間ドックはこれで5回目。夫の会社から親切なことに「奥様も人間ドックを受けてください」とお手紙が来ます。「ありがとう、ありがとう」と多少の補助をいただいて、一通りの検査をしてきます。面倒くさがる方は多いですが、人間ドック、そう悪いものではありません。青い静脈に刺される針をじっと見て、試験管に飛び込んでいく赤い色に見とれる採血。ぶかぶかの着替えがなんとも頼りないレントゲン。足首や手首を挟まれて、うひゃひゃの心電図。生暖かいゼリーでにゅるにゅるお腹をなでられるエコー。「これは?」と聞かれ、右と左の区別がつかない自分に情けない眼科健診。とりあえず挟めるほど胸があるんだわ、と安心するマンモグラフィー。そして圧巻は、看護婦さんにおさえつけられながら、白井晃に似た先生に挿入される胃カメラ。その後の鎮静剤の効き目によるしばし熟睡の時間などなど。待ち時間には読書三昧。持っていった文庫本は「ピーコ伝」。ただのゲイと思っていたピーコなのに、片目を失ったことで何を見たのか。この前の「顔の話」じゃないけれど、今のピーコはいい顔をしている。人間ドックは人によっては面倒くさがったり、「何かわかったら怖いから」と億劫がったりしますけれども、1年に1日だけのこと。それをおろそかにして、何年か後に貴重な時間を入院や通院に費やすリスクを回避できることもある。特に我が家の場合、親兄弟が近くではないので頼りにできないこともある。そして、にゅるにゅるゼリーを塗られてお腹にエコーを当てられながら、検査技師さんの言ったこと。「5ミリぐらいのガンだったら、エコーや内視鏡で大体見つけることができるんですよ。でも、怖がったり放っておいて、なかなか来てくれないんですよね」「じゃあ、エコーを見て、もっと早く来てくれたらな、って思うこと、ありますか?」「・・・・・・ありますね、それは。」この「・・・・」のとき、何とも言えない表情を浮かべた技師さんでありました。午後1時過ぎ、白井晃に似た担当のF先生が結果説明をしてくださいます。毎年、HDLコレステロールが200近くあるのを見て、「これは沖縄やコーカサス地方の長寿の人並みの値ですね」と言われます。今年も「沖縄やコーカサス地方の・・・」を聞けるかと楽しみにしていたら、軽微な異常が見つかりました。少々経過観察が必要とのこと。とっさに頭に浮かんだ質問。「先生、お酒は飲んでも大丈夫ですか?」「この程度なら、大丈夫です」よかった。夜のホットウイスキーの美味しかったことといったら。
2004年01月14日
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なかなか仕事の話に入れません。録音反訳の日記が読みたい方は、どうぞ週後半までお待ちくださいませ。同じような内容の仕事をしているので、新たな発見につながらないのです。(書きたいことはあるんだけど、うまくまとまらないというのもある)本日は、手元にある1冊のノートのお話。普段、ぽやんとしているせいか、放っておけないと思われるのか、元気のいいお友達が仲間に引きずり込んでくれます。そんなおかげで高校、大学、社会人、娘の赤ちゃん時代、幼稚園時代と、それぞれの時で素敵なお友達ができました。みんな、今でも大切な友人です。1冊のノートは、その中の、娘の赤ちゃん時代の友人達と続いている「交換ノート」なのです。出産前に自治体で催される「母親学級」。その集まりを通じて知り合った5人の母親仲間で書いています。同じころにみんな第1子を出産し、女の子の親が2人、男の子の親が3人。みんな第1子だったので、いろいろ悩めることも多く、お互い助け合いながら子育てをしていました。3年ぐらい経つと、その土地から1人去り、2人去り。今でもその土地に住んでいるのはわずかに1家族。私も3年過ぎたころに転居しました。転勤だったり、もともとの故郷に戻ったりして、今は大阪に1人・中部地域に1人・都内に3人というばらばら状態になってしまいました。それでも子供が幼稚園に上がるまでの、母子共にわけのわからない状態の時代に、共に悩んだり笑いながら毎日のように遊んだ仲間なので、かえって途中から越してきた今の町のお母さま方よりも、心を開ける部分もある。お互いの子供のことにしたって、オムツでお尻をモコモコさせていた頃を知っているのだから、どんなふうになったって受け止めてあげられるような気がする。もしも、大阪に行ってしまった友人の息子が、グレて東京に出てきたとしても、きっと母親が迎えに来るまで泊めてあげることができるだろう、そんな温かい気持ちがお互いに残っている(と私は信じている)。まるで小中学生のようだけど、そんな方たちと続けている交換ノートの決まりは1人のところに滞在1カ月。およそ1年に2度ほど回ってきます。その程度なら大して負担にもならず、近況報告を簡単に書く。みんなそれぞれ兄にもなり、姉にもなってる。一人っ子なのは我が家だけ。でも、それぞれ習い事のこと、学校の悩み、同居の悩み、成長の報告、自分自身の趣味や仕事のことなどなど。みんなそれぞれ思い思いに書き連ねたり、写真を貼ったり。今のノートは3冊目になりました。我が家にノートが来てから滞在1ヶ月。そろそろ書いて次に回さなくては。楽天日記を書いて、次はノートを書いて。どんどん仕事が後回し・・・。いいんだ。例年1月のエンジンはかかるのが遅い。これからしっかりやるからさ♪
2004年01月13日
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成人式の日に山口瞳の書くサントリーの広告が好きだった。二十歳の思い出といえば。成人式の式典で、「誓いの言葉」なるものを壇上で読んだ。毎年、市内の小学校の卒業生から「誓いの言葉」を読む新成人を男女1人ずつ選ぶ。たまたま自分の小学校が担当の年であっただけのこと。一緒に選ばれたのは、有名国立大学のわりに、都内のどこにあるのか知らないH大学(ごめん)に進学したI君。彼は小学校当時からガリ勉タイプだったけど、再開しても、そのまんま。壇上中央のマイクの前で、お辞儀して、2人で仲良く「誓いの言葉」の書かれている紙の端と端を持って、「ひとつ!わたしたちは・・・・、ひとつ!わたしたちは・・・、ひとつ!わたしたちは・・・」と、5つの憲章を読んで、お辞儀して、去るだけ。この簡単な一連の動作に、市の職員が2人、つきっきり。太って調子のいい男性と、小柄でおとなしい男性のデコボココンピだった。式典の何日か前に1、2度、当日も1、2度、リハーサルをやらされて。それほど私たちは二十歳にしては頼りなかったのだろう。そして当日。晴れ着姿の私に気をきかせ、I君は親のクラウンを借りてヨタヨタ迎えにきてくれた。文字通りヨタヨタで、会場に到着しても車庫入れがうまくできない。あまりの頼りなさに車を降り、晴れ着の袂を振り回しながら、「もっと右!ハンドル、切って!」と叫ぶ私を見て、「いや~、最近は、女性のほうが強いですなあ、ハッハッハ」と、真冬のくせに汗をふきふき、太った担当者がつぶやいた。せっかくの式典なのに、私の家族はだれも見に来ない。I君の親はもちろん出席。当時は、まだ珍しかったビデオもご持参らしかった。が、それは後から聞いた話である。そして、リハーサルどおり行なわれるはずだった「誓いの言葉」。ただ壇上のマイクの前に行き、お辞儀をし・・・のはずなのに、カチンコチンのI君は、最初のお辞儀を忘れてしまった。さあ、どうする。私も、あと5年ぐらい後だったらば、恥をかかせぬよう、知らぬ顔して「誓いの言葉」の紙を広げることもできたであろう。でも、まだ「市のおじさん達のいうこと、きかなきゃ!」とけなげな気持ちが先に立つ。瞬時の葛藤の末、・・・・クイクイ。彼の袖をひっぱり、「お辞儀忘れたよ」と合図し、慌てて2人で再度お辞儀をする。場内失笑。別に私は悪くないもんね、とニコニコしてお辞儀をし、堂々と誓いの言葉を読み終え、再度お辞儀をしてから舞台の袖に戻ったのだった。I君、うつむきかげん。袖には例のデコボコ担当者が待っており、「お疲れさん」とは言うものの、顔が少々引きつっている。なぜなら、この何ヶ月か後に市制施行の周年行事が控えており、そこでも私たちは「誓いのことば」を読むことになっていたから。彼らに一抹の不安がよぎったのも無理はない。だが、幾らなんでも二十歳の若者、同じ過ちは繰り返さずに、数ヶ月後の式典のときは滞りなく読み終え、担当者を「いやー、よかったですよ、バッチリ、バッチリ。いやーよかった、ハッハッハ」(by小太り男)と安心させたのだった。ちなみに、このときも、私の親は見に来なかった。お辞儀一つの間違いであんなに気を遣っていた市の職員の姿を見ていたから、昨今の成人式の荒れよう、特に川崎市の、新成人の代表に選ばれていながらの言動は、担当者の混乱、困惑、情けなさ、さぞかしだろうと、デコボココンピを思い浮かべて慮ってしまうのだ。ところで、ガリ勉タイプのI君は、式典の帰りだったか、「ビデオをお母さんが撮ってくれたんだけど、いつか見に来ない?」と聞いてきたが、(即座に)「いかない」。数週間後、「○○たち(同級生)とスキーに行くんだけど、行かない?」とも誘われたが、(きっぱり)「い・か・な・い」。彼とはそれ以来会ってないけど、社内恋愛でもして、うんと年下の彼女につかまって、今ごろ尻にしかれているかもしれないな。
2004年01月12日
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いよいよ大河ドラマ、「新選組!」がスタートです。ちょっぴり三谷ファンである私としては、これは絶対見逃せない。6月15日の過去日記で、早くも「三谷幸喜と大河ドラマ」というタイトルであれこれ心配しているぐらいなのですから、脚本も、キャストも、音楽も、どこを見ても、始まる前からこんなに胸がいっぱいになるような大河ドラマは久々なのです。昔、三谷氏自身がそうしたように、大河ドラマの途中で電話が鳴らないよう、受話器を外しておきたくなる、そんな気分です。こんなに期待させていて、がっかりさせたら承知せんぞ。キャストの中で気になるのは、主要な役者の若さです。慎吾君はじめ、軒並み出演者は20代中心。従来の大河ファンの層からすれば「これ、だれ?」という役者がたくさんいます。三谷氏は、「近藤勇が刑死したのが35歳。組を組織した時が20代だったから」(毎日新聞テレビ欄より)との弁ですが、その年代の役者を集めて、これでドラマに厚みが出るのか、いささか不安。周りのベテラン俳優が脇を固めてくれることを信じましょう。そして、今の20代と、新選組当時の20代では、顔が、面構えが、違います。北朝鮮から帰国した当初の曽我ひとみさん。例に挙げて申し訳ないけれど、タラップから降りたとき、まるで50代のようでした。今では年齢相応の顔に戻っているけれど、やはり苦労や苦悩が人間の顔に歳をとらせてしまうことを象徴しておいででした。もちろん、今のご本人には、いまだ家族と再会できぬ心労はおありでしょう。これ以上、軽軽しいことは言うのを控えるとして。それから、少し前のことですが、日曜日の深夜NHKで「新日本紀行」という番組の再放送をしていました。アーカイブスの取り組みです。タイトルバックの曲を聴けば、「懐かしい!」と思う方もおいででしょう。私は、あの重厚な音楽を聴くと、昔の家の茶の間の様子がセピア色になって浮かびます。掘りごたつの、いつも決まった場所に正座して、その番組を見ていた祖父の姿とともに。その番組で報道されているのは昭和30~40年代の日本の風景なのですが、びっくりするほどみんな歳をとっています。もう60代は老人です。70代は相当老人です。50代近くになると初老の面影すら漂っています。逆に、10代の若者は、とっても大人です。今の年代と比較すると、10歳は差がありそうです。昔の年齢の8掛け程度で、今の年齢の顔になるでしょう。こういう指摘は、既にあちらこちらで論じられていることでありますが。そう考えてみると、当時活躍した新選組と同じ年齢の役者で固めるのが適当かどうか、今の20代の若者の顔で、新選組の気概や厳しさ、生活の苦労など、どこまで描き得るか疑問なところなのですが、描ききれずとも、楽しめればそれでいいかもしれないし、何といっても三谷作品というだけで、それも許せてしまえそうな。甘い?「人間は、40になれば自分の顔に責任を持て」と言ったのは、たしかリンカーンでしたが、平均寿命も高くなった今、これも8掛けが許されるんじゃないかなあ。そうしたらば、あと10年は責任を持たずに許されるだろうかと、ちょっと自分に甘くなりたい気持ちもあったりする。そんなまだまだ未熟な麻neko、「新選組!」のスタートとともに、節目となる誕生日を迎えました。
2004年01月11日
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相変わらず喉が痛い~。頭もいた~い。朝、新聞をボヤヤ~ンとめくっていたら、「文芸春秋」の特集が目に入りました。「20人の未来予測 次の十年はこうなる」。副題は、「『失われた十年』の後にくるのは繁栄か、衰亡か」。堺屋太一が書いている「少子高齢で「楽しい社会」実現」を筆頭に、榊原英資、安倍晋三、柔らかいところでは二宮清純、山田詠美など、いろんな人がいろんなことを書いている。「ほんまかいな」もあれば「うっそー!」も「なるほど」もありそうです。でも、未来のことなんて、だれもわからない。この「失われた10年」とほぼ時を同じくして、ずっとこの仕事をしてきました。たくさんの識者のテープを起こしました。高名な経済評論家、外交評論家、政治家などなど。でも、だれひとり、「この人の言うことは正しかったなあ」と思える人はいません。それとも、単に私が忘れちゃっただけなのかな。最近、「失敗学」なるものが注目されているだけに、こういう識者と言われる方々も、ご自分の講演や著作を振り返って、「こういう理由で僕は未来を見誤った」という懺悔本でも出版していただくのも面白いのにと思ったりしています。特に堺屋さんあたり。そんなことを考えて、過日、ブックオフでちょっと意地悪な本の見つけ方をしました。経済、ビジネス関係で、未来予言をしている本を探すのです。中古本のブックオフで、「次の10年はこうなる!」と書いてある1991年の本など。ほんとにあるかいな、と思って眺めてみたら、結構あります。ビジネスの未来を見据えた本を出版しようと思っている方は、あからさまなタイトルをつけないほうがよい、ということが判ります。大的外れになってしまったら、こういうところで思わぬ恥をかくことでしょう。おそらく、「文芸春秋」でも、雑誌だから寄稿できるのであって、単行本だとしたら、しり込みする人は多いかも。こういう企画ものは、節目節目で取り上げられるでしょうから、もしもエネルギーがあったならば、国会図書館あたりで調べて、雑誌における予測モノの特集で、だれが嘘ばっかりついているか、だれがいつも的外れなことを言っているか、探し出してまとめると、最近はやりの辛口批評的な1冊の本ができあがるかもしれません。ああ、校正ばかりしていると、性格もこんなに意地悪になってしまうのでしょうか。何だか青島幸男みたいな気持ちになってきた。ほんとの私はこうじゃない。あれこれ思いめぐらしてブックオフを徘徊していると、目に飛び込んだタイトルは『5年後』。2002年に出版されている「5年後」というこの本。2004年の今は、大体半ば。さて、当たっているか、外れているか、検証してみようじゃないのと、家で読むべく思わず買います。帰宅して、読んで、むむむ、でした。だって、著者が船井幸雄と小山政彦だもの。いわずとしれた船井総研の会長と社長が書いていたら、その「5年後」は、彼らの描くようになりえるでしょう。未来を動かせる力が、この方たちにはあるかもしれない。我が国最大級の経営コンタルタントのトップですから、その方たちが「5年後はこうなる」と書いたら、「そうか~」と、その見通しに沿って会社の舵をとろうという経営者もいるはず。そういう経営者がたくさんいればいるほど、時代の波も、そちらのほうに動くでしょう。「予言」を実現する力のある人が、ここにいるんだなあと、ちょっと認識。どこかの名もない人が「これからはこうなる!」と叫んでいるのとは、明らかに違う。ちなみに、キーワードは「人間力(性)」「右脳」。少々抽象論が多くてぴんとこないものもありましたけれど、興味のある方は、どうぞ本書をお読みくだされ。ビジネス社刊、定価1500円。ブックオフだと半額で手に入ります。「文芸春秋」に寄せられている評論家の予言や、高名な経営コンサルタントの予言。検証したいと思うものの、5年後、10年後では、また、忘れてしまっていることでしょう。そうだ!見出しを切り抜いて、10年日記に挟んでおこうっと・・・って、こんなことを発想してしまう私は、やっぱり気持ちのどこかが、今ねじれているのかもしれません。
2004年01月10日
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お正月気分も抜け、冬休みの慌しさも過ぎ、いつもの生活になりました。また出不精生活の始まり。連休にかかる仕事が1件。仕事柄、地方議会の反訳が多いのですが、どこもかしこも「市町村合併」の話題で持ちきり。「テープ起こし」の仕事の中でも自治体関係の依頼が多い人は、今、例外なく「合併」を単語登録しているはずです。そのぐらい、「合併」の出現頻度は高くなっています。最近、特に。「合併特例法」という法律が出されています。(正確には「市町村の合併の特例に関する法律」) これが、原則として平成17年3月31日までに行なわれる市町村の合併に対して適用されるので、それに間に合わせるべく、各自治体は、周辺市町村と合併するかどうかの検討を始めているのです。この期限までに合併を決定しておけば、様々な特例を受けることができるからです。今「がっぺー、がっぺー」と叫んでいないのは、既に合併済みの都市や政令指定都市ぐらいで、話題にのぼらない自治体のほうが少ないかもしれません。周辺のどの自治体と組むのか、幾つの自治体で組むのか。あたかも、「はい、○人組をつくりましょう!」と先生に言われ、仲間ハズレにならぬように、いきなり校庭を右往左往する小学生のようだと思えなくもありません。そんなことをいうと、当事者の方たちに思いっきり怒られそうですね。担当の理事者はほんとうに大変そうです。合併特例法の詳細は、総務省のHPに記載がありますので、興味のある方はご参照ください。合併しても、議員定数はすぐに減ることはありませんし、(逆に、一時的に定数が2倍になってしまうこともあり得る!)地方税が極端に下がるわけでもありません。合併によって、一体何がよくなるのか、いまひとつはっきりしないところであります。私の実家がある自治体は、2年前に周辺の2市と合併しました。親戚も知人もたくさんいます。自分の生まれ育った町に愛着もある。深みも何もない、ひらがなになってしまった市の名前は、いちいちカギカッコでくくらないと、その前の平仮名とくっついて余計なイメージがひろがってしまう。「じゃあさいたま市の場合は」・・・浅い?「考えうるさいたま市の場合は」・・・うるさい?おまけに、ニュースや情報番組で「さいたま市」と耳にしても、「浦和」のことなら100%気になるものの、他の旧2市の場合の関心度は、申し訳ないがほんの少し違う。生まれたときから叩き込まれた「わが町」と「お隣さん」との差。テレビに向かって「さいたまの、どこよ!」と悪態をつくこと、しょっちゅう。おまけに、一昨年は、ぼんやり印刷を始めて、「さいたま市」に変更し忘れていたのに気付き、10枚ほどをムダにした。今年は、郵便番号の変更と区制の導入があったのに、それもうっかり忘れて印刷を始め、またもや10枚ほどムダにした。町名変更に伴って、印刷会社を初めとし、潤う会社は確かにあるだろう。それは、新札発行のように、小手先の需要だけをふやして景気を上げようという浅はかな考えとちょっと似ている。少なくとも、私にはこういうデメリットばかり。(単にドジだというのもあります)合併によって、住民には何がメリットになっているのでしょうか。今すぐ目に見えなくても、「合併してよかったな」と思えるようになるといいのですが。さらに、こんなこともありました。正月も6日になり、実家に電話をかけました。ゆえあって、今年は年始の挨拶に行っておりません。「ところで、あなた、年賀状、出したの?」「出したよ。何で?」「まだ届かないのよ。ちゃんと出したの?」???確かに年末投函した。遅れたとしても、絶対3日には届くはず。その質問から始まって、本当に親戚に出しているのか、嫁ぎ先に非礼はないのか、ポストの投函口は、年賀はがきの入り口だったか、一般郵便の投函口だったのではないか等々、あまりに小学生レベルのような質問に新年早々キレました。「あのね、ぐーたらな小学生じゃあるまいし、そんな、日頃お世話になってる人に年賀状を書かずに済ませようなんてゆーふーに、育てられた覚えはないですっっ!」緊迫したやりとりを察して、父がポストに見に行ったようです。ようやく届いていました。投函してから、何と9日後。誤配による遅延だったのかもしれません。「そういえば、郵便局が、近所に本局があったのに、さいたま新都心に大きな郵便局が移っちゃったのよね。だから、郵便の届くのが最近遅くて。それにしても、あなた、失礼のないように、元日にはちゃんと届くように出しなさいよ。」 ガチャン。総務省HPの合併に関する情報の中、「合併のデメリットは?」というQ&Aがあります。Q 『サービスが低下しませんか?』A 「・・・(中略)、事務処理の方法の効率化等によってサービス水準は高い方に、(中略)調整されるのが一般的です。」
2004年01月09日
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あ。こんにちは。今日の日記、ちょっと長いですよ。話し言葉だから。昨日の日記と一応ペアになってるから、そっちも後で読んでみてくれますか?-----------・・・・実は、この後、昨日の日記と同じようなことを、話し言葉そのままで書いて、2時間ほどアップしていたのですが、ばっさり削除することにしました。あまりに自分の語りのままで、それを読んだら、あまりにヒドクて、情けなくて、恥ずかしくて。ですから、書き込みしていただいたskdさんのように、ウェブ上でかかれるものは、「ラジオ系」文体というよりは、既に「第三の言葉」であり、自分の書くものも、その範囲で心地よく書いてるものかもしれぬと感じた次第です。もう少し掘り下げて考えてみたいのですが、自分の「話し言葉」にショックを受け、打ちのめされているので、また改めて。自分の写真のアップよりも恥ずかしいかもしれなかった、今日の文章。読んだ皆様はとっととお忘れくださいませ。スミマセン。あれは、もう二度と書きたくないなあ。
2004年01月08日
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あなたにとって、メールは、手紙ですか? 電話ですか? 使い分けていますか?私の周りの大部分は、年齢のせいか、ほとんどが「手紙」ととらえています。しかし、中には女子高生がそのまま大人になったようなメールを送ってくる人もいます。こんなかんじです。「ヤッホー、げんきぃ? この間は久しぶりに会えて楽しかったよ~!またランチしようねー! んじゃ、バーイ。(顔文字が続く)」あまり見かけない文面なので、少々、ヒキます。この人の電話の口調、そのままです。もちろん携帯電話からのメールですから、彼女にとっては「電話」なのでしょう。口調が思い浮かんで楽しくもあります。いや、楽しくない。うそついてごめん。それは、文面が嫌だからじゃなく、彼女のことが苦手だから。でも、これはれっきとした「活字」=「書いたもの」。さてさて、これが当たり前になって伝播していくと、書き言葉にどんな変化が出ていくでしょう。これはメルマガあたりをちょっとのぞくと、変化の兆しがみえそうです。皆様、メルマガは届いたものを全て開いて読んでいますか?私の手元にも数誌届きますが、読み応えのあるものをのぞいて、未読のまま削除することも多くあります。まぐまぐで「殿堂入り」のものをさまよってみると、ふうむ、です。ビジネス・企業系は、明らかに「書き言葉」ですが、情報・娯楽系は、文体が「ラジオ」化しているように思います。・間のとりかた(改行の仕方)・言葉の柔らかさ(ですます調よりも、更に話し言葉口調)・1文や段落の短さ・情報源の紹介の仕方(「お問い合わせはこちらまで!」感覚)活字以外の部分でのビジュアルな工夫もしていること、などなど。雑誌系は、読むのが面倒だけど、読み応えがある。忙しいときは、とっておいて、後でもいいからゆっくり読みたい。ラジオ系は、とっつきやすいけど、読み流すか、読まずに捨てても構わない気がする。これが自分の感覚ですが、両方の特色を備えていたら、面白いなあと感じるメルマガになるかもしれません。試みに、今日はメルマガの幅を意識して書いてみましたが、これは「キレヤスイ」ですね。「読んでもらいやすさ」を意識するあまり、文章が変わることを痛感しました。皆さんが読んでいて面白いと感じるメルマガ、違和感を覚えるメルマガ、どんなものなのでしょう。さて、麻neko自身は、メルマガの発行を検討しているのかどうか。今のところ、この楽天の過去日記を集めてメルマガに配信するつもりはありません。別のものを検討中。ちょっと時間はかかるかもしれませんが、いずれ実現するつもりです。ところで、この「ラジオ系」の文体が生き残ったときに、新しい書き言葉が認知されていくんだろうと思います。あるいは、生き残らないとしても、別の形で工夫されて残っていくでしょう。音声ファイルでメルマガを配信するなどの試みもされていくかもしれません。楽しいしゃべりは音声で届け、必要な情報は文字で届ける、この2本立てなんて、生まれそうじゃありません?そして、きっと、いつの日か、新しい書き言葉が文学の上でも当たり前になっていくような気がします。既にその芽は出ています。平和な時代がこのまま続けば、易きに流れるこの世の中。「である調」から「ですます調」に変わり、さらに柔らかい、話し言葉と変わらぬ書き言葉に変化する。ありえないことではないでしょう。折しも、岩波文庫では、近代文学の名作のうち、旧かな遣いの作品を現代かな遣いに直して発刊しつつあります。もう、旧かな遣いというだけで敬遠されていく名作。旧かな遣いも、昔は書き言葉として認知されていたものなのに。時代の流れにはさからえません。こうして、書き言葉の過渡期になりつつある今、二、三十年後、どうなっているのか、注目です。
2004年01月07日
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都心に出る用事があり、休憩中に日本速記協会に突撃!・・・・・沈没。7日までお休みとのこと。日本速記協会は、キャピトル東急ホテルの隣の、ちょっと古ぼけた(失礼)TBRビルの10階。小部屋の集合体のようなビルで、廊下も狭く、場所が五反田や歌舞伎町あたりだったら、ちょっとアヤシゲ(再失礼)。同じ10階には「日韓議員連盟」とか「何とか法律事務所」とか。場所柄、政治関係の団体が多かったように思います。こちらは再度トライするので、訪問記をお楽しみに。もしも、お尋ねしたいことがありましたら、ついでに麻nekoが聞いてまいりますので、どうぞ掲示板でもメールでも、お寄せくださいね。私は、単に最新版の「標準用字用例辞典」を買いに行くだけのこと。帰路、ホームの売店で過日起こしたインタビューの載ってるビジネス誌発見!(12/14の過去日記で書いてます)早速車内で読んでみると、うれしいことが2つありました。1つは、あれっと思って指摘した箇所がちゃんと訂正されていて、おまけに見出しになっていたこと。もう一つは、自分で工夫して起こした箇所をそのまま使っていただいていたこと。1つ目は、よくある数字の間違いだったのですが、どうにも文脈で合わないので、そっと下線を引いておいたものです。口は、筆より滑ります。ですから、話し言葉を起こす時には、「検証」や「確認」は、書き言葉よりも更に必要なんじゃないかとつくづく思います。最近次々に出ている対談本、反訳本、講演、講義録・・・。いずれもそのあたりを編集の方々に心していただきたいなあと感じる昨今。たくさんの「目」で検証することによって、誤りの多いテレビの字幕と同じようにならないことを願っています。もう一つは、しぐさの表現だったのです。もちろん、テープだったので、どんなしぐさかは見えません。詳しいことを書いてしまうと判ってしまうので避けますが、会話の無言部分をどう表現するか。ちょっと悩んで工夫しました。それがそのまま載っていました。ちょっと嬉しい。1時間のテープを起こすと、大体A4の40字×20行で18枚前後になるでしょうか。今回のインタビューは90分でしたから、それを雑誌の数ページにまとめるには相当はしょらないといけません。一言一句削らずに載せるわけにはもちろんいかない。でも、口調は残したい。記事を読めば、多少の順番の入れ換えもある。相当削ったり、つないだりしている。でも、もとのインタビューの雰囲気をとても上手に生かして編集されていて、さすがだなあと感心しながら記事を読みました。そんな中で、工夫して起こしたものをそのまま使ってもらっていたので、なおさら嬉しかったのです。帰宅したら、喉が余りに痛くて何もできず。食欲もなく。土鍋に生姜をたっぷり入れて、ちょっと油で炒めます。白菜の細切りをたくさん入れて、お酒とコンソメとお水でクツクツ煮ました。お好みで塩、こしょう、醤油など。生姜は身体を温めるし、白菜は免疫力を高めるらしい。私の体が「食べたい」と言っている。何て素直で判りやすいことか。シンプルな白菜スープでホワッと身体を温めて、明日には回復するといいなあ。
2004年01月06日
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「仕事始めに大きく出たね~」と思わずに。新聞にいつも出ている首相の動静。ご存知ですか?たいてい2~3ページ目の左下にあります。毎日新聞は「首相日々」日経新聞は「首相官邸」各紙、そんな見出しで前日の首相のスケジュールを細かく書いてます。私はそれをざっと眺めるのが好きです。単にミーハーな気持ちが半分、残りは何となく仕事の語彙のため。いや、こっちは8分の1ぐらいかな。森前首相のときは、料亭で政治家との会食ばかり。ちっとも面白くない。小泉首相になってから、俄然面白くなりました。グルメ的興味で読んでるのだから、会議や何かはすっ飛ばし、もっぱら興味の中心は「何を食べたか」「だれと食べたか」。仔細に覚えているわけではないのですが、気付いたところを挙げましょう。まず、歴代の首相に比べると、料亭の登場回数が圧倒的に少ない。「福田屋」のときもたま~にありますが、西洋銀座の「吉兆」のこともあるし、ホテル内での食事が圧倒的。大体は赤坂周辺のホテルを利用。赤坂プリンス内の「ポトマック」「トリアノン」など。他にはTBS会館地下の「グラナータ」も目にしたな。中華料理では「中国飯店」と「楼外楼飯店」。オークラ「桃里」のこともありました。これはどうも使い分けているみたい。(ところで、楼外楼の「高菜そば」は、澄んだスープに高菜が刻んで入っただけでシンプル。とっても美味しいです♪)「高輪のラーメン店。秘書官と」という日もあって、びっくり。なんて気取りがないのでしょう。そして、時々「文化人」と呼ばれる方々ともお食事しています。「宮尾登美子さんと」という記事が目にとまったり、「林真理子氏らと」ということも年に1~2度。林氏が着々と自分のステージを上げているなと感じる記事でもあります。更に観劇や音楽鑑賞も多彩なので、小泉さんの「首相日々」は見逃せません。年末年始は高輪プリンスホテルにご滞在。品川プリンスシネマで「ラストサムライ」を観て、ちょっとボウリング場にも顔を出す。お正月には1年ぶりの歌舞伎鑑賞だし、他の日だったかもしれないけれど、六本木ヒルズのTSUTAYAで「ラストサムライ」のサントラを買ってる。激務の合間をぬって、オペラだの、映画など、結構観ていたりします。噂どおりのなかなかの趣味人。そんな中、時折見られる「家族と食事。」彼の家族って孝太郎くんのことを指すのでしょうか。そういえば、最近、見ませんね、彼。
2004年01月05日
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ご機嫌斜めの娘が、夕方になって突然「しゅーくりーむがたべたい」と言い出す。最近の彼女の食欲はすさまじいものがあり、時折、怪獣を飼っているような心持ちになる。「生クリームの買い置きがないからケーキはつくれぬ」が断りの常套文句だが、シュークリームづくりに生クリームは不要。つまり、台所にある材料でつくれちゃう。「おなか、すいた~」の情けない顔に負けて、重たい腰を上げる。やれやれ。ところが、やっつけ仕事でつくったせいで、どうもまあるいシュークリームにならない。焼きあがったのは、まるでお気に入りの香水の瓶のように平べったい三角錐。なんじゃ、これ。それでもバニラエッセンスのたっぷり入ったカスタードクリームを詰めて、おなかに入れちゃえば、おんなじこと。そういえば、母がつくっていたシュークリームはもっとふわふわで、きれいな形だったっけ。今度、レシピを聞いておこう。「おいしかった、ごちそうさま。」よしよし。夕食も、ちゃんと食べなさいよ。しばし、あま~いお菓子の香りに包まれたお正月休み最終日でありました。
2004年01月04日
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もしも、あなたが箱根駅伝で復路の応援に行くとしたら、たとえ沿道まで徒歩15分のところに住んでいても、決して油断をしてはいけません。彼らは休みません。ひたすら走っています。あなたがねぼけまなこで朝食をとっているときも、宅急便で届いた山のような衣類を洗濯機に放り込んでいるときも、鏡に向かって化粧をしているときも、ひたひたと近づいてきます。思いのほかの速さです。10区のどこかで見るときでも、「六郷橋を渡ってから出発」などと悠長に構えてはいけません。人間の足、恐るべし。「洗濯物を干してから」などと思わず、とっとと出かけましょう。うっかりすると先頭走者を見逃すことになりかねません。私は過去に2回、見逃しました。防寒はしっかりと。冬場のTDLへのお出かけに準じた格好がよいでしょう。そして、通の人はイヤホンつきのラジオを持参します。多少おしゃれに気を配らないと、「あら、あの人、競輪か競艇が趣味なのかしら」と誤解されます。ご注意召されよ。ラジオをお持ちでない方には、ヘリコプターが目安になります。目指す観戦地点の上空で既にヘリが爆音を立てていたら、あなたは出遅れています。駅伝走者のように観戦場所へ走りましょう。ただし、思いのほか速く走れず「こんなはずでは」と思うはずです。観戦場所に余裕を持って到着すれば、いつの間にかあたりで配っている新聞社の小旗を手にすることができます。喜んで2本も3本ももらわない。後で始末に困ります。ただ、1本は必須です。あの「音」が大切です。子供連れなら大抵子供が持ちたがります。10区は、泉岳寺付近が道路の幅が広く、見通しがきくのでお勧めです。多少道がカーブしているので、さらに雰囲気がよいです。今年はあまりに暖かく、品川駅前が霞んで見えるほどでしたが、例年は、もっとスキッとした景色が広がります。それほど混みあってもいません。高輪プリンスホテルに滞在中の小泉総理も見に来ればよかったのに。選手が近づいてきたかどうかは、関係車両よりも何よりも、例の小旗が目印になります。選手自身は相当近くなるまで中継車両に隠れて見えません。彼の走りに並行して、沿道の旗が、遠くのほうでサワサワと揺れ始めます。そのサワサワ、パラパラという音がだんだん近づいてきて、選手が駆け抜けます。あっという間です。格好いいです。しかも速い。先頭のひいきめでしょうか、今年は駒沢の選手が一番格好よく走っていたように思います。つい声が出ます。「ガンバレ~」とか「コマザワ~!」とか。個人名を呼びたいけど、当日朝に選手が変更されていると困りますのでなかなか呼べません。大学名が長いところも、「○○ガクインダイガク~!」なんて、つい噛んでしまって叫べない。最初の2文字ぐらいで去ってしまう。「ガンバレ~」がせいぜい。南人(なんと)呼ばれたら嬉しいものなのでしょうか。気になるところでありまする。忘れてならないのは、先頭の選手の背中とともに、中継車両の中を見ること。船越アナウンサーのご尊顔を拝することができましょう。母校はシード落ち。くやしかろう。がんばれワセダ。ところで、隣の男女2人連れが携帯で選手を撮っており、てっきりカメラだと心置きなく声援を送っていたら、動画じゃないの。しっかり私の黄色い声援が録音されていた。赤面。もう。動画だって言ってよ。ビデオカメラだったら気をつけたのに。向こうも邪魔な声が入って迷惑だったろう。あとは同様。小旗を目安に選手を待つ。駆け抜けるたびに声援を送る。約20分間。10区でも、このあたりで見てしまうと、ゴールの様子をテレビで見るのは間に合わない。今年はデッドヒートもあったらしく、少々残念でした。ただ走るのを見るだけなのに、どうしてこんなに感動するのと思いつつ、8年目になる駅伝観戦。上位の大学も随分入れ替わったなあと時の流れを感じます。そのころ走っていた選手も、どこかで観戦していたのかな。
2004年01月03日
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帰路の車中で読むべく珍しく「週刊文春」を買ったのに、熟睡。その為、夜はなかなか眠りにつけず、ホットウイスキーを飲みつつ、ぱらぱら眺める。久々に読むと、なかなか面白い。お取りよせ特集も美味しそうなものが沢山。見るだけで満足してしまい、なかなか自分で取り寄せるまでには至らない。そんな中、目に飛び込んできた「オッ」というタイトル。「新年の誓いを立てる人は信用できない」 土屋賢二氏の連載「ツチヤの口車」の見出しである。ふむふむ。 お茶の水女子大教授の彼が曰く、 「新年のおごそかな誓いを簡単に破るような人間をだれが信用するだろうか。」 (真正面から論じているわけではなく逆説であって、立てたってムダということを言いたいもよう。) 相当はしょった要約をすると、それでも誓いを立てるだけマシで、 「新年の誓いを立てる人(向上心あり)→誓いを立てようとすらしない人(向上心なし)→他力本願の誓いを立て、他人を動かそうとする人」の順にロクデモナイ人間なのだそうだ。真面目を装って不真面目に力説する彼の文章、以前は苦手だったのに、久々になかなか笑えた。私も、いちおー、「10年日記」に毎年目標を掲げている。「子供を感情的に叱らない」とか、「きちんと片付ける」とか、「腹筋を毎日30回する」とか、「スクワットを欠かさない」とか、「東海道を完歩する」とか、「酒は卒業」とか、「やたらに値切らない」とか、「二度と家出をしない」とか。(どこかからは、つくり話。)しかし、概ね私の場合は挫折して、「あ~、アタシって何てだめなヤツ」と年末に余計な落ち込みのもとをつくるだけ。大体、去年のことを振り返って10大ニュースを考えても、予想もつかなかったことばかり。その中で初志貫徹していたら、そのほうが変かもしれない。(自己弁護?) 加えて、毎年毎年目標をクリアしている人ばっかりだったら、今ごろ世の中はお金持ちや賢人や聖人君子の集まりで、幸せたっぷり、争いのない、みんなニコニコ平和な社会が実現していてもおかしくない。自分の周りを眺めても、果たしてみんな新年の誓いは貫かれているのだろうか。「私、毎年誓いを立てて、それは必ずクリアしているの。」そんな人、いたとしても、ちょっとやだ。あんまりお友達にはなりたくない。3歩下がってご遠慮申し上げたい。ついでに後ろからアッカンベーもしちゃおうかな。ということで、今年は試しに目標も誓いも立てないことにしました。とにかく、気楽にいきましょう。別に「ツチヤの口車」に乗せられたのではないつもり、なんだけどな。
2004年01月02日
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あけましておめでとうございます。娘がおみくじをひいたら大吉でした。喜ぶ顔を見て、私も大吉です。今年もよろしくお願い申し上げます。
2004年01月01日
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