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この画像はポーストギャングのページからだそうです。友人からフォーワードメールとしてバンコクから送って来た。 以前は同じこの赤子の置き物画像があった。アメリカ製ですぐ売り切れ状態だという。非常に本物そっくりでしたので、びっくりした!初見ではこんなに小さいとはあり得ないと否定的な観念が出てしまう。
2007/05/31
バンコクのサ-トンタイ(南サ-トン)ロード沿いに、「フ-」新風レストラン・バーが人気急上昇中。 外からガラス超し店内が見えるものは、カウンターバーのキャビネット。巨大な壁がお店の度真ん中にあったような感じ。この巨大キャビネットは、各種の飲み物、お酒、ビール、ワイン等の保管場所となっている。 店内の2階はセクションに分けられ、プライベートな雰囲気でお食事や飲む穴場となる。美術品等が随所に飾られ、楽しみながらお食事ができるエリア。 1階はカウンタ-席とテーブル席で、カウンター席からはキッチンが丸見える。狙いは、客が注文したものは、どのように、どの従業員やコックが作って、出来上がったものは自分のところへ運ばれる等、総べてが見せる!。。。 毎週金曜日の夜に、1階の広場は「P・O・R・N」(Pure Orgasmic Rhythms Night)場となる。モ-ダンジャズ音楽が流され、楽しいダンス広場となる。 ここの料理や飲み物は創作メニューが殆どで、かなり高い。(単品は250バーツから)
2007/05/30
イーサーン地方の南方に所在する「ブリラム」県の標高1320フィート「パノムルング」山脈の頂上は、約1000年前、クメール民族によって建てられた「パノムルング石宮殿」は、タイの歴史的で、国宝級として保護されている。 「パノムルング石宮殿」は「サイワ」派のバラモン教の宮殿であった。 当時の宗教(バラモン教)活動のために建てられたと言われる。本宮殿へ昇り山道沿いは、サンドストーンで造られた階段。その昇り口は、巨大な「5面ナガ」(頭が5つ龍神)で彫刻したモチーフで登山者を迎える。 石宮殿づくりは、総べての部分はサンドストーンのリリーフ彫刻で、巨大な一枚一枚を重ねて置くだけでの構造である。 巨大な岩石と美しいモチーフ彫刻作品は、現代は機械や技術的でも真似できない不思議的な建造物として小さながらでも、カンボジアの世界遺産「アンゴールワット」に比敵的な対象となる。画像は、パノムルング石宮殿のメイン入り口の上部の飾り部分。「ナライバントムシン」リリーフ(シンハの背中に睡眠する破壊の神様「ナライ神」)。 十数年前にこの「国宝級」リリーフは盗難され、アメリカの有名なコレクターの手元にあったことが、調査で分かったタイ政府の文化庁が還元を求め、世界裁判を起こした。結果はタイへ帰還となって、元の場所に付けられた。。。 ***** 次ぎの2へどうぞ。「パノムルング」山脈登山祭り ↓*****
2007/05/29
また、天文学の知識応用と最高的な技術で不思議な現象を作り出した。 年一度しかない神秘的な現象とは、タイ陰暦の毎年の5月15夜(満月の日=1日)に、太陽の旭が、宮殿の総べてのドア口を一直線と通す。この現象は恐らく1000年前の人々に魅せられてきた。 毎年の4月の満月の朝に、この「神秘的な現象」を見るために、昔からこの地方だけではなく、全国からの人々は「パノムルング石宮殿」へ行く。今年は、去る4月3~5日だった。 この神秘的な現象を合わせて毎年、ブリラム県は「パノムルング石宮殿」祭りを開催する。画像は、「パノムルング石宮殿」の総べての出入り全15口を貫いて一直線となった旭。
2007/05/29
ワット・スタットの中側の廊下に52体座像がある。この全52体が総べてが同じ。廊下の全長に沿って座像が安置されているこのアングルは見学者にかなり大きなインパックを与える。 ラマ2世王時代からこのお寺が何回も修復された。王室のお寺として代々に大事されてきた。当時は王族関係者が仏教信徒として、修行期間で僧侶になるときは専用された場所はこのお寺だった。 出家して僧侶を止めない一生涯の方たちは亡くなると、周りの人々は記念としてお寺専属技術者に仏像を作ってもらって、この境内廊下へ安置する。台の下に亡くなった方の名前、生年月日、亡くなった年月日が記されて表に貼った。このために段々と体数が増えて廊下の全長までに達した。。。52体となり、丁度一年間の52週間数にある。 これで、ワット・スタット寺は、前の広場のタイ唯一巨大ブランコの他に、この境内廊下の座像も、バンコクの人気なお寺見学スポットとなった。
2007/05/28
バンコクの古い繁華街エリアのバンラク区(シープラヤー→スリウォング→シーロム)をぶらりと散歩しながら、懐かしいバンラク市場へ向った。 バンラク市場の途中、世界一のオリエンタルホテルを寄りました。 昔タイ在住時代、ここのタイ料理のチーフシェフと知り合って、不思議に同じ趣味と料理の探究心を持つために、親友となった。。。 ホテル本館のロビーは、昔ながら変わらないレトロな雰囲気が溢れる程感じた。 ラマ4世王時代にシャム国(タイ)は始めて開国したことによって、西洋人各国籍様々な職業の人々が絶え間なく「シャム王国」へ入りました。母国代表と称した団体、キリスト宣教師、商業者、運試しの旅人等々が絶え間なく日々シャム湾へ「黒船」で到着した。 「農産物や、重宝とされた品物があの『未開発国』は山程あり、好きなだけ手入れられるし、人々は優しくていつも笑顔を」等の口コミで、バンコクは開国間もない間に白人が溢れた。 そして、それまでのバンコクは外人の宿泊施設はなかったため、白人たちは来た船に泊らなければならなかった不便さが段々と限界になった。 と言う訳で2人仲間の白人のデンマーク国籍の船長と補佐、エッチ・ジャーク氏とシー・サルジェー氏は、自分たち白人専用ホテルを建てる計画を始めた。 フランス大使館の近くに土地使用許可を獲て、チャウプラヤー川沿いの朝夕陽が素晴らしい風景のところを選び、イタリア国籍の設計士エス・カールデュ-氏の協力で建設着工した。それは1876年だった。 本館となった当時のままの、ビルの屋根の両端の人字形の部分の外部のデザインは、現代までホテルのシンボルとされている。 ロビーラウンジには午後と夕方から深夜まで、生演奏が毎日実施される。 本館の各部屋は、宿泊した有名人の名前を因んで付けられた。例えば、ジョ-セフ・コンロド、モム・サマセット等。
2007/05/27
水上マーケットのタイラーメン(クオッティオ)屋さんの真上から撮った写真で、このように具とスープ、調味料等が総べて見える。 いろんな麺の種類、具や、調味料を入れることによってはそれぞれのラーメン(クオッティオ)になるのが言う必要ないが、タイラーメン屋さんの特徴を考えれば、小さなところでしょう。 タイミングを待ってシャッター押すですけれども、この売り家さんは掬っているところです。実はこれがタイラーメン屋さんの総べての種類(クオッティオ各種:鶏肉、鴨肉、牛肉、牛肉団子等々)共通するものです!これを入れないクオッティオは「ない」と言えるかもしれない。。。 それは、「ガーリック・オイル」(皮付きみじん切りニンニクを油で揚げるもの)です。 少し焦げ目のニンニクと油を少量だけ入れると、タイラーメンが日本の総べてのラーメンと違ってしまう!不思議に、ニンニクの臭いが気になることもあるが、クオッティオの場合、「入れないで下さい」を言う人はあまりいない! 注文によって、一杯一杯ごとを作って、スープをかけて客に出す前の最終段階は、このタイ式の「ガーリック・オイル」ですね。少量だけど大きな役割です!
2007/05/26
画像は水上マーケットの果物屋さんです。 今は果物が一番多く出ている。年中の三大代表のバナナ、パイナップル、パパイヤに加えて、この船に載っているのが「旬のもの」です。 一番手前とところどころにあるルビ色(濃い赤い)の丸いものは「チョンプ-マミオ」。中身が純白で種が日本のビワの大きさくらい2~3コが中央にある。このチョンプ-マミオの味は薄くて微妙な甘い酸っぱい。汁があまりない。タイの人はそのままで食べるよりも、砂糖と塩と生唐辛子を混ぜて唐辛子がまんべんなくになるくらいに一緒に潰す。これをつけて食べる。。。 チョンプマ-ミオのもう一つ味わいは薄い甘い香り。。。 チョンプ-と言う果物は大きく2種類を分けられる。このチョンプ-マミオのもう一つは単なる「チョンプ-」。ようするに普通のチョンプ-ですね。もう少し前に出回って今は終わる頃ですので、あまり見られなくなっている。形は全然違って三角形に近い。綺麗なピンク色と薄緑色、濃いピンク色の小さめで3種類。この普通のチョンプ-の方が甘くて汁があって、冷して食べると咽が潤い。 「チョンプ-」とは、ピンク色の意味。この果物の色が呼び名の由来となった。マミオは外来語で、もともとはタイになかったものです。原産ははっきり分からないが、インドか大平洋の島か南米だと言われている。。。 手前の2番目に茶色の小粒は「ラムヤイ」です。(中国では「龍眼」と呼ぶ、龍の絵を見ればこの呼び名が納得できる!マン丸くて飛び出すような感じですので「龍の目」と。。。)糖度が高いので凄く甘い。汁も多くて美味しいが、人によっては「あの臭い」が嫌い!身は透明な白と薄ピンクがある。真ん中に黒に近い茶色の硬い丸い種がある。この乾燥物の龍眼を適量な水に煮出して冷す「ナムラムヤイ」は人気な飲み物。ラムヤイは身体をあたためると言われ、一方糖度が高いのでカロリーも高いから血圧問題の人は避ける気味。。。 この船にはマンゴは3種類、バナナ3種類。両脇の船は多分果物屋さん同志ですが、左に見えた方は殆ど売ってお終いになりそう。。。自分の欲しいもので寄ってくる。。。右では手だけが見えるが、ビニール袋を持ってチョンプ-マミオを選んで入れようとしている。。。。
2007/05/25
現在はたまにしか見られないタイちょんまげ。こどものヘアスタイルで、脳天に髪の毛を長く延ばして、廻りを全部丸坊主した形。 この髪型は昔の人々は子供が元気に育つためのおまじないであった。病弱か、中々言う事を聞かない子には、親たちは手作り粘土人形をその幼い子の前に並べて好きなのを選んでもらう。 選んだ人形に、その子の髪型を人形と同じ型にする。。。 その粘土人形は4体で4様の髪型になる。 4様の髪型は、1つ目、脳天のところに髪を残しまるめておく。廻りは丸坊主。これが「ポム・チュック」と言う。(ポム=髪、チュック=一つ丸めて摘むような形) 2つ目は「ポム・クレア」(頭の横に一丸めて残す。片側と両側がある。他のところは全丸坊主) 3つ目は「ポム・ピア」(脳天に髪を長く残して3つ編みにし、他は丸坊主) 4つ目は「ポム・コ」(後ろにひとつまみを残し、結んで垂らす。他は丸坊主) 以下2~4へ続く。。。↓どうぞ。
2007/05/24
子供達にこのような髪型にするもう一つ理由は、赤ちゃん等幼いころには頭がい骨の脳天部分が未だ柔らかいため、何かに激突等されると危険からそこだけは髪で守る。 また、脳天に微かな振動が見えるため、これが人間の魂の宿るところであって、命に関わる最も大事なところであると信じている。 そして、年中暑い気候ですから、脳天に剃刀では危険なため、ここ以外のところをぜんぶ丸坊主にした方が清潔。画像は「ポム・ピア」脳天に髪を長く残して3つ編みに、他は丸坊主。
2007/05/24
このような髪型の男が11才、女が13才になると、「散髪式」を受ける。儀式を無視にして勝手に切ると「病」になると信じている。 年になると親は子供の誕生日(陰暦)と出産時間を持って占い師に「吉」となる期日と時間を「散髪式」に決めてもらう。しかし、火曜日には禁じる。火曜日だけは「髪を切る」ことは不幸と病に繋がるからと信じている。(火曜日は散髪屋、美容室等は現在も休みが多い) 儀式は村の氏神様を祭っているところで作った「聖水」をかけながら、呼んで来たお坊さんはちょんまげのところに剃刀を入れ3回切り落とす。次ぎには、村の長老者数人が綺麗に切って、他の大人たちは交代で全頭をマル刈りにする。最終は、専門の床屋さんは綺麗にマル刈りしてくれる。 このちょんまげを切り落とす「散髪式」には肉親(両親)は自分の子供のちょんまげを切ることはいけないとなる。画像は、「ポム・クレア」頭の横に一丸めて残す、両側の2つか両側と後ろの3つがある。
2007/05/24
「ポム・コ」ひとつまみを残し、結んで垂らす。他全体はマル刈り。
2007/05/24
うどんと似ている形で緑色の短い麺を、ココナツミルクとかき氷でガラスに入れるおやつ「ロ-ッチョング・シンガポ-ル」は、タイで永久版の人気デザート。 名称の意味:「ロ-ッ」=通す、「チョング」=穴、「シンガポ-ル」=シンガポール(国)。しかし、全然シンガポールには無いおやつ!向こうの誰に聞いても知らないです! 『「ロ-ッチョング」=穴を通す』は、「作り方の事」を「固有名称」にすることなので分らないタイ人も多い! この「ロ-ッチョング」は、タピオカの澱粉を、適量のお湯で適度の柔らかさになるまでこねてから、大きめの釘の大きさ(約3~5ミリ)の穴がある鉄板を通すように押して、粉が通して落とすところは、沸騰湯鍋(強火にお湯の鍋)で茹でながら上がって、冷たい水(氷り水)に浸ける。。。 緑色は、香りがいい「バイトーイ」の葉っぱの汁。 実は、この氷菓子「ロ-ッチョング・シンガポ-ル」の元祖は、60数年前から始まった。暑い気候にかき氷おやつを新しいものがないか考えたから、「タイロ-ッチョング」に目が止まった。「タイロ-ッチョング」はジョウシンコ(上新粉)で作ったので、麺は歯ごたえがない柔らかいものを、こしがある麺に変えたかった。。。 *****次ページ2へ続き。。。↓とうぞ*****
2007/05/22
当時は、タピオカの澱粉はシンガポールから輸入品しかなかった。タイはまだタピオカを粉に作ることができなかったからです。 それまでの「タイローッチョング」を区別したかったので、「ロ-ッチョング・シンガポ-ル」と名付けた。また、たまたまお店の真向いは「シンガポール」映画館だったので、映画を見に来る客は、上映時間を待つのに、ここのかき氷おやつを食べにくる。新商品でこしがある「ローッチョング」は話題となり、人気となった。 客たちは口コミでは「シンガポール映画館前のローッチョング」と呼びました。あまり長いので、つい「ロッチョング・シンガポール」となった。。。 その後シンガポール映画館は「チャルンブリ映画館」と名を変更しても、「ローッチョング・シンガポール」は名を変わらない。 現在、全国的に普及したが、元祖の美味しさは未だどこでも真似できない。2代目となったお店でも美味しさは変わらない60数年間継続しています。 本当に美味しい「ロッチョング・シンガポール」はここだけ。 食べ方等はここへこれば、わかる!ストロールで食べるではないのです!スプーンでよく掻き混ぜてガラスを口にもって注いで飲む!お店へのアクセス: 680~682番地、サム・イェックモミー、サンパンタヲング・ロード。木曜日休み、営業時間11:00~22:00時。画像は市販の家庭用ローッチョング作り器。麺の大きさで選べられ、サ-リム(緑豆澱粉で作るもっと細い麺)用穴が小さい。
2007/05/22
タイ国の西側の国境の最先端はミャンマーに隣接したガンチャナブリ県。その最西県のまた最西端地は、バンコクから330キロの距離のサンクラブリ郡である。車でだいたい4時間かかります。 このサンクラブリ郡の一部は約20数年前、国のダム建設計画によって、浸水された。お寺や小さな村、広大な畑等が「水中町」となってしまった。 サンクラブリ郡はサイヨーック川によって2つ分けられ、ミャンマー側はモン族が多く、反対側はタイ、モン、ミャンマー族が平和的に混在している。 サンクラブリ郡に住んでいるモン族は川を渡る為に、代々の昔から木材で手作った橋を利用している。この橋は木材の橋として世界一長い橋となった。 地形は高い山に囲まれたため、年間平均温度は15度で、冬には10度以下。自然森林に囲まれたため、朝靄が多い。このような環境によってタイでは珍しく、綺麗な風景が特徴で他県にはなかった。近年来国内観光客に知られ始めた。インターネット普及した時代となったからです。 日本人やアジア国の観光客はあまり知られていない。 外人には「ガンチャナブリ」とは「クエ-川と戦争にかける橋」だけだった。。画像は、毎日、早朝から日課の托鉢に、世界一長い木材橋を渡った僧侶たち。以下2の画像は、40年も生き残って今だ精一杯元気に浸水したままのナタデココヤシの木。3の画像は、浸水して、無人寺となった「ワット・ウィウェッカラム」寺の本堂の残った壁の一部。現在は川の向こうに新築した。。。アクセス:自家用車では、バンコクから西への高速道路で、「ガンチャナブリ県」方向へ。約3時間は市内に着く、さらに山奥へ2時間かかります。あまり対向車や車も少ない山道なので、慣れない運転ではお勧めしたくない。。。 国内大きな旅行社は、「ガンチャナブリ~サンクラブリ」パックツアーが人気商品。1泊2日間のパッケージツアーは5000バーツから。(往復交通費、ホテルと朝食付き)
2007/05/20
タイの最西町「サンクラブリ郡」の一部は「水中町」となった。 このナタデココヤシの木は、もう40年になった「浸水木」です。「命の強さ」を、毎日訴えているこの木は、誰にも感動と学びを与えている。 思わずシャッターを押す全世界の観光客で、世界一名木となった「ナタデココ」。
2007/05/20
無人寺となった「ワット・ウィウェッカラム」寺。浸水して残った部分はこの壁と鐘台。
2007/05/20
タイ仏教界は仏像が欠かせない信仰対象の「神聖物」となる。どこのお寺でも、家庭でも、大中小なりの様々な大きさの仏像と形が置いてある。 仏像を手に入れられない 貧しい人には、せめて写真や印刷物の画像(新聞や雑誌から切り取ったもの)の形で壁に貼る。 お寺へ行くと、たいていのお寺の本堂に安置されてある御本尊へお参りする。 お寺へ行く前にお花セットを買う事。お花セットには、線香3本とロウソク1本、お花は白いかピンクの蓮の花が主に1本とその他の草花数本でセットなる。線香には薄い金箔が1枚(四方形約2×2センチの大きで、0.02ミリの厚さ、紙に挟んである)が挟んである。 お花をお上げてから、線香とロウソクを火付けてそれぞれのところに挿してからお祈りする。最後には、金箔を仏像に貼る。。。 ******** 2、3 へ続く ↓ ********
2007/05/18
さて、どこに貼ればいいのか? だいたい、自分の願いが叶えられるようになるため、関係になる身体の部分へ貼る。例えば、口下手なので、職場でよく誤解された人は。。。「どうか、人が好かれるように、ボスが可愛がられてくれるように、上手く話しができるよう。。。」等と、思いながら、口のところに貼る。 「目の病が治りますよう」、目に貼る。「年中頭痛」や、「頭が悪いから成績が思うようにならない」等々は、脳天か、疾患しているところに貼る。 金箔一枚一枚は、薄くしなければ、盛り上がる丸いや凹む等の様々な表面に沿っていかない。 このために純度が高ければ高い程薄くなれるし、黄金の輝きは何年たっても変わらない。変色しない。そして、もっとも大事なのは他物の表面に接着しやすい。 タイの金箔はこのような用途で必要性があっての純度が世界一高い(100%)。最近は料理やデザートに飾り付けに使用される事が多くなる。純度が高いものは、他鉱物と混合したものよりも安全だと言われている。 ******** 3へ続く ↓ **********
2007/05/18
仏像に金箔を貼ることは日常な伝統風習であるため、そのまつわる諺がある。純金の葉で貼って綺麗になった仏像を見ると、晴れ晴れな気持ちになり、嬉しくなる。そして、仏像の表だけはきらきらと輝く。しかし、裏へ廻ってみると、原形の表面ままだ。セメントや、青銅、鋼鉄の表面のまま。 これで、「表」(見えるところ)だけは綺麗にして、「裏」は無視、放って何もしないままだ。仏像全体が綺麗な黄金の輝きであるべきでは。と、ここに、諺が生まれた。 「ピットング・ラング・プラ」(=仏像の裏へも金箔せよ)というこの諺から教えた事は、見えない所でもちゃんとすること。日本風で言えば「陰徳」ですね。。。 現国王も、この諺を実行して欲しいとのご指導を何回も国民や、国家公務員へ送りました。 この画像、後ろへ金箔しようとする幼い兄妹。珍しい光景です!大人だったら、「自分が。。。」ばっかりの事を夢中にどうしても、どこどこにする。この兄妹は学校で学んだ諺に、純粋な心に素直で実行したのだ。。。とっても印象的な画像。何百、何千枚の中に、このような裏を貼るのがめったにない!
2007/05/18
「パーカウマー」はタイ語ではない。ペルシャ語の「カマルバンド」(Kamar band)から伝授したらしい。「カマル」=腰、下半身、「バンド」=巻く、絞める、かける。合わせては「ベルト、腰や腹の巻き」の意味となる。 この「カマルバンド」は他国語にもある。マレー語や、インドのヒンディー語とも「カマルバンド」という。英語には「カンマ-バンド」(=Commer band)となり、タキシードの腹バンドを示す。 「パーカウマー布」はタイ人の日常生活にかなり古い歴史をもつ。900年余り前の「チェンセーン」時代の人々の服装はパーカウマー布を腰に巻いたと描かれた壁画が、北部のナ-ン県の「ワット・プミン」寺に見られる。その後のアユタヤ時代は男女とも腰巻きの他に、腹巻き、肩にかける等を「便利布」となった。 多目的なパーカウマー布は、北部と東北が中心に生産と使用された日常に欠かせない必需品である。長方形で粗綿布でチェック模様、幅は45~50センチに、75~100センチの長さで、戸外で用いる浴布にもっとも適性、また腰巻いて膝まで届く程の幅。 田舎や農民、労働者は平常はバンドの代わりに腰に巻くか、肩にかけたり、頭に巻いて陽をさえぎったり、手拭い、ふろしき、バンモク等自由自在に使う。 生んだ瞬間の赤ちゃんを受けるに使用から生涯が終わった「死者」の身体を浄めるに拭き布とするまで、何でも使える便利布である。 パーカウマー布の様々な役割(実際用途)をあげてみました。。。 1)(川や戸外で露天)水浴びに男性は下半身を、女性は胸から巻く。 2)身体の洗い用。3)汗を拭き取り。4)頭を巻き陽をさえぎる。5)座布団。 6)木の間に結び、ハンモクに変わる。7)ズボンなしでの家での普段着。 8)腹巻き。9)寝るに敷き布団やかけ布団の代わり。10)ふろしき包み。 11)女性の胸から巻きすねまで垂らす簡単な浴布。 12)ほこり、虫、蚊等を叩き払う。13)ヒモの代わりに物を縛る。 15)着替える時の仮巻く。16)丸く巻き固めて枕の代わりに。 17)陽、雨、風から顔や身体を守る。18)物、容器、器具等の掃除用布巾。 19)バスタオル役。20)ぼろになると、雑巾、足拭きとなる。 20)団扇のかわりに納涼用具となる。21)怪我や緊急の三角巾に。 22)汚れを防ぐ前掛け、ナプキン。23)テーブルクロース。 24)緊急時、女性は生理ナプキンに。25)赤ん坊のおむつ。 26)新生児が母胎を離れ生まれ出るときに、受け布となる。 27)自殺の首吊り用!。。。等々。
2007/05/17
「さよなら」とは、外語専門学校の教科書や、日タイ辞書等は「ラ-コーン」と書かれている。英語の「バイバイ」にも「ラ-コーン」か「バイバイ」となっている。 実際、日常生活タイ人は「ラ-コーン」を言う人があまりいない!タイ人同志からこれを言われたら、その瞬間に違和感を感じて、「外来言語」と思わせてしまう。内心では「なぜ、タイ語らしい言葉を言わないで、無理矢理に外人風の言葉を使うのだろう。。。」 英語での、「シーユーアゲイン」、日本語で「また、会いましょう」と言うと、辞書では「ワイポッブ・カンマイ」と解釈したが、訳した意味は間違いないけれども、タイの習慣では普通は「言わない」言葉です! これらの別れの挨拶言葉は、タイ人同志では使わない。日常会話にはあまり聞かない言葉。 なぜかというと、昔からタイ人の生活習慣、環境は平和的、「マイペンライ」なスローライフ的だったためでしょう。 気候は温暖な日々365日が変わらない。日本や寒い国と違って、大雪や台風、竜巻、地震等がない。。。だから、何時会いたくても行ければ会える。このような安心で平和的だったならば、「また、会いましょう」とか「ラ-コーン」等は強いて言う必要がない。逆に聞いたら吃驚する。「何か彼に起きたのでしょう?」等に思わせられる。。 たまには、タイ語が分かる外人に対する言う事もあり得る。これは、相手の外人への「思いやり」、または、「分かるために」との配慮で言うです。 *********次ぎの2へ続く。↓*************
2007/05/13
では、実際タイの人達は別れる時どう言うでしょうか? 彼らはお互いによく使う言葉は「パイラ」(=もう行くね)、「パイコーンナ」(=お先に、失礼します)、「パイコーンラ」(=お先に)、「コーップ・クンナ、パイラ」(ありがとう、もう行くわね)、「ワッディ、ワッディ」(=サワッディ、サワッディ)等。 上司や目上の人に対しては「ポムコーラナクラブ、サワッディークラブ」(=では、失礼いたします、ありがとうございます)または、「ポム・コートアコーン・ナクラブ、コーップ・クンクラブ」(<ポム=男性用代名詞=私。女性は「ディチャン」>=お先 しつれいいたします。ありがとうございます) このように、日常で別れる時に強いて「ラ-コーン」を言うのは、だいたいもう会えないだろうの別れること、永遠に離別となる。殆どは自分が相手にとって最後になるだろうとの想定で使う。 歌に「ラ-コーン」をよく歌詞にあるけれども。 あの人気ペア歌手のアッサニー・ワサンのオリジナルヒット曲も「ラ-コーン」という曲名。 この「ラ-コーン」とは、未練で失恋となったとか、片思いになった結果とか、愛が報わないから諦めることで愛する人へ「ラ-コーン」の言葉を送る。。。
2007/05/13
毎年日本の母の日は、花屋さんが忙しい!カーネーションや、花籠が普段より倍の値段となる!この日だけは日本人が「母」を思うのかしら。。。と思わせる周囲の情報や動きが目の当たりだった友人からいわれた! 母の日の起源を調べてみると、かなり古い歴史があった。。。 アメリカのフィラデルフィア州の学校の先生「アンナ・エム・チャ-ルウィッス」さんは、母の日の提案して2年も努力した末、1914年当時の大統領ウーッロウ・ウィルソンさんは「母の日」を、5月の第2日曜日に宣言した。 シンボルはカーネーションだと決めた。未だ健在な母の家にはピンク色のカーネーションで飾り付け、亡くなった母へは白いカーネーションとする。 タイでは1943年3月10日に始めて母の日が設けられ、厚生省主催でアンポン国立公園で祝う行事が行なわれた。丁度第2次世界大戦中なので翌年はやむを得ず母の日ができなくなった。 終戦後母の日を復帰しようとした様々な団体が努力したにも関わらず定着できなかった。交代して主催した団体によっては期日を数回も変わったこともあった。その中に一番国民に好かれたのが4月15日(ソンクラン祭りに重ねる)で政府も認めたため、1950年から数回続けて開催した後、また止めざるを得なくなった。行事の中心した「タイ文化協議会」のバックアップした文化庁は政治的に解散されたからであった。 後、タイキリスト教のカソリック教師連合会は自発的に母の日を復活して、1972年10月4日に祝い行事を主催した。だが、その一回しかできなかったため「タイの母の日」はまた暫く空白となった。 **********次ぎの2へ続く ↓ *************画像は、タイ国民誰もが愛好されるの、純白なジャスミンの花。タイ母の日のシンボルとなった。どこの庭でも植えたい貴重な花木。「ドーック・マリ」(=ジャスミンの花)と言う。
2007/05/11
最後、1976年タイ国社会福祉協議会は、この「母の日」をしっかりと「国の祝日」をなすべきだと決断し、王妃様の御誕生日を利用することを、直接皇后様へお願い申し上げた。 以来「タイ国の母の日」と「タイ国民の母」として「シリキット」皇后様の下に毎年継続する行事と国の祝日となって現在までいたる。「母の日」のシンボルとする花は「白いジャスミン」を同時に決められた。 因に「父の日」は毎年12月5日、国王ご誕生日である。。。シンボルは?「黄色」でしょう。。。(シリキット皇后様の誕生曜日は金曜日なので、色は。。。)(以前このページで紹介した曜日の色を参考にしてください) さて、本の話しへ戻りますが、ジャスミンの花は、優しい表情で純白といい香りであって年中咲く強い花木であるため、母への最高な敬意としての相応しい性格を持つ花だとの理由であった。 毎年の8月12日、シリキット皇后様のご誕生日でありながら、国の「母の日」に、タイ国民は母への祝いや、感謝を現わすために、母を共に早朝の「托鉢」へ功徳して、母の足下へ両手を合わせて額ずきする。(最高な敬意のあり方で親と国王御夫妻、僧侶にしかしない行為) 母を祝いプレゼントは様々な好みによりますが、最も「いい意味」母が喜ばれるのが白いジャスミンの花の籠やジャスミンの腕にかける花輪です。そして、昼か夜には外食へ御馳走したり、旅行へ連れて行く等をすることが一般的である。画像は、タイ国民の「母」としてのクィーン・シリキット。
2007/05/11
今まではアサリをナムプリックパウ(甘辛いペースト)炒めがタイで広く好まれるおかずである。家庭料理からレストランの特別メニューまでなった。 作り方も簡単だし味も美味しい、いつでも作れることは「年中食べれるもの」となる。(アサリは年中とれる)貝の旨味がナムプリックパウとスイートバジルと非常に相性がいい。 ここで、アサリの代わりにハマクリを使ってみました。 ハマクリはアサリより大きいから口に広がる旨味とアサリにないあのコリコリ食感が不思議に美味しい。 ハマクリの殻がアサリより厚いので、炒める前に茹でて開いたら使う。。。。 スイートバジルを多めに使うことがコツ。魚貝類の臭みを抑えることは確かだが、他には「毒を消す働き」もあると言われる事は本当かどうか筆者は確認できないし、保証しません!。。。まあ、(入れないよりも)絶対美味しいとは間違い無いです! 具体的に、作り方は: 1)ハマクリを茹でて開いたらすぐに湯からあげる。全体が開いて全部一同にあげるよりも、先順の開くの1個1個ずつからあげること。茹で過ぎると身が殻から取れてしまう。。。 2)みじん切りニンニクと潰した生唐辛子を、少量の油で中火のフライパンに炒める。香ばしくなると茹で上がったハマクリ、ナムプリックパウ、出し汁か茹で湯少量を順に入れ全体を軽くまぜる。 3)ナムプリックパウの固まりがなくなり、完全に溶けるまで炒める。出た汁を味み、ナムプラで調整する。 4)スイートバジルを入れて簡単に2~3回かきまぜてできあがる。注意:1)ハマクリを茹でる前によく洗ってから。開いたらすぐとりだすこと。茹ですぎると、身は殻からとれてしまうし、甘味は茹で湯に流されてしまう。。 2)今のナムプリックパウはかなり甘い。メーカーによっては辛さが全然なく甘いだけですので、塩梅に適量のナムプラが必要。生唐辛子の使用量も、この点で考え合わせること。 3)スイートバジルは多めに使うこと。あまり炒め過ぎないで、色がちょっと変わりはじめるくらいで結構です。
2007/05/10
タイでは仏教徒が国民全体90%以上であって、日常生活の総べてが仏教への思い、行動、実践がみなぎる。仏教の教えを実践することは日常の「当たり前」になる考え方までとなった。 画像はバンコクの川岸に住まいの家族が一日の始まる風景。 毎朝の日課として「托鉢」でやってくるお坊さんを、家族揃って待つことは「当たり前」で、早朝から準備したのご飯を炊く、出来たておかず、お線香と花セットを手渡す。 両親と子供、孫は一緒にこの「托鉢」を参加することは、タイ国民の一般的な事である。日々の欠かせない「功徳行為」はいかに大事かということを、このように、言葉なしでの実践は自然に子孫へ伝わる。 この基本的な日々の実践があるこそ、仏教が永遠に継続していく。
2007/05/07
トンブリ王朝が閉幕後、後継者となった「プラヤチャックリー」将軍は、それまでのタークシン王の王宮の真向い、チャウプラヤ川の左側にある小さな街だったバンコクで新天地を迎え、「ラッタナコーシン」王朝を設立し、自らは初代王朝の「ラマ1世王」と宣言した(1782年)。 同時に新王宮とエメラルド寺院を建設する用地に当たった以前からの中国人集落を、城壁の外側の東南方向にあった「サムペんグ」という地へ移動させた。 それ以来、無人だった「サムペんグ」は一気に中国人で賑やかな街となり、大きな市場と中国大地との売買する場となった。 ラマ5世王時代は分明開花到来になり、西洋から馬車、自転車、汽車等が導入され、道路建設は急務となった。バンコク始めての道路は王宮から出発点として数キロメートルの長さで周囲の郊外への終着点。画像は現在の「サンペング市場」。生地専門市場として昔から知られた。洋服裁縫用品、ボタン、レース各種、総べてのアクセサリ等がここに「無い」ことはあり得ない!卸し屋と小売りが混在しているため、総べての顧客に喜ばれる。。。 ********2へ続き ↓ **********
2007/05/06
新時代を切出したこの数本の道は、どれもが中国人街の「サムペング」を通して行くため、サムペング地域も次第に広くなった。至便がいい道路沿いは自然に人々が集まり、次から次へと新街が生まれた。 このように、「バンコク」の成長は王宮から東南方向へと広がった。。。 当時の始めての道によって、新生した街は、ヤワラーッ、パフ・ラッ、バンラク、バンランプー。 一方、王宮の側に新しく生まれた大きな市場は「 ターティアン」であった。 古くからあった「ワット・ポー」(ネハン寺院)と川の向いに「ワット・アルン」(暁寺院)があって、自然に人々は集まり、市場が段々と賑やかになって大きくなった。 当時の他の市場と違って、川沿いの利点で全国的に流通ができ一番大きな市場となった。現在は「パーックロンタラーッ」卸し市までに発展した。画像は、当時の「パフ・ラッ市場」の仏事用品のお店。仏像から僧侶の日用品の様々な商品がケースの中にある。。。現在のパフ・ラッ市場は、仏事用品や、生地専門、民芸品、ファッション用品、婚礼用品等の他様な専門店で昔からバンコク市民によく知られた。
2007/05/06
今、真夏のタイは高温で、必要がなければ昼は外出したくない一般庶民は、木陰でのんびりする。 このような厳しい陽射しでも、不思議に街を歩く人々はあまり日傘等を持たない。日除け帽子や、日射対策等の長袖も無関心。 お坊さんは一番熱く感じる所はやっぱり、坊主の頭でしょう。3枚布で纏った身体は、風に当たると涼しいが、頭は帽子を被ることはいけないので、お傘を挿すことはできる。画像の小僧が境内に遊び午後の一番熱い時間はやっぱり頭毛がないため、熱く感じる。 2枚でも充分なので、もう一枚を崩して頭の「ヘードギア」にした方がいい。。。純粋なお顔を微笑みが印象的です。 大人の僧侶だったら、この格好では「戒律を犯す」に当たる!
2007/05/05
タイ人は占いが好きだと言える。 どの新聞会社でも日々占い欄が必ず設けてある。ジャンル関係ない週刊誌や月刊誌も必ずある。 全国のお寺は90%以上、おみくじが置いてある。参拝客のためである。 場所によっては数が違う。0~100以上がある。それぞれのいい悪いがさまざまあった。 いい悪いともの内容は、おおまかに仕事運、金銭運、恋愛運、健康、家族、所有物の善凶。 中国から伝わったものだと言われた。 おみくじの取り方は、神様に「運命を正しくお知らせてください」等と、祈ってから、占い番号の木(お箸ににている棒状のもの)を手で全体位置直ししてから、竹筒を両手にもって、前後を振るわす。真直ぐより45度の傾斜な形にもちながら占い棒が1本落ちるまで振るう。止まらないで振るうって段々と占い棒が盛り上がり数本となり、最後は1本だけが筒から地面に落ちる。それが、当たる番号となる。 占い票が置いてある所へ当たった番号を探し出す。無料だが、「気持ちによる」の寄付。 悪いと占われた占い表は、日本ではお寺や境内に木やヒモに結んで残す習慣はないから、家へ持ち帰り処分する。いいのがいつまでも記念にお財布等に納まる。 中国のお宮には、このおみくじに、必ずセットとなるのが、竹の根を2枚合わせものがある。(合わせる貝殻と似ているような形で=())竹の根を経て半分切り蒲鉾状になる2枚をつくる。自然のでこぼこがあるのが表とし、切って平になった側が裏。 おみくじの当たる番号を落ちてくれると、その番号が正しいか、よろしいかを、「再確認」する意味で、この()の「合わせ竹の根」を両手で持ち、胸のところにもって「どうか、確認お願いします」と祈ってから空中へ投げる。。。 投げられた()が、地面に落ちて来る形によっての読み方で=「お答え下さった」こと。 2枚とも表が上で揃って()の形になると、OKだ。片方が表向き、片方が裏向きとか、両方が裏向き等は「違います」との意味でもう一度おみくじ筒を振るう。。。 ******この「合わせ竹の根」は、タイ語は何と言うか分からない。タイ語にはないが、皆が知っている。使っている。。。。「あれ」と呼ぶだけですけれども。。 このように、中国式が「正確」だと、タイ人が信じている!。。。画像は、親達を見習い、この小学生はおみくじを。どんな事を祈るだろう。。。
2007/05/04
タイでは曜日の色とお仏様の姿が、7日間それぞれが決まってある。 人の誕生日は詳しく記録する習慣がある。しかも、単なる年月日では足りない。陽暦と陰暦を両方で記録で、曜日とその日の生まれた時間(時、分、秒)をちゃんと記録しなければならない。昔の出生届けには、陽暦と陰暦を両方で記入する欄がある。 このような詳しい記録の目的は、その人の生まれ付きの運命占いと解決、命名を作る、そして、結婚相手との相性を見て決めるまでのためである。 自分の生まれ曜日の色を、身に着けたり使う事によって、幸せへ導き、不幸や悪運を打ち消すことができると信じている。 曜日の色とお仏様の姿は昔、何百年前からの伝統的で伝わって来たものであった。 各曜日の呼び名は、伝説での神様の名前であって、それぞれの神様の身体の色によって、曜日の色となる。曜日の神様はその日を守り神となって、人々の誕生曜日の守護神である。 西洋国のキリスト教圏と違ってタイは日曜日から週間の始まって、土曜日は週末となる。。。画像は、去年一年間全国的に「黄」一色となった。国王の60周年即位記念祝い年として全国民が、国王の誕生曜日色「黄」のシャーツを着て国会議事堂広場前の「祝い」と「総意総力集会」。タイ国ができた以来始めての全国民が国王のための集会。「黄」はプーミポン国王への「愛」の新ボールとなった。今年も引き続き「黄」が共通色となり、階級無しとなり、国民が一丸となる「黄シャツ」は、どんな場所でも機会でも「許される」。。。 **********2へ続き ↓ ************
2007/05/03
タイ人は各自の誕生曜日の色を持っている。その色が一番自分の運命に幸運にしてくれると信じている。洋服やアクセサリー、ハンカチ等は曜日の色通りに着たり、身に付けたりすると、その日の運命がいい方へ転向すると考え方がある。 日曜日=ワン.アーティッ。(=「プラアーティッ神」の日、赤い身体の神) 月曜日=ワン.チャン。(=「プラチャン神」の日、黄色の身体) 火曜日=ワン.アンカ-ン。(=「プラアンカーン神」の日、ピンク色の身体) 水曜日=ワン.プッ。(=「プラプッ神」の日、エメラルドグリーン色の身体) 木曜日=ワン.アーティッ。(=「プラアーティッ神」の日、オーレンジ色身体の神様) 金曜日=ワン.アーティッ。(=「プラアーティッ神」の日、空色の身体の神) 土曜日=ワン.アーティッ。(=「プラアーティッ神」の日、黒か紫色の神様) 反対に、それぞれの曜日に「凶」となる色もある! 日曜日の生まれは、凶となって、避けるべき色は「空色」 月曜日の生まれは、凶となって、避けるべき色は「赤色」 火曜日の生まれは、凶となって、避けるべき色は「黄色」 水曜日の生まれは、凶となって、避けるべき色は「ピンク色」 木曜日の生まれは、凶となって、避けるべき色は「黒か紫色」 金曜日の生まれは、凶となって、避けるべき色は「紺色」 土曜日の生まれは、凶となって、避けるべき色は「緑色」今日の画像は、切手のデザインとなった昔から伝わってきた曜日の色とお仏様の姿。
2007/05/03
野球部等の学生選手がプロ界から援助金を貰ったことが発覚事件に続き、学校の「スポーツ特待制度」に賛否両論と制度の解釈矛盾の記事に対して、タイの教育界関係者は理解し難い。 タイの名門校はスポーツ特待制度が確かにある。 しかし、特待制度に加入される学生選手は、国の代表選手、国際試合へ出向選手に限る。つまり各種スポーツのトップに立つ選手だけに限る。 また、プロになると企業からバックアップ等はない。殆どが愛好家クラブのような形になってしまう。 このためでしょうか、日本のように問題にならない。 タイスポーツ界にの不祥事が本当に聞いた事がない。日本の相撲界での「やおちょう」の噂等に対して、タイ格闘技の「ムアイタイ」には「やおちょう」はあり得ない。 しかし、残念ながら、日本へ招待されて来日試合の選手だけは、日本側の言われた通りに「やおちょう」の疑いがしばしばあったけれども。。。画像は、タイのセパクタクロ-名選手。
2007/05/02
タイ語の「バンサイ三唱」は「チャイヨー!」で、同じ三唱ですね。 では、「チャイヨー!」という語源は?誰が始めて作ったのでしょうか? これを、分かるタイ人は以外と「いない」と言えるほど!言語学者でも、分かる人が少ない! なんと、日常の自分たちは嬉しい極まりに「チャイヨー!」と叫ぶのに。。。 さて、実はこの「チャイヨー」の生まれ親は、ラマ6世王です。 丁度第一世界大戦の時だった。その時に、ドイツが敗戦したニュースに祝うことで、バンコク市内の道路に数本を「戦勝」の意味を持つ名前を作られた。また、王のお住まいの一つ「マハキリラーップラ」宮殿の内庭園に、月桂の枝を持つ走る男性のレリーフを飾った。このレリーフは外来もので、戦場での勝戦情報を街へ伝達者であって、フランス語の「Gloire en guerre」という。 国王は、このような意味があるレリーフを、タイ語に考えた末、「勝つ」の意味を「チャイ」(=勝つ)に当てはめ、「チャイヨー」と名付けた。。。 以来、「チャイヨー」は、喜ばしい時に叫ぶ語句となって、現在まで至る。 ゴールデンウィーク『チャイヨー!、チャイヨー!、チャイヨー!』。。。画像は、お庭の隅にいた「チャイヨー」君。嬉しい語句の元祖!
2007/05/01
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