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本日、また1つ齢(よわい)を重ねてしまった。今日くらいは日記を書くことで睡眠時間が5時間を切ることになっても書くしかあるまい。これで明日会社に遅刻したらなんて言い訳しよ・・・。携帯メールやグリーでメッセージを送ってくださった大勢の皆さんには本当に感謝である。ご無沙汰してしまっている友人や先輩からも言葉を頂くのは嬉しい。送る方としてもいい口実になるわけなんだな(笑)。ところで皆さんは自分と同じ誕生日の知り合いって何人くらいいるだろうか?多いのか少ないのかわからないが、友人、先輩の中で同じ誕生日の人を私は思い出せるだけで6人知っている。年までは一緒ではない人がほとんどだが、逆に連続した年号での取り揃えは豊富である(笑)。同じ誕生日の有名人ということで私が挙げる定番は元おにゃんこクラブの渡辺美奈代と元プロテニスプレイヤーの伊達公子。微妙かな(笑)?そして奥の手は東洋を代表する思想家、孔子。私の誕生日は台湾では国民の祝日なのだ!これも微妙?ともかく、自分が生まれたことを親に感謝し、周囲の人に祝福されながら生きていることを実感する誕生日は大切な日だと思う。というわけで、誕生日ありがとう!
2005/09/28
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三浦半島でのクルーズに参加した。クルーズの趣旨はSさんのお父様の大学の同窓会である。実に東京オリンピックの年に卒業された偉大な先輩方の集まりであった。若手はSさんと私だけという状況下、会社経営における実績と経験豊富な先輩方とTシャツ・海パンというカジュアルな雰囲気の中で貴重なお話を聞かせて頂いた。これがスーツで集まる会だったらこんななごやかなムードにはなり得まい(汗)。いろいろなお話を聞いて勉強になったのだが、中でも「テレビのコマーシャルというのはビデオでも早送りされたりスキップして録画されたりしてるけど、企業の魂が数十秒という短い時間に込められているという点でものすごく興味深い教材なんだよ」という言葉には強く共感した。さらに驚いたのが、60歳も半ばになろうとしている皆さんがパソコンをツールとして使いこなされているということである。ある方は自分が所有している2万人を越える個人的な名簿をマイクロソフトのソフトウェア、アクセスを使って管理されているという。2万人という規模にも脱帽するが、常に学びそれを活用する姿勢に刺激を受けた。一生学び続ける姿勢を私も持ちたいと思う。この日のイベントでは、アメリカから来日したベンチャー企業のプレゼンテーションも行われた。東京と三浦半島を往復する道中ではSさんが車を運転してくださり、私が助手席に座ってナビを、後部座席にはそのベンチャー企業のCOOであるJeとマーケティングを担当しているJaが座った。2人とも軍、政府機関、大企業などを渡り歩いた華々しい経歴の持ち主であるが、新しいキャリアとしてベンチャー企業の要職という道を選んだツワモノである。その企業はSさんが現在住んでいる、そして私が滞在したワシントンDCエリアにあるので共通の話題も豊富にあり、さらにJeは私が卒業したばかりのアメリカの大学の卒業生だったこともわかり、車内は話が途切れることがなかった。彼らが真の国際的ビジネスマンだと感じたのは、名刺の渡し方に始まる日本のビジネスマナーを熱心に質問してきて、それの意味を理解した上で実践しようとする姿勢を見たときである。ビジネスにおいてもお互いの文化を尊重し合うことが大切なのだということを再認識した。Sさん運転で助手席に座り後ろ2人がアメリカ人ときたもんだから、車内では何度も自分がワシントンDCにまたいるのだと錯覚させられて楽しかった(笑)。あまり詳しく書くとばれちゃうので自粛するが、今回参加したCEOはすでに会社経営の経験を持ち、さらに、あるスポーツのプロ選手で華々しい結果を残したすごい人でもある。まだ正式なプレスリリースが後に控えているため内容を公表するわけにはいかないが、まもなく日本に上陸するこの新商品、爆発の予感がする。実際に使用させてもらってその可能性を体感した。大学の超大先輩の方々から頂いた多くのアドバイスとアメリカのベンチャー企業のエクゼクティブ達から受けた多くの刺激。そして何より今回築けた多方面との貴重なネットワーク。私の公私に渡る活動の原動力なのだと意識しながら大切にしていきたい。
2005/09/17
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「今般小生が時代の波に呑み込まれ、ブログデビューを果たすことになりました。」留学中の友人夫婦からブログ開設のお知らせをもらった。(ペンシルバニア州Lehighのビジネススクールで奮闘中のMr. Tannyと旦那を支え自らも勉強中のMrs. Tannyのブログはこちらから。夫婦の共同作業というところからも2人のアツアツぶりが伝わってくるし、アメリカでの充実した生活ぶりが伝わってくる。こんなお知らせをもらって彼らの日記を読んで感化され、自分の留学日記を読み返してみた。ビジネススクールの一年目を終えた2004年6月16日から毎日のように綴った日記はかなりのボリュームである。多くの貴重な出会い、気付き、そして感動を得たアメリカでの二年間。友人の留学日記開始に刺激を受け、ここらで自分の書いた日記だからこそできる独断と偏見で選んだセレクションをここに紹介したいと思う。(☆はシェフのおすすめ)勉強編 2004-10-23(土) - 我がコンサルティングファームは三時間でソルーションをお届け!:厳しすぎたプレゼン大会 2004-10-24(日) - 多国籍チーム大健闘!:最後までヒンドゥー語は理解できず・・・・ 2004-12-03(金) - ビジネススクール入学以来最大の危機:気合と冷静と友情で☆ 2004-12-04(土) - 「とんでもない夢を持て!」:最後のクラスでの教授からのメッセージ 2005-05-21(土) - 【写真付】やっとたどり着いた卒業式:名前を呼ばせるのが一仕事!!旅行編☆ 2004-08-23(月) - (証拠写真あり)ヨセ!でもミテえ?:ヨセミテでは熊に要注意 2004-12-23(木) - 〔写真付き〕ワニの泳ぐ川をカヌーで探索。そして、か、噛まれた!!(旅行4日目) 2005-03-28(月) - ディズニーワールドでの珍事件:去年のスプリングブレークの思ひ出 2005-04-01(金) - ジャマイカ旅行記番外編:レストランのオーナーと大喧嘩!課外活動編 2004-06-17(木) - セミのブローチ 2004-07-25(日) - 電話回線を盗まれた?!謎多き事件☆ 2004-10-31(日) - [画像付]♪何やってんだ~、いったい~♪(Love me tenderのリズムで):プレスリーのコスプレはハロウィンの調べ 2005-01-19(水) - インターン初日に遅刻!:通りすがりのおじさんに救われる 2005-04-10(日) - 10+3枚の写真で振り返るサクラ祭in DC:神輿担ぎました! 2005-04-29(金) - ビジネスも人間関係に基づくもの:メンターからの有り難いお言葉 2005-05-15(日) - 二年間の出会いの数々に感謝を込めて:送別会を開いて頂きました正直、主観のみで選んでみたが選びきれるものではない(笑)。充実した日々だったんだなあ(遠い目)。ワシントンDCにホームシックになりそうだが、アメリカでの二年間の経験を活かしていくのだと気持ちを新たにできてよかった。また明日からラッシュアワーにもまれながら頑張ろう。(書いてみてちょっとめげてきた・・・)
2005/09/11
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昼過ぎからボクササイズのレッスンを教えたあと銀座をぶらつくとアメリカでよく見かけた洋服屋、バナナリパブリックが銀座プランタンの別館でオープンしてた。バナリパってこれまで日本にはまだ入ってなかったんだなあ。でも日本で買うとやっぱり割高なんだろうな、と思うとちょっと。これって、インド行ってさんざん安くおいしいカレー食べて帰国後に日本のインドレストランで高いお金を払うのを嫌がった経験(2回あり)と似てる(笑)。(ベトナム料理でも同様の経験をした)現地に行ったら安く手に入るものでも輸出入を介せばプレミアがつくという貿易の原理を学んだものだ。その後、会う約束をしていたドイツ人の親友Aと三田のジンギスカン料理屋へ向かう。現在ドイツの大企業の日本法人に勤めるAとは8年前の4月に大学の国際交流サークルで知り合った。ドイツの大学から一年間の交換留学で日本の大学に来た彼は当初、「コンニチハ、ワタシワドイツカラキマシタ」というのがやっとの状態であった。交換留学であるからもちろん日本語を授業で学んでいくことになるわけだが、我々日本人が学ぶ英語でも同じように、教室で学ぶ言葉は日常会話には正式すぎることが多い。そこで我が国際交流サークルが留学生達に提供していたサービスが「カンバセーション・パートナー」である。同じ学生同士の何気ない会話を通じて生きた話し言葉を習得してもらうというのが趣旨だ。もちろん、汚すぎる日本語はご法度であるが(苦笑)。そこでコンビを組んだのがAと私だったというわけである。折りしも大学入学直後だった私は選択したドイツ語に苦しんでいた。ここにWin-Winの最強コンビが成立したのだ!193cm、110kgのAはまさに気は優しくて力持ちのドイツ人。当時海外経験は大学入学直前に行ったインド1回だけであった私には初めての外国人の友達だった。彼の勤勉さはすさまじく、たった一年後には会話の教材は新聞の社説を用いるようになっていた!「対人地雷廃絶運動は・・・」なんて用語を操る彼を見て驚愕したのを今でも覚えている。比較にはとてもならないが、良きティーチャーAから生きたドイツ語を教えてもらった私も彼から刺激を受けてこの言語が好きになり、大学2年の夏休みにはドイツ南部の小さな町カールスルーエに1ヶ月の語学留学に行った。英語もしゃべれないぶんざいでドイツ語を学びに行くなんて無謀だなと思ったが(苦笑)。滞在したカールスルーエ大学の寮の住民である大学生に説明された寮の規則がまったく理解できなかったときにその思いは確信に変わった・・・。ともかく、それまでほとんど日本を離れることのなかった私に国際交流というものを啓蒙してくれた大恩人はAなのだ。1年の留学を終えてAがドイツに帰国した後もEメール等で交流は続き、ボン近郊の彼の実家を訪ねた時はお母さんのスペシャル料理をご馳走になった。その後、マールブルクの大学院を卒業したAはなんと日本にあるドイツ系企業で働くことになり、3年前からまた日本に。日本での再会当時、私はMBA留学のため、トフルやら出願書類の準備やら面接準備やらで苦しんでいた。私の状況を知るや、英語も堪能なAは面接の練習を提案してくれ、各種原稿のチェックもしてくれた。ありがたや~。何度もお礼を言う私に対して彼は言った。「ぜんぜんいいよ!でもせっかく僕が日本で働くことになったというのにHideがアメリカに行くとはね(苦笑)」確かに(笑)。出発直前に行った私の結婚披露宴の時はあいにくドイツに帰国中でAは出席できなかったが、代わりにビデオメッセージをくれた。そんなこんなで2年の歳月が流れ、また再会を果たしたのだから感慨もいっそうである。いまやドイツ語、英語、日本語の3ヶ国語を不自由なく操る彼にはカンバセーションパートナーとしての私は必要ないだろう。ドイツ語はすっかり忘れ、英語も日々忘れいく私は・・・(苦笑)。そんな私と半日英語で話してくれるAはなんていい奴なんだ!でも友情というのは言葉とか文化とかを越えられるんだということも彼は教えてくれている。ジンギスカンを食べた後、近くにある我らが母校の三田キャンパスに立ち寄り、思い出話に花を咲かせた。というわけでA、これからもよろしく!
2005/09/03
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