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映画「アイ、ロボット」の最後で、スプーナーがいいます。「自由とは、自分で目的を見つけること」と。 これは、ヒカリズムの考えと基本的に同じです。広辞苑によれば、哲学的な意味での目的とは、 もく‐てき【目的】〔哲〕意志によってその実現が欲求され、行為の目標として行為を規定し、方向づけるもの。 意志によってその実現が欲求されているものとは、つまり、「その人のしたいこと」です。 ところが、現在の心理学では、他者の期待が怖れとともにその人の考えの中に刷り込まれ、そのうちにあたかも自分の考えのように振舞うことが知られています。 つまり、ある人のしたいことの中には、本当の自分がしたいことと偽りの自分がしたいことの二つがあるのです。 それは、スピリチュアルな話の中で動機としての「愛」と「怖れ」と呼ばれることがあるものです。(また、画像なしかよ(^^;) ときに、それが同時に並列に存在するとき、葛藤、迷いが生じます。 さとりとは、迷いからの解脱です。それは、怖れからの開放であり、偽りの自分を手放し、本当の自分に中心を移すこと(自灯明)です。 ヒカリズムでは、自由とは、「(本当の)自分に由ること(自灯明)」と言います。 自分を中心(基準)にしたとき、したいことは、常に本当の自分がしたいことになります。 それが、「自由とは、自分で目的を見つけること」に繋がるのです。 目的を「見つける」必要があるのは、まだ、本当の自分と、偽りの自分の区別がついていないからです。 ヒカリズムで本当の自分を生きるようになると、自分が道になります。 道元がこう言いました。 到達地点と道は一つである。 道元 私たちは、愛から生まれ、社会に適応するようにしつけられる中で分離し、本当の自分の中に偽りの自分を知らずに取り込み、体験を通して、再び愛としての自分を見つけ出すのです。 さとりとしての到達地点を目指し、ようやく到達してみたら、それはただ自分であること(日々、本当の自分であること(自灯明))だったというのです。 禅で、ただ自分として日常を淡々とすごすこと(道)が悟りだ、というのは、そういう背景で語られているのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 26, 2007
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スピリチュアルな生き方をしている人の間で、「ありがとう」の持つ力を信じている人がかなりいると思います。そういう人の中には、「ありがとう」を何度も言うとか、なんでもないことにも「ありがとう」と言うとか、ありがとうと言いたくないような事や人に対しても「ありがとう」と言うというようなことを実践している方もいるようです。 「ありがとう」という言葉に言霊があり、その言葉自体に力があるかどうかを、科学的に証明することはできないでしょう。(統計学的には、結果は出せると思いますが) ヒカリズム的に見ると「ありがとう」と言うことの意味は、そのことを受容する(受け容れる)ということだと思います。 一日に何百回、何千回とお経のように「ありがとう」と言っているとしたら、きっと、ムカついて「ありがとう」なんて言いたくない時まで、「ありがとう」と言わなくてはならないこともあるでしょう。 そんなとき、きっと違和感を感じて、『なぜ、自分はありがとうと言いたくないのか?』と考えることになるでしょう。 もし、「ありがとう」を言っていなかったらその「ありがとう」を言いたくない出来事をいつもと違った目で見ることができるかもしれません。 いつもなら、その出来事を誰かのせいにして、『自分が怒ったり、悲しんだりしているのは当然のことだ』と感じて、なんの違和感も持たないままのはずです。 それが、『なんで、このことで私は怒っているのだろうか?怒らずにいられないのはなぜ?本当に怒らなくちゃいけないことなの?』と考えるきっかけになり、意識を変えるきっかけになるかもしれません。 また、『「ありがとう」と言いたくないような事や人に対しても「ありがとう」と言う』ということを実践されている方はもっとストレートにそのことを考えなくてはならなくなります。 私自身、悟りを開く過程でそのことを考えたことがあります。 簡単に言うと通常「ありがとう」ということは、自分が望む状態が実現したときであり、言えないのは、逆の状態になっているとき、言い換えると、拒否したい状態になったときです。 望みも拒否もしない状態は、すーと通り過ぎるはずです。 悟りの状態、無条件の愛の状態はすべてを受け容れた状態ですから、説明の第一段階としてそこに拒否するものはありませんから、あるがままの、すーと通り過ぎる状態です。 この状態は、すべてにありがとうなので、ありがとういうことすらない状態です。 そして、説明の第二段階としてすべてを受け容れている状態というのは、受け容れた上で拒否することも受け容れている状態なのです。 これまでの二極化思考の人には、これが理解できない。 悟りや無条件のあの人は拒否しないと思っている。 もし、拒否することを拒否するのであれば、それはすべてを受け容れていることにはなりません。 この受け容れた上で望むことと拒否することを自由意志で決めているのが悟った人、愛の人なのです。 どこが違うかというと怖れから、それをしないではいられないのか、愛ですべてを受け容れた上で、単に選択しているのかという違いです。 そのとき、どんなことに対しても、「ありがとう」を自然に言うことができます。 それは視点を変えられるからなんですね。 たとえば、イベントをする、お客様が少ない、『なんでこんなに少ないんだよ!』とか『あいつは友達なのになんで着てくれないんだよ』と怒ることもできます。でも、視点を変えて『彼が断ったのは、まだまだ魅力的なイベントになっていないか、楽しさを伝えられていないということを教えてくれてるんだな』と考えると、自然と「ありがとう」と思えますよね。 読んでくださって、あ・り・が・と・う(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 26, 2007
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お‐せっかい【御節介】とは、広辞苑によれば余計な世話をやくこと。他人の事に不必要に立ち入ること。 人は助け合って生きていますから、他の人の世話をすること自体は必要なことです。 問題は、それが余計なお世話であること。 なぜ、そんな余計なお世話をしないでいられないかというと、怖れから相手の評価を上げようとしているから、相手の期待に応えようとしてしまうからです。自分のしたいことをしているのではなく、怖れからしないではいられないことが、相手に喜んでもらうことなのです。 また、なぜ、余計なお世話になってしまうかといえば、そういう人の正しさの基準というものが固定されていて自分が正しいと思うことが誰でも正しいと思っていると感じているからです。それは自分の中の正しさを絶対視しているということです。 正しさは、それぞれの人ごとにあるということを理解せず、逆に自分の中の正しさを他人に押し付け、自分のしたいことをするのではなく、相手のして欲しいことをする、このふたつの逆転があるのです。 このような人は、自分のしたいことをしているのではなく、相手がして欲しいこと(だと自分が思ったこと)をしているので相手に感謝や喜んでもらうことを求めてしまい、相手の態度次第で気分が良くなったり悪くなったりしてしまいます。(コントロールドラマです) また、相手が喜ぶことではなく、相手が喜んぶだろうと自分が思い込んでいることをしてしまうので、相手も余計なお世話と感じることもでてくるのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 25, 2007
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福島で少年が母親を殺して首を持って警察に行った事件がありました。 テレビの事件に関連して、若者に「親を殺したいと思ったことがあるか?」というインタビューをしていました。 ある少年が「親に認めてもらえなかったとき」と答えていたのが印象的でした。 実は、すべてのトラブルの根源がこれなのです。 さとりというと、難しく思いがちですが、1.あるがままを認めた上で2.自分のしたいことをするということなのです。 でも、難しいのは、「あるがままを認める(受け容れる)」=無条件の愛ということ。 この境地を自覚的に体験したことが無いから、さとりの二つの条件を理解できないのです。 もちろん、言葉の表面的な意味は理解できます。でも、その状態を自分の体験と比較して理解できない(腑に落とせない)。 よくあるのが、「自分のしたいことをするから、トラブルになるんじゃないか!」という反論。 それは、脈絡を無視した感情的な反論です。「あるがままを認める(受け容れる)」=無条件の愛ことができたとき、その人のしたいことが意図せぬトラブルを起こすことはまず考えられません。 無条件の愛の上でのしたいことは、いわゆるわがままとか自分勝手にはならないんです。 さて、本題に戻って親が子供のあるがままをまず認めず、自分の理想の状態になることを子供に強いるから、子供は反発するし、自分の理想の子供像から外れた子供を認められないので、「こうあるべき状態」でない子供にイライラします。自分の思い通りにならないイライラは、子どもに対して向けられ、子供を非難することで優位に立つ(子どもに勝つ)ことで、イライラを治めようとするコントロールドラマを始めてしまい、トラブルを起こすのです。 たとえば、自分の後を継がせて医者にしたい子どもが勉強をせずに音楽をやっているのにイライラする親。その音楽活動は賞を取るほど世間から認められていたとしてもその親は「音楽なんて、そんなくだらないことはさっさとやめて勉強しろ」というような、その子どものその人らしさを認めない発言をしてしまう。 それが子どもには、『自分を認めてもらえない』と感じてしまい、親への反発になる。 まず、親が子どものありのままを受け容れることが大切なのです。ありのままを認める、受け容れるとは、何度もいいますが、そのままでいいということでもないし、替えようとしてはいけないということでもないのです。 まず、あるがままを認めること。 そこから始めてみませんか?(^^) ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 19, 2007
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あるブログに欲は、大きく二つに分類できるという意味のことがかいてありました。 でも、その説明は難しくて私の眠たい頭では理解できませんでした。 ヒカリズムでも、欲を二つに分類します。それはとてもシンプルです。 それは、1.その欲望が満たされた時の結果に期待してるもの(結果に期待しているとは、望む状態と結果が一致することが必要ということ)(『~でなければならない(のに今はそうではない)』という欠落感から発しているもの)と2.結果はともかく、『そうであったらうれしいな、そうしたいな』というものです。1は、怖れを動機としています。2は、愛を動機としています。 この場合の愛とは、無条件の受容から派生した無限の可能性と創造性です。1が、欠落感なら2は、情熱です。 ライト兄弟の『鳥のように空を飛びたい』という思い、情熱が無限の可能性のひとつへの挑戦となり、飛行機という新たな乗り物を創造することになります。 津留晃一さんのメッセージ新人類の覚醒進化プログラムの中の「豊かさの本質」という中にこんな言葉があります。---- 引用開始 ----- 「これさえあれば幸せになれるのに」と考えている人は、その意識下に「これがない限り幸せにはなれない」という思いを抱いています。そしてその思いこそが幸せになれない現実を自らに引き寄せます。 あなたに豊かさをもたらす唯一で最大の要因は、あなたの欠落感のない豊かな心だけです。豊かになるとは実はこんなに単純で簡単なことなのです。---- 引用終了 ----- 欠落感を動機とした欲望には際限がありません。お釈迦さまがいう手放せとおっしゃる欲(渇欲)です。■ 欠落感を動機とする人は意識下に「これがない限り幸せにはなれない」という思いを抱いているのですから、満たされるまで絶対に幸せを感じられません。 そしてある目標が達成されても、その新たなレベルにおいて新たな目標が生まれるので欠落感に終わりがこないのです。 和尚は「存在の詩」の中でこんなふうに言っています。---- 引用開始 -----リラックスというのはあるポーズのことじゃないリラックスとはあなたのエネルギーのトータルな変換だエネルギーはふたつの次元を持ち得るひとつは動機づけられどこかあるところへ向かうどこかに目的地があるいまこの瞬間はただの手段に過ぎないそして目的地がどこかほかにひとつ到達されるべきものとしてあるこれがあなたのエネルギーのひとつの次元だこれはの次元目的指向だそのときあらゆるものは手段になってしまうなんとしてでもそのことは成されなくてはならずあなたは目標に到達しなくてはならないそうしてはじめてリラックスするところがこの手のエネルギーにとってその目的地は絶対に来ないなぜなら、この種のエネルギーはあらゆる現瞬間を何か未来に向かうほかのことのための一手段へと転化し続けるものだからだその目的地はいつまでたっても地平線上にあるあなたは走り続けるだが、その距離は同じままだ違う!もうひとつ別な次元のエネルギーがあるそれは動機づけされざるお祝いという次元だその目的地はとだどこかほかのある場所じゃない実際には、あなたが目的地なのだ!実際には、この瞬間よりほかにどんな完成もない「ゆりたちを想え」---あなたが目的地(ゴール)であってゴールが未来になく到達されるべき何ものもなくむしろあなたはそれを祝うべきのみでありあなたはすでに到達している---それがもうある、というときそれがリラックスだ動機づけされないエネルギー ---(P212~P214)---- 引用終了 ----- 一方、情熱を動機にしていると、目標達成のプロセスそのものを楽しむことができます。 暑い夏に公園の砂場に新たな砂を運ぶ仕事をしてる人は、『こんな暑い日に重たい砂運びなんてやだな、誰か代わってくれないかなあ』と思うかもしれません。 ところが、暑い夏の公園の砂場で砂遊びをしている子供に「代わってやろう」と言ったら「やだよー(こんな楽しいこと変われるもんか!)」って言うと思います。(笑) 趣味(好み)で何かを作っているとき、完成するまでが苦痛なんてことはありません。作っている事それ自体が楽しいものです。(^^) 好みというのは、実はその人自身なのです。情熱について「神との対話」という本にこんなことが書いてあります。 ---- 引用開始 ----- 悟りとは、情熱を否定することではない。結果への執着を否定することだ。情熱は行為への愛である。(P137)期待なしに人生を生きる事(具体的な結果を必要とせずに生きる事)これが自由である。これが神性である。これがわたしの生き方である。(P137) あなたは結果に執着しないのですか? 決して執着しない。わたしの喜びは創造にあるのであって、その結果にはない。悟るとは、<中略>行為の結果には意味がないと理解する事である。(P137) ---- 引用終了 ----- どちらがいいとか悪いとかではありません。どちらが幸せを感じられるか、どちらが楽しく生きられるか、どちらがラクに生きられるか、それだけのことです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 14, 2007
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題名のない音楽会21 「ゲド戦記あの歌CM話題曲」で、スタジオジブリの映画「ゲド戦記」の 声の出演と主題歌を歌う手嶌葵(てしまあおい)さんが出演していました。CMでおなじみになった「いのちを大切にしない奴なんか大嫌いだ!」というセリフとその澄んだ声を一度は聞かれた方も多いのでは? 手嶌さんデビューのきっかけがベット・ミドラー主演の映画「ローズ」 の主題歌のローズのデモテープ。 今回も手嶌さんは歌っていましたが、ベット・ミドラーのオリジナルより、手嶌葵(てしまあおい)さんの淡々とした抑えた歌い方の方が私は好きだなあ。カバーしてくれないかなあ この歌の歌詞もステキなんです。 ◆ちょっとだけ視聴できます詞・曲 Amanda McBroom 歌 Bette MidlerSome say love it is a river That drowns the tender reed誰かが言っていたわ 愛 それはまるで河のよう 弱く傷つきやすい葦みたいに人をおぼれさせるわSome say love it is a razor That leaves your soul to bleed誰かが言っていたわ 愛 それはまるでカミソリのよう 人の心を深く切りつけるSome say love it is a hunger An endless aching need誰かが言っていたわ 愛 それはまるで飢餓のよう どこまでも欲しくなって人を狂わんばかりにさせてしまう I say love it is a flower And you its only seedでも私は愛って花のようなものだと思うの あなただけが私にその花の種を蒔けるんだわ It's the heart afraid of breakin' That never learns to dance恋に破れるのを怖がっていたら 舞い上がるほど陽気になれなれやしないのIt's the dream afraid of wakin' That never takes the chance夢から覚めることを恐れていては チャンスをつかむことなんかできはしないわIt's the one who won't be taken Who cannot seem to give奪われることばかり怖れていたら 与える喜びを忘れてしまうわAnd the soul afraid of dyin' That never learns to live死ぬことを怖がっていたら 自分を生きるすばらしさを知ることができないのWhen the night has been too lonely And the road has been too long一人でいることに耐えられないくらい寂しい夜に でも、あなたに会いに行くには遠すぎるって途方に暮れるときAnd you think that love is only For the lucky and the strong愛を手に入れられるのは「運が良い人」か「強い人」だけで 自分にはこないんだって思うときJust remember in the winter ねえ、冬のことを思い出してみて Far beneath the bitter snowsLies the seed that with the sun's loveIn the spring becomes the rose 春に太陽の恵みで美しいバラの花を咲かせるのは、冬の間、冷たい雪の下に埋もれて寒さにじっと耐えていた種なんだということを。------------- この歌で語られている冬のように辛い「愛」は、条件付の愛ですよね。 ところで、ほんと、手嶌葵(てしまあおい)さんの声と歌い方ステキです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 13, 2007
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会社で、お客様で導入している電子カタログのシステムで使うコンピュータがリース切れになり、お客様が入替をすることにされました。 いくつかのパターンで入れられるのですが、最近の入替は17インチの液晶画面にアップグレードして導入のところがほとんどです。 ところが、こちらのお客様では基本パターンでの入替とのこと。 営業所の所長に「基本だと15インチですが、今回のリース期間中にシステムが新しくなり17インチの方が良いと思うので、その旨をお客様に伝えて、変更するかどうか聞いてください」と言ったところ「システムが新しくなるのはいつですか?」との質問。システムを新しくするのは親会社なので「現在のところ、切替時期などの詳細はまだ出ていません」と答えたら、「もしかしたら、リース期間中に変わらないかもしれないんですか?」と次の質問。「可能性としてはそうです」と答えたら「変わらないかもしれないと言われない」というような意味のことを言います。そこで「こちらとして分る情報を伝えて、あとはお客様に決めてもらいましょう」と私は言うのですが、その所長は、何度も「はっきりしないと言えない」「いつぐらいに変わるんだろうね」とか、同じことを繰り返し聞いてきます。 どうやら、私に推測の開始時期を決めてもらいたいらしい。(笑) 私が決めてそれをお客様に伝えて、後からお客様から何か言われても私の責任にできますが、自分の伝える言葉としてあいまいな部分があるとその責任を自分で取らなくてはいけないという怖れがあるのだろうと思います。 しかし、『はっきりとは、決まっていない。今こちらで分かる情報はこれだけです』ということをちゃんと伝えた上で相手が判断したのであれば、その選択の結果は相手の責任です。 しかし、そう感じられないのでしょう。 これは共依存の特徴にあります。--- 引用開始 -----5.度を越して他人への責任を感じている。(『他人が気になって仕方ない人たち』P25~P36)8.他人との境界線(バウンダリー)がはっきりしていない(相手の問題におせっかいにも入り込んでしまったり、相手の落ち込んでいるのを見ると自分も滅入ってしまったり、またはその人の気分を変えようと必死になったりする)13.罪の意識によくおそわれる(相手に問題があるのは自分が何か悪いことをしたかのように思い込み、自分がもう少し努力すれば、また自分の欠点を直せば相手が良くなるだろう、変わるだろうと必死になる。また、相手から批判されることを極度に恐れる)◎依存と虐待◇斎藤学(さとる) 編◇日本評論社◇1999(P63~P66)--- 引用終了 ----- 他者の評価で自分の生きる価値を判断してので、自分の目的を生きることより、他者の期待に応えるように生きているので、他者との境界線があいまいになり度を越して他人への責任を感じているのです。 「共依存」という言葉(翻訳)を最初に創ったのが斎藤学さんです。 共依存関連の第一人者ですから多くの著書があります。お奨めです。著書ではありませんが ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 11, 2007
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今、さんたのはっぴーわーるどの掲示板、さんちゃんねるが面白い(^^)こんなお話とかしています。> 「自分を中心に」というのは、例えば、車の運転を例にとった場合、>ドライバーとして、どのような在り方だと思われますか?>(問題にしているのは、道路上での他車との関係において、>車の中で、「運転に、苦痛を感じる」という「心理状態」のこと) と言っても、すべては相対的なものですから、何を基準にしているかで意味が変わってきます。 一般に「自分を中心に」というと、石原加受子さんの『自己主張が楽にできる本』にもあるように、「自分の思いどおりに事を運ぼうとすること」を意味します。 これは、一般の人が、「自分の感情の原因は自分の外側にある」という前提(基本的な考え方、パラダイム)で、思考、行動しているからです。 しかし、実際には、 ヒカリズムの感情法則 出来事 + 考え方 → 感情で表されるように、原因となる要素は、出来事 と 考え方 の二つあります。 一般の人は原因はひとつで、出来事(外側)だと信じていますから、出来事(や相手)を変えようとします。(※考え方も影響していると言われると理解はするのですが、基本的な考え方から直感的に原因と感じるのは、外側だけなのです) 石原加受子さんや悟った人の基本的な考え方、パラダイムは、自分でコントロールできるかどうかで、二つの原因を判断し、主に、自分の考え方をコントロールすることを勧めます。 決して、外側を変えようとしないのではなく、外側や相手は相手次第(自然環境であったりもします)だと明確に正しく認識しているのです。 さて、質問の車の運転を例にとった場合の「自分を中心に」、ですが、たとえば邪魔な駐車の仕方をしている場合、1.まず、相手に止め方の不備を指摘し、それによってこちらがこうむっている迷惑を伝え、こちらかのお願いを伝えます。 これが自分を中心にです。第一の感情を伝えるのと、基本的に同じです。 それを相手がどう受け止めるかは相手次第です。警察に伝えて強制的に変えさせることが可能ならそれも視野に入れますが、こちらがコントロールできるのは結果の前までだと認識しています。2.一般の人と違う考え方とは、一般の人は、絶対的な正しさが外側(社会のルールなど)にあって、それに従う結果に必ずすべきだと考えています。(自分もしていないことがあるのに、それが自分にとって都合がいいときだけ、その原則が働きます。(笑)これは、ヨハネによる福音書第8章3節-11節 姦通の罪で捕らえられた女を連れて来た。律法では石打ちの死刑に値するので、石を投げようとする人々にイエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」と言った。これを聞いて誰も女に石を投げることができず、引き下がった。と同じです。この態度をとることで穏やかな心を手に入れられます。 実際は、正しさは人それぞれ、そして、その状況ごとに違います。しかし、それでは、社会の秩序を守るのに、不都合なので、一般的な正しさを規定しているのですが、それを絶対視してしまうのですね。 そういう絶対視をせず、一般的な正しさを知りつつ、その正しさに相手を絶対的に従わせようとしないことです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 11, 2007
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宮部みゆき原作のベストセラー小説「ブレイブ・ストーリー」 この大作をアニメ映画化した冒険ファンタジー「ブレイブストーリー」(かなりはしょるしかないよね(^^;) でも、なかなかいいテーマがあると思います。 主人公・小学5年生の三谷亘(ミタニ ワタル)は、両親の離婚から父親が別の女性と住むために家を出て、母親はその後自殺未遂。 不幸のどん底に突き落とされてしまった自分の運命を変えたいと願うワタル。 同じく運命を変えようとしていた転校生の芦川美鶴(アシカワ ミツル)に“運命を変える扉”の向こう側の世界を教えてもらう。“運命を変える扉”からビジョンと呼ばれる別の世界に飛び込み、運命の塔にいる女神に会って運命を変えてもらう決心をし、女神に会うにために必要な五つの宝玉を手に入れる冒険の旅に出る。 「ゲド戦記」の光と影の戦いを思い出させる自分との闘いの部分もあった。これは、私たちの心の葛藤を明らかにするとても重要な部分です。 その過程でワタルは精神的に成長し、女神の前でワタルは言う。「うれしいこと、つらいこと。幸せ、不幸せは何度もやってくる。女神様に運命を変えてもらってもそれは一回だけ。だから、ボクは運命を受け入れ、自分で未来を切り開いて創っていくんだ」(という意味のことを言う) これがすばらしい。これは悟りの境地と同じ言葉です。 さて、ここからがヒカリズム。 悟りの境地と同じ言葉でも、そこには大きな違いがあります。 悟った人と比較の世界の人は、その言葉を語るパラダイム(基本的な考え)が違うのです。 言い換えると最優先の目的が違う。 自分を肉体だと思っている人は、物質的状況を変えることを第一目的にします。悟った人は、(無条件の)愛を最優先します。 さて、変えることができないことは受け入れることを決めたミツルは、女神様に自分の運命の状況を変えることは望まずに、ビジョンの世界を危機から救うことを願う。 だが、ワタルくん、女神の力でビジョンを救っても、本当の解決にはならないのではないかな? 君はそのことを悟ったのではないの? そこに気づいた上で選んだのかな? アクアタイムズの主題歌もいいね(^^) もともと、宮部みゆきさんは、「ファンタジーRPGを文字にしたかったとおっしゃっているだけあって、ゲームにしやすいですからRPGゲームもあります。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
May 5, 2007
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