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今回の大地震の後、震災と津波による被害、そして福島第一原発の事故による放射能汚染などの報道が連日されていました。 このことで二次的に心を病む人がないようと願っていたのですが、やはり、PTSDが問題になってきているようです。 それは被災された方だけではなく、連日のテレビ報道を見ている人、編集などに携わる人の間でも問題になっているのです。 そのようなことにならないようにという思いから、翌日の12日のブログで「東北地方太平洋沖地震 ~ 永遠の命 ~ 愛」を書いたのです。その後も関連のものを書きました。「意識進化のチャンス」「生きる意味と死にたいほどの困難」http://plaza.rakuten.co.jp/wingspace/diary/201103120000/ スピッツの草野さんも倒れてしまったそうです。引用開始--------------------------スピッツ および所属事務所代表 オフィシャルコメント草野が倒れてしまいました。診断の結果は「急性ストレス障害」というものです。約3週間の療養が必要ということです。17日の受診後、診断より早い回復の可能性も0%ではないことから療養の状況を見守ってきましたが、残念ながら現時点では4月3日からツアーがスタート出来るという状態には至っていないという判断をさせていただきました。草野ですが、今回の大震災の地震自体の体験したことのない大きな揺れ、続く余震、想像を絶する被害の甚大さ、その悲惨すぎる現実が連日連夜メディアで報道され続けること、福島第一原子力発電所の深刻な状況など、それらすべてを感じ、目の当たりにし続けることで、本人に急激な過度のストレスが襲いかかってしまい、精神的な障害にまで発展してしまった、ということになります。<後略>http://spitz.r-s.co.jp/pop/201103/official_comment.htmlより(2011年3月28日発表)引用終了-------------------------- 今、このような状態になっている人、なりそうな人は、生まれ変わりのこのお話を読んでみてください。 繰り返しになりますが、生まれ変わり考えによれば、人間は肉体だけの存在ではありません。肉体と精神と魂からなる存在です。 肉体の死は、終わりではなく、私という形が変わるだけです。さなぎから蝶になるようなものなのです。 魂としての私たちは、この世に生まれる前に自分の霊的成長のために、やさしさ、おもいやり、忍耐などの課題を設定し、その課題に適した苦難を設定しておきます。そのことがわかれば、苦難を含むすべてに意味があることがわかります。 また、一人ではなく、何人ものソウルメイト(魂の友達)と呼ばれる仲間と生まれ変わりを繰り返しています。ソウルメイトは、生まれ変わりごとにそのときの課題にふさわしい人間関係で生まれます。あるときは恋人同士、あるときは親子、あるときは友人というように。 肉体としての私たちにとっては、死は一番つらい出来事ですが魂としての私たちにとっては、自分で設定した課題をクリアできないことのほうが大問題なのです。必要な場合は、ソウルメイトがあえて悲惨な死を選ぶことさえあります。 大切なのは、人生に起こる悲劇をどう受け止め、どう向かい合うかなのです。今ここを無条件の愛で受け止めることなのです。 また大ケガをしていたとしても、その魂が肉体を抜けると痛みはなくなりますから安心してください。五体に損傷があっても、盲目であっても、その魂が肉体を抜けると完璧な体に戻ります。 肉体を離れた魂(意識)は、中間世または中間生と呼ばれる段階に移ります。中間世とは、いわゆるあの世ですが、実際は場所ではなく、意識(命、生)の状態の変化なのです。そして、中間生はとてもすばらしい状態で、臨死体験をした人の中には、「戻りたくない」とさえいうほどです。 今回の大震災でなくなった方は、残念なことに一万人を超えていますが、みなさんが今どのようなところにいるのか、ホイットン博士の研究から退行催眠で中間生を語る人のお話をご紹介しましょう。引用開始-------------------------- 前世の死を通りすぎると、恍惚としながら自分の身体がすっかり変ってしまったのを感じます。私の身体は部屋いっぱいに拡がり、これまでに感じたこともないような非常な幸福感がどっとおしよせてきます。こう感じながら、自分は本当はだれで、何のために存在するのか、自分は宇宙のなかでどのような地位にあるのか、ということもすっかりわかってくるのです。すべてに意味があって、何もかも完全に正しい。愛がすべてを支配するというのは本当なんですね…。すばらしいことです。普通の意識に戻るには、すべてを包むあの愛やあの知識、あの安心感をあとにしてこなくはなりません。落ち込んで人生がいやになったとき、いっそ死んでしまおうと考えたくなりますが、それは死があのすばらしい状態に戻ることだと知っているからです。いままではずっと死ぬのが怖かったけれど、もう怖くはありません。p.32-------- とても明るく、美しく、澄みわたっています。熱さを感じないで太陽のなかへと吸い込まれていくような感じです。すべてがひとつとなった状態へと帰っていくのです。戻ってきたくはありませんでした。p.32~33『輪廻転生―驚くべき現代の神話』(ジョエル・L・ホイットン、ジョー・フィッシャー著、片桐すみ子訳)人文書院刊「メール便(送料180円)対応商品」パ輪廻転生―驚くべき現代の神話 / J・L・ホイットン / 〈単行...価格:500円(税込、送料別)引用終了-------------------------- 亡くなった方は今みんなこのすばらしい中間世にいるのです。安心してください。※もしあなたの周りに心を痛めている方がいらっしゃったら、このお話を教えてあげてください。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Mar 28, 2011
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遅ればせながら韓流ドラマにはまりました。その中でも今再放送中の「雪の女王」はダントツにおもしろい。 ドラマは、それぞれの人を襲う数々の悲劇とそれに打ちのめされた姿と、そこから立ち直ろうともがく姿に焦点が当てられているように思います。大切な人の死、大切な人との望まない別れ、罪悪感、自己否定、愛情と憎悪。 見るたびに泣けてくる場面があるのですが、その中でも多くの人に知ってもらいたい言葉があります。名言に関係する部分のあらすじ--------------------------主人公ハン・テウンは、数学のオリンピックに韓国の代表として、大切な親友であり、IQ180の天才といわれ周りから優勝を期待されていたキム・ジョンギュと出場した。 誰もがジョンギュ天才の優勝を信じていたが、優勝したのはハンであった。大会の前にジョンギュはハンに「キム・ドックというボクサーを尊敬している」と夢を語り、「僕が優勝しても友達でいてくれるよな」と言っていたジョンギュであったが、ハンが優勝するとこう言ったのだ。「お前が一番になった以上、僕たちは敵同士だ」周りから過度に期待され、特に父親からは「覚えておけ、人の記憶に残るのは一番だけだ」と優勝しなかったらその存在価値を認めないほどのプレッシャーをかけられていたジョンギュは、失意から絶望のまま街をさまよううちに運悪く交通事故で亡くなってしまう。 学校の中でもジョンギュはテウンのせいで死んだととがめる人もいて、テウン自身も、親友の死を自分の責任だと信じ、数学への意欲をなくしてしまう。優秀な息子テウンに期待をかけ、片親で貧しい中でもテウンを学校にやっていた母親は、「もう勉強する気にならない」という息子に真意を確かめたが、気が変わらずやる気を失った息子に苛立ち、「勉強もやめ、大学にもいかないなら、もう私の子じゃない、家を出て行け」と言ってしまう。 友達じゃない、息子じゃないと自分の存在を否定されたテウンは、失意の中、学校を辞め、家出をし、親友の夢をなぞるようにハン・ドックと名乗り、ボクシングの練習生として生きる。 8年後再会した母親や友人は、未だに失意の中にいるハンに伝えたかった大切な言葉を告げるのだった。--------------------------それはすべての人に伝えたい人生でもっとも大切な言葉です。-------------------------- 高校時、テウンに恋していた友人のホン・ジヘにはずっと伝えたい言葉があった。「ジョンギュのことで、自分を責めないで。あなたのせいだって言う人もいるかもしれない。でも、そうじゃない、あなたは悪くない。だから、もう苦しまないで」母親はこういいます。「やりたくないことは母さんのために無理にしなくてもいい」「それに、やりたいことはジョンギュのためにあきらめなくてもいいんだ」「自分がやりたいことをやりなさい」「それがボクシングでも運転手でもいいから、ほかの誰でもなく、自分がやりたいことをやって生きていきなさい」「もうそうして生きてもいいんだよお前は。誰もとがめたりしないから」数学の教授はこういいます。「君のような才能がある者がなぜ大学にもいかず8年も無駄に過ごしてきたのか、その理由はわからない。しかし、君がこうして数学の道に戻ってきた理由だけはわかっている。数学が好きだから。好きという気持ちは誰であろうと止められない。無理やりとめられたとして、心だけはそれを求め続けるものだ」-------------------------- あなたのことが理由で傷つく人がいるかもれません。そのことを謝るのはかまわないけれど、あなたがその責任を負う必要はいいのです。 同様に誰かのせいであなたが傷ついたとしても、相手には責任はありませんから、相手を責める気持ちを持ってはいけません。自分が傷ついた真の責任は自分にあるのです。結局は自分で立ち直らなければならないのです。 そして、生きるということは、自分を生きることであり、それは、自分が好きで本当にしたいことをして生きるということなのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Mar 27, 2011
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人はより素敵な人になろうと努力します。より完璧を求めて自分に足りないものを見つけ、補おうとします。私にはやさしさが足りないからやさしくなる努力をしよう私には勇気が足りないから勇気を出す努力をしようパソコンが苦手だからパソコンを練習しよう英語が苦手だから英語の勉強をしよう 自分に足りないものがあるとあなたは本当に思いますか?完璧な人間がいるとあなたは思いますか?完璧な人とはすべてが備わった人ですか?ある人は話し上手で有言実行を求め、ある人は不言実行を求めているとしたら、その両方を兼ね備えることはできません。そのようなできることという視点から見た完璧な人間など絶対にあり得ません。人はそれぞれ違って当たり前。金子みすゞさんの「わたしと小鳥とすずと」という詩に『みんなちがって、みんないい』とあります。 私たちが完璧になれるとしたら、それは自分のあるがままを受け容れ、認め、愛してあげることです。 まるごとの自分を無条件の愛で認めたとき、あなたはあなたとして完璧になることができます。 あなたに必要なことは完璧できる人になるために足りないものを見つけることではありません。自分に足りないものがあるからと自分を否定することではありません。あるがままのあなたとして自然に在ることです。あるがままのあなたとして自分のしたいことを素直にすることです。それは神、または大宇宙の存在の一部として、この宇宙での創造に寄与することです。 あるがままの自分を認め、自然なあなたとして存在するとき、やさしさは自然に沸いてきます。すべきことをする勇気は自然に沸いてきます。思いは見えないけど、思いやりは見えるから、思いやりを実行しようなどとキャンペーンを張る必要はありません。 親切にしたら目立つとか恥ずかしいとか、そんな普通の見栄は自然な人にはありません。気づいたら思いを自然に実行しています。 無理に苦手なパソコンや英語を勉強しようとは思いません。したくなったら自然にするだけです。今したいこと、今できることをするだけです。それが自然です。 パソコンをうまくなりたいから自ら望んでパソコンを練習するとき、英語を話したいから英語を勉強しているとき、そこに努力しているという気持ちはありません。 盛永宗興さんがこんな話をしています。引用開始--------------------------禅宗では、「遊戯三昧(ゆけざんまい)」ということを言います。子どもが、すべてのものを遊びとして、興味をもってやっていく。あの心境ですね。もし労働者が、賃金のためにスコップでトラックに砂を入れていたとしたら、「代わってやろうか」という人があったら喜んでスコップを渡すでしょう。しかし、砂場で遊んでバケツに砂を入れている子どもに、「代わってやろうか」と言ったら、「バカなこというな。こんな面白いことを誰が代われるか」というでしょう。自分が出遇うもの、出遇うものに対して、人に代わってもらうことができない思いで、それを楽しんで生きていく。これを生涯を通じてやることを「遊戯三昧」と言って、それが修行の究極の境地なんですね。引用終了-------------------------- 人と同じことをしても、結果も思うことも違うから面白いのだと私は思います。もし、人と同じことをしたら、同じ結果になるのならつまらないと思いませんか。 あるがままのあなたとして自分のしたいことを素直にする。したいことをするということは、その人にとっては遊びと同じです。楽しくてうれしくてしかたがない。そうやって自分のしたいことできることをすることが、自分をこの物質世界に完璧に表現するということであり、真に(意識の面で)完璧ということなのです。 自分に足りないものなどないと気づき、ただ自分を楽しんで生きること。そのことが完璧だと悟ったとき、まだそのことに気づかずにいる人も、欠点だらけに見えるこの世界もそのまま完璧だとわかるのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Mar 26, 2011
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今回の東日本大震災に遭われて、家も家族も失って、仕事の糧までも失ってしまった人もいらっしやるかもしれません。 そんな困難や苦しみの中で死んでしまったほうがましだという思いが浮かんだこともあるかもしれません。生きる意味を問い直した方もいらっしゃるかも知れません。 生きる意味、人生の意味、人生の目的などは昔から何度も多くの人に問われてきました。そして、多くの人がその答えを知っているようではありませんから、つまり、決定的な答えは出ていないと思われます。 実は、生きる意味、言い換えれば『人は何のために生きているか』については、二通りの見方ができるのです。 『意味』というものを最初から本質としてもっているものは存在しません。『意味』というものは、意志によって目的が設定されたときに、その目的に対して生じるものなのです。 たとえば、カレーに砂糖を入れることに意味があるか?そんなことをしたらカレーがまずくなるから意味がないどころか、かえって悪い、と思うかもしれません。しかし、それはおいしいカレーを作ろうという目的を暗黙のうちに想定しているから意味がないと思えるのであって、もし、まずいカレーを作ろうという目的であれば、砂糖を入れることにも意味が生まれます。 そのように意味は目的に対して生じるものであり、目的は『これを成し遂げたい』という意志によって生じます。 大きな苦しみや困難に遭って『こんな人生に何の意味があるんだ、何のために生きているんだ、何のために生まれてきたんだ』というような問いは、実は、この物質世界に自分を生まれさせた、いわゆる神(創造主)に対する問いなのです。神の意志、神の目的を尋ねているのです。 通常では、神はそのような問いに答えてくれませんから、哲学者などそれぞれの人が想像して答えを出しているので、決定的な答えが出ていないのでしょう。 ところが、人生にはもうひとつの意志が存在します。その人生を生きている本人の意志です。その人が生きる目的を定めたとき、生きる意味が生まれてきます。(ちなみに他人の意志に従うのが共依存) ヒカリズムでは、すべての人の願いである『幸せを感じること』を人生の目的に定めます。『幸せになること』ではなく『幸せを感じること』という言葉を使っているのには深い意味があります。 『幸せになること』という考えには、ほとんどの場合自分の外側にある幸せをもたらす状況を手に入れることを想定していますが、本当の幸せは『無条件の愛になること』なのだとわかったから『幸せを感じる』という言葉を使っています。それは『幸せで在ること』ともいえます。 実は、神の意志と目的は、臨死体験者や前世療法による中間世(いわゆるあの世)での光の存在によって伝えられています。それによれはこの物質世界でのさまざな体験を通して、無条件の愛を選び、本来の愛の存在になることを目的として生まれてきたのだということです。 通常、愛は好きの最上級のような形で使われていますが、『無条件の愛』はそれとは全く違います。無条件の愛とは神の愛であり、すべての受容です。 その愛を身につけたのは、仏陀やイエスであったり、ナチスのユダヤ収容所ですごしたV.E.フランクルです。フランクルの『それでも人生にイエスという』というのは、ナチスに家族や友人をゴミのように扱われ殺されたそのような非情な現実であっても『無条件で受け容れる』ということなのです。 それが愛を選ぶことであり、そのまま『幸せで在ること』なのです。 臨死体験研究の第一人者であった故エリザベス・キューブラー・ロス博士はこう言っています。引用開始-------------------------- 人が人生で直面するありとあらゆる困難、試練、苦難、悪夢、喪失などを、多くの人はいまだに呪いだとか神の下した罰だとか、何か否定的なものと考えています。でも、ほんとうは自分の身に起こることで否定的なことはひとつもありません。どうしてみんなはそれに気がつかないのでしょう。あなたが経験する試練、苦難、喪失など、あなたが「もしこれほどの苦しみだと知っていたら、とても生きる気になれなかっただろう」と言うようなことはすべて、あなたへの贈り物なのです。 すべての苦難は、あなたにあたえられた成長のための機会です。成長こそ、地球というこの惑星に生きることの唯一の目的です。あなたが美しい庭にすわっているだけで、銀の皿にのった豪華な食事を誰かが運んできてくれるのだとしたら、あなたは成長しないでしょう。 でも、もし病気だったり、どこかが痛かったり、喪失を体験したときに、それに立ち向かえば、あなたはかならず成長するでしょう。痛みを、呪いとか罰としてではなく、とても特別な目的をもった贈り物として受け入れることが大切です。人生の究極の目的とは、つねに最良の選択をすることです。引用終了-------------------------- 蛇足ですが、もし謝りたかったり、何かを伝えたかった人がその前に無くなったとしても、いつだって遅すぎるということはありません。人は肉体として死んだ後も、意識として存在してあなたの声を聞くことができるからです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Mar 22, 2011
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精神世界の中には、多くのチャネリングによる情報がありますが、その中で今は大きな変革の時期だといわれています。 よく言われているものに、次元上昇(アセンション)があります。 その関連でノストラダムスの大予言でいわれた1999年や惑星直列の時期、未来で言えばマヤ文明のツォルキンの終了時期から2012年末に地球が滅亡するとか、大災害が起こるといううわさがありますが、次元上昇とはそのような物質的な話ではなく、意識の面でのことで、人類の意識がより高い次元に進化することを意味していると思われます。 精神世界の情報の中には、変革の時期に大きな災害が起こるということはいわれています。しかし、変革の時期に限らず、大きな災害は過去にもあるわけでから、そのことと今回の東北関東地域の大災害を結びつけて、いたずらに不安を感じる必要もないし、逆に意識が悪い方向に向かうので落ち着くことが大切です。 アセンションを意識進化と捉えている情報によれば、1.自己を確立する2.競争からの離脱3.物質的価値観から精神的価値観への変換4.周りとの調和、周りへの愛ということが言われています。 自己を確立するということは、とても大切なことで、お釈迦さまも最期に自灯明法灯明という言葉で「真理に基づいた愛としての本当の自分をよりどころとしなさい」ということを弟子たちに伝えたのでした。 自分をよりどころにするということであれば、エゴとして自己チューであっても自分をよりどころとしているといえますが、「法(真理)もよりどころとしなさい」と言われることで、この場合の『自分』は、エゴではなく『愛としての本当の自分』のことであると示されたのです。このことは共依存という概念を知れば、理解できます。多くの人間は社会に適応するようにしつけられる過程で広い意味での共依存になり、あるがままの自分ではだめだと感じ、自分の生きる価値に不安を感じるようになります。そこで他者から認められること、褒められることで『自分には価値があるから生きていてもいいんだ』と安心しているのです。そしてより高い評価を求めて、他者より優位に立つめたに競争に勝とうとするのです。このとき、意識は評価を求めて他者のほうを向き、他者の期待に応えるように生きてしまうために自分をよりどころとできなくなってしまうのです。 同じようにやさしい行動をしていても、他者の目を気にして募金をしたりやさしさを示しても、それは表面上のことに過ぎず、意識の面からはあまり変わっていません。他者の目を気にせず、穏やかな心でリラックスして、心の奥底から湧き上がる自分の声に耳を傾けてください。そして、インナーチャイルドを癒し、あるがままの自分を愛してあげてください。 自己を確立するとは、1.『自分はだめな人間だ』『自分には生きる価値もない』などと自分を卑下したりせず、あるがままの自分を信じ、愛し、認めてあげることです。しかし、逆に2.『自分は特別である』『自分は優れている』だから生きる価値がある、というような考えも自分を卑下する意識の裏返しに過ぎませんから手放すことです このような自分を特別視する考えは、心の奥底では『あるがままの自分では生きる価値がない』と自分で信じていて、その考えを打ち消すために自分を欺いている状態だからです。 あるがままの自分を愛し、認めることができたなら、自然に競争の必要を感じなくなります。また、そのような感覚になることは、価値観が物質から精神的なものに移行したということでもあります。 そして、このように自分を本当に愛することができると、心にゆとりができ、穏やかで優しい心になり、自分以外の苦しむ人に目が向きます。それはいわゆる慈悲の心、愛の心です。 ヨーロッパでのチャネリング情報だと思いますが、この意識進化のリーダーとなるのは、東の日の昇る国の人々だといわれています。 今、今回の未曾有の大災害に対する日本人の対応が、世界中から賞賛され、感嘆の声を浴びて注目されています。日本人が持つ本質的な心が今高く評価されています。 今こそ、あなたも意識進化をするときなのです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Mar 18, 2011
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今回の東北地方太平洋沖地震、ならびにそれに伴う津波などによって被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。 テレビは、どこもこの地震関連の報道ですが、否定的な気持ちになったりしてはいないでしょぅか。 ヒカリズムでは、意識の進化も目指しています。意識の進化とは、分離意識から統合意識へのシフトです。 自分の外側に起きる一般に否定的な出来事と呼ばれる状況に対し、どんな意識で向かい合うかということがとても大切です。 同じように寄付をしたり、ボランティアをするのであっても、否定する気持ちがあるかないかによって、意識進化にとっては、まったく正反対の状態になります。 これまでのパラダイムの中には『否定的な出来事』というものが当たり前のように存在しています。 しかし、論理的に考えれば、『人間(じんかん)万事塞翁が馬』の故事であきらかなように、良い出来事、悪い出来事と決め付けることはできません。 すべては相対的ですから、出来事や状況それ自体に意味は存在しないのです。意味は、設定された目的に対して相対的に生じます。(目的との関係性で意味が生まれる) 生まれ変わりの考えによれば、私たちの魂は、体験を通して無条件の愛を身につけるために生まれ変わりを繰り返しているといわれます。(本来の愛であることを思い出すために、または戻るためにとも言います) そのような目的を設定すると、一般に否定的な出来事と呼ばれる状況は、スポーツにおける難易度をあげる設定のようなものに過ぎないという見方ができるようになります。 わずかの距離を走るのは簡単ですが、フルマラソンの距離を走るのは大変です。 困難がなにもなければ、人は成長しません。困難を乗り越えることで、成長できるのです。 私たちは、本来、命とも呼ばれる意識そのものです。それは本来、愛である意識です。しかし、その愛は、この物質世界においては形にすることで初めて意味を持ちます。 一般に否定的な出来事と呼ばれる状況を否定せず、本当の自分を表現する機会と捉えて、自分の愛を形にする行動をとることがあなたの創造なのです。 今回の地震とその関連の津波などの出来事によって、たくさんの尊い命が失われました。 でも、臨死体験研究の第一人者であったエリザベス・キューブラー・ロス博士はいいます。「大切なのは、人は死なないとわかることです」 前世療法などの生まれ変わりの情報によれば、肉体を離れた魂は、肉体であったときの痛みや悲しみから開放されます。本来の愛に戻るにつれ、穏やかさと暖かさを取り戻します。 レオ・バスカーリア原作の絵本「葉っぱのフレディ -いのちの旅-」に名言があります。「この木も死ぬの?」と尋ねたフレディにダニエルがこう答えます。引用開始--------------------------いつかは死ぬさ。でも”いのち”は永遠に生きているのだよ。「葉っぱのフレディ」より引用終了-------------------------- ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪
Mar 12, 2011
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