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▼新緑と山々と体脂肪率今日もいい天気だったので、青梅線軍畑駅から高水山(759メートル)、岩茸石山(793メートル)、惣岳山(756メートル)の三山を縦走、御嶽駅に至るハイキングコースで、「減量(体脂肪燃焼)作戦」を断行しました。走行距離は約12キロの山道で、かなりいい運動になりました。途中経過は割愛して、今日一番の景色は岩茸石山山頂からの景色でした。埼玉県境に近い奥多摩の山々です。新緑もきれいですね。所要時間は5時間ということになっていますが、3時間弱で踏破しました。この二日間で少し脂肪が燃焼したような、していないような・・・? 二年前まで14%だった体脂肪率が現在は何と19%もあります。まだまだ体脂肪燃焼作戦は続きそうです。
2007.04.30
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▼富士山と竜雲今日は朝から夕方まで見事に晴れ渡りました。私は公約どおり山へ。遠くに富士山を望みます。龍のようにくねくねした雲が見えますね。富士山のアップです(四倍ズームなので、これが限度です)。奧高尾のもみじ台からの風景でした。
2007.04.29
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▼UFOか、人工衛星か、流れ星か兄はこう言った。「そういえば、人工衛星が大気圏に突入し、5つに分解するのを見たことがある」と兄は言った。「印象深かったので日時も覚えている。2005年の12月5日午後8時10分から15分の間だ」突然の「告白」に姉も私もあっけにとられた。兄によると、地球を周回する人工衛星が地球に落下するのをよく見ることがあるのだという。その日も杉並区にある自宅に帰ってきた際、自宅のちょうど真上の夜空に光が流れるのを見た。兄は最初にその光を見たとき、花火かなと思ったという。そのスピードが非常にゆっくりだったからだ。しかし花火のように地上から上っていくのではなく、上空を横切るようにその光は動いていく。その間は5~10秒ぐらいだったと兄は言う。そのとき突然、その光が二つに分かれ、さらに三つ、四つと分かれ、最後には5つに分かれて消えてしまったのだという。兄はこれ以外にもよく、何だかわからない光が空をよぎるのを見るのだという。特に2005年12月の光をよく覚えていたのは、自分の家の真上で見えたことと、速度が非常にゆっくりで5つに分かれたからであった。兄は、その光が人工衛星の落下に違いないと思い込んでいる。本当に人工衛星だったのか、それとも流れ星か、あるいはUFO?兄は私が空で何か見なかったかと問うまで、その「人工衛星」と神社で見た「この世のものでないもの」を結びつけて考えたことは一度もなかった。よく考えると、兄が神社で「この世のものでないもの」を見た年の12月に「人工衛星」を見たわけである。夜空の光がもし何か関連のある兆しであるとしたら、秋山氏の説が俄然信憑性を増してくる。しかし、人工衛星の可能性もあるし、流星であったかもしれない。とくに12月といえば、ふたご座流星群が見える時期でもある。ふたご座流星群は、8月のペルセウス座流星群と並ぶ大流星群で、都会でも容易に観測できる。天体観測に詳しい人によると、ごく稀に大きな隕石や大きな人工衛星が大気圏に突入した場合、摩擦の衝撃でいくつかの大きな塊に分解することがあるのだという。その物体が大きければ大きいほど長い時間に渡って観測ができる。その12月の「人工衛星」を含め、兄がよく見るという空の「光」については、もう少し吟味していく必要があるだろう。その新宿での会合では結局、兄が引き続き不思議な現象を空などで目撃しないか注意深く観察し、私は兄が二度と行きたくないという、その神社の目撃場所に行って調べることになった(注:まだ行ってません。何か見つけたらブログでお知らせします)。今回の「事件」は、兄にとってはかなりの衝撃であったことは確かだ。50年以上の人生で初めての体験。まさに異次元の世界を垣間見る出来事であったにちがいない。おそらく異次元の宇宙は、私たちのすぐ目の前に浮かぶように存在しているのだろう。ダークマター(暗黒物質)、ダークエネルギー、オーブ、プラーナ、二次元の粒子群ーー。それらは皆、異次元世界の現象や存在なのかもしれない。異次元の扉はちょっとしたきっかけで開き、「この世のものではないもの」が顔を出す。明日それを目撃するのは、きっとあなたのはずです。(終わり)今日からゴールデンウィークですね。ブログの更新は不規則になります。とくに晴れているときは朝から山に行く場合が多く、ブログはお休みになりますので、ご了承ください。それでは皆様、よいゴールデンウィークを!
2007.04.28
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▼異次元ポット秋山氏の答えは意外であった。「この世のものではないもの」なのだから、まさか見たことがあると答えるとは、私は予想もしていなかった。「えっ、見たことがあるんですか」と、私は思わず聞いた。「ええ。英語ではベルと言われているものだと思います。顔も手も足もない。だけど人型(ひとがた)のものですよね。異次元ポットとも呼んでいます」「異次元ポット?」。初めて聞く名前だった。「深鍋(ポット)のような形をしているからです。そこから妖精のようなものが出てきたりするんです」妖精!? すると異次元とこの世界をつなぐ出入り口のようなものなのだろうか。「そんなものが時々、この世界に出現したりするんですか?」「ある種の教育用だと思います」「教育用!?」ーー。秋山氏と話をしていると、驚かされるばかりだ。教育用とはどういうことなのか。「宇宙人がある種のビジョンを見せることがあるんです。顔も手も足もないものを見せたときに、その人がどのような反応をするか見てみたのではないでしょうか。その反応によって、どのようにコンタクトすればよいか試すのです。宇宙人との初期のコンタクトでそうしたことが起こるのではないかと思います。私もそうでした」「秋山さんが実際に見たときのことを話してください」「宇宙人とのコンタクトが始まった10代のころの話です。自宅二階の自分の部屋にいると、すぐそばに緑色のビニールのような物体が突然現われたのです。ブ~ンとうるさい音を出していました。それで私はそのとき言ったんです。下には家族がいるから、そんな音を立てたら迷惑なので静かにしてくださいって。すると音は止まりました。それでゆっくり観察したんです。そのときそれが、宇宙人が私に見せた教材であることがわかりました。まさにこんな形をしていましたよ」と秋山氏は言うと、兄が書いたスケッチを私に返した。「本当に宇宙人の教材だったんでしょうかね」と、私は信じられないという思いから聞いた。「だと思いますよ。たとえば、この異次元ベルを見た前後、空を見ていてUFOが現われたりすれば確実だと思うんですが。ただし、神社で見ているということから、別の目的があった可能性もあります」「そうですか。では今度兄に会ったら聞いてみます」秋山氏との「この世のものではないもの」に関する話はここまでである。私は翌日、台湾に旅立ち、3月8日に日本に戻ってきた。ちょうど私の姉がニュージーランドから日本に帰って来ているというので、兄と姉と私の三人で3月10日昼、新宿で食事をすることになった。私はその席で、秋山氏が語った内容について説明した。当然、私の兄はそのような話を信じるわけもなかったが、決め手は空に何か見なかったかどうかだと私が言った途端に、兄が急に思い出したかのように、しゃべりはじめた。(続く)
2007.04.27
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4月13日のブログの続きです。▼異次元の入り口兄はその異様な雰囲気に怖気づいて、娘を連れてその場をすぐに立ち去った。以来、一度もその神社を訪れたことはないという。面白いのは、兄が幽霊や超常現象の存在にいつも否定的であったことだ。以前、母が幽霊を見たといっても懐疑的だったし、誰かがUFOを見たと言っても目の錯覚であると片付けるタイプである。ところが今回の目撃に関しては、絶対に「この世のものではなかった」と断言する。それは「生まれて初めて」の経験であったという。私はその話を最初に聞いたとき、幽霊を見たのではないかと思ったが、兄は「幽霊ではなかった。この世のものではないものだ」と譲らない。幽霊ではないというのだから、幽霊ではないのだろう。ではこの世のものではないものとは何か?私には思い当たる現象も知識もなかったので、では「専門家」に聞いてみようということになった。言葉は悪いが「蛇の道は蛇」である。ちょうど、台湾に取材旅行にでかける前日の2月26日。日本の古代秘史に迫るという名目で秋山眞人氏に私の前世をリーディングしてもらうことになっていたので、そのときに聞いてみることにした。話は脱線するが、前世をリーディングすることにより古代史を知るという方法は、結果的にエドガー・ケイシーという「眠れる超能力者」が既に実施している。ケイシーのおかげで、既に人類史から消却されていたアトランティスの歴史が再び脚光を浴びるようになったともいえるのである。私はこの手法を「羽根のライン」など謎の多い日本古代史にも応用できないかと考え、昨年暮れ、退行催眠によって、ある特定の古代に戻り、古代秘史を探ろうとした。その時見たビジョンと秋山氏による私の前世リーディングが一致すれば、それなりに説得力を持つことができると考えたのである。その結果については、いずれこのブログでも紹介したいと思う。秋山氏に前世リーディングをしてもらった後、私は兄が描いた「この世のものではないもの」のスケッチを見せて、私からは何の説明も加えずに「これは何だかわかりますか」とたずねた。兄が見たという「この世のものではないもの」のスケッチ。秋山氏はしばらくその紙を見つめていたが、やがて口を開いた。「私も見たことがあります」(続く)
2007.04.26
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今日は珍しく家猫ちゃんの紹介です。その名もナス丸虎太。ナス丸一族の虎太君です。他の兄弟と拾われたとき、ナスのように小さくてプクッとしていたのでナス丸と名づけられました。4時間おきの猫ミルクで何とか一命をとりとめたのは、この子だけでした。正式の名前はナス丸虎太ですが、普段はナスと呼ばれています。おっ、見得(?)を切っていますね。歌舞伎役者のようです。そのナスも14歳になりました。育ての親によると、最近少し顔が老けたそうです。ナス~、これからも元気でね!P.S.ところで、尖山北斜面の裾野に生えていた老木(神木)ですが、神代植物園の学芸員に写真を見せて何の老木なのか聞いてみました。学芸員の方も、その老木の立ち姿に驚いていましたが、ブナの木に似ているとのことでした。ただし、葉っぱを見ないと確かなことは言えないそうです。コブは枝が折れたり切れたりしたとき、かさぶたのようにできるものだそうです。樹齢はわかりません。コブから新しい枝が伸びているのは、力強い生命力を感じさせますね。明日は、私の兄が見たという「この世のものではないもの」(4月13日のブログを参照)に、それなりの決着を付けたいと思っています。
2007.04.25
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▼旅の終わりに尖山山頂プラーナの会を結成(極秘だったので私しか知らないはずです)した後、下山しました。途中、前日に見た杉林の中の「すり鉢」に立ち寄りましたが、新たな発見をしました。「すり鉢」がある尖山南東斜面の杉林が途切れる上方の斜面に、北西や北斜面で見たのと同様の石積みらしきものを発見したのです。これがその写真です。木の根元あたりに苔むした石が積まれたようになっているのが見えますね。ただし「石積み」の大きさ(露出している部分)は3,4メートル四方ぐらいで規模は小さかったです。このミニ石積みの下の斜面に、前日調べた「すり鉢」があります。やはり写真では、すり鉢だかなんだかわかりませんね。石田さん宅に戻ったのは、午後2時20分ごろでした。再びお茶をご馳走になります。石田さん宅の裏庭も見せてもらいました。裏庭には沢の水を引いた池があります。その池に低木が橋のように架かっています。黄色い花を咲かせたレンギョウですね。黄色い虹のようです。水芭蕉も咲いていました。水面には太陽が映っていますね。これはオウレンという薬草。胃腸の薬として使われるようです。尖山山頂付近にも咲いていたイワウチワ(岩団扇)。最後はイカリソウです。花弁が船の錨のような形をしているので、こう名づけられたそうです。花言葉は「君を離さない」だとか。名残惜しくもありましたが、探検隊はここで解散し、それぞれの家路を急ぐことになりました。横江駅に富山駅行きの電車が入ってきます。石田さんが駅まで見送ってくれました。私版「田舎に泊まろう」もここでお別れ。石田さんは最後まで写真はNGでした。テレビにはよくインタビューで登場するそうですが、恥ずかしがって撮らせてくれません。石田さんとご家族の方には本当にお世話になりました。ありがとうございました。参加された方々にも御礼申し上げます。お蔭様で、非常に充実した、楽しい旅となりました。23年来の懸案の一つを解決することもできました。富山駅まではヤンチャリカさんとご一緒しました。ヤンチャリカさんは富山市にお住まいです。今では総曲輪(そうがわ)も桜木町もすっかり廃れてしまったとか。1982年から85年まで滞在した富山支局での思い出がよみがえってきます。イギリスの冬も暗くて厳しかったですが、富山の冬も天気が悪い日が続き、雪下ろしなどで大変だったことを思い出しました。富山駅に到着。駅に着いたのは午後4時15分ごろでした。駅前は22年前と同じく閑散としています。駅南口から放射状に伸びる道のうち、右斜め前方(西南方向)に進む道が、私がかつて住んでいた芝園町に向かう道です。確か歩いて一〇分ほどでした。ヤンチャリカさんとはここでお別れ。私はこれからどうしようか考えます。奥能登の羽根を再調査しようかと密かに計画していたからです。しかし時刻表を見ると、富山から奧能登へ行くのは、富山から東京へ行くよりも時間が掛かってしまうことがわかりました。やはり今回は、いったん東京へ引き返しましょう。私にはまだ白山登山や、奧能登の羽根や、蝦夷穴古墳、真脇遺跡などを調べる仕事が残っています。それはまたの機会となります。午後4時56分富山発の特急に乗り込みます。太陽も傾いてきました。日本海ーー。二〇数年前、何度この光景を見たでしょうか。6時間かけて上野駅へ着き。6時間かけて富山に戻ってくる。雪で電車が立ち往生することも頻繁にありました。しかしそのような過去の記憶も、日本海に溶け込む夕日のように、ゆらゆらと波間に揺れて、やがて影法師のように消えてゆきました。(終)
2007.04.24
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▼尖山山頂でプラーナ(?)を見る2この光の群れは何なのでしょう。見たことのない人のために説明すると、花火の中で空中で弾けた後てんでばらばらに光が舞う種類があると思いますが、それに似た動きをします。つまり、銀白色の光が現われては消えます。その際、それぞれの光がいろいろな方向に動いているように見えます。ヤンチャリカさんは「精子みたい」と表現していたようですが、確かに無数の光の群れがそのようにゴチャゴチャ蠢いているようにも見えます。ただし、精子のようにくねくね動くのではなく、直線的に短く動いて消えるように私には見えます。ぼんやりと見ているだけなら、光のシャワーを浴びているような気分になります。面白いのは、明るい空の方を向くと見えますが、足元の暗い方向を向くと見えなくなります。きときとさんに聞くと、夜部屋の中でも見えますが、明るい空の方が見やすいそうです。4人が4人とも見たのですから、尖山の頂上では何かそのようなものを見させる条件がそろっていたということになります。そこで一昨日、神代植物公園に行き、この光がどのような条件で見えるのか30分間ほど実験してみました。やはり明るい空の方向を見ると、同じ光の群れが現われます。長時間上を向いていると首が疲れるので、仰向けになって芝生に寝転がります。明るい空を眺めながら意識を手前の中空にもっていくと、すぐに尖山山頂で見たのと同じ光の群れが現われます。比較的暗い森の方を眺めたり目を閉じたりすると、光の画像は消えてしまいます。メガネをはずしたらどうでしょうか。メガネをはずしてもはっきりと見えます。ということは近くに存在するか、視力とは関係のないもののようです。尖山山頂で見たときは午後1時ごろでしたが、神代植物公園では、時間は午後4時半ごろでした。時間帯はそれほど関係がないように思われますが、日没してから見たことはありません。昼間、高層ビルが立ち並ぶ新宿で見ようとしましたが、その時は見ることができませんでした。神田川沿いの遊歩道では午後1時ごろ、観測することができました。ヤンチャリカさんが言っていましたが、この光は「誰でも見えるけど、気付かないだけ」だと思います。しかし雨の日や曇りの日は、私には見えません。これまでのところ、晴れた日に空気の澄んだところで見やすくなりそうだということはわかってきました。また、自然が比較的豊かな場所のほうがみえるのかもしれません。この光の群れの正体については、プラーナという大気中のエネルギー(気)が見えるのではないかという説があります。しかし問題は、この光が大気中にあるとされるプラーナのようなエネルギーが視覚化したものなのか、それとも目に入ってくる光の刺激により脳が反応して作り出す画像(虚像)なのかどうかです。貧血の際や頭を強打したときに目から星が出ますね。尖山山頂で見た光の群れは、それと同じようにも見えるからです。きときとさんも目から出る星に似ていることは認めています。ただし、形状や性質は明らかに異なります。目から出る星は数秒間で消えてしまいますが、私たちが見た光の群れは長時間観測することができます。実際、一昨日私は神代植物公園で断続的ではありますが、30分間観測することができました。やろうと思えば何時間でも観測できそうです。きときとさんは、夜自分の部屋でも見られると言っていますので、そうだとしたら脳への外的刺激により見える「虚像」だとは言えなくなります。メガネをはずしても鮮明に見えることや、意識をしないと見えない(気付かない)ことから、視力とは関係のない第三の目のようなもので見ている可能性もあります。それに意識しないと見えません。このことは観測しないと存在しないという量子論的宇宙のようで面白いです。脳が作り出す虚像なのか、それとも第三の目のスクリーンに浮かぶプラーナなのか、もう少し実験を続ける必要がありそうです。さあ、話を尖山山頂に戻します。青空を眺めながらその光を見ていると、不思議な気持ちになりました。というのも、私はそのとき、同時に三つの異なる世界を見ていたからです。既に私のブログで紹介しましたが、私には目のすぐ前に二次元の膜に浮かぶ無数の粒子群がいつも見えるからです(目をつぶった方が見やすいですが、目を開けていても見えます)。その少し離れたところに(意識しないと見えない)プラーナとみられる光の群れがあり、さらにその向こうに普段見る景色が広がっています。一度に三つの世界が見られるとは、なんとも贅沢(?)ですね。そのようなわけで、このとき「尖山山頂プラーナの会」を結成(!?)しました。お弁当をいただいた後に記念撮影。こんなに小さくては、何もわからないって?プラーナの会ではすべて心眼で見ますので、これで十分なのです。(続く=次こそ最終回です。多分)
2007.04.23
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芝桜です。色鮮やかですね。昨日、神代植物園で撮影しました。さて、尖山遺跡探検の続きです。▼山頂でプラーナ(?)を見る神木のような存在感のある古木は、尖山の北斜面の裾野に生えていますが、実はこの北斜面も石が積つまれたようになっています。北西の斜面に比べてシダ類や樹木が多いため、全体像はわかりづらくなっていますね。おびただしい数の石が露出しています。上の写真ではずっと奧の方まで「石積み」が続いていることがわかります。これもあくまでも目測ですが、長さ50メートル、幅20メートルぐらいにわたって石が斜面に敷き詰められたようになっているのではないかと思いました。では、上から「太鼓の台」を発見できないでしょうか。少し上って尖山北斜面の裾野の方を見渡します。しかし草木が邪魔して、何があるのかよくわかりません。再びヤンチャリカさんの携帯電話が活躍します。石田さんに状況を説明して、どのように探せばいいか聞きます。石田さんは30メートルの範囲内にあるはずだと確信しています。言葉ではわかりづらい面もあります。石田さんがこの場にいればおそらく見つかったのでしょう。その後も藪や草木をかき分けて探しても「太鼓の台」は見つかりませんでした。それでも、斜面の石積みがわかっただけでも大収穫です。石田さんが石積みが祭壇であると思った理由や太鼓の台の所在は今後の課題ということにして、再び「昔の近道」に戻り、頂上を目指すことにしました。おそらく尖山の頂上を目指す急坂は、この日いちばんの難所だったのではないでしょうか。一般の登山道に比べてかなりきつい勾配です。どなたかが道に沿ってロープを設置してくれたおかげで少し楽ができましたが、足を踏み外したりしたらはるか下まで落ちてしまいそうな急勾配でした。旧道はやがて尖山頂上付近で登山道と合流しました。この難所でも一人も怪我をすることなく、全員無事上りきりました。大したもんですね。日ごろの訓練(?)の賜物です。頂上まではあと少し。そして、とうとう山頂に到着。結構運動したのでお腹もすきました。時計を見ると、午後12時50分ごろです。お昼の時間ですね。石田さんの息子のお嫁さんが用意してくれたお弁当(ありがとうございました!)をみんなでいただきます。そして、お弁当を皆で食べて談笑しているときです。きときとさんが空の方を見て光が見えると言い出しました。UFOでも現われたのかな、と上空を仰ぎます。何もありません。ヤンチャリカさんも「本当だ。光がいっぱい」と言います。私は何のことかわかりません。ひろころさんも「本当だ。光が見える」と驚いた様子。きときとさんとヤンチャリカさんはよく見ているようですが、ひろころさんはこのとき初めて見たそうです。私も再度、空を見上げます。そこに見えるのは、澄み切った青空ばかり。光など見えません。するときときとさんが「この辺に意識をもっていくと見えるのよ」と、自分から30センチほど離れた空間を手で示します。「そんなに近いところ?」と思いながら、もう一度空をみます。意識を手前にもってくると、おや不思議。本当に光が見えてきました。パチパチパチパチと(もちろん音は聞こえませんが)無数の光の群れがはじけているようです。(続く)
2007.04.22
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▼石積みと神木坂を下るとそこは、まったく道のない未知の世界です。坂の下は、比較的平らな空間が広がり、右手には尖山北西斜面が見えます。そのときの写真。正面が尖山の北西斜面です。ここも植林されたらしく、杉の木が生えています。その杉林の先の斜面に岩がごろごろ転がっているのが見えます。写真中央の緑の部分ですね。石田さんの描いた石積みかもしれません。その「石積み」に向かって上ってみることにしました。斜面の下のほうにも岩が転がっています。先頭を行くのは、山歩きの達人であるひろころさん。上の写真では右上に石が積まれた斜面が見えます。その石積みの斜面に到着しました。おびただしい数の石が積まれたようになっています。ギザのピラミッドも下から見るとこんな感じでしたよ(ただし、ギザのピラミッドの石のほうがずっと大きいですが)。ひろころさんがいるおかげで、石積みの大きさがわかりますね。あくまでも目測ですが、この石積みの幅は15メートル、長さ30メートルはありそうでした。これだけ石が積まれていれば、さすがに植林できなかったとみえ、この斜面だけ日が当たっています。石積みのアップ。もし上から落ちてきた石ならば、もっと斜面の下の方に石が積もるのではないかと思いますが、これらの石は斜面にしっかりとへばりついています。しかも、かなり古くからこの場所にあったとみられ、すべて苔むしていますね。自然にできたのではなく、人工的に積まれたように見えます。石田さんの記憶では、この石積みは5メートル間隔で並んでいたので「祭壇」と名づけたようですが、私の感じでは、満遍なく斜面に石が積まれているように思われました。ただ、尖山そのものが神殿であれば、この斜面の石積みを祭壇とみなせなくもないです。遺跡探査は続きます。石田さんの作成した図では、この石積みを下りた辺りに窪みがあり、太鼓を載せられるようになった、直径2メートルぐらいの円形の台があったというので、探してみました。しかし、あっちへ行ったりこっちへ行ったりしても、そのような窪みも台も見つかりません。そこで威力を発揮したのは、非常に感度のいい、ヤンチャリカさんの携帯電話でした(おかげで助かりました。ありがとうございました)。石田さんに電話をかけます。運良く石田さんは自宅で休んでいました。話を聞くと、やはり間違った方向を探していました。石田さんによると、東の方へ回りこまないと見つからないとのことでした。つまり時計回りに尖山の斜面の裾野を歩いて探せばいいわけです。石田さんは、「太鼓の台」は30メートルほど歩けば見つかるはずだと言います。ところが、石田さんの言うとおりに30メートルほど進んで探しても、「太鼓の台」も窪みも見つかりません。その代わりに見つかったのが、この古木です。非常に存在感のある木ですね。コブが印象的です。見る角度によっては人の顔に見えたりします。その時は言いませんでしたが、この木を見たとき最初に思ったのは、青森の十和利山(とわりやま)での竹内巨麿にまつわるエピソードです。1935年、巨麿が青森の「キリストの墓」を訪れた後、十和田湖のそばにある十和利山へ立ち寄り、この山が日本最初のピラミッドであると宣言します。そして「この山のどこかに、珍しい樹木が1本なければならない」と告げ、地元の人を驚かせます。なぜなら、実際にそのような木があったという話を聞いたことがある地元の人がいたからです。残念ながらその木は朽ち果てていましたが、巨麿が説明するには、ニニギノミコトが天空浮船に乗って万国を巡幸した後、十和田湖のそばに都を築きます。その際、外国から持ち帰った苗木を植え、大神官の神木としたというのです。その木は巨木になり、材質は堅く香木であったといいいます(詳しくは拙著『「竹内文書」の謎を解く』のP132をご覧下さい)。既に説明したように、竹内文書では尖山をニニギノミコトの神殿であるとしていますから、十和利山同様、富山の尖山にも神木が植えられた可能性はあります。この木は果たして「大神官の神木」なのでしょうか。それにしても変わった木です。一部が枯れて木の室のようになっています。今日これから、神代植物公園に行く予定ですので、何の樹木なのか学芸員にたずねてみようと思います。(続く)
2007.04.21
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▼再挑戦集合場所の石田さん宅でお茶をいただいて待っていると、きときとさんがまず到着。きときとさんを裏手の駐車場に案内して戻ってくると、前日も参加された、ひろころさんが既に来ていました。それからちょっと遅れて、ヤンチャリカさんも到着し、メンバーがそろいました。皆さん、楽天のブログ仲間です。実は、この日の探検に石田さんは参加しません。前日の登山でちょっとお疲れでしたね。今日は石田さん抜きのブログ仲間四人で「謎の遺跡」を探し出さなければなりません。そこで石田さんに詳細(?)な地図を書いてもらいました。これがその地図。事情を知らない人が見たら、何がなんだかわからないでしょうね。しわくちゃになっているのは、何度もポケットから取り出しては場所を確認したからです。上とか下の文字は私が書き込みました。下るのか上るのかを示したものです。というのも23年前、下るところを上ってしまったために道に迷い、「謎の遺跡」にたどり着くことができなかった苦い思い出があるからです。私にとって、今日はそのリベンジです。ところで、きときとさんとヤンチャリカさんは、私が楽天ブログを始めたころ(約三年前)からのお友だち。拙著『「竹内文書」の謎を解く』つながりです。私は(怠け者だから)ブログをテコにして作品を作っていく手法をとっていますが、その次に書いた『不思議な世界の歩き方』では、ブログ公開中にお二人からいろいろとコメントをいただき、それを参考にして本を仕上げたいきさつがあります。その節は、非常にお世話になりました。ありがとうございました。話を先に進めます。前日は石田さん宅から尖山まで歩いていったのですが、この日はひろころさんの車で登山口まで行き、楽をしました。ちょっと時間の短縮になりましたね。何しろ道に迷ったら、何時間かかるかわからない登山です。余計なところでエネルギーを使わないようにしないといけません。前日同様、登山道から旧道への抜け道を探します。石田さんの話を聞くと、どうやら前日見つけた沢のそばの道なき道を登って行くと旧道が見つかりそうです。その沢は途中でなくなってしまいましたが、それでも強引に上って尾根まで出ると、獣道のような道が見つかりました。これが石田さんの言っていた「昔の近道」にちがいありません。これがそのときの景色。尖山が望めますね。右下にその旧道が見えます。ここまで来た道に比べたら、まるで舗装道路のようです。しばらく旧道を進むと、峠のように見晴らしの良くなった場所に出ます。旧道はそのまま登り道が続いているのですが、石田さんの書いた地図によると、どうやらここを上るのではなく下るようです。おそらく23年前、私はこの道を上ってしまったせいで「遺跡」にたどり着けなかったのではないかと思います。ここからはもう、道はありません。地元の人が「しらみ坂」と呼んでいる斜面をくだります。23年前には見ることができなかった「遺跡」が行く手に待っているのでしょうか。(続く)
2007.04.20
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▼横江散策翌15日は快晴となりました。集合時間の午前9時40分までには時間があるので、横江の村を散策しました。これが横江の村です。杉林の上に顔を出しているのが尖山です。いつの時代かはわかりませんが、昔の海岸線はこの辺りまであり、入江になっていたそうです。だから横江と名づけられたそうです。そのころの尖山は、船人にとって一種の灯台の役目をしたのだと地元に伝わっています。尖山は本当に目立つ山で、靄がかかっていなければ富山市の呉羽丘陵からも見ることができます。20数年前富山支局に勤務していたときは、土曜の午後は呉羽丘陵にある「レストラン城山」(電話076-342-583)や喫茶「青い丘」(電話076-342-866)によく出かけ、尖山を探しました。4年前に寄ったときも、ほとんど昔のままのたたずまいで、素晴らしい見晴らしでした。アトリエにもなっており、一度訪ねてみてください。横江の村では、水仙があちらこちらで咲いています。これは白木蓮でしょうか。空は晴れ渡っていますね。菜の花。山のほうは少し雲が出ています。横江の村はずれには、蔵王社があります。蔵王権現は、修験者が信仰する山岳神ですね。ところが左側の石柱には神明社とも書いてあります。あとで石田さんに聞いたら、蔵王権現とコノハナサクヤヒメの男女2神を祀っているからだそうです。竹内文書によると、尖山はニニギノミコトの神殿跡ということになっています。コノハナサクヤヒメはニニギノミコトのお妃さまですから、その関連で祀られているのでしょうか。さらに散策は続きます。富山地方鉄道の横江駅。富山地方鉄道開業当初は尖山駅と呼ばれていました。駅舎です。のどかな田舎の駅ですね。ボーッと聞いていたのでうろ覚えですが、篠原涼子(?)主演の映画だったかドラマだったかのロケ場所に使われたこともあったのだそうです。横江駅の踏切を渡ると常願寺川に出ます。ちょうど堰堤の工事中でした。さあ、そろそろ時間です。石田さんの家に戻らないと。(続く)
2007.04.19
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▼お茶、UFO、ツチノコ、神代文字午後5時半ごろ石田さん宅に戻ってきて、早速反省会(本当はただのお茶会)です。石田さんが入れるお茶はおいしくて、大好評でした(ごちそうさまでした)。熱湯をお茶の葉に直接注いだりしません。沸騰したお湯をちゃんと72度まで下げてから急須に注ぎます。72度は手の感覚でわかってしまうという達人業をお持ちです。登山中やお茶会では、石田さんから面白いお話をいろいろ聞かせていただきました。15年ほど前の夜、自宅二階の寝室で休んでいると、尖山の方向からオレンジ色の光が降りてきたそうです。その光はちょうど石田さんがいた二階の窓の前に来ると停止します。すると、窓一杯がまばゆいオレンジ色の光で目が開けられないぐらいになったそうです。オレンジ色には一部紫色も混ざっていたといいます。これはUFOに違いない、「UFOが出たよ!」と旦那さんを起こそうとしているうちに、そのまばゆいばかりの光体は遠くへ飛んで行ったそうです。でも残念ながら、その光を目撃したのは石田さんだけ。家の人には「大方寝ぼけていたんだろう」ぐらいにしか思われていないそうです。これが石田さんのご自宅。この二階の窓いっぱいにオレンジ色の光が溢れていたそうです。そういえば、この探検に参加されたひろころさんも、2週間ほど前に同様な経験をされたそうです。やはり自分の部屋の窓がオレンジ色の光で包まれ、正体を確かめようとカーテンを開けたら、飛び去ったそうです。ひろころさんも立山町にお住まいだそうですから、立山町はUFOのメッカなのかもしれませんね。石田さんからはそのほかにも、昔(多分4,50年前)は横江にツチノコがたくさんいた! という衝撃の目撃談が披露されました。頭は平べったく、胴は太くて、尻尾がちょこっと付いているあの幻のツチノコです。横江のあちこちで多くの村人が目撃しており、それほど珍しいものではなかったと話していました。実は二日目だけに参加された方には紹介し忘れましたが、石田さん宅には竹内文書関係の掛け軸があります。これがそうです。竹内巨麿と書かれていますから、それほど古いものではありません。おそらく昭和になってから書かれたものです。歴代スメラミコトの名前が記された系図ですが、なにやら見たこともない文字が書かれていますね。これが神代文字を呼ばれる古代文字です。神代文字の虎の巻が手元にありますから、何と書いてあるか調べてみましょう。一番上に書かれているのは、「最古代象形文字」、アヒルクサ文字の一種のようです。ツイケコトコミラミスキツヒ・・・。なんのことかわかりません??おっと、間違えました。横書きでも右から左に読むんですね。トコヨノクニイロヒトヌイヤアメマツリアマツヒツキスミラミコトコケイツ最初は、万国(トコヨノクニ)五色人(イロヒト)でしょう。ヌイヤはわかりません。次に天祭り(アメマツリ)、天津日嗣(アマツヒツキ)、天皇(スミラミコト)、御系図(コケイズ)と続いているようです。「スミラミコト」や「コケイズ」などちょっとなまっているような気がしますが、昔はそう発音したのでしょうか?二段目はアヒル文字のようです。スミオヤサミラオホタマシヒタマヤスミオヤは皇祖ですが、サミラはわかりません。「たまや」は魂を祀る御堂ですね。「たましひたまや」で神宮と当てます。オホタマシヒタマヤで大神宮です。たぶん、皇祖皇太神宮と書いてあるのだと思います。ご興味がある方のために、虎の巻の一部を公開しておきます。上はアヒル文字。太陽光線の形から作られたようです。次は最古代象形文字です。その夜は、石田さんの知人家族を呼んでの大宴会となりました。その知人の中には富山の伝説の仙人、大道重治さんのお孫さんもいました。石田さんによると、大道仙人は杉の大木から大木へとピョンピョン飛んで、一晩で富山から岐阜の位山まで行って帰って来ることができたそうです。空を飛べたのでしょうか。その空飛ぶ仙人の血を引いているおかげで、孫の池田さんは飛ぶのがうまく、富山県トランポリン協会の理事長を務めています。スキーモーグルの里谷多英選手(いろいろな意味で飛んでいますね)のエアリアルを教えたこともあるとか。そのような話をしているうちに、夜も更けていきました。(続く)
2007.04.18
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▼祭祀場の夢の跡当初の予定より一時間以上遅れましたが、日没までにはまだ4時間はあります。尖山はそれほど大きな山ではないので、歩くのが早い方なら1時間半もあれば楽に登って降りて来られる山です。ただし石田さんが描いた「石積みのある場所」には、今ある登山道では行けません。日がまだ高いうちに、昔の山道を探し出し、そこからさらに道なき道を歩かなければなりません。ところが、案内人の石田さんの記憶と現在の山道がかなり違っていたらしく、昔の山道への入り口が見つかりません。それもそのはず、石田さんが最後に尖山に登ったのは10年以上前のことで、ここ数年で登山道は随分整備され、景色も変わってしまっていたのです。そこでとりあえず、「石積みのある場所」へ行くのはあきらめて、現在の登山道を山頂へと向かいました。途中、地元の人が昔「すり鉢」と呼んでいた場所に立ち寄りました。右上に書かれているすり鉢状の絵がそうですね。「野球場の観覧席」のようで「100人は席があったと思われた」と石田さんが書いていますから、昔の集会場であった可能性があります。上のすり鉢の絵を、アイヌのシャーマン(巫女)である山道康子さん(アイヌ名アシリ・レラ=新しい風の意)に見せたところ、「これはアイヌの祭祀場と同じだ」と話していました。石田さんによると、すり鉢の斜面にそって石が人工的に積まれていたそうですが、40年ほど前に中越パルプと地元の共同事業で「すり鉢」一帯に杉を植林しました。そのせいで、今では「すり鉢の祭祀場跡」もこの有様です。写真ではどこがすり鉢状なのか、まったくわかりませんね。すり鉢の底付近です。ここが祭祀場だったとしても、今では跡形もなくなって、まさに「夢の跡」です。ここはちょうど尖山の南東斜面沿いにあり、尖山の雄姿を拝むことができます。アイヌとつながりをもつような古代の人々が尖山を仰ぎ見ながら、祭祀を執り行ったのでしょうか。「すり鉢」は登山道から見える場所にありますが、普通の登山者はただの杉林だと思って通り過ぎてしまうはずです。急峻な山道を登って行く途中、右手に見える杉林がその場所です。言葉で説明するのは難しいですが、山頂から降りてきて、左手にある最初の大きな杉林と言えばいいでしょうか。「すり鉢」の近くまで降りていくと、ある程度すり鉢状であることが確認できますので、ご興味のある方は探してみてください。見晴らしがよくなってきました。左手から奧へと常願寺川が流れています。曇りですが、雨は降っていません。山頂に到着。標高559メートルです。私にとっては4年ぶりの山頂です。山頂からの風景。山頂には岩がゴロゴロしていますが、そのうちのいくつかは磁気を帯びた岩らしく、磁石が少し狂います。石田さんによると、昔は磁力がもっと強かったので岩に磁石を近づけると、磁石の針が一回転したこともあったとか。頂上で休んだ後、下山しながら「石積みのある場所」へ行く道を探します。石積みのある場所は北の斜面にあります。山頂付近の登山道から離れて、急な北西斜面を下りていけば、その場所に着くはずだと石田さんが言うので、北西斜面を上から覗いてみました。その斜面には岩ウチワという高山植物が健気に咲いています。しかしあまりにも急峻なので、ロープなしではとても降りられそうもありません。やはり、もっと山の下のほうから目指すほかないようです。再び石田さんの記憶を頼りに、昔の登山道を探すため、道なき道に分けいりました。ところが、途中まで道があったと思ったら途中で途切れたり、目印の沢に沿って歩いていったらその沢がなくなったりで、拉致が明きません。そうこうする内に、夕方の5時になってしまいました。74歳の石田さんもそろそれお疲れです。そこでこの日は探検を打ち切り、石田さん宅へ引き返すことになりました。(続く)
2007.04.17
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▼目指せ、尖山遺跡昨日、富山のミステリーゾーンから無事帰ってきました。ミステリーゾーンでは、何度か別次元のパラレルワールドへとスリップしそうになりました(!?)が、熊さんと遭遇することもなく、マムシに噛まれることもなく、そして何よりも誰も怪我をされることもなく(筋肉痛になられた方には御免なさい)、当初の目的の8割程度を達成した旅となりました。地元の石田さんをはじめ、参加された方には本当にお世話になりました(特に昨日参加された方はお疲れ様でした)。ありがとうございました。最初に御礼を申し上げさせていただきます。さて初日の14日ですが、いきなり予期せぬ事態が発生しました。越後湯沢から富山へと向かう特急列車が強風のため立ち往生してしまったのです。これは40分間停車した場所の車窓からの風景です。新潟と長野の県境辺りでしょうか。場所はどこかわかりません。40分間同じ景色を眺めていました。心配された天気もこの時点では晴れています。いい天気です。ただ、40分も遅れるとスケジュールが大幅に狂います。当初、午前11時20分に富山着、同11時50分富山駅発の富山地方鉄道に乗り換え、午後12時半には横江に到着する予定だったのですが、このままでは電車に乗り遅れてしまいます。遅れを取り戻せないのかなと思っていたら、新潟に入ってからも強風が収まらず、さらに1時間遅延、合計で1時間40分も遅れて富山に到着しました。私が共同通信社富山支局で記者をしていた23年前、東京ー富山間は特急電車で6時間かかり、しかも冬場は豪雪で時々交通が遮断されるため、富山は「陸の孤島」と呼ばれていました。今では上越新幹線の利用で3時間半に時間が短縮されましたが、この日はまるで23年前にタイムスリップしたかのようでした。午後1時17分、地鉄富山駅発の普通電車に乗って、尖山のある横江へと急ぎます。横江が近づいてきました。右端に見えるのが立山町横江の尖山です。ちょっと曇っていますが、登山には影響なさそうです。集合場所になっている横江の石田さん宅に着いたのは午後2時5分ごろ。1時間半も遅れました。すでに皆さん集まっています。挨拶もそこそこに(ただしおいしいお茶を一杯いただいた後)、石田さんの案内で尖山へ向かいます。参加された方は、ブログ仲間ではひろころさん、ほかに県内の小矢部市と富山市からお一人ずつ来られており、石田さんを入れて計5人です。目指すは、石田さんが記憶を頼りに描いてくれた、尖山中腹にあるという謎の遺跡です。(続く)
2007.04.16
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▼異次元の入り口その「この世のものでないもの」を目撃したのは、実は私の兄であった。時期は2005年の3月か4月ごろで、場所は東京都杉並区のある神社。時間は午後2時か3時ごろだったという。兄は娘と神社境内のお稲荷さんが祀られている祠に向かって歩いていた。するとその祠の脇に、大人の背中ぐらいの大きさで、緑色の妙な姿のものがあることに気がついた。兄は最初、緑色のジャンパーを着た人が向こう向きにしゃがんでいるのかと思ったという。ところがよくよく観察すると、頭も手も足もない。そして何よりも驚いたのは、その物体の色とデザインであった。兄によると、それはこれまでに見たこともないような、人間では考え付かないような色の組み合わせであったという。緑の色は濃いグリーン、薄いグリーンなど15~20色のバリエーションがあり、一カ所クリーム色の線が浮き出ていて、それが目のような形をしていた。この物体を認めると同時に気圧が変わったのか耳鳴りがして、すごい存在感(何かエネルギーを出しているような感じ)を感じたという。娘もその存在にすぐに気づき、「何かいるね」と兄に言った。とにかく兄は、その存在感に圧倒され、娘を連れて近づいてはいけないと強く感じたので、すぐに道を引き返したという。(続く)土日は富山のミステリーゾーンに行っておりますので、ブログはお休みです。
2007.04.13
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▼異次元への入り口一つの宇宙と別の宇宙をつなぐ「落とし戸」や「秘密のトンネル」などあるのだろうか。多くの理論物理学者は、ブラックホールがそのトンネルの入り口になりうるのではないかと考えている。そしてブラックホールさえ通り抜けることができれば、ホワイトホールから別の時間軸の宇宙や別の次元の宇宙へ飛び出すことができるのではないかという。このように一つの宇宙と別の宇宙をつなぐ抜け道を、時空の虫食い穴という意味で「ワームホール」と呼んでいる。ただし、ブラックホールとホワイトホールを結ぶワームホールは一方通行でしかない。どちら側からも入ったり出たりできる双方向のワームホールは存在しないのだろうか。残念ながら、今のところそのようなホールは見つかっていない。しかし秘密のトンネルは、予期せぬときに突然現われることもあるようだ。明らかにこの宇宙のものではない「もの」が出現するときがある。たとえば次のようなものだ。これを目撃した人は、この世のものではなかったと断言する。いったいこれは何なのか。(続く)
2007.04.12
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▼地球の周りの交錯した次元宇宙私が地球の周りの交錯した次元宇宙のスケッチを見たのは、1987年だった。それぞれの面に描かれている点はそれぞれの宇宙にある星々で、多宇宙構造になっているのだという。当時の科学界では、多宇宙理論はSFの産物に過ぎなかった。当然、当時の私も、地球の周りにいくつもの異なる次元宇宙があるなどという考えには驚くばかりであった。これを描いたチャネラーは、実際にこういうビジョンを見て(絵に描くのはほとんど不可能なほど複雑だったが)できるだけそのまま描いた、これが地球を取り巻く宇宙の姿だと言う。半信半疑のまま20年が過ぎた。現代の理論物理学者は、もしかしたら私たちの頭上一ミリ離れたところに別の宇宙があると考え始めている。その中のひとり、ミチオ・カクは言う。・・・そして今、マルチバース(注:多宇宙)の概念が「宇宙(ユニバース)」という言葉自体を廃れさせてしまう新たなパラダイムシフトをもたらしている。マルチバースの場合、舞台は並行に層をなし、あいだを落とし戸や秘密のトンネルがつないでいる。(『パラレルワールド』NHK出版)つまり、チャネラーが20年前に描いた宇宙の姿がまさに現実味を帯びてきたわけだ。しかも量子論的解釈で宇宙を見ると、観察(観測)者が存在を決定するのではないかとも考えられてきた。宇宙は意識と情報に支配され、意識は存在を決定する支配的な力となる。観察者にはそれを観察するものがおリ、その無限の連鎖の果てには宇宙を観察(観測)する「神」がいて宇宙が存在するかもしれないのだという。科学はまさに神に近づきつつあるのだろうか。(続く)
2007.04.11
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▼地球の周りの交錯した異次元宇宙ニュートンは地球を含む天体を動かす力の法則を明らかにした。その法則の中では時間は絶対のものであり、空間も一様の尺度で規定できた。だがアインシュタインは、その時間も空間も一様ではなく、伸びたり縮んだり曲がったりすることを明らかにした。さらに量子論の登場で、その宇宙そのものが一つではなく、同時にいくつも存在するのではないかと考えられるようになった。私たちの一ミリしか離れていないところに別の宇宙が存在するかもしれないのだ。現在、地球上の科学者たちはこぞって、私たちの頭上に浮かぶであろう並行宇宙の存在を検知しようと躍起になっている。やがて並行宇宙の存在を証明するような物質が見つかるかもしれない。そうなれば、宇宙の姿をどうやって表せばいいのだろう。そこで思い当たったのが一枚のスケッチであった。20年前の話である。そのチャネラーは次のような絵を私に見せてくれた。「地球の周りの交錯した次元宇宙」と、そこには書かれていた。(続く)
2007.04.10
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今日は最近撮影した春の花と猫ちゃまたちです。これは神田川の猫ちゃん。こちらの様子をうかがっていますね。左右の目の色が違いますね。いわゆる金目銀目です。野に咲く花とのショット。こちらは善福寺川の猫。庭先にある祠で休んでいます。こんにちは。玉川上水の山吹です。これは・・・?神代植物園で咲いていたチューリップでした。最後は、都内某過激派のアジトにいた猫ちゃん。公安にばれないように、表札が「アジト」になっています。これなら誰にもわかりませんね。怪しい人が通るとワンワン吼えて知らせてくれます。門番のような猫ちゃんでした。
2007.04.09
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▼UFOのスケッチ(下)オズマと、ほぼ同時期にフランスで目撃されたUFOはよく似ていますね。実はこの二つのUFOの一番の特徴は、六角形の蜂の巣状の構造があることです。秋山眞人さんによると、この蜂の巣構造は宇宙船の動力部に使われることが多いそうです。形がもたらすエネルギーというのもあるらしく、非常に重要な意味があるとのことです。おそらくフランスで目撃されたUFOは実際に観測されたのでしょうが、オズマの影像はテレパシー交信によるものです。そのオズマからメッセージを受け取ったのは、チャネラーの北川恵子さん。拙著『不思議な世界の歩き方』で紹介させていただいた方ですね。そのメッセージによると、いきなり地球に飛んで来て地球の大気に接近することは難しいそうです。なんでも「免疫結晶」をつくるなどの措置を施さないと大気接近ができないが、もう少しで作ることができるというメッセージをもらったそうです。1987年3月17日ごろ、地球に飛来、その後「免疫結晶」が完成し、1988年にフランスで目撃されたのかもしれませんね。亀の形に限って言えば、浦島太郎に出てくるUFOも亀型でした。これも同じ拙著で既に紹介しましたが、奈良時代に書かれた丹後の国の風土記には、「風雲の彼方より」飛来した「五色に輝く亀」が釣りをしていた浦島の前に現われ、その亀には女性が乗っていたと記されていますね。あとはご存知のように、竜宮城ではなくスバルと雨降り星に連れて行かれるわけです。残念ながら、丹後の国の風土記には五色に輝く亀のイラストは掲載されていませんが、江戸時代にはこのようなスケッチが残されています。1803年に発生した、有名な「茨城県UFO漂着事件」です。蜂の巣状の構造はありませんが、これが輝いていれば、まさしく浦島が見たという「五色に輝く亀」という表現がピッタリと当てはまりますね。フランスがやったように各国がUFO情報を公開すれば、UFOの百科事典やUFO図鑑が簡単にできそうです。4月14、15の両日、UFOのメッカともいえる富山県・立山町にある尖山の遺跡探検に行って参ります。「探検隊」のメンバーは私を入れて8名。UFOを目撃したら、もちろんこのブログでそのスケッチを公開するつもりです。
2007.04.08
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▼UFOのスケッチ(上)宇宙機動船オズマ・・・!? 何か漫画チックで、機動戦士ガンダムを連想させますね。でも漫画でもSFでもありません。他の惑星から飛来した宇宙船、いわゆる地球人がUFO(未確認飛行物体)として扱っている空飛ぶ船です。ちょうど20年前に見た人がいるんですね。私が「オズマ」の話を思い出したのには理由があります。ご存知の方も多いと思いますが、先月25日の朝日新聞朝刊に、フランス国立宇宙研究センターが仏国民から寄せられたUFO目撃証言や写真、スケッチなどの情報をネットで公開したという記事が掲載されました。これがその記事です。注目すべきは、この記事とともに掲載されたUFOのスケッチです。拡大してみましょう。1988年にフランスで自分の上空を飛んでいるUFOを見たという男性が描いたスケッチだそうです。「上空に停止した際、すべてのライトが光った」などとフランス語でメモ書きされています。変わった形のUFOですよね。亀型というか、亀の甲羅そのものにも見えます。実はこれがオズマを想起させた形なのです。そしてこれがオズマのスケッチです。どうです、似ているでしょう。オズマのスケッチが描かれたのは1987年3月17日でした。”目撃”されたのは日本。その翌年に遠く離れたフランスでもオズマに似た物体が目撃されたことになります。いったいこれは、どういうことでしょうか!?(続く)参考情報:ネット上で公開されているというので訪問しましたが、同じスケッチを見つけることはできませんでした。それでも、人工衛星や隕石などを見誤ったことがはっきりとしているものをA、説明不能の未確認飛行物体をDと分類するなどかなり詳細な目撃情報が掲載されています。
2007.04.07
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▼鹿港、最終日天后宮の次に訪れたのは、龍山寺。古市街ではこの寺の改修工事に抗議するビラが貼ってありましたね。私たちが訪れたときも改修工事中でした。もう2年近く工事をしているようです。それでも参拝はできます。台湾では珍しい木造建築の寺院です。龍の彫刻と木造の柱の組み合わせが面白いです。龍山寺のそばには九曲巷という、有名な曲がりくねった古径があります。昔、季節風の強い風や砂の被害を防ぐため、このような道を造ったそうです。レンガ造りの家には今でも人が住んでいます。鹿港で撮影した赤い花。真っ赤ですね。ただし赤いのは花びらではなく、葉っぱです。ポインセチアに似ていますが、葉っぱの形が違うような。何の花かはわかりませんでした。鹿港を後にして、再び台中へ。台中でお世話になった方の家へ挨拶に行きました。台中市内ではなく、台中県烏日郷にあります。この四階建ての家がそうです。一階は酒屋になっていました。お店の奧へとお邪魔します。ダイニングルームですね。奧にキッチンが見えます。名前を忘れてしまいましたが、ハエ避けの蚊帳のようなものが食卓を覆っていますね。子供のころによく見た、懐かしい光景です。これで台湾取材旅行のシリーズは終わりです。台湾では多くの方々のお世話になりました。ありがとうございました。またお会いしましょう。再見!
2007.04.06
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▼鹿港古くから港町として栄えていたため、鹿港には台湾で最初に建てられた媽祖廟である天后宮があります。1591年に建造されたそうです。台南でも少しだけ紹介しましたが、媽祖は最初は海の女神、今は万能の女神として崇められています。媽祖は960年中国・福建省の生まれ。父親の海難事故を予知して生命を救ったり、病の人を治したりするなど多くの奇跡を起こした、いわゆる超能力少女だったようです。その話が広まり、海難避けの神様として祀られるようになったということです。本当に民衆に慕われている神様で、台湾全島で約2400もの媽祖廟があるそうです。鹿港の媽祖廟にも多くの人が訪れます。煙を浴びて幸運を招くというのは同じですね。中庭には龍の彫刻が鎮座していました。提灯は元宵節のランタン祭が続いているからだと思います。媽祖廟の内部です。いろいろな供え物が並べられています。きらびやかな装飾ですね。別の神様も祀られています。これは天后宮に隣接する新祖宮。参拝客が多いためか、新設した媽祖廟のようです。今日で最終回にするつもりでしたが、後もう一回だけ続きます。
2007.04.05
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▼鹿港3月7日。台湾滞在も実質的に最後の日となりました。この日は、台中から車で40分ほど行ったところにある鹿港(ろっこう)という港町へ。鹿港の街並みです。建物の屋上から写真を撮らせてもらいました。ここにも龍がいますね。鹿港は清代に、「一府(台南)、二鹿(鹿港)、三に台北の万華」と呼ばれるほどの貿易港でした。歴史的、文化的に価値のある廟や家が保存されています。その一つが古市街。赤レンガの舗道が続く、古いたたずまいの街です。迎春という意味でしょうか「春到古街」というポスターが張ってありますね。その下には龍山寺(後で訪問しました)の過度な修復に抗議するという内容のビラも貼られています。観光客用の三輪自転車です。古市街には民芸品店などの小さな店が並んでいます。珍しく一時間の自由時間がありましたので、古街をぶらぶらと散策することができました。(続く)
2007.04.04
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▼台中、心霊写真お墓の話が出たところで、今度は霊の話です。「千の風になって」という歌詞にも書かれている通り、お墓に行って泣いてもそこには故人の霊はいませんね。既に肉体を離れて自由になっていますから、そんな人のいない寂しいところにいてもしょうがないのです。むしろ霊は交差点とかコンサート会場とか、人間のエネルギーに満ちたところで目撃されるケースが多いようです。その証拠に、墓地で写真を撮ってもなかなかオーブ(霊体のようなものだと考えられています)は写りませんが、多くの人間の念が集まる場所では写真に写ることがよくあるそうです。これもその一つかもしれません。台中市内のある廟で撮影しました。この光の玉のようなものがオーブではないかとみられます。ただし、ホコリや雨粒をフラッシュ撮影しても同じような写真が撮れることがあります。これは室内なので雨粒ではありませんね。いくつあるかわからないほど無数の「オーブ」が写っています。この廟は女性の願いを叶えてくれる神様が祀られているということで、参拝する人はほとんど女性です。その多くの念があるので、オーブが集まってきている可能性があります。ガイドブックにも載っていない小さな廟で、実はメモしなかったので名前もわかりません。「海安河清」「神人同欽」などと書かれています。さて、問題です。一番上の写真をよく見てください。女性の顔のようなものが写っているように見えます。それはどこでしょうか。もう一度写真を掲載します。答えは・・・黒い服を着た右側の女性の頭のすぐ右上を見てください。柱の陰からこちらをのぞいているような女性の顔が見えませんか?心霊写真・・・!? 柱の陰から覗き見するなんて、ちょっとはにかみ屋さんの霊かもしれませんね。皆さんはどう思われましたか?
2007.04.03
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▼台湾風墓参り台中滞在二日目は、台湾の人の墓参りを取材させてもらいました。墓地があるのは、台中郊外にある大肚山。遠くに見えるなだらかな山がそうですね。これが墓地です。一つ一つのお墓が結構大きいです。ただし、どこの国も同じでしょうが、よく整備されているお墓と、雑草が生い茂っているお墓がありますね。写真奧に見える家のような建物も、お墓だそうです。屋根が付いており、お参りに来た人が泊まることもできるそうです。これは墓碑です。装飾がちょっと派手で、金色の文字で書かれているところが日本の墓碑と違うところでしょうか。焼香するのは同じですね。墓碑の後方にあるマウンドに骨壷が埋められているそうです。お墓の敷地内には、地元の神様を祀った祠も建っています。台湾のお墓参りでは、地元の神様とお墓の両方に焼香するようです。前にも書きましたが、台湾のお線香は日本のより二倍ぐらい長いです。その長い線香に火をつけて、それを三本ほど手に持って、墓碑や神様の前でお辞儀を何回かします。一人一人やるのではなく、皆そろってやりますから、すぐに終わってしまいます。おや、焼香の後に何かを始めましたよ。紙を燃やしはじめました。そこで問題です。この紙は何を表しているのでしょうか?答えは・・・あの世(天国?)で使う「お金」だそうです。燃やすことによって紙のお札を天国に届けることができるとか。たくさん燃やせば燃やすほど故人のところにお金が届くシステムになっているそうです。地獄の沙汰も金次第とは言いますが、天国でもお金が必要なのでしょうかね?資源の無駄使いではないかと思いますが、日本にも無駄なことはたくさんありますから文句は言えませんね。(続く)
2007.04.02
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桜の花もハラハラと散り始めました。今日はソメイヨシノ以外の春の花を紹介しましょう。これは枝垂桜。次は桃ですね。枝垂れ桃。種類は源平枝垂だそうです。白、ピンク、赤と三色の花が咲いていますね。木蓮です。最後は石楠花でしょうか、ツツジの一種です。お知らせ:今月中旬に富山県立山町の尖山中腹にある「遺跡」探査に行く予定ですが、私から連絡をする予定になっていて、まだ私からメールが届いていない方はいらっしゃらないでしょうか?メッセージをいただいた方にはメールを送ったはずですが、もし漏れていたら至急メール等でご連絡ください。よろしくお願いします。また、急に行きたくなった方もご遠慮なさらずに連絡ください。
2007.04.01
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