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私自身もお産の仕方なんて、ぜんぜんわからないでいた。病院について、すぐに内診。順調にお産が進んでいますとのこと。安心して、準備室で待機するが、めちゃくちゃつらい。トイレいくにも四つんばい、陣痛の山がきちゃうと、便器にもたれかかって、しばらく休むしかないくらい腰がくだけちゃう。そんな状態でお昼をまわってしまう。妊娠中からお産までを一貫したケアをお願いしていたのでずっとみてくれていた助産婦Hさん登場。まだ子宮口が開いてないから、階段上り下りと、売店まで買い物と、お風呂沸かしておくから、ゆっくり浸かってとのこと。すごいスパルタ。階段の上り下りは、想像を絶するほどつらいものだった。売店では、陣痛の山がきちゃってもう大変!お客さんやら店員さんやらが、棚につかまって陣痛に苦しむ私をものすごく心配してくれる。今にも生まれちゃいそうなのに、出てこないこなちゃん。。。。午後、Hさんが作ってくれて熱いヒノキ風呂に入る。お湯につかると若干陣痛の痛みが、治まる感じ。だけど、あがってからは陣痛がすぐにくるので脱衣場でうずくまって休み、また着替えての繰り返し。それから、Hさんがアロママッサージを施してくれる。足と腰。かなりすばらしく、もう本当に癒してもらい、感謝、感謝だった。すごいケア。私の出産した病院の助産師さんは、みんなすごいプロ意識があって素敵だった。夕食。ほとんと二日間、寝ずでぼろぼろだったのにもかかわらず出されたお膳をなんとか食べる。Hさんが「しっかり食べてお産してね」という。食べたほうが力がつくからと。食べ終わってから、さらに陣痛がひどくなり気がつくと、自分でもこんな声がでるのかと思うくらいけだものの声がお腹のそこから出てくる。うーっうぅうううううーって。Hさんが部屋に入ってきて、心音を調べたあと、内診。子宮口がとうとう全部開いているとのこと。やっと分娩室へ入れることに!!!長かったよー、ここまで!!!分娩室までは、自分の力で歩いていけという。歩けないよおおおーと私。だけど助産師さんがもう一人やってきて私の両脇を抱えてくれ、情けない姿でなんとか分娩室へ入った!このときのことを今でも忘れない。分娩室では持ってきていたモーツァルトをかけてもらったけどほとんど耳に入らず。そんな場合じゃない!って感じ。ただ、分娩台の上で横になったり仰向けになったりしてうわーうわーとケダモノのように叫ぶ私。パパが手を握っていてくれるが、あまりにケダモノなので急にそばで見られているのが恥ずかしくなり力が入らないため、あっちへいってくれと頼む。そこで助産師さんが笑ってしまう!ごめんよ、パパ!!!パパは同じ室内のソファで傍観。ときどきアロエや花粉だんごを食べさせてくれる。陣痛と陣痛の合間は、さすがに疲れていて寝てしまう。そうこうしているうちに1時間が経過。主治医が入ってきて、これ以上長引くと赤ちゃんが疲れるので促進剤うちますとのこと。ひぇーーーーんそんなぁあああー!あせって、アロエの黄色いボトルを一気飲みし、花粉だんごを一ビンくらい一気に口に詰め込んだ私。あらゆるアクロバット的な体制をやってみたがそれでもうまくいきめない。Hさんがついに「なっつさん、声をださないでうんんんんーっと肛門のほうに力を思い切りいれてみて」と助言してくれる。(ここまでほとんど助言はなかった)そうか!肛門に力をぐっといれるのか!と思いそうしはじめたら、赤ちゃんの頭が見え始めたという。Hさんが、ものすごいピンクの椅子をもってきてくれ(ラーメン屋においてあるみたいな、真ん中が空いているまるい椅子)そこに座って最後のいきみ。地球が割れるくらいのいきみ。赤ちゃんの頭、出てくる。分娩台に再び戻り、あとはスムーズに出てきた。痛かったけど、陣痛に比べればなんのそのだった。こなちゃんが最後、ぽんと出てきた!泣き声。7月30日午後11時17分。すぐに胸を出してあげて、抱っこ。念願のカンガルーケア。「よくがんばったね。ありがとう」これが最初にこなちゃんにかけたコトバ。かなりお疲れだったのか、おっぱいを吸う前に眠ってしまうこなちゃん。ちっちゃくて、2600g。骨と皮のようなあんよ。かっわいいいーーー。泣けるかと思ったけど、安堵感でただただ心休まる。でもすぐに切開したところを縫ってもらう。痛いのと不安なのを察して、Hさんがぎゅーっとその間じゅう、私の手をにぎっていてくれる。こなちゃんは、パパがずっと抱っこしてくれていてパパが一生懸命はなしかけている声が聞こえる。手術終わって、パパと三人の時間をもらう。午前2時。みんなで記念撮影。病室へ母子ともに移る。パパもおやすみといって帰宅。初めての出産と、生まれたての赤ちゃんと二人で眠った。あんなに疲れていたはずなのに興奮していたのか、一睡もできなかった。
2006年07月24日
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今度の日曜日で、いよいよ出産して一年を迎える。今日は、あのときの思い出をちょっと書いてみようと思う。出産予定日は、7月29日だった。7月27日、最後の健診へ出かけた。ものすごく暑い日。パパも一緒。先生いわく、「まだぜーんぜん上の方にいるよー」とのこと。これは予定日過ぎるかなっていわれてしまった。このまま一週間以上、予定日が過ぎると促進剤を使っての出産になりますと宣告される。なんかいやだなー、と思う。内診のため、出血。久しぶりにナプキンを買う。妊娠中は一度も出血したことがなかったのでこんなに出血しちゃうのかと少し心配になった。健診の帰りは、必ずレストランでランチをするのが楽しみでその日は、確か韓国料理を食べたと思う。そのあとは、青山の青山ブックセンターによって立ち読み。それからカフェでお茶した。夕方、お風呂にはいっているときにお腹の赤ちゃんに話しかけてみた。「ねえねえ、赤ちゃん。(名前が決まってなかった)そろそろ頭をもっと下にもっていったほうがいいよ。でないと、私たち、お薬を使って、出てこなきゃならないんだって。ママ、それはぜったいしたくないよ。ママよりも、赤ちゃんが一番大変だよ」と語った。もちろん無反応。聞いてんのか、聞いてないのかは不明。だけどこうやって、いつもお風呂で話しかけていた私。6月ごろまで逆子だった、こなちゃんにもこの語りかけ方法で直ったという体験があった。「ねえねえ、頭は下だよ。そうしないと赤ちゃんが出てくるときに、一番大変だよ。一緒にがんばろう」とかいつも声をかけた。話はもどって、そうしてお風呂で語りかけてからなんだか下腹が痛くなる。出血しているせいかと思ったけどなんかおかしな感じ。時間を計ってみると10分おきになってきている。こなちゃん、さっそく頭を下にもっていき生まれる準備を大急ぎでしたみたいだった。お薬、ぜったいいやだったんだと思う。結局明け方まで陣痛のため眠れず・・・。医者に電話しても、5分おきくらいになるまでは病院にこないでくれという。結局、28日の朝9時ごろには、陣痛が遠ざかってしまった。昼間は、とても疲れていて、ごろごろ過ごす。夜はパパがお弁当を買ってきてくれて食べる。夕方は、つらかったけど、とにかく散歩する。28日の夜10時ごろから、また陣痛が始まる。やっぱり10分おきくらい。正確なくらい10分おきなので、体内時計ってすごいなーと思う。明け方、出血がひどくなる!これはきた!って思い、病院へ電話。すぐきてくださいとのこと。明け方の4時に、タクシーを呼んでもらいパパと二人で出産に挑む。うちは、立会い出産を希望していたのでこれからどんなことが起こるのかと、二人とも想像を絶してた。(つづく)
2006年07月24日
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今日はやっと雨が上がっていたのでひとつ先の駅にある区民センターの芝生の広場が開放されていたのでこなちゃんを遊びにつれていってあげた。最近は、家に一日中いると飽きちゃうみたいで、かなりうるさい。パソコンなんてやらせてくれないし、一時間のうちに何度もおっぱいをほしがるし、家にいるのが大変!!そういえば、凛くんのママもそういっていた。雨の日は、授乳ばかりになってしまって大変だと・・・。GAPで買った運動靴を履かせ、芝生におろしてあげると、まるで水を得た魚のごとく超高速はいはいでかけずりまわりだす。靴は、途中で脱がせ、裸足で芝生の上を感じさせてあげた。そうしたら、やっぱりあんよが上手でずっと歩きっぱなしだった。裸足のほうが歩きやすいよね。。。。知らない赤ちゃんや子供たちのところへいって遊ぼう、遊ぼうっていってしまう。もちろんわたしのことはまったく振り返りもしない。赤ちゃんや子供たちが、ころころと集まって遊んでいるのを後ろから黙って見ていた。おもしろかった。4歳くらいのお姉ちゃんがよってきて遊んでくれたり、知らない赤ちゃんがこなちゃんのボールをもっていったり、取り返したり・・・。もうみんな大忙しで見ているだけで笑えた。みんな赤ちゃんたちは忙しい。あんよも激しく、まだよたよた歩きのくせに走っているみたいだった。そんなに急ぐことないのに、なんだかエネルギーがありあまっているみたいだった。ちっちゃな強烈なエネルギーの塊がうぉーうぉーといいながら、芝生の上をかけずりまわっていた。親として、やっぱりこういう広い場所に一日に一度はもう遊ばせてあげないとなーと思いました。ひとしきりそこで遊んだかと思ったら、今度は芝生から飛び出して砂場へ直行。砂が大好きなんだなぁ。じゃりじゃりでいやだったけど、これも親の役目なんだよな。最後は水道で、じゃぶじゃぶお手手とあんよを洗ってあげた。私は、そんなに遊んだわけでもないのに激しく運動したようにぐったりしてしまった。これからすごそうだなぁ。今までとは違う体力勝負なんだろうなぁ。帰りは、ぐずったりしたけれど途中で寝てくれたのでパパと三人でいきつけの中華料理店へ行って餃子とビールを飲むことができた。はっきりいって奇跡のディナーだった。こんなにゆっくり外食できたのは約一年ぶりでした。一年前のちょうど今頃、こなちゃんが生まれる寸前に陣痛と陣痛の間に食べにいった中華料理店だったのですごく懐かしくなってしまった。ちなみに私の陣痛は、二日間夜中だけ起こり、日中は止まってしまうという恐ろしいくらい辛いものだった。今となっては、胸がきゅんとしてしまうくらい懐かしい思い出だけどね。
2006年07月22日
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この前の日曜日は、自分の誕生日だった去年の誕生日は、まだお腹が大きくて今にもはちきれそうなお腹を抱えてだんなにお祝いしてもらったことが懐かしかった。うまくいけば、こなちゃんと同じ誕生日になるはずだったけど、そこまでうまくいかず・・・。二週間ずれてこなちゃんは生まれてきたというわけ。今年は、こなちゃんも一緒!「今日はママのお誕生日だからいい子にしていてねー!」と朝一番でお願いしたらそのとおり、ものすごくおとなしくていい子に。誕生日会は、だんなの実家にこなちゃんを預けて二人で串焼きやさんへ行った。すっごく楽しくっておいしくっていっぱい食べた。先週、一泊で軽井沢へつれていってもらったお礼には義母たちに、ランチョンマットとペーパーナプキンをプレゼントに買っていく。かけなかったけど、先週の軽井沢もとっても楽しかった。こなちゃんともそろそろ旅行がうまくできそうになってきた。年内には海外に進出してみたいところ。あと先週は、ものすごくこなちゃんが歩けるようになった!!これが先週一番のこなちゃんニュースかな。とにかく、今年の誕生日はすごく充実してよかった。串焼きやからかえってくると、こなちゃんがとても良い子にして待っていてくれた。かえってきたときは、私と目を合わせてくれなかったけど(すねていたのかな??)すぐにお風呂に入れてあげて、みんなで楽しくねんね。こなちゃんが寝てから、義父と義母、だんなさんが三人でケーキを囲んでハッピーバースデーうたってくれてすごくうれしかった。メールを見たら、友達からいっぱいおめでとうメールが入っていた。いい誕生日だったなー。これもこなちゃんやみんなのおかげだな。
2006年07月19日
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先週、こなちゃんをつれて公園デビューしてみた。すでに1歳半くらいのお子連れのママたちが二組いた。なんとなく挨拶するタイミングを失ったまま(わりと引っ込み思案・・ていうか面倒くさがりや)普通にこなちゃんにサンダルを履かせて、バギーの下におろす。こなちゃん、さっそく砂で遊ぶ。すごい勢い私のほうが娘の砂遊びになれなくってなんとなく見ていられない。汗と砂でべたべた。はいはいしている体を起こしてあげて今度は手を添えて、歩く練習をした。すでにいたママさんたちがお上手ね、と声をかけてくれる。(みんな優しいね)1,2、1,2と声をかけながら一歩一歩、わたしの手につかまって歩くのが最近私たちの間ではやっている。ふたたびお砂遊び。だけど、なんか強烈すぎて、ものの五分で退場した。手足にいっぱいついたお砂を、おしりナップでふきまくる私。もっと寛大に、おおらかに子育てしないとな。徐々にならしていこう。なんとなく近所のママ友、まーちゃんにメール。まーちゃんちの息子っちとうちの子はお誕生日が3日ちがい。すでに彼女はがんがん公園につれていっているといっていた。でないと男の子だからエネルギーありあまってどうしようもないって。ブランコに乗せたり、滑り台で一緒に滑ったりしているといっていた。それを読み、よし私もやってみようと、今朝、改めて公園デビューしようかと思ったけれどこなちゃんが寝てしまった。午後にいってみようかな。どこか近所によさそうな公園があればいいんだけど残念ながら、ここいいな!という感じの公園に出会っていないんだよなぁ。
2006年07月10日
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下記の誕生日の件、おかげさまで一見落着しましたみなさんのコメントを見てすごく励まされました。うれしかった、ありがとう。日記にぶつけた翌朝に、義父からでんわをもらい、なぜか突然に「なっつの好きな日にしていいよ。やっぱり一年の記念はその日にやったほうがいいよね」って言ってきてくれました。なんか不思議な気持ちになった。だまっていても問題が解決することもあるのだよね。確かに日記には、自分の釈然としない気持ちをつづったのだけど(つづりながらとてもくだらない事だなーと思いつつ)彼のことを怒ったり、攻めたりしたんではなく、自分のマイナスの気持ちを素直に見つめただけだったのでこんな風に自然に解決できたのかなーって思ったりもした。最近、地球の波動(フォトンベルト)が変わってきていてコトバにしなくても、人の気持ちや感情が直に伝わりやすくなってる。たとえば、口に出さなくても気持ちが相手に伝わるスピードが早かったり、考えていたことがすぐに現実化したり・・・・。ところで!本題の「噛まれた」について。今日、こなちゃんのオムツがえを抱っこして立たせながら行っていたところ、突然、右肩をがぶっっと噛まれた!顔はご機嫌な様子で悪気はなさそうだった。しかし、その瞬間、あまりにいたくって、わたしが赤ん坊のようにうんぎゃああああーと叫んだらこなちゃんも悪いことしたってわかったみたいで一緒にうんぎゃあああーと泣いた。すぐ泣き止んだので鏡に向かって肩を出してみたら、なんと血がにじむほどのアザが!ひどいよーこな助!!!んもおおおおおおーもう二度とやめてほしいので(前にも噛まれたことはあった)「ママの肩、こなちゃんが噛んだせいでこんなになっちゃったよお」と説明してみせたらきまずい顔しながら、笑ってごまかしていた。そうそう、うちの子、笑ってごまかすところがある!パパさんいわく、私にそっくりっていってました。あはは、そうです。私はきまずくなると笑ってごまかすのです。11ヶ月にして、そんなところが似てしまうのか!写真はまだ4ヶ月のころ。最近ちっちゃい赤ちゃんを見るとかわいくて、なつかしくて仕方ない。まだまだ大変だというのにもう一人赤ちゃんがほしくなっちゃう今日この頃です。
2006年07月08日
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いよいよ一歳のお誕生日が近づいている。今年は小夏の初の誕生日ということで両家を呼んでのお誕生日会を開く予定でいて楽しみにしていた私は娘の誕生日の日に着せるためのワンピースを用意したり、わくわくしていた。でも、そのことで心にひっかかる出来事が今日あった私の誕生日は7月16日。小夏の誕生日は30日と、私たち親子の誕生日はとっても近い。さて、今月の30日は日曜日。小夏の生まれた記念すべき日なのでその日は、ちらし寿司を作ってケーキを予約して・って思っていたんだけど突然、義父たちが20日から別荘へ行くから誕生日会を16日にしてほしいと昨夜いってきた。もともと「小夏の一歳の誕生日は盛大にやろう」と少々、嫁としてはプレッシャーになるコトバを半年前から私に言っていた義父。でもまあ、みんなに世話になっているし娘の初の誕生日には、簡単なご馳走とケーキをふるまって親族でわが子の誕生を祝っていただくのはありがたいことだと思っていた。普通ならば誕生日会とはその当日でなくても、みんなの集まりやすい日に集まればいいって思うのだけれど、小夏の一歳の誕生日にかぎっては、特別な思いいれがあり、きちんと彼女がうまれたその日にお祝いしてあげたいって思っていた私。なので、普段はたいていの義父の要望を受け入れる私も今回は、「やっぱり初の誕生日だから、予定どおり30日に祝ってやりたいんですけど」と義母を通して言っておいた。うちの母とも電話で、やっぱりせっかくだから今年くらいは30日にお祝いしてあげたいよねって話していたし。。。。そして今日!たまたまうちの母の唄会で、うちの両親と義父たちと集まる席があった。娘の誕生日の日にやっぱり会はやりたいっていう私のそんな気持ちも、コトバもまったく聞く耳もたずの姿勢の義父。「30日じゃだめですか?」ってちっちゃな声で反論したけれどとにかく16日にやろう!とのこと。すごいゴリ押しっぷりに、まったくもってびっくりした。超自分勝手!!こんな自分勝手なやり方できる人が世の中いるんだ!ってくらいびっくりした。べつに義父のことを嫌いになったわけではなくむしろとっても愛すべき人なんだけどとにかくその自分勝手な生き方に度肝を抜かれた。(牡羊座B型)いったい誰の誕生日なんだ?もちろんブログにこうして書く(ぶつける)くらいだからこの件に関してわたしの思いは釈然としていない。今までにも娘の誕生以来、こういった些細な出来事はいくつもあった。そして、わたしはずっと我慢している。義父のことを頭にくるというよりも、今回も自分がきちんと意見を相手に伝えられなかったもどかしさが一番釈然としない理由なんだと思う。今回も、自分の娘の行事なのに義父の言うとおりになってしまったという小心者の自分を、残念に思っているのだ。こういうことがあるたび、私は義父のための孫を産んだわけでもなく自分の人生のために、子供を産んだんだって思う。これから少しずつそういう自分の気持ちを相手に表現していかないといけないんだろうな。感情でなく、大人として。ところで本当の30日の小夏の誕生日には何をしてあげようか。二回もお祝いっていうのも乙なものなのかね。
2006年07月05日
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今日から7月になりましたね。。。こなちゃんが今月で11ヶ月を迎えました。7月30日にはいよいよ1歳です!うれしいなぁ!改めて、こなちゃんが具合悪かったときはほんとうに励ましをどうもありがとうございましたさて、あれからおかげさまですっかり元気になり、もりもり食べ、遊び、おお泣きし、よく眠るこなちゃん。イタズラもパワーアップした感じ。ずっとこの10ヶ月間続けてきた、母乳→ミルクの授乳にさよならできました。突発性をやってから、哺乳瓶のミルクが要らなくなった。自立心が芽生えて、ゴムの乳首にさよならをしたのかな。その代わり、一応卒乳の時期なのにおっぱいを頻繁にほしがる。夜中は一度もおきておっぱいを吸うことはなかったのに、ミルクを止めてからのどが渇くのか、必ず一度か二度はおっぱいでおきてしまうようになった。これって母乳育児だと普通なのかな。わたしとこなちゃんは、まったくの母乳だけですごしたことがなかったので、11ヶ月でもこういうものなのかどうかわからずにいます。子育ては四季を通すと楽になるよ、ってちょうど産後間もない大変なときに知人に声をかけてもらったことがあってすごく励まされたことがあったことを思い出す。本当にそうだな、と11ヶ月を迎えて思う。思い返すと、この約一年おっぱいあげたあとに、ミルク作って哺乳瓶洗って、煮沸消毒してっていうのはものすごく面倒くさくて大変だった。この無精者のわたしがよくやったって自分でも思う。混合育児。ほんとなら、母乳かミルクかが良かったけどおっぱいも、ミルクも結局やめられないまま一年になってしまった!こんな風に、高熱や下痢がきっかけで哺乳瓶のミルクとさよならできるとは思わなかった。こんな感じでおっぱいにも自然にさよならできるといいんだけどなぁって思っていたらパパが「紙に書いたらいいよ。こなが自然におっぱいやめられるって」ていわれて、ああそうだって素直に思った。こなちゃんが生まれて、夜も昼もまだ区別がつかなかったころ必死に一日のスケジュール「こうなったらいいなあ表」なるものをA4の紙に書き出して、冷蔵庫に貼っておいたらそのとおりになったという経験がある。それから、ぐずってほしくない外出のときとか叶えたいことをなんでも紙に書き出してイメージトレーニングってほんと大事だ。おっぱいをあげるのは喜びだけどそろそろ辞めたい気もしている。大好きなおちゃけを飲めないのもつまらない。最初は3ヶ月だけ、半年だけ、7ヶ月になったらやめよう・・・・とか考えつつもやめられないでいる私。おっぱいを出してあげるとすぐにぐずりがなおったり、ことんと寝てくれるので便利グッズとして使い続けている。おっぱい飲んでいる顔もかわいいしな。2歳くらいまではあげたら?と母には言われた。あと一年!!うう~っ!!できるかな。今度の1歳健診のとき、また助産師さんに相談してみよう。食事用に購入したベビーチェアーだけど10ヶ月になってから、立って食べるようになって危険なため撤去。歩行器で食べさせる毎日。ひとり立ち&よちよち歩きができるようになってからイタズラな動きが増した気がする!あいかわらず苦戦している離乳食タイム。それでも苦労した甲斐あったのか自分でスプーンを持って食べてくれるようになりました。しかし、今晩食べさせたそうめんはひどかったな!べったべたぐっちゃぐちゃに手でかきまぜ母さん、後片付けむかついちゃいましたヨ。最近、あんよがしっかりしてきたせいかどこでもよじ登ります。これは歩行器の細いところにのっかって遊んでいるところ。
2006年07月01日
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